比企の丘

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信州・・・祢津の・・・東町の・・・歌舞伎舞台を見た

2011-12-15 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
11月27日、信州の東御市(とうみし)祢津(ねづ)の東町歌舞伎舞台を見ています。

日吉神社の境内にあります。日吉神社は滋賀県の比叡山の麓の坂本の日枝大社の系列社。もとはその地の山の神を祀ったものですがいろいろあって政治の中枢に近い比叡山の神様を祀ったものと思われます。近くに長命寺がありその守護神。

さて日吉神社の石段から祢津の街並みを見下ろしています。江戸時代、徳川家旗本久松松平家(5560石)の知行地、代官が常駐していました。

さて、日吉神社の裏手に回ります。東町歌舞伎舞台です。1818年の建造、西宮歌舞伎舞台の2年後に造られたようです。切妻平入り(現在は瓦葺)、屋根の構造が違うだけで西宮歌舞伎舞台とほぼ同じ造りに見えます。
舞台に両袖・・・向かって右手にあるのがチョボ床(高座)で義太夫が語られる。左手は黒御簾(下座)は音響部門担当の場所。

横から見た構造です。後ろが低くなっているのは回し舞台、セリ上げ、奈落などがあるためです。ここもまた県指定重要民族文化財です。

桟敷は野天、後ろに階段状の観覧席。

現役の歌舞伎舞台です。毎年4月最終日曜日に日吉神社奉納歌舞伎として地元の保存会の方々により上演されています。

コメントで交信のある「オコジョの散歩道」(オコジョさん)の過去ブログに歌舞伎公演の詳細をレポートしたものがありましたのでリンクさせていただきました。
      2008年5月2日「祢津東町歌舞伎 公演」

《蛇足》祢津(ねづ)という地名、聞きなれない読めない漢字です。平安時代からの豪族祢津氏の根城。江戸時代は小諸藩領、久松松平家のとき庶子が分家・分地されて旗本久松松平家知行地(5560石)に。旗本とは1万石以下の譜代家臣、殿様は江戸詰め(不在地主)で知行地は代官が管理します。領地はこの近辺から地蔵峠を越えて群馬県の鹿沢まで21ヶ村。
祢津というと真田幸村の家臣「真田十勇士」根津甚八というメンバーがいたことを思い出します。江戸元禄期に「真田三代記」という軍記で語られたといいますが実在の人物かどうかは定かではありません。

今回は急に上田市の義兄に連れて行ってもらいました。予備知識なしで行ったものですから物足りないものになりました。また時間のあるとき(できれば公演のとき)尋ねて見たいと思っています。


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