雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の日記「小春日和を買い物へ」

2018-11-25 | 日記
 頗る良い気候続きなのだが気分が優れないので、やりたいことが山ほどあっても根気が続かない。この糞爺に鞭打っても30分ともたずヘナヘナと横になってしまう。
 とは言え、生きて行かねばならないので今日は買い物に出掛けた。野菜が安かったので、あれもこれもと無理して買い過ぎてしまい、ヨタヨタしながら苦労して持ち帰った。

 ついでに百円ショップに寄りテレビ番組で紹介していた写真のものを見付けたので買って来た。テレビでは、百円グッズだと言っていたのになんと二百円だった。だが、家に帰って使ってみたらこれが優れものであった。空きペットボトルをため込んでしまっても、フロアにペタンと座り込んで次々と潰せる。年寄りにとっては打って付けの「ペットボトル潰しグッズ」である。他の用途にも使えそうだし‥。


  ◇星冴えて アンバランス(救急車)の 近付けり (季語 冴えて)

 冬の深夜に聞くサイレンの音は、遣る瀬ないものだ。 「次は我が身かも」と。

猫爺の日記「流行を追う」

2018-09-23 | 日記
   ◇台風去り 雲の切れ間の 桔梗色 (季語:台風)

 何処かで「自分は大丈夫」という思いが有ったのだが、台風一過の気の緩みから熱中症に罹ってしまった。水のCMで所ジョージさんのセリフそのままで、汗ダラダラ、頭クラクラ、吐き気はするは、頭痛はするはで、参ってしまった。ただ、意識はあり、水も飲めたので、病院には行かず、左脇の下を保冷剤で冷やし、冷房の効いた部屋で二日間温和しく横になっていたら食欲が出て来た。重湯から初めて二分粥、五分粥と濃くしてゆき、五日ほど経つと歩けるようになり、漸くクリニックへ行って嫌いな点滴を受け、飲み薬を処方して貰った。しかし、未だにフラフラが治らない。

   ◇藪に入りて 桔梗一輪 お持て成し (季語:桔梗)

 昨年暮れには、ガンの放射線治療中にインフルエンザに罹り、夏には熱中症。流行を追うのも程々にしたいと思うのだが‥。

 

猫爺の日記「猛暑を生き抜く」

2018-08-06 | 日記
 昼夜ともに暑い。天気予報士の森田正光さんが、今年の暑さを「千年猛暑」と表現されていた。今から千年前といえば平安時代である。日本有史以来の猛暑襲来が平安時代にあったということだ。それに匹敵する、或いはそれ以上の猛暑に今夏は襲われているということだろう。

   ◇言ふまいと、思へどけふの 暑さかな◇作者不詳
    You Might Think Do Today's At Fish.

 猫爺の子供の頃、言葉遊びで、これを英語風に発音するのが流行った。それどころじゃねぇよ。極老の身にとっては、命がけで生きている(何のこっちゃ?)ようなもの。と言うよりも、未だに生きているのが奇跡である。夜、目を閉じる時は「これが最後かな」と覚悟し、朝目が覚めた時は「シメシメ、まだ生きているぞ」と、朝食は「まるちゃん」の御赤飯で祝ったりして。

 「年寄りは日中の暑い時刻は外出しないで、涼しい室内で過ごすように」と、テレビから呼びかけていた。「こちとら、生きるためには病院や医院に通わなきゃならんし、買い物にも出掛けにゃ干上がってしまう」せめて喰って飲んでスタミナつけなきゃ弱ってしまう。

 そうそう、最近猫爺が填(はま)っている「ホルモン」がある。今までは聞いたことがなかったのだが、「赤センマイ」というのがスーパーの肉売り場にあった。センマイと言えば牛の胃で黒くモジャモジャしたもの。ミノは牛の胃でわりと高価なホルモンだが、その中間らしく、安くて固い部位である。クチャクチャ噛んでいると顎の運動になり、旨くてスタミナ付きそう。

