(移転しました)Saoの猫日和/old

saoの猫日和のURLが変わりました。
⇒ https://blog.goo.ne.jp/saoneko0224

メディアの役割

2019年03月31日 | ショーケン

レトロメディア・囃ハルト様がショーケンの死去に際してブログを更新されています→メディアの役割 『時代認識を正確に伝えるのはメディアの役割なのだろう。・・』

ジュリーはショーケンをどう見ていたのだろうか? 『ロック史家の故・黒沢進氏によれば、当時の男子が絶対に好きといってはいけない三大グループがタイガース、オックス、フォーリーブス・・』

男性の視線から見たタイガース、テンプターズ、ジュリーvsショーケンの構図は、当時を知らない世代にも見ていただきたいと思います。


 

★タイガースとテンプターズ、PYGのジュリーとショーケンを、ジャズ喫茶でナマで見ていたJ友さんから、お話を伺いました。どうも有難うございます。

ショーケン、大ショックでした。
デビューしたてのテンプターズをACBで何度かみかけました。
もちろん、PYGの時は何度見たかわかりません。
ファンではなかったし、むしろジュリーとは真逆な感じで
アンチな目で見ていた方でしたが、TVのニュース速報が
出た時は、一瞬 時が止まりました。
裕也さんもですがさらにショックです。

つくづく、タイガースのメンバーが誰一人欠けることなく
全員今も生きていてくれるのが有難いです。

ショーケンの退廃的な雰囲気が苦手でした。
若い頃、PYGで組んだ時、あまりいい影響をジュリーに
与えていない感じがしていました。
みるみるうちにジュリーが(ヒッピーのように)変わっていき
それは殻を破りたいジュリー自身の思いもあったのかも
しれませんが、当時 私も若かったので
ショーケンのあの世の中を斜めに見ているような態度に
ジュリーが毒されていくように感じていました。

振り返るとジュリーは、人に左右される人ではなく
むしろ頑固一徹(笑)
ポリシーを曲げない性格だとその後は認識して
いきましたが、その頃は私も 充分まだ
若すぎる年代でした。

※(ジュリーがどのようにPYGで変わっていったと思いましたか?
と、伺ってみました)
ジュリーのイメージがどんどん
ヒッピー(古る!)のように着る物もわざとなのか
汚いもので、ヒゲも時には剃らずにステージに立つことも
あったように記憶しています。
もちろん、あの頃ってフォークが流行り出し
あの人たちがそんな雰囲気でしたから、世の中の風潮
だったのかも。

でも、王子様のジュリーしか見ていなかった二十歳そこそこの
私には 充分ショックでした。
若い頃はカメラに凝っていて、ジャズ喫茶のステージも
撮影自由でしたから、タイガースの頃は良く撮りましたが
PYGの写真は一枚も有りません。
ステージは行ける限り行ったのに、きっと撮る気も
なかったのだと思います。


ハルト様のブログも、ナマでデビュー当時からのジュリーを見ていたJ友さんのお話も、非常に興味深いお話でした。

GS時代のTV画面の中のショーケンは、カッコイイ・・とは実はあんまり私は思っていなかったんだけど、少なくともJ友さんが感じていた退廃的な雰囲気や、世の中を斜めに見ている感じは受けてはいませんでした。TV画面とジャズ喫茶のナマのライブでは、実は与える雰囲気が違っていたんでしょうね。

70年代のヒッピーを知らない世代の方も今は多いことでしょう。J友さんに限らず、PYGがジュリーファンに受け入れられなかったのが、ちょっと分かる気がします。

かくいう私も、ジュリーとショーケンが組んだPYGにはそれほど興味はわきませんでした。この頃、興味の対象が他に移っていたことも有り、ジュリーがソロになってから、やっぱりジュリーが一番だと、またファンに戻ったのでした。

コメント (8)

CM

2019年03月30日 | ショーケン

朝起きてTVをつけたら、裕也さんが突然登場。何?

