仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

宗教と日本人2

2021年05月28日 | 新宗教に思う

『宗教と日本人-葬式仏教からスピリチュアル文化まで』 (中公新書・2021/4/19・岡本亮輔著)からの転載です。

 

葬儀について次のようにあります。

なぜ地獄も浄土も信じないのに戒名を貰い、僧侶を導師にして葬式を行うのか。それは、死者を送る作法として、葬式仏教を利用するのが便利だからだろう。そもそも葬儀は死者のためだけに行うものではない。その人の今後の不在を社会に告知し、悲しみを表現し、遺族を慰安する実践として、葬式仏教は長い時間をかけて整備され、日本社会に定着してきた。

 宗教社会学者の櫻井義秀は、自身の体験も踏まえながら、葬式がもたらす感情に関わる効能を指摘している。枕経から告別式までの一連の儀礼は、それに集中することで悲嘆の感情を和らげてくれる。そして、次々と訪れる親族や知人との感情交流は、人間関係の強化・再確認の機会になるというのである。(『これからの仏教葬儀レス社会』)。

 

そして著者の結論は、

「多くの日本人には、そうした宗教は自分自身の生活や生き方に直結するものとは感じられないはずだ」「現状に問題があると感じていても、多くの人は、それが信仰によって解決されるとは考えていない」「多くの日本人にとって、宗教は、それなりに特別な情緒を得たり、気分転換するための清涼剤のようなものだ。」(以上)

 

とあり、最初に紹介したように、日本人の宗教は、「信仰なき宗教」だというものです。逆から言えば「信仰なき宗教」という視点で、日本の様々な宗教現象を論じた本だと言えます。

 

数年前にご往生された大阪大学名誉教授である大村英昭先生(宗教社会学)が「なしたみとしての宗教」という言い方があります。まさに宗教と信仰は一体ではなく、信仰を除外した宗教への帰依があるということでしょう。

コメント
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