思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

統一とは、科学的な現実なのか?

2017-01-31 13:36:08 | 思想、哲学、宇宙論
http://tm-meisou.jp/unity/

2012年7月の初めに、スイスにある欧州合同原子核研究機関(セルン)の巨大なハドロン衝突型加速器のなかでヒッグス粒子が発見され、これは物理学の歴史で最も重要な発見の一つであると発表されました。それは、宇宙の根底にある統一という究極的な場を科学的に突き止める大きな一歩だったからです。

この発見に関して、もし一人の科学者に感謝を捧げるとすれば、それはアルバート・アインシュタインということになるでしょう。アインシュタインは、原子のエネルギーの基礎になる方程式や一般相対性理論で有名ですが、実は彼の研究生活の大部分は「統一場理論」と呼ばれる別の理論に向けられていました。この理論は、自然の全ての現象、全ての力、全ての粒子の究極の根底に、たった一つの場が存在すると予測していまいた。



量子物理学の発見によって、分子や原子や素粒子は、その根底にある場の振動であることが明らかになりました。電子は電子の場から創り出され、陽子や中性子を構成するクオークは、クオークの場から創り出されます。つまり物質的な世界の根底には、物質的ではない場が存在するということです。

アインシュタインは、これらの異なる場はその根底にある一つの場の現れであり、その様々な振動の仕方を通して自然の様々な現象が生じてくると予測しました。



これは私たちがよく知っている現象です。同じ電磁場が異なる波長で振動して、ラジオの信号、光、マイクロ波、赤外線、X線などが生じてきます。これらの異なる現象が一つの電磁場から同時に生じてくるのです。電磁場の異なる振動は互いに他の振動を妨害することがないので、私たちはラジオや電灯や電子レンジを同時に利用することができます。

同じように、あらゆるものの根底に一つの場があって、それが異なる仕方で振動して、様々な力の場や物質の場が生じてくると考えることができます。

しかし、ここで例えに出した電磁場とその根底にある統一場との間には大きな違いがあります。電磁場の振動は常に外側の力によって創り出されます。例えば、ラジオの信号はラジオの放送局によって創り出され、空間全体に広がったその振動をラジオが受信します。しかし、統一場のレベルになると、そこには外側からの力は働きません。なぜなら、全ての力は統一場から創り出されるからです。つまり、統一場はそれ自身の内側から振動を創り出しているのです。

統一場がそれ自身の内側から何かを創り出しているのであれば、そこには創造性や知性があるに違いありません。確かに自然のあらゆるものは、むやみに創られているのではなく、たいへん知的な仕方で創られています。創造性や知性は、生命や意識に特有の性質です。ですから、もし統一場が本当に科学的な実在であるならば、それは知性の場、意識の場であるに違いありません。

5000年前の古代ヴェーダの文献にも、これと同じことが説かれています。客観的で物質的な世界と私たちの主観的で精神的な世界の根底には、一つの意識の場があります。そして、このレベルでは心と物質が一つに繋がっているのです。

古代のヴェーダの賢者たちはこの真実をすでに知っていました。なぜなら、彼らはこの世界の根底にある統一を自分自身の意識のなかで体験していたからです。彼らは時の経過によって忘れさられた「超越するというテクニック」をもっていました。この「超越するテクニック」によって、誰もが自分自身の意識の中で、世界の根底にある統一を体験することができます。そして、この統一を体験するとき、私たちは一人ではなく、すべてのものと繋がっていることに気づくのです。








































































































































