アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

映画「真実の瞬間(とき)」

2022-02-27 17:06:21 | 映画とドラマと本と絵画

  1950年代初頭のアメリカ。第二次大戦後米ソの冷戦がはじまり、アメリカは「赤狩り」に突入。政治家や役人に限らず、ハリウッドでも次々に、監督や脚本家、有名・無名の俳優たちがやり玉にあげられました。

  映画は、実在の人物をモデルにしたもので、主人公は売れっ子の監督。ロバートデニーロが扮しています。真実の瞬間 (1991年の映画) - Wikipedia

  彼は若い時に共産党の集会に参加したことがあり、そのことを調べられて「アカ」とみなされるのですが、彼が言うには、集会で彼は党の主張に反対意見を述べ、そのため議論になった。そういうことが数回あり、参加しなくなったと弁明するのですが、政府側は全く聞く耳を持ちません。

  彼の同僚の俳優や脚本家たちも次々にやり玉にあげられ、同僚たちの名前をあげさせられます。デニーロはそれをかたくなに拒否。すると、すべての仕事がなくなります。FBIが見張っているため、どんな仕事であれ再就職はできず、家族の身にも累が及びます。

  実話に基づいたこの映画、地味で、ほぼ知っていることばかりでしたが、何度見てもこの時代のアメリカにはぞっとします。デニーロ扮する監督が挙げられたのは1952年ころ。赤狩りが収束し、ハリウッドに平穏が戻ったのはなんと1970年代に入ってからとのこと。映画でデニーロの弁護士となる俳優は、実際に赤狩りを体験した人物だそうです。

  それにしても、このころまでのデニーロはかっこいい。役柄によって、全く違う人物になりきるところは変わりませんが、太っていないデニーロが好きです。

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本「国民の修身」「国民の修身 高学年用」

2022-02-24 17:12:47 | 映画とドラマと本と絵画

  明治23(1890)年に発布され、戦争中、軍国少年を育てるための教育の根幹とされていた教育勅語。その教育勅語を体現するための大事な教材の一つが、「修身」です。

  7,8年前に編集し直して刊行されたものを、つい最近読みました。帯は、「正しい日本人の姿がここにある」「戦前の教育はこんなにも輝いていた」「我が国の国柄を学ぶ高学年用が遂に登場」「異例のベストセラー」などの文言で飾られ、どちらにも教育勅語が収録されています。

  修身は、いまでいう道徳だけでなく、公民や倫社も兼ねていて、日本が、万世一系の天皇をいただき今に至るまで続いていることに国民として誇りをもち、皇室の神の社である伊勢神宮、そして皇室を守るために命を賭けた兵士たちの「御霊」をまつる靖国神社を崇敬することを義務付けています。

  イソップ、郷土の偉人と目される人物や、伊能忠敬とか二宮金次郎など、江戸時代の有名な人物たちも登場。どれだけ苦労して勉学に励んだか、偉業を成し遂げたかといった彼らの伝記がかかれています。

  低学年用の修身のあるページには二人の男の絵が描かれています。一方は人品卑しからぬ人物、もうひとりはよれよれの着物を着て風采が上がらぬ人物らしいとわかります。文章は、立派なほうは努力家で、落ちこぼれのほうは怠けたからこうなった、とあるのみ。そして「立派な人物」は負け犬を見てまゆをひそめています。昔の同級生が零落しているのを見て、助けない人物が「えらい」?

   孝行娘や息子の話にも多く紙面を割いています。でも、具体的にどこがどうえらかったのがわからない。

   こういう教科書を与えられて育った人たちが、議論や論理をまなぶことなく、戦争にいやおうなく巻き込まれたのだな、ということがわかる一助になりました。議論の末、一方が勝ち、片方が納得して従ったとか、そういったすじみちのある話はほぼないようでした。とにかくおどろくほど、話が貧弱。取り上げられた実在の人の何人かは、ほんとはものすごくいろいろあって、何かを成し遂げたとおもうのですが、教科書では、そういうところをすっ飛ばしている。

  教育勅語に関しては、わたしにはよく意味が分からないところが多く、理解できない。例えば有名な「夫婦相和し」という文言は、どういう意味なのでしょう。「和」すって? だれが「ああ、君たち夫婦は和しているね」と認めるのでしょう。本人たちも気が付かないほどの仮面夫婦や共依存の関係だったら、はた目には「和し」ていると見えるかもしれません。それでもいいということ?

