雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第二十二回 亥之吉の魂、真っ二つ

2013-10-30 | 長編小説
 亥之吉と、菊菱屋政衛門の長男政吉、福島屋善兵衛の長男圭太郎、それにお幸(ゆき)とその娘お由の五人連れは、東街道を上方に向かった。 お由は、実の父にはだっこや、おんぶされた経験が無いので、優しい政吉に父を見ているようであった。
   「お由ちゃん、政吉ばかりでなく今度はわいがおんぶしてやろうか」
 政吉が疲れるだろうと亥之吉が言うと、お由は「嫌!」と、政吉の背に顔を埋める。
   「兄貴、わいは大丈夫、おんぶしたかったらお幸さんを背負いなはれ」 政吉は平然としている。
   「誰がおんぶしたいと言うた、わいはお前が…」
 亥之吉が言おうとすると、話も聞かずさっさと先へ行ってしまった。 お幸と圭太郎は、少し離れて後から付いて、なにやら仲よくお喋りをしている。 亥之吉の連れは、天秤棒だけであった。
   「あほくさ、五人連れとは言うてもばらばらで、金を使うときだけ五人連れになりよる」

 亥之吉は、京に着くまでに政吉を説得したいことがあった。 政吉の両親は、きっとどこかで生きて諦めずに政吉と出会うことを祈っているに相違ない。 その時のために、政吉を堅気の男にしてやりたいと思っている。 勿論、京極一家の親分と相談してのことだが…。

 川崎の宿を出て、戸塚の宿場町に入った。 少し遅いが女子供を連れているので無理はない。二部屋とり、母子と男三人に別れて床をとってもらった。 さすが三人連れである。 男色に間違えられることなく、布団は三つ敷いてあった。
   「なあ政吉、義兄(にい)さんも聞いてえな。政吉、足を洗うて堅気にならへんか」
   「わいは京極一家に育てられたのや、任侠は捨てられまへん」
   「両親に会ったら、お店(たな)を立て直してやらんとあかん」
   「でも、わいは読み書き算盤(そろばん)の出来ないアホどっせ、顔には自信があるけど」
   「義兄さん、こんなアホですけど政吉を福島屋に置いて貰えませんやろか」
 圭太郎もまた、お店を継ぐ自信がないので何とも答えようがない。
   「それは、亥之吉が決めたらええ、わいも一からお商売を勉強する積りや」
   「政吉には、わいが読み書き算盤から教えます」
 亥之吉は、福島屋でしっかり政吉を仕込んで、江戸の亥之吉が出すお店に連れていきたいのだ。
   「兄貴、わかりました、京極の親分が許してくれはったら上方へ行きます」
   「そうか、その決心だけはしといてや」
   「兄貴、天秤棒術も教えておくれやす」
   「かっこ悪いで、汚い汚いと言われて」
   「いや、かっこうええのどす」
   「初めてやなぁ、そう言われたのは」
 亥之吉は、能見数馬(三太)の言葉を思い出した。
   「この天秤棒は自分を護るためのもので、相手を攻め倒すものやないで」
   「へい、わかっとります」
   「そうか、店へ帰ったら、ええ天秤棒を一本お前にやるわ」
   「ほんまどすか」
   「ほんまや、漆の黒塗りで貝殻と金粉の飾り付きやで」
   「へー、かっこええ」
   「そやろ」
   翌朝、戸塚の旅籠を出て三丁(1800m)も行ったとき、店先が慌しい小さなお店が亥之の気になった。
   「何かあったらしい」
 圭太郎も気掛かりらしい。
   「兄貴、訊いてきましょうか」
   「いや、子供が訊きに行ったらただの野次馬だと思われるから、わいが訊いてくる」
   「何ぼ程、年が違いますねん」 政吉が膨れっ面をした。
 昨日の夕刻、外で遊んでいた五歳の女の子が戻らず仕舞いであった。 両親や店の者や町の青年団に頼んで、夜っぴて探しまわったが見つからず、今朝になって石を包んだ投げ文が見つかったそうである。
 そこには、「千両を狐の森へ持って来たら娘は返す。役人に知らせたら娘を殺す」 子供は拐かされたのだ。 小さなお店なので、今すぐに千両もの大金を用意することができず、父親はオロオロするばかりで、母親は狂ったように泣き叫ぶばかりであった。
   「兄貴、どうします」
 誘拐と聞いて、政吉は他人事のように思えなかった。
   「放っとく訳にはいかんな」
   「行ってやりましょうよ」

 旅の者だが、何か力になりましょうと持ちかけると、神にでも縋るように「力を貸してください」と、夫婦して土下座をした。
   「わい等が、その千両を持っていきましょう」
 千両箱に石を詰めたものを用意させた。 それと、役人には亥之吉が知らせに行くと、番所の場所を訊いて亥之吉は駆け出していった。 政吉は亥之吉が何者であるかをお店の人達に説明して、「喧嘩は滅茶苦茶強いから、安心して待っておくれやす」と、付け足した。
 亥之吉は、何やら小さな物を番所で借りてきたようで、手拭に包んで懐へ仕舞った。 石の入った千両箱を綱で結び、それ程重くも無いのに天秤棒の真ん中に釣るし、政吉と二人で担いで狐の森へ向った。 その間、圭太郎とお幸親子は、お店で待つように亥之吉に言われた。
   「政吉、わいが懐に入れたのは呼子の笛や、わいらの後ろから離れて役人に付いて来させ、わいがこの笛を吹いたら駆け付けてくれるように頼んできた」
   「へい、何やろなと思っていました」
   「悪者は何人いるか分からんけど、わいが引き付けるさかいに、政吉には子供を救いにいってもらう」
   「子供の見張りがいまっしゃろ」
   「そや、匕首を持ったヤツが必ずおるから、わいが礫で倒す」
   「わかりました」
   「そうか、くれぐれも怪我のせんように気ぃ付けてや」
   「へい」
 狐の森へ入って進むと、ぽっかりと拓けた場所があった。 女の子は木に縛られ猿轡(さるぐつわ)をされて「うんうん」と泣き叫んでいる。 その横に子供に匕首を突き付けた男が一人、前に頭目らしいのが一人、そこから離れて両側に男が三人ずつ腕組みをしている。 合計八人である。
   「千両持って来たか」
 真ん中の頭目らしい男が、嗄(しゃ)がれた声で叫んだ。
   「へい、この通り」
   「そこへ置いて蓋をとり、お前らは立ち去れ!」
   「あきまへん、先に子供を返しておくなはれ」 亥之吉も負けじと叫んだ。
   「あれを見よ」と、頭目は後ろを指差した。 子供に匕首を持った男が、子供の首に匕首を当てた。 その瞬間、亥之吉は左へ跳び、懐に隠し持った石を男に投げつけた。 石は男の顔面を直撃し男は倒れた。 残りの男たちは激怒し、それぞれ匕首をだして鞘を抜き、亥之吉に襲いかかってきた。 それを見て、政吉は子供のところへ駆け寄った。
 バシン、バシンと音がして、男たちの持つ匕首が吹っ飛んだ。 匕首を飛ばされて怯んだ男の腹に、亥之吉の天秤棒が「どすっ、どすっ」と、容赦なく食い込んだ。
 最後に頭目だけが手に持っている、長ドスの鞘を抜いて亥之吉に斬りかかってきた。  その長ドスを亥之吉は天秤棒で受け止めた為に、天秤棒に長ドスが深く食い込んだ。
 押しても引いても食い込んだ長ドスが抜けなかったので、頭目は諦めて長ドスから手を離した。 そのドスが食い込んだまの天秤棒を、亥之吉は大地に叩き付けた為に、長ドスの刃が折れると共に、亥之吉の天秤棒も折れてしまった。 亥之吉は半分になった天秤棒を右手で持ち、頭目の首を打ち据えた。
 政吉は縄と猿轡を解き、泣きじゃくる女の子を抱きかかえていた。 亥之吉はやおら懐から手拭いで包んだ呼び子の笛を取り出し、高らかに吹いた。 一丁(400m)程手前で待機していた十人の役人が、バラバラッと駆け寄ってきた。
   「コイツらが子供を拐わかして千両を奪おうとした悪人です、後の事はお任せします」
 役人たちは、転がっている八人の犯人に縄をかけた。
 女の子を連れて戻ると、両親が駆け出して迎えに出て来た。 女の子は母親に抱き付き、激しく泣いて「恐かった」と、訴えた。 娘の背を撫でながら、母親も声を上げて泣いた。
 父親であるお店の主人は、感謝して「どうぞ、ゆっくりとして行ってください」と、足止めをするのを、亥之吉は「先を急ぎますから」と、断った。
   「それでは、心ばかりで御座いますが」と、懐紙に包んだ小判らしきものを亥之吉に手渡そうとしたが、これも亥之吉は断った。 それでも尚、「私の気がすみません」と言うので、それではと、一両だけ戴くことにした。 亀山藩の山中鉄之進から受け取ったときも、たしか藩主から五両戴いて、山中に四両返し一両だけ戴いたのを思い出したのだ。
   「兄貴、かっこ良かった」
 政吉は、拐わかした男たちと戦う亥之吉の様子を、微にいり細にいり圭太郎とお幸に話して聞かせた。
   「わいも兄貴みたいに強うなるのや」
 亥之吉は、そんなことより、折れた天秤棒を撫でて嘆いていた。
   「わいの魂、真っ二つや」

   第二十二回 亥之吉の魂、真っ二つ(終) -続く- (原稿用紙11枚)

「池田の亥之吉」リンク

「第一回 お化けが恐い」へ
「第二回 天秤棒の旅鴉」へ
「第三回 七度狐」へ
「第四回 身投げ女」へ
「第五回 鈴鹿峠の掏摸爺」へ
「第六回 縁結びの神さん」へ
「第七回 お化け屋敷で一稼ぎ」へ
「第八回 手水廻し」へ
「第九回 亀山の殿さん」へ
「第十回 下り東街道、膝栗毛」へ
「第十一回 亥之吉、卯之吉賭場荒らし」へ
「第十二回 首なし地蔵」へ
「第十三回 化け物退治」へ
「第十四回 ふりだしに戻る」へ
「第十五回 亥之吉刺される」へ
「第十六回 住吉さん、おおきに」へ
「第十七回 亥之吉とお絹の祝言」へ
「第十八回 豚松、父母恋し」へ
「第十九回 亥之吉は男色家?」へ
「第二十回 消えた望みの綱」へ
「第二十一回 さらば、鵜沼の卯之吉」へ
「第二十二回 亥之吉の魂、真っ二つ」へ
「第二十三回 政吉、足をあらう」へ
「第二十四回 亥之吉、政吉江戸へ」へ
「第二十五回 政吉、涙の再会」へ
「第二十六回 政吉、頑張りや」へ
「第二十七回 亥之吉、迎え旅(最終回)」へ」へ

次シリーズ「幽霊新三、はぐれ旅」 第一回 浄土を追われて」へ

生と、死と、

2013-10-28 | 日記

 生とは何だろう。 死とは何だろう。 人は何の為に生きているのだろう。 人は何故死ぬのだろう。 偉い学者が、糞真面目に書いた論文本が売れているのだと言う。 学者は、論文がどうであろうと、本さえ売れれば良いことだろうが、それを読んだ読者は満足しているのだろうか。

 生は、受精の瞬間から始まる。 生きるとは、生理的営みが持続することであり、生きる意味などは自分で見つけるものであるだろうし、生きている上で意味など必ずしも必要では無い。

 猫爺は、特に何かの為に生まれてきた訳でもないし、何かの為に生きている訳でもない。 強いて言えば、偶然生まれて来たから、生まれて来た自分の為に生きているのだ。 時に、悩み苦しむときは、「死にたい」と思うものだが、それはただ悩み苦しみから逃げたい衝動であるから別に重要な意味はない。 

 死とはなにか。 生理的営みが止まることである。 では、何故死ぬのだろう。 それは、どんどん新しい生命が生まれて来て、後が閊(つか)えるからである。 心太(ところてん)をイメージすればよい。  
 「何や、わいらは心太かいな」 池田の亥之吉ならそう言うだろう。    
 
 神は天地を創造し、神に似せた人間を造ったと神話、あるいは聖書ではそうなっている。 猫爺はそうは思わない。 神や仏を造ったのは人間であり、人間の脳の働きである想像から生まれてきたものだ。 医師や、科学者でさえも、霊魂の存在を信じ、論文を出している。 人間の脳の働きを知り尽くした筈の医師が何故? と、猫爺は思う。 科学者は、実態の(質量)ない霊魂の存在をどうして信じることが出来るのだろうか。 猫爺は不思議に思う。 
 猫爺の子供の頃は、物質の極みは原子だと教わった記憶がある。 その原子は、素粒子から出来ていると現在は習っているのだろう。 素粒子のレベルで見ても、霊魂は存在していない。 

 では、人間が死ねばどうなるのか? どうもならない、無くなるだけだ。 何も、人間に越したことではない。 生き物が死ねば消えてなくなるのだ。 
 クラゲのような生物の中に、死なないものがいるじゃないかと、反論されるかも知れないが、それも親となるものはちゃんと死んでいるのだ。 それは、自分の体の中に植物のように種(シード)に当たるものを残していて、それが死んだ親の中から生まれて来るので、永遠に死なないと勘違いしている人が居るようだ。

 たとえば、架空の生物であるが「火の鳥」を想像してみよう。 親鳥が火の中に飛び込んで燃えてしまうが、また火の中から雛鳥が飛び立ち、不死鳥と言われる。 あれも、耐熱性の殻を被った卵が火の熱で温められて雛が孵り、火の中から飛び立つのだと考えてはどうだろう。 それでも不死鳥と言えるだろうか。 と、人々の夢を壊すのが好きな猫爺であった。
 
  


猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第二十一回 さらば、鵜沼の卯之吉

2013-10-27 | 長編小説
 日本橋近くの旅籠に泊り、一ヶ月ほど前に浪花の福島屋の若旦那、圭太郎という旅人が宿泊していないか宿帳を調べて貰った。 宿の番頭は、亥之吉がやくざ風体であることから警戒したが、浪花の福島屋という名を聞いて安心したのか、宿帳を見せてくれた。 三泊して引き払ったようであった。 亥之吉と政吉は、それから十日間、圭太郎探しに没頭したが、杳(よう)として見つからなかった。
   「政吉、江戸は広いから、虱潰しで探していたのではキリがない、わいの知り合いに逢って相談してみるわ」
   「知り合いが居はるのどすか」
   「うん、二人居る」
 まず、紀州は田辺藩士の妻、萩に逢おうと思った。 別れ際に、藩士の名は確か戸倉勘四郎とか言っていたのを思い出したのだ。
 田辺藩江戸屋敷に赴き、戸倉勘四郎を訪ねると、奥方の萩から聞いていたらしく、「その節は家内がお世話になり申した」と、礼を言ってきた。
   「奥方に尋ねたいことがある」と、役宅の場所を教えて貰い、訪ねて行った。
   「おやまあ、亥之吉さんご無事でしたか、その節は有り難うございました」
 久し振りに、お萩さんの明るい声を聞いて、卯之吉と共に無事に江戸へ着いたのを知った。
   「お萩さんも、ご無事でなによりだした」
   「はい、卯之吉さんが護ってくれました」
 亥之吉は、「嘘だ」と思った。 お萩さんが卯之吉を護ってくれたのだろう。
   「それで、卯之吉はどこへ行くと言っていました?」
   「親分が訪ねて来たら、江戸は神田に構える大江戸一家に草鞋を脱ぐと伝えてくれと言っていました」
   「分かりました、今から逢いに行ってきますわ」
   「そうしてやって下さい、卯之吉さん、きつと喜びます」
 神田の大江戸一家はすぐに分かった。 往来にはそれと分かる男が屯(たむろ)し、屋敷は広い門を一杯に広げ、建物の中には矢鱈と提灯が下がっていた。 男たちが忙しく出はいりし、まるで祭りの準備をしているようにも見える。 屋敷から出て来た男を亥之吉は呼び止め、鵜沼の卯之吉の知り合いだが、会えないかと頼んでみた。 男は厳(いか)つい顔のわりには親切そうで、「ちょっと待っていてくだせぇ」と、奥に入って行った。 暫くして、卯之吉が顔を出した。
   「親分、よく来てくれました、実は必ず来てくれると思い、お待ちしていました」
   「えっ、待っていてくれたのですか 何か用が有って」
   「はい、有りますとも」 と、にこやかに言って、「そのよく太った坊やは」と、政吉を指さした。
 政吉は、「むっ」とした顔で、「京極一家の政吉どす」と、ぶっきらぼうに答えた。
   「京から、両親を探しにきたのです」 亥之吉が補足した。
   「それで、見付かりましたか」
 政吉は、黙って首だけ横に振った。
   「それは残念でしたね、あっしに手伝えることがあったら、いつでもここへ来てくだせえ」
 卯之吉は、「親分に逢わせたい人が居ます」 と、言って奥に下がった。 卯之吉が逢わせたい人と言ったのは、なんと浪花の圭太郎であった。
   「親分は、浪花は道修町の福島屋の番頭だったと言っていたのを思い出したのですよ」
 圭太郎が無一文になって、たとえ短い間でも草鞋を脱ごうと大江戸一家の近くまで来たが、仁義がきれないために躊躇っていた。 大江戸一家から出て来た卯之吉が見つけて事情を訊き、連れて入ったのだそうである。 話を聞いてみると、浪花の福島屋の長男だと告げたので亥之吉を思い出し、圭太郎に内緒で、こっそり手紙を福島屋に送ったのだった。 直ぐに妹のお絹さんから返信があり、亥之吉は既に江戸へ向ったので、亥之吉が訪ねて行くまで兄を足止めしてほしいとのことだった。