一つの全体性

2017-01-23 10:50:50 | 思想、哲学、宇宙論
この宇宙に存在する全体性は、最初から一つだけではないか。


一つの全体性が、異なる階層世界において

異なる表現をしているに過ぎないのかもしれない。


振動数の違いによって、全体性が異なる現れ方をすると考えられる。

個と全体の一体化

2017-01-18 20:09:41 | 思想、哲学、宇宙論



https://happylifestyle.com/3417

生きている間に、私たち人間は、大きな目的を与えられず生きてきました。

とはいえ、目的を与えられていないだけで、実は共通の目指すべき方向はあります。

それが「個と全体の一体化」です。

私たちは、宇宙の中にいるのですから、少なくとも宇宙の流れに従っていかなければならない。

その宇宙の流れというのは「個と全体の一体化」です。

個人が、全体と一体になるということです。

「調和」ということもできますし「愛」ということもできます。

調和は、周りと自分が1つになることです。

愛も、自分と周りとが1つになるということです。

よく恋愛における「愛」と思われそうですが、限定された愛です。

相手と自分との一体化しか考えていない、限定付きの愛だからです。

本当の愛は、自分も相手も周りも一体化する、大きな愛をいいます。

世の中にある宗教は、文化、聖典、言葉、生まれの違いこそはあれ、どれも同じことを言っています。

それが「個と全体の一体化」です。

私たちは、その個と全体が一体になるような習慣を、知らず知らずの間にしています。

挨拶。

助け合い。

協力。

愛し合うこと。

才能を生かして生きる。

こうしたことは、あなたもよく耳にする言葉でしょう。

しかし、どれも、個と全体が1つになるための素晴らしい習慣です。

さあ、手のひらを見てみましょう。

手のひらには、親指、人差し指、中指、薬指、小指がありますよね。

確認しましたか。

それぞれの指だけでは、うまく機能しませんよね。

もちろん動きはしても、手本来の働きをするためには、すべての指の力が必要です。

もう一度、手のひらを見てみましょう。

5本の指は、真ん中にある手のひらで1つにつながっています。

「手」が出来上がり、さまざまな仕事をすることができているのです。

握手をしたり、字を書いたり、ボールを投げたりなど、一体になることで本来の機能を果たし、十分に力を発揮しています。

親指だけで字を書くことはできません。

小指だけで握手もできなければ、薬指だけでボールを投げることもできません。

5本の指が1つにつながり、一体になり、初めてその本来の力が発揮されます。

個と全体の一体化とは、手のような感じです。

一つ一つだけが独立するのではなく、1つになるのです。

1つになることで、ほかの存在も喜ぶわけです。

この考え方を、友達関係、家族関係、社会に当てはめ、宇宙に当てはめてみましょう。

それぞれが独立してはいません。

いえ、独立など、そもそもないのです。

初めから、1つなのです。

「1つにならないといけない」ではなく、すでに「1つ」になっています。

ただ、その連携がうまく取れていないために、差分が生じています。

手のひらのように1つにつながっていても、うまく連携が取れないと、本来の力を発揮できないのです。

挨拶をする、握手する、協力する、相談する、助け合うことは、連携を取り合うことです。

自分の存在が、周りに溶け込み、1つとして一緒に協力しながら生きていくということです。

初めて本来の力が発揮されるのです。




源泉から創造されるもの

2017-01-18 13:27:56 | 思想、哲学、宇宙論
http://en-light.net/archives/9882

源泉は一なるものであり、源泉から創造されるものはすべて源泉の中にあり源泉の外側に生み出されるわけではありません。全ては源泉の中の映像であり、人と呼ばれる肉体精神機構とそれが持ちうる五感を含めたあらゆる感覚、これらはすべて源泉の中に現れ消えゆくものです。




ノンデュアリティーではこのように考えているようですが

源泉を生みの親と考えると、子である我々は親から独立した存在で、単なる映像とは違います。

でないと源泉を認識できません。



我々は源泉から生まれ、源泉に包まれ、源泉と共に生きているのです。

自我と真我の融合と悟り

2017-01-17 12:44:39 | 思想、哲学、宇宙論
個として生きるために、大いなるもの(真我)から分離した自我が

再び、大いなるものと融合する体験が、悟りの覚醒体験である。


悟りとは私が無くなるのではなく私が宇宙へ拡大すること。


喜多郎の音楽は基本的にこの体験から生まれてきたものである。

自我と真我の融合

2017-01-16 17:24:18 | 思想、哲学、宇宙論
http://ameblo.jp/angel-wing-444/entry-12053308771.html


自我と真我の融合




自我=エゴではないです。(私も自我=エゴをイコールにしていましたが、腹の覚醒をして、真我と自我が溶け去って、自我と真我がひとつになってしまってから、真我と自我という分離がなくなってしまったんです。腹の覚醒前は、真我だけが本当の自分だと思って、体も自我も自分ではない…幻想…と世捨て人状態でしたが、今の私は、自我と真我がひとつになることが真の自己の確立=自分が自分になることだと感じています。自我があるからこそ、いろんなことが自覚できる…って感じています。そして、それを伝えることができると思っています。そして、自我があるからこそ、『生きてる』というのを自覚できるんだと感じています。自我がなければ死んでいるのと同じですからね…。だからこそ、上に行きっぱなしではなく、腹に戻ってくることが悟りの完成なんだと感じています




