猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

台風襲来への備えをして、靴を買いにまちへ出かけたら、広瀬川の水が停められてました…

2018-09-30 07:02:31 | あんじゃあない毎日

台風24号が接近しています。
今朝の情報では、南九州の沖を北東へ向かっているって、関東は今夜から明日の未明にかけて台風が走り抜けていくことになるみたいです。
昨日は、朝食後に懐中電灯の点検をすませました。カンテラと懐中電灯三つ、ちゃんとつくかどうかチェックして、乾電池の過不足を確認です。LEDを使ったカンテラは、停電時にとても役立つ、電池の消費量の少ない便利な灯りです。左の三本足のランプは、釣り道具屋で手に入れました。三本の足がグニャグニャ曲って、その先端は永久磁石です。いろんなところに固定できます。
ろうそくの在庫も確認して…、ろうそくは東日本大震災の停電時にとても役に立ったんです。

  家の近くの広東橋から見た広瀬川です。水位が50㎝以上、下がっています。台風の接近で、柳原制水門が閉じられて、下流へ流す水量が制御されたんです。
「早め早めの対応を」と、気象庁は呼び掛けています。

 

  JAファーマーズへ行くと、特別なことはありませんでした。
不足する心配のある乾電池と野菜を買いました。
糸駒は、東京の稽古場へ出かけて行きました。「30日はお休みにして、代わりに2日も東京でやることにしました…」だって。忙しなんです。
萩の花はわが家の木の塀から道に伸び出した枝に咲いてる花です。

 塀のポスターが貼り替えられてています。10月7日に開催される群馬県邦楽協会の定期公演です。この公演では、糸駒は踊らないみたいです。
糸駒の次の舞台は、10月21日の「第41回前橋市民芸術文化祭」の「日本舞踊の集い」(前橋市民文化会館・)午後1時開演)で、筝曲「茶音頭」を舞います。珍しくお箏の曲で踊るみたいです。

 ご近所さんのコスモスも満開になりました。
台風の風に耐えられるかな…

 

 家の備えがすんだので、街へ買い物に出ました。新しい靴が欲しくなったんです。今はいているのが、もう2年になるからです。
旧第二中学校、塀の上から大きく伸び出したアメリカセンダングサがたくさんの花をつけてました。

  キンモクセイは散り始めています。
道端で野生化したシソが白い花を咲かせていました。
雨は降っていませんでした。でもいつ降り出してもおかしくない空模様、折り畳みの傘を持って、歩いて出かけたんです。

 葉を食い荒らされた柚子の木がありました。葉を見ると、まだ小さなアゲハチョウの幼虫があちこちにいました。でかいのはいないかな…

いました、立派に大きくなった幼虫です。こんな奴がいるんじゃ、この柚子の木は丸坊主になってしまうと思います。

 

 靴を買って、あおい食堂へ行きました。
「買い物?」
「うん、靴を買ってきた…」
「また買ったの?」
「またって、今はいてるの買ったのは2年前だぜ」、お母さんは厳しいです。
リンゴの実は、城東町2丁目で見かけたんです。

 「おヒゲさんですよね…」
後から入ってきたお客さんが声をかけてくれました。そうですと答えると…
「よかった、ヤギカフェか、ここに寄れば会えるかなって思ったんです…」だって。
スイフヨウって花は、朝咲いた時は真っ白、だんだん色づいて、夕方には薄紅色に染まるんですけど、最初から赤みが差していることもあるんです。早くに飲み始めるとこうなるみたいです。

 「東京サンショウウオ」さんという名前で、このブログにコメントを入れてくださっている前橋出身の方でした。お会いするのは初めてです。
酒飲みながら、のんびりとお話しして…
「今日のうちに東京へ戻ります」って…
お会いできてよかったです。

この芽、何の芽かな…

 

  小雨のまちは、それなりに賑わってました。土曜日ですから。
折りたたみ傘を持ってきて良かったです。

 <あんね、広瀬川の水がとまっちゃったけど、なんかあるの?>
中央前橋駅まで戻って来たら、顔見知り猫に尋ねられました。

広瀬川は、川底の石が見えるところまで減水してました。しっかり備えていました。
<台風24号が来るんだよ。非常に強い台風なんだって。明日はさ、お昼すぎたら外に出ない方がいいよ>

 

  夕食はミックスフライでした。
生サケ、ジャガイモ、ズッキーニ、ニンジン、ナスです。ニンジンは柔らかくゆでてから衣を付けてあげます。
サラダは、マカロニサラダにしました。
少し作り過ぎました。二人では、食べきれませんでした。

ユキ子さんの両親には、別に作ってお届けしました。多すぎたかな…
今日は、台風の襲来に備えて暮らします。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

4月8日の第75回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください


赤城山見ながら東へ、吉田栗園で前橋るなぱあくの「おむすびのマム」さんに会って、夜は、リバティーの猫紅茶でした

2018-09-29 06:41:13 | あんじゃあない毎日

栗の林越しに見える赤城山です。ちょいと低く見えちゃってますけど…
栗の林は、前橋市富田町にある「吉田栗園」の栗林です。きのう、天気も良いので東の方へ用足しに出た帰り道、ちょいと立ち寄ったんです。
富田町は前橋の東部、ずっと赤城山眺めながらだったんです。

   これは、桃ノ木川を渡る前の上泉の田んぼの向こうの赤城山です。左の木立は上泉神社の杜、その前の稲田の中に小さく人の姿があります。
稲田の中に青い帽子、刈入れを前に、ヒエ抜きの作業なんです。

桃ノ木川を渡ってたら、上毛電鉄の電車が走ってきました。中央前橋駅行きの上り電車です。
この電車は1998年まで東京の京王井の頭線を走っていた3000系という電車を改造したものなんです。上電では700型と名前を変えた8編成が走っています。上電を走って満20年です。
3000系は、1962年から1991年にかけて製造されて、井の頭線では2011年まで使われていたそうです。1960年代に私も乗っていたんです。その頃は、オールステンレス製の車体が人気だったのです。
という高齢の車両ですから、間もなく更新することになっているようです。ちなみに、上毛電鉄の車両のことは、こちらでご覧ください

