猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

レタスの花が咲いた猛暑日は、食事の支度を三回もしました…

2018-06-30 06:55:56 | あんじゃあない毎日

この花分かりますか。レタスの花なんです。
レタスってキク科の植物なんです。アキノノゲシ(秋の野芥子)の仲間なんです。
こういうと、菊の花に見えてきますよね。サイズは1㎝もありません。小さな花です。

 昨日の朝、急な用事が出来て、ほんとうは組長の仕事があったんですけどごめんなさいで出かけちゃったんです。その帰り道、前の日の夕方に寄ったら花がもう終わっちまってたんで、朝なりゃ見られるだろうってあおい食堂の店先を通ったんです。

  そしたら、咲いてました。右の写真のサニーレタスの華なんです。私も実物見るのは初めてでした。かわいい花です。

  通り抜けた街は「七夕まつり」の支度が始まってました。今年は7月5日から8日までの間です。4日の日には七夕義勇軍でパーラーモモヤの飾り付けを手伝います。

 それにしても朝から異常な暑さでした。梅雨明け宣言が出て、まだ6月だというのに猛暑なんです。この夏を生き延びられるかどうか、老人たちは悲惨な戦いを強制されるみたいです。負けそう…

 

  家に戻ると直ぐに料理です。糸駒の稽古場にOさんが来て、美登利会の浴衣ざらいで使う曲の編集作業(音入れ)をはじめてました。「頼むね…」って言われてたんでOさんと糸駒の昼食を用意したんです。
アナゴ飯のお重です。アナゴ飯のご飯には新ショウガを刻んで入れました。漬けもんは新ショウガの梅酢漬けと小梅漬けです。
おかずは、揚げナスの南蛮、イサキの卵の煮物、小松菜、ラディッシュ、レタスのサラダです。

お椀は、寄せ湯葉とにわか菜園で採れたキュウリです。
おいしく食べてもらえたみたいで、よかったです。

 

 これは私の昼食です。大根を刻み込んだすずしろそばです。猛暑の日には一番です。
それで後片付けすませてから、ちかにゃんさんにいただいたエゴマの葉を醤油に漬け込みました。

 左がいただいたエゴマの葉です。右がJAファーマーズで買った青シソの葉です。そっくりなんです。エゴマはシソの仲間なんです。実は胡麻のように使います。福島ではエゴマの実のことを「じゅうねん」と呼びます。

   しょうゆだれは、減塩醤油大さじ6、ゴマ油大さじ2、みりん大さじ2、摺りゴマ大さじ2、炒りゴマ大さじ2、唐辛子粉大さじ2╱3、こんな感じであわせました。中が漬け込んだエゴマの葉、右は青ジソ、分ける手間を省くためラップで包んで漬けました。冷蔵庫で3日も置けば食べられます。

 

  玄関先でしぼり模様のハギが2種類咲きました。早いです。暑さが早く来たんで、みんな慌てて咲き始めているみたい、これだと7月末には何の花も咲いてない状態になりそうです。天候不順は老人だけでなく花にもおこんじょうです。

「線路で目玉焼きが焼けそうだな」なんて不謹慎なこと考えながら、午後の用事に出かけました。暑かったです。

  みんな、ギラギラなんです。日差しが痛いです。
でも、やることはやっておかないと、年寄りだからって許されないんですね。熱中症に気をつけながら…、でもひどい、過酷な暑さです。

 日が傾いた夕方、三河町の通りです。女性はパラソルで日差しを避けて歩いてました。

 

 で、戻ってまた料理です。今度は、ユキ子さんの両親の夕食のおかずです。
昨日は、ローストポークです。付け合せはラディッシュとにわか菜園で採れたインゲン豆のバター炒めです。それと、にわか菜園のキュウリと岩船麩の酢の物、マッシュポテトの小松菜ロールとにわか菜園産トマトのサラダでした。配達は、ユキ子さんに頼みました。もう外へ出るのが嫌でした。

  でね、家に戻って来たらまたまたタマネギが届いてたんです。おいしいタマネギ生活がフィナーレ迎えたこと書いたら、それではって届けてくれたらしいのです。
「今度はさ、構えないで普通のタマネギ生活にしたら…」、糸駒のアドバイスです。
それで、ムラサキタマネギと新タマネギを半分ずつ使うことにしました。

  ムラサキタマネギとレタスのサラダです。
それと、小松菜の葉っぱばかり使って残ってしまっていた葉柄部を使ったスパゲッティーです。こちらには新タマネギが入っています。

1日に3度も食事の支度をした猛暑日でした。
今朝は、ちゃんと広報を配ります。1日遅れになってしまいました、ごめんなさい。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

4月8日の第75回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください

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ネジバナに出会って父の郷里の信夫の里を想っていたら、ヤブカンゾウも咲き始めた風呂川あたりです

2018-06-29 07:07:17 | あんじゃあない毎日

ネジバナです。昨日、岩神町のとある家の芝生の中で咲いてました。
この花に初めて出会ったのは、子どものときの夏休み、父の生家のあった福島県信夫郡飯坂町(現福島市飯坂町)なんです。不思議な花だなって覚えました。飯坂では日当たりの良い道端で咲いてました。
前橋で見るようになったのは、公園や公共施設、一般住宅の庭なんかに芝生地がつくられるようになって、そんな芝生地で見かけるようになりました。県庁の正庁前の松が植えられたロータリー(今はありません)の野芝の中とか、私が勤務した小児医療センターの裏の芝生地にもたくさん咲いてました。

 今はめずらしくなくなった花です。別名もじずりです。

 みちのくの しのぶもじずり 誰ゆえに 乱れそめにし 我ならなくに

古今集に納められている河原左大臣の歌です。「みちのくの しのぶ」というのは、父の生家のあった辺り、古代から「信夫の里」と呼ばれてきた地域を指しています。「もじずり」は、ネジバナでなく信夫の里特産の「文字摺り」という染色技法で染められた布帛を使った衣です。
その文字摺りの紋様に似ていることから、ネジバナガこの別名を得たようです。