 あれだけ政吉と二人で探し回ったのに、探す順序が悪かったこと亥之吉はは後悔した。
   「亥之吉、政吉さんはどちらの方です」 圭太郎は、亥之吉が福島屋の使用人でもない若い男を連れていることを訝った。
   「福島屋のお店が地回りに潰されそうになったのを、助けてくれはった京極一家から預かった人です」
   「一緒にわいを探してくれたのか」
   「へえ、そうです義兄さん」
   「にいさん もしや亥之吉、お絹と一緒になったのか」
   「そうです、それで一日も早く義兄さんにお店に戻ってもらって、お絹とわいは、江戸で福島屋の暖簾を掛けたいのです」
   「亥之吉、わいはお店はよう継がんで」
   「そんなこと、ありますかいな、義兄さんにもお父っつぁんの血が流れているのです」
   「そやかて、わいは親不孝ばかりして、お商売は皆目手伝っていないやないか」
   「義兄さんが立派にお店を継がれるまで、わいとお絹は義兄さんの右手と左手になりま」
   「それやったら、わいは居ないのと同じやないか」
   「わいら夫婦は、指一本ずつ減らしていき、最後は全部義兄さんの指だけになり、腕も義兄さんの腕に委ねるのです」
   「亥之吉、うまいこと言うやないか、そやけど、わいの腕がいつまで経っても動かなんだら」    「大丈夫です、生涯、義兄さんを傍で支え続けてくれはる人を、わいは義兄さんに逢わせます」
   「誰や そんな人がいてはりますのか」
   「居ますとも、心優しくて、美人で、困った人を見たら助けずには居られない人情の厚いお人が」
   「亥之吉、わかった、お幸さんやろ、お幸さんには、恩返しせんといかんのや」
   「義兄さん、よう言ってくれはりました、お幸さんは、義兄さんにお金をあげた為に、離縁されて放り出されましたんや」
   「そうか、わいは野垂れ死にせんとすんだが、お幸さんにはすまないことをしてしまったのやなぁ」
 奥から白髪交じりの親分格の男が出て来た。
   「こらっ、卯之吉、客人をいつまで入り口に立たせているのじゃい、早く奥に入って貰って、お茶でもすすめたらどうだ」
   「へえ、気が付かないことで、申し訳けありません」
 卯之吉が案内して、亥之吉と政吉を奥に通した。 政吉には、「坊、これ食べな」と、若い衆が饅頭を出してくれた。 坊は、気に居らなかったが、饅頭には喜んでパク付いた。
   「義兄さん、明日わいと一緒に川崎のお幸さんのところへ行きましよ」
   「わかった、そうする」
   「そやけど、一つだけ言っておくけど、お幸さんはコブ付でおます、四歳の女の子です」
   「その子も、お幸さんと一緒に放り出されたのか」
   「そうです、義兄さんが、仕合せにしてやっておくれやす」
   「浪花のお店まで来てくれるやろか」
   「お幸さんの両親は、亡くなっとります、今は叔父の家で厄介になっていますが、いずれは追い出されると思います」
   「そうか、よく分かった、浪花へ来てくれるように、わいがお幸さんに頼みますわ」
 政吉は饅頭を一つ亥之吉の前に置いた。
   「兄貴、ほれ恐がりなはれ」
 熱いお茶も、若い衆が入れてくれた。
   「兄貴、ほれお茶も恐いのですやろ」
   「政吉さんは、何を言っているのです」 圭太郎が亥之吉に尋ねた。
   「いやいや、わいと政吉の内緒ごとです」 と、亥之吉は肩を揺すって忍び笑いをした。
 翌日、卯之吉に礼を言って、亥之吉と圭太郎と政吉は戻り旅に出ることになった。
   「親分、また親分とつるんで博打がしたいです」
   「卯之吉の勘は、金になるからな」
   「親分の後ろ盾が有っての勝負勘です」
   「またいつか、賭場荒らしをやろうな」
   「親分、あっしたちは、賭場荒らしはしてねえですぜ」
   「よく分からんが、そうなのか」
 いずれ江戸へ舞い戻ってくるからまた会おう、命を粗末にするなよと、亥之吉は手を振った。 卯之吉は寂しそうであった。
 川崎のお幸の叔父の家で、圭太郎はお幸に会った。 お幸は、一度しか逢っていない圭太郎の顔を覚えていた。
   「お幸さん、あの時は有難うございました、お蔭で命を落とさずに済みました」
 圭太郎は、お幸と、お幸の叔父に深々と頭を下げた。 お由は、政吉の顔を見るなり、跳びついていった。
   「お兄ちゃん、おんぶ」
   「これっお由、お兄ちゃんは長旅で疲れているのだから、おんぶなんていけません」
   「良いのどす、お由ちゃん、はいどうぞ」と、政吉がしゃがむと、お由は嬉しそうに負ぶさった。
   「ちょっと外で遊んで来る」と、政吉はお由と出ていった。 大人の話があるのだろうと、政吉は気を利かせたのだ。
   「お幸さん、わいはお幸さんとお由ちゃんを幸せにしてみせます、どうか浪花へ来ておくなはれ」
   「お気持ちは嬉しいのですが、私はご覧の通り子供が居ます、きっと圭太郎さんの重荷になります」
   「いえ、お幸さんがこうなったのも、みんなわいの所為です、どうかわいの嫁になっておくんなはれ」
   「そんな、圭太郎さんのお嫁だなんて、そんな厚かましいことは出来ません、お店に置いて頂けるなら、一生懸命働きますので、どうか下働きをさせてください」
   「それでは、わいが不満です、わいもお幸さんにお義姉さんになって貰いたいのです」 亥之吉が口を挟んだ。
   「亥之吉も、こう言っとります、どうか、わいをお由ちゃんのお父っちゃんにさせておくなはれ」
   「有難うございます、それではとりあえず下働きの女中として半年間使ってみてください」
 半年経ってから嫁にするか、女中にのままなのか、決めて欲しいと、お幸は言った。 お幸の叔父も、終始お幸たちの会話をにこやかに聞いていた。
   「またお由ちゃんの様子など、伝えに来ます」
 なんと、東海道の上りは、五人連れになった。 金を持っているのは亥之吉だけである。
   「路銀、足りるかな」
 こんなとき、鵜沼の卯之吉がいたら、どんなに心強いだろうなと思う亥之吉であった。
  第二十一回 さらば、鵜沼の卯之吉(終) ―続く― (原稿用紙12枚)

「池田の亥之吉」リンク

「第一回 お化けが恐い」へ
「第二回 天秤棒の旅鴉」へ
「第三回 七度狐」へ
「第四回 身投げ女」へ
「第五回 鈴鹿峠の掏摸爺」へ
「第六回 縁結びの神さん」へ
「第七回 お化け屋敷で一稼ぎ」へ
「第八回 手水廻し」へ
「第九回 亀山の殿さん」へ
「第十回 下り東街道、膝栗毛」へ
「第十一回 亥之吉、卯之吉賭場荒らし」へ
「第十二回 首なし地蔵」へ
「第十三回 化け物退治」へ
「第十四回 ふりだしに戻る」へ
「第十五回 亥之吉刺される」へ
「第十六回 住吉さん、おおきに」へ
「第十七回 亥之吉とお絹の祝言」へ
「第十八回 豚松、父母恋し」へ
「第十九回 亥之吉は男色家?」へ
「第二十回 消えた望みの綱」へ
「第二十一回 さらば、鵜沼の卯之吉」へ
「第二十二回 亥之吉の魂、真っ二つ」へ
「第二十三回 政吉、足をあらう」へ
「第二十四回 亥之吉、政吉江戸へ」へ
「第二十五回 政吉、涙の再会」へ
「第二十六回 政吉、頑張りや」へ
「第二十七回 亥之吉、迎え旅(最終回)」へ」へ

次シリーズ「幽霊新三、はぐれ旅」 第一回 浄土を追われて」へ

猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第二十回 消えた望みの綱

2013-10-26 | 長編小説
 箱根で知り合った母子は、近江の国から武蔵の国は川崎の叔父を頼って行くところであった。 女の子は人懐っこい性格らしく、もう亥之吉と政吉に懐いていた。
   「お嬢ちゃん、年は幾つ」 政吉が女の子に声を掛けた。
 女の子は、白い小さな掌の親指を折り、四本の指を立てて政吉に見せた。 四歳である。 これは数え年と言って、正月ごとに年を重ねるもので、現在の誕生日ごとに年を重ねる満年齢に直すと、三歳になる。
   「お名前は」 政吉が重ねて問うと、「お由(およし)」と答えた。
   「おっ母ちゃんの名前も言えるかな」と、今度は亥之吉が尋ねると、「お幸(おゆき)」と、しっかり答えた。
   「お幸はん、見れば商家の若奥様のようですが、何でこんなに小さなお子連れで旅を」 亥之吉が問うてみた。
   「はい、実は…」 お幸は、話し始めて直ぐに涙が溢れて、黙り込んでしまった。
   「えらいすんまへん、どうやら辛いことがおましたのやな」 
   「はい」
   「かまへん、かまへん、言い難いことやったら、言わんでもよろしい」
   「いえ、どうぞお聞きください、聞いて頂いたら、きっと気持ちも落ち着くことでしょう」
 お幸は、ゆっくりと話し始めた。  お幸は武蔵の国の農家に生まれたが、父と母が次々と病に倒れ、叔父に引き取られて育てられた。 四年前に近江の国の米穀商の若旦那とひょんなことから知り合って、近江へ嫁いだが、姑に百姓の娘と罵り嫌われた。 意地の悪い仕打ちには堪えてきたが、娘のお由が生まれたことで、「女の子要らん」と、ますます虐めが酷くなった。
 お幸は、お由の為だと、歯を食いしばって耐え忍んできたが、一ヶ月ほど前に大変なことを仕出かしてしまった。
 掛取りに行った帰り道、道端で若いやくざ風の男が行き倒れているのを見つけ、もう幾日も食べていないと言ったので、憐れと思い掛取りで預かってきた金子(きんす)の全てを、後先も忘れて与えてしまったのだ。 お店に戻り、ことの一部始終を打ち明けたが、姑と夫が激怒して殴る蹴るの暴力を奮われた。
 それでも自分が悪かったことを謝り、許されないまでも必死に働くことで事なきを得たと安堵した矢先、夫が女を連れて戻り、この女を妻にするからと三行半(みくだりはん=離縁状)を叩き付けられた。
 夫の言い分は、お前は行き倒れなどと言っているが間男に違いない、お由も誰の子か知れたものではないと、お由共々着の身着のままで放り出されたのだった。
   「私は間男などしていません」
   「そうやろ、そんな暇なんか与えられなかったと思います」
 亥之吉も、貰い泣きしそうなところ、ぐっと堪えて涙は見せなかったが、政吉はしっかり泣いていた。
   「その旅人とは、その後逢っていないのですか」
   「はい、旅に出た後も、見かけていません」
   「そうですか、その男は名前など告げなかったやろな」
 もし、名前が分かれば、近江へ連れて行き、せめてお幸さんの名誉のために間男が事実無根であると証言させようと思ったのだ。
   「お名前は伺いました、浪花で雑貨商を営む福島屋の長男、圭太郎さんと仰いました」
 亥之吉は何と言う偶然かと驚いた。 圭太郎は一ヶ月前に生きて近江の国に居たのだ。 しかもお幸に金子を恵んでもらい、もしかしたら無事に江戸へ着いているかも知れない。 圭太郎も、商人の血を引いている。 江戸へ行けば、何とか真面目に働いて元気にやっているに違いない。 そして、金を稼ぎ、近江の国のお幸さんに、恩を返そうと頑張っているだろう。 もし、そんなことも忘れて、悪い女に引っ掛かり、やくざ絡みの危ない仕事に手を出していたなら、圭太郎という男は見込が無いと判断せざるを得ない。 その時は、亥之吉がお幸さんの身が立つようにしてやろうと、密かに誓った。
   「お幸さん、聞いてください、その圭太郎という男は、私が探している男なのです」
   「えっ」
 お幸も驚いて、内心を打ち明けた。
   「実は、もしかしたら私はお金をだまし取られたのかも知れないと一時は疑いました」
   「圭太郎は、私の奉公するお店の若旦那です、決して詐欺などはしまへん」
   「亥之吉さんのお言葉で、すっかり疑いは消えました」
   「ありがとさん、安心しとくなはれ、わいがお幸さんの名誉を回復してみせます」
   「私の名誉など、どうでも良いのです」
   「いいえ、あきまへん、お由ちゃんの為でもあるのでっせ」
   「お心使い、有難うございます」と、礼を言って、お幸はまた泣いた。
 お幸は、亥之吉に囁いた。
   「ご親切にして頂いたのに、何もお返しが出来ません、私はもう亭主の居ない独り身です、どうぞよろしかったらこの体でお返しさせてください」
   「お幸さん、アホなことを言ってはいけません、わいはお幸さんを圭太郎の嫁にしたいのです」
   「そんな夢みたいなことが叶うわけがありません」
お幸は、子持ちの自分が商家の嫁に納まるなど、夢にも考えてもいなかったことなのだ。
   「わいは圭太郎の妹を妻にしとります、お幸さんは、わいの義姉(おねえ)はんになって貰いたいのです」
   「はしたないことを言ってしまいました、どうかお忘れください」
   「お由ちゃんの為にも、気をしっかり持って、待っていておくれやす」
 お由は、政吉に甘え心が出てしまい、政吉に負んぶをせがむことが多くなった。 政吉もまた、お由のことを妹のように可愛がった。 亥之吉が気に入らないのは、お由が政吉のことをお兄ちゃんとよぶのに対して、亥之吉のことはおじちゃんと呼ぶ。 歳は四歳しか離れていないのに…。
 政吉は、自分がお由の父親になってやってもいいと考えているようだった。 お幸の前で、お由に「お父っちゃんと呼んでもいいよ」と、盛んに惹きつけている。
   「お前なあ、お店に入らずやくざになる気やろ」 亥之吉が言った。
   「へい」
   「ほんならあかん、子持ちのやくざなんか、やくざとしても、父親としても中途半端や」
   「そうかなぁ」
   「出入りがあれば、いつ殺されるかわからん、親分や兄ぃに代わって、いつ鉄砲玉にされてお仕置きになるかも知れん」
   「そやなァ」
 政吉は、いちいち相槌を打つが、どこまでわかっているのか分からない。 そこはまだ子供である。
 漸(ようや)く江戸に近くなり、川崎の宿場に着いた。 川崎と言ってもお幸の里は、山深い農村であった。 叔父が迎えてくれたが、離縁されたと聞き、どうも不満顔だった。 子連れの出戻りは、とかく村の噂になる。
   「こちらさんがたは」
 叔父が亥之吉と政吉を見て言った。
   「旅の途中で助けて頂いた方々で、ここまで送って下さいました」
   「それは、それは、有難う御座いました」
   「お幸さんは、わいの奉公しているお店の若旦那が行き倒れているのを憐れと思い、金子を与えてくれたのが原因で離縁されたのです」
   「そうでしたか、この子は気の優しい娘で、困っている人を放っておけないのです」
   「わいは、これから江戸へ行き、若旦那を探し必ず恩を返し、お幸さんの身が立つようにさせます、どうか待っていておくなはれ」
   「よく分かりました、よろしくお願い致します」 叔父の顔が一安心したようにほっと緩んだ。  政吉と別れるとなると、お由が泣いた。 「お兄ちゃんと行く」と言うのを宥(なだ)める政吉も、辛そうであった。
 街道へ戻りがけ、亥之吉は政吉にいった。
   「今度は政吉の親探しや、豊岩稲荷と、菊菱屋が鍵やで」
   「へい、ありがとうさんでおます」
 更に一泊して、江戸は日本橋に着いた。 江戸は広い。 行く人毎に尋ねたが、「豊川稲荷なら知っているが、豊岩稲荷は知らない」と言われ続けた。 従って、菊菱屋が、何の店かも分からず、途方にくれる亥之吉と政吉であった。
 ところが、「新両替町」即ち、通称「銀座」に小さいながらも由緒ある稲荷神社があり、それが豊岩稲荷だと教えてくれた人が居た。 二人は喜び勇んで銀座へ向った。
   「ここや、豊岩稲荷神社と書いてある」 政吉は、心が逸っている。
 強力な情報が掴めた。 十数年前に菊菱屋というお店がこの地にあった。 小さな呉服屋で、京友禅を扱っているお店であった。 だが、二歳の一人息子が神隠しに合い、狂ったようにお店そっちのけで夫婦して辺りを探し回り、見付からないと分かると、店をたたんでお遍路の旅に出たそうである。
   「政吉、がっかりするな、お父っつぁんも、おっ母さんも、きっと何処かで生きている」
   「へい」
 政吉は、お店があった辺りを教えて貰い、懸命に何かを思い出そうしている様子だった。 だが、二歳である。 そのころの二歳は、まだ這うことしか出来ないか、よちよち歩きの幼児である。 記憶に残っている訳がない。 それでも、政吉は必至で辺りを見て廻った。
   「なあ政吉、お父っつぁんとお母さんが、もしかしたらここへ戻っては来て、近所の人に政吉が訪ねて来なかったか訊きに来るかもしれん」
 二人は菊菱屋を知るお店を廻って、「もし来たら、浪花の道修町にある福島屋に手紙で連絡してほしい」とお願いした。 京極一家では不審がられると思ったからだ。 帰りに豊岩稲荷にお参りして、新しいお守りを買った。 途中、飛脚屋により、妻のお絹に圭太郎のことを知らせ、政吉の両親から連絡があれば、知らせてくれと付け足したが、よく考えたら自分の所在が定まらないので、お絹は手紙の出しようが無いだろうと、京極一家へ知らせてくれと書き直した。
 政吉は、親たちが何故店をたたんだのか、思えばそれが悔しかった。 もし、店を続けていてくれたら、今、再会を出来ていたのだ。 政吉は下を向いて歩いているが、肩の震えから泣いている様子が察しられた。 亥之吉は、慰めの言葉が出て来ない自分が情けなかった。
   「政吉、これからどうする」
   「兄貴に付いて行きたいどす」
   「そうか、わかった風来坊の若旦那探しはもっと難しいから、政吉が居てくれたら助かるわ」
   「やくざの一家をまわりましょうか」
   「偽物の旅鴉やさかい、いつ出入りがあるか分からんとこへ、よう行かんと思う」
   「行く宛はないのどすか 友達とか、お店関係の人とか」
   「無い、そやけど政吉、日本橋に着いたのが夕方やったとしたら、日本橋の近くで旅籠をとるやろ」
   「へい」
   「ほんなら、そこを拠点にして、銭が底を突くまでに必死に仕事を探すと思う」
   「そうどすなぁ」
   「若旦那は何か商売をするか、女の紐(ひも)になろうとするやろ」
   「紐とは何どす」
   「女に働かせて遊んで生活する男や」
   「うわ、かっこええ」
   「アホ、かっこ悪いわ」
   「働かんと遊べるのどっせ」
   「そんなもん、男の恥や」
   「わいは憧れる」
   「勝手に憧れとけ、そやけど、若旦那は男振りはわいより落ちるし」
   「紐は、男前やないとあかんのか」
   「そや、女に惚れられんとあかん」
   「ほな、わいは紐にぴったりや」
   「どついたろか」
 何か情報が掴めるかも知れない。 二人は日本橋に向かった。 今夜は日本橋で旅籠をとる積りである。