巷は自我=エゴというのは、本来自分が奏でなくてもいいバイブレーションとか、不必要なものというふうに理解してくれてもいいと思うんですが、自我というのは、自分自身という究極の我ということなんですよ。




これはヒンドゥー教でいうブラフマンのことなんですよ。




『自我をなくそう』とよくスピリチュアリティの世界で言うでしょ。




自我なんか無くしてしまったらアートマンがいなくなってしまうんですよ。




アートマンがいなくなったらブラフマン、つまり梵天がいなくなるんですよ。




これ意味わかりますか。




つまり、真我はひとつなんですよ。




我という究極の部分と全宇宙はひとつなんですよ。




だから、自我、真我。




この融合が最も大事だと理解してください。(だからこそ、自我だけでも、真我だけでもなく、真我と自我がひとつになり、神人合一=梵我一如=大我になることで、真の自己が確立され、本当の自分を生きることが出きる…と私は感じています




自我をなくしてしまうと、真我というブラフマンという本当の究極の宇宙の中心と一体となる対象をなくしてしまうということなんですよ。




だから、エゴというものは本当に自分が必要ではないものという部分であるので、それは無くしていくことのほうが、シンプルになって、すっきりすると思いますよ。




しかし、自我をなくしてしまったら終わりなんですよ。




そして、さらに言うと、この自我と自分がどう向き合って、どう結婚するかっていうことが最も大事なんですよ。(真我と自我の結婚が勝手になされるのが、腹の覚醒なんじゃないかと私は感じています。腹の覚醒をしたことで、『真我』と『自我』の分裂=真我と自我…という別々感がなくなり、ひとつになってしまった感じだから…。以前のような、『ただいま~、おかえり~』がなくなり、定住してしまった感覚なんです




つまり、自我っていうものの中に全ての宇宙の真我が内在されているというふうに考えてもいいです。




だから、自我をなくさないようにするということが大事で、自我こそが最も大事なんですよ。(腹の覚醒をしていない人は、これを受け入れることができないと思います。自我は自分じゃない…幻想だ…と自我を排除しているから…。だからこそ、世捨て人になることで自我がなくなると思っていると思いますが、世捨て人になるなら、この世に生まれてくる意味もないですよね…。生きているうちに悟った…ってことは、それを自覚しながら生きることが残っている…ってことではないでしょうか…。だからこそ、禅の十牛図は、八牛図ではなく、人間として生きる…というふたつをつけたしたのではないでしょうか…。だからこそ、腹の覚醒をした人は、腹の目覚めが最後の体験という自覚があるんじゃないでしょうか




それを持って、じゃあ自我とどう向き合って、どう付き合うかと言うことは私が言うことではないんですよ。




それはみなさんが、生命活動の中で、その生活を通して、ちゃんとその間合いと空気を読みながら、ちゃんと受け取って、融合させていくことなんです。(私は、これも、『今ここ』以外で出きることではなく、『今ここ』で勝手になされることだと感じています




そして、私は自我と真我の融合という言い方をしています。(私は真我と自我が溶け去り、ひとつになり、大我になる…とか、神人合一とか、梵我一如も同義語だと思っています




合一ではないです。(合一ではないんですね。でも、私は、真我と自我が溶け去り、ひとつになった=ワンネスを感じたので、合一も同義語だと思っていますが、腹の覚醒で溶け去るまでは、真我と自我がひとつに合体=パズルがはまった状態なので、これを神人合一、梵我一如と言っている人もいますよね…。私にとっては、どちらも同じなんです。ひとつに溶け去ってしまったから…。自我と真我という分離がなくなってしまったんです




融合なんです。


これが溶け合うということなんです。(腹の覚醒のときは、本当に真我と自我が溶け去ってひとつになった…っていう感覚だったんです。だからこそ、大我とか、真我(神)と自我(人)がひとつになり、神人合一というのがぴったり…と思いました




なぜかというと、自我も真我も別々のものではないからです。




自我と真我というのは同じものなんです。




違う次元から見ているかもしれない。(自我は一側面しか見えていない状態です




違う角度から見ているかもしれないけれども、ものとしては、存在としては同じものなんですよ。




だから、そもそもそこから私たちは、生まれ出て、ここに来て、そこに還っていくわけですから。




だから、この地球上に、自分自身という存在を通して、生き、生かされている私たちは、一人一人の單體は、生命の樹の一人なんですよ。




ということは、生命の樹という全体の真我と、その中の一人、一つっていう部分は自我として溶け合っている状態なんですよ。(だからこそ、『今ここ』に浸ることで、パズルのピースがはまったように、一体感を実感することができるんです。そして、それに気づかないで実感していなくても、ひとつになっている状態なんです。だからこそ、それに気づけばいいんです。実感して自覚すればいいだけなんです