 桃ノ木川の次に渡る寺沢川の橋の上から見た赤城山です。
東へ向かうにつれて、微妙に形が変わって行きます。秋晴れの赤城山です。寺沢川は、大胡町のグリーンフラワー牧場のところにある寺沢沼という溜池が水源です。県立循環器病センターの脇を流れ下って、女屋町で桃ノ木川に合流します。

 そして、ここはもう富田町かな、国道17号上武道路の手前あたりです。
このあたりまで来ると、「女が寝そべってるみたいに見えるべぇ〜」って自慢されていました。鍋割が頭と顔、荒山とその向こうに見える峰が胸なんだそうです。見えますかね…
クリックして拡大して眺めてください。見えなくても私の責任ではありません、念のため。

 

 そんなわけで用事すませて吉田栗園さんに寄ったんです。HPはコチラです。
立ち寄ったのは、焼き栗の注文です。栗拾いと焼き栗は予約制なので、電話注文しとくのが普通なんですけど、こっちへ来たんで吉田さんに会ってこうってことになったんです。
古い作りの立派な門に、「やきぐり」の旗が揺れてます。
吉田栗園で栗拾いや焼き栗勝手みたいなって方は、HPをご覧になって、予約してください。

 栗園で、前橋るなぱあくの「おむすびのマム」の責任者をしているMさんに会いました。
「おむすびのマム」で「栗おむすび」を出したいってんで、地場産の栗を探しに来てたんです。偉いですね、子どもたちに、ちゃんとした地元産品でおいしいもん食べさせなくちゃってんです。見上げた努力です。
Mさん、私が11年前にるなぱあくの園長だったことを知ってました。更に、もっと前の私とも会っていたっていうんです。吉田さんも驚いてました。私も嬉しかったです。

 こんなに違うんですよ。左が吉田栗園で栗拾いしたり、購入したりする生栗です。右が、庭先の栗の木に実る栗のサイズです。吉田さんとこでは、この小さな栗は販売対象にしてません。

  栗の木の足元に、カタバミの大群落です。黄色い小さな花も咲いてました。すごくきれい。
おむすびマのムのMさん、おいしい栗おむすび作ってくださいね。楽しいるなぱあくよろしくね。
マムの案内は、右のカードをポップアップしてください。

 

   カラスウリが覆い尽くしてしまった生け垣です。赤く熟れた実です。縞模様のまだ未熟な実です。あれこれいっぱい、ぶらぶらしてました。

 ジンジャーリリーです。
予約した焼き栗は、台風が行ってしまう予定の来週の火曜日に受け取りに行く約束しました。また来ます、吉田栗園さん。

 

  糸駒は、昨日から東京の稽古場です。でも、30日は台風の影響が心配なのでお休みにしたみたい。昨日も早めに帰ってきました。
夕食は、養田鮮魚店で買い込んだ刺身の盛り合わせ、今シーズン初めてのカワハギ、北海道産の甘エビ、それとマグロです。カワハギ、少し小ぶりでしたけど肝はちゃんとふくらんでいて、おいしかったです。
それと、野菜汁に秋ナスの南蛮でした。

 

  それに、昨日の夕食はデザートもついたんです。紅茶はリバティーに入荷したばかりの猫紅茶、猫がバス使ってるみたいに見えるのティーバックの紅茶なんです。私がいただいたのは「しろ」のアップルティーでした。
ケーキはさ、千駄木のTAVERN IN THE VALLEY という名の洋菓子屋さんのサバランでした。糸駒の話では、「ちょいとさ、レトロなのね…」ということで、味見もせずに買ってきたみたいです。

こちらのティーバックはリバティーさんにお問い合わせください
別に特別な紅茶ではなさそうなのですが、猫好きにはたまらない逸品です。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

4月8日の第75回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください


伯母さんの命日、雨のなか墓参して、栗ご飯を炊いて、プレーン茶碗蒸し、伯母さんの好物つくってました…

2018-09-28 07:01:45 | あんじゃあない毎日

嶺町にある高岑院(こうしんいん)の墓地の入り口には、雨に打たれてキンモクセイの花が散り敷いていました。
昨日は、伯母さんの命日でした。一年前、糸駒が出演した東京の舞踊会から戻ってきたその夜、糸の切れた凧みたいに逝ってったんです。

 我が家では、満開の萩が雨に花を散らされてました。
朝食後直ぐに花こうへ寄って、花を受け取ると、墓参に出たんです。

まちは雨でした。芳賀町あたりまで登ると雨は小降りというか、霧雨になってました。

  彼岸の明けた墓地には人の姿もなく、静かでした。
細かい雨が降ってました。
一年が過ぎ、また一年が始まるんだなって感じてました。

  散り始めた金木犀の花を眺め、道に枝垂れる白萩に目を奪われながら、帰って来たんです。
それだけです。特別なことはなにもありません。伯母さんには、一緒に暮らせたことをありがたく思っているって、それだけを伝えたかったです。感謝しています。

山田の稲は黄金色でした。刈りいれ間近です。

 まちまで戻って来たら、雨脚が強くなっていました。

命日ですが、糸駒はお弟子さんたちの稽古が入ってました。私は、予定を組まなかったんで、すこぶる所在無い日になってしまいました。

 

 昼過ぎ、雨があがりました。散歩に出て、ヤギカフェとあおい食堂に寄りました。
馬場川通にはカツラの葉が散り始めてました。まだ黄葉はしてないのですが。

  きれいなススキの穂が目に入りました。
稽古場の玄関のお飾りが、月見兎のちりめん細工になっていたのを思い出しました。
そういや、今年の月見はお彼岸と重なって、9月24日だったんですね。すっかり忘れていたことを思い出しました。

 

  家に戻って、伯母さんが好きだった栗ご飯を作ることにしました。栗は、いただきものを冷蔵庫で熟成させてました。
栗をこしらえている間にも、花屋が盛花を届けに来ました。伯母さんの命日、いろいろな皆さんがお花を届けてくれます。ありがたいことです。