  第二十回 消えた望みの綱(終) -続く- (原稿用紙14枚)

「池田の亥之吉」リンク

「第一回 お化けが恐い」へ
「第二回 天秤棒の旅鴉」へ
「第三回 七度狐」へ
「第四回 身投げ女」へ
「第五回 鈴鹿峠の掏摸爺」へ
「第六回 縁結びの神さん」へ
「第七回 お化け屋敷で一稼ぎ」へ
「第八回 手水廻し」へ
「第九回 亀山の殿さん」へ
「第十回 下り東街道、膝栗毛」へ
「第十一回 亥之吉、卯之吉賭場荒らし」へ
「第十二回 首なし地蔵」へ
「第十三回 化け物退治」へ
「第十四回 ふりだしに戻る」へ
「第十五回 亥之吉刺される」へ
「第十六回 住吉さん、おおきに」へ
「第十七回 亥之吉とお絹の祝言」へ
「第十八回 豚松、父母恋し」へ
「第十九回 亥之吉は男色家?」へ
「第二十回 消えた望みの綱」へ
「第二十一回 さらば、鵜沼の卯之吉」へ
「第二十二回 亥之吉の魂、真っ二つ」へ
「第二十三回 政吉、足をあらう」へ
「第二十四回 亥之吉、政吉江戸へ」へ
「第二十五回 政吉、涙の再会」へ
「第二十六回 政吉、頑張りや」へ
「第二十七回 亥之吉、迎え旅(最終回)」へ」へ

次シリーズ「幽霊新三、はぐれ旅」 第一回 浄土を追われて」へ

猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第十九回 亥之吉は男色家?

2013-10-24 | 長編小説
 若い男の足は早いもので、もう草津の宿場に達していた。 政吉の亥之吉を見る目は、盗賊に襲われてからすっかり変わっていた。
   「兄貴は強いなぁ、わいも兄貴みたいに強くなりたい」
   「政吉は、強くならんでもいいと思う、なにせ商家の長男やさかい」
   「そんなん、わかりまへん、もう弟が生まれて、わいは帰っても余計者かも知れまへん」
   「そやかて、政吉は長男やで」
   「わいは、お父っつぁん、お母さんに逢ったら、京極一家へ戻るつもりどす」
   「そうか、まあ逢ってみんと分からへんやろが…」

 今夜は草津で宿をとることにした。
   「どうぞお泊りやしておくれやす、お兄さんがた、どうぞお泊りを…」
 夕暮れ時ともなると、客引きの黄色い声があちこちから聞こえて来る。
   「お姉さん、綺麗やからここで泊るわ」
   「まあ、お口の上手な旅人さん、お兄さん方も男前ですよ」
 「綺麗な姉さん」は、自分でも認めているらしい。 草鞋を解き、足を洗って貰い二人は部屋に通された。
   「ここからは草津の温泉まで遠いので、内湯の準備ができております」
 亥之吉と、政吉は二人で風呂へ行った。
   「兄貴、これが五右衛門風呂というヤツですか ここの風呂、蓋が湯に浮いていまっせ」    「ほんまや、それは横へ退(の)かしとけ」
   「へえ、兄貴から先にどうぞ」
   「そうか、ほな先に入るで」
 亥之吉は、湯船に飛び込んで驚いた。 風呂釜の底が熱いのである。
   「わあ、これじゃ足の裏を火傷するわい」
   「兄貴、ここに下駄があります、これ履いて入るのと違いまっか」
   「そうか」と、下駄を履いて風呂に入り、「ほんまや、快適や」と、亥之吉。
 そこへ女中が風呂を覗きにきた。
   「お客さん、湯加減はどうですか」
   「湯加減はええのですが、一人しか湯船に入れんのが不都合でおますなぁ」
   「済みません、五右衛門風呂ですから…」
   「一人が上がるまでまってなあかんし、下駄も一足しかない」
   「お客さん、下駄履いて風呂に入っているのですか」
   「そやかて底が熱いから仕方がないやろ」
   「風呂の底板はどうされました」
   「底板て、あの蓋か 横に退(の)けてある」
   「違いますがな、あの底板を踏んで入るのです、あれは蓋ではなく、底です」
 なんや知らんが、女中に笑われて、亥之吉恥をかいてしまった。 政吉が横で「クスクス」笑っている。
   「政吉、お前が下駄履いて入るのやと言ったんやで」
   「違いますかと言ったのどす」
 部屋に戻ると、食事の用意が出来ていた。 食事を摂っていると、女中がお給仕をしながらいった。
   「お床は、一つで宜しいですね」
   「えっ」
 亥之吉は意味が分からず訊き返した。
   「二人やのに、布団一つですか」
   「仲が宜しそうやありませんか」
 わいらは男色だと思われているらしいと、亥之吉は気が付いた。 「よし、それなら男色家で通してやろう」と悪戯心が湧いてきた。
   「へえ、仲は良いのですが、なにしろ激しく暴れまわりますので、布団は二つの方が都合いいです」
   「ひやー、暴れて声も出すのですか」
   「はい、それはもう、アーとか、ヒーとか」
   「他のお客さんの迷惑にならない程度に押さえてください」
   「へえ、なるべくそうします」
 政吉は、女中と亥之吉が、何の話をしているのかわからないので、無視してがつがつ食べることに専念した。
   「お客さん、昨夜はえらい静かでしたねぇ」
   「他のお客の迷惑にならんように、声を殺していました」
   「そうですか、それはすまんことでした、勘弁してくださいね」
 この時代は、男色家に対しておおらかであった。 江戸時代は男色家が多かったと勘違いしている人が居るが、男色を恥ずかしいこととして隠す習慣がなかったということで、男性の数に対する男色の割合は、太古の昔から変わっていないように思われる。 なお、オネエ系というのは男色ではない。

 海上を帆船で渡る七里の渡しを過ぎ、大井川も無事に自力で渡った。 二人は、何泊かした後、何事も無く箱根の宿まで辿り着いた。
   「兄貴、三島の宿で旅籠をとりたかったのではありまへんか」
   「なんで」
   「そやかて、京極一家の兄いたちが、よく噂しとりました」
   「なんの」
   「三島女郎衆の噂どす」
   「政吉も興味があるのか」
   「へい、そろそろ兄いたちの仲間入りしようかと…」
   「恐い病気をうつされるから、わいはやめときますっさ」
   「恐い病気」
   「そうやで、体中に梅の花が咲いたようになる不治の病や」
   「兄いたちは、そんなこと全然気にしていないようどした」
   「わいは上方で女房が待っている、病気なんか持って帰ったら、大事な女房にうつしてしまうがな」
   「兄貴は、奥さん思いやね」
   「そらそうや、祝言挙げてまだ一ヶ月も経ってえへん」
 政吉は、亥之吉が女房を上方に残してまで江戸へ行く理由を知りたいと思った。
   「人探しや、わいが奉公しているお店(たな)の若旦那さんを探すためや」
 若旦那が見つかったら、上方へつれて帰り、お店の跡を継ぐ気になったら、亥之吉は再び江戸に戻り、店を持つ積りだと話した。
   「若旦那さんは、家出をしたのどすか」
   「旦那さんに、勘当やと言われたのを真に受けてお店を飛び出して、やくざにならはったのや」
   「名前は何と」
   「浪花は福島屋の若旦那、圭太郎はんや」
   「京極一家には圭太郎と言う旅鴉さんは立ち寄っていまへん」
   「そやろなあ、本物の旅鴉と違うから、度胸がなくて一宿一飯の恩義は受けられまへん」
 金も、さほどは持ち出していないので、苦労しているだろうと思い遣り、どうぞ生きていてくれと祈る亥之吉であった。
 下りの箱根八里とは、箱根の宿から小田原の宿までの四里と、小田原の宿から大磯の宿までの四里の合計である。 万丈の山、千仞の谷、そして、「昼なお暗き」と唄われた東海道の難所の一つであった。
   「わいは恐がりやさかい、女房に箱根越えは一人では出来へんと言われていたのです」
   「へー、兄貴に恐い物なんか有るのどすか」
   「それが有るのや、化け物と饅頭が恐い」
   「へー、化け物はわいも怖いが、饅頭がなんで恐いのどす」
   「割ったら、餡子(あんこ)がニューッと出てくるやろ、あれが恐い」
 政吉は悪戯を思い付いた。 こっそり饅頭を買っておき、晩に亥之吉の枕元へ置いてやろうと。

 政吉は、饅頭を買って懐に隠し、次の旅籠まで持って行った。 夜寝る時、政吉は亥之吉の枕元へ饅頭を置き、自分はもう一風呂浴びてくると言い残し、手拭をもって部屋をでた。
 暫くして、兄貴は恐がっているかなと、クスクス笑いながらソーッと寝間に戻ってくると、布団の中で「ムシャムシャ」と、音がしている。
   「あーっ、兄貴嘘ついたな、饅頭代損した」
   「わいなァ、他にも怖いものがあるのや」
   「それは何や」
   「熱いお茶が一杯怖い」
   「あほらし」

 お絹に、箱根には化け物が出ると言われていたので、平静を装っているが内心はビビっている。  だが、いくら「昼なお暗い」と言っても、日は既に高く昇っている。 それに増して、行き交う旅人の多いこと。 「何が化け物じゃい」と、亥之吉はお絹に謝らせたい心持であった。
 きつい登り坂に差しかかったとき、「もしもし」 と、亥之吉の後ろから声をかけられた。
   「うわっ」 と、亥之吉は声を上げて飛び退いた。
やつれた姿の旅の女が申し訳なさそうに、「お願いがあります」 と、頭を下げた。
   「あぁびっくりした、何の用です」
   「済みませんが、この坂だけでもこの子の手を引いてやって頂けませんか」
   「お母はん、この子よりも、あんさんが疲れとりまっしゃないか」
   「なにしろ、病み上がりなので」
   「病み上がりで旅をしてなはるなんて、何か事情がありまんのやろ」
   「はい、やむに已(や)まれぬ訳がありまして…」
   「よっしゃ、わいがお母はんを背負っていきましょ、政吉、この子の手を引いてやってくれ」
   「へい、任せとくなはれ」
 政吉が三~四歳の女の子の手を取ると、この子も元気がなかった。
   「兄貴、この子もぐったりしています」
   「そうか、早よ山を越して、お医者を探さないとあかんな」
 若い男に背負われるのが恥ずかしいのか、少し躊躇(ためら)ったが母親は決心して亥之吉の好意に甘える気になったらしい。
   「政吉、その子を背負ってこの坂を登れるか」
   「大丈夫どす、体力はあります」
 政吉は、女の子を背負ってみて、思ったよりも軽いので驚いた。 暫くは何も食べていないのかも知れない。
 とにかく、親子に喋らせず、なんとか早く医者に駆け込もうと黙々と歩いて、小田原の宿に到着した。 医者も見つかった。 子供は、何も食べずに野宿までした為に、抵抗力が落ち、風邪をひきかけていたらしい。 母親も、疲労困憊していただけだった。
 医者で薬を貰い、粥など食べさせて貰うと、母子は少し回復したようであった。 医者に金を払い、母子共々小田原の宿で旅籠をとった。 金のことは心配しないで、今夜は風呂に入ってゆっくり休みなさいと言葉をかけて、後のことは女中に任せた。
   「わいとこの人は夫婦やおまへんで、部屋は別にしておくなはれ」
   「あんさんと、お若い方は一緒のお布団でよろしいですか」
 またかいなと、今度は亥之吉もうんざりした。
   「あの暑苦しいヤツと一つ布団で寝られると思いまっか」
   「あ、これはどうも済みません」
 翌朝、親子が目を覚ますのを待って、一緒に朝食を済ませた。 ぐっすり眠れたのか、母子は思いの外元気であった。 旅籠に頼んで四人分の弁当を作ってもらい、四人連れの旅が始まった。
   「ほんなら、やむに已(や)まれぬ訳とやらを聞かせてもらいましょか」
   「聞いて頂けますか」
 歩きながら、話を聞いてやることにした。 事情によっては、亥之吉一肌脱ぐことになるかも知れない。 女の子は、早くも政吉に懐いていた。

  第十九回 亥之吉は男色家(終) -続く- (原稿用紙14枚)

「池田の亥之吉」リンク

「第一回 お化けが恐い」へ
「第二回 天秤棒の旅鴉」へ
「第三回 七度狐」へ
「第四回 身投げ女」へ
「第五回 鈴鹿峠の掏摸爺」へ
「第六回 縁結びの神さん」へ
「第七回 お化け屋敷で一稼ぎ」へ
「第八回 手水廻し」へ
「第九回 亀山の殿さん」へ
「第十回 下り東街道、膝栗毛」へ
「第十一回 亥之吉、卯之吉賭場荒らし」へ
「第十二回 首なし地蔵」へ
「第十三回 化け物退治」へ
「第十四回 ふりだしに戻る」へ
「第十五回 亥之吉刺される」へ
「第十六回 住吉さん、おおきに」へ
「第十七回 亥之吉とお絹の祝言」へ
「第十八回 豚松、父母恋し」へ
「第十九回 亥之吉は男色家?」へ
「第二十回 消えた望みの綱」へ
「第二十一回 さらば、鵜沼の卯之吉」へ
「第二十二回 亥之吉の魂、真っ二つ」へ
「第二十三回 政吉、足をあらう」へ
「第二十四回 亥之吉、政吉江戸へ」へ
「第二十五回 政吉、涙の再会」へ
「第二十六回 政吉、頑張りや」へ
「第二十七回 亥之吉、迎え旅(最終回)」へ」へ