  有名な、進歩的な教育評論家と目されている人が、「教育勅語はいいことが書いてあるけれど、戦争への道をひらいたからいけない」という意味のことを言っているのを聞いたことがあります。意味の分からないものを、いいとか悪いとかは言えないはず。彼は、どうも、教育勅語の文言の意味は分かるらしい。わかる、と思うことからそもそも疑わないと危ないな、と痛感した読書となりました。

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セネカ「人生の短さについて」

2022-02-24 17:12:47 | 映画とドラマと本と絵画

  高校の時の世界史か倫社の教科書にちらっと出てきた記憶しかない、ローマの哲学者セネカ。皇帝ネロの教育係となり、皇帝就任後は補佐役となった人物。でも、(ネロを)「制御することができず辞表を出」し、隠遁生活に入ってから執筆活動をおこなったとか。ネロ暗殺の陰謀に加担した嫌疑をかけられ、「みずから命を絶った」。

  本書はセネカの入門書として編まれたもので、「人生の短さについて」は、近親のある人物にあてて書かれたものだそうです。

  「我々が手にしている時間は、決して短くはない。むしろ、われわれが、たくさんの時間を浪費しているのだ。(中略)ついに一生が終わり、死なねばならぬときになって、われわれは気付くことになるのだ。ーー人生は過ぎ去ってしまうものなのに、そんなことも知らぬ間に、人生が終わってしまったと。つまり、そういうことなのだよ。われわれは、短い人生を授かったのではない。われわれが人生を短くしているのだ。われわれは、人生に不足などしていない。われわれが、人生を浪費しているのだ」

  ギリシア、ローマの有名人たち、皇帝たちをとりあげて、彼らの生き方について論じているのですが、セネカの言いたいことはただひとつ。<人生を短いものにしているのは、自分のせいだ>

  「ひとは、互いの時間を奪いあい、互いの平穏を破りあい、互いを不幸にしている。そんなことをしているうちは、人生には、なんの実りも、なんの喜びも、なんの心の進歩もない」

   いつか幸福な閑暇の日々が訪れるのを夢見て、多忙のうちに死んでしまう人がほとんどだと、彼は言います。

   「すべての人間の中で、閑暇な人と言えるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。そのような人だけが生きていると言える」

   忙しさにかまけて、時間を無駄遣いし続けて老年にいたったことを、痛感させられる文章です。でも、書いてあることばのひとつひとつが明瞭で、気持ちよく心に響きました。

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ガキ大将養成講座さくら村で石窯お試し会

2022-02-15 09:50:02 | 手作りのたべもの

  先日、豊田市旭地区の森のなかにある、ガキ大将養成講座の拠点、さくら村にある石窯を使ってみる会に参加しました。

    稲武のハウスポニーにある窯よりかなり小さめ。下に焚口がある、連続燃焼式というのだったか、要するに昔の風呂釜方式です。

    焚いてくれたのは、小5の女の子。この講座に通い出して4年がたっているそうです。だから、火を扱うのにはなれていて、2時間かからずに窯の中は400度近くになりました。

   この日のトッピングは、タマネギにマッシュルーム、シイタケ、レンコン。チーズはセルロース無添加のとけるチーズとモッツァレッラ。熱々の石窯ピザは、いつ食べてもおいしい!!

    ピザをおなか一杯ほおばった後は、230度くらいに落とした窯で、ハーブのフォカッチャを焼きました。連続燃焼式だと、いちいち燠を出す必要がなく、温度が下がったら、すぐに火を焚けばいいところが楽なのですが、難点は、床の温度がともすれば高くなりすぎて焦げること。天板を逆さにしてその上に載せて焼いたのですが、やっぱり焦げた!