炊けた栗ご飯は、お重に詰めてユキ子さんの両親へもお届けです。
とても良い栗でした。伯母さんもきっと合格点くれたろうなってひとりごちてました。

 夕食は、伯母さんの好きなものを作ることにしました。
何度目かに、「ばあちゃんが作ってくれたのとおんなじ、おいしい…」ってほめられた、何も入ってないプレーン茶碗蒸しです。少しだけ、出汁に醤油味を利かせています。

 伯母さんはうなぎが大好きでした。でも、うなぎもどきのナスのかば焼きも、「おいしいよ」って、笑って食べてくれました。もどきはもどきなんですけど。

 帆立貝の貝柱と金時草の酢の物です。薄く切った梅酢ショウガでちょいとおしゃれさせました。こういうことすると、「きれいだね…」ってし眺めてくれました。この貝柱は、伯母さんの姪のアヤコさんからの贈り物です。

  豆腐のステーキと栗ご飯です。
牛肉のステーキが大好きでした。肉好きなんです。でも野菜を食べてほしいので、これも一種のもどき料理なんですけど、嫌がらずに食べてくれたんです。
「ねえ、栗ご飯食べたい…」、栗ご飯は季節になると必ず注文されました。好きだったんですね。必ずお代りしてました。芋・栗・南瓜、私が苦手な食べ物は、伯母さんの大好物だったんです。

外食が多くて、肉好き、野菜を食べてもらうのにあれこれ工夫が要でした。
でもね、直ぐ気づいたんです。子どもの時にばあちゃんが作ってくれた食べものはみんな好きだってことが。だから、ゴボウでも蓮根でも山芋でも…、いろんな野菜、昔風の食べ方につくるとけっこう大丈夫だったんです。
それと、もどき料理がオーケーだったんです。面白がってくれました。

つくづく思いす。伯母さんお抱えの調理人だったんだなって…

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

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天気も気分も重い日は、芋がらとキャベツで遊んで…、秋だから「庭の千草」なんです…

2018-09-27 06:41:33 | あんじゃあない毎日

彼岸の明けだというのに、昨日は朝から雲が折り重なって、今にも雨が降り出しそうでした。
長い一年が、あっという間に過ぎた気がします。
いろいろあったから、長かったんです、この一年は。
でも、過ぎてしまった時は、すごく短く感じます。

 天気も気分も重いので、芋がらと遊ぶことにしました。
皮を引いて、寸法に切って、洗って、ゆでて、冷水に晒して…

 芋がらだけでは間が持たなくて、キャベツとも遊ぶことにしました。
葉を一枚ずつにして、ゆでて、葉柄をそぎ切って、ロールキャベツにしました。
この料理は、私の母が最期の頃に食べてくれてた料理の一つです。キャベツの葉を半分か三分の一にして作った小さな小さなロールキャベツでした。やわらかくゆでたホウレンソウの胡麻和え、それに、手まり寿司6個(甘エビ、いくら、たい…)、こんなんを病床の母に食べてもらってました。ていねいに煮た小さなロールキャベツに、母はウスターソースをかけてました。
20年前の記憶です。

 

   芋がらは、油揚げと一緒に煮ました。少しだけよけといて、あとで甘酢に漬けました。
生椎茸の含め煮、牛肉とゴボウの有馬煮、それと、写真はとりませんでしたけど、刻み昆布も煮ました。
10年ちょっと前から続けている常備菜づくりです。朝ごはんのおかずです。伯母さんに、なんとか野菜を食べてもらわなくてはと始めたんです。其れなんで、子どもの頃の伯母さんに、ばあちゃんが作って食べさせていたであろう昔風の惣菜が多かったんです。そしたら、意外と季節感があって楽しい作業になりました。

ゴボウは前橋産のゴボウです。群馬のゴボウは夏が収穫期です。夏から初秋にかけてが旬、香りのよい柔らかなゴボウです。
芋がら(ずいき)は秋の野菜の代表選手の一つです。今でなくちゃなんです。

 

 <どこ行くの?>
「惣菜が出来たから、お昼食べに…」
<あおい食堂?>
「うん」

   南回りの船で アフリカへ行くのが夢さ

って、ベランダの手すりに乗っかって唄っていたベランダ猫さんです。最近はベランダでなく、窓から外を眺めていることが多くなりました。

あおい食堂の入り口に青いアサガオが咲いてました。
「かわいいでしょう」ってお母さんが自慢する小さな小さなアサガオの花です。

「今度は仏壇仕舞いですね…」
高岑院(こうしんいん)のご住職も昼食しに来てました。
「まだ片付かないみたいなんです、すみません…」
目下片づけを進めている千代田町の家の仏壇を、伯母さんの一周忌もすんだことですから片づけなくてはならないのです。でも、なかなか片付けが進まなくて…

 夕方になって、ようやく雨粒が落ちてきた彼岸の明けです。

 

   夕食はロールキャベツではありませんでした。ロールキャベツはユキ子さんの両親へ届けたり、友人にお裾分けしたりして、残りは冷凍しました。ロールキャベツの中に入れた挽肉のタネが残ってしまったんで、それで煮込みハンバークを作りました。
サラダは、トマトと、金時草と、残った茹でキャベツです。ごはん代わりにさやいんげんとパセリいっぱいのパスタです。

 

 そうそう、まちからの帰り道、一昨日見なかった型板ガラスに出会いました。家に帰って調べたのですが、こういう文様のはどこにも載っていませんでした。想像力も働かなくて…。でもきれいです。

 

それから、昨日、ご覧に入れたこのガラスの文様、これは「千草」っていうみたいです。

   庭の千草も むしのねも
   かれてさびしく なりにけり
   あゝしらぎく 嗚呼白菊
   ひとりおくれて さきにけり
          (アイルランド民謡  訳詩:里見義)