 赤センマイで、猛暑を耐え抜くぞ! なんか、馬鹿みたいな自分。

 
 

猫爺の、ど凡人俳句「うみぶどう」

2018-06-25 | 日記
 このブログ、放ったらかしで、申し訳ない。更新が途絶えて、もう何日経ったのだろう。こんな「糞ったれブログ」に、毎日100人以上も訪れていただき、随分元気付けられている。感謝感激だ。
 「爺、頑張りますだ」 (よぼよぼ)


 それはさて置き。  (そんな処へ置くな!)(-"-)


   ◇潮満ちて 月は波間に 水遊び

 潮満ちてで、月は作者の頭上にあると思ってほしい。さらに、凪る海面にゆらゆらと月が水浴びしていると想像して頂きたい。「嫌だ!思えぬ」 「まあまあ、お代官様そう仰らずに、これは些少ですが酒代にでも‥‥」

   ◇蛙目覚め 雨の田に描く 欠伸の輪

 「何のこっちゃ これでも俳句かっ!」 「へい、済まんこってす」 「夏川先生のご本を読んで、もっと勉強せい!」 「勉強してるもん、本屋で立ち読みして」

 
 猫爺、「チャーハン」が好きで、この前、少しは元気になれるかも知れないと、車で一時間足らずの「イオンモール」まで連れて行ってもらった。学生の頃食べた「一貫楼」のチャーハンが忘れられのだ。貧乏学生にとっては、250円の大贅沢であった。使っている豆粒ほどのチャーシューも、付いてくる中華スープも格別に旨かった。イオンモール内の中華店ではスープは付いてこないが、チャーハンの味は、少し似ている気がして懐かしいのだ。
 カメラを持って行かなかったので、ペッタンコの「iナンチャラ」でモール内の写真を撮ったのだが、「他人の顔が写っている」と家族に指摘されて削除した。ようやく、顔が写っていないのが1枚あったので載せてみた。それらしいものが写っているが、あれは海葡萄である。
 「嘘こけ」




  

猫爺の日記「100円の衣類圧縮袋」

2018-05-06 | 日記
 暑くになったので冬の衣類を片付けつつあったらたら、また冬日のような寒い日が来たりして、極老の爺泣かせだ。とは言え、冬の衣類は片付なければならぬので、100円ショップの「衣類圧縮袋」を10枚買い込んできた。そう、写真のものだ。(ダイソー)
 この袋、写真左下の緑色のものが逆止弁になっていて、100円にすれば、なかなかの優れものである。
 畳んだジャケットを2~3枚入れて封をして、逆止弁を半回転ほど緩め、掃除機の先を押し付けてスイッチを入れると、瞬く間に袋内の空気が抜け、掃除機の先を外しても空気は袋内に戻らない。テレビで紹介されている高価なものを買わなくても、これで充分である。「猫爺にすれば」だが。

 ついでに100円の包丁砥ぎ器も買ってきた。

 以前から包丁研ぎに使っているが、高級な包丁を研ぐのは躊躇するものの、安価なステンレス包丁なら、これで充分である。

 今回は、この砥ぎ器でハサミを研いでみた。「燃えないゴミ」の日に捨てようと思っていた切れなくなったハサミが、よく切れるようになった。写真の「砥ぎ器」のスリットにハサミの片刃を差し込み、ギコギコと抜き差しするだけだが、砥ぎ方にほんの少し要領がいる。
 最初は左に傾けて4~5回ギコギコする。刃はそのままで、今度は右に傾けてギコギコ。もちろん、左右どちらから始めても良い。
 次は、ハサミの反対側の刃をスリットに差し込んで、同じようにギコギコ。これでスイスイと切れるようになった。高級なハサミには、お勧めできない。何がどうなっても、猫爺は責任がとれないもので‥(-_-;)



