比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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北武蔵・・・風の谷の村・・風布みかん山・・・秩父事件の碑

2013-05-14 | 秩父事件を追って
5月12日、北武蔵の山波の北のはずれ、風布(ふうぷ)にやってきました。
風布・・・埼玉県大里郡寄居町大字風布、秩父郡長瀞町大字風布と二つの風布がありますが、江戸時代は風布村、1889年の明治の大合併で白鳥村に、1943年、風布地区はなぜか山の尾根で二分されて尾根の西側は野上町(現長瀞町)に、尾根の東側は寄居町に編入。今日は寄居町のほうの風布訪問です。

釜伏川に沿ったV字谷の中、風布は谷底から上がった急峻な傾斜でみかん栽培を生業としている「風布みかん山」と呼ばれている村です。
みかん栽培は16世紀後期の鉢形城主北条氏邦が小田原のミカン栽培法を導入してこの地に定着させたと伝えられています。

釜伏川(風布川)から高度差100m以上、つづら折りの緩やかな道を登ってきました。

坂を登りきると石碑と東屋が。

塞神様、弁財天の石碑、秩父事件碑があります。

峠道は隣の金尾村(現寄居町)の小林みかん山へと続く道です。

秩父事件で最初に狼煙が上がった村・・・まえから尋ねてみたい思っていました。
話の続きは次回に。

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