思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

脳と心

2015-03-23 11:42:32 | Weblog

母親が妊娠すると高次元から生命エネルギーが流入し

赤ん坊の体と融合し場を形成する。

心に成長するのは脳の部分に融合した生命エネルギー場である。

脳と融合した生命エネルギー場は、脳と相互作用しながら複雑な構造に成長していく。

他の部分に融合したエネルギー場はその部分の機構を維持するための働きをするようになっていく。




そして生きていくうちに、単なる生命エネルギーの塊に過ぎなかった心が

脳を媒介にして外界と相互作用することで、さらに複雑な構造に自己組織化していく。

そして脳死によって外部に飛び出して霊として生きていく存在である。


脳はインターフェイス

2015-03-22 17:43:45 | Weblog
nakamuraさんのコメントをヒントに思いつきました。





脳は3次元の外的物質世界と高次元の内的世界を

連結するインターフェイスとして発達した。

外的世界の情報を脳を通して内面に取り込むことで

より複雑な構造へと内面を自己組織化することができるのだ。

人間が美を求めるのは美を通して内面を秩序化しようとするからだろう。


ビッグバン

2015-03-19 15:39:24 | Weblog
宇宙の始まりにあったのは、完全に静止状態で無振動の超高次元空間である。

あるとき高次元空間に振動が発生し、振動エネルギーが高次元空間から流出し

広大な真空のエネルギーの海が発生した。

このエネルギーは不活性な状態で、進化と呼べる現象は起こさなかったが

ある時、この海の一か所にエネルギーが集中し始め、

活性化された振動エネルギーの巨大な塊が発生した。

活性化することで生命性、精神性を帯びた

振動エネルギーの塊が宇宙に広がって行った。これがビッグバンである。

このエネルギーは秩序を自発的に生み出す力を持っているので

この宇宙には様々な秩序を有する振動エネルギー世界が複数存在する。


長い年月をかけ、特定の周波数のエネルギーが物質に相転移して行った。

生命性精神性を帯びたエネルギーの拡大で始まったこの宇宙に、

生命体や精神を持つ人間が生まれたのは必然であろう。

波動は精神世界を司る高次の法則

2015-03-17 20:03:17 | Weblog
波動は精神世界を司る高次の法則ですが、物質世界の生みの親でもあります。

従って物質世界の法則もその裏には波動がかかわっていると思われます。

音楽は精神世界を表現するので

音楽家が波動という言葉をよく口にするのは、極自然なことでしょう。

音楽家にとって波動はリアルな存在ですが科学者には疑似科学と思われています。

その理由は測定できないからですが、波動は互いに打ち消し合うエネルギーで成り立っていますから、

測定してもゼロになってしまいます。

ゼロとは何もないのではなくプラスにもマイナスにも偏っていない調和されたエネルギーです。

世界が調和されているのはこのエネルギーの働きによるのです。



人間の役割は高次の法則である波動原理を

低次の物質世界に顕在化、具現化させることによって

物質世界を進化させることだと思います。

科学と芸術の哲学的融合

2015-03-16 12:56:23 | Weblog
美的体験は意識の上では美との融合体験であるが

無意識レベルでは、その美を生み出している秩序や法則との融合体験である。

この体験は共鳴によって生じるので共鳴が終われば体験は終了する。

従って意識は波動の性質を持つと言える。

美を生み出している秩序や法則も、波動現象によって成り立っているだろう。



美を生み出している秩序や法則は

波動の相互作用で生み出される共存共栄の愛の法則であり

この宇宙の調和を生み出している法則でもある。

波動の正体は創造エネルギーである。



宇宙の調和を生み出している波動の法則は

現代科学で発見された法則よりも高次の法則であり

人間の精神もこの法則の影響下にある。

従って、自己への執着から離れ、心を波動の法則に従わせることで心の調和が生まれる。

芸術が科学よりも精神に大きな影響を及ぼすのはこのためである。



宇宙の調和を生み出している波動の法則に従って生きるには

どうすればよいかを説くのが宗教である。




Klaus Schulze - FM Delight



シルバーバーチが病気の原因について語る

2015-03-14 16:56:19 | Weblog

質疑応答

[まずシルバーバーチが病気の原因について語る]