 信夫の里には、今ももじずり石と呼ばれる石が遺されています。松尾芭蕉も奥の細道の旅で訪ね寄ったところです。詳しくはこちらをご覧ください

ネジバナは、信夫の里で生まれ育った父を思い出させてくれる花です。
今年は、ずいぶんと早くに咲きはじめちゃっています。おかしいです。

 

  朝は雨が降ってました。止んだらやたらと蒸し暑くなって、こりゃ溜まらん状態となりました。でも、庭の菜園を見回って、トマトの初収穫をしました。これからは、菜園を見てからでないと野菜の買い出しができなくなります。

 それから用事があって敷島町へ出かけったんです。雨上がりの広瀬川、きれいですね、凪いでいたのですが、川岸は心地よい川風が吹きます。気持ち良いです。

自転車を走らせていたらおかしな風景に出会いました。これは、焼まんじゅうの「原嶋屋モロッコ支店」ではありません。前橋は平和町にある本店です。でも変だいね、店の前に唯一生えている植物がビロードモウズイカ、あとは石畳とくりゃ北アフリカのモロッコだいね。
漢字で書くと「天鵞絨毛蕊花」、これだとどこの風景になるかな…、嫌ですね。

  通りすがりに道端眺めてると変なの見っけちゃいます。
左の古びたコンクリート臓の倉庫みたいな建物の屋根から伸び出しているつるはさ、キウイだいね、なんか変だいね。
次のは、日除けのグリーンカーテンに育てているゴーヤだいね。たくさん実がなって食べきれないだろうな。どうするんだろう。今年もあちことで、熟れたゴーヤの実がはじけてオレンジ色の果肉をむき出しにする光景を見るんだろうな、嫌だいね。

 

で、帰り道、岩神町の養田鮮魚店に寄ってから、大好きな風呂川で気分転換、水かさの増した夏の風呂川、良いですね。端の上は涼しいし。
そいでね、近くでネジバナに出会ったんです。それから、

ヤブカンゾウです。もう咲き始めています。子どものころには田んぼ道の水路の岸でいっぱい咲いてたいね。この花が咲くと、もうじき夏休みだって嬉しくなるんですよね。学校行かないで一日中遊んでられるよねって教えてくれる花だったんです。
それにしても、今年はずいぶん早くに咲きはじめちゃったいね。夏休みも早く来るといいね。

 最近はさ、輸入もんの色鮮やかなへメロカリスばっかになってしまって、日本産へメロカリスのキスゲやカンゾウは影が薄くなってきちゃいました。子どものころから季節や年中行事を知らせてくれて来た草ぐさの姿が、年々減ってます。寂しいですね。

 

  養田さんちではイワシとアナゴなんかを買い込んできました。
今ごろのイワシは「梅雨いわし」って呼ぶんです。脂がのって一番おいしい時期なんだそうです。梅干で炊きました。
アナゴはさ、「Oさんが来るからお昼用意してもらえる」って糸駒さんから注文があったんです。今日の昼食です。そいで、アナゴ飯にしようってんで、湯をかけてヌルを取り除き、骨切りしているところです。それから酒とみりんとしょうゆでコトコト1時間半ほど煮ます。

 

 あおい食堂の前の花を見に行きました。残念、花びらが散ってしまった後でした。
また出直さねばなりません。この花なんの花でしょうか。身近な植物の花なんですけど、あんまし見たことないんです。

 代わりに夕涼みしている猫に出会って帰ってきました。

 

 夕食の主役は、ショウガ飯です。炊き立てのご飯に、細切りした新ショウガを混ぜこんだご飯です。食欲の減退するこの梅雨時に最適の飯です。
食欲の減退していない糸駒はお代わりしてました。

 おかずはイサキのたたき風刺身、ナスのシギ焼き、寄せ湯葉でした。

それと、ちかにゃんさんエゴマの苗ありがとうございました。今日植えこみます。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

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梅雨空の馬場川、ワタムシが沸いて、イタドリの花か満開です…

2018-06-28 07:24:14 | あんじゃあない毎日

梅雨空の下の馬場川沿いの小路です。蒸し暑いです。

  保育園の庭には色とりどりのコスモスが咲いています。
川沿いの路地には、来るたびに暮らしを失った家が増えています。区画整理事業が進められていて、この路地で暮らしていた皆さんが順次他所に移り住んで行くのです。
人の暮らしが無くなると、川岸のようすも変わります。プランターや植木鉢で育てられていた草ぐさの姿が消えています。猫の姿もめっきり見なくなりました。

   川岸のフェンスにはびこったヤブカラシがオレンジ色の花を咲かせています。住む人のいなくなった家の前には青桐の実がだらしなく揺れてます。水路にはヤブマオウの花が咲き始めてます。

隆興寺の墓地の生け垣で面白いものを見っけました。綿くずみたいのが葉っぱにたかってるんです。

  これって、ワタムシの仲間の昆虫です。アブラムシの一種です。秋の終わりの北海道で「雪虫」って呼ばれている小さな白い虫が大量に飛んでいる風景が有名です。トドノネオオワタムシという虫です。この虫が湧くと、北海道の皆さんは冬支度を始めるって聞いてます。
ワタムシは、年に二回、梅雨時の今ごろと秋にメスに羽が生えてと飛ぶんです。前橋でこの虫に出会うのは梅雨時の方が多い気がします。
昨日はまだ飛んでませんでした。間もなく羽が生えて、ふわふわと風に乗って飛んでく姿が見られます。

  石屋さんのある道を越えて東福寺近くに来ると、イタドリが花盛りです。これは雄花です。上向きに花房を伸ばして咲いています。

  コチラが雌花です。花房は下に向かって枝垂れます。川面に向かって伸びているのは、まだつぼみです。

雌花が咲くとこんな風に豪華絢爛になるんです。きれいなんです。
イタドリはいろいろと厄介な植物なので、すごく嫌われます。日本からイギリスに渡った仲間は、向こうで侵略的外来植物として徹底駆除の対象になっているらしいです。
でも、この花見慣れてるんです。子どものころから梅雨時になるとたくさん咲いているのを見てきたんです。

梅雨どきの馬場川です。区画整理事業が進むと、ワタムシもイタドリも見られなくなると思います。
そこに暮らす人にとっては、うれしい存在ではないですから…

 