明治の小学唱歌です。
歌詞の意味は、人生の晩年に、大事な人に先立たれ、一人残されてしまった悲しい心を歌ったものなんだそうです。寂しい歌です。秋なんです。

今日は、伯母さんコト、二代目若柳吉駒の命日です。
これから、墓参りに行きます。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

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模様入りの型板硝子を探して、「夜空」とか、「ささ」とか、「水輪」とか見っけて、ミョウガのフルコースで食事した彼岸です

2018-09-26 06:04:40 | あんじゃあない毎日

模様の入っているガラスです。この模様は「夜空」っていうらしいです。
こないだ、高崎のAさんち訪ねたときに、トイレをお借りしたんです。Aさんちは古い農家建築を改造して住いにしています。トイレの小窓が二重窓になっていて、外側の窓はすごく古めかしいガラスがはめられていたんです。それで、模様を覚えていたんです。
昨日、それと同じガラスに出会いました。弁天通で。それがこの写真なんです。

 小雨が降っていました。それで、出かけるのをやめていたのですが、新ショウガの梅酢漬けを届けなくてはと思い立って、小雨の中を傘さして歩いて出かけたんです。赤城山は下半分だけ姿を見せてくれていました。

 弁天通、比刀根橋近くにある、以前、群馬の経済を牽引した糸繭商の事務所だった建物があります。通りがかって、ふと木製の引き戸の前で足を止めたんです。

  不透明なガラスに模様が見えます。よく見ると、Aさんちのトイレの小窓のガラスと同じ模様だったんです。家に戻ってからのことですが、調べて見たら、だいぶ前に、日本板硝子社でつくられた「夜空」という商品名の型板ガラスらしいのです
きれいな模様です。

 

 それで、呑竜仲店の「ヤギカフェ」で昼食しました。グリーンカレーです。いつものことですが、おいしいです。
昼食の話題は、ガラスではなくて、「毒」についてでした。怖いお話しでした。中身は内緒です。

  お昼を終えて通りに戻ったら、大蓮寺の山門に、「彼岸」という貼り紙が出ていました。
そうか、私は迷いの娑婆世界にいるんだ。「正しい岸」へ渡らなくちゃいけないんだな、なんてマジで読んでたら、なんとなく模様入りのガラスの向こうに彼岸があるような気がしてきたんです。
模様ガラスの向こうの世界、気になって、模様ガラスを探す散歩をすることになりました。

 でも、そうそう見つからないものですね。これは城東町2丁目(昔の諏訪町)の歯医者さんが移転して、使われなくなった診療所の扉のガラスです。
後で分かったことなのですが、こういうガラス、「型板ガラス」と言うらしいです。板ガラスの製造過程て、平滑なローラーと型模様を刻んだローラーの間を通して成型すると、片面だけに模様がつくんだそうです。こうして作られた板ガラスを「型板ガラス」と呼ぶのだそうです。

 旧野村歯科診療所の型板ガラスに映ったまちの風景です。面白いです。
でもね、こういうガラスがあまり見られなくなったのは、板ガラスの製法が革新的に改善されて、窓に使う板ガラスも鏡用のも、ローラーを使って成型しなくなったらしいのです。それで、型板ガラスのはオーダーメードになって、既製品がほとんどなくなったということのようです。

 三河町の閉店した飲食店の扉のガラスです。探して歩いていると、今は使われなくなってしまっている建物に、型板ガラスが使われていることが多いのに気づきました。

 

 で、目指したのはこの閉店した居酒屋の建物だったんです。そこで見たものは…

竹の飾りが組まれた丸窓のガラスです。なんと、笹の葉の模様です。すっごいおしゃれです。
日本板硝子社が製造していた「ささ」って型板ガラスみたいです。

 路地に入ったところのガラス窓のガラス、木の葉の模様になってます。何の葉っぱかな。

これも、草の模様に見えますよね。何だろう。
実は、「夜空」とか、「ささ」とかを同定したのは、「大阪板硝子販売」という会社のHPのこちらのページなんです。この写真の模様は収録されていませんでした。

 そして、わが城東町4丁目、住む人を失った古い住宅です。

玄関の引き戸のガラスです。いいですね、何だろうな…

これは、「からたち」(日本板硝子社製)によく似ています。私が、京都で暮らしていたころのガラスのようです。

そして、「水輪」(旭硝子社製)です。美しい曲線です。これも私が二十歳のころのみたいです。
50年、その間の施術革新によって失われたガラスの風景なんですね。

 という訳で、型板ガラスの模様探しの散歩でした。けっこう見つかったのですが、そのほとんどが、間もなく姿を消してしまいそうな建物に付いてました。
そうだいね、50年以上前のガラスなんだいね…

 

 ミョウガの刺身です。隠し包丁を入れてあります。
昨日は、伯母さんが好きだったミョウガのフルコースを作りました。
彼岸の食事、娑婆世界の食事じゃないですよ。

 ミョウガと金時草の酢の物、Aさんにいただいたスダチを添えました。
このミョウガは、下味を付けたものに隠し包丁を入れて食べやすくしています。

 ミョウガの肉巻です。下味付けたミョウガを薄切りの豚肉で巻いて焼いたものです。ミョウガは下味付きです。タレはわさびを効かせたみりん醤油です。
サヤインゲンと大根葉を巻いたのも一緒させました。

 それと、ミョウガ飯、椀は、ミョウガたっぷりの野菜トン汁です。ミョウガ飯は熱々のご飯に甘酢漬けのミョウガを刻んでまぜたものです。
食卓の隅っこで、伯母さんの写真が笑ってました。

 

    
参考までに、ミョウガの下味のつけ方です。
ミョウガは縦二つに切って、軽く塩をして5〜6分置いて、水洗いして塩分を取り除きます。
酒1:みりん1:食酢1:醤油0.5の割合であわせた煮汁を沸かしてアルコールが飛ばします。
煮汁に洗ったミョウガを入れて、再沸騰したら火を止めます。
煮汁ごとボールに移して、そのまま冷まします。
ミョウガが格段とおいしくなります。食感を失わせないよう、一煮たちだけですよ。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