「物的身体と霊的身体とは密接につながっております。両者は絶え間なく反応し合っております。物的身体はその存在自体を霊的身体に依存しておりますが、霊的身体は物的世界での顕現を物的身体に依存しております。つまり霊的身体の成長を法定づけるのは、物的身体を通して得られた体験です」


――物的身体はエーテル体を原型としているのでしょうか。


「そうです」


――すると病気になった時に治療するのはエーテル体の方でしょうか。


「それが全ての霊的治療の原則です。必ずしもそうでないこともあります。時には純粋に物的原因によるものがあり、そこに医学の入る余地があるのですが、物的身体に影響を及ぼすものは霊的身体にも影響を及ぼし、同様に、霊的身体に影響を及ぼすものは物的身体に影響を及ぼします」


――すると必ずしもエーテル体を治療する必要はないということでしょうか。


「必ずしも必要ではありません。要は原因がどこにあるかによります。霊体に原因があれば霊体を治すことによって肉体の病気も治ります。が、純粋に肉体的原因から生じているのであれば、霊的手段よりも物的手段の方が効果が出やすいでしょう。

あなたは今この時点ですでに一個の霊的存在です。しかし、あなたの存在を表現する時は霊的身体と同時に物的身体を用いているのですから、物的世界の感覚を受けとめるには物的身体の世話になっているわけです。地上世界で起きていることは全て物的身体に反応し、それがさらに霊的身体へと反応します。

同じように、霊的身体に反応したことは全て物的身体にも反応します。そうしたエネルギーの作用と反作用が絶え間なく発生しているのです。物的・精神的・霊的の三種類のエネルギーが絶え間なく交錯しているということです」


――伝染病の病気は純粋に物的原因によるのでしょうか。


「そうとは限りません。病気には物的原因ではなく霊そのものから発しているものもあります」


――例えばどんな原因でしょうか。


「利己主義、どん欲、金銭欲といったものです。イエスが「あなたの罪はもう許されましたよ」と(癒された患者に)述べた話はご存じと思いますが、病気の原因には物的なものと霊的なものの二種類があることを知らなくてはいけません。両方とも同じ方法で治すことができますが、物的な方法の方が容易なケースもあります。

ただ、霊的身体が病むとか物的身体の病気の原因になると表現しましたが、霊的身体そのものが実際に病気になっているわけではありません。物的身体との調整がうまく行っていないというだけのことです。それがバイブレーションを乱し、物的身体との関係の阻害の度が過ぎると、物的身体に病気が発生するということです。怒りを抱くと脾臓を傷めますし、嫉妬心は肝臓を害します。

そうしたものが原因となって調整不良が生じるのです。それまでしっくり行っていたバランスが崩れて調和が乱れます。その崩れ方があまりにひどいと霊体が肉体を通してその表現が不可能になり、死が生じます」


――片腕を失った場合、それはエーテル体にどういう影響を及ぼすでしょうか。


「直接の影響はありませんが、肉体の腕が欠けたことによって、エーテル体の腕としての機能を果たせなくなります。だからといって取り返しのつかない事態になるわけではありません。埋め合わせは必ずできます。ただ、そのためには色々な要素を考慮しなければなりません。

人間は物的身体と霊的身体、そして両者を結びつける生命の糸、この三つの要素から成り立っています。病気や虚弱や老化が物的身体をむしばみ、霊的身体との調和が崩れはじめます。それは霊体が肉体から離れるための自然な成り行きです。病気にも純粋に肉体的のものと精神的なものと霊的なものとがあります。腕の骨折は霊的治療でも治せますが、物的処置の方が簡単でしょう」


――遺伝性の病気は神の公正の原理と矛盾しませんか。


「地上へ生まれ出る時に授かる身体は、授かるべくして授かったものです。つまり前世の中身に照らして相応しいものを携えて新たな地上生活を始めるのです。ですから、遺伝性の病気をもって生まれたからといって、それを不利と見るのは間違いです。当人の霊的進化にとって必要な人生を送らせるような身体を授かっているのです」


