アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

アンティマキの商品を一部値上げします。

2020-01-18 11:37:15 | アンティマキの焼き菓子とパン
   昨日、今年初めて、アンティマキの商品をいくつかのお店に納品してきました。おかせていただいたのは、暮らしの学校岡崎校のショップMIKI、ヘルシーメイト岡崎店、自然食の弁当屋ラカンカ、額田のパン屋べーぐる庵です。

    お持ちしたのは、今の期間だけ製造する玄米おかき、穀物クッキー3種、アニスシード入りのオートミールのビスケット、それにブルーチーズクッキーです。ただし、お店によっては納品していない種類もありますので、ご了承ください。

     ところで、大変心苦しいのですが、今月から穀物クッキーを値上げしました。これまで5枚入りだったのを4枚入りとして、値段はちょっと下げました。

     穀物クッキーは、アンティマキの商品のうち、バターと卵の両方を使っている唯一のシリーズ。そもそもこのクッキーを皆さんに召し上がっていただきたくて、工房を立ち上げたくらいの、アンティマキとしては自慢のクッキーです。最初のころとは種類がかなり変わりましたが、いまは6種類ほどが定番。アンティマキ一番の人気商品になっています。

     このクッキーは、数年前まで愛知産の中力粉を主材料にしていましたが、国産小麦粉の農薬の使用量がかなりのものだと知ってからは、カナダや北米産の有機小麦に切り替えました。ドライルーツやナッツ、ライ麦などの雑穀類は以前から有機栽培の品を使っています。

     バターは、もともと四つ葉バターを使っていましたが、バターの製造が極端に少なくなった頃手に入りにくくなり、しかたなく他のメーカーのバターを使用していました。しかし、最近また入手できるようになり四つ葉バターに。

     卵は、稲武地区大野瀬の名古屋コーチンを平飼いしている方から購入しています。全粒粉はまだ国産を使っているのですが、おいおいこちらも有機全粒粉に替えていくつもりです。

     そのほか、店舗納品の場合の卸値も見直しました。それで、店舗によっては若干値段が変った種類の焼き菓子もあるので、ご承知くださいますよう、お願い申し上げます。

      値上げに踏み切った理由は、材料の高騰です。穀物クッキーを作り始めてしばらくしてからナッツやドライフルーツをオーガニックに替えたのですが、そのころの金額に比べたら、いまはおよそ1.5倍以上。セール時期にまとめて買うようにしているのですが、その金額がどんどん上昇しているように思える品もあります。購入のたびに同梱されるオーガニックの食品を専門に扱っている問屋のちらしを見ると、たとえば「今年度はオーストラリアの有機栽培のライ麦やスペルト小麦が不作のため壊滅。それで、北米のある会社との取引を開始した」といった記事が載っていて、異常気象の作物に与える影響をひしひしと感じないではいられません。

     おなじチラシで見たのですが、「たんぱく質危機」という言葉も欧米では当たり前の言葉として使われているとか。異常気象によって飼料作物が穫れなくなり、いずれは畜肉からのたんぱく質摂取ができなくなる、という予測がされているというのです。そのため、食品業界では、動物の肉に代わる大豆やひよこ豆で作った疑似食肉の開発に余念がない、というニュースです。添えられた写真には、ステーキそっくりの豆の加工品がお皿に。個人的には、豆の加工品なら豆腐や油揚げ、せいぜいがんもどきで満足なのですが、欧米人はそうはいかないようです。

     16年前の今頃、私は京都から稲武に移住しました。引っ越しして1週間ほどたったころ50センチ以上の大雪に見舞われました。当時は家も古いままだったこともあって、朝ファンヒーターをつけると、常に「0度」をさしていました。0℃以下の表示はないので、ほんとは何度だったのかわかりません。

     とにかくあまりの寒さに、先行き暮らしていけるかしら、と不安になりました。それがこのところ急に積雪量が減り、この冬は雪らしい雪は全く降らず、小学校の子供たちのスキー教室が中止になるほど。今朝、やっと2センチほどの雪が積もり、しみじみなつかしく景色を眺めていました。でも、いまお昼直前ですが、窓の向こうの雪はもうかなり溶けています。がっかり。雪の降るのが厄介におもっていたころがなつかしい。

      
    

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今年度の醤油ができました!