   フォカッチャのあとは、黒糖のスコーン。焚火で焼いたさつまいもをつぶして、リンゴと一緒に入れてみました。リンゴとサツマイモの味、似てる! よく合いました。スコーンもやっぱり裏は黒焦げ。

   写真の真ん中の瓶は、日本ミツバチの蜂蜜。額田の古民家に巣を作っているのを見つけて、採蜜したのだそうです。フォカッチャにつけて食べたら、うっとりするような豊かな味わいになりました。

   干し柿はガキ大将養成講座を主宰している安藤征夫さん作。食べ物、それもおいしい食べ物がならんでいる光景は、いいなあ。焦げもおいしそうに見えます。

    窯の温度がだいぶ下がってから焼いたのは、アップルパイ。パイシートを使って、中身は生リンゴと黒砂糖、甜菜糖に小麦粉。小麦粉が水分をうまく吸ってくれるので、自然とリンゴジャムのようになり、好評をいただきました。

   稲武の私宅の日蔭は、この日まだ10センチほどの雪が残ったままでしたが、標高の低い旭地区は森の中でもほぼ雪はなく、日の当たるところは早春のような穏やかさでした。

   さて、この石窯を使って、3月か4月に石窯で遊ぶ会を開くことになりました。参加いただくのは、養成講座に通う親子さんたち数組。おって、スタッフから募集のお知らせが届きますので、ご興味のある方はごらんください。

   稲武より小規模の窯なので、人数は限定され、焼くものも稲武での会よりも減りますが、火を囲んで料理する楽しさを満喫いただけたらと思います。焦げたとはいえ、フォカッチャもスコーンも、結局捨てることなく全部食べられました。焦げたり、時間がかかり過ぎたり、薪を入れすぎたりといったハプニングも石窯の楽しみのひとつ。そう思って面白がっていただける方たちに、お越しいただけたらとおもいます。

 

 

 

 

 

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映画「100000年後の安全」

2022-02-10 14:00:51 | 映画とドラマと本と絵画

   情けなくて暗澹としてきて、未来に一切の希望のなくなる、泣くしかないような気持ちになる映画です。100,000年後の安全 - Wikipedia

   フィンランドのオンカロを取り上げた2010年のドキュメンタリー。

   エネルギー確保のため、建設を続けてきた原発。でも、いまだに廃棄物をどうするかについては、妙案がない。核のゴミの行き先を不安視する側は、「処分場を造らない原発は、トイレのないマンションを作るようなものだ」と形容するほど、片手落ちの事業とみています。

   オンカロは、地下深くに掘られた放射性廃棄物の貯蔵場所。地下道を掘っていき、爆破させながらさらにまた掘っていきます。2010年の時点であと100年分の廃棄物をここに捨てることができる、とのことです。そこに貯められた廃棄物は厳重に封印され、安全な状態になるのを待ちます。

    待つ、といっても、廃棄物が安全な状態になるのは10万年後。それまでに、人類が生き延びているかどうかわからないし、いたとしても現在の言葉が通じるかどうかも不明。

    今から10万年前は、ヨーロッパではネアンデルタール人がいたころだそう。彼らと私たち現代人との間で、きちんとしたコミュケーションが成り立つかどうかまったくわかりません。成り立たないと考えるほうが自然。

    10万年を待たずして、オンカロに関するすべての情報がなくなってしまうか解読できなくなっているときに、だれかがこの深い深い洞窟を探し当て、秘密のたからが埋められていると勘違いして掘削を始めたらどうなるか。彼らが放射能の存在を知らなかったら? 今の科学技術すらすべて失われていたら?

