思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

自我と真我の融合

2017-01-16 17:24:18 | 思想、哲学、宇宙論
http://ameblo.jp/angel-wing-444/entry-12053308771.html


自我と真我の融合




自我=エゴではないです。(私も自我=エゴをイコールにしていましたが、腹の覚醒をして、真我と自我が溶け去って、自我と真我がひとつになってしまってから、真我と自我という分離がなくなってしまったんです。腹の覚醒前は、真我だけが本当の自分だと思って、体も自我も自分ではない…幻想…と世捨て人状態でしたが、今の私は、自我と真我がひとつになることが真の自己の確立=自分が自分になることだと感じています。自我があるからこそ、いろんなことが自覚できる…って感じています。そして、それを伝えることができると思っています。そして、自我があるからこそ、『生きてる』というのを自覚できるんだと感じています。自我がなければ死んでいるのと同じですからね…。だからこそ、上に行きっぱなしではなく、腹に戻ってくることが悟りの完成なんだと感じています




巷は自我=エゴというのは、本来自分が奏でなくてもいいバイブレーションとか、不必要なものというふうに理解してくれてもいいと思うんですが、自我というのは、自分自身という究極の我ということなんですよ。




これはヒンドゥー教でいうブラフマンのことなんですよ。




『自我をなくそう』とよくスピリチュアリティの世界で言うでしょ。




自我なんか無くしてしまったらアートマンがいなくなってしまうんですよ。




アートマンがいなくなったらブラフマン、つまり梵天がいなくなるんですよ。




これ意味わかりますか。




つまり、真我はひとつなんですよ。




我という究極の部分と全宇宙はひとつなんですよ。




だから、自我、真我。




この融合が最も大事だと理解してください。(だからこそ、自我だけでも、真我だけでもなく、真我と自我がひとつになり、神人合一=梵我一如=大我になることで、真の自己が確立され、本当の自分を生きることが出きる…と私は感じています




自我をなくしてしまうと、真我というブラフマンという本当の究極の宇宙の中心と一体となる対象をなくしてしまうということなんですよ。




だから、エゴというものは本当に自分が必要ではないものという部分であるので、それは無くしていくことのほうが、シンプルになって、すっきりすると思いますよ。




しかし、自我をなくしてしまったら終わりなんですよ。




そして、さらに言うと、この自我と自分がどう向き合って、どう結婚するかっていうことが最も大事なんですよ。(真我と自我の結婚が勝手になされるのが、腹の覚醒なんじゃないかと私は感じています。腹の覚醒をしたことで、『真我』と『自我』の分裂=真我と自我…という別々感がなくなり、ひとつになってしまった感じだから…。以前のような、『ただいま~、おかえり~』がなくなり、定住してしまった感覚なんです




つまり、自我っていうものの中に全ての宇宙の真我が内在されているというふうに考えてもいいです。




だから、自我をなくさないようにするということが大事で、自我こそが最も大事なんですよ。(腹の覚醒をしていない人は、これを受け入れることができないと思います。自我は自分じゃない…幻想だ…と自我を排除しているから…。だからこそ、世捨て人になることで自我がなくなると思っていると思いますが、世捨て人になるなら、この世に生まれてくる意味もないですよね…。生きているうちに悟った…ってことは、それを自覚しながら生きることが残っている…ってことではないでしょうか…。だからこそ、禅の十牛図は、八牛図ではなく、人間として生きる…というふたつをつけたしたのではないでしょうか…。だからこそ、腹の覚醒をした人は、腹の目覚めが最後の体験という自覚があるんじゃないでしょうか




それを持って、じゃあ自我とどう向き合って、どう付き合うかと言うことは私が言うことではないんですよ。




それはみなさんが、生命活動の中で、その生活を通して、ちゃんとその間合いと空気を読みながら、ちゃんと受け取って、融合させていくことなんです。(私は、これも、『今ここ』以外で出きることではなく、『今ここ』で勝手になされることだと感じています




そして、私は自我と真我の融合という言い方をしています。(私は真我と自我が溶け去り、ひとつになり、大我になる…とか、神人合一とか、梵我一如も同義語だと思っています




合一ではないです。(合一ではないんですね。でも、私は、真我と自我が溶け去り、ひとつになった=ワンネスを感じたので、合一も同義語だと思っていますが、腹の覚醒で溶け去るまでは、真我と自我がひとつに合体=パズルがはまった状態なので、これを神人合一、梵我一如と言っている人もいますよね…。私にとっては、どちらも同じなんです。ひとつに溶け去ってしまったから…。自我と真我という分離がなくなってしまったんです




融合なんです。


これが溶け合うということなんです。(腹の覚醒のときは、本当に真我と自我が溶け去ってひとつになった…っていう感覚だったんです。だからこそ、大我とか、真我(神)と自我(人)がひとつになり、神人合一というのがぴったり…と思いました




なぜかというと、自我も真我も別々のものではないからです。




自我と真我というのは同じものなんです。




違う次元から見ているかもしれない。(自我は一側面しか見えていない状態です




違う角度から見ているかもしれないけれども、ものとしては、存在としては同じものなんですよ。




だから、そもそもそこから私たちは、生まれ出て、ここに来て、そこに還っていくわけですから。




だから、この地球上に、自分自身という存在を通して、生き、生かされている私たちは、一人一人の單體は、生命の樹の一人なんですよ。




ということは、生命の樹という全体の真我と、その中の一人、一つっていう部分は自我として溶け合っている状態なんですよ。(だからこそ、『今ここ』に浸ることで、パズルのピースがはまったように、一体感を実感することができるんです。そして、それに気づかないで実感していなくても、ひとつになっている状態なんです。だからこそ、それに気づけばいいんです。実感して自覚すればいいだけなんです




だからこそ、私たちの意識が自我と真我が溶け合っているんだ、溶け合わせていくんだという融合の意識を持たない限り、一向に真我という宇宙の中心と離れ離れなんですよ。(だからこそ、外にばかり目=意識を向けたり、頭頂に抜け出てしまっていたら、気づけないんです。だからこそ、意識を頭頂から腹に降ろさなくちゃそれを実感することはできないんです。すべてはひとつ=ワンネスを感じているときは、外のものとの一体ばかりに意識がいってしまっているので、外のものとは、一体感を感じることができますが、自分とはまったく一体になっていない状態です。だからこそ、外に向けていた意識を自分の内側=腹に移すことで、こここそ、我が家だったことに気づけると思います天



だから、自我を無くすということは、宇宙と離れるということなんですよ。




地球と離れるということなんですよ。




環境破壊をするということにもなってくるんですよ。




だから、自我と真我を融合させましょう。





全体性(神)は個を通して顕現する

2017-01-16 13:46:15 | 思想、哲学、宇宙論
人間は神を顕現させる媒体である。

全体性(神)は個を通して顕現する。

個は全体性を顕現させるための器であり

器の状態、個の覚醒レベルによって

顕現する全体性に差が出てくる。


スーメタルに人々が惹きつけられ、畏怖の念を感じるのは、

その姿に全体性が溢れ出ているからではないだろうか。