『なぜ日本人は世間と寝たがるのかー空気を読む家族』(佐藤直樹著)出版は2020/11/06とありますが、改訂版で初版は2013年なの年なのでデータがみな古いのが残念です。
まえがきに、
挙式会場にはなぜ個人名ではなく「◯◯家△△家披露宴」と書いてあるのか。事件の加害者家族がメディアで謝る理由とは。「世間学」の第一人者が、プライベートな領域であるはずの家族にまで影響を与える「世間」の正体を大胆に分析。世間からの「同調圧力」はどのように「家族」のあり方を歪めているのか。日本人が集団になったときに発生する力学を、歴史、法律、メディア、年中行事などから徹底解剖!
とあります。1975(昭和50)年は、日本の大きな転機点だと言われています。良く私が話すのは、マンガが巨人の星やアタックナンバーワンなでの根性物から、東大一直線のようなひょうきんものに変わった。などと話すことがあります。
標記の本には次のようにあります。
戦後に日本の合計特殊出生率は、50年には四・五で、五五年までは高水準を維持してきた。つまりひとりの女性が一生の問に、平均四、五人の子どもを生んだ。芹沢は、このときの家族を、複合した世代が同居しているという意味で「多世代同居型」とよぶ。
ところが、55年ごろを境として数値が下がりはじめ、それからはほぼ20年にわたって二・一いう数字を上下して推移してゆく。これを夫婦一組の核家族が中心になっているという意味で、「単世代同居型」とよぶ。この20年問は核家族の「安定期」であるといえる。
問題なのは、75年を境にして二・一という数値がどんどん下がりはじめたことである。
これを芹沢は、夫婦がそれぞれお互いの個別性を尊重しながらパートナーを組んでいくという意味で「個別-同居型」の家族がはじまったと考える。ここで、それまであった家族(対)を第二義と考えるという考え方から、「個」「自分」を第一に考えるという変化があったという。
合計特殊出生率の変化を近代家族との関係で考えたとき、日本の家族が、芹沢のいう「単世代同居型」から「個別―同居型」へ変わる75年というのが、きわめて重要なターニングーポイントとなる。
山田昌弘も、「非婚化」と「晩婚化」がはじまった時代であるとして、75年がターニングポイントとなっていることを指摘する。
1975年まではほとんどの人が結婚していただけではなく、結婚年齢のばらつきが少なかった、つまり、だいたい同じような歳、二十代半ばに結婚していました。これに対し、75年以降、たしかに平均初婚年齢は上がってきています。それが晩婚化と呼ばれるゆえんですが、一方で、20代初め、あるいは10代の「できちゃつた婚」も増えています。
つまり、結婚が、みんな一斉に同じような年齢でするという画一的なものではなくなつてきているのです。統計的に見て結婚年齢がばらつき始めたのです。ばらつき始めているなかで、全体的には平均して遅くなっている。これが、1975年を節目に起こっていることのポイントの一つです(『「婚活」時代』)
ようするに七五年までは、結婚は画一的なもので安定したものであった。言いかえれば、日本において近代家族は、55年から75年ぐらいの「単世代同居型」の時代、すなわち核家族の「安定期」に、最盛期をむかえていたと一応いえる。
この最盛期を迎えた近代家族とは、落合にいわせれば、「無垢でかわいらしい子供、家の外に働きに出て一家を養うに足るだけの給料を獲得してくる頼り甲斐のある父(夫)、家庭にあって愛情を込めて夫と子供の世話をする母(妻)。専業主婦は、まさに近代化の産物である」というイメージになる(『近代家族の曲がり角』)
以上