2020-01-12 19:06:01 | 稲武醤友クラブ
   先日、今年4月に仕込んだ醤油の絞りをおこないました。

   友人たちと醤油作りをはじめて6,7年。私宅で醸造から絞りまで行うようになって5年くらいになります。今年はいまだに雪の気配のない稲武。暖かすぎて心配になるくらいの一日でした。こんな陽気のもとで絞りをしたのは初めてです。

   さて、今年度は、昨年度までとは違う麹屋さんの醤油麹を使用。醤油麹は、大豆と小麦に麹菌をつけて発酵させたものですが、そのうちの小麦の状態がこれまでと違って煎りが浅くて形が最後までしっかり残ったまま。麹の量も多かったせいか、桶の中のもろみはいつもよりドロッとしているように見えました。

   そのもろみに、絞り師の井上時満さんが指示するだけのお湯を少しずつ加えて馴染ませます。この加減が難しい。昨年まで使っていた麹よりお湯となじむのがおそいようだ、と井上さん。しばらくしてもろみを袋に入れていきます。

    そして、出ました! 今年初のお醤油。なんだかとてもしっかりした味。塩気のほかのうまみもとても力強い気がします。

     もろみをすべて袋にいれて重ね、万力で押してどんどん絞ります。それを見ながら、醤油に合う食べものをみんなで列挙。「りんごにもあう」という人が二人いて、さっそく試したところ、違和感なくおいしい。

     絞りを見に来た友人の1歳数か月の子供の口にもあいました。彼女はリンゴを手で持って醤油の注ぎ口に陣取り、つけては食べ、つけては食べを繰り返していました。

     お昼ご飯は、毎年、搾りたての醤油をかけてたべるとおいしいものを用意。今年は、豊田市街地の信濃屋の豆腐と湯葉、稲武の製麺所末広屋の白玉うどん、それから醤油作りのメンバーの一人が飼っている名古屋コーチンの卵と五分搗きのご飯。やはり最もおいしいのは、卵かけご飯でした!

     昼頃からは、稲武の別のグループの樽の絞りにはいります。同じ麹で仕込んでいるにもかかわらず、環境によって、手の入れ方によって大きく変わる醤油作り。今年も案の定、かなり異なる味の醤油になりました。彼女たちのは優しい味でした。それぞれいい味。

      絞り師の井上さんは、南信州で自給自足的生活をなさっている方。無農薬で育てた豆や小麦、その加工品などを「沢渡」という名前で販売していらっしゃいます。

      こちらがその商品。今回私は、もちきびともちあわ、山椒と在来種のトウガラシの粉を合わせた香辛料、それにエゴマ油を買いました。ネットでも購入できます。

       絞りの後は火入れ。徐々に温度を上げて、ある温度に達したら、その温度をしばらく保つのがコツ。朝8時にはじまった醤油絞り、これが最終の工程です。
       
       樽に戻して一週間静置し、その後分配します。ひとたるで一升瓶およそ30本以上。これが3家族の大事な醤油になります。10か月の醸造のあいだ、暑すぎたり湿気が多すぎたりしないだろうか、台風で醤油を入れた箱が飛ばされないだろうか、カビが生えていたらどうしよう、とか種々さまざまの心配をしながらつきあってきました。絞りが終わって、まずまずの味の醤油を味わえると、心から安心します。

      無添加の、ちゃんとしたつくり方をした醤油が手に入りにくい時代もあったかもしれませんが、今ではまずまず安心できる醤油は自然食品店などで結構手軽に手に入ります。値段も、手作りの場合とさほど変わりません。それをあえて自分たちで作るというのはぜいたくなことだな、と最近つくづく思います。贅沢なことだからこそ、楽しんで作り続けたい。来年度もまた仕込みができるめどがついたことを、ありがたく思います。



     


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映画「金子文子と朴烈」と本「何が私をこうさせたか」

2020-01-02 18:14:49 | 映画とドラマと本と絵画
    韓国映画「金子文子と朴烈」を見ました。名前だけは知っていましたが、くわしくはまったく知らない二人の事件。勉強のために借りたのですが、思いのほかよくできていて驚きました。2017年の映画ですが、韓国では爆発的な人気を博したようです。

    金子文子も朴烈も、大正時代のアナキスト。社会主義おでん屋といわれている居酒屋で働く金子文子は、朴烈の詩に感動し積極的に彼にアプローチ。そして同棲を始めます。ほどなくして起きた関東大震災。その後、朝鮮人が井戸に毒を投げたという流言飛語が飛び交い、ものすごい数の朝鮮人が、警察に守られた自警団をはじめとする日本人に殺されます。混乱に乗じ、社会主義者やアナキストの検挙も始まり、朝鮮人である朴烈は、投獄されるほうが殺されるよりましだと自らすすんで自首します。ついで文子も率先して牢獄へ。大した犯罪を犯しているわけではないから、朝鮮人虐殺の波が収まるまで留置されることを望んだわけですが、事態は急変。

