「お由ちゃん、政吉ばかりでなく今度はわいがおんぶしてやろうか」
政吉が疲れるだろうと亥之吉が言うと、お由は「嫌!」と、政吉の背に顔を埋める。
「兄貴、わいは大丈夫、おんぶしたかったらお幸さんを背負いなはれ」 政吉は平然としている。
「誰がおんぶしたいと言うた、わいはお前が…」
亥之吉が言おうとすると、話も聞かずさっさと先へ行ってしまった。 お幸と圭太郎は、少し離れて後から付いて、なにやら仲よくお喋りをしている。 亥之吉の連れは、天秤棒だけであった。
「あほくさ、五人連れとは言うてもばらばらで、金を使うときだけ五人連れになりよる」
亥之吉は、京に着くまでに政吉を説得したいことがあった。 政吉の両親は、きっとどこかで生きて諦めずに政吉と出会うことを祈っているに相違ない。 その時のために、政吉を堅気の男にしてやりたいと思っている。 勿論、京極一家の親分と相談してのことだが…。
川崎の宿を出て、戸塚の宿場町に入った。 少し遅いが女子供を連れているので無理はない。二部屋とり、母子と男三人に別れて床をとってもらった。 さすが三人連れである。 男色に間違えられることなく、布団は三つ敷いてあった。
「なあ政吉、義兄(にい)さんも聞いてえな。政吉、足を洗うて堅気にならへんか」
「わいは京極一家に育てられたのや、任侠は捨てられまへん」
「両親に会ったら、お店(たな)を立て直してやらんとあかん」
「でも、わいは読み書き算盤(そろばん)の出来ないアホどっせ、顔には自信があるけど」
「義兄さん、こんなアホですけど政吉を福島屋に置いて貰えませんやろか」
圭太郎もまた、お店を継ぐ自信がないので何とも答えようがない。
「それは、亥之吉が決めたらええ、わいも一からお商売を勉強する積りや」
「政吉には、わいが読み書き算盤から教えます」
亥之吉は、福島屋でしっかり政吉を仕込んで、江戸の亥之吉が出すお店に連れていきたいのだ。
「兄貴、わかりました、京極の親分が許してくれはったら上方へ行きます」
「そうか、その決心だけはしといてや」
「兄貴、天秤棒術も教えておくれやす」
「かっこ悪いで、汚い汚いと言われて」
「いや、かっこうええのどす」
「初めてやなぁ、そう言われたのは」
亥之吉は、能見数馬(三太)の言葉を思い出した。
「この天秤棒は自分を護るためのもので、相手を攻め倒すものやないで」
「へい、わかっとります」
「そうか、店へ帰ったら、ええ天秤棒を一本お前にやるわ」
「ほんまどすか」
「ほんまや、漆の黒塗りで貝殻と金粉の飾り付きやで」
「へー、かっこええ」
「そやろ」
翌朝、戸塚の旅籠を出て三丁(1800m)も行ったとき、店先が慌しい小さなお店が亥之の気になった。
「何かあったらしい」
圭太郎も気掛かりらしい。
「兄貴、訊いてきましょうか」
「いや、子供が訊きに行ったらただの野次馬だと思われるから、わいが訊いてくる」
「何ぼ程、年が違いますねん」 政吉が膨れっ面をした。
昨日の夕刻、外で遊んでいた五歳の女の子が戻らず仕舞いであった。 両親や店の者や町の青年団に頼んで、夜っぴて探しまわったが見つからず、今朝になって石を包んだ投げ文が見つかったそうである。
そこには、「千両を狐の森へ持って来たら娘は返す。役人に知らせたら娘を殺す」 子供は拐かされたのだ。 小さなお店なので、今すぐに千両もの大金を用意することができず、父親はオロオロするばかりで、母親は狂ったように泣き叫ぶばかりであった。
「兄貴、どうします」
誘拐と聞いて、政吉は他人事のように思えなかった。
「放っとく訳にはいかんな」
「行ってやりましょうよ」
旅の者だが、何か力になりましょうと持ちかけると、神にでも縋るように「力を貸してください」と、夫婦して土下座をした。
「わい等が、その千両を持っていきましょう」
千両箱に石を詰めたものを用意させた。 それと、役人には亥之吉が知らせに行くと、番所の場所を訊いて亥之吉は駆け出していった。 政吉は亥之吉が何者であるかをお店の人達に説明して、「喧嘩は滅茶苦茶強いから、安心して待っておくれやす」と、付け足した。