次シリーズ「幽霊新三、はぐれ旅」 第一回 浄土を追われて」へ

猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第十八回 豚松、父母恋し

2013-10-22 | 長編小説
 何を置いても、京極一家に挨拶をしなければならない。 今の福島屋がやくざの食い物にされずにいられるのは、京極一家の親分の睨みがあるからである。
   「軒下三尺三寸借り受けまして、仁義を切らせて頂きやす、お控けぇなすって」
   「では、お言葉に甘えて控えさせて頂きやす」
   「さっそくのお控え、有難うござんす」
   「ん なんや、亥之吉さんやないか、あんさんここは二度目だっせ」
   「そうでしたか、ほんなら止めさせてもらいまっさ」
   「親分はい居てはりまっか」
   「へい、今呼んで参ります」
 まだ秋だというのに、褞袍(どてら)を羽織って親分が顔を出した。
   「親分、亥之吉でおます、福島屋の主人善兵衛共々その節は大変ご厄介になりました」
   「まだあのときの天秤棒を持っとるのかいな、改まって何や」
   「へい、今日は福島屋善兵衛が挨拶に来んとあかんところですが、主人は旅慣れておりまへんので、わいが代わって挨拶に伺いました」
   「そうか、そうか、挨拶なんかかまへんのに、ご丁寧にご苦労さんやったな」
   「これは主人から預かってまいりました、些少では御座いますが、お礼の気持ちでございます」
   「これが商人の気持ちの表現でっしゃろ、有難く頂戴しておきましょう」
 親分は手を打って、子分を呼んだ。
   「おい豚松、これを神棚に供えてか」
 豚松と呼ばれた若い男、背は高くてぽっちゃり型で童顔。 どう見ても亥之吉よりも年下である。
   「へい、親分」
 そうしているところへ、近くの酒屋からやや小さめの酒樽が届いた。
   「これは、わいからですが、みなさんで…」
   「亥之吉さんにまで気を使ってもらい、すまんことやった」
   「わいは、この足で江戸へ向います」
 今夜は泊っていけと言うのを、まだ日が高いからもっと先へ行きますと断って、亥之吉は京極一家を後にした。
 三条大橋を渡りきった時、後から亥之吉の名を呼びながら、追ってくる男が居た。 遠目でも分かる旅姿の豚松であった。
   「どうかしたのですか」
   「わいも、江戸まで連れて行っておくなはれ」
   「江戸へ 親分は知っているのですか」
   「へえ、親分が連れて行ってもらえと言いはりました」
 豚松は、何度も頭を下げて、「すんまへん、頼みます」 を繰り返した。
   「かまへんけど、何しに江戸へ行きなさるのや」
   「へえ、親を探しに行きたいのどす」
 今でこそ京言葉の「どす」は、ほぼ花街でしか使われなくなったが、亥之吉の生きた時代では、女だけではなく、男の中にも「どす」を使う人が多かった。
   「豚松さんは、京の生まれですか」
   「いえ、江戸のどこかどす」
   「本当の名は」
   「わかりません、京極一家で、いつの頃からか豚松と呼ばれていました」
   「歳は?」
   「十四どす」
 十四歳と言えば、梅庵先生が独りで長崎へ行ったのが十四だったと聞いた。
   「親に捨てられたのですか」
   「いいえ、拐(さら)われたのどす」
   「それはまたどうして」
   「二歳の時に拐われて、子供の無い夫婦に売られたそうで」
   「それがどうして京極一家の親分のところへ」
   「買った夫婦に子供が出来て、親分にわいの処分を頼みに来たと親分が言っていました」
   「なんて、酷い夫婦なんや」
   「親分が処分とはなんやと怒って、夫婦を殴り倒したらしいのです」
   「わいが親分の立場でも、腕の骨を折ってやりましたやろ」
   「そんな訳で、わいは四歳から十四歳まで、京極一家で育てられました」
 江戸へ行けば、もしかしたら奉行所の御調帳に、十二年前のことも残っているかも知れない。 もしその頃に神隠しに合った二歳の男の子が居れば、そこから探してみる積りだと豚松は言った。
   「では、掠われた時に身に付けていたものは何もないのですか」
   「首に掛けていた豊岩(とよいわ)稲荷神社のお守りを持っていました」
 これを外して寝かそうとしたら、幼い豚松は大声で泣いて寝なかったそうで、京極一家に引き取られてからも、泣いたそうである。
 それが、これどすと、豚松が首から外して亥之吉に見せた。
   「このお守りを、開いたことは無いのですか」
   「へい、お守りは開けたらいかんと聞いておりましたので、決して開けまへんどした」
   「今、開けて見なさい、名前くらいは書いてあると思いまっせ」
 豚松は、恐る恐るお守りの中を開けてみたら、お守りのお札と共に、小さな紙切れが入っていた。 豚松はそれを見て「あっ」と、驚いた。
   「菊菱屋政衛門 長男 政吉 二歳 と、書いてあります」
 自分の名は政吉で、菊菱屋の長男であると分かった。 しかも豊岩稲荷神社の近くである。 これだけの情報があれば、奉行所に問い合わせる必要もない筈である。 豚松、いや政吉は歓喜したと同時に、何故もっと早くお守りを開けなかったかと後悔した。
 京の三条大橋を渡って、大津の宿へ行かないまでに、政吉が腹痛を訴える女に捉まった。 亥之吉は何度か経験しているので、「また巾着切りか」と、うんざりしたが、政吉は真剣である。
   「兄貴、薬か何か持っていませんか」
   「うん、良く効く薬を持っているわ」
 砂糖を石臼で挽いた微粉を、頭がぼんやりした朝の回復剤として飲むのに亥之吉は持っていた。
   「今、よく効く薬をあげまっせ」と、政吉は自分が持っていた竹筒の水と共に差しだした。 女は「ごくん」と飲みほし、暫くして「お蔭様で、楽になりました」と、礼を言った。
 女が立ちあがった時、亥之吉の胸によろよろっと凭れかかった。
   「姉さん、大丈夫ですか」
   「はい、ちょっと、眩暈がしたもので、もう大丈夫です」
   「では、わいの財布と、政吉の財布を返してもらいましょう」
   「えっ、何のことですか」
   「あはは、惚けても無駄ですよ」と、政吉が紐を引くと、女の懐から亥之吉の財布が「ぽろり」と出て来た。 亥之吉の財布には紐が付けてあったのだ。
   「大切な路銀です、政吉も返してもらいなはれ」
 女は、渋々政吉の財布を懐から取り出して、政吉に返した。
   「わいは、こんなん慣れていますのや、ほな政吉、先へ行こうか」
 女は、「覚えておけ」と、捨て台詞を残して、亥之吉たちとは逆の方向へ走り去った。
   「なっ、街道では油断も隙もないやろ、政吉も気いつけや」
 歩きながらも、「これは仲間を連れて仕返しに来るな」と、亥之吉は周りに注意をした。 案の定、さっきの女が、四人の男を連れて追いかけてきた。
   「政吉、道の端に下がっとき」
 政吉は旅鴉の格好はしているが、ドスは持っていない。 素直に道の端に下がった。
   「こら、よくも姐さんに恥をかかしてくれたな」
   「アホ言え、わいは掏られた財布を取り返しただけや、恥をかくようなことをしたのは姐さんやろ」
   「うるせえ、こいつらを畳んでしまえ」
   「ボケ、わいらは蛇の目傘か、目を開けてよく見てみい、男前が二人や」
 四人の男は、懐(ふところ)から匕首(あいくち)を取り出して、亥之吉に斬りかかってきた。 最初に突きかかってきた男の匕首を天秤棒で「カーン」と、跳ね飛ばした。 男は手が痺れたのか、盛んに掌を振っている。 次に、三人同時に切っ先を向けて迫って来たのを、腰を屈めて天秤棒を地上から水平に一回転させた。 男たちは踝のあたりを嫌と言う程浚(さら)われて、尻餅を着いた。
   「お前ら、縛り上げて番所に突きだしたろか」
 女がとても敵わぬと思ったのか、亥之吉の前に来て、「お見逸れしました」と、頭を下げた。
   「わかったら、こいつらの手当てをしてやりなはれ」
 いずれも、骨は折れていないと、亥之吉は付け足した。 政吉は、目を丸くしてその一部始終を見つめていた。

第十八回 豚松、父母恋し(終)  -続く-  (原稿用紙10枚)

「池田の亥之吉」リンク

「第一回 お化けが恐い」へ
「第二回 天秤棒の旅鴉」へ
「第三回 七度狐」へ
「第四回 身投げ女」へ
「第五回 鈴鹿峠の掏摸爺」へ
「第六回 縁結びの神さん」へ
「第七回 お化け屋敷で一稼ぎ」へ
「第八回 手水廻し」へ
「第九回 亀山の殿さん」へ
「第十回 下り東街道、膝栗毛」へ
「第十一回 亥之吉、卯之吉賭場荒らし」へ
「第十二回 首なし地蔵」へ
「第十三回 化け物退治」へ
「第十四回 ふりだしに戻る」へ
「第十五回 亥之吉刺される」へ
「第十六回 住吉さん、おおきに」へ
「第十七回 亥之吉とお絹の祝言」へ
「第十八回 豚松、父母恋し」へ
「第十九回 亥之吉は男色家?」へ
「第二十回 消えた望みの綱」へ
「第二十一回 さらば、鵜沼の卯之吉」へ
「第二十二回 亥之吉の魂、真っ二つ」へ
「第二十三回 政吉、足をあらう」へ
「第二十四回 亥之吉、政吉江戸へ」へ
「第二十五回 政吉、涙の再会」へ
「第二十六回 政吉、頑張りや」へ
「第二十七回 亥之吉、迎え旅(最終回)」へ」へ

次シリーズ「幽霊新三、はぐれ旅」 第一回 浄土を追われて」へ

猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第十七回 亥之吉とお絹の祝言

2013-10-21 | 長編小説
 午前中は、亥之吉の元へ福島屋のお絹が来て、まるで女房のように亥之吉の世話をしていた。 帰りには亥之吉の洗濯物を持って帰って行った。 お絹が帰った後、窓辺に黄色の小菊が花器に挿されて香っていた。

   「亥之吉さん、すっかり元気になられたようですね」
 梅庵先生が脈をとったあとで言った。
   「はい、お蔭さんでこの通りです」 ベッドの上で飛び起きてみせた。
   「まだ、無茶はしないでくださいよ、数馬と剣道の試合をするなど…」
   「あっ、先生に見られてしまいましたか」
   「相手が数馬だから良いものの、本当の試合だったら縫っているところが綻びてしまいます」
   「はい」
   「まあ、私の裁縫の腕は確かですから、だいじょうぶですが」
   「わいは、安物の着物ですかいな」
 序に、亥之吉はこのベッドの感想を先生に言っておこうと思った。
   「このベッドたら言うものですけど、まだ動けない時はよかったが、動けるようになりますと、転げ落ちそうで恐いです」
   「そうですか、やはり柵が有った方が良いかも知れませんね」
西洋のベッドを真似たもので、先生が立ったまま診察できるように、畳一枚を木の台で持ち上げただけのものである。 患者が眠っているうちに転げ落ちそうになる。 そうなれば傷口が開くかも知れない。
   「稲妻縫いをして、傷口を補強しておきましょうか」
   「うわ、痛そう、そんなんいりまへん、それよか柵を付けておくなはれ」

 亥之吉の一言で、病院中のベッドに柵が取り付けられることになった。 名前だけでなく、西洋の病院ベッドに一歩近付いたわけである。

   「亥之吉さん、何かご用はありませんか」
 数馬が来て、声を掛けてくれた。
   「数馬さん、わいは十八歳ですが、数馬さんもそれ位ですか」
   「同い年ですね」
   「やっぱり、そうだと思っていました」
   「何だか、親近感持てますね」
   「そうです、数馬さんが友達みたいに思えます」
   「友達ですよ、私が出会って言葉を交わした人は、全部友達だと思っています」
 これは、能見篤之進の実の次男、生前の能見数馬からの受け継ぎで、能見数馬は、お大名から、お奉行も、友達だと言っていたそうである。
   「数馬さん、お生まれは」
   「江戸の、長屋の子倅です」
   「梅庵先生は、三太は馬術にも長けているのだよと言ってはりました」
   「馬は、四歳の頃から佐貫の父上の体に結び付けられて乗っていました」
   「ひよこを懐に入れてですか」
   「おや、梅庵先生はそんなことまで話したのですか」
   「はい、ひよこの名は、サスケだとか」
   「わあ、恥ずかしい、けど懐かしい」
 近々、梅庵先生は江戸の恩師の元へ行かれるそうであるが、その前に草津追分から中山道に入り、和田宿から上田藩の先生の実家佐貫家へ立ち寄って江戸へ抜けるのだそうである。 信濃の国は数馬(三太)の第二の故郷である。 数馬(三太)は、久しぶりに会いたい人たちが居る。 数馬が佐貫家を出る切掛けとなった、まだ見ぬ梅庵先生の腹違いの弟にも会ってみたい。

   「亥之吉さん、次は江戸で逢いましょう」
 梅庵先生は約半年間、江戸の恩師(伊東松庵)の元に滞在するそうである。  そこには梅庵の実父の親友中岡慎衛門と、お樹の夫婦が居る。 数馬(三太)もまたこの夫婦には世話になっていたことがある。 数馬は、信濃の国の人達も、江戸の人達にも早く逢いたいと目を輝かせていた。
   「わかりました、是非数馬さんと旅がしたかったのですが、諦めます」
 亥之吉は、信濃の国まで付いて行っては迷惑だろうと考えたのである。
   「迷惑ではありませんが、中山道にまわると亥之吉さんにとって、かなりの無駄足になります」
   「怪我をじっくり治して、また東街道を行きます、必ず伊東松庵診療所に逢いに行きますから、待っていてください」

 それから十日後に、梅庵と数馬は、患者一人一人に別れの挨拶をして、旅に発った。 亥之吉も、翌日に退院が決まっており、その日はお絹が付きっ切りで不要になった荷物をまとめたり、病室の掃除をしたり甲斐甲斐しく働いていた。

 亥之吉が退院したその日、福島屋善兵衛が亥之吉を呼び付けた。
   「亥之吉、また旅に発つのやろ」
   「へえ、申し訳ありまへん」
   「申し訳がないことなど、おますかいな」
 善兵衛は、お絹から亥之吉の旅の訳を聞いているらしい。
   「わしからも、この通りでおます」
 善兵衛は深く頭を下げた。
   「亥之吉、江戸へ発つ前に、一つお願いがおますのや」
   「はい、謹んで承りますでおます」
   「別に、謹まんでもよろしいのやが、お絹と祝言挙げてから発ってほしいのや」
 善兵衛は、亥之吉のことを既にお絹の許嫁だと思っている。 お絹も、すっかり女房気取りである。 できればお絹と夫婦になって、二人で江戸へ行って欲しいのだが、お絹は苦労知らずの箱入り娘、足手まといになるのは目に見えている。 そこで、亥之吉に女房持ちとして旅に出て欲しいのだ。
 女房が上方で帰りを待っていると思えば、そんなに無理はしないだろうし、女の誘惑にもある程度は負けないだろうと、善兵衛は踏んでいるのである。
   「よろしくお願いします」
 亥之吉は言った。

 亥之吉には、強い思いがある。 お絹の兄圭太郎を、何が何でも見つけだして、店の主人にしっくり収まるまで、自分は若旦那の手足になって頑張るつもりである。 それが叶えば、お絹と手に手を取り合って福島屋のお店(たな)を出て、自分たちの小さな店持ちたいと思っている。
 若旦那は、亥之吉が店を乗っ取ろうとしていると思うに違いない。 若旦那を見つけたら見つけたで、亥之吉の苦労は目に見えている。

   「亥之吉さん、うちらの祝言の日取りが決まったそうや」
   「わいみたいなどん百姓の倅が、こいさんの婿になってもええのか」
   「ええから、祝言の準備をしてくれているのやないの、お父っつぁん、嬉しそうやで」
   「そうか、わいら夫婦になったら、一生懸命親孝行しような」
   「へえ、おおきに」

 善は急げとばかりに、亥之吉が善兵衛に呼び付けられた五日後には、祝言が行われた。 池田からは、亥之吉の両親と兄二人が来てくれ、やたら恐縮していた。 我が不肖の倅が、お店の御嬢さんと夫婦になるやなんて、信じられないのであろう。