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ボタンクサギを見ながら幸塚町へ行ったらイシミカワの藍色の実に出会いました。裏庭で去年まで伯母さんが摘んでいたミョウガが採れた彼岸です

2018-09-25 07:00:40 | あんじゃあない毎日

昨日は、イシミカワの藍色の実に出会いました。
この草痛いんです。茎も葉柄も鋭い棘だらけなんです。子どもの頃なんて呼んでたかな、イシミカワなんて呼んでなかったのは確かですけど、「〇〇〇〇があらぁ~、き〜つけろ!」なんて兄貴分が教えてくれたとき、なんて言ってたかな、思い出せません。
そこいらへんに普通にあったつる草なんです。

 昨日の朝は、夫婦のほかにもう一人朝ごはんを食べに来てくれた人がいました。それなんで、ちょいと豪華。亡くなった伯母さんが「旅館の朝ごはんより豪華なのよ」っていろんな人に自慢してくれていた朝食の形になりました。
金時草、モロヘイヤ、しば漬け、ショウガの梅酢漬け、鶏肝のワイン煮、ゴボウと牛肉の有馬煮、ずいきの煮物、それと鮎の一夜干しです。みそ汁はナスに小ネギ。

 家のことすませてから幸塚町へ出かけました。
途中、こないだようこさんが「ピンクの花はボタンクサギですよ」って教えてくれた花に出会いました。こんな具合にぼうぼうとしてました。

  よく見ると、つぼみも花も葉っぱもクサギそっくりです。色が異なるのと、花房がアジサイのような形をして、花が密生しています。匂いもクサギの匂いです。

  写真を撮っていたら、ハナバチがやってきました。クサギの花房の中に身体を半分突っ込んで、忙しく蜜を吸っています。忙しそうです。

 

 幸塚町で銀の鈴をつけた首輪の猫に会いました。
「ここの生まれ?」
<そう、ここで生まれて、ずっとここで暮らしてるよ>
「じゃあ、知ってるかな。江戸時代から幸塚村ってのがあったって聞いてるんだけど、名前の由来しってる」
<知らないな、母さんも教えてくれなかったから…>

 猫の話では、昔は静かな農村で、養蚕がすごく盛んだったんだそうです。それが、戦後、畑をつぶして貸家を立てる人が増えて、前橋で一二を争う貸家とアパートの多いところになったんだそうです。今も、古い養蚕農家の建物も残っていますけれど…

  <まだお百姓している人もいるけどさ、アパートや建売住宅がどんどんできてるよ。毎年、様子が変わらいね…>
ひょっとすると、もう農地の方が少なくなっているのかもしれません。

 午前中だというのに日差しが強いです。熱くなりそう。
猫は自動車の下で強い日差しを避けてました。猫の話を聞いて、このまちを一回りすることにしました。用事もすませましたから…

 

  サツマイモ畑です。葉っぱを一枚いただいて、子どもの頃の遊びをしました。葉柄が長いとペンダント、短いとハンドバックなんです。作ると女の子がままごと遊びで使ってくれたんです。

 そして、古くなって借り手がいなくなったみたいな数軒の貸家の隣りの空き地で、イシミカワの藍色の実を見っけました。

  左が花です。ほとんど花と思えない花です。仲間のミゾソバやママコノシリヌグイはピンクの可憐な花ですが、イシミカワは薄緑というか、黄色味がかった白というか、極めて地味な花なんです。そして、薄緑色の実を結んで、それが熟すと藍色になるんです。
それにしても、なんでイシミカワという名前がついているのかは分からないのだそうです。
近縁種のママコノシリヌグイってのはひどい名前ですよね。誰が付けたのかな…
「ママコ」は「継子」と書いて実子でない子どもを指す言葉だと知ったのはずいぶん後のことだった気がします。

すぐ脇のアメリカセンダングサの花にキタテハがとまって食事をしてました。

 美しいクモの姿もありました。幸塚町の秋です。

 

 シオンの花が咲いてました。
ずい分暑くなっていました。彼岸も間もなく明けるというのに…、です。

 

  夕食は、生姜飯を作りました。細く千切りにした新ショウガを太熱々のご飯に混ぜこむだけです。香りのよいご飯です。伯母さんも大好きでした。
椀は、豆腐に吉野餡です。天盛りしてあるのは、熱湯にくぐして、しっかり叩いたわさびの葉です。こちらも良い香りです。
おかずは、シイタケとピーマンの肉詰め、トマトとサヤインゲンのソテーを添えました。

伯母さんの居室の西側の裏庭でミョウガがたくさん採れました。よいミョウガです。
去年までは、「あたしはね、蚊に刺されないんだから…」って言って、伯母さんが摘んでくれていたミョウガです。今年はユキ子さんが摘みました。今夜、いただくことにします。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

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美しい水路のある集落で暮らすAさんを訪ねて楽しい時間を過ごしたのですが…

2018-09-24 07:26:29 | あんじゃあない毎日

高崎市下大島町、美しい水路のある集落で暮らすAさんを訪ねました。私よか少しだけ先輩なんです。
毎年、7月になると、自宅の果樹園で収穫した天津桃を送ってくれます。それなので、桃が届くとお礼を兼ねてお邪魔してるのです。
去年は7月25日、美登利会の浴衣ざらいをすませて一息ついたところだったんで、「あたしも行く」って伯母さんも言いだして、ユキ子さんの車で三人して出かけたんです。そん時の記事はコチラです。

  烏川を渡って、八幡霊園なんかがある丘陵にのぼるすぐ手前の集落です。集落道の脇にはきれいな水が勢いよく流れる水路があります。夏だとカワトンボが群れ飛んでいるのですが、さすがに彼岸、もう姿を見せてくれませんでした。

 Aさんと知り合ったのは、40年以上前のことです。初めて住まいを訪ねたとき、この美しい集落で暮らしていることがものすごくうらやましかったです。

Aさんは大病を患いました。難病に指定されている病気です。一時は車いすを使う生活になっていました。
でもね、頑張ってリハビリテーションをして、今は、病気と仲良くしながら、果樹園や畑の仕事ばかりか、軟式テニスができるようになっているんです。若い頃は、軟式テニスの選手として鳴らした人なんです。
挫けない、明るい振る舞いが大好きです。