以前から出ていたネジのCMでした。他にも出ていた葬儀のCMならば悪い冗談ですが、CM画面に「内田裕也さんの訃報に際し心よりご冥福をお祈りします」とテロップが出ていました。おそらく放送は年度替わりの3月まで?かと思いますが、CMの裕也さんは相変わらずロックで無頼でスタイリッシュでカッコイイ時代劇CMでした。


ⅭⅯといえば、タイガースが明治製菓ならテンプターズは森永製菓だった。ヤーングモリナガ~♪このフレーズはよく覚えています。もういちど見たいな~と、ダメモトで検索したらあったわ~(^-^) 嬉しい!こちら→森永製菓


 

 夕方、小堺さんのラジオ番組のゲストの1人は石野真子さん。「ジュリーがライバル」について『沢田さんと一緒に(TVに)出る時は(ジュリーはライバルが)恥かしかった』と文字どうり、恥ずかしそうに答えていました。さあ曲を掛けましょう。

「ジュリーがライバル」が久しぶりに聴ける!と思うじゃない。ところが全然違う曲がかかった。💦 なんでやねん! ジュリーももちろん登場します。真子ちゃん、初紅白


 

J友さんから、各地各紙の新聞記事をいただきました。

関東のJ友さんより 読売新聞、編集手帳 

 J友さんはジュリーとショーケンが共演したNHK大河ドラマの「琉球の風」で、ショーケンの方がカッコイイ役で悔しかった!と💦 

ジュリーが最後の琉球王を演じましたが、王様は動いたりしない、じーっと上品に座っているのみ。王様は動きが無い分、つまりませんでした。別にジュリーじゃなくても良かったの。ショーケンは主人公(ヒガシ)の父役で、2人のGSのプリンスの共演と言うことで、私は嬉しかったんだけどな~(-_-;) ジュリーもやる気満々だったのに。


 

京都より、京都新聞「凡語」

京都のJ友さんは、もうかなり前に一度だけショーケンのライブを見に行ったそうです。『男くさいライブだと思いました、ロックなライブでした。男の人が多くて、ジュリーのライブとは雰囲気が違いましたね。』京都は六角堂の桜がきれいらしいです。

新聞記事には、どちらにもショーケンのやんちゃ人生が書かれています。4度の逮捕とスキャンダルはショーケンを語るには外せません。

4度も逮捕されれば、普通なら芸能界と言う場所に 居場所はなさそうなものなのに、それでも反逆のカリスマともてはやされ 何度も戻ってこられるのは、ショーケンという他に得難い俳優さんだから。

一番スキャンダルに敏感そうなNHK、それも大河ドラマと言う看板番組に出演が決まっていて、もう撮り終えていたのだとか。遺作になりました、6月末の25回目が放送だそうです。こちら(2・2・6事件の高橋是清役。)毎回「いだてん」を楽しみに観ているので、ショーケンの登場が楽しみになりました。(視聴率は低いけど面白いよ~!)

コメント (4)

③ショーケン(モーニングショー)

2019年03月30日 | ショーケン

カラスの落墨ブログさま 更新されていますが、ものすごくショーケンに詳しくてビックリ、男はショーケンのファンなのか。やっぱり


 

29日の朝のTV朝日の「モーニングショー」はショーケンの突然の訃報がトップでした。録画してあとから見直したのですが、細かい部分のいくつかが気になって気になって・・正直に言うと、イラーっと胸がザワザワっとしました。

そこオカシイ、そこ変、完全に間違っている!そう言いたいところがいくつもでした。ショーケンのデビューから辿っているのですが

「エメラルドの伝説」が大ヒットの説明の後に「神様おねがい」が出てきて、それ順番違ってる。「神様」の次に「エメラルド」が出て、一躍タイガースの次に人気者になったのよ。

そして、PYGへ

字幕にはちゃんと「PYG ピッグ」とフリガナまでうってあるのに、ナレーションでは「ピーワイジー」と間違えたまま何度も連呼。意味不明?の言葉もあって、ナレーターが内容をわからずに読み間違えているのでは?と思いました。GSなんて、半世紀も前のお話だもんね。知らないのは当然か・・と思いながらも、前もって打ち合わせ位ちゃんとしといてね!

イライラ~!

「歌が命だ」沢田研二ははっきり そう言った。 これは人に聴かせるために飾って言った言葉ではない、ジュリーの心からの気持ち。カッコいいです!