 祝言の夜、お絹と亥之吉は、夫婦の挨拶を交わした後、お絹は言った。
   「あんたに見せたいものがおます」
   「なんやねん」
 お絹は、座敷の隅に置いてあった長い包みを亥之吉の前に置いた。
   「これを見とくなはれ」
   「何や これ」
   「広げてみておくなはれ」
 包みを開けると、天秤棒であった。 しかも漆黒の塗りに金粉がかかり、螺鈿細工がしてあった。
   「冗談やとばかり思っていたのに、ほんまに誂えたんかいな」
   「そうです、塗の職人さんと、螺鈿細工の職人さんに嘲笑(わら)われたのやで」
   「当たり前や、こんな肥桶担ぎの天秤棒に、漆塗やなんて」
   「これは、うちの為に誂えたんや」
   「お絹、お前がこれを振り廻すのか」
   「いいえ、これを亥之吉さんや思うて、床の間に飾りますのや」
   「そうか、わいは天秤棒に違いないけど、これは立派過ぎるやろ」
   いいえ、これに陰膳を供えて待っています、どうぞ無事に帰って来ておくれやす」

 それから十日ばかりの夫婦生活を送り、亥之吉は旅発つた。 守口の爺さんに貰った天秤棒を持って…。

  第十七回 亥之吉とお絹の祝言(終) -続く-  (原稿用紙11枚)

「池田の亥之吉」リンク

「第一回 お化けが恐い」へ
「第二回 天秤棒の旅鴉」へ
「第三回 七度狐」へ
「第四回 身投げ女」へ
「第五回 鈴鹿峠の掏摸爺」へ
「第六回 縁結びの神さん」へ
「第七回 お化け屋敷で一稼ぎ」へ
「第八回 手水廻し」へ
「第九回 亀山の殿さん」へ
「第十回 下り東街道、膝栗毛」へ
「第十一回 亥之吉、卯之吉賭場荒らし」へ
「第十二回 首なし地蔵」へ
「第十三回 化け物退治」へ
「第十四回 ふりだしに戻る」へ
「第十五回 亥之吉刺される」へ
「第十六回 住吉さん、おおきに」へ
「第十七回 亥之吉とお絹の祝言」へ
「第十八回 豚松、父母恋し」へ
「第十九回 亥之吉は男色家?」へ
「第二十回 消えた望みの綱」へ
「第二十一回 さらば、鵜沼の卯之吉」へ
「第二十二回 亥之吉の魂、真っ二つ」へ
「第二十三回 政吉、足をあらう」へ
「第二十四回 亥之吉、政吉江戸へ」へ
「第二十五回 政吉、涙の再会」へ
「第二十六回 政吉、頑張りや」へ
「第二十七回 亥之吉、迎え旅(最終回)」へ」へ

次シリーズ「幽霊新三、はぐれ旅」 第一回 浄土を追われて」へ

お賽銭は投げてはいけない?

2013-10-19 | 日記

 池田の亥之吉を書いていて、上方は道修町で雑貨商を営む福島屋善兵衛の末娘が、住吉大社へ願が叶ったお礼のお参りをするシーンがあったのだが、ネットには、お賽銭を投げてはいけない、置くものだと主張する人がたくさんいることを知った。 その人たちは賽銭を投げるという行為を、投げ与えると解釈しいるようだ。 
 大きな神社の初詣を思い出してみよう。 普段の賽銭箱を取っ払らわれ、神社の祭壇の前に広いスペースを開けて、その全てで賽銭受けている。 ここへ賽銭が「置ける」だろうか。
 神社も、賽銭を広範囲に投げ入れて貰うように配慮しているように思える。 賽銭は、神様に与えているものではない。 願をかけて、その思いが叶ったときに、感謝の気持ちを表して神社へ喜捨しているのだと思う。 
 参詣が終ると、銀行員が来て賽銭を数えるのだが、それは至って事務的で、神様のものに触れる恭しさなどはなく、集まった賽銭を、神々降臨して持ち帰られる訳でもない。 これは神社の収入となるもので、そのすべてが非課税でもない。 神社に仕える神職の方々の給料となれば、その方々に所得税が課せられるからだ。 謂わば、集まった賽銭の中に、税金にまわされる部分もあるということだ。
 要は、賽銭をあげる心の問題である。 投げようと、放り込もうと、お参りしている者の感謝の気持ちが、神々への何よりの御供え物である。 

 池田の亥之吉は、前作「佐貫三太郎」のサブヒーローである捨て子の「三太」と知り合って意気投合する。 三太は彼を拾ってくれた恩人であり、一時は義兄であり、今は師である緒方梅庵こと佐貫三太郎の助手であり、用心棒でもある。 池田の亥之吉は、三太と共に旅をしたいと願うが、梅庵が江戸へもどる時期と、亥之吉の傷が癒える時期がうまく合えばよいのだが…


猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第十六回 住吉さん、おおきに

2013-10-18 | 長編小説
 お絹は、住吉大社にお礼参りにきた。 亥之吉が早く帰りますように、と願をかけたのが叶った。 また、亥之吉の命が助かるようにと願をかけたのも叶った。
   「住吉さん、お父っつぁんと、亥之吉の命を護ってくれはりまして、おおきにありがとさんでおました」
 お絹は、感謝のお賽銭をあげ、柏手(かしわで)を打った。 お賽銭は、願いが叶ったお礼の気持ちであげるものであり、決してご利益を求めてあげるものではないことをお絹は知っているのだ。
   「亥之吉のアホ、うちが気付いていないとでも思っていますのか」
 亥之吉は、自分の命を捨てて、お店と、お父っつぁんの命と、自分を護ろうとしたのだと言うことをお絹は知っていた。 たまたま近くに蘭方医が居たから亥之吉の命は助かったが、そうでなかったら、すぐには立ち直れない程の哀しみに、お絹は明け暮れていたであろう。

 うちも、亥之吉と一緒に江戸へ兄の圭太郎を探しに行きたい。 どうぞ、兄の圭太郎が無事でいますように。 どうぞ兄がお店に戻りますように。 どうぞ亥之吉と一緒になれますように。 そして、また住吉さんに御礼に参れますように。 お絹は盛りだくさんの祈願をして、急ぎ足で亥之吉の元へ戻ってきた。

 亥之吉の部屋に、父の善兵衛が来ていた。
   「お絹、ご苦労さんやなあ、疲れたやろ、今日は家に帰ってゆっくりと休みなはれ」
   「亥之吉さんの看病は誰がやりますの」
   「それは、さっき梅庵先生の助手の能見数馬さんに伺ったら、能見さんが看てくれはるそうです」
 噂をすれば影、そこへ能見数馬が亥之吉の病室に入ってきた。
   「亥之吉さん、傷はまだ痛みますか」
   「だいぶん楽になりましたが、まだ動くと痛みます」
   「そうでしょうね、随分たくさんお腹の中を縫いましたから、もう暫くは動かせないでしょう」
   「厠へは自分で歩いていけますか」
   「その時は、私を呼んでください、お手伝いします」
   「厠へいけるのですか」
   「はい、私が付いていれば大丈夫です」
   「ところで、梅庵先生が能見さんのことを三太と呼んでおられましたが…」
   「私が能見家の養子になる前の名前です、その頃は梅庵先生とは義兄弟でした」
 数馬は、はっと気付いたように善兵衛と、お絹に言った。
   「どうぞ私に任せて、お二人はお帰りになってください、しっかり看病いたしますから」
 善兵衛とお絹は、数馬に礼をいって帰っていった。
   「お父さんと、妹さんには帰って頂きましたよ、用があれば私を呼んでください」
   「あのー、あの二人は、父と妹ではないのです」
   「あれっ、そうでしたか、梅庵先生がお父様と呼んでいましたから、てっきり…」
   「私が奉公しているお店の主人と、お嬢さんですのや」
   「お優しいご主人ですね、ちっとも偉ぶるところが有りませんでした」
 そこへ、緒方梅庵先生が回診に来た。
   「三太、善兵衛さんから預かったものが医局の私の机の上にあるから、亥之吉さんに持ってきてあげなさい」
   「はいっ」
 数馬が、棒を持って入ってきて亥之吉に尋ねた。
   「亥之吉さん、これ何ですか」
   「肥桶を担ぐ天秤棒です」
   「えっ!」
   「わいの護身用の武器です」 と亥之吉は笑って、「痛っ!」と顔をしかめた。
 梅庵先生が、天秤棒を繁々と眺めて、「これがねえ」と、呟いた。 善兵衛が、これを梅庵に預けるときに、
   「これを亥之吉の部屋に置いといてやったら、一段と怪我の治りが早くなりますやろ」と言っていたそうである。 梅庵は、心の持ち方による偽薬効果を研究している。 高名な医者が患者に「これは頗るよく効く高価な薬である」と、勿体ぶって粉糖を処方してやると、実際に難病が治ってしまうことがあるのだ。 心が自己の自然治癒力を高める所為であると梅庵は分析した。 何故かは分からないが、亥之吉にはこの汚い天秤棒が病室内にあることで心が癒され、治癒力が高まるのであろう。
 亥之吉は、数馬が病室に来る度に、天秤棒を触らせてくれと頼んだ。 なるほど、亥之吉の傷は瞬く間に治癒していった。 あれから二日後には、自分で歩いて厠へ行けるようになったうえ、病室の外へ出て、天秤棒を振り回すことも出来るようになった。

 ある日、数馬が言った。
   「亥之吉さん、私と試合をしてみましょうか」
 数馬は木刀、亥之吉は天秤棒での仮想試合である。
   「やりましょう」 亥之吉は嬉しそうである。
 だが、数馬の構えを見て亥之吉は驚いた。 ただの医者とは思えない剣の達人である。 勢いで我武者羅に攻めても敵わない。 とはいえ、どこにも攻め込む隙がない。 亥之吉が例え怪我をしていなくても、この人には手も足も出ないであろう。
   「参りました」
 亥之吉が降参した。
   「亥之吉さん、降参するのは早すぎませんか」
   「いえ、どこからも攻め込む隙がありまへん」
   「そうですか、それが分かれば亥之吉さん、あなたの勝ですよ」
   「どういうことでっしゃろ」
   「私は、何も分からずに攻め込んでくる敵には勝つ自信があります、私に隙がないことを知って攻めてこない人には私は勝てません、私の剣は攻める剣ではないからです」
 この人は若いけれど凄い人だと亥之吉は思った。 自分の腕に溺れかけていた自分が見えたような気がした。 この人に付いて江戸まで行きたいという願望が、亥之吉の胸に湧き起ってきた。  この人に付いてもっと色んなことを学びたいのである。
   「では、どこからでも力一杯攻めてみてください」 数馬が静かにいった。
 亥之吉は、手心を加えずに数馬が木刀を持つ右手を攻めた。 数馬は亥之吉の動きを察知し、さっと木刀を左手に持ち替え、右手はだらりと下に垂らした。 木刀を取った左手で、勢いよく亥之吉の肩を打ち据えたかのように見えたが、肩から掌ほどの隙間をあけてピタリと止まっていた。
   「凄い!」
 亥之吉は唸ってしまった。
   「数馬さんの剣は、何流ですやろ」
   「私は、甲賀忍者の流れを汲む、梅庵先生の実の父上で、私の義父であった佐貫慶次郎様から習いました」
   「梅庵先生も、剣の達人でっしゃろなぁ」
   「いいえ、先生は武士を嫌って医者になったくらいですから、大きな声では言えませんが、からっきしダメです」
 亥之吉も、能見数馬も、あっけらかんとしたところが似ていた。 話せば話すほど、親しみを覚える亥之吉であった。
 病室に戻ると、梅庵先生が待っていた。
   「君たち、私の噂をしていませんでしたか」
   「いいえ、剣道の話をしていました」 と、数馬。
   「やっぱりそうだ、私が武道はダメなことを話していましたね」
 武道はダメであるが、勘は鋭い梅庵先生であった。

  第十六回 住吉さん、おおきに(終)  -続く-  (原稿用紙9枚)

「池田の亥之吉」リンク

「第一回 お化けが恐い」へ
「第二回 天秤棒の旅鴉」へ
「第三回 七度狐」へ
「第四回 身投げ女」へ
「第五回 鈴鹿峠の掏摸爺」へ
「第六回 縁結びの神さん」へ
「第七回 お化け屋敷で一稼ぎ」へ
「第八回 手水廻し」へ
「第九回 亀山の殿さん」へ
「第十回 下り東街道、膝栗毛」へ
「第十一回 亥之吉、卯之吉賭場荒らし」へ
「第十二回 首なし地蔵」へ
「第十三回 化け物退治」へ
「第十四回 ふりだしに戻る」へ
「第十五回 亥之吉刺される」へ
「第十六回 住吉さん、おおきに」へ
「第十七回 亥之吉とお絹の祝言」へ
「第十八回 豚松、父母恋し」へ
「第十九回 亥之吉は男色家?」へ
「第二十回 消えた望みの綱」へ
「第二十一回 さらば、鵜沼の卯之吉」へ
「第二十二回 亥之吉の魂、真っ二つ」へ
「第二十三回 政吉、足をあらう」へ
「第二十四回 亥之吉、政吉江戸へ」へ
「第二十五回 政吉、涙の再会」へ
「第二十六回 政吉、頑張りや」へ
「第二十七回 亥之吉、迎え旅(最終回)」へ」へ

次シリーズ「幽霊新三、はぐれ旅」 第一回 浄土を追われて」へ

猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第十五回 亥之吉刺される

2013-10-17 | 長編小説
 浪花は、道修町の雑貨商福島屋の三女お絹が祝言騒ぎの夜、座敷で寛(くつろ)ぐ亥之吉に寄り添ってきた。
   「さっきから、お茶ばかり飲んでいやはるけど、お酒を付けましょうか」
   「いや、お酒は結構でおます」
   「さよか、ほんなら浪花名物の岩おこしでもどうや」
 岩おこしをお湯でふやかして食べる、守口の爺さんのことを思い出して、「ぷっ」と吹いた。
   「何やねん、思い出し笑いなんかして」
   「わいに天秤棒をくれた爺さんに、お礼に岩おこし持って行ってやったら、お湯でふやかして匙で食べるのやて」
   「そら、歯が悪いのやろ、仕方がないやないの」
   「それが、岩おこしが大好物やねんて」
   「亥之吉笑うけど、案外美味しいかも知れんよ」
 二人して、散々笑ったが、一瞬の沈黙があって、お絹が口火を切った。
   「亥之吉、うち知っとるのよ」
   「何をです」
   「亥之吉が江戸へ行く理由を…」
   「江戸でお店を持ちたいからです」
   「そうやないやろ、他に理由があるやないの」
 お絹はずばりと言い当てた。 一人息子であるお絹の兄圭太郎は、放蕩三昧の末、博打に手を出し借金を重ねて、父親に勘当されたのである。 その圭太郎が、やくざに身を窶(やつ)し江戸へ向ったまま消息を絶ったのであった。 父親の善兵衛はとっくに許し、跡継ぎである息子の帰りを待ち続けているのだが、探す術も無く心労が重なるばかりであった。 圭太郎に博打を勧めたのは番頭の為造である。 お絹と一緒になり、あわよくば福島屋の身代を乗っ取ろうと企んでいる様子だ。
   「お父はんは、お母はんの仏壇に毎朝掌を合わせいますけど、あれは亥之吉さんに手を合わせているのやと思います」
 亥之吉は、やくざの振(ふ)りをしているが、決して無宿者ではない。 今もなお、 福島屋の番頭であり、故郷の池田には親も兄弟も健在である。 やくざのふりをしているのは、圭太郎がやくざに身を窶した為で、同じやくざであれば、出会う確率も高かろうと思ってのことだろうと、お絹は思っている。
   「亥之吉、いえ、亥之吉さん、うちもこの通りです」 お絹は、亥之吉に手を合わせた。
 為造は、まだ諦めていないだろう。 もし今亥之吉に発たれてしまったら、手を替え、品を替え、福島屋善兵衛とお絹に嫌がらせをしてくるに違いない。 いや、危害を加えるかも知れない。

