トランプ政権の南シナ海問題への対応
7/8(土) 12:11配信
Wedge
ウォール・ストリート・ジャーナル紙の6月6日付け社説は、トランプ政権が南シナ海で「航行の自由作戦」を実施したことを歓迎しつつも、米国には更なる行動が求められる、と主張しています。社説の要旨は次の通りです。
トランプ政権は南シナ海で少し骨のあるところを見せ始めている。しかし、フィリピンやベトナムが中国に立ち向かうには米国が地域の安定にコミットしていることを示す更なる行動が必要である。
5月初めに国防総省はアジア・太平洋における軍事プレゼンスを強化するための追加支出を承認した。5月24日にはミスチーフ礁(海洋法裁判所の仲裁裁判の裁定によれば低潮高地)の12海里内の水域で駆逐艦デューイが「航行の自由作戦」を実施した。
オバマ政権も「航行の自由作戦」を行ったが、中国の管轄権を承認するものと解釈されかねない「無害通航」の態様によるものであった。今回は、デューイは海域にとどまって転落救助訓練を行い、米国がその海域を公海と考えていることを明確にした。中国はこの行動を挑発的と非難したが、これは国際法に基づく航海の自由を守るための象徴的な行動である。中国が更に人工島の軍事化を進めれば、「航行の自由作戦」はより危険を伴うものとなる。
5月17日には、中国の戦闘機(Su-30)2機が東シナ海の上空で米空軍の大気収集機WC-135に異常接近した。その後、駆逐艦デューイがミスチーフ礁の近傍にあった際には、中国の戦闘機(J-10)2機が南シナ海の上空でP-3オライオン偵察機に対していやがらせの行動に出た。
6月3日、シンガポールでのシャングリラ・ダイアローグ(アジア安全保障会議)において、マティス国防長官は中国の忍び寄る侵略について述べた。同長官は「人工島の建設と公海の地形上の施設の争いようのない軍事化は地域の安定を損なう」と述べ、中国の「国際法の露骨な無視」と「他国の利益に対する侮蔑」を激しく非難した。当然のことながら、中国はこの発言は「無責任だ」などと述べて激しく反発した。
トランプ政権は5月まで「航行の自由作戦」を控えていたが、恐らくは中国が核とミサイルを放棄するよう北朝鮮に圧力をかけることを期待してのことである。この間、東南アジアの諸国は、米国は南シナ海の安定と航行の自由は守るべき原則だと依然考えているのかと怪しんでいた。TPPからの離脱が米国の信頼性を損ねたこともあった。
「すべての可能な選択肢をやってみた後、アメリカ人は正しいことを行う。我々は依然としてここにある。皆様と共にあり続ける」とマティス長官が述べた時、同長官は守勢に立たされていることを認識していたに違いない。聴衆の中には、2012年に中国がフィリピンからスカボロー礁を奪取した時、米国が何もしなかったことを思い出した人がいたであろう。問題は中国の膨張を抑止するために、米国は次に何をするかである。
出典:‘U.S. Markers in the South China Sea’(Wall Street Journal, June 6, 2017)
トランプ政権が「航行の自由作戦」に遅まきながら踏み切ったことは歓迎すべきことです。作戦が行われたのはミスチーフ礁の海域ですが、国際法上、ミスチーフ礁は低潮高地(満潮時に水没する地形)とされ、領海を持ちません。したがって、駆逐艦デューイがその12カイリ内で転落救助訓練を行い、明確に「無害通航」でない態様で航行したことは、その海域が公海であるとの認識を表示する効果を持つことになります。
オバマ政権も何回か「航行の自由作戦」を実施しましたが、どういう法的効果を狙ったものか定かでない印象がありました。今回の作戦はその目的とする法的効果は明確であり評価出来ますが、作戦のルート、態様、法的効果を公に説明しないことについてはオバマ政権の方針を踏襲しているようです。どうしてきちんと説明しないのか、判然としません。
この社説は「更にやるべきことがある」と言いますが、他に良い知恵もありません。したがって「航行の自由作戦」は是非とも継続されなければなりません。スカボロー礁の軍事化に中国が乗り出す兆候があれば、これを阻止する必要があります。
なお、社説の末段に紹介されているマティスの発言は、シャングリラ・ダイアローグにおける「70年前、アチソン国務長官は米国が主導する秩序の創造に立ち会ったと書いたが、NATO、TPP、パリ協定を巡る出来事を見ると、今や我々はその秩序の破壊に立ち会っているのではないか」という聴衆の質問に答えたもので、「アメリカ人は常に正しいことを行う――全ての選択肢をやってみた後であるが(The Americans will always do the right thing... after they've exhausted all the alternatives.)」というチャーチルの言葉に基づくものです。南シナ海でも「最後は米国に頼れる」ということであってほしいものです。