    オンカロを運営している会社の上層部も関係しているらしい学者も、楽天的なことは何も言えない。映画製作者の質問に、口ごもるばかり。

    この、ものすごくしっかりできた処分場に入る核のゴミはフィンランドの全土で出るごみのまだ一部だそう。世界規模で言ったら、ほんの一握り。そして、オンカロほどのしっかりした処分場は、この地球上には一つもないのです。

    

 

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「武井武雄童話集 お噺の卵」

2022-02-05 17:20:28 | 映画とドラマと本と絵画

  大正時代、「赤い鳥」が創刊され、児童文学ブームが巻き起こりました。当時、挿画やイラストの画家としてデビューし、「童画」という言葉を最初に使った、武井武雄。彼の絵がふんだんにちりばめられた童話集が、本棚の奥から出てきました。昭和51年第一版発行の文庫です。

  読み始めて、意外の面白さにびっくり。センチメンタルなところも教訓的なところもない、徹頭徹尾ナンセンス。こういう内容の童話は、日本ではとても珍しいのではないかと思ったら、ちゃんとあとがきに書いてありました。

  「日本には珍しい<ナンセンス>のセンスあふれた童話である」

  「日本の近代的な児童文学は、(中略)ナンセンシカルな作品系列を大きく欠いている点において欧米と著しく異なっていました」

  「江戸時代のことを考えれば(中略)奇想天外より来る昔話であったり地口や謎々であったりして、ナンセンスな要素にあふれていました」

  「近代日本の児童文学は(中略)<遊び>の要素を極度に欠落させていたわけですが、そのようななかに在って、ひとり武井武雄の童話だけが例外でした」

  「竹の着物」は、人間のように着物を着たいと願っていた竹が、ある時突然伐られてもの干し棹にされ、願いかなって?竿に洋服を着せられたという話です。小咄みたいな落ち。

  「陸軍大将」は、飼い犬に名前を付けるのですが、名付けるたびに何らかの支障が出てくるので改名せざるを得ず、とうとう最後は「陸軍大将」という名に落ち着いたという、まあ何でもない話なのです。

   「けれど、たった一つ、気の毒で見っともないことは、時々塵捨て場の凹みで、ご飯のおこぼれを、ボソボソとほじくっては召上がっている、陸軍大将の姿を見る時でございます」

   解説者は、ここに「反骨精神」があると指摘していますが、どうなのでしょう。そのあたり、ぼかしてあるように思います。ただ、ついこちらも、なんとなく笑ってしまうことは確か。

   長い名前を持つ「ラムラム王」は、奇想天外。いったいどこで話が終わるのか、見当がつかないところがすごい。でもちゃんと話はおさまります。それもかなりユーモラスに。

   絵はなかなかしゃれています。

 

  

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本日、空飛ぶ羊kuraに納品します。一昨日、ヘルシーメイトと暮らしの学校に納品しました。

2022-02-03 00:32:32 | アンティマキの焼き菓子とパン

  本日、豊田市街地の桜城址公園そばにある空飛ぶ羊kura に納品します。お持ちするのは、穀物クッキー3種とココアと甘夏ジャムのクッキー、オートミールのざくざくクッキー、米粉のビスコッティです。

   こちらのビスコッティは、設楽町名倉の三川農園の農薬不使用栽培の米粉が主原料。有機片栗粉や圧搾菜種油、有機豆乳のほか、安城市の株式会社フォー・ユーの、合わせみそ、玄米酵素粒、マザーシュガーを使っています。

   私は普段の料理にフォー・ユーのマザーソルトを使っていますが、空飛ぶ羊では、こちらの商品を他種類取り揃えています。その中から、このビスコッティは3種類を選んでできあがりました。

   クッキーのほか、久々につくったリンゴいっぱいケーキ、黒糖とクルミのスコーンもお持ちします。

  稲武は今年はちょっと前の稲武の冬に戻ったような寒さが続いています。私は毎日、空飛ぶ羊のカシミアのパンツ、ヤクのレッグウォーマー、ラクダの靴下の3種を見に着け、寒さをしのいでいます。製品はどれもモンゴルの動物の毛からとったもの。酷寒の地に生きる動物なので、耐寒性がとても優れているのだそう。自然の毛そのものの色がまたいいのです。ぜひ、ごらんになってください。明日は、キヨミさんのこんにゃくも持っていきます。

  昨日は、岡崎のヘルシーメイトと暮らしの学校に納品しました。

  二店舗には、ケーキとスコーン以外の焼き菓子のほか、かきもちも持っていきました。人気のかきもちは、冬から早春にかけてだけの製造です。そろそろ二回目の仕込みに入ります。

 

  

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