   「こいさん、わかっとります、為造に手を出させはしまへん、安心しとくなはれ」
   「そやけど、亥之吉さんが無宿者になるようなことだけは、せんといておくれ」
   「へえ、それよか、何だんねん、亥之吉さんやなんて、身形はやくざですが、心は福島屋の番頭です」
   「そうやなあ、そう言ってもらって、嬉しおます」
 その日から、二日間は何事もなかった。 三日目の夕暮れ、福島屋の旦那善兵衛が、お得意様のお旗本、松江清兵衛の屋敷に呼ばれた。 清兵衛の娘が他家に嫁ぐことになり、花嫁道具の調達を頼まれたのであった。
   「帰りが遅くなりそうやから、手代を一人連れていきますで、提灯を用意しとくなはれ」
   「へーい」 手代は、柄の大きい定吉が選ばれた。
   「ほな、行ってきますさかい、戸締りに気を付けや」
   「へーい」
   「定吉、何をぐずぐずしとるのや、早くおいなはれ(きなさい)」
 花嫁道具の目録を頂戴し、納期、体裁などを打ち合わせして、善兵衛はお屋敷を辞した。
   「定吉、もっとちゃんと足元を照らしてくれんと、歩かれへんやないか」
   「へい」
   「いつももっと上手に照らしてくれるやないか、今日はどないしたんのや」
   「いえ、何も」
   「定吉、風邪でもひいたのか、声がかすれて、ちゃんと出てないで」
 そのとき、闇に匕首が光った。
   「旦那さん、よくもわしを騙してくれはりましたな」
   「なんや為造やないか、あんさん今どこに身を寄せていますのや」
   「どこも糞もあるかいな、わしにお絹をくれると約束しておきながら、亥之吉が帰って来たら掌を返したように約束を破りやがって」
   「為造、その匕首で、わたいを殺す気か」
   「そうや、殺してやるわい、覚悟せい」
   「まってくれ、話し合いで形をつけようやないか」
   「やかましい、わしの恨みや、受けやがれ!」
 為造が善兵衛の腹に匕首を突き立てようとしたとき、手代が善兵衛を突き飛ばした。 匕首は、手代の横っ腹に深く刺さった。 手代は呻き声をあげて、その場に横倒しになった。 為造は、匕首を抜くことも忘れて、逃げて行ってしまった。
   「旦那さん、早く番屋へ届けておくなはれ」
 倒れたのは、手代ではなかった。 いつの間にか入れ替わっていた亥之吉であった。 善兵衛が番屋に駆けつけるまでもなく役人が、着物の袖に血のりを付けた為造を取り押さえ、亥之吉の元へ駆け付けてきた。
   「匕首は抜くな、そのまま医者へ運ぼう」 役人が叫んだ。
 そのころ、浪花に出来た蘭塾という診療医学校に、蘭方医学の偉い先生が講師として水戸から招かれて来ていた。 緒方梅庵という先生と、能見数馬という若い助手の二人である。
   「蘭塾の診療所へ運んでおくれやす、あの先生なら、きっと助けてくれますやろ」 善兵衛が人伝に聞いて覚えていたのである。
   「よく匕首を抜かずに運んでくれました」 梅庵先生は、「よく気が付きましたね」と、役人を褒めていた。
   「命は必ず助けますから、安心してください」 梅庵先生は、善兵衛を怪我人の父親だと思ったようで、優しく心を静めるように宥めていた。
 この緒方梅庵とは、長崎で蘭方医学を修め、水戸に緒方塾を建てた、信濃の国は上田藩士佐貫慶次郎の長男三太郎であった。 助手の能見数馬は、もと佐貫慶次郎の養子、捨て子の三太で、今は能見篤之進の養子である。 浪花では、誰ひとり知る者はいないだろうが…。
 為造は、主人を殺そうとした重罪はまぬかれたものの、亥之吉を刺した罪で、遠島送りとなった。 蘭塾の診療所のベッドに横たわる亥之吉の元で、看病を続けているお絹が言った。
   「亥之吉さん、わざと刺されたのですやろ」
   「そんな、わざと刺されるアホがいますかいな」
   「いいえ、わざとです、為造が格子の向こうから家の中を伺っているのを知り、お父っつぁんが旗本の御屋敷に呼ばれていることを大きな声で手代に伝えていましたやろ」
   「それは…」
   「もし、お父っつぁんが刺されとったら、どうする積りだしたん」
   「そんなことは、絶対にさせはしまへん」
   「ほれ、やっぱりわざとやないか」
   「こいさんには、かないまへんわ」
 あんまり早く傷が治らないように、住吉さんへ願をかけに行ってきますと、お絹は出かけていった。
   「そんな願は、おまへんやろ、治らないようになんて」

 早く治して、旅に発ちたい亥之吉であった。

  第十五回 亥之吉刺される(終) -次回に続く- (原稿用紙9枚)

「池田の亥之吉」リンク

「第一回 お化けが恐い」へ
「第二回 天秤棒の旅鴉」へ
「第三回 七度狐」へ
「第四回 身投げ女」へ
「第五回 鈴鹿峠の掏摸爺」へ
「第六回 縁結びの神さん」へ
「第七回 お化け屋敷で一稼ぎ」へ
「第八回 手水廻し」へ
「第九回 亀山の殿さん」へ
「第十回 下り東街道、膝栗毛」へ
「第十一回 亥之吉、卯之吉賭場荒らし」へ
「第十二回 首なし地蔵」へ
「第十三回 化け物退治」へ
「第十四回 ふりだしに戻る」へ
「第十五回 亥之吉刺される」へ
「第十六回 住吉さん、おおきに」へ
「第十七回 亥之吉とお絹の祝言」へ
「第十八回 豚松、父母恋し」へ
「第十九回 亥之吉は男色家?」へ
「第二十回 消えた望みの綱」へ
「第二十一回 さらば、鵜沼の卯之吉」へ
「第二十二回 亥之吉の魂、真っ二つ」へ
「第二十三回 政吉、足をあらう」へ
「第二十四回 亥之吉、政吉江戸へ」へ
「第二十五回 政吉、涙の再会」へ
「第二十六回 政吉、頑張りや」へ
「第二十七回 亥之吉、迎え旅(最終回)」へ」へ

次シリーズ「幽霊新三、はぐれ旅」 第一回 浄土を追われて」へ

猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第十四回 ふりだしに戻る

2013-10-16 | 長編小説
 前へ進んだり、後ろへ戻ったり、同じ宿場に留(とど)まったり、まるで双六のような亥之吉の旅である。ここ池鯉鮒(ちりゅう)の宿では、どうやら「一回休み」みたいなものだ。
   次の宿、岡崎までは四里近くもある。 化け物(山賊)退治ですっかり草臥(くたび)れた三人は、またも池鯉鮒で宿をとることにした。
   「親分、足止めしたようで申し訳ござんせん」 鹽(しお)らしく 卯之吉が詫びた。
   「ええがな、一稼ぎしたんやから」
   「それなら、この二両は亥之吉さんに…」
 お萩も、あの元気が失せている。
   「要らん、要らん、それよか焼き芋代十文ずつ返してか」
 セコいのやら、肝っ玉が大きいのやら分からない亥之吉ではある。
 急ぎ旅と言えば、お萩さんくらいで、亥之吉も卯之吉も謂わば宛の無い旅、それでも遅れを取り戻したいような気持になって、御油(ごゆ)の宿までは真面目に歩いた。 まだ早いが、お萩さんの体を労わって、御油で一泊することに決めた。
   「親分、退屈凌ぎにまたコレをやりませんかい」 さいころ博打の壺を振る真似をした。
   「お前、欲深いなあ、まだ懐温もっとるやろ」
   「へえ、だから退屈凌ぎです」
   「そうか、それでまた一分で用心棒させられるのか」
   「一両儲かれば、親分に一分というのはどうでござんす」
   「うーん、四両儲けて一両がわいのもんやな」
   「悪くないでしょう」
   「そやけど、負けたらどうするのや」
   「それは、四両負けたら親分が一両出す」
   「やめとこ」
 卯之吉は、どうしてもやりたいらしく、独りで行くと言い出した。
   「一両だけ持って、残りは親分に預けておきます、あっしが如何様を見破って叩き殺されたら、親分がその金を使ってくだせえ」
   「ああそうか、ほんなら行っておいで・・・、と、いわれへんやないか」
   「行ってくれますか」
   「悪いヤツちゃなぁ、わいの人情の厚いのに付け込みやがって」
 相変わらず勘が冴え、卯之吉の前にはコマ札が山積みになった。 卯之吉がそろそろコマ札を揃えようとすると、やはりここでも代貸(だいがし)が声を掛けて来た。
   「兄さん強いなぁ、どうです、それ全部賭けて、最後にわしとちょぼ一で勝負していかないか」
   「楽しませて貰いました、もうこれで十分でござんす」
   「そっちが十分楽しんでも、こっちはそうはいかん」
 そろそろ凄んできた。
   「よし、受けて立ちましょう」
 亥之吉は先ほどからゴロンと寝そべっているばかり。
   「ねえ親分、どうしたのです ぼちぼち出番ですぜ」
   「卯之吉、わい腹の具合が悪うなってきた、厠へいってくるわ」
   「えーっ、この大事な時に…」
 亥之吉は居なくなったが、勝負は一対一で始まってしまった。 ちょぼ一、三点張りの一騎打ちである。 代貸が出した規則は、サイコロ一つ振って、三点張りをした中に出目が有る方が勝ちである。 これを三回繰り返して、二勝した方が勝ちとなる。
 一回目は、卯之吉の負けであった。 代貸は薄ら笑いを浮かべている。 二回目は卯之吉が勝った。 代貸は、心なしか首を傾げたように見えた。 三回目の勝負の前に、亥之吉が戻って来た。
   「親分、腹は大丈夫ですかい」
   「うんが出た、この運、お前にやるわ」
   「確かに運を貰いました、最後の決戦です」
 亥之吉のうんの所為か、三回目も卯之吉が勝った。 代貸の顔色が変わった。
   「こんな訳はない、お前、何か如何様をしたのだろう」
   「如何様も何も、あっしは賽(さい)にも壺にも触れとりやせんぜ」
 卯之吉はコマ札を六両、最後のちょぼ一で倍になった計十二両に換えさせると、亥之吉に「親分、帰りましょう」と促した。

 亥之吉たちの後を追って子分たちが走ってきた。
   「「待ちやがれ、縁の下の子分をやりやがったな」
   「こいつら、手の内を明かしてやがる」 卯之吉は笑った。
   「そうよ、縁の下から盆布(ぼんぎれ)を突いてとった野郎を、ちょっと眠らせてやったで」
 亥之吉も笑っている。

 追っ手たちは、噂に聞いていたのであろう、亥之吉の天秤棒を見て漸(ようや)く、宮宿の賭場荒らしを思い出したようだ。
   「兄貴、止めておきましょう、おじ貴が話していたすごく強い賭場荒らしですぜ」
   「糞っ、覚えていやがれ」
 精一杯の虚勢をはって追っ手たちは戻っていったが、加勢して仕返しにくる積りはないようである。 非は自分たちにあるのだから。

 懐は重いし、天気も良いし、浮かれ鴉が浜松の宿まで来たとき、卯之吉が後ろを指差した。 珍しく、飛脚が幟(のぼり)をもって走って来る。
   「親分、あの飛脚の幟、見てみなせえ」
   「あ、池田の亥之吉って書いてある」
   「親分のことですぜ」
 飛脚が亥之吉たちを追い抜こうとしたとき、亥之吉が飛脚に声をかけた。
   「わいが池田の亥之吉でおますが…」
   「亥之吉さんですか、上方のお店からの手紙ですが、お店の名はわかりますか」
   「へえ、福島屋やと思いますが…」
   「そこの末のお嬢さんの名は分かりますか」
   「へえ、こいさんのお絹さんです」

 飛脚は三尺棒の先の箱から手紙を取り出して、亥之吉に渡した。
   「親分、何です」
 亥之吉が奉公していた上方のお店の娘からの手紙であるが、娘を挟んで亥之吉と三角関係にあった番頭が、嫌がる娘を無理矢理に自分のものにせんと脅迫しているというものだった。 福島屋の主人は、金を渡して番頭に出て行って貰おうとしたが、暖簾と娘をつけなければ嫌だと、亥之吉に刺客を差し向けるとか、店を潰すとか言って、嫌がらせをしているのだそうである。 番頭の為造は、やくざとつるんでいて、何時実行に移すやも知れないと書いてあった。
   「親分、戻ってやりなせえ、お世話になったお店(たな)でござんしょう」
   「そうやなぁ、わいは賽で 『振り出しに戻る』 を振ってしまったようや」
   「お萩さんは、あっしが責任を持って旦那のところへ届けやす」
   「どっちが用心棒や分からんけど、二人力あわせて江戸に着いてくれや」
 いつか、どこかで会おうと約束して、亥之吉は来た道を戻っていった。

 もう、物見遊山どころではない、世話になった福島屋の主人善兵衛や、お絹さんの身に何か有ってからでは取り返しがつかない。 亥之吉はただ夢中に早がけで上方に向かった。
 その気を出せば早いもので、五日目の夕刻には上方に着いた。

 日が暮れて福島屋の店の戸を叩いていた。
   「へい、どなたさんでおますかいな」
 聞きなれた最高齢の番頭の声である。
   「わいです、亥之吉です」
 番頭がお絹を呼ぶ声が聞こえた。
   「こいさん、亥之吉さんです、亥之吉さんが帰って来てくれはった」
   「えーっ、ほんまか 亥之吉か」 お絹は涙声になった。
   「へえ、亥之吉でおます」
 閂(かんぬき)を外す音が聞こえ、潜戸(くぐりど)が開けられた。
   「よかった、あした為造と祝言を挙げることになってしもたんや、亥之吉助けて」
 どうやら、為造の脅迫に屈して、金と暖簾とお絹を渡すことになってしまったようである。
   「そうか、為造のヤツ、やくざを味方に付けよったか」
   「今日も、先程までやくざが来て、明日の祝言の指図しよりましたんや」
 善兵衛は、お絹を護ってやれなかったことを亥之吉に詫びた。
   「よっしゃ、わいに任せておくなはれ」
 亥之吉は胸を叩いた。

 夜が明けると、店の者達は早速祝言の準備に取り掛かった。 両親たち、それぞれの親族のもの達、やくざの男たちも詰めかけ、普通は後に登場する筈の花嫁が、花婿為造よりも先に上(かみ)座に鎮座(ちんざ)していた。
 いい喉をしているお絹の叔父が「高砂や~この浦舟に、帆をあげて~」と謡い始め、三々九度の杯が交わされ、滞りなく祝言が執り行われた。
 花婿が、花嫁の深く被った綿帽子を少し持ち上げ、接吻してみせた。 そして、怪訝そうな顔をして花嫁を見つめている。
   「お絹さん、いや、お絹、髭が伸びていますなぁ」 と言って、「ん?」と首を傾げた。
 気が付いて、慌てて綿帽子を取るとお絹ではなかった。
   「ははは、わいや、亥之吉でおます」
   「ちくしょう、騙しやがったな」
   「あきまへん、もう結ばれてしまいましたんや、今日からわいが番頭はんの女房でっせ」
   「気色悪いヤツや」 と、為造は口を拭う。
   「わいも、気色悪いわ」
 祝言に立ち会った人々は、何が起こったのかわからず、おろおろとその場を逃げ出した。
   「よくも為造の祝言を茶番劇にしよったな、表へ出ろ、足腰立てんようにしてやる」
 やくざ者が熱(いき)りたった。 花嫁衣装を脱ぎ捨てた亥之吉は、天秤棒を担いで表に出た。
   「亥之吉、まだあの汚い天秤棒を持っとるのかいな」 お絹は、悪態をつく余裕を取り戻していた。
   「ほな、足腰立てんようにして貰おうやないか、どこからでもかかって来い」
 亥之吉が天秤棒を構えたその時、やくざ風の男たちが亥之吉の周りを取り囲んだ。
   「京極一家の者です、亥之吉さん加勢しまっせ」
 昨日、帰り道に寄って京極一家の親分に、亥之吉が戻って来た経緯を話した。 親分が心配して、子分たちを送り込んでくれたようだ。

   「事情は親分から聞いてよく分かっておりやす、今からこいつらの親分に会って、よく話を付けて来やす」
 京極一家の親分の名前を出して、きっちりと話を付けてくれるそうである。 亥之吉は礼をいって、任せることにした。
   「もう一度、江戸へ向けて旅をするときに、立ち寄らせてもいます、親分によろしく伝えておくれやす」
   「嫌、もう江戸へは発たせはしまへん」 お絹が亥之吉のもとへ走ってきた。
   「こんな汚いもん、捨てなはれ、うちが綺麗なのを買ってあげます」
   「またかいな、これはわいの魂です」
   「黒い漆塗りにして、螺鈿で飾り、金粉を振り掛けてあげますさかい」
   「もう、ええわ」

  第十四回 ふりだしに戻る(終) -続く- (原稿用紙13枚)

「池田の亥之吉」リンク

「第一回 お化けが恐い」へ
「第二回 天秤棒の旅鴉」へ
「第三回 七度狐」へ
「第四回 身投げ女」へ
「第五回 鈴鹿峠の掏摸爺」へ
「第六回 縁結びの神さん」へ
「第七回 お化け屋敷で一稼ぎ」へ
「第八回 手水廻し」へ
「第九回 亀山の殿さん」へ
「第十回 下り東街道、膝栗毛」へ
「第十一回 亥之吉、卯之吉賭場荒らし」へ
「第十二回 首なし地蔵」へ
「第十三回 化け物退治」へ
「第十四回 ふりだしに戻る」へ
「第十五回 亥之吉刺される」へ
「第十六回 住吉さん、おおきに」へ
「第十七回 亥之吉とお絹の祝言」へ
「第十八回 豚松、父母恋し」へ
「第十九回 亥之吉は男色家?」へ
「第二十回 消えた望みの綱」へ
「第二十一回 さらば、鵜沼の卯之吉」へ
「第二十二回 亥之吉の魂、真っ二つ」へ
「第二十三回 政吉、足をあらう」へ
「第二十四回 亥之吉、政吉江戸へ」へ
「第二十五回 政吉、涙の再会」へ
「第二十六回 政吉、頑張りや」へ
「第二十七回 亥之吉、迎え旅(最終回)」へ」へ