猫爺の日記「白菜と青虫」

2018-04-12 | 日記
   ◇集団登校 児等の喋りや 笑む辛夷

 歌謡曲「北国の春」に、「桃と桜が一緒に咲いて‥」という一節がある。猫爺の住むところは、桃と桜と辛夷(こぶし)が一緒に咲く。児等は、その花の下をお喋りに夢中になり、花など見上げることはない。花に心を寄せるのは、あと幾年月かを経て恋に芽生えたときであろうか。

 (/・ω・)/辛夷はおいといて‥

 先日、北神戸の「道の駅」へ連れて行ってもらった。外出といえば病院通いか、精々近くのスーパーへ買い物に行く程度なので、小学生の遠足気分でちょっと昔に買った一眼レフカメラをぶら下げて行った。貧血気味の猫爺には、これが重くて、折角のズームを一度も使わずに、首から下げたカメラのレンズを被写体に向けてファインダーも覗かずにシャッターをきるのがやっとこせ。はずかしくみごとに酷い写真が撮れた。

       

 「道の駅」へ行った目的は、美味しい野菜を買うためだが、一番欲しかったのは「白菜」である。嘗てご近所から「うちで収穫した白菜です」と、大きな白菜をまるごと戴いた。それは虫食い穴だらけで、菜を捲っていくと菜の茎のあたりは土だらけで青虫も出て来た。スーパーで販売されている綺麗なものとは比べ物にならない程の汚いものだった。
 昔の思い出が蘇る。母は「虫食いがあるものほど安全で美味しい」と言っていた。そのとおりである。綺麗に洗い、煮て喰ってみると、それこそスーパーのものとは似ても似つかぬ美味しさであった。煮てもよし、蒸してもよし、大きな白菜は、あっと言う間に食べてしまった。

 一言ご忠告するが、白菜に付いている青虫は、育てても「紋白蝶」にはならない。飼っていると裸の蛹ではなく繭を作る。繭を破って成虫になると、気持の悪い蛾になるのだ。(経験者談)
 紋白蝶の幼虫(青虫)は、キャベツや菜の花に付く。(誰が飼うもんか! ですよねー)

 行った時刻が悪いのか、白菜は売り切れていた。仕方なく蕗と食用の菜の花などを買い込んで意気揚々(嘘、へろへろに疲れて)帰ってきた。蕗はあくを抜いて煮物に、菜の花は天婦羅にしていただいた。(ん?)スーパーのものと変わりなかったが。

 今夜は、昔を偲んで「大根めし」と洒落込んだ。(全然、洒落こんでないけど)(-_-;)

猫爺の日記「インフルエンザ」

2018-02-13 | 日記
   ◇枕辺に タミフルがあり 夜半は雪

 大学病院に通院していて、インフルエンザに罹ってしまった。免疫力の弱い老人が、ウィルスのデパートみたいな所へ日参するのだから、当然と言えば当然だったのかも知れない。それでも一週間程度で治ったのだが、その間「ダメかも?」と思った時が二度ばかりあった。

 今年の冬は異常な寒さが続いている。50代、60代の若者であれば、「ちょっとばかり寒いわねぇ」程度だろうが、猫爺のように本格的老人ともなれば、「氷河期に入ったのでは?」と思ってしまう。「夏よりも冬が好き」と言っていた爺、この寒さには「ギャフン」である。

 病院は待ち時間ばかり長くて、治療や診察時間は「あっ」という間に終わる。だが、その待ち時間を過ごせる「WiFiスポット」なるスペースがあった。一寸としたコンサートが開けるような絨毯を敷き詰めたスペースに、恐らく病院で不要になった物であろう不揃いで少し「ガタ」がきた物も混ざったソファーや長椅子が設置してある。
 スマホやiPad、iPod、を操作している老若男女、長くなって寝込んでいるもの、「飲食不可」と書かれたパネルを無視して弁当を喰っているものなどが、有効利用している。
 猫爺も、ここでWiFiを操って時間を過ごした。何のことはない、自分が書いた小説を読んでいたのである。

 多分、インフルエンザはここで移されたものと確信をもっている。証拠はないけど。
 
 