  Aさんちの土蔵です。夏の初めだと、隙間なくぶる下がっているタマネギも、ずいぶん少なくなっています。
Aさんちには素敵な猫がいました。今はいません。もう飼わないみたいです。

とりとめのない話をしました。でも、とりとめもない話の中に、元気の種があるみたい、嬉しかったです。

 「スダチあげる、このへんで採れるのはめずらしいのだよ」
「きれい、大好きです。実がなっている姿が見たいな…」

 庭と菜園の境に植えられているスダチの木です。ずいぶん大きくなっています。
たくさんの青い実がついています。きれいです。

 これは、バナナです。去年か一昨年には実がなっていました。今年はなっていませんでした。

  果樹園です。ここで、白桃、天津桃、黄桃、プラム、柿、栗、金柑…、さまざまな果樹が育てられています。「孫やなんかに食わせたいと思うと、ついついいろんな種類になってしまって…」って笑ってます。
菜園も、冬野菜が育っていました。豊かな暮らしです。

日が傾き始めたころに、「また寄せてもらうね…」って。

 

 <ここまでは普通だったのよね。ここから、オヒゲの大チョンボが始まってしまったんです。いつものことです。困ったものです。
ユキ子さんの車は烏川の橋を渡る前に、いったんお別れしたAさんちへUターン、人騒がせなことです。
それから、前橋の自宅まで戻って、またすぐに高崎の下大島のAさんちへ…
何しているんだろうね、迷惑なことですよね、Aさん、もうお風呂に入っちゃってたんですよ…
どんなチョンボかって、恥ずかしくて言えません…>

 <でね、問題解決はは簡単だったんです。なにせ、ただのチョンボだったんですから。ご迷惑かけました。ごめんなさい、キキからもお詫び申し上げます、お許しくださいね…
そいでね、もう6時過ぎになってたんです。だから、引間の「天ひろ」で夕食することにしたんですけど、今度はカメラを忘れて行ってしまって、記録はありません。
「天ひろ」については、こちらをご覧ください。天ぷらもお酒もデザートも、みんなおいしかったみたいです。
そいでね、天ひろでは、今もブログ読んでくれている古いお知り合いに会ったみたいです。ごきげんで帰ってきました>

 <という訳で、中途半端な記事なんです。それに料理もなしってのは良くないので、おヒゲが作った昼食をご覧に入れておしまいにします。チョンボなおひげをお許しくださいね>

 <ナスとホウレンソウ入りのポロネーゼです。チーズは、東毛酪連のエダムタイプを使っています>

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

4月8日の第75回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください


父25回目、母19回目、伯母さんとキキは初めての秋の彼岸、おはぎを作りました…

2018-09-23 06:40:09 | あんじゃあない毎日

おはぎを作りました。あんこ、きな粉、黒胡麻、三色のおはぎです。
ずい分久しぶり、前につくったのがいつ頃だったか思い出せません。昨秋逝った伯母さんがおはぎ大好きだったんですが、一緒に暮らしている間はお弟子さんが届けてくれるので作ることはなかったです。
で、今年は伯母さんのためにもつくることにしたんです。写真は、ユキ子さんの両親の定方家へお届けして、御仏前に進ぜてもらって、両親にも食べていただく分です。

 

 朝です。何日か前に糸駒の稽古場へ通う子供が水鉢に挿してくれた手折った萩の枝が新しい花を咲かせていました。水鉢には、薄雲を通して差し込む朝日がまぶしく光ってました。続いていた雨があがってました。

 朝食後直ぐに墓参に向かいました。手向ける花をもらいに「花こう」へ寄ったら、困難がありました。栗なんです。小さな緑色のイガが枝にいっぱい並んだ栗なんです。面白い栗です。
クリ見てたら、去年の秋のこと思い出していました。10月になったら吉田栗園へ栗ひろいに行こうねって予約も入れていたんです。でも、伯母さんは栗拾いに行く前に旅立ってしまったんです。

で、花をいただいて…

 亀泉町にある霊園へ向かっていたら、信号待ちの親子です。運動会へお出かけみたいです。昨日は、前橋の小学校のほぼ半分で運動会が開かれたんです。
お父さんは方からなにかさげてます。子どもは嬉しそうに高々と手をあげて…

  霊園に着いたら、「あれ、モクセイの薫…」ってユキ子さんが先にお気づきました。金木犀の木に花が咲き始めていました。

 私の両親が眠る墓です。生前に父は「葬式に坊主呼ぶな、戒名などいらない、墓石は利根川から拾ってきて立てればよい」と言っていたんです。
それで、父が亡くなるとすぐに、父が親しくお付き合いをさせていただいていた邑楽町のお坊さんに相談したんです、父に言われていた通りにしてよいかどうかを。そしたら…
「お父さんが戒名は要らないと言ったのであればつけなくてよろしい、葬儀もやめて、恭一君が『お別れ会』を主宰すればよいでしょう。ただ、墓に河原の石をを使うのはやめなさい。それでは畜生の墓です。霊園に立って、左右を眺め、前後を見て、恭一君がこれぐらいと思う墓を作りなさい、お父さんの意向は無視してかまいません」と言われたんです。1994年の冬のことでした。
それで、こんな墓が出来たんです。25年前のこと、月日の経つのは早いです。

墓参りを終えたら、青空が広がり始めていました。運動会日和になりました。良かったです。

 あとで、近所に用事があって出たとき、城東小学校をのぞいたら、騎馬戦やってました。男女混合です。昔と違います。でも、楽しそうな歓声は今も昔も一緒でした。

 

 それから、おはぎづくりです。少しだけ作ることにして、もち米1.5カップを炊いて、よく蒸らしてから、すりこ木で少し搗いて、21個に丸めました。わが家が9個、ユキ子さんの両親のところが9個、それと、ユキ子さんの両親の墓参のお手伝いに出てくれた息子の分3個です。
丸めたもち米は、冷めないように電気がまの中で保温しておきます。