次シリーズ「幽霊新三、はぐれ旅」 第一回 浄土を追われて」へ

猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第十三回 化け物退治

2013-10-15 | 長編小説
 鵜沼の卯之吉と、お萩さんが首なし地蔵の化け物退治に出掛けて行った。 亥之吉には声が掛からなかったが、その僻(ひが)みではないが話がどうも変である。 亥之吉は先の宿場で待つとは言ったものの気掛かりである。 池鯉鮒宿(ちりゅうのしゅく)に留まり、茶店の老婆に尋ねてみた。
   「堀越なんて村はありゃしません」
 あの脇道に逸れても田畑広がるばかりで、やがて鬱蒼とした森に入り、確かに首なし地蔵は立っている。 あれは、その昔森に落雷し倒れた樹木に当たり地蔵の首がゴロンと落ちたもので、辺りの人々は、転がった地蔵の首を拾い上げて胴体の上に乗せてあげると、何か良いことがあると親しまれている地蔵である。 化け物が出る話など今まで聞いたことがないとのことであった。
   「やっぱりそうか、卯之吉たちは騙されているのや」
 卯之吉とお萩は、のこのこ、と首なし地蔵のところまで行って、日暮れを待っているのだろう。
   「二人の男は何の為に卯之吉たちを騙したのやろ」
 思い当るのは、二人の財布である。 恐らく卯之吉たちが入った茶店で、金を払うところを二人の男たちが見ていたのであろう。 亥之吉の胸に不吉な思いが過(よぎ)った。  日暮れまでにはまだ時間がたっぷりある。 だが、卯之吉たちが襲われるのは夜とは限らない。 まして、卯之吉たちを襲う賊は、二人ではないだろう。 男たちは仲間と共に待ち受けているかも知れない。 亥之吉は急いで首なし地蔵に向かった。
 卯之吉とお萩は、田舎の道を遠く感じながら首なし地蔵に向かっていた。
   「お萩さん、怖くありませんか」
   「お化けなど、ちっとも」
   「男がみっともないけど、あっしはちょっと怖いです」
 道の先に森が見えてきた。 昼間でも薄暗くて、帰り道は提灯(ちょうちん)が必要になる違いない。 卯之吉は、堀越村の産婆の家で譲って貰おうと考えていた。
 森に入り、卯之吉が首なし地蔵を見つけたが、まだ日は落ちていない。 亥之吉に貰った焼き芋でも食って、化け物が出るまで待っていようと、草叢(くさむら)にどっかと腰を下ろしたとき、七人の男が卯之吉たちを取り囲んだ。
   「女は殺すな」
 盗賊の頭(かしら)らしい男が叫んだ。 お萩さんを羽交い絞めにしょうとした男が投げ飛ばされた。 次には男二人が同時にお萩さんの腕を掴んだために、お萩さんは身動きが取れず、みぞおちを一撃されると、その痛さの為に胎児に打撃があってはならぬと、大人しく繋縛(けばく)についた。
 卯之吉は、長ドスを抜いて立ち向かったが、ドスを叩き落とされその場に蹴り倒されてしまった。
   「身包(みぐる)みを剥がして叩き斬ってしまえ」
 どうやら、山賊の里稼(さとかせ)ぎらしい。 山に餌が少なくなった熊が、里へ下りて来て人を襲うようなものだと思えばよい。
 卯之吉は下帯(したおび=ふんどし)ひとつの裸にされ抑え込まれて、巾着も財布も全て奪われてしまった。
   「殺れ!」 頭(かしら)の号令のもと、一人の男が、卯之吉の心臓に、両手でドスを握って突き立てようとしたとき、「ぶーん」と唸りを上げた礫が、ドスを握った男の腕に飛んできた。 男は、「あっ」と、声を上げてドスを落とした。
   「待ちやがれ、わいのダチに何をするのや」
 亥之吉が直ぐ近くまで来て、天秤棒を構えて立っていた。
   「こいつの仲間か」
 頭(かしら)が亥之吉を睨んで言った。
   「そうよ、わいが相手や、かかってきやがれ」
 亥之吉が、卯之吉の近くまで走り寄った。 卯之吉を押さえつけていた男の一人が、卯之吉のみぞおちに一撃を加えようとしたが、亥之吉の棒が唸りを上げて男を跳ね飛ばした。
   「生意気な若造だ、こいつも殺(や)ってしまえ!」 頭が叫んだ。
 亥之吉の天秤棒は、容赦なく唸りを上げた。 幾度か「ごきっ」と、骨の砕ける音がした。 その都度、一人、また一人と、樹木にもたれて蹲(うずくま)るものが増えていった。
 亥之吉はお萩の綱を解き、「大丈夫ですか」と、声をかけた。
   「私は大丈夫、卯之吉さんを助けてあげて」
   「卯之吉は、身包みを剥がされただけや、卯之吉、早よ着物着て、財布を取り返せ」    「あいよ、親分」
   「それから、化け物退治してやったのだから、お前に依頼した男から二両貰っとけ」
   「わかりやした、親分も一両貰いますか」
   「アホ、それは泥棒や、約束の二両だけにしとけ」
   「へい」
 お萩が亥之吉に尋ねた。
   「次の宿場まで行った筈の亥之吉さんが、どうしてここへ来てくれたのですか」
   「うん、それやが、おかしな話やから茶店の婆さんに訊いてみたんや」
   「首なし地蔵の話は、嘘だったのですね」 卯之吉は直ぐに気付いたようだった。
   「それに、堀越村も存在しなかった」
   「庄屋の娘の話も、ガハガハの話も嘘だったのですね」
 日が暮れるまでに、せめて岡崎の宿まで行こうと、ほんの少し急ぎ足で三人連れの旅は再開された。

  こちら、上方は道修町(どしょうまち)の雑貨商福島屋、三女のお絹が番頭の為造に言い寄られて難儀をしている。
   「こいさん、亥之吉は帰ってきまへんで、今頃はどこかの女と道行きですわ」
   「そんなことあらへん、亥之吉はきっと帰ってきよります」
 亥之吉は、お絹と為造の三角関係を清算しようと旅に出たが、お絹は亥之吉の旅を単なる気紛れとみていた。 箱根あたりできっと気が変わって、お絹の元へ戻ってくるに違いないと高を括っているのだ。
 福島屋の主人善兵衛もまた、亥之吉の帰りを待っていた。 気が済むまで旅をして、戻ってきたらお絹と添わせ、小さな店を持たせて亥之吉の商売の腕で店を大くするのを期待しているのだ。
   「おとっつぁん、前から番頭の為造がわたいに言い寄ってきていましたが、最近殊にしつこくてかないまへんわ」 お絹が訴えた。
   「般若一家の者と付き合っているようですな」
 お絹の父親善兵衛も、良くない噂を聞いているようだ。
   「ちょいちょい(時々)脅迫めいたことも言うのです」
   「どんな」
   「わての言うことを聞かなかったら、後で後悔することになるとか」
   「悪いヤツやなぁ」
   「わたいは亥之吉と一緒になりたいと言うと、手を廻して亥之吉を消してやるとか」
   「まるで殺し屋やないか」
   「この店かて、潰すのはわけないことやとか」

 十五年もこの店に奉公してきた男を、馘首(くび)にするわけにはいかない。 店を持たせて独り立ちしてもらおうと、善兵衛は為造を呼び付けた。
   「独り立ちと言えはば聞こえはよろしいが、早く言えばわたいを追い出したいのでっしゃろ」
   「なんでそんなに僻(ひが)むんや」
   「そうでっしゃないか、旦那さんは一言も暖簾分けとは言わはらへんやおまへんか」
   「それは堪忍して、今のおまはんの態度見とったら、暖簾分けは出来まへん」
   「ほんなら、出て行きまへんで、暖簾(のれん)と、こいさん(お絹)を付けて貰ったら出て行きま」
   「お絹は、亥之吉を許嫁(いいなずけ)やと思っております、それを無下には出来まへん」
   「わてには般若一家の後ろ盾があります、後悔しなはらんように…」
 為造は、捨て台詞をして、ぷいと店の外に出て行った。 善兵衛は「はぁーっ」とため息を一つ吐(つ)いた。 東街道をのんびりと歩いている亥之吉の姿が脳裏を掠めて、「亥之吉、どうか戻っておくれ」と、思わず呟(つぶや)いてしまった。
 お絹が店先に顔を出し、父親の呟きを耳にした。 お絹は、亥之吉は必ず戻ると高を括っていた自信が僅かに揺らいだ。
   「こうなったら、うちが行って連れ戻したろかしらん」
 冗談とも取り難いお絹の言葉に、善兵衛の心は動揺した。
   「それだけはやめとくれ」

 旅の途中の者に手紙を届けてもらうには、一つ手がある。 「池田の亥之吉」と書いた幟(のぼり)を、飛脚に駅伝して貰う方法だ。 早飛脚は、二十四時間夜も昼も走るため、早いことは早いが、夜の間に亥之吉を追い抜いてしまう恐れがある。 普通の飛脚は、昼間しか走らないので好都合である。 費用はかなり高くなるだろうが、他に方法はない。 ただし、亥之吉がこの幟に気が付かなかったら無意味である。 一か八かの賭けである。
 手紙には、お絹の悲痛な叫びとして、亥之吉が読んで「ほろっ」とくるような、少々芝居めいた文章にした。 為造の脅迫めいた言葉も盛り込んだことは言うまでもない。
 飛脚屋は、快く引き受けてくれた。 ただ、幟を見せて走らなければならない分だけ、余分にというよりは、普通の飛脚便の三倍も吹っ掛けられた。 客の足もとを見るのも、商売の極意であろう。

  第十三回 化け物退治(終) -続く- (原稿用紙11枚)

「池田の亥之吉」リンク

「第一回 お化けが恐い」へ
「第二回 天秤棒の旅鴉」へ
「第三回 七度狐」へ
「第四回 身投げ女」へ
「第五回 鈴鹿峠の掏摸爺」へ
「第六回 縁結びの神さん」へ
「第七回 お化け屋敷で一稼ぎ」へ
「第八回 手水廻し」へ
「第九回 亀山の殿さん」へ
「第十回 下り東街道、膝栗毛」へ
「第十一回 亥之吉、卯之吉賭場荒らし」へ
「第十二回 首なし地蔵」へ
「第十三回 化け物退治」へ
「第十四回 ふりだしに戻る」へ
「第十五回 亥之吉刺される」へ
「第十六回 住吉さん、おおきに」へ
「第十七回 亥之吉とお絹の祝言」へ
「第十八回 豚松、父母恋し」へ
「第十九回 亥之吉は男色家?」へ
「第二十回 消えた望みの綱」へ
「第二十一回 さらば、鵜沼の卯之吉」へ
「第二十二回 亥之吉の魂、真っ二つ」へ
「第二十三回 政吉、足をあらう」へ
「第二十四回 亥之吉、政吉江戸へ」へ
「第二十五回 政吉、涙の再会」へ
「第二十六回 政吉、頑張りや」へ
「第二十七回 亥之吉、迎え旅(最終回)」へ」へ

次シリーズ「幽霊新三、はぐれ旅」 第一回 浄土を追われて」へ

猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第十二回 首なし地蔵

2013-10-13 | 長編小説
 一行は、三河の国は池鯉鮒(ちりゅう)の宿場町に入った。 身重の女が加わったことで足の速さが急激に落ちた。 男二人が女の身を庇うからだ。
   「まだまだ大丈夫ですよ」と、萩は走って見せたりするのだが、特に亥之吉は何があろうとも無事に夫の元へ届けてやろうという気概に燃えていた。
   「ねえ、お萩さんよ、ここらで懐を温めていきやせんか」 卯之吉がぼそっと言った。
   「女の私に何が出来るのです」
   「美人局(つつもたせ)ですよ、親分が強いからうまくいきますぜ」
 亥之吉は驚いた。
   「卯之吉、お前、悪いヤツやなぁ、お萩さんにそんな悪事を持ちかけるなんて」
   「儲かりますぜ」
   「あかん、下手(へた)打ってお萩さんが襲われてしもたらどうするのや」
 お萩さんは武士の妻、そんなことに成れば、夫に操を立てて、自害するかも知れない。 そうなれば、胎児の命も取ることになる。
   「お萩さん、こんなヤツの口車にのったらあきませんで」
   「面白いかも…」 お萩は亥之吉の反応を楽しんでいるようである。
   「アホ、卯之吉が下手打っている間に、ヤラれてしまうかも知れんのやで」
   「ヤラれるって?」
   「あんさんも人妻や、それくらい分かるやろ」
   「はい」
   「お腹の赤子も、見慣れたお父っつぁんのと違うものが、ヌーッと入ってきたら吃驚(びっくり)しまっせ」
   「そんなところまで届きません」
   「無茶苦茶分かっているやないか」
 先を行く亥之吉の後ろを、卯之吉とお萩が並んで歩いて、なにやら「クスクス」笑っている。 亥之吉も、ようやく自分が二人にからかわれていることに気が付いた。
   「親分、茶店で一休みしませんか」
   「わいは先に行って、焼き芋でも食っている」
 道の先に「栗より美味(うま)い十三里」と、焼き芋屋お馴染みの幟が見える。 亥之吉は、スタスタと先へ歩いて行った。
   「姉ちゃん、わしに酌をしてくれないか」 地回りのヤクザらしい男がお萩の袖を引いた。
   「私は客です、酌女(しゃくおんな)ではありません」
   「分かっている、そう邪険にしないで、一杯だけでも注いでくれ」
   「私には夫があります、ねえお前さん」
 卯之吉が「ジロリ」と、男を睨み付けた。
   「なんだ、チンピラじゃねえか、ここは白波一家の縄張りじゃい、なにか文句があるのか」 ヤクザが凄む。
   「そいつは俺の女房だ、手を出しやがったら叩っ斬るぜ」
 卯之吉は、長ドスの柄に手を掛けた。
   「何をぬかしやがる、ガキは団子でも食って大人しくしていやがれ」
   「ここでは他の客の迷惑になる、表に出ろ」 卯之吉は、自分から表に飛び出した。
 追って白波一家の男が転がり出て、その後をお萩が両掌の埃を払いながら出て来た。
   「わっちをナメるんじゃねえ、そんじょ其処らの女と一緒にするな」
   「姐さん、どちらのご一家の姐さんでござんす」
 男は、敷居で腰を打ったらしく、腰を摩り摩りお萩に頭を下げた。
   「清水一家のお静とは、わっちのことよ」
   「あの、次郎長親分のおかみさんでござんすね、お見逸れしやした、どうぞご勘弁を・・・」
 お萩の啖呵の凄さと、腕っ節の強さに、卯之吉はビビってしまった。
   「姐さん、田辺藩士の妻と言うのは嘘ですかい」
   「いいえ、清水次郎長の女房というのが嘘です」
 亥之吉が、やっとお萩さんを信用したのに、代わりに卯之吉が疑念に駆られるようになった。
 亥之吉と言えば、半町先の岩に腰を下ろして焼き芋を頬張っていた。
   「ほら、食べな、おめえらの分も買って置いたから…」
   「親分、お萩さんが…」
   「卯之吉さん、お願い、恥ずかしいから言わないで…」
 亥之吉は腹を抱えて笑った。
   「言わんでも分かる、お萩さんが大の男を投げ飛ばしたのやろ」
   「えーっ、親分何でわかったのです、千里眼ですかい」
   「アホ、誰でもわかるわい、ここから丸見えや」
 卯之吉が店から飛び出して、長ドスを抜いたかと思えば、ヤクザ風の男が転げ出してきた、その後にお萩さんが出て来て声は聞こえないものの啖呵を切っている様子だった。 亥之吉は、「お萩さんはただ者ではない」と思っていたが、やはり武芸の達人であっかと思った。
   「そうやろなぁ、若い女が独りで旅に出たんやから、腕には自信があったんやろ」
   「お恥ずかしい」 お萩は顔を赤らめた。
   「そやけど、美人局はやめときや、それとバレて捕まえられたら寄せ場送りや、旦那と生涯逢われへんで」
 土地の者らしい二人連れが亥之吉たちのところへ、ツカツカと寄って来た。
   「姐さん、見せて貰いましたぜ、大の男を投げ飛ばすところ」
   「お人違いでしょ、私はなにも…」
   「いやいや、なかなかのものでした、そちらの兄さんもお強そうで頼もしいかぎりでした」
   「わいらに何か用ですか」と、亥之吉。
   「いいえ、そちらの天秤棒のお兄さんではなくて、こちらの強そうな姐さん方にお願いがありまして…」
   「何でしょう」
 卯之吉は怪訝そうに尋ねた。街道から外れて半里ほど行ったところに堀越村があるのだが、途中に「首なし地蔵」というのがある。 昼間に通ってもなにごとも無いが、日が落ちると地蔵の首が飛んで、口をぱっくり開けて道行く人の頭に噛みつく。 その場合は朝に成っても地蔵の首が転がったままなので分かるのだそうである。
 ここらでは産婆さんは堀越村にしか居ず、夜間に産気づくと、恐がって誰も産婆を呼びに行く人居ない。 産婦の旦那でさえも二の足を踏む始末、化け物の仕業と思うので、なんとか退治して欲しいと頼みに来たのだ。
   「ふーん、わいは先へ行って、次の宿の旅籠に泊っている、二人で行ってやれば」
 亥之吉は他人事である。
   「面白い、引き受けましょうよ」 と、お萩が平然と言った。
   「お腹の子に障りはおまへんか」
   「大丈夫、ねえ卯之吉さん」
   「礼金はお一人一両として、二両用を堀越村の産婆に預けて置きます、立ち寄って受け取ってください」 と、依頼主は言った。
 途中で戻り、礼金だけを取られないようにするためだ。
   「親分、行ってくだせえよ」
   「アホ言え、わいは知らん」
   「じゃあ二人で行ってやろうか」
 卯之吉も強そうだと言われた手前、覚悟を決めたらしい。 依頼した男が「ただ…」と、言葉を濁しながら更に話を付け加えた。

