比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

彩の国・・・嵐山町・・・蝶の里公園・・・飛翔準備のオオムラサキ

2016-06-30 | 生き物大好き 蝶・昆虫
6月21日、比企の丘の嵐山町・・・「オオムラサキの森 蝶の里公園」です。
オオムラサキにまた逢いにやって来ました。
エノキの木の葉の下で羽化したオオムラサキ・・・明るい木の葉の上に上がってきました。羽化から約3時間です。

時おり翅をひろげます。鮮やかな青紫です・・・♂です。
クルクルとゼンマイのように丸まった口吻が見えます(吸収管ともいいます)。この口吻をストローのようにして花の蜜や樹液を吸います。

オオムラサキのシーズン・・・その美しさにすっかり魅せられています。

信州・・・真田の郷・・・早苗田の・・・稲倉の棚田

2016-06-30 | 棚田・段畑のある風景
5月24日、上田市殿城(旧石清水村)稲倉の棚田
浅間サンライン(長野県道79号線、元広域農業道路)を東御市鞍掛から長野県道4号線(真田東部線)に入りしばらく進むとこんな風景が見えてきます。

今回は「上田六文銭」さんの画像提供です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開。

田に水が張られて田植えの準備が進行しています。
紫色の花はクサフジ(花や葉が藤の花に似ているマメ科の植物)だろうと思ます。

早苗田」…もう田植の終った田んぼもあります(早苗田・・・夏の季語、田植えの終ったばかりの田んぼ)

真田丸の上田・・・この稲倉の棚田から県道4号線を上田市真田のほうに2㎞ばかりのところに真田歴史館、お休み処、真田氏居館跡があります。
どうでもいい話》真田氏の姓名の話し。このあたりは昭和の大合併で長村、傍陽村、本原村が真田町に。真田とは元は長村の大字。むかしの侍大将は所領地の地名を名乗るのが多いですからたぶん真田家は真田の地名を姓としたと思われます。それでは「眞田」という地名の由来は・・・実田(実る田)、狭名田(狭い谷間の田)、早苗田(田の豊作を願う)など諸説あるようです。山の中の棚田を見ていますとどの説も当てはまるような気がします。ちなみに「早苗の」は古語で接頭語、「小さい、早い」を著すようです・・・早乙女、小百合、狭山、五月雨、小夜、狭霧・・・など。

初夏の信州・上田・・・稲倉の棚田で・・・田植えが始まった・・・5月24日

2016-06-29 | 棚田・段畑のある風景
5月24日、上田市稲倉の棚田の風景です。
今回は「上田六文銭」さんの画像提供です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開。

1999年農林省選定「日本の棚田百選(実際は134、うち長野県は16ヶ所)に選ばれた上田市殿城(旧石清水村)の「稲倉の棚田」です。

水を張られた田んぼでは小型耕耘機がフル稼働です。

日本橋中学校の立札・・・東京都中央区東日本橋にある公立中学校。
隅田川右岸、人形町、浜町河岸、両国橋に近い東京のど真ん中です。





※5月12日に訪れたときの「稲倉の棚田」の風景クリック

2016年オオタカの森の物語・・・巣離れするオオタカの若鳥たち

2016-06-29 | 生き物大好き 猛禽
2016年・・・オオタカの雛たちの巣立ちのときです。

スクランブル状態でよくわかりませんが赤松の樹の間の巣の上にオオタカの雛が3羽います。
1番子、2番子は産毛が若の羽根に生え変わっています。末っ子はまだ巣のそばの枝に乗れません。産毛80%ぐらいでしょうか。

末っ子のポートレート・・・恐竜の雛みたい

今年の雛は3羽・・・皆が無事育つかどうかワカリません。それが生きものの自然です。
(撮影日は6月27日)

日本人のアイデンティテー(心のより処)・・・「うさぎ追いし かの山」・・・故郷の高野辰之のふるさと

2016-06-28 | 信濃の国は 北信濃・善光寺平
5月12日、北信濃路・・・中野市永江・・・唱歌「故郷」のふるさと・・・高野辰之の生家を尋ねました。
今回は「上田六文銭」さんの画像提供です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開。
高野辰之といっても知ってる人は?・・・でも・・・
うさぎ追いし かの山 小鮒釣りし かの川」で始まる文部唱歌「故郷」を知らない人はいないでしょう。

2006年に文化庁と日本PTA全国協議会が選んだ「日本の歌100選」に選ばれた唱歌「故郷」は・・・だれでも口ずさめる素晴らしい歌、1914年に発表されてから100年余になりました。もう音楽のすべてのジャンルを超えてスタンダードナンバーです。