 昼過ぎに、八幡さまの前にある「ロゼル ホンマチ(Rosell Hon-machi)」という名のガレットの店を訪ねました。「キョウイチさんの梅干食べたい」ってリクエストが経営者のKさんから届いたんです。で、配達に出かけました。

   Kさんがガレットを焼いてました。ガレットって薄く焼いたお焼き、クレープと同じです。Kさんが焼いているのはそば粉を使ったフランス風のガレットです。
伯母さんが気に入ってくれたんで私が良く焼いてたのはジャガイモのガレットです。
そば粉のガレットの方がおしゃれです。
今度ゆっくり時間をとってシードルを飲みに行こうと思っています。Rosell Hon-machiのHPはコチラです。

 

 朝食後、西形貝へ用事で出かけたんです。朝貝堰のカジノキの花が咲いたかどうか見に寄ったんですけど、まだみたいでした。

  足元にはコセンダングサやぺんぺん草が咲いてました。でも、なんかこのぺんぺん草、違和感があります。よく見るナズナでないみたい、シロイヌナズナとか、マメグンバイナズナとか、いろいろいるらいいのでちょいと見よく分かりません。

 違うんですよね、感じが。今度時間があるときにゆっくり調べてみることにします。
「ナズナ」って漢字で書くと「薺」で、この字見たって意味も分からないのですが、「撫菜(なでな)」の変化だって説もあるんですよね。撫でて、愛でたいほどかわいらしい菜だって言うのだそうですよ。

   行燈や ぺんぺん草の影法師  一茶

 

 昨日はね、おいしいタマネギ生活最終回となりました。スープはタマネギとベーコンのスープです。別れの盃でなく、別れのスープです。

  サラダは、ムラサキタマネギとラディッシュ、それとマッシュポテトの小松菜ロール、ソースはタマネギいっぱいのタルタルです。
それと、タマネギ入りの串カツです。ニンジン、ジャガイモ、ナスの応援付です。

ということで、長きにわたったおいしいタマネギ生活を無事に終えることができました。タマネギを提供してくださったマリ子さんとIさん、ありがとうございました。ごちそうさまでした。

 それとね、レイ子さんのお土産の胡麻入り豆腐、わが家のにわか菜園で採れたキュウリと一緒にいただきました。ごちそうさまです。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
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野村たかあきさんの落語三題、しばはま、しにがみさま、ねこのさら、7月14日からです…

2018-06-27 05:46:25 | あんじゃあない毎日

一昨日、久しぶりに野村たかあきさんが訪ねてきてくれました。
朝日新聞の仕事を一緒にしていた時は、毎週相談しなくちゃなりませんでしたし、何かと言っては一緒に飲んでたのですが、二人ともあんまし飲み歩くこともなくなって、会うことが減ってしまってたんですね…

「夏に、敷島公園の『フリッツ』で、らくごえほんの原画展することになりました…」だって。
野村たかあきさんのらくごえほんは、紙芝居の出版で有名な教育画劇から出ています。今年の3月に刊行された「しばはま」で三冊目になりました。監修は人間国宝の噺家・柳家小三治さんがしてくれています。
その、シリーズ三冊の原画を、7月14日から8月26日の間フリッツ・アートセンターで「落語三席」と題して展示することになったということなんです。前に、「妖怪」をテーマにして展覧会したのはいつだっけな、久しぶりだいね…

 展覧会の期間中に、水出真弓さんの紙芝居プロジェクト(7月22日)、らいぶりいの朗読コンサート(7月28日)、ドロップスのお話し会(7月29日)、たかあきさんと小暮淳さんの対談(8月5日)、柳家小もん落語会(8月12日)、詩人の新井隆人さん監修の「前橋百物語」(8月18日)、野村たかあきさんとドロップスの妖怪工作室+お話し会(8月26日)、そして会期中の毎日曜日には野村たかあきさんの「日曜画廊噺」(期間中の毎日曜日)、イベントも盛りだくさんなんです。野村さん久しぶりの大奮闘になりそうです。

  これが、新刊の絵本「しばはま」です。柳家小三治さんの落語「芝浜」の絵本化なんです。詳しくはEhonNaviで見てください。
とてもよくできています。いい絵本です。

という訳で、久しぶりにたかあきさんとあれこれおしゃべりして…

 

   昨日も猛暑なんで、原則お出かけ禁止、東京への出張が終わったユキ子さんは、母親の検査の付き添いで病院へお出かけ…
朝食後は、買い込んでおいた豚のモモ肉のブロックでローストポークづくりしてました。肉を塩コショウして常温に戻して、周りをしっかり焼いて、ワイン+醤油にローリエ、ニンニク、唐辛子を加えた駅と一緒に袋詰めして湯煎するんです。水から煮て沸騰直前に火を止めて、後はそのまま1時間です。
関係ない本を読みながらできる料理なんです。

 そんなことしてたら、「ご注文の新ショウガが入りました…」、八百徳支店のおかみさんです。外へ出たら、薄曇りの空の下を熱い空気が流れてました。いやだいね…

まちの中も人影が少ないです。「早く来ないかな…」、マエバスを待つ女性が背伸びして眺めてました。

 

  そうそう、野村さんからもう一つあったんです。8月15日〜19日、東京の高円寺にある『座 高円寺』で開かれる劇団昂の公演、中島敦彦作、北村総一郎演出の『無頼女房』のポスターやチラシなんかに野村たかあきさんの版画が採用されたってんです。北村さんからのご希望だったって話です。
桐生で暮らしていた小説家、坂口安吾の妻を主人公にしたお芝居のようです。公演の詳細は劇団昂のHPをご覧ください。

 

4㎏の新ショウガです。まだ群馬産は出荷されていません。和歌山産のものです。

  きれいにして、梅酢に食酢、みりん、砂糖を加えた漬け液に漬け込みました。今年は、大きな白加賀の梅漬けを10㎏に減らしたので、梅酢が残ってしまったんです。それを使ってあげることにしました。
昼過ぎの作業です。

