もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

文武天皇陵 桧隈安古岡上陵

2024年05月06日 | 御陵印

天武天皇崩御の後は、子息の草壁皇子に譲位することに決めていましたが、病弱のた即位前の持統天皇が実質の天皇として治世を担っていました。
草壁皇子は即位することなく薨去されましたので、母が持統天皇として即位しました。

 

飛鳥広域の案内図から天武・持統天皇の孫にあたる、第四十二代文武天皇陵を目指します。

このあたりの歩道は、農作業の利便さを優先しているのか、無味乾燥のコンクリート舗装になっています。
史跡散策路に相応しくないと感じるのは、オイラだけではないと思います。

 

長閑な里山ではしきりに鶯の鳴き声が聞こえました。
めったに人前に姿を晒さないと伝わる鶯ですが、それらしき姿を捉えました。
これが鳴き声の主で、まさに鶯と思いますが違いますか?
野鳥の知識は皆無ですので半信半疑ですが、どなたか判定をよろしくお願いいたします。

 

飛鳥歴史公園をアピールする看板の前に差し掛かりました。
今回の目的とは異なり目指す場所ではありませんが、次の目的地文武天皇陵への最短ルートなので足を踏み入れます。

 

飛鳥歴史公園内は手入れをしているような、自然を残しているような、微妙な開発状況となっています。

 

そして公園内の売り物?高松塚古墳が現れました。
天皇陵に比定されない墓は発掘調査が進められますが、宮内庁管理墓は手つかずのまま、歴史の検証にはもっと多くの陵墓を解明してほしいものです。

 

飛鳥の里は自然がいっぱいです。

 

「飛鳥ケイミュー橘の里」なるところに来ました。
日本最古の柑橘類を栽培保存しているとのことでした。

 

やがて古墳と思しき森が現れました。
文武天皇陵ではないでしょうか。

 

排水路と石垣の上に、森が整備されているので明らかに自然の山ではありません。
山形墳墓と言われています。

 

玉垣に囲まれた天皇陵が姿を現しました。

 

天武・持統天皇の孫にあたる、第四十二代文武天皇陵です。
15歳で祖母である持統天皇を次いで即位し、25歳の若さで崩御されたため、母である元明天皇に皇位継承という、不思議な運命をたどった天皇です。

 

祖父である先代天皇陵に背を向ける位置にありますが、何か意味があるのでしょうか。

 

文武天皇の御陵印です。

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