 『歌が命だ』沢田研二は、はっきりそう言った。決して自ら主張せず、誰かが創作した歌を与えられ、それを誠実に歌う。プロデューサーがつくりあげたイメージを存分に表現してみせる。歌の貴公子です。 (萩原健一)ショーケンの書いた本より 

沢田研二はいつも歌に対して 仕事に対して誠実です。でも自分は・・・、ジュリーが与えられた仕事を真面目に ただこなすだけ、の人でないことは誰もが知っています。この本が出た時も、ここを読んで気になったのよね~ 某氏もジュリーをこういう風に表現したっけな。ライバル心があるからね。

タイガースがジャズ喫茶に出ていた時代から、ジュリーをご覧になっていたJ友さんから、PYG時代の思い出話も聴かせていただきました。次に紹介させていただきたいと思います。

 

コメント (6)

②ショーケン(新聞)

2019年03月30日 | ショーケン

昨夜の突然のショーケンの訃報のショックから抜け出せないでいますが、このブログのカテゴリー分けにはショーケンはどこに入るのか・・?考えています。

神戸新聞に、ジュリーとの2ショット。1981年のサヨナラ日劇の画像です。

スポーツニッポンでは、PYG結成と失敗が詳しく取り上げられていました。

 

コメント (2)

ショーケン

2019年03月28日 | ショーケン

関東のJ友さんが、お花見をされたそうで→『丸の内ビルディング前から出ている真っ赤な二階建てスカイバスに乗って千鳥が淵の桜、皇居周辺、一周して来ました!2時頃、東京駅前で京都からの天皇ご夫妻の車、手を振る美智子さまを見ました!』偶然、美智子妃殿下を見られるなんて、なんて運がいいのでしょう。一度は行きたいと思いながら結局、お正月の一般参賀も行けず、平成はもう残り僅かです。

希林さんの本が、100万部を突破したそうですが、東京渋谷では 樹木希林展もやっているのですね。→樹木希林の展覧会が本日から、若き内田裕也との写真や愛用品など展示 4月7日まで・・


と、ここまでブログをトロトロ書いていたら 報道ステーションが「萩原健一さんが亡くなりました。」

萩原健一さん死去68歳

えええー!突然の信じがたい報道に、思わず叫び声をあげてしまいました。報道ステーションでは「沢田研二さんとPYGを結成」という字幕も出ました。

井上さん、裕也さん、ジュリーとともに音楽活動をしてきた人たちが、何故こうも次々と急に亡くなってしまうのでしょうか。本当にショックです。ショーケンはテンプターズの時からずーっと、気になる人でした。タイガースのジュリーと共に、ショーケンの歌声は小学生の私の記憶に擦りこまれてしまっています。最近も「雨よふらないで」など聴いて懐かしくて懐かしくて・・・桑田さんが「純愛」はいい曲と褒めてくれたのも嬉しかった。

今では声が出てないとか、なんとか、ブログではいっぱい悪口も書きました。でもその悪口の底には愛もあります。ジュリーとは生き方が違う、そう思いながらも、ショーケンが何かすれば、良いにつけ悪いにつけ、気になる人でした。ドラマや歌番組に出演すれば、やっぱり見てしまいました。

一生ジュリーのライバルだと思っていたし、盟友でもある。まだ60代、あんまり早すぎてショックとしかいいようがありません。なんでこうもジュリーに影響を与えた方達が次々と、あまりに早く亡くなってしまわれるのか・・・寂しくてなりません。もう荼毘に付された、お別れの会もしないというのが、最後までショーケンらしいのでしょうか。

 

気になるショーケンが何かすれば、ブログで何度も書いています。

★ジュリーvsショーケン

★ショーケントレイン(ジュリー・ショーケン・・・マチャアキ、ではない )

★「あのスターにあいたい・テンプターズ」君のライバルはジュリー

 

 

コメント (12)

あなたが選ぶ全日本歌謡祭

2019年03月27日 | JULIE メモリーズ

インディーズランキング、4位です。今までよりも売り上げが好調な気がする(^-^)

インディーズシングルランキング 2019年03月25日付


お知らせした3月30日の関西テレビ→「大阪物語」真夜中です。

ワンステップ・フェスティバル」から1部音源公開。静止画像だけど画像が嬉しいです(^-^)


