越後国、日本海と信濃川の間の東頸城山地の十日町市松代(2005年まで東頸城郡松代町)。
古代律令時代、ここは松山保と呼ばれる国の直轄地。近世の江戸時代、越後高田藩の藩領。
十日町市と上越市直江津の約40㎞の間に海抜約300mの山地が折り重なって続いています。
2009年テレビ朝日製作の紀行番組「にほんの里100選」で第1回に放送された「松之山・松代」地区です。
いつの時代に切り開かれた棚田でしょうか。水耕民族である弥生人が持ち込んだノウハウでしょうか。縄文時代にもその痕跡があるといわれますから謎です。ここは古代律令時代の「保」。「保」とは国の主導で行われた開発で、国の直轄地。すでにそのころ棚田を主とする耕地の開発があったと考えられます。300mから400mの山のすぐ下まで棚田が築かれています。豪雪の地であるため山の水が豊かで水利を容易にしていると考えられます。
※4月16日14:00、朝からの晴天は曇り空に、逆光の位置、田に水が張られていたが青空が映らない。1週間前ですと中央の田んぼに満開の桜が映り、畦は雪という素晴らしい写真が撮れた?そうです。桜は散り、田の畔に雪が無く、草や木はパステルカラー、メリハリのないボケた写真になってしまいました・・・ザンネン イイ写真は・・・イイシーズンに、イイ天気、イイ時間に撮れます。
《参考サイト》
★「まつだい棚田バンク」NPO法人越後妻有里山協働機構。
★「十日町市観光協会サイト・・・儀明の棚田」
★十日町市観光協会「星峠の棚田」
★2016年4月26日のブログ「春の越後・・・東頸城丘陵・・・儀明峠の茶屋の・・・峠の釜めし」
古代律令時代、ここは松山保と呼ばれる国の直轄地。近世の江戸時代、越後高田藩の藩領。
十日町市と上越市直江津の約40㎞の間に海抜約300mの山地が折り重なって続いています。
2009年テレビ朝日製作の紀行番組「にほんの里100選」で第1回に放送された「松之山・松代」地区です。
「棚田」・・・先人たちの知恵と汗の結晶。
国道253号線、十日町市儀明、国道わきの車寄せから・・・遠くの山の真下まで棚田がつくられています。
国道253号線、十日町市儀明、国道わきの車寄せから・・・遠くの山の真下まで棚田がつくられています。
いつの時代に切り開かれた棚田でしょうか。水耕民族である弥生人が持ち込んだノウハウでしょうか。縄文時代にもその痕跡があるといわれますから謎です。ここは古代律令時代の「保」。「保」とは国の主導で行われた開発で、国の直轄地。すでにそのころ棚田を主とする耕地の開発があったと考えられます。300mから400mの山のすぐ下まで棚田が築かれています。豪雪の地であるため山の水が豊かで水利を容易にしていると考えられます。
※4月16日14:00、朝からの晴天は曇り空に、逆光の位置、田に水が張られていたが青空が映らない。1週間前ですと中央の田んぼに満開の桜が映り、畦は雪という素晴らしい写真が撮れた?そうです。桜は散り、田の畔に雪が無く、草や木はパステルカラー、メリハリのないボケた写真になってしまいました・・・ザンネン イイ写真は・・・イイシーズンに、イイ天気、イイ時間に撮れます。
これにて春の越後紀行はオシマイ
《参考サイト》
★「まつだい棚田バンク」NPO法人越後妻有里山協働機構。
★「十日町市観光協会サイト・・・儀明の棚田」
★十日町市観光協会「星峠の棚田」
★2016年4月26日のブログ「春の越後・・・東頸城丘陵・・・儀明峠の茶屋の・・・峠の釜めし」
田圃に水が一杯!?ホット気が付く
棚田に水張りつめれば、次回は田植え
もうそんな季節かと………。
棚田でしか生活が成り立たない農耕地です。
日本一の豪雪の里とは・・・冬は生産手段がありませんでした。出稼ぎの里です。いまは道路事情が良くなり、ほくほく線も開通して十日町、直江津地区に数十分で行けるようになり兼業農家で成り立つようになった?
住んでる人たちは・・・ご先祖様の選んだ地・・・限りなく愛していると思います。
越後松代地区は全部山でした。そして全部棚田。驚きました。地滑りが無くて水利があって、土の保水力があるということだと思いました。田の水は稲刈りが終わるとすぐ入れてしまうようです。
秩父や西上州では段畑はあっても棚田は見られないようです。信州の伊那でもわずかに見られるだけです。傾斜がきつすぎるのでしょうか。
存続が心配です。ボランティア募集(棚田バンク)をしてるようです。
田んぼの畦にはフキノトウの花の咲いたのがイッパイ・・・茎だけみじん切りにして油味噌炒めにしても美味い。