  まずはあんこです。ラップの上にあんこを拡げてまん中に米を置いて、ラップくるんで形を整えると楽チンなんです。きれいに7個できました。
それから、きな粉を7個、黒胡麻を7個、これで21個です。

 定方の家へお届けする分はお重に詰めました。三食おはぎです。

さっき墓地のことで書いた通りで、わが家には仏壇がありません。私の本棚の一角に両親の写真とキキの写真が飾ってあります。そこへおはぎを進ぜました。キキもさ、あんこ好きだったんですよ。甘いものを欲しがる猫だったんです。
両親の写真は、二人がまだ元気だったころ、奈良の春日大社にお参りした時の写真です。父は、今の私と同じくらいの年齢だったと思います。

 

おはぎを作ってから、まちへ出ました。空はすっかり秋晴れになってました。

  帰りにJAファーマーズに寄ったら、葉物野菜が手に入りました。金時草、モロヘイヤ、大根葉です。小ネギもありました。嬉しいです。買い込んで、金時草とモロヘイヤはゆでて、大根葉はモミ漬けにしておきました。

 

  夕食は、小ネギとゆで豚のヌタ、豚肉の南蛮、両方とも少しずつです。

  それと、野菜の精進揚げです。小ネギ、金時草、モロヘイヤの茎、サヤインゲン、それとマイタケです。うどんは直売に出ていた、どこかのおじさんの手づくりの生うどんをゆでました。

 父が25回目、母が19回目の秋の彼岸でした。
伯母さんとキキは、初めての秋の彼岸でした。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

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9月15日、東京新聞主催の「推薦名流舞踊大会」に出演し、新内「広重八景」を務めました。いろいろとご支援いただいた皆さまとご観覧にお運びくださった皆様に心から御礼申し上げます。


富岡市の黒川園芸組合の新ショウガに遊んでもらった雨の日…

2018-09-22 06:58:07 | あんじゃあない毎日

ショウガです。「新ショウガ」と呼ばれているショウガです。
富岡市の黒川園芸組合という生産団体が出荷している新生姜です。群馬でもショウガは生産されています。スーパーやなんかだと、新ショウガのほとんどが高知県産か和歌山県産で地場産の新ショウガを見ることはめったにないと思いますが、ちゃんと生産されているんです、地元でも、それに、薫り高いおいしい新ショウガです。

 昨日は朝から雨でした。というよか、前の日から降り続いてました。
「おはようございます、ご注文の新ショウガが入りました」、中央通商店街の八百徳支店のおかみさんから電話です。外に出て見たら霧雨、タイミング見計らえば自転車で受けとりに行けそうでした。

 9時半過ぎ、傘を差さないで歩いている人を確認して八百徳支店へ出向きました。

高知や和歌山の新ショウガは、春の4月ごろから出荷が始まり11月ぐらいまで、だらだらと出荷されてきます。それは、大規模に温室を使って、燃料を燃やして加温し、温室の中にミスト(霧)を人工的に大量発生させて生産しているからです。もともと、ショウガは春に芽吹いて秋に花を咲かせ、晩秋に枯れる多年生の植物です。そういうショウガ本来の生態を人工的に管理して、ほぼ通年出荷できるように生産しているのが高知や和歌山の生産地なんです。

今回注文したのは、富岡市の黒川園芸組合が生産出荷している新ショウガ、4㎏です。きれいでしょう。
群馬県内でショウガを生産している農家は、高知や和歌山のような大規模な施設園芸としてショウガ生産をしていません。ビニールハウスで生産管理しています。
そして、初秋、彼岸の頃に収穫して出荷されます。この時期にだけ手に入る野菜なので、私にとってショウガの旬は初秋なんです。

昨日は雨、「旬」の生姜に遊び相手になってもらうことにしました。

 

  左が、ショウガ一株です。中央の少し色が茶色がかっているのが最初に植え付けられた「種」の根っこなんです。それが、生産者が与えてくれるたくさんの水分と栄養でもって成長していくとたくさんの根塊が生み出され左右に拡がっています。
それをバラバラにしたのが右の写真です。下の一個が「種」の根塊です。上に、17個の増殖した根塊です。すごい増え方です。
私たちは、植物の強い繁殖力に支えられて生きているんだなって実感します。ありがたい恵です。

黒川園芸組合の新ショウガは、高知や和歌山のに比べると根塊が小さめですが、香り、味、食感、どれをとっても決して劣ってはいません。すごく素敵な新ショウガです。

 

 新ショウガは、汚れのある皮をこそげて(全部きれいに剥く必要はありません)、食べやすい大きさに、根塊を二つから四つぐらいに切り分けてきれいに洗います。
漬け液を用意します。普通、新ショウガの甘酢漬けを作るときの漬け液の基本量は、食酢、水(又は煮きり酒、あるいは昆布出汁)、砂糖、これを同量合せて甘酢を作ります。これはあくまで「基本」です。
私は梅漬けで得た梅酢を持っているので、梅酢と甘酢同量を合せた漬け液を使います。ですから、甘酢だけで漬けたのよりも甘さは抑えられます。「基本」の甘酢の「水」は、酒とみりん半々を煮きって使います。それなので、砂糖の量も減らします。

  ポリ袋に、切り分けた新ショウガを200gずつ計って入れます。19袋できました。
それに、甘酢と梅酢を合わせたのを100mlずつ入れて行きます。漬け液は、2リットル用意したんです。

袋の空気を抜いて、ゴムバンドで封をします。19袋の新ショウガの梅酢漬けの漬け込み完了です。きれいでしょう。
これを冷蔵庫で保存して、2〜3日で漬けあがります。待っている友人へのお届けは来週になります。

 

 ショウガを漬け終えて、小雨の中を散歩に出ました。
ご近所のAさんちの玄関先には、鉢植えのシロバナマンジュシャゲが満開になってました。

 Mさんちの塀際では、ニワナナカマドの葉っぱが色づき始めていました。

 色づき始めた柿の葉っぱ、その向こうにはコスモスです。秋ですね。

 クリの実にも会いました。
新ショウガを漬け込むと、私にも秋がやってきます。本当の秋です。

 