 

昨日の九電体育館のブログをご覧になったJ友さんから、お知らせをいただきました。1978年にジュリーは九電体育館でライブをおこなっています。新聞記事の出演リストには1978年にジュリー名前は載っていませんでした。出演者全部を網羅していたリストでは無かったようです。以下はJ友さんからです。

九電体育館から「テレビ朝日 あなたが選ぶ全日本歌謡祭」が中継されました。
「LOVE 抱きしめたい」1978.12.26放送です。
この年は、ベストドレッサー賞とゴールデングランプリを受賞しました
前年も「勝手にしやがれ」でゴールデングランプリを受賞しているので、
こちらはV2で、ジュリーも嬉しかったでしょうね\(^o^)/
テレビの画面からの写真で、映りが悪いけれど、一枚送ります。

表彰会場は有楽町日劇でした。
ゴールデングランプリの表彰状・トロフィー・副賞300万円❗は、
ハナ肇さんが代理で受け取りました。
番組の中で、福岡のアナウンサーは「九電記念体育館」からと紹介していました。


J友さん、どうも有難うございます。

この当時のスケジュールを見たら確かに12月26日、九電記念体育館と書いてありました。随分、年の暮れにライブをするんだなと思いましたが、直前の12月24日に武道館でクリスマスライブがありました。

「テレビ朝日 あなたが選ぶ全日本歌謡祭」でジュリーが「LOVE 抱きしめたい」で2連覇したのは、よ~っく覚えています。V2を目指していたジュリーですが、受賞会場にはいなかったので 私としてはピンクレディーが大賞ではないかと思いました。実際、歌謡大賞はピンクレディーで、ジュリーのV2を阻止しています。

1977年(第3回) 12月28日 沢田研二「勝手にしやがれ」

1978年(第4回) 12月26日 沢田研二「LOVE (抱きしめたい)」

ライブの会場からの中継のジュリーは、TV用の「LOVE 抱きしめたい」の衣裳とは違い、キンキラキンのド派手コスチュームに宝塚も顔負けのキンキラメイクで、TV画面から溢れんばかりの煌びやかさ豪華さ ファンの私でもスゴ~ク派手!と思いました。(中国の竜が舞台に登場しました。)

会場にいないのでジュリーじゃないだろう・・と思っていたら、ジュリーが大賞受賞でビックリ! ジュリー自身も大きく目を見張って驚いた表情だったので、それほど期待はしていなかったんじゃないかと思いました。会場に来ている歌手にあげるでしょ、普通は。→全日本歌謡音楽祭

 79年となっていますが、九電での衣裳はこれ


コメント (11)

アーモンドの花が満開

2019年03月27日 | 花・ガーデニング

東京ではもう桜が満開だそうですが、なんで関西よりも東なのにいつも開花が早いのだろう?大阪や神戸では桜の開花宣言がでたばかりです。近所の桜は、チラホラと咲いてきました。こちらの桜の見ごろは来週です。

一足お先に近所の公演でアーモンドのピンク色の花が満開になりました。桜よりも花が一回り大きくて綺麗です🌸

街路樹のこぶしの花も満開です。

 

 

コメント

内田裕也さん 4・3にロック葬

2019年03月26日 | JULIE

裕也さんのロック葬が決まったそうです。→内田裕也さん 4・3にロック葬 希林さんも愛したポスターを再現した祭壇に

希林さんも愛したポスターは、なんでも鑑定団で裕也さんが披露したものでした。こちらでポスタが見られます→横尾忠則さん


京都のJ友さんが、去年のイベントで裕也さんが車椅子で登場した姿をご覧になっていました。

こちら→ 京まちなか映画祭、内田裕也ロックンロールムービーvol.5

TV放送された「転がる魂」が無料で上映されたのですが、裕也さんが舞台挨拶に来られるとはJ友さんは思っていなかったそうです。マスコミのカメラは多かったけれど、観客は半分ほどの入りだったそうです。

J友さんから→『そうー(上映から)わずか半年でねー あの時上映されたドキュメント映画すごくよかったですよ。体が動かなかったり、声が出なくて上手く歌えなかったりしたら、「くそー!!」って、うなってはったシーンが印象的でした。