そんなこんなしてたら、昨日もヒトが訪ねてくれて、のんびり猛暑を避けることができました。今日はどうしよう…、出かけられるかな、今朝の気温は25℃、曇り空、今日も暑くて、じめじめと湿っぽい一日になりそうです。

 

  夕食はね、冷やし餃子が前菜になりました。餃子はゼンフーズの「かかあのギョウザ」です。ゆでて水で冷まして、更に氷を加えた冷水でしっかり締めます。
タレは、漬け残した新ショウガの千切りをたっぷりと入れた特製つけダレを用意しました。かかあのギョウザの皮は、冷たくしてもとてもおいしいです。是非お試しを。小松菜の葉にお供をつとめさせました。
そういやさ、ゼンフーズのかかあのギョウザ、JAファーマーズの「☆2018夏ギフト ぐんまのおいしさ発見」に採用されてるんですね。こちらをご覧ください

 それと、おいしいタマネギ生活版冷やし中華です。ムラサキタマネギ、ニンジン、キュウリ、錦糸たまご、ゆでキャベツ、青ジソ、トマト、それとニンニクたっぷりの肉味噌を用意しました。
麺の上に好みにトッピングして、別に用意したタレをかけていただきました。タマネギ生活は、次が最終回となります。もちろん、今日、誰かさんが籠の中に新タマネギを放り込んで行くようなことが無ければです。これは、放り込まれると困るということではありません。念のため…

 

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梅漬けのシソ入れ、杏のコンポートとジャム、紫蘇ジュース、猛暑到来でサルスベリが咲きはじめました

2018-06-26 07:48:28 | あんじゃあない毎日

昨日の夕食後にユキ子さんにつくってあげたデザートです。
遅い帰りを待ちながら、アンズをコンポートとジャムに煮てたんで、試食してもらいました。
サクランボは、山形の佐藤錦です。

 

  玄関前の水鉢に陶製の金魚と珠が浮かべられました。真夏のお飾りです。稽古場の玄関には、猫と魚のゲーム盤みたいのが出てるんですけど、私には遊び方が分かりません。どなたかご存知でしょうか。マス目は3×3、猫は5匹、魚は4尾です。

 

  JAファーマーズでシソを5束買ってきました。左は、葉をむしり取って洗浄して水切りしているところです。右は塩でもんでアク汁を搾ってタマにしたところです。今回は白加賀10㎏ですから、4束投入することにしました。

   アクを搾ったシソを梅酢の中でしっかりともんで色出しをします。きれいなシソの色を出すための大事な作業です。色出ししたシソを桶の梅に混ぜこんで、シソ入れの作業は終了です。

 シソ入れすませて用足しに出たら、サルスベリの花が咲き始めていました。
急な猛暑、年寄りたちには禁足令が出されたみたいです。

 気の早いお宅では、もう梅を干していました。梅の漬け方はいろいろです。塩が回ったら直ぐに干すってのもありなんですね。

 

それにしても暑かったです。用事をすませて、家に戻るとき渡った広瀬川の桃井橋、水は青緑、空は真っ白でした。猛暑の色です。

 

 午後は用事なし、のんびり一杯やろうってんで、あおい食堂へ出かけました。
街中はガラガラ、人がほとんど歩いていません。楽しく歩ける気温ではなかったです。

 馬場川も暑苦しそう、でも、「赤城山を繋ぐ」の四阿には…

 これ、マムシグサではないかな…

  こんなんも咲いてました。私には、なんという植物か分かりません。ランみたいなんですけど…
分かる方は教えてください。

で、八百徳支店で新ショウガを注文して、八百駒でアンズを6パック買って帰ってきました。

 

  帰りの遅いユキ子さんを待ちながら、シソジュース作りました。赤シソ1束、水2リットル、グラニュー糖1㎏、クエン酸30gが標準量です。シソは茎ごと30分ほどかけて中火で煮出すんです。それを漉してから、グラニュー糖とクエン酸を加えると、美しい色のジュースができます。

  アンズも煮ました。きれいに剥けたのはシロップで煮てコンポートになります。きれいに剥けなかったのはジャムになるんです。のんびり仕事です。
ついでと言っては何なんですけど、前日に仕込んだ甘夏のポン酢も漉してビン図目にしました。

  いろいろやっても時間が余ったんで、辛い肉味噌とキャベツを肴に酒飲んで帰りを待ってました。友だちが届けてくれたネマガリタケは焼いていただきました。おいしいですね。

 

 ユキ子さんが東京から戻ってきたのは9時過ぎ、で、夕食です。おいしいタマネギ生活は、「新玉レバー」です。
もう少しで、いただきもののタマネギを食べつくすことが出来そうです。

 冷たくしたゆでナスと豆腐は肉味噌でいただきました。肉味噌にはニンニク、ショウガ、筍が入っています。

 そいで、サラダは引き続きベビーコーンです。おいしいです。

 それで、デザートしてたら、いつもの就寝時間の11時を過ぎちゃったんです。
それで、今朝の私はは出遅れてますけど、
ユキ子さんは、もう母親の検査のために、病院へ一緒しに出掛けちゃいました。忙しい毎日です。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

4月8日の第75回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください

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旧二中のネムノキの花を眺めて、ポン酢仕込んでたら摘果したベビーコーンが届いて…

2018-06-25 07:09:32 | あんじゃあない毎日

ネムノキの花です。満開です。

  旧前橋第二中学校の校舎の前に暮らしているネムノキです。
目下空家になっているこの学校跡の校庭は、間もなくなでしこリーグを目指す女性のサッカーチームの練習場として利用されるのだそうです。あくまで一時使用みたいですけど。

 前橋第二中学校は、生徒が減って学校としての機能が維持できなくなりそうになった2011年3月、第四中学校と合同して「みずき中学校」となりました。開校は敗戦直後の1947年4月でしたから、64年の間ここにあったんです。
閉校になる年度に校長さんを訪ねてこのネムノキのことを尋ねました。古い写真帳を取りだして見て、「開校当時にはないですね、昭和38年のにもないな…」、私が中学生の時、二中を訪ねた記憶の中にネムノキはなかったんです。それを確かめたくて…
「植えたのではなくて、自然と生えて大きくなった…」というのが校長さんの所見でした。

