アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

マクロビオティックとの出会い

2010-01-05 14:41:46 | マクロビオティック
80年代の中ごろ、私は大阪の自然食品メーカーで、マクロビオティックの雑誌編集に携わっていました。
 
 マクロビオティックとは、玄米菜食の食事法。戦前にこの食事法を提唱し、多くの病人を治してきたのが、桜沢如一という日本人。彼は欧米に渡り、かの地でも人々の健康回復に努めました。その弟子の一人が、ハリウッドの俳優たちをはじめとするアメリカ人に影響を与え、近年、逆輸入の形で日本でもブームが広がりました。

 今では、大手出版社の雑誌でも別冊や特集が組まれるほど市民権を得ている食事法ですが、私がマクロビオティックと出会ったころは、ごく一部の変わり者が食べている粗末な食事、といったイメージが強かった時代です。
 
 でも、私も家人も、もともと食いしん坊で食に対する好奇心が旺盛だったので、当時まだ珍しかった玄米に対してもマクロビオティックの食事法に対しても、偏見は一切持っていませんでした。
 
むしろ、面白そうという気持が強くて、マクロビオティックの世界に仲間入りしました。

 当時、私たちにはさほどの病気はなかったのですが、たまにいただく玄米やマクロビオティック料理がとてもおいしくて、口中に広がるしみじみとした味わいを心地よく感じました。

 私たちの身体は、玄米はもちろん、鉄火味噌、ごま塩、玄米パン、玄米せんべい、玄米味噌、などなど、それまであまり食べたことのなかった食品や食材を、渇いたのどに流し込むようにどんどん吸収しました。今から思えば、さほど美味しくないものもあったはずなのに、当時は「おいしい!」と感じたのです。たぶん、それだけ体が欲していたのでしょう。

 何より驚いたのは、低農薬の玄米を水につけておいたら発芽したこと。試みに、入社する直前に近所で買い求めた普通の玄米を水につけたら、何日たっても発芽せず、紫色に変色しました。発芽したほうの玄米は、ベランダに置いたバケツの中でどんどん成育し、結実までしました!

 マクロビオティックは、病気はその病人のいままで食べてきたものによって作られる、と考えます。重い病気を治すためには、単に玄米を食べ、肉や魚をやめるだけではなく、病気やその病人の体質に応じた「食箋」というものを忠実に守らないと、なかなか快方には向かいません。また、マクロビオティックでは結局病が癒えず、ほかの療法を求める方もおられます。

 それでも、マクロビオティックによって治った例は数知れず、私もたくさんの方々の体験を取材しました。

 自分たちも試みに、ちょっとだけマクロビオティックらしい食事に切り替えようと思ったのは、入社して二ヶ月ほどたってから。
 玄米とひじきや根菜の煮物、味噌汁といった代わり映えのしないメニューを毎日続けました。でも、嗜好品はやめられず、昼食は外食も多く、ほんとうの厳密な玄米菜食とはいいがたい食事でした。

 そんないいかげんな食事でしたが、3ヶ月もたたずに効果が出てきました。

 まず、家人のアレルギーが消えました。彼は子供のころからひどいアレルギーで、検査したほとんどのものに反応したとのこと。漢方薬を飲み始めてすこし落ち着きましたが、ちょっとした環境の変化ですぐに体中がかゆくなったり、鼻水が止まらなくなったりしていました。

 それが、10キロほどの急速な減量とともにすっかりなりを潜めたのです。

 つぎに私の血圧が下がりました。高校時代、上の血圧(正式名は知りません)が168もあり、その後も150を下ったことがないほど高かったのに、マクロビオティック生活を始めて一年もたたずに110前後に下がりました。ついで、体温が上がりました。5度5分くらいだったのが6度2分ほどになったのです。

 その後、職を変わったり、環境が変わったりしてマクロビオティック生活から遠ざかったのですが、家人のアレルギーは昔ほどひどくはならず、私の血圧はほとんどかわらず正常を保っています。ただし、体温はまた下がり、近頃は年相応に冷え性に悩まされています。

 当時、愛知県に住む実家の父に尿管結石ができ、入院するという事態が起きました。マクロビオティックのすごさを知ったばかりのころだったので、京都から愛知まで飛んで帰り、父に玄米を食べさせ、芋パスタや生姜シップなどの手当てを施しました。すると、いつのまにか結石が消え、「治った理由がわからない」と、医者が首を傾げるほどに回復しました。そして体重が減ったせいか、若いころから苦しんでいた腰の痛みがまったくなくなったのです。

 そんなこんなで、マクロビオティックの恩恵にはあずかってきたのですが、他の食事にも好奇心と欲望が絶えず起こり、なかなか昔のような食生活に戻れないですごして来ました。

 ふたたびちゃんとマクロビオティック生活をしたいものだと思い始めた矢先、大阪の知人と一緒にやってきた初田智恵子さんと知り合いになりました。5年ほど前のことです。

 彼女は大阪のクシマクロビオティックスクールを卒業し、マクロビオティックの仕事を始めたところでした。

 稲武の地をとても気にいってくれた彼女に、また来てほしいと思い、せっかく来てもらうならマクロビオティック生活を始めるきっかけを作りたいと考えたのが、「チエ流マクロビオティック料理教室」の開催につながりました。

 

 
 

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