亥之吉は、何やら小さな物を番所で借りてきたようで、手拭に包んで懐へ仕舞った。 石の入った千両箱を綱で結び、それ程重くも無いのに天秤棒の真ん中に釣るし、政吉と二人で担いで狐の森へ向った。 その間、圭太郎とお幸親子は、お店で待つように亥之吉に言われた。
「政吉、わいが懐に入れたのは呼子の笛や、わいらの後ろから離れて役人に付いて来させ、わいがこの笛を吹いたら駆け付けてくれるように頼んできた」
「へい、何やろなと思っていました」
「悪者は何人いるか分からんけど、わいが引き付けるさかいに、政吉には子供を救いにいってもらう」
「子供の見張りがいまっしゃろ」
「そや、匕首を持ったヤツが必ずおるから、わいが礫で倒す」
「わかりました」
「そうか、くれぐれも怪我のせんように気ぃ付けてや」
「へい」
狐の森へ入って進むと、ぽっかりと拓けた場所があった。 女の子は木に縛られ猿轡(さるぐつわ)をされて「うんうん」と泣き叫んでいる。 その横に子供に匕首を突き付けた男が一人、前に頭目らしいのが一人、そこから離れて両側に男が三人ずつ腕組みをしている。 合計八人である。
「千両持って来たか」
真ん中の頭目らしい男が、嗄(しゃ)がれた声で叫んだ。
「へい、この通り」
「そこへ置いて蓋をとり、お前らは立ち去れ!」
「あきまへん、先に子供を返しておくなはれ」 亥之吉も負けじと叫んだ。
「あれを見よ」と、頭目は後ろを指差した。 子供に匕首を持った男が、子供の首に匕首を当てた。 その瞬間、亥之吉は左へ跳び、懐に隠し持った石を男に投げつけた。 石は男の顔面を直撃し男は倒れた。 残りの男たちは激怒し、それぞれ匕首をだして鞘を抜き、亥之吉に襲いかかってきた。 それを見て、政吉は子供のところへ駆け寄った。
バシン、バシンと音がして、男たちの持つ匕首が吹っ飛んだ。 匕首を飛ばされて怯んだ男の腹に、亥之吉の天秤棒が「どすっ、どすっ」と、容赦なく食い込んだ。
最後に頭目だけが手に持っている、長ドスの鞘を抜いて亥之吉に斬りかかってきた。 その長ドスを亥之吉は天秤棒で受け止めた為に、天秤棒に長ドスが深く食い込んだ。
押しても引いても食い込んだ長ドスが抜けなかったので、頭目は諦めて長ドスから手を離した。 そのドスが食い込んだまの天秤棒を、亥之吉は大地に叩き付けた為に、長ドスの刃が折れると共に、亥之吉の天秤棒も折れてしまった。 亥之吉は半分になった天秤棒を右手で持ち、頭目の首を打ち据えた。
政吉は縄と猿轡を解き、泣きじゃくる女の子を抱きかかえていた。 亥之吉はやおら懐から手拭いで包んだ呼び子の笛を取り出し、高らかに吹いた。 一丁(400m)程手前で待機していた十人の役人が、バラバラッと駆け寄ってきた。
「コイツらが子供を拐わかして千両を奪おうとした悪人です、後の事はお任せします」
役人たちは、転がっている八人の犯人に縄をかけた。
女の子を連れて戻ると、両親が駆け出して迎えに出て来た。 女の子は母親に抱き付き、激しく泣いて「恐かった」と、訴えた。 娘の背を撫でながら、母親も声を上げて泣いた。
父親であるお店の主人は、感謝して「どうぞ、ゆっくりとして行ってください」と、足止めをするのを、亥之吉は「先を急ぎますから」と、断った。
「それでは、心ばかりで御座いますが」と、懐紙に包んだ小判らしきものを亥之吉に手渡そうとしたが、これも亥之吉は断った。 それでも尚、「私の気がすみません」と言うので、それではと、一両だけ戴くことにした。 亀山藩の山中鉄之進から受け取ったときも、たしか藩主から五両戴いて、山中に四両返し一両だけ戴いたのを思い出したのだ。
「兄貴、かっこ良かった」
政吉は、拐わかした男たちと戦う亥之吉の様子を、微にいり細にいり圭太郎とお幸に話して聞かせた。
「わいも兄貴みたいに強うなるのや」
亥之吉は、そんなことより、折れた天秤棒を撫でて嘆いていた。
「わいの魂、真っ二つや」
第二十二回 亥之吉の魂、真っ二つ(終) -続く- (原稿用紙11枚)
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