入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「冬」(43)

2023年12月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 年の暮れ、モミジの落ち葉を集めて火を焚く。これが多分、今年最後の落ち葉焚きになるだろう。明日は上に行くつもりだから、日向ぼこもきょうでおしまいにするつもりだ。
 ムクドリが、実のない柿の木に群れている。もう、主要な枝は悉く切り落としたから、今来て鳴いている鳥たちは、そこから徒長した夥しい数の細枝の先である。数は10羽にも満たない。それでも、縄張り争いでもしているのか結構喧しい声が先程から続いている。
 
 冬の冷気を孕んだ青空が拡がり、それを見ていると、つい、快い眠気に誘われてしまう。昨夜は、久しぶりに快眠できなかった。寝過ぎが祟ったのか、午前1時ごろから4時か5時ごろまで、覚醒しないまま長い時間を布団の中で過ごした。
 眠ってはいないつもりながら、半分は朦朧とした状態が続き、そういう時は実は知らないうちに多少は眠っているのだと何かの本で読んだことがある。そんな状態で、7時半には起き出したから、一応寝不足ではあるだろう。
 
 こういうことでは、きょう一日が重くなる。少し料理でも作って、明日上に持っていくつもりでいたが、段々と億劫になって来た。まあ今年の越年も例年ながら2,3人、増えても2人ぐらいだから、各自にお任せしてもいいだろう。
 というところへ電話が入り、「増えても2名ぐらい」は予定が変わって小屋ではなく、キャンプ希望になった。極寒訓練をしたいらしい。冬期キャンプは原則お断りしているが、どのみち越年で上に行くのだからこの人たちの心意気を買うことにした。
              ******
 もしかすれば、本年の独り言は今日で終了するかも知れません。もし呟きが聞こえなくなっても、多分、クマに襲われたり、谷底に車ごと転落したわけではないだろうと、ご判断ください。
 冗談はさておき、今年一年もこの変わり映えのしない呟きにお付き合い下さり有難うございました。何卒、良い年をお迎えください。
 管理人敬白
 
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     ’23年「冬」(42)

2023年12月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝の8時、室内気温でも零度近くまで下がったようだ。これでも、例年と比べたら「暖かな年末」だというのだろうか。
 牧場は零下5,6度くらいになったはずで、年間を通じての調査によれば、確か、年が新しくなると急激に気温は下がり、1月が一番寒くなるような記憶があるが、いまひとつ確信がない。大晦日は全国的に雨のようでも、上は雪になるだろう。

 先程から、昨夜何をしたかを思い出せないでいる。いつものように夕飯前に缶ビール500ccを1本、日本酒を2合飲んだ。その後昨夜はウクライナへもパレスチナへも行かなかった。テレビを点けなかったのだ。その辺りから記憶が消えている。
 9時近くに友人某から久しぶりに電話があり、夫婦の旅行も女房殿が尻込みするので実現しないと言っていたのは覚えている。旅先でも、わがままな夫の世話などしたくないというのがその理由のようで、ま、分からないでもないが、旅は老いたる者の楽しみだから説得しろと言っておいた。
 
 その後1時間近く座った。多少酒気が残っている方が、集中できるような気がする。邪道。
 風呂から出て凍れる月を昨夜も眺めた。「今年最後の満月」ということにどれほどの意味があるのか知らないが、ともかくもそれが一昨日だったから、その光は辺りの闇を洗うように明るく、強く、鋭かった。
 多分寝たのは11時ごろだと思うが、そして一気通貫、今朝は8時過ぎに起きた。恥ずかしながらまたしても9時間以上寝たことになる。

 この記憶喪失、果たして案じている寝過ぎに起因しているのだろうか。だとしても、睡眠を選ぶか、それとも記憶か、これまた難しい選択になる。
 朝風呂に入りながら、貼り付いてしまった本の頁を開くような苦労を重ねて、何とか記憶の空白を明らかにしようとしたが、結論は「諦めろ」だった。
 退屈しのぎに、風呂によく本を持ち込むことはすでに呟いたが、濡れて貼り付いた2頁ぐらいを飛ばしたとて、播隆は槍ヶ岳開山の努力を怠りはしないだろうし、小説とは違う真実を、語り損なうこともないだろう。
 ましてや、市井の片隅で暮らす後期高齢者の日常など、何十頁欠落したとて、それこそ「異常なし」だ。

 年の瀬も一人日向ぼこ、穏やかな日々が続く。本日はこの辺で。
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     ’23年「冬」(41)

2023年12月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝は早起きしたが、何もしてない。なかなか気温が上がらず、朝飯の準備もする気になれずに見る気もないテレビを点けた。
 音を消したまま、時々そっちの方へも目を向けたりしていると、NHKの朝の番組だった、山梨県の奈良田という山奥の集落へ来た若者が、焼き畑農業に挑戦する様子を報じ始めた。それで急いで音を入れた。焼き場農法に関心があったのではなく、20年以上も前に訪れたきりのあの集落が、今どうなっているのか知りたかったのだ。
 
 初めて行った時は雨の日だった。あんな山奥に人家があるのも信じられなかったが、その集落の名前が「奈良田」とあれば、さぞかし謂れのある古い土地に違いないと思って、その方面にも興味が湧いた。
 バス停の前のひと昔もふた昔も前のような万事屋が遠い記憶にあるが、生憎温泉には入らずじまいで、奈良田の歴史についても何も知らずに長い年月が過ぎてしまった。