その「故郷」を作詞した高野辰之の「ふるさと」長野県下水内郡永江村(永田村、豊田村、現中野市)を尋ねました。
千曲川の左岸、斑尾山麓の東南、斑川に沿った山間部の緩斜面、高野辰之の生れた永江村は農村そのものです。

高野辰之記念館(1991年開館)・・・辰之が学び教鞭をとった旧永田尋常小学校跡地。

高野辰之記念館にある「故郷」の歌碑。昭和49年に建立。当時の文部大臣の揮毫によるもの。

真宝寺・・・「朧月夜」の一節にある「蛙のなくねも かねの音も」・・・の鐘の音はここ真宝寺の梵鐘と伝えられています。

真宝寺の梵鐘の傍らに・・・「朧月夜」の歌碑。

高野辰之の生家・・・敷地内に入ることはできません。

高野辰之の生家の土蔵・・・辰之は子供時代、この土蔵の中で勉強したそうです?

高野辰之(1876~1947年)・・・文部省唱歌「故郷」「朧月夜」「春が来た」「春の小川」「紅葉」「日の丸の唄」・・・などの作詞で有名。長野県下水内郡永江村(現中野市)に生まれる。尋常高等小学校卒業、代用教員、長野尋常師範学校、小学校教師、志を立てて上京し東京帝大用務員になり傍ら帝大教授国文学者の上田萬年の講義を秘かに聴講、後に上田教授に認められ書生として学問の道に。上田萬年の推薦で東京音楽学校の吏員に、やがて教授、東京帝大から文学博士号授与、東京帝大講師。素晴らしい叙情歌の作詞者としての顔しか知りませんが、近世の演劇、歌謡、文学など数々の著作を残した国文学者です。

※明治時代につくられた文部省唱歌、高野辰之をはじめ作詞者も作曲家も永らく公表されませんでした。理由として文部省小学校唱歌教科書編集委員(作詞6人、作曲6人)という形で業務命令で共同制作されたものだからといわれます。共同制作でつなぎ合わせるということは無理がありますから誰かがオリジナルを作って添削を重ねていくという形ではなかったと思います。特に詞においては文語体を口語体にというのが文部教育の悲願の時代でもあったのです。曲についても西洋音階を取り入れる時代でした。作詞、作曲のオリジナル提供者にはかなり高額のそれなりの提供料が支払われたともいわれますが真偽は確かめようがありません。そして関係者も固く口を閉ざして数十年が過ぎました。国家事業としての音楽教育であり著作権は文部省に帰するというのが理由であったのでしょう。
昭和40年代(1965年~)になって、数々の検証がされて文部省唱歌の作詞家、作曲家の名前が明らかにされるようになりましたが、資料不足により確証を得られないものも(作曲者の岡野貞一は自筆の譜面も残していないそうです)。記念館前の歌碑の文部大臣の揮毫は1974年(昭和49年)のものです。
教科書の「故郷」に作詞高野辰之、作曲岡野貞一と名前が載るようになったのは1992年以後のことのようです。
「故郷」の著作権、高野辰之は没年の1947年+50年、1997年に消滅。岡野貞一は1991年に消滅。

※「志を立てて いつの日か帰らん」・・・立身出世の歌という人もいます。山の斜面にへばりついたような信州から道を志し上京、盗聴までした辰之、しかも金にならない学問の道。ふるさとを思い抱きながら己のの思う道に・・・日本人の神髄。
(信越高速道豊田・飯山ICから数分・・・お近くにいらっしゃったときぜひ寄ってもらいたい場所です)

比企の里ときがわ町・・・都幾川の畔で・・・熊本地震災害支援コンサートが開かれました

2016-06-27 | 音楽
6月25日、比企の里のときがわ町で熊本地震災害支援チャリティーコンサートがありました。5月22日に次いで今回が2回目になります。
会場はときがわカヌー工房・カフェギャラリー番匠」。

カフェギャラリー「番匠」の市村みなこさんのご挨拶
演奏者はわたしのブログに何回か登場している日高市の杉森代志子さん、東浦和から杉山智子さん。

杉森代志子さんの軽妙なトークからはじまります。

カフェテラス「番匠」・・・室内は絵画のギャラリー、棚の上には木工家具・・・ときがわ町は木工の匠の町。

フルート・エレクトーン・・・杉森代志子さん


演奏は・・・アヴェ・マリア(カッチーニ)から始まりPut your hand up(坂本龍一)
いそしぎ、君の瞳に恋してる、知床旅情、昴、愛燦々・・・クラシックからポップスま癒やしのひとときでした。