あ、根っからのロックンローラーだ、と思いました。映画祭の挨拶のときは、顔色もよく見えたし、手もよく振ってはった。撮影オーケーだったので誰かがユーチューブにあげてくれるかもしれないね。裕也さんの訃報をニュースみてびっくり。ジュリーがまたガックリーしてはるかと思うと胸がいたいです。』

崔監督に車椅子を押された裕也さん。赤い靴下がお洒落。車椅子だろうと何が有ろうと、この人のダンディズムは変わらないのだろうなと思いました。

 

コメント (2)

九電体育館、閉館

2019年03月25日 | JULIE

ジュリーもライブをした九電体育館が老朽化で閉館になるそうです。J友さんには、1977年の「勝手にしやがれ」の時にご主人と観に行ったのが思い出だそうです。

さよなら九電体育館 月内閉館 クイーンも公演 ライブや相撲、避難所に

J友さんから、記事を送っていただきました。クイーンは4回もライブをやったそうです。シカゴ、ディープパープル、イーグルス、カーペンターズ、ベイシティローラーズ、KISS・・・時代を作った錚々たる顔ぶれが名前を連ねている中にジュリーもいます。

まさに九州の音楽の殿堂ですね。

1978~1979年はとばします、山口百恵、キャンディーズ、原田真二、オリビアニュートンジョン、等。

80年代になると、日本人アーティストが増えています。 

私には九電体育館というと、大相撲の九州場所ですが、意外に1980年までの数年間だけの開催だったようです。→『1970年8月にドリフターズの「8時だョ!全員集合」の公開放送があったり、1974年から1980年までは「大相撲九州場所」の会場としても使用されていた。』

 新聞の二面に渡る大きな記事だったそうです。

左下はベイシティローラーズ ↑

 鮎川さん、最近も見た・・何の番組だったのかしら? そうだ、裕也さんの追悼番組だった。

 

コメント (2)

上田サントミューゼ

2019年03月25日 | JULIE

J友さんから、大阪物語が放送されると教えていただきました(^-^) 綺麗な画像なら嬉しいな✨→大阪物語 関西テレビ 3月30日の深夜2時45分~ 

残念ですが、関東の放送はないようです。


5月18日の、上田サントミューゼの画像がとっても素敵です~✨


友人の息子さん(オリックスファン)が、一郎の最後の試合を見に行っていたそうです。スーパースター中のスーパースターにもいつかは最後の日が来る。

一つの時代の始まりから終わりを、平成を生きた私たちは見届けたわけですが、今後は監督になって欲しいけど・・どうなのかな?

 


TV東京「二つの祖国」の後編、賢治と椰子の熱い抱擁に 突然流れるユーミンの声。昨夜の前編では「哀しみのアンジー」なども流れましたが、ユ-ミンの曲はともかく あの一種変わった乾いた声はちょっとぉ・・ドラマ的には合わない気がしました。

今日はドラマの舞台が東京裁判で、帝国ホテルの旧館や、裁判が行われた防衛省の旧陸軍省大講堂などがTVに映りました。いずれも現存(一部保存)していて、市ヶ谷の旧陸軍省大講堂を一度は見たい!(三島由紀夫の最期の場所でもある)


賢治の最後のシーンは、そこに至るまでの心の葛藤がもう少し丁寧に描いてある方がいいのかも?と思いながらも、日米をどちらも愛し徐々に崩れていく賢治の姿は見ていて苦しい。それはエミーの姿もだけど。

ドラマの年代が1946年、1947年と過ぎてゆき、もうすぐもうすぐ・・と思いながら見ていました。1948年!ジュリーさまの産まれた年になった~(^-^) 戦後の混乱のまだ残る中、ベビーブームの中でジュリーさまは生れたんですね。

ムロさん演じるチャーリーは、汚い仕事にも手を染め、友人を売っても平気な男。皮肉な視線を主人公に投げて、アメリカへと去っていきました。NHKの壮絶な最期とは違っていた。原作読んでないので、ほんとは死んでないのかしらん。

戦争から東京裁判へと、重たい長い話だったけど最後まで飽きずに見てしまいました。多くの方に見て欲しいと思う作品でした。

コメント (4)