 いつだったか、またしてもテレビで偶々見掛け、集落が存続していただけではなく、すっかり見違えたようなその変貌を見て、驚いた記憶がある。家々が建て替えられて、いつの間にかすっかり今の時代に追い付いていたのだ。
 ところが今度は、その土地へ若い人が越してきて、狭い山間の谷間の急な斜面に焼き畑農法で蕎麦を作るのだという。集落の住人かどうかは分からなかったが作業を手伝う老若男女もいて、秋には豊作ではなく、まぁあの程度だろうなというほどの蕎麦を収穫することができた。
 
 それは喜ばしいことながら、果たしてこの若者はこの土地に根付くことができるのだろうか。多くの人が生まれ故郷を捨て、去っていった土地だ。
 今のところは田舎暮らしが自己満足程度でも続けばいい方で、失意の裡に再び去っていった人の話も多く聞く。
 クマが冬眠しなくなったことは問題だが、人間も過度に進む文明に抗い、違った生き方をしようとする新たな習性が身に付き、育つといいのだが。
 
 晴れるはずなのに、曇天。本日はこの辺で。
 
 
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     ’23年「冬」(40)

2023年12月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうも晴れている。典型的な冬の天気で、同じ長野県でも北の地方は雪が降っていても、「南信」と呼ばれるわれわれの地域は晴天の日が多い。
 晴れても、標高は700㍍位あるから気温はそれなりに低く、今朝9時ごろの室内気温は3度だった。零下にならなければまだマシで、下がる時は室内でも零下4度くらいになる。
 それでも温暖化の影響は明らかで、かつては入笠へ行く途中の千代田湖は、たくさんのスケート客が訪れたと聞くが、今は昔しの話になってしまった。

 冬枯れの変哲なきょうの写真は、散歩の途中に超えていく小さな峠である。われわれの集落とは別で、それもこの峠は人家からは離れていて、名前があるのかないのか分からない。
 この峠を越えるとさらに別の集落になるが、ここも人家のまばらな集落の端を通ることになり、距離的には大体中間くらいになる。

 歩き出す前は気のあまり乗らない時もあるが、それでも不思議と、幾つかの目標にしている場所が呆気なく過ぎていき、この峠に着くころにはそんな気持ちも消えてしまう。前にも呟いたが、まだ先のことだと思っていた年齢を、いつともなく過ぎてしまっている人生と似ている。
 瀬澤川の流れる谷までは、と思っているといつの間にかそこを過ぎ、遠いと思っていた峠も山田の先に見えてくる。疲労感はなく、むしろ散歩気分が快く、色彩の乏しい野面を吹き渡る風も気にならない。

 座っている時もそうだ。遅々として進まない時間、それを示すなかなか燃えて短くならない線香、それでも確実に時の経過はその線香があやまたず教えてくれる。
 何というか、過去と未来の間の、殆どあるかないか分からないような薄い、一瞬の「今」が、存在感を感じさせるようになり、「今」を繋ぐ線香の長さが半分ほどになるころには妄念、邪念、雑念を追いやろうとする闘いは続いても、より鼻の呼吸に集中することができるようになる。そして約40分後には目の前の線香は燃え尽きて、灰の中で消える。
 たった一日の中の1時間にも満たないわずかな時間であるが、心のラジオ体操になったと思える時であり、誰に、何に、感謝するわけではないが、自然と頭が下がる。
 本日はこの辺で。
 
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     ’23年「冬」(39)

2023年12月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 目が覚めたのは午前5時だった。昨夜は10時ごろ寝たから、それで睡眠は充分だという人もいるだろうが、嗜眠癖を自称する者には物足りない。寒い中を起き出す用事も必要もないから、そのまま布団の中にいた。
 
 きょうがクリスマスだということは承知していたが、それとは全く関係なく、現在パレスチナで起こっていることを漠然と考えていて、キリスト教のよく耳にするある一派の名前を思い出そうとして、それができない。
 こういうことはしょっちゅうあるが、そのままにしておけば記憶力が劣化していくような気がし、できるだけ思い出すように努力している。よく「のどまで出てきている」などと言うが、本当にそんな感じで思い出せないのがもどかしい。
 
 サドカイ派、エッセネ派、末日聖徒イエス・キリスト教から、アーミッシュ、エホバの証人と、いたずらに名前が浮かんでくるがどれも違う。そのうちに眠り足りない頭が疲れてきた。
 諦めてウトウトとしていた。浅い眠りが途切れとぎれに続いたような気がするが、それを繰り返すうちに、雲の中からでも出てくるように「福音派」という言葉が突然に現れた。それが探していた言葉だった。
 安堵して、また眠りに落ちた。今度はぐっすりと眠ったようで、目が覚めた時は9時を回っていた。

 さすがにこれは眠り過ぎで、もしかすれば記憶力の衰えはそのせいかも知れないと少し案じ始めた。先日も友人宅で話していて、今読んでいる本の主の名前が思い出せずに大変に弱った記憶がある。
 それと、先程湯が沸いたと音声で知らせてもらったばかりだが、入浴回数も多すぎる、湯治に来ているわけではないのだから。度を超せば、無駄な疲労を招くだろうし、入浴中の事故死はよく耳にもするではないか。
 もう一つ、アルコールはそれほどとは思わないが、千葉県産の「半立種(はんだちしゅ)」という奇妙な名前の落花生も要注意覧に入れる必要がある・・・、などと、こんなふうにあれこれ思い付くことを挙げていけばまだ出てきそう、止めておこう。

 先週末、散歩の途中で開田から鹿嶺高原を見た限りでは、その10㌔ばかり北方の入笠でも、どうやら年末の車の乗り入れを受け入れてくれそうな感じだった。牧を閉じた日をもって大晦日としたつもりが、またもや少しづつ今年が終わるという実感がしてきた。
 本日はこの辺で。

 

 
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