猫爺の日記「疫病神さまに感謝」

2017-11-19 | 日記
   ◇診察券 増えて帰途急く 冬入日

 遠くの病院まで行って来た。いよいよ始まる癌の放射線治療の準備である。放射線照射中、躰を固定する為に背部をゴム粘土のような物で、腹部をプラスチックカバーで固定し、常時正確に患部を照射するためのものである。言わばミイラケースのようなものだ。技師さんはCT画像を撮りを挟みながら、手際よく作業を進めてくださるのだが、水を一気飲みさせられ、深呼吸も出来ない状態で2時間近くも我慢させられた。
 ヨボ爺のこと、この我慢の所為で作業が終りCTストレッチャーから下ろされたときにはフラフラで、部屋から出て待合室へ戻る方向を間違えてしまった。

 こんな病を患ってしまったが、疫病神さまには感謝して止まない。これがもし40代、50代の働き盛りだったら、病身の妻を抱えて途方に暮れていたに違いない。惜しげのない極老になるまで待ってくれたのであるから、心から感謝しなくてはなるまい。我が人生、良くはなかったものの悪しくもなかった。大きな事故もなく「運転免許証」を返却出来たのだから、これもまた有難いことである。

 頑張っている自分の褒美のつもりで、帰りに「鮪の赤身」を買ってきた。鮪の赤身にマヨネーズを塗って暫く冷蔵庫に入れておくと、なんと純トロに変身するのだそうである。テレビでやっていたので試してみたのだが、よく考えてみると猫爺はあまり生ものを好まない。まして今まで「純トロ」など食べたことがない。旨くなったのか、全然変わっていないのか分からない。半分食べ残してしまったが、勿体ないので明日の朝に茹でてサラダにでもしようと思う。遠くで妻が「相変わらず馬鹿ね」と嗤っているような気がする。

 

猫爺の才能なし俳句「プレバトから教わる」2

2017-09-24 | 日記
   ◇地中より 鬼導きて お螻蛄鳴く

 私の住む町では、もう何十年か以前から「螻蛄(けら)」の鳴く声は聞いたことがない。従って、この句は思い出を詠んだものである。螻蛄は地中から「ジー」と断続も抑揚もなく単調に鳴く。私の子供の頃は、「みみず」が鳴いているのだと教えられ、信じ込んでいた。暗闇の、然も地中から聞こえる螻蛄の鳴くさまは、不気味に思えたものだ。

   ◇児のこぶし 抉じ開け逃げし 螻蛄嗤う

 この句も、私の思い出を詠んだもの。螻蛄は毒を持たず、噛みつきもしないが、前足は非常に力が強い。幼児の拳など何のその、指と指の間を抉じ開けて逃げてしまう。

   ◇一刀両断 したし真白の 秋の雲

 真青き空の綿雲を見ていたら、木刀で両断したくなってくる。そんな衝動を詠んだ愚作。

   秋空や 水を抜きたる 田に田螺

 これも思い出の句である。田に生きる田螺は、水が無くなると地中深く水のあるところまで潜り冬を越すのだが、最近の田は深く耕し、完全に乾燥させるらしく、田螺が棲めなくなったのであろう、私ごときの目に留まることはなくなってしまった。絶滅危惧種になったのかも知れない。
 
   ◇有馬路や 出湯へ誘う 花芒

 さしたる映像がなく、実に愚作である。有馬路(有馬街道)は、出湯の里「有馬温泉」へ至る県道15号線である。途中、「水飲み」や「二軒茶屋」などの昔の名が残っている。


 プレバトでは、夏井先生がよく注意されていらっしゃる「季重なり」と、「季語無いじゃん」に気を付けて詠んでみた。あと、「散文(説明するな)にならないように」を気を付けているつもり。難しいが、出来る限り「映像」を描こうとしている。

  (下線は季語)


 