あおい食堂で一杯やって、お母さんとどうでもよいおしゃべりをして、ぶらぶら帰って来たんです。
傘を差さなくても濡れない程度の霧雨でした。

 

 夕食のサラダです。キュウリと茹でキャベツは、前日に手に入れたわさびの葉を細かく砕いたのを入れたドレッシングで和えました。ニンジン、ジャガイモ、レタスはレモンのドレッシングです。たっぷりとおいしく野菜をいただきました。

  ポークシチューです。ニンジンとマッシュルームいっぱいです。煮込んで、冷凍保存しておいたんです。
それと、シイタケとピーマンたっぷりの炒め飯です。

今日は、彼岸の墓参りに出かけます。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

4月8日の第75回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください

9月15日、東京新聞主催の「推薦名流舞踊大会」に出演し、新内「広重八景」を務めました。いろいろとご支援いただいた皆さまとご観覧にお運びくださった皆様に心から御礼申し上げます。


用事のついでに利根川眺めて、ヤギカフェでは前橋ミナミ眼科の話題、あとは、芝エビで遊びました

2018-09-21 06:34:14 | あんじゃあない毎日

雨の降り出す前にと、利根川を見に行きました。ちょうど大手町に用事もあったものですから。
ここのところ雨量も少ないですし、上流のダムも放水していないらしく、川の水位は下がってました。前橋公園の先の川筋は、流れがよどんで、南から吹いてくる風がつくり出す波が上流に向かって走っていました。

  淀んだ流れに向かって釣りをしている人がいました。鮒かなんかを狙っているようです。静かなとねがわでした。
河原の藪にはタデの花が咲いてました。

 

 15時間ほど脱水シートに包んでおいた鮎はちゃんと干物になっていました。
脱水シートから出してポリフィルムで包みます。都合で先輩を訪ねるのが日曜日になってしまったんで、大半は冷凍保存することにしました。昨日のうちに友人にお裾分けする分だけはそのまま冷蔵です。

 

  それから大手町へ、俳人の関口雨亭さんの旧宅脇を流れる馬場川です。川面にアメリカセンダングサが倒れ込んでいます。右の川岸に赤いのが見えます。
ツバキの実でした。色づいてます。

 関口雨亭産の旧宅には土蔵があります。私が子どもの時からあります。

  土蔵の壁にL字型の鉄製の鉤が付いています。これって「角折釘」というものです。切妻のところには釘の根元を漆喰を丸くふくらまして飾りみたいにしています。これは「つぶ」というんだそうです。
用途は、壁の漆喰を補修する時の手掛かり・足がかりにする、はしごなどをかけて置く、それと、火災が発生した時に水で濡らしたわら束をかけることで壁を保護する、いろいろ言われているのですが…
本当のところはよく分かりません。すんません。

用事をすませて利根川を見に行ったんです。通り抜けた前橋公園、どこかの子どもたちが芝生の坂で遊んでいました。楽しそう…

  昼食は、ヤギカフェで「秋ナスのドライカレー」です。おいしいです。
話題は、群馬経済新聞の記事でした。板倉宏高さんという眼科医が11月に「前橋ミナミ眼科」という眼科診療所を開設するってんです。眼科診療所の開院が呑竜仲店でなんで話題になっているのかというと…
その理由は、11月になればわかります。しばしお待ちを。

午後は、糸駒の依頼で進めてきた作業の仕上げをしました。
メールで送られてきた資料をチェックして、最終的な返事を送付して、一件落着、ほッでした。

 

 岩神町の養田鮮魚店へ魚を見に行きました。けっこう賑やかにいろんなのがいました。

  帰り道、すっかり草ぐさに覆われてしまった風呂川を眺めてたら、頭上で激しい鳴き声です。オナガの声です。
以前はわが家にも毎日のように遊びに来てくれていた鳥なのですが、朝日町の区画整理事業が進んで、広瀬川の川岸の雑木がきれいに取り除かれてしまって、声さえも聞こえなくなってしまいました。
右の写真の木立の中で鳴き叫んでいるのですが、写真には写っていませんでした。

 鳥の姿をお目にかけられなかったので、代わり、草ぐさに隠されているに風呂川の水をご覧ください。ちゃんと流れています。紅い小さなのは、萎んだオシロイバナです。

 

養田鮮魚店に佐賀から芝エビが入荷してました。生の芝エビにお目にかかれるのは年に数回のことです。
長いヒゲです。身体の長さの4倍近くあります。面白いので、きれいに並べてみました。

 調理するのには、このヒゲがすこぶる邪魔なんで、みんな引っこ抜いちゃいます。抜いたヒゲ、いつも思うのですが、何かに使えないかな…、それなりなんですけど…

 もう一つ珍しいもの、わさびです。養田さんの知り合いで栽培している人がいて持ち込んでくるんです。たまたま、昨日届いたんです。葉付きです。

 

  中央通の広場では、イベントカーが来て何かやっていました。弁天通では、映画かなんかの撮影をしていました。どちらも何なのかは、私には分かりません。でも、人がワサワサしてるのはいいことです。まちですから。

 

 夕食の前菜は、塩茹での芝エビです。殻剥いて、あるいは殻ごとむしゃむしゃです。手が汚れます。

   ヒメダイとトリガイの刺身。ヒメダイの柚庵焼き。それに椎茸とニラのお椀です。
ヒメダイは、タイと名前についてますけど、マダイの仲間ではないようです。大変においしい魚です。詳しくは、こちらをご覧ください
刺身に添えたわさびは、葉付きのわさびを下ろしました。

 〆は、迷いなく「わさび茶漬け」でした。良い香りです。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

4月8日の第75回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください

9月15日、東京新聞主催の「推薦名流舞踊大会」に出演し、新内「広重八景」を務めました。いろいろとご支援いただいた皆さまとご観覧にお運びくださった皆様に心から御礼申し上げます。