比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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旭将軍木曾義仲の里・・班渓寺

2008-02-20 | 比企の丘から
都畿川のほとり嵐山町鎌形のあたりをブラブラしています。
旭将軍木曾義仲の生誕の地といわれるこのあたり、その妻の山吹姫(葵御前)が開基したという班渓寺にやってきました。
山吹姫が源頼朝のために斬殺されたわが子(義仲の子、義高)の菩提を弔うために創建したというこの寺は静かな佇まいの小さな小さなお寺です。


門は二脚、高麗門?といわれる質素なものです。塀の向こうに鐘つき堂が見えます。鐘楼なんてものではなく東屋?に鐘を吊るしただけのこれまた質素なものです。梵鐘に「義高の為」と刻まれています。門前の石碑。右から「木曾義仲生誕の地」・・もう少し小さいほうがいいなあ、この寺にはバランスが取れていない。真ん中が仏像・・・何かアンバランス。
最後に「禁葷酒」・・・これはイイ

この寺の由来と歴史解説。

門をくぐるとすぐに本堂。いつごろに建てられたものかはわかりません。ひっそりとしています。門の前に横浜Noの車が1台、歴史探訪の人でしょうか。


ブラブラ歩いているうちにすっかり「義仲の世界」にはまりました。
源氏一族、天皇の何番目かの奥さんの子供の流れですね。何代かのあとは皇籍をはなれますから警護役などの武士になります。警察官ですね。有名なのは八幡太郎義家、奥州征伐をやった人です。この人の流れから源頼朝とか足利尊氏とかが出ます。奥さんが多いのですからとうぜんそうなるのです。
義仲のお父さん義賢は頼朝のお父さんと兄弟です。その義賢が頼朝の兄義平にこの地(大蔵)で襲われて殺されます。義仲2歳は斉藤実盛などの手助けで信州木曾の宮ノ越(現木曾町、前日義村)に亡命。中原兼遠に育てられ巴、山吹を娶ります(兼遠の娘で姉妹といわれますが疑問?)。近くに山吹山、JR山吹トンネル、巴淵というのがあるそうです。
信州丸子町依田城(現上田市)から北陸路を旭日の勢いで京に進軍し平家を破るのですが、そのあとがいけません。百戦練磨の政治家後白河法皇に振り回されて源義経軍のために滋賀県粟田口で戦死します(1184年31歳)。信州の山猿軍団が京の町で略奪暴行を繰り広げたといわれますが真偽のほどは不明です。義仲を悪役にするための捏造という説もあります。義仲の子、義高が頼朝の刺客に斬殺されたのは11歳の時(義仲戦死と同年)です。
敵は血族にあり、忠臣にあり、それを抹殺していくのが皇族・公卿支配社会から武家社会に移行する源頼朝の道のりでした。その頼朝の子供たちが北条一族のために抹殺されていくのも皮肉なものです。いい国作る(1192年鎌倉幕府成立)は血塗られた歴史です。
この時代を語ると言われる「平家物語」「源平盛衰記」「愚管抄」すべて物語りです。書く人の主観が入っていますし、捏造もあるでしょう。「吾妻鏡」という公式文書がありますが為政者側のものです。
政治の世界は中世も現代もソウ変わらないものですね。

馬上豊かな怪力の美女巴御前、義仲亡き後は和田義盛の妻になったとか尼となって義仲の菩提を弔ったとか諸説ありますがいずれも定かではありません。ロマンの中にしまっておきましょう。

すぐそばに真っ赤なギボウシのついた欄干のコンクリート橋「班渓寺橋」があります。


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