    このあたりの経緯が微妙。朝鮮人の毒投入の流言については、実は日本政府はそれがデマだと知りながらあえて頬かむりして、民間人による朝鮮人虐殺を野放しにしていた。なぜ、政府がそういうことをしたかというと、震災後の救済を政府がほとんどしてくれないため、人々が国会前に集まって暴動寸前にまでなりそうだったから、民衆の怒りの矛先を朝鮮人に向けさせるためと映画では説明されます。このことは、全く知らないことでした。しばらく前には米騒動があり、日比谷焼き討ち事件もあります。窮した人たちや怒った人たちが暴動にはしることは、政府には容易に想像できたとおもわれます。

    政府は、朝鮮人虐殺事件があまりにすさまじくなり、国際的な評価が下がることを懸念します。そうしたとき、内大臣~水野という人物は、虐殺を正当化ないしは隠ぺいするにふさわしい朝鮮人を探させます。選ばれたのが朴烈。朴烈は実は、アナキスト仲間たちと爆弾の入手をはかっていたことが判明。その爆薬を使って、当時の皇太子(昭和天皇)を暗殺することをもくろんだとされます。つまり大逆事件に発展することになり、死刑の判決が下されるかもしれない裁判にかけられることになります。微罪で済みそうだったふたりに、一転して死刑判決が下ります。

    暗殺をもくろんだにはちがいないようですが、謀議だけ。それなのに、死刑の判決を下そうとするのはすさまじいことです。政府は二の足を踏みますが、水野は敢行しようとします。二人は裁判を演説会ととらえ、自説を主張。反対派の妨害のためもあって、二審めからは非公開となりますが、とにかく堂々とした態度を取り続けます。

    主演の二人は韓国人。金子文子役の女優の日本語は極めて流暢でした。内大臣や判事を演じた役者も韓国人なのですが、やはり日本語がとても堪能でびっくり。ずっと3人とも日本人だと思っていました。日本人俳優もたくさん出演。それにしても、名前を聞いたことのない弁護士や当時の作家が何人も、ふたりに協力していたことも知りました。

    監督は、反日映画にならないよう極力務めたそうで、かなり事実に即して作られた映画のようでした。難を言えば、日本人の着物の着方がちょっと変なことが気になったくらい。文子役の女優は、キュートでかわいく、そして大胆に演じていました。

    ところで、金子文子は、判事との面談で、自身の生い立ちを問われるままに語ります。極貧の家に生まれ、父に去られ、母に捨てられ、親戚の間を転々とした彼女。父親の勝手な都合で、長い間無籍者であった彼女は、そのことだけでも差別されつづけます。そして、10歳ころから7年間朝鮮にいた祖母のところで養われます。その間の祖母たちからの虐待はものすごいもので、その後、追い出されるようにして日本に帰国した彼女は、東京で働きながら勉強することを志します。でも生活の苦しさに追われ、勉学はおろそかになりがち。そうしたときに社会主義者やアナキストたちと出会い、一気に彼らの勧める本を読み漁ります。

    判事は彼女に紙を与えて、独房で手記を書くことを課します。それが彼女の死後出版された「何が私をこうさせたか」。

    気になったので、さっそく取り寄せ読了。誕生から牢に入るまでの半生が細かくつづられています。小学校もろくに行かせてもらえなかった彼女ですが、頭脳はかなり明晰だったよう。彼女は一貫してすべての人が平等であることをのぞみ、主張します。その彼女と同じ境遇の極貧の人たちや、彼女たちを虐げ侮蔑する人たち、無知、偏見や性格のゆがみのせいで同じ家族であっても差別する人など、非常に克明に描かれています。牢にいて絶望的な状況にありながら、彼女は書き続けます。文章力は相当優れていて、文庫本にして400ページ、なかだるみすることなく読み進めました。

    こういう映画を撮る、韓国の映画界、すごい。この映画を見てだいぶたってから、「菊とギロチン」という同時代のアナキストたちを描いた日本映画を見ましたが、深さが違う。アナキストの描き方が浅すぎる。金子文子の一生を描いたら、相当面白いのに、とおもうのですが、そういう作り手はいないのでしょうか。




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