猫爺の才能なし俳句「プレバトを観て俳句の勉強中」

2017-09-20 | 日記
   コンバイン 止めた静寂へ 来る雀

   ◇野を駆ける 子等のズボンに 草虱

   渋柿や 収穫終えて 風寒し

   ◇闇の中より打ち寄せる 虫の声


 ただいま、TVプログラム、「プレッシャーバトル」で俳句の勉強をしている。以前から俳句ごっこはしていたものの、やはり先生の解説、査定、手直しは勉強になる。「夏井いつき先生」のご本を買って読みたいのだが、老人の勉強のこと、それは贅沢というものである。専ら本屋で店員に睨まれ乍ら立ち読みをしている。

 「綺麗だな」なんて個人の感想を詠み込むのは避け、できる限り「情景」を描写して読者に「綺麗だな」と感じて貰うように努力している。「や」「かな」のような「前の文を感嘆した切れ字」の使い方も、助詞のもつ意味も少々身についてきた。そろそろ「才能なし」から「ど凡人」に昇格(?)したいものだ。

 草虱(くさしらみ)とは、我らの子供時代は「ひっつき虫」と呼んでいた雑草の種である。野原で遊んで帰ると、ズボンや服にびっしりと付いていたものだ。

 今年の春、植木鉢に何だか芽を出した。草花の種が芽をだしたものだと思い、「どんな花が咲くのか」と楽しみに水をやって育てていた。夏になって花が咲いたのを見て、子供の頃に花を胸にくっ付けて遊んだ「ひっつき虫」だと判ったが、「折角育ててきたのだから」とそのままにしておいたら、洗濯物にびっしり付いて部屋に入ってきていた。懐かしいけど、取るのが面倒臭さい。母が悲鳴を上げていたのを思い出す。


 
 

猫爺の才能なし俳句「秋」と爺の昼餌

2017-09-14 | 日記
   ◇空冴えて 海色褪せる 秋意かな

   ◇青残る 畔(あぜ)に紅指す 彼岸花

   ◇秋夕焼 青き楓を 包む赤

 過日、昼餌に「和食〇と」で親子丼を食べた。わりと気に入った味だったので、憶えている味覚でローコストに「再現?」してみようと思いたった。鶏肉は焼き鳥の味がしたので、スーパーの焼き鳥(一本68円也)を使った。丼鉢に冷や飯をよそい、電子レンジで温めておき、汁は水と醤油と味醂と粉末の「あごだし」少々で丼の汁らしく調え、ミニフライパンで煮たて、串から外した焼き鳥を入れ、溶き卵を落しいれて火を消した。それを丼鉢にそっと移し、蓋をして余分な汁を捨て1分馴染ませると食卓へ。味噌汁は即席だが、白菜の一番外がわの菜で作ったような店の味噌汁よりも爺好みである。「おっ、出来た出来た」うん、店のものに限りなく近い?。葱か三つ葉を添えると大満足なのだが、葱も三つ葉も高価なために贅沢なものになってしまうため省略。

猫爺の才能なし俳句「貝殻」

2017-09-10 | 日記
 ある治療薬を服用しているためにすぐに疲れる躰だが、家でゴロゴロしているのも怠惰感を覚える。気晴らしにとマーカーペンと印鑑を買いに100円ショップへ行って来た。色々見てまわっていると、小さなビニール袋に貝殻が10個ほど入ったものがあった。猫爺は海辺で育っているいので、こんな屑貝殻なんて珍しくもなく、むしろ足を切ったりすので邪魔っけな存在であった。それでも女の子みたいに綺麗なさくら貝や珍しい巻貝の殻を見付けると拾って帰ったものだ。アルミの筆箱の中へ入れておくと、それを見た女の子が欲しがるからだ。

 その貝殻を思い出して駄作の俳句を一句。

   ◇百円の貝殻 ぬし護りたる 夏の海

 筆箱の中と言えば、現代の子供は絶対にやらないだろうが、猫爺は割れた体温計などから出た水銀を入れていた。素手で引き離したり、またくっつけたりするのが面白いのだ。後に教えられたのだが、水銀は猛毒で、口に入ると脳炎のような症状になり、死に至ることもあるのだそうである。良い子はこんなアホの真似を絶対にしないように。
 