だからこそ、私たちの意識が自我と真我が溶け合っているんだ、溶け合わせていくんだという融合の意識を持たない限り、一向に真我という宇宙の中心と離れ離れなんですよ。(だからこそ、外にばかり目=意識を向けたり、頭頂に抜け出てしまっていたら、気づけないんです。だからこそ、意識を頭頂から腹に降ろさなくちゃそれを実感することはできないんです。すべてはひとつ=ワンネスを感じているときは、外のものとの一体ばかりに意識がいってしまっているので、外のものとは、一体感を感じることができますが、自分とはまったく一体になっていない状態です。だからこそ、外に向けていた意識を自分の内側=腹に移すことで、こここそ、我が家だったことに気づけると思います天



だから、自我を無くすということは、宇宙と離れるということなんですよ。




地球と離れるということなんですよ。




環境破壊をするということにもなってくるんですよ。




だから、自我と真我を融合させましょう。





全体性(神)は個を通して顕現する

2017-01-16 13:46:15 | 思想、哲学、宇宙論
人間は神を顕現させる媒体である。

全体性(神)は個を通して顕現する。

個は全体性を顕現させるための器であり

器の状態、個の覚醒レベルによって

顕現する全体性に差が出てくる。


スーメタルに人々が惹きつけられ、畏怖の念を感じるのは、

その姿に全体性が溢れ出ているからではないだろうか。

空の体験

2017-01-15 16:37:27 | 思想、哲学、宇宙論
「すべてのトランスパーソナルな現象の中でもっとも不可解なものの一つは、空の体験、すなわち原初の空、無、沈黙との出会いである。この途方もない霊的な体験は非常に逆説的な性質をもっている。空はあらゆる形態を超越したところに存在する。それはあらゆるものの源であるが、それ自体は他の何ものにも由来しえない。それは時間と空間を超越している。

われわれは空の中に具体的なものを一切認めることができないが、何も失われたものはないという深遠な感覚も存在する。この絶対的な空はあらゆるものを潜在的な形で含んでいるので、同時にすべての存在を孕んでいるのだ。

空は通常の因果律の概念すべてを超越する。それを体験した人はさまざまな形態がこの空から生じ、これといった明白な原因や理由もなく現象界に存在するようになるか、元型として存在するようになるという事実を鋭敏に自覚するようになる。

まったく何の理由もなく何かが生じたり、形として現れたりするという考えは、日常の意識状態のわれわれには理解しがたいと思われるかもしれないが、空を体験しているときには、少なくともわれわれを驚かすことはない。

現代物理学の量子の波動理論に見られるように空は無限の量子--ほぼどんなことでも発生させることができる完璧な可能性の組み合わせを構成する断片---からできていると考えられるかもしれない。特定のリアリティはそれを選択することによって意識の中に生み出されるのである。」


「深層からの回帰」 スタニスラフ・グロフ



新しい科学的発見は数千年の歴史を持つ文化が抱いてきた信念を指示しはじめている。

つまりわれわれの個人的な魂は結局すべての存在に浸透する

宇宙的な意識と知性の顕れに他ならないことを示しているのだ。

われわれはこの宇宙意識との接触を完全に失ったりはしない。

なぜなら宇宙意識から完全に分離することなど決してないからである。

無意識の心をもっと充分に自覚しようとする動きが

この惑星の生存の可能性を大きく広げてくれるというのが私の信念である。


スタニスラフ・グロフ



無数の全体性

2017-01-14 15:01:23 | 思想、哲学、宇宙論
最初の宇宙は巨大な生命エネルギーの塊で一つの全体性を持っていたが

進化の過程において階層化され、それぞれの階層が全体性を持った世界を作り出した。

現在の宇宙は無数の全体性が入れ子構造のように

重なり合って相互作用しながら存在している。

全体性から新たな全体性を産み出すのが宇宙の歴史である。

従って一つの全体性を悟っても探求は終わらないのである。

一人の人間の意識も一つの全体性を持った存在である。