 数年前に、首なし地蔵の前で堀越村の庄屋の娘が、通りがかりの男に手籠めにされて殺された。 庄屋は怒り狂って村の若い者に山狩りをさせ、野宿をしていた男を捕えた。
   「私はなにもしていない」と、必死に訴える男の首を庄屋は斬り落として、仇を討ってやったと「ガハガハガハ」と大笑いをしたと言う。 その数日後に、真犯人と思しき男が他の件で役人に捕まり、庄屋の娘殺しを自白した。

 庄屋は、熱を出し寝込んでしまったが、十日後に「ガハガハガハ」と笑いながら死んだ。 罪のない男の首を斬るのを手伝った若い衆も、次々と非業の死を遂げた。
   「関係ないと思いますが、それだけお知らせしておきます」
   「そんなお知らせするなよ」 卯之吉の勇気が少々鈍った。

  第十二回 首なし地蔵(終)  -次回に続く- (原稿用紙10枚)

「池田の亥之吉」リンク

「第一回 お化けが恐い」へ
「第二回 天秤棒の旅鴉」へ
「第三回 七度狐」へ
「第四回 身投げ女」へ
「第五回 鈴鹿峠の掏摸爺」へ
「第六回 縁結びの神さん」へ
「第七回 お化け屋敷で一稼ぎ」へ
「第八回 手水廻し」へ
「第九回 亀山の殿さん」へ
「第十回 下り東街道、膝栗毛」へ
「第十一回 亥之吉、卯之吉賭場荒らし」へ
「第十二回 首なし地蔵」へ
「第十三回 化け物退治」へ
「第十四回 ふりだしに戻る」へ
「第十五回 亥之吉刺される」へ
「第十六回 住吉さん、おおきに」へ
「第十七回 亥之吉とお絹の祝言」へ
「第十八回 豚松、父母恋し」へ
「第十九回 亥之吉は男色家?」へ
「第二十回 消えた望みの綱」へ
「第二十一回 さらば、鵜沼の卯之吉」へ
「第二十二回 亥之吉の魂、真っ二つ」へ
「第二十三回 政吉、足をあらう」へ
「第二十四回 亥之吉、政吉江戸へ」へ
「第二十五回 政吉、涙の再会」へ
「第二十六回 政吉、頑張りや」へ
「第二十七回 亥之吉、迎え旅(最終回)」へ」へ

次シリーズ「幽霊新三、はぐれ旅」 第一回 浄土を追われて」へ

milkye326さんのこと

2013-10-11 | 日記

 猫爺は、長い間その人をプロの演歌歌手だと思い込んでいた。 ドジなことに、CDショップでCDを探したこともある。 ところが最近になってYouTubeに寄せられた氏のコメントを見て、プロじゃないことが分かった。 ご自分が録音された歌のタイトルが分からないと書いてあったからだ。 いくらなんでも、スコアが読めないプロの演歌歌手はいくらでも居るが、ご自分の歌っている歌のタイトルが分からないってことはなかろう。 素人と分かって、改めてその方の歌の上手さに感心させられた。 マイクや録音機器も相当高価なものを使っていらっしゃるようで、綺麗に録音されている。
 素人がカバーした歌といえば、ガンガンにエコーを掛けたガラガラ音で、カラオケの前奏が終わって声が聞こえたとたんに耳を塞ぎたくものが多いが、この方のは歌は、すーっと耳に馴染んで聞き惚れてしまう。  こんなブログでお名前を上げてよいのかどうかは分からなかったが、強いて挙げさせてもらった。

 猫爺は、小説を書こうと思ったときは、まずこの方の股旅演歌を聴く。 イメージが湧いてくるからである。 

 旅鴉、池田の亥之吉と、鵜沼の卯之吉、それに、紀州は田辺藩士の妻、お萩さんが加わって江戸へ向けての旅が続く・・・


猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第十一回 亥之吉、卯之吉賭場荒らし

2013-10-10 | 長編小説
 桑名の宿から宮宿までは、「七里の渡し」と呼ばれ、海上を渡し舟で渡る。 歩いて行ける脇道もあるが、天気は良いし懐も温かいので海を帆かけ舟で渡るのも悪くはない。 亥之吉は軽く考えて海路を選んだ。
 七里の渡しは、その名の通り海路七里(27キロ)を帆掛け舟順風満帆で約一刻半(3時間)足らずで桑名宿から宮宿に着いてしまう。 海路とは言え、色々な川の河口が集まったところなので、巨大な河口だと思えば良い。 その河口を一直線に横切るのだ。 渡し賃も一人五十文程度である。 文無しの卯之吉の分を入れても百文、今の亥之吉はなにしろ金持ちであるから「任せときな」と、胸を叩く余裕である。
 舟が出てまだチョンの間であるが、亥之吉も卯之吉の顔も蒼白である。 大して波が荒い訳でもないのに、もう船酔いが始まってしまったのだ。 亥之吉は甲板で「どてっ」と横になったが、警戒心だけは健在であった。
   「直ぐに介抱巾着切が近寄ってくるに違いない」
 卯之吉はと言えば、無防備に胸を肌蹴(はだけ)て仰向けに大の字になったが、亥之吉はそういう訳にはいかない。 ぐっと天秤棒を引き寄せて、空を睨んでいた。 そのとき、女の悲鳴が響いた。
   「無礼な、何をするのです」
 亥之吉が半身を擡げて薄目を開けてみると、武家の御新造(ごしんぞう)と思(おぼ)しき女を船縁(ふなべり)に追い詰め、胸に手を突っ込んでいる無頼の男が見えた。
   「何やねん、わいの気分がわるい時に」
 亥之吉が半身起こして「こら、やめんかい」と叫んだが、声に成らず無視された。 天秤棒を杖の代わりに立ち上がって止めに入ろうとしたが、急に吐き気を催し、船縁に寄りかかり「げーっ」と吐いた。 無頼の男は亥之吉の姿を見て嘲笑(わら)い、亥之吉に近付いてきた。
   「若造、わしの邪魔をしおって文句があるのか」
 亥之吉は振り返ったが、男は水洟(みずばな)と涎(よだれ)と吐物(とぶつ)で汚れた亥之吉の顔を見て大笑いをした。
   「海へ落としてやるから、顔を洗って来い」 と、男が近付いてきた。
   「何をぬかす、落ちるのはお前や」
 亥之吉は、よろけながらも男に向かって天秤棒を構えた。 男は懐から匕首(あいくち)を取り出し、鞘を抜き放った。 切っ先を亥之吉に向けて飛び込んで来たのを、天秤棒で払い除けると、匕首は弾(はじ)き飛ばされ弧を描いて海に落ち、波間に沈んでいった。
   「やりやがったな」 男は亥之吉に組みかかって来たが、亥之吉は天秤棒で男の足を払うと、男は「どてん」と、その場に引っ繰り返った。
   「止めんか、まだかかってくるのなら、ほんまに海へ投げ込むで」
 男は、足が痺れて立てない様子だった。
   「わかった、わしの負けだ」
   「わかったのなら、温和しくしておれ」
 亥之吉は、男を睨み付けて天秤棒で舟板を「とん」と叩いたが、また慌てて船縁に凭(もた)れ、「げーっ」と吐いた。 卯之吉はその間も、大の字になって仰向けに寝たまま、気を失ったように動かなかった。
   「危ういところを、ありがとう御座いました」 先ほどの御新造である。
   「舟上は、逃げ隠れできないので、こんなヤツが蔓延(はびこ)るのです」 亥之吉は倒れて足を摩っている男を指差した。
   「若い綺麗なお女中は、気を付けなはれや」
   「まあ、若い綺麗な…なんて…」
 亥之吉はまた吐きそうになった。 この糞気分の悪いときに、つい世辞を言ってしまったことを後悔した。
   「お兄さん、顔をお拭きしましょう」 女は手拭を出して亥之吉の顔を拭こうとした。
   「いけまへん、お手が汚れま」 「ます」の「す」を発音しないのは上方言葉である。
   「では、ここに手拭と水を置きますからね」と、竹筒に入った水を亥之吉に差し出した。
   「おおきに、ありがとさんです」
 御新造が亥之吉から離れると、卯之吉が堪りかねて口を入れた。
   「親分、女嫌いですかい」

   「なんでや」
   「女に邪険じゃありませんか」
   「まあな」 と、言葉を濁したが、本当は、女を信用しきれていないのだ。
   「親分がご希望なら、あっしは陰間になりますよ」
   「要らん」
 亥之吉、また吐いてしまった。
 舟が着くと、そこは尾張の国、名古屋である。 げんきんなもので、陸に上がると亥之吉はなにも無かったように普段の亥之吉に戻っていた。
   「わあ、腹の中のもん全部出してしもうたので、腹が減った」
   「親分、宮宿には美味しいものがたくさんありますぜ」
   「あ、全部わいが金払うのやな、うなぎや伊勢海老は贅沢です、きし麺の素うどんでええわ」
   「けち」
 気が付くと、舟で助けた御新造風の女が後を追ってくる。
   「御新造さん、何かわいに用ですか」
   「すみません、女の一人旅は物騒なもので、ついお兄さんがたに付いて歩いていました」
   「それはええけど、わい等二人は旅烏の亥之吉と卯之吉ですが、あんさんは一体何者です」
   「申し遅れました、紀州は田辺藩士の妻、萩と申します」
   「その奥方が、どうして伴も連れずに旅をしているのです」
   「藩士と言っても、身分の低い武士です、お伴などとても…」
   「江戸へ向っているのですか」
   「はい、三ヶ月前に田辺藩江戸屋敷詰になった夫の元へ向う途中です」
   「そうだしたか、それは心細いでしょう、一緒に行きましょう」
   「では、三人できし麺でも食べにいきましょう」
 すかさず卯之吉「けち」と、呟く。 女と一緒なら、見栄を張って「ひつまぶし」と言うかと思ったのに。
 昼食を済ませたばかりなのに、旅籠の客引き女が近付いてきて声を掛けた。
   「おみゃあさんがた、今夜の宿はお決まりきゃあなも」
   「おい卯之吉、この女きゃあきゃあ言っているが、何やろ」 亥之吉は、くびを傾げた。
   「まだ、昼過ぎだと言うのに、もう宿の客引きをやっているのですよ」
   「そやかて、こちらの綺麗なおねえさん、すたこいてるようやし、それに雲行きがへんやよ」
 せめて次の宿まで行こうと相談したが、瞬く間に黒い雲が空を覆い、ぽつりと雨が降ってきた。    「ほんまや、雨が降り出した」
 客引きの女はしたり顔で、「これは本降りになるきゃあも」 と、御新造に向けて、
   「おみゃあさんは、体濡らしてはいけないよ」
   「えっ」
   「お腹に子が居なさるやろ」
 旅籠に案内されて到着したととたんに、「ざーっ」と、雨が降り出した。  それにしても、子を孕んだ女と道行(みちゆき)になるなんて、ついてないなと頭を抱えたくなる亥之吉であった。

   「親分、あっしに二朱ばかり金を貸して貰えませんか」
 卯之吉がしおらしく頭を下げた。
   「その金でどうする気や」
   「へい、これから先、親分にばかり迷惑をかけるのも気が引けるので、あっしも金儲けをして来ようと思いまして」
   「博打か」
   「へい」
   「よし、わかった、貸してやろう、それで用心棒はいらんのか」
   「親分が付いていて下さりゃ、思いっ切り稼いで見せます」
   「そうか、賭場に如何様がなければ勝つ自身があるということやな」
   「そうです」
 賭場は宿に訊くと教えてくれた。
   「ほんなら行こう、そやけどわいは博打はからっきしやで」
   「親分は、見ていて下さり、向こうの出方次第で腰を上げてくだせえ」
 偉そうにいうだけあって、卯之吉の丁半博打の勘は冴えわたった。 卯之吉の前にコマ札がたまりに溜まったので換金しようとすると、
   「兄さん、勝ち逃げする気か」と、子分が凄んで見せる。
   「勝って止めてはいかんという法度はなかろう」
 卯之吉も、亥之吉が見ていると分かると、強気になる。
   「もっと張れや、何ならそれを全部張って、二倍にしなよ」
 持っているコマ札を全部張ると、必ず如何様をやってきて、スッカラカンにさせられる。
   「いや、これで十分だ、金に換えて貰うぜ」
   「こいつは賭場荒らしだ、叩き出せ!」
 亥之吉が腰を上げた。
   「なんだ、お前は」と、子分。
   「こいつの用心棒や」 と、卯之吉を指差す。
 親分らしい髭面の男が顔を出した。
   「しゃらくせえ、二人とも腕の骨を折ってやれ!」
 なるほど、こうやって勝ち過ぎたヤツを放り出して、金を巻き上げるのかと、亥之吉は納得した。 卯之吉もこうやって文無しにされたのだろう。 しかも、その上に卯之吉を追いかけてきて、叩きのめそうとまでしたやくざのやり口に、亥之吉は改めて怒りが込み上げてきた。
 亥之吉の天秤棒は、まず親分を叩きのめした。
   「コマ札を金に換えてやってくれ、グズグズぬかすと、親分の手足の骨を折るで」
 子分たちが束になって襲いかかってきたのを、亥之吉は怒りを込めてなぎ倒した。
   「こら、早く金に換えんかい」
 卯之吉は、余裕でコマ札を換金して貰い、テラ賃を払って亥之吉に言った。
   「親分、戻りましょう」
   「よしきた」
 亥之吉、卯之吉は、堂々と賭場を後にした。 収穫は五両二分と三朱、亥之吉に二朱返しても五両二分一朱が卯之吉のものである。
   「親分、これは用心棒代です」
 卯之吉は一分を亥之吉に差し出した。
   「ちっ、けち!」

   第十一回 亥之吉、卯之吉賭場荒らし(終) -次回に続く-  (原稿用紙12枚)

「池田の亥之吉」リンク

「第一回 お化けが恐い」へ
「第二回 天秤棒の旅鴉」へ
「第三回 七度狐」へ
「第四回 身投げ女」へ
「第五回 鈴鹿峠の掏摸爺」へ
「第六回 縁結びの神さん」へ
「第七回 お化け屋敷で一稼ぎ」へ
「第八回 手水廻し」へ
「第九回 亀山の殿さん」へ
「第十回 下り東街道、膝栗毛」へ
「第十一回 亥之吉、卯之吉賭場荒らし」へ
「第十二回 首なし地蔵」へ
「第十三回 化け物退治」へ
「第十四回 ふりだしに戻る」へ
「第十五回 亥之吉刺される」へ
「第十六回 住吉さん、おおきに」へ
「第十七回 亥之吉とお絹の祝言」へ
「第十八回 豚松、父母恋し」へ
「第十九回 亥之吉は男色家?」へ
「第二十回 消えた望みの綱」へ
「第二十一回 さらば、鵜沼の卯之吉」へ
「第二十二回 亥之吉の魂、真っ二つ」へ
「第二十三回 政吉、足をあらう」へ
「第二十四回 亥之吉、政吉江戸へ」へ
「第二十五回 政吉、涙の再会」へ
「第二十六回 政吉、頑張りや」へ
「第二十七回 亥之吉、迎え旅(最終回)」へ」へ

次シリーズ「幽霊新三、はぐれ旅」 第一回 浄土を追われて」へ