 玩具など買って貰えないため、火事で焼けた電子パーツの工場から、ペーパーコンデンサを拾ってきて、電極のアルミホイルを集め、丸めてボールを作たりもした。人にぶつけると危険なので、専ら転がして遊ぶ玩具だ。

 さき程まで賑やかだった集く虫の声が途絶えた。雨が降り出すのだろうか。それともしんどくなって「今夜はここまで」「また明日」と、寝てしまったのか。そこで一句。

   ◇闇空や 集く虫の音 止みし闇

 帰りに、「和食さ○」で、メニューの鰻重セットを横目に見ながら、親子丼を食べて来た。年寄りには高ボリュームで美味くもあったが、味噌汁は「野菜屑」を集めてブチ込んだような感じで、一口食べて残してしまった。猫爺にとっては、可成り贅沢なチョイスだったのだが‥‥。

 


 

猫爺の才能なし俳句「祟りじゃー」

2017-09-07 | 日記
 過日、腸の内視鏡検診に行ってきた。我慢の出来ない程の苦痛ではないが、些か屈辱ではある。カメラの先端が腸壁を突いているのだろうか、時々痛みが走る。「痛かったら言って」と、ドクターが声を掛けるが、どの程度の痛みで訴えたら良いのかわからない。堪えているとドクターが素っ頓狂に声を出した。
   「○○さん、大腸の憩室を摘出したと言っていたが、残っていますよ」
 ドクターに「大きな手術は?」と訊かれて、虫垂摘出の折に、確か憩室も摘出したと答えていたのだ。カメラは大腸に進んでいるらしい。
 シャッターを押しながら、ドクターの説明は一先ず「憩室」の方へ行ってしまった。

 内視鏡検診を受けながら、自分の悪戯小僧時代を思い出していた。我々が疣蛙(イボガエル)と呼んでた少し大きめの蛙を捕まえ、その尻から麦藁(ストロー)を差し込んで「プゥー」と吹くと、蛙の腹が河豚(ふぐ)みたいに膨らむ。そのまんま池に戻してやると、暫くの間腹を上にして「ぷかん」と浮いていた。蛇が見つけると一飲みだったろう。

 蛙を虐めた罰なのか、今の自分は膨らされた蛙そのまま。内視鏡を突っ込まれて空気を入れ、腹をプクーと膨らされて横たわっている。「蛙の祟じゃー」。 そこで一句‥

   ◇池澄みて 逃げるや 波白し

   ◇池の土手 あけび見付けし 子の歓喜

   ◇天高く 池面に浮かぶ 雲一片 


   (アンダーラインは季語)

猫爺の才能なし俳句「夏から秋へ」

2017-08-28 | 日記
   ◇干天や 鍋で煮ている 淡路島

   ◇雷(いかづち)や 雨のにおいが 寄す木立

   ◇枕辺へ 青き夜蝉の 身投げかな

   ◇久々の晴れ間 木槿の花白し

 盆は過ぎ、つくつく法師が鳴くなど秋の気配はあるものの依然暑さは衰えない。猫爺、体はグッタリしているものの、寝付けぬ夜を脳は元気で空想に励む。

 -空想-

 仮題は「短編小説・三国峠で出会った亡霊」

 越後の国は長岡藩の下級武士「坂崎伊玖磨」の長子千太郎は、十五歳となったある日突然に旅に出ると言い出した。父は驚き、「嫡子たる身で何故の旅か」と訊き質すと、武士が嫌で後継ぎは弟に譲りやくざになるのだと言う。
 激しい口論の末、父は激怒して千太郎に「二度と敷居を跨ぐな」と勘当を言い渡した。義母の宮は成り行きを静観し、止めるでもなく陰でほくそ笑みさえしていた。千太郎は先妻の子であり、宮が産んだ二歳違いの弟林太郎に家督を継がせたいと常々思っていたからである。