 みずき中になってもしばらくこの校舎を使ってました。2015年3月、日吉町の新校舎へ引っ越して行ったんです。第二中学校の校歌は詩人の草野心平の作詞です。

      作詞  草野 心平
      作曲  藤井 凡太

 1.赤城山 朝の陽をうけ  群青の 天に照りはふ
   その高き いただきこそは  夢を追ふ われらが理想
   前橋 前橋 われらが母校  おお 二中

 2.夜ひるを 小休みもなく  阪東の 太郎ながるる
   その如く われら撓まず  真善美 ひたに求めん
   前橋 前橋 われらが母校  おお 二中

 3.相倶に 扶けあいつつ  高鳴るよ 若き胸ぬち
   大いなる 未来のぞみつ  眉あげよ われら朋がら
   前橋 前橋 われらが母校  おお 二中

  草野心平が前橋で生活したのは1928年から2年3ヶ月の間、神明町(現大手町3丁目)の長屋で暮らしていたということです。校歌を作詞した頃は、中国の南京から帰還したばかり、「火の車」という名の焼き鳥屋をやっていたはずで、前橋にはいなかったのです。
人から伝え聞いた話なのですが、校歌の作詞依頼は伊藤信吉さんにだったのだそうですが、生活に困窮していた草野さんへ、伊藤さんが仕事を回してあげたんだって、ほんとうかな…
でもさ、良い校歌ですよね。

校庭の隅のモチノキの花で、ツマグロヒョウモンが食事中、その下には実生のネムノキがありました。昨日の朝のことです。

 

  「ねえ、ポン酢が終わりそう…」、朝食の支度をしていたユキ子さんです。言われれば作らなくてはなりません。ネムノキの花を見たあと、甘夏を8個買って戻りました。みりんのアルコール飛ばして、甘夏の果汁を搾って…

  削り節や昆布も用意して、七五三ポン酢を仕込みました。甘夏8個から約800mlの果汁が採れました。で、約350mlのミリンと、約1,100mlの減塩醤油を合せました。一日冷蔵庫で寝かせて、漉して、瓶詰めします。

  そんなしてたら、ピンポンと呼び鈴が鳴りました。出て見ると、知り合いの方が「トウモロコシを摘果した…」からって、届けてくれました。
うれしいですね、さっそく皮を剥いてゆでました。ついでなんで甘夏と一緒に買ってきた小松菜とオカヒジキもゆでときました。ごちそうさまです。甘くておいしいです。

 

 みんな片づけて、呑竜仲店のヤギカフェにお昼しに行きました。「サラダ感覚牛しぐれ メキシカントマト和え」という難解なランチです。おいしかったです。

そいでね、前に紹介した前橋で最も中心地に近いところにある菜園、大連寺駐車場脇の菜園を見に行ったんです。そしたら…、夏草に覆われてました。

   ハーブやナスはオヒシバに隠れ、モンシロチョウが舞うのはアメリカセンダングサです。すごいことになっちゃって、これを菜園に戻すのは容易ではなさそうです。エラいことです…

 

夏空の赤城山眺めて、菜園の悲劇を忘れようとしてました。家に戻れば、やらなくてはならないことがあるんです。

   前の日に漬け込んだ白加賀10㎏です。桶を少し傾けると、水が出てきています。重石をはずして、小梅を漬けたときに手に入れた梅酢を加えてあげます。そして、重石は中蓋の浮き上がり防止の軽いものに替えます。
後は、シソ入れして、真夏の日干しを待ちます。

 

 東京へ仕事に出かけている糸駒が変える前に、両親のところへ夕食を届けました。昨日のお届は、生春巻き、鶏肉とナスの揚げ南蛮、いただきもののベビーコーンのサラダ、それと真竹飯です。きれいにできました。

そうそう、前夜のおいしいタマネギ生活の解答です。
 ①トウモロコシとインゲンのバター炒め ②マタケの姫皮とキュウリと岩船麩の酢の物 ③ブリの粕漬け ④以下の粕漬け ⑤真竹飯 ⑥新タマネギのすり流し でしたから、⑥が正解です。
電子レンジで柔らかくした新タマネギを白みそで味付けした出汁と一緒にミキサーで撹拌して、クズを引いて温めた椀物です。甘いですよ。

 夕食の配達に出たら、強い西日が家々を照らしてました。暑い!

 

  わが家の夕食です。頂いたベビーコーン中心のサラダです。できるだけシンプルに、トマト、キュウリ、いんげん、レタス、それと生ハムです。
もう一つは美味しいタマネギ生活です。タマネギいっぱいの鶏もも肉とナスの揚げ南蛮です。
ご飯は、真竹飯でした。

ネムノキが咲くと暑くなる気がします。

 

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

 

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お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください

 

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白加賀を漬け込んで、沖縄全戦没者慰霊祭での相良さんの平和の詩「生きる」に感動した雨の日…

2018-06-24 06:32:04 | あんじゃあない毎日

昨日の雨上がりの夕焼け空です。西の空の雲が茜色に染まってました。
雨に閉じ込められた日の素敵な贈り物です。夕焼けだけでなく、もう一つあったんですよ…

 

 丸一日水に浸しておいた白加賀を洗っています。流水できれいに洗います。ついでにヘタも取って。
糸駒が東京の稽古場へ出かけるのを待って、梅の漬け込みを始めたんです。

 洗った梅はしっかり水切りします。それから除菌です。桶や重石、漬け込みに使う道具はアルコールスプレーで除菌します。梅は35度のホワイトリカーに浸して除菌します。
梅漬けは乳酸菌や麹菌の手助けを得て発酵させて付ける漬けもんではありません。ただの塩漬けです。だから、カビ菌や雑菌が大敵なんです。しっかり除菌することが一番大事です。

  白加賀10㎏に用意した海塩は800g、8%で漬け込みます。塩を控えますので、代わりにしっかり塩摺りしてあげます。大粒ですから1回に20個ぐらいずつ手桶にとって、掌で優しく塩をすり込んであげます。梅の表皮に塩の道を開けてあげるんです。大粒の梅を付けるときに一番時間をかけるのはこの作業です。