ピアノ・・・杉山智子さん

演奏は緑陰のテラス・・・静かなときが流れます。

熊本地震災害の復興をお祈りします。

※演奏者の杉森代志子さんは日高市を中心にボランティア演奏会、チャリティー演奏会をされているかたです・・・ホームページクリック
杉森代志子さんのブログ「一緒日和」→クリック・・・猫がイッパイ

※カフェギャラリー「番匠」さんのホームページです→クリック
熊本大地震災害支援チャリティーコンサートは来月7月17日にもカフェギャラリー「番匠」で行われます。クリック

彩の国嵐山町・・・蝶の里公園・・・今日のオオムラサキ

2016-06-26 | 生き物大好き 蝶・昆虫
6月25日、比企の丘の嵐山町・・・「オオムラサキの森 蝶の里公園」です。
午後、ときがわ町で行われる小さなコンサートに行く前にチョッと寄ってみました。

エノキの木の葉に羽化したばかりのオオムラサキ♀がブラ下がっています。

オオムラサキの♀・・・♂に比べてひと回り大きい。光の屈折により青黒く見えますが、♂のように青紫の鮮やかな紋様ではなく黒褐色の紋様です。

初夏の北信濃路・・・JR飯山線「おいこっと号」がゆく

2016-06-26 | 鉄道と駅 甲信越編
5月12日訪れた北信濃の風景です。
今回は「上田六文銭」さんの画像提供です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開。
長野千曲川藤の花・・・県下水内郡栄村、国道117号線栄大橋あたりから。

JR飯山線中条橋梁を渡る臨時快速「おいこっと号」(キハ110形200番台改造車)。
※「おいこっと」・・・OYKOT・・・TOKYOの逆読みです。大都会の真逆という意味だそうです・・・ナルホド

初夏の北信濃路・・・長野県最北端・・・日本一の積雪を記録した飯山線森宮野原駅

2016-06-26 | 鉄道と駅 甲信越編
5月12日訪れた北信濃の風景です。
今回は「上田六文銭」さんの画像提供です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開。
JRJR飯山線森宮野原駅・・・です。
1945年2月22日、日本最高積雪7m85㎝を記録した標柱が建っています。

森宮野原駅です。
1925年開業、現在の駅舎は2004年竣工。交流館「ふきのとう」。
駅名「森宮野原」の由来・・・長野県栄村北信と千曲川対岸の新潟県津南町宮野原、二つの集落名を合わせたのだそうです。


交流館「ふきのとう」で売られていた「猫つぐら」・・・
秘境秋山郷で作られた猫のオウチです。要予約、20000円~だそうです。
   「いづめこ」・・・同じ用途の山形県の民芸家具。
山形県庄内地方のむかしの日用家具・・・ご飯のお櫃を入れて保温。農作業では幼子を入れて田畑の脇に置いていたそうです。
    
    ※写真は「いづめこ」のミニチュア玩具です。

猫つぐら・・・元は上が開いていて赤ちゃんを入れて保護したもの・・・一種のゆりかご。伝統工芸品。横に穴を空けた猫用のものが作られたのは現代になってから?天然素材の藁が素材。それ以外は偽物。すべて手作りのため希少、高価。猫好きの人にはタマラないアイテム。新潟県関川村では「猫ちぐら」、新潟県長岡市小国町、新潟県津南町秋山郷、長野県栄村秋山郷では「猫つぐら」と呼ぶ。

ホームにはキハ110形気動車が入線していました。
列車本数平日上り8本、下り8本、1日の乗員数2000年76人、2014年45人。

飯山線・・・長野市豊野駅と新潟県越後川口駅をつなぐ、千曲川・信濃川に沿って走る鉄道路線。
日本有数の豪雪地帯で冬期はしばしば運行ストップ、日本一の大河の渓谷にレールが敷かれているため夏期はしばしば豪雨による路線決壊による運行ストップ、ローカル路線共通の乗客数減少、廃線リストの常連。それでも長野と新潟をつなぐ住民にとって貴重なインフラ路線、冬期に圧倒的なスキー客の利用があることが廃線にならない理由だそうだ。



彩の国・・・比企の森・・・オオムラサキ・・・羽化から開翅へ

2016-06-25 | 生き物大好き 蝶・昆虫
6月21日、比企の丘の嵐山町・・・「オオムラサキの森 蝶の里公園」です。
午後、オオムラサキにまた逢いにやって来ました。
エノキの木の葉に羽化したオオムラサキがブラ下がっています。


PM 00:56
羽化したのはAM 9:30ごろとか。3時間半立っています。まだ開翅していません。

PM 01:41
♂でした・・・キレイな藍色を見せてくれています。

PM 13:53
※カメラは Panasonic LUMIX DMC-GH2 14~140mm。逆光