正幸寺の勝軍地蔵尊のお堂です。26日にはまだ公孫樹の葉はほとんど散っていなかったのですけれど、昨日立ち寄ってみたら散り敷きはじめていました。
2本の公孫樹の樹はすっかり黄金色になった葉をたくさん残しています。近日中にお堂の周りは黄金色の海になります。
今日も前橋の路地をやります。丸山染工場のあった先の路地、人の暮らしが消えて風景が変わるのを待っている路地です。
朝、いただいたグラニースミスをジャムにしました。とてもしっかりした酸味の素敵なリンゴジャムができました。右は出来上がり具合を確かめるので小さなパン切れにのせて試食したんです。
広瀬川の十六本堰にはたくさんの落ち葉が流れ着いていました。カルガモが落ち葉の中を泳いでいました。
前橋の路地 第22回 馬場川沿いの路地その4 風景が変わるのを待つ路地
丸山染工場があったところから第2保育所のところまで、川沿いの道は広がっている。自動車が走れる車道と川沿いの歩道が植え込みで分離されている。川沿いの道は舗道の先にある。
植え込みの先に白い壁が見える。あの家のところから右へ入る路地がある。今日は、馬場川からちょいと離れてこっちの路地に入る。
右に曲がるとすぐに左に曲がっている。曲がると、右手は最初の家の生け垣、左側は白い壁の家の裏だ。その先は砂利を敷き込んだ空き地になっている。最近建物が解体処分されてできた空き地だ。この区域は前橋市が施行する区画整理事業が進められている。そのために、こういう空き地と無住になった家屋が日に日に増えているのだ。
路地の右側、最初の家の先は住む人のいなくなった2軒長屋だ。隅を覗くと、奥に井戸のポンプが見える。物心ついた天川の戦災住宅はこんな家であった。
長屋の前にも空き地ができている。ここの空き地にはアカマンマが一面に咲いていた。イヌタデ(犬蓼)の花、普通、7月ごろから10月ぐらいに咲く花だ。風あたりのない日差しが届く空き地は11月になっても花盛りだ。
長屋の先を右に曲がるとそこには人の暮らしがある。ピンクの塗装が見える。『マヤ』という美容室がある。今も営業しているかどうかは分からないけれど、人の暮らしは確かにある。
左手のブロック塀は隆興寺の裏塀、隆興寺は前橋藩主酒井忠世の開基により1636年(寛永13年)に紅雲町にある龍海院の僧により創建されたと伝えられている。当時この地は前橋城下ではなく、十八郷村という村であった。
マヤの先を右に曲がる。隆興寺の裏塀沿いの路地だ。路地は隆興寺の裏の外周を巡っている。この寺の寺域は十八郷村の時代のままなのだろうか。奥の赤い鉄製の門扉は使われていない。その手前、防犯灯の支柱のあるところを左に曲がって路地は続いている。
左に曲がると右側はフェンスで囲まれた空地、突き当りの家も暮らしの気配はない。閉じた門の内側、玄関先のカエデの紅葉が美しい。
このくねくねと右左に曲がる路地を歩いてくると、小さな農村であった十八郷村に藩主の強権で寺院が移され創建された当時の田畑の畦道か集落道を歩いているような気がする。馬場川から水の引き込まれた田には蛍が飛び交い蛙が賑やかだったことだろう。古い街並みの裏路地には500年の昔の村の翳が残っている。
空き地の向こう側も住む人のいない家だ。取り壊されるのを待ってるだけの無機質な存在だ。
この路地、村の集落や田が長い時を経てまちの住宅地に変わり、そして70年前に米軍の空襲で焼き払われ、跡形もなくすべてを失った。その後、焼け野原となった路地につくられた人々の暮らしも、今、その痕だけになろうとしている。
奥を覗くと大きく伸びたサザンカが満開になっていた。路地はここで行き止まり、元の道を戻る。
『マヤ』のある道の曲がり角まで戻ると、隆興寺の境内に続く路地がある。この路地の左側の家並みも、暮らしの臭いはない。
区画整理事業が進むと新しい風景が現れるはずだ。今ある家で残る可能性を感じさせる建物はない。未舗装の自動車の入れない路地も姿を消すしかない。また全てが失われる。
子どもの頃、私は、こんな路地で遊んでいた。メンコに興じ、かくれんぼや戦争ごっこをしていた。
人々の暮らしが消え、不確かな記憶だけしか残っていない路地は、新しい風景を待っている。
昼食は、一人でラザニアを作って食べようとしているところに出かけていたユキ子さんが戻ってきたんで、半分こして食べました。
それで、月末だからって理由で夕食の支度の免除申請をしたら、「ご馳走してあげる」っていうことになりました。しめしめで、鮨屋の『いわまる』へ出かけたんです。写真は、酒の肴につくってもらった刺身の盛り合わせとマハギの肝和えです。せっかくご馳走されるのですから、贅沢することにしました。おいしいです。
たくさん飲んで、にぎってもらって…。写真は〆サバと大好きな車エビです。
珍しいことなんですよ、ユキ子さんにご馳走されるのって…
直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の二代目吉駒の下で修業して参りました。
初代吉駒が始めた美登利会は、来春で75回目の節目を迎えます。予定通り、4月8日に開催いたします。
亡くなりました二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、これからも引き続きよろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。
今春の第74回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす。
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください。