猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

8月15日、山本英政さんの『米兵犯罪と日米密約』を読んで、戦後を考えていました

2015-08-16 06:40:41 | あんじゃあない毎日

中央前橋駅近く、きれいなススキです。
風に揺れてます。
花言葉は、『心が通じる』というのだそうです。

秋の野の 美草刈りふき 宿れりし  
宇治の京の 仮いおし思ほゆ   (万葉集巻第一 7 額田王)

「秋の野のススキを刈り採り、屋根を葺いて夜露がしのげるようにして泊まった、あの宇治の都の仮小屋の一夜が思い出されます」てな訳でいいのかな。どなたと仮小屋に泊まったのかな…

 

 昨日は、70年前に、日本が戦争に敗けた日です。
『敗けた』という重い事実を私たちは負ってます。

椅子の上に、少々派手な柄のバスタオルを敷いてあげたら、キキがさっそくあがって、朝食後の昼寝を決め込みました。

 

  キキの隣で、この本を読んでました。二度目です。
獨協大学の山本英政さんの『米兵犯罪と日米密約 「ジラード事件」の隠された真実』という本です。前工大の図書館に寄贈してくださったんです。
山本さんは、このブログを通じて偶然に知り合った方です。獨協大学のHPには、こう紹介されてます
ジラード事件は、1757年1月に、群馬県榛東村にあった米軍演習場で起きた事件です。薬きょうを拾っていた女性を米軍の兵士が射殺したんです。事件を巡って、いろんなことが起きました。事件の概要はこちらでご覧ください

 

 山本さんは、この事件の事実、米軍の占領が終わり、日米安全保障条約が結ばれたのが1951年、この条約を根拠に日本に駐留していた米軍の若い米兵が犯した犯罪の事実と、その犯罪がどのように裁かれ、如何なる決着に至ったのかを、大変にていねいな調査をもとに検証し、その全貌を明らかにしています。
敗戦とはなんだったのか、米軍の占領下から、占領が終わった後の『戦後』を知り、考える大事な一冊になりました。

 

 この本の末尾を、山本さんは次のようにまとめています。
『地元紙上毛新聞の11月22日夕刊の囲み記事「ローカル線」の論評を紹介したい。論者は「ジラード試験再発防止」の見出しで、判決が傷害致死の平均とされる懲役三年よりも軽かったことについて、日米安保条約を押し付けられた日本では占領期がいまだに継続しているようだと嘆くーー懲役三年、執行猶予四年という判決は重いか軽いかと問うて、加害者がもしも自衛隊員だったらどんな判決を受けただろうか。傷害致死の平均刑は懲役三年だそうだが、薬きょうをばらまいて誘き寄せたうえ発砲、致死させたのだから平均刑より重いのが当たり前だ。それが執行猶予四年、平均刑より軽い判決を言い渡されたのであるから、これは大アマであるーーと。』

 

 『さらに米軍という外国の軍隊をもつ日本の宿命をこう述べた。
「外国の大軍が、日本に駐留しているかぎり、公平なるべき裁判さえ、日本国民の納得いきかねる判決を下さなければならないのである」
この論者の歯に衣着せぬ主張は、判決について疑いをもつ識者の一部が言い淀んでいたことをズバッと言い当てた。
「判決は初めからわかっていたのではないかと疑いたい。日本の裁判にかけるから罪は軽く、という黙約があったとしたら日本人は名を得て実を失ったことになる』
この書は、上毛新聞の記事で終わっているんです。
上毛新聞の論者が指摘した『黙約』は、『日米政府間の密約』としてちゃんと存在してたのです。

 

 山本さんは、上毛新聞のこの囲み記事を書いた記者を探していたんです。それで、上毛新聞社の編集局長から副社長をつとめた臼田柳二さんの思い出話を、私のブログに見つけたのです。この記事を書いたのが臼田さんでないかと…
そして、上毛新聞が、大新聞社が書けなかったことを、しっかりと書いていたんだってことを教えてくれました。
残念ながら、私にはそのことはわかりませんでした。でも、臼田さんがジラード事件の取材について話しておられたことを覚えていました。
そんなことで、高崎の『三月兎』で、山本さんと一度だけ酒を酌み交わしたんです。

 

 

  山本さんは、この本のあとがきには、妻のハル(日本人)を連れてアメリカに帰国したジラードの姿が書かれています。そして…
『「故郷に帰れば立派な兄であり、父であるはずの人間が、いざ制服を着て鉄砲をもつと、敵地の住民には恐るべき獣性を発揮する……」
と、軍隊の持つ魔性に改めて思いいたったという』
中国雲南省に駐留した元日本兵の述懐を引用しています。
戦争がつくり出した異様な歴史状況の中に、私たちは、今も生き続けています。そのことを、忘れてはいけないのだと、山本さんに教えられました。

なお、この本は、明日、前工大の付属図書館に返却します。
前工大の図書館は、市民にも公開されていますんで、どうぞご利用ください

 

 

 正午、自宅で黙とうをして、それからまちへ出ました。
まちは静かでした。

 

  休業の貼り紙をして休んでる店もありました。左のは、八百徳支店のですけど、お日様のの顔がオヤジさんそっくりなんだいね、誰が描いたんかな…

 

  モモヤで涼柳麺をいただきました。
入口に、県が進めているクールシェアの貼り紙です。モモヤもクールシェアに参加してるんです。
「誰か、シェアしに来た?」
「だ〜れも、来ない、来てないよ~」だそうです。

 

 中央通商店街の『からさわ』で新しい急須を買いました。ユキ子さんが壊してしまったというので…

 

 左が今回購入したのです。右は、前から持っている備前焼の作家、故正宗悟さんの大ぶりの急須です。で…、じゃじゃ〜ん!

 

 良い急須は、柄を下にして立てることができるんです。みごと、立ちました。
これって、すごいんです。急須は柄を中心に回転させて湯を注ぎますから、柄がきちんと重心を貫いていないときれいに注げないんです。それで、日本の陶工は、道具の原理を見事な形に仕上げているんです。偉いな…

 

 キキは、気にいったバスタオルの上で一日ごろごろしてた8月15日でした。

 

 

 

 

 

 前橋で日本舞踊の師匠をしている直派若柳流の若柳糸駒です。
前橋のまちで、毎年4月に『美登利会』という舞踊会に参加しています。お稽古場は、城東町4丁目です。よろしくご贔屓のほどお願い申し上げます。

その、『美登利会』の様子は、こちらでご覧ください
舞踊教室などのご案内は、こちらで申しあげております
                         若 柳 糸 駒

 

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