 重石は10㎏、一晩おけば水が出てきます。そしたら、小梅漬けの時にとっておいた梅酢を加えて、重石を軽くしてあげます。できるだけ、梅を痩せさせないようにしています。
後片づけしたら、12時ちょっと前になっていました。すごく良いタイミングでした。

 

 昨日は沖縄県が主催する「沖縄全戦没者慰霊祭」が行われました。NHKの中継放送を見ることにしているのです。
6月23日は沖縄戦で日本軍の組織的抵抗が終わった日なのです。米軍が上陸作戦を行い、激しい地上戦が繰り広げられた沖縄戦の犠牲者は、20万人余とされてきています。でも、琉球政府が取りまとめたこの数値のうち、一般県民で犠牲になったとされる9万4千人という人数は、当時の琉球の人口データ等から推定された数値なんです。実際は、もっともっと多かったはずだという説もあります。
テレビは糸満市の摩文仁の丘、沖縄戦跡公園を映し出していました。沖縄の南端、日本軍の最後の司令部が置かれていたところです。群馬県遺族会が建立した慰霊の塔もここにあります。

 今年の慰霊祭で「平和の詩」を読み上げた浦添市立港川中学校3年相良倫子さんです。毎年、沖縄県平和祈念資料館が公募している『平和の詩』、今年は相良さんの「生きる」でした。

すごく感動したので、全文を掲載します。読んでください。

 

    生きる 

私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

私は今、生きている。

私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。

私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。

私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。

たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。

七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。

私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。

あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。

今を一緒に、生きているのだ。

だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。 

摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。

 

  沖縄県知事も内閣総理大臣も、相良さんが読む平和の詩を聞いていました。今を生きる少女の「もう二度と過去を未来にしない」という呼び掛けをどんな気持ちで聞いていたのだろうか。ちゃんと受け止められるのだろうか。

 

 毎日新聞が詩の全文をすぐに配信してくれました。
何度も読み返していました。

 外は雨が降り続いていました。ずっと考えていました。読み返していました。

 

 外が明るくなりました。雨があがったんです。
外へ出て見ると、西の空の雲が色づき始めていました。

 干菓子には、うすくてぼやけているのですけれど、虹が見えていました。

 ほんとかすかな虹でした。

 キキのことを思い出していました。2013年6月23日のキキです。
5年前も、沖縄全戦没者慰霊祭の中継を見ていました。今年と同じように。

 虹が消えて、西の空が見事に夕焼けしていました。

 

 昨日は、ちゃんとおいしいタマネギ生活をしました。
糸駒の帰りを待って用意した夕食に、大きなタマネギ1個を使いました。どの料理に使ったか分かりますでしょうか。

   用意したのは6品です。左から、①、②、③、④、⑤、⑥、とします、何番でしょう。

答は、明日にします。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
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今年も白加賀が届いて、前橋赤十字病院の新病院で初受診…

2018-06-23 07:15:21 | あんじゃあない毎日

朝倉田んぼは田植えで忙しい季節を迎えていました。
眼の検査のために前橋赤十字病院へ出かけたんです。病院の北側の田んぼ、耕運機が代かきをしている向こうに赤城山が見えています。

 昨日は、私は眼科の診察予約が10時30分、糸駒も同じぐらいの時間に高崎駅から新幹線で東京の千駄木にある稽古場へ出かける日でした。
「ご依頼の梅が入りました…」って、八百徳支店のおかみさんから電話をもらったのが8時半過ぎ、慌てて車を出してもらって受け取りに行ってきました。今年は10㎏に減らしたんです。

群馬の白加賀です。大粒の3Lというサイズです。きれいでしょう。
黄色く熟す前に、陽に当たった実が紅色になってきたころが一番良い時期です。
梅漬けというと「南高」でないといけないみたいに言う人がいますけれど、南高の利点は皮が軟らかいことぐらいです。酸味や香りでは白加賀が勝っています。私は、30年ほど梅を漬けていますけれど、「白加賀」が大好きです。おいしい梅漬けができます。

 病院へ出かける前に、大急ぎで水に漬けました。一晩おいて、今日、漬け込みます。

 

 前橋赤十字病院は新病院へ引っ越しましたんで、わが家から4㎞以上離れていますが、自転車で通うことにしました。径路は、端気川沿いを南へ向かい、朝倉町の農村集落を抜けていくことにしました。
田植の最盛期を迎え、端気川は満水です。写真は文京郵便局脇の分水施設です。流れを三つに分けています。一番右は前橋工科大学のある上佐鳥町や公田町の田んぼへ向かいます。中央は、端気川本川を流れる水です。左が、朝倉町や西善町などへ向かうんです。前橋赤十字病院へお出かけの方は、左の水が流れる水路沿いを行けばよいのです。

  溢れそうな水の流れる水路沿いの道を過ぎると、田んぼの中に病院が見えてきます。できそこないの戦艦ヤマトのプラモデルが田んぼに浮かんでいるみたいです。おかしいです。

 で、病院が見えたからと言ってそっちに向かわないで、朝倉町の集落に入ってから、病院西側の広い道の信号のある場所にでられる道を抜けて行きます。広い道は信号のあるところが少ないですから、自転車は気をつけないとうんと遠回りさせられちゃいます。

 病院の敷地の北西角にある信号を渡ります。この信号を渡ると病院の敷地に辿り着くのですが、玄関まではまだ500m以上あります。田んぼのど真ん中の病院は見えていてもまだ遠くです。
それにね、この信号を渡ったところにある入口、自動車は進入禁止になっていますけど、自転車と歩行者は入ることができます。入ってはいけないという表示もありません。でもね、入らない方がいいですよ。入って行くと病院の建物の近くにガードマンがいて、病院の玄関に行く通路を通させてくれません。もちろん職員や業者が利用できる通用口も利用できません。元へ戻るように厳しく命令されます。
田んぼに浮かんだできそこないの戦艦ヤマトのプラモは歩行者と自転車利用者にはすこぶる冷たいですからご注意を。