 千太郎の実母は、彼が三歳の時に流行り病で他界した。父はその半年の後に上司に勧められて上司の末娘宮を後添えにもらった。千太郎は宮に懐かず、宮もまた千太郎を毛嫌いして、やがて宮に子が生まれると、宮は疎ましく思っている千太郎への虐めが始まった。

 父もまた千太郎には厳しかったが、その厳しさには愛があった。父は千太郎を道場に通わせることはなかったが、暇を作っては千太郎に剣道の手解きを怠らなかった。父の剣は無手勝流ではあったが、千太郎は着々と腕をあげていった‥‥。

 千太郎はやがてやくざへと身を持ち崩して行く。だが、命を繋ぐための博打はするが、「義理と人情」からは一線を置いていた。それは、決して人を斬らぬとこころに決めていたからである。どんなに落ちぶれようとも、父や弟に迷惑をかけないためである。
 
 いつか、「斬れずの千太郎」と嘲笑されるようになり、五年の歳月がながれた。千太郎は矢も楯もたまらず、冬が来て越後路が雪で閉ざされぬ間に国の父や兄弟が恙(つつが)無く暮らしている様子をひと目見たくて、忍びの旅に出る。そこで陰から立派な若侍になった林太郎の姿を見て、自分も江戸に出てまっとうに生きて行こうと草鞋を返すが、日暮の三国峠にさしかかった時、白い羅(うすもの)を纏って時雨に佇む女と出会う。

   「このような人けの無い場所で、どうなされました?」

 千太郎が声をかけた瞬間、女の姿は掻き失せた。


 続きは、今夜空想しようと思う‥‥。(猫爺)

猫爺の才能なし俳句「暑気払い」

2017-08-05 | 日記
   ◇里山や 暮れて地蔵へ 青き柿◇

   ◇水平線 入道どのは 仁王立ち◇ 

   ◇いかづちや 雨のにおいが寄す 木立◇

   ◇街路樹へ 初蜩(はつひぐらし)の お中元◇


 最近、当ブログはほったらかし。更新らしき更新は皆無である。極老のうえ、癌の治療中であることの所為にしておこう。とは言え、抗癌剤で苦しんでいるわけではない。高額な皮下注射と、錠剤で、医者に言わせれば「進行を抑えている」のだそうな。このあと、年の暮れあたりから「コバルト治療」に移行するのだそうであるが、近くにそれが出来る病院がないので、通院が大変である。一応、「入院」を頼んでみたが、断られてしまった。「もっと遠方の患者が多いから」というのが理由。極老だから仕方がないか。

   病気臭い話はこっちゃへ置いといて (/・ω・)/

 ブログをほったらかしにしているのにも関わらず、猫爺の拙い創作を読んでくださる方々がおいでになり、感謝に耐えない。大袈裟かも知れないが、猫爺の「生き甲斐」とも言うべきである。三行ほど読んで止められた方々をも含めて「有難う御座います」と、ごま塩頭を下げている昨今である。

 猫爺の連続長編小説は、大きな欠点がある。最初に書いた「能見数馬」から、最終の「賢吉捕物帖」まで、今までの登場人物が再登場して、大なり小なり関わっていることである。(それ以外も欠点だらけであるが)
 例えば、大坂堺生まれの「チビ三太」は、小説「佐貫鷹之助」の終盤から登場して、「チビ三太、ふざけ旅」、「三太と亥之吉」そして「江戸の辰吉旅鴉」にまで登場する。守護霊の「新三郎」は、途中の「池田の亥之吉」には登場しなかったものの、「能見数馬」から、「江戸の辰吉旅鴉」まで、登場している。あたりまえのように登場してくる登場人物(幽霊も)に、違和感を覚えられた読者の方も居られよう。謹んでお詫び申し上げる次第である。

 また、尻切れトンボになっている作品もある。まだ書く気力はあるので、頑張ってみようと思う。それもこれも、頑張ろうと思うのは、読者の方々のお蔭様である。くどいけれど、本当に有難う。