 昨日は病院の建物の東にある駐輪場を利用しました。ここから玄関まで歩測したら、165歩でした。私の1歩は 0.71mですから、約100mあります。遠いです。玄関近くにチャリ置き場を設置できるスペースは十分にあると思うのですが、わざわざ建物の一番外れに配置されています。
従業員用のチャリ置き場は建物北側ですが、通用口に接して設けられています。面白いですね。

眼の検査の結果は良好でした。次回は、8月14日になりました。

10時過ぎに再診手続きをしたのですが、受付番号は350番でした。その時、チャリ置き場に置かれた自転車は東西合せて、13台でしたから、まあ、自転車で来る患者なんてゴミみたいな存在なんですよね。設計者にとっては想定する必要のない存在だったみたいです。なんてことない、おまけなんですね…
悲しいチャリ患者の悲哀をかこちました。

 

 帰り道は朝倉の集落を横切って、端気川本川沿いに出ました。

田植の終わった田んぼに、空と雲が映ってました。こういう風景をのんびりと眺められるのは、病院の敷地と建物に冷たくされたチャリ患者の特権です。快感ですよ…

  田んぼの脇の耕作放棄地にはオオケタデの紅い花が目立ってました。道端には見上げるほどの大きくなったムクゲが真っ白な花をいっぱい咲かせていました。

という病院通いの帰り道は…

   南苑で、牛肉の辛子炒めとしゅうまいの昼食になりました。久しぶり、おいしかったです。

 

両毛線の高架をくぐったところの端気川です。溢れそう、でも溢れない。
橋桁ぎりぎりまで水位が上がっていました。

 

 わが家のクチナシです。見事に開いてくれました。実は、このクチナシ、初めて花を咲かせてくれたんです。

 

   遅くに帰って来た糸駒と一緒の夕食、牛肉とマタケの醤油炒め、マタケ入りの生春巻き、そして、マタケの玉子チャーハンです。
おいしいタマネギ生活をちょいと休んで、マタケ暮らしとなりました。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
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広瀬川岸のアカメガシワの花、本町2丁目の会ちゃんにあった日はタマネギドレッシングのライスサラダ…

2018-06-22 06:49:38 | あんじゃあない毎日

雨があがった朝の広瀬川は十六本堰の下流です。前日の雨で濁りのでた流水が水門をくぐり抜け、白く泡立ち、水音とともに波を起こして流れてきます。
岸から枝垂れた木々が、勢いを増した水に枝先を洗われていました。

 岸の木にたくさんの花が咲いています。あまり目が良くない私には「花が咲いているな」としか分かりません。デジカメを望遠にして撮影して手元でで見るしかないんです。

  アカメガシワみたいですね。いいですね、おっぱいの花。
川面に枝垂れた枝先にも花が咲いています。その向こうの水路壁の石垣にピンクの丸いもんが見えてますよね。あれって、ヒメツルソバですね。もともとは観賞用に移入された外来植物、今はあちこちで「雑草」扱いされながら暮してます。強い外来植物です。

 

 昨日の午前中の仕事は、屋敷稲荷の周りの草取りでした。
このお稲荷さんはね、私とユキ子さんがここに家をつくる前からここにあったんです。祠が古くなってボロボロになっていたのを新しいのにして、権禰宜の高坂さんにあらためて降神してもらったんです。ついでに、ユキ子さんが伏見稲荷の講員になってお祀りしています。でも、草取りは私です。

   草取りしてて気づいたんです。あっちの枝先、こっちの葉先、あちこちにナツアカネがとまって、私の作業を見守っているんです。まるでサポーター。どうやら、ナツアカネの民泊所になっているみたいです。

こうして、夏の間中、順番に家の周りの草取りを続けます。決して除草剤は使いません。
いろんな定住者と訪問客に失礼が無いようにしているんです。

 作業を終えて、シャワー浴びて着替えして、JAファーマーズへ野菜を買いに行きました。直売コーナーに真竹が出てました。あと、トウモロコシ、ラディッシュ、オカヒジキ…、いろいろ買い込んできました。
マタケとトウモロコシは直ぐにゆでときました。お弟子さんの稽古で忙しい糸駒の昼食はトウモロコシです。合い間に、ちょいと食べられますから。

 

  前橋駅近くに用事があったんで、昼食をとらずに出かけました。ついでに、駅の物産販売所で富士見町の石田製麺の乾麺を買い込んで、それから表町の路地をのぞいたんです。
また、人の暮らしが減っちまったみたいです。なんか寂しくなってました。
使われなくなったみたいなエアコンの室外機の前に、情けなさそうにハンゲショウが咲いてました。

 こちらはね、そのあとで別のところで見っけた見事なハンゲショウです。
そういや、夏至でしたいね、昨日は。

 

 そいで、帰り道、本町2丁目の八幡宮の裏手に回りこんだんです。
今年の1月15日の記事で近所の顔見知り猫に待ち伏せされたことを書いたら、もんもんさんが、「わたしもかわいい猫に待ち伏せされてみたいです。
本町二丁目会館に地域で飼われている猫がいます。会館にいるから「会ちゃん」という名前で八幡様の鈴をつけています。通勤時間に通ると撫でている人をよく見かけます。時々はごろんと横になっておなかをさわらせてくれます。
その辺りに行かれることがありましたら、ぜひ通ってみてください。大歓迎されることと思います」ってコメント入れてくれたんです。

会ちゃんです。この間、何度か見かけているのですが、いつもどなたかにナデナデされたりしてて、写真を撮らせてもらうタイミングがなかったんです。
昨日もね、女性にナデナデしてもらっていて、ごきげんだったんです。

 「遊ぶ?」って声かけて、人差し指を伸ばしたら、こんな具合にゴロンして、前足を伸ばしてくるんです。
「朝なんか、順番待ちなんですよ…」、なでなでしていた女性のお話です。

 「もんもんさん、写真撮れましたよ」です。
本町2丁目会館で暮らす「会ちゃん」です。気立てのよい猫です。

 

  そんな訳で、少し遅めの昼食は、焙煎館でコーヒー買って、それから呑竜仲店の「ヤギカフェ」で、ズッキーニとナスのドライカレーでした。飲み物は、ジンジャエール、神社に寄ってきたからではありません。もう一件ご用があったからなんです。
店の前には「まえばし紫陽花フェスティバル」に協賛するポップが飾られてました。

 

 玄関先でクチナシが咲きはじめました。オオスカシバの幼虫に葉っぱを全部食べられちゃったりして、花をつけたことのないクチナシだったんです。初めての花です。

 

  夕食です。豚肉の冷シャブは、ゴマダレでいただきました。冷ややっこは、マタケの姫皮と茹でマイタケを敷いて、ゴマ油を効かせたタレをかけて青ジソをトッピング。
「タマネギ生活はどうしたの?」ですよね。聞いてくれますか、また新タマネギが届いたんです。前のと別な方から、あと一日ほどで終わりそうだった新タマネギ、もう一週間分が増えました。

で、これが昨夜のおいしいタマネギ生活です。ライスサラダなんですけど、ドレッシングにみじん切りのタマネギ一個分を入れちゃいました。オイルはオリーブオイル、酢はレモン果汁です。
使った野菜は、ゆでたマタケとトウモロコシ、キュウリ、サヤインゲン、オレンジ、ピーマン、トマト、ラディッシュ、青ジソ、ライスは冷凍しておいた米飯を解凍して洗って水切りしたものを使いました。
夏場にお薦めのサラダです。

おいしいタマネギ生活、まだまだ続くことにおなりました。
今日は、前橋赤十字病院へ眼の検査に行ってきます。新病院での診察はこれが初めてです。

 

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鮎のシーズンが到来です。鮎は、今年も大島養魚場の活き鮎です。

2018-06-21 06:08:55 | あんじゃあない毎日

鮎です。若鮎です。16尾います。
小ぶりですけど、美しいです。6月も後半を迎えると鮎のシーズンなんです。
利根川水系でも、順次、鮎釣りが解禁されてきています。

 昨日は朝から雨でした。家事を片づけたり、頂いたメールに返事を書いたり、こないだの講演会での話の反省をしてたら、昼近くになってしまいました。
「そうだ、シーズンだ、鮎を食べよう…」

  鮎は魚屋さんでは買いません。朝日町に大島養魚場(027-243-2648)、鮎を専門に養殖しているところがあるので、そこで友釣りのおとり(囮)用の鮎を分けてもらいます。鮎は活き鮎が何よりです。
雨の中を傘さして買い出しです。通りがかった家の庭で、クチナシの花が咲いてました。青い柿の実雨に濡れてました。

 大島養魚場のある場所は、6月まで前橋赤十字病院があった北側の通りです、使われなくなった病院の建物が見えています。
昔は、このあたりには端気川から水を引いていた鯉池が並んでいました。大島だけでなく村島の池もあったと思います。

  現在の大島養魚場には池はありません。大きな流水水槽が2基あって、ポンプでくみ上げた地下水で鮎を育てています。2つの水槽で、今も5万尾ほどの鮎が泳いでいるのだそうです。
河川に放流する稚鮎を出荷した後は、友釣り用の囮鮎の飼育が仕事なのですが、私のように食べる専門の者にも活き鮎を売ってくれるんです。それなんで、鮎はこの養魚場で買います。

  群馬県内では、6月に入ると順次鮎釣りが解禁されて行きます。詳しいことはこちらでご覧ください
夕方に大島養魚場へ行くと、エアポンプや酸素ボンベのついたおとり鮎の運搬用具(「オトリカン」というんだそうです)をもってオトリを買いに来ている釣人に会います。
それと、大島養魚場では、冷凍にした「鮎の燻製」や「鮎の一夜干し」も製造販売してくれていますよ。誰でも気軽に買い物できます。お問い合わせは電話で、大島養魚場(027-243-2648)です。

 

 鮎の買い出しをすませてから、あおい食堂へ昼食をとりに出かけました。
雨は降り続いてました。城東町の路地も雨に濡れてます。

ネムノキの花のつぼみです。丸い雨粒がたくさんにくっついちゃっています。細い雨でしたから、こんな具合にきれいでした。

   ヒメリンゴの青い実も、キンカンの花の蕾も、咲き始めたばかりのコスモスも、みんな濡れてました。
雨の散歩も良いものです。あれもこれも、いつもと違う姿を見せてくれていました。

あおい食堂で少しいただいて、散歩を終えて家に戻ったらお客さんが来てました。

 濡れたヒイラギの葉先に、ナツアカネがとまってました。雨宿りしているのかな、それとも、雨があがったんで出かける支度してるのかな…

 

  という訳で、昨夜はアユ料理になりました。
これは、ユキ子さんの両親へのお届けです。左は塩焼き、右はフライです。よそでは鮎のフライってあんまししないみたいですけど、群馬ではごく普通の食べ方の一つです。おいしいです。

 伯母さんの大好物でした。伯母さんにおいしい鮎を食べてもらうので、大島養魚場さんに「食べるためでも売ってくれるんですか?」って尋ねたのがお付き合いの始まりだったんです。
伯母さんの写真が飾られた食卓で、今年最初の鮎料理でした。

 「お代わりする?」、「うん」、二人で4尾の予定だった塩焼き、おいしいので2尾追加しちゃいました。
朝日新聞群馬県版に連載していた「ヒゲおじさん厨房に入る」でもアユ料理を紹介しています。
2009年の「鮎の一夜干し」はこちらです
2010年「稚鮎の酢炊き」はこちらです。酢炊きは、今ぐらいの大きさの若鮎でもできます。
なんと、鮎は3年続けて3回も書いちゃってるんです。

Dscf9330

Dscf93322011年は、「活きアユのフライ+アユの一夜干し」でした。夏になると大島養魚場で見られるこの風景をどうしても紹介したくなったんだと思います。
夏空の中で、高々と鮎を干しているんです。すごいです。

 

 そして鮎のフライです。昨夜は美味しい鮎生活でした。
タマネギはどうしたの? ですか、ムラサキタマネギのサラダを作ったのですが、写真を撮り忘れました。
正しくは「おいしい鮎生活+おいしいタマネギ生活ちょっぴり」の夕食だったんです。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

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