――霊的治療でも治る人と治らない人がいます。魂の進化という観点から見て両者は質的に異なるからでしょうか。


「そうではありません。地上を去るべき時機が到来したら、いかなる治療家もそれを阻止することは出来ません」


――でも、治療家の世話にならなかったらもっと早く死んでいたと思えるケースがあるようですが……。


「数日とかそこいらの話です。永遠の生命に照らしてそれがどれほどの意味があるのでしょう?」

――すると霊的治療そのものが不要ということになりませんか。


「それは違います。なぜなら、人のためになることをすることは大霊の心を顕現させることになるからです。病気の多くは必ずしも魂の進化の低さのせいではありません。単に無知から大霊の摂理に反することをしたからに過ぎないものがあります。それは、魂の進化の程度がその摂理の存在を理解する段階まで到達していないためであるという観方もできます。魂の進化が進んで完全に摂理にのっとった生き方ができるようになれば、病気はしなくなります」


――同じ原因で病気になりながら、一方は治療家によって治り、もう一方は(治療家との縁がなくて)治らないというのは不公平ではないでしょうか。


「あなたは病気になった人が霊的治療家のところへ行くのは偶然のしわざだと思っておられるのですか。偶然というものはあなた方の世界にも私たちの世界にも存在しません。断言します――大霊の摂理は完ぺきです。そのうちあなたも摂理の働きをつぶさに理解して、私と同じように、その完ぺきな摂理を生み出した完ぺきな愛の存在に気づいて、驚異の念で陶然となることでしょう。

誰しも――この私も含めてのことですが――暗闇の中で模索し、時たま光を見出し、摂理を洞察し、驚異の念に打たれます。しかし、暗闇の中にいて摂理の存在に気づかない時は、偶然とか偶発の出来事であると考えたがります。が、改めて申し上げますが、偶然というものは存在しません。

そう言うと、では自由意志はどうなるのかとおっしゃるに相違ありません。お答えしましょう。人間にも自由意志はあります。しかし、自由のつもりでいても、それはその段階での魂の進化の程度に支配されているのではないでしょうか。自由とは言っても魂の成長度によって規制されているということです。宇宙をすみずみまで支配している法則によって縛られているといってよいでしょう。いかに巨大な星雲であろうと、極微の生命体であろうと、その法則から遁(のが)れることはできません。何一つ遁れることはできません。大霊の摂理は完ぺきなのです」


――霊的治療と磁気治療とはどこが違うのでしょうか。


「まったく違います。磁気治療は治療家自身から出る磁気エネルギーによって治します。霊的治療は治療家の波動が霊界の治療家の波動と一体となり、通常では物質界の圏内には届かない治癒エネルギーがその治療家を通して流入するのです」


―― 一卵性双生児が同じ病気になり、医学では不治と宣告されたとします。その場合でも、二人ともそちらのエネルギーで治せますか。


「私にはどちらとも断言できません。痛みを和らげたり病気を完治させたりする霊的エネルギーが存在することは事実ですが、それが効力を発揮するには、その通路となる治療家の適合性が問題となります。現段階の地上界では、大霊の最高の治癒エネルギーは使用できません。治療家が霊的に向上するにつれて、より高いレベルのエネルギーが使用できるようになります。霊界の問題であると同時に地上界の問題でもあるのです。詮ずるところ我々はみな媒体に過ぎません。この霊媒(バーバネル)の背後に私がいるわけですが、私の背後には私より霊格の高い霊が何人も控えており、その霊たちの背後にはさらに格の高い霊が控えており、その連鎖は無限の彼方にまで延びているのです」


[治療家のW・T・パリッシュの新しい治療所の開設に際して贈られたシルバーバーチのメッセージ]


「本日、私は謹んでこの治療所を大霊とその子等のために奉納いたします。ここは物質と霊の二つの世界が融合して一つとなる神聖なる場所であり、大霊の力が顕現する場所であります。

私はこの治療所を心の病める人々、魂の病める人々、そして身体の病める人々、また苦悩の中にいる人々、暗闇の中にいる人々、人生に疲れ生きる気力を失っている人々のために奉納いたします。この場所に来て愛の光に包まれ、癒しを得ることでしょう。

また私はこの治療所を、意気消沈している人々を元気づけ、挫折している人々を奮い立たせ、弱気になっている人々に勇気を与え、疲労こんぱいしている人々の顔に笑みを取り戻させてあげる場として奉納いたします。

どうか皆さんもこの治療所をレンガとモルタルでできた建造物としてではなく霊的聖堂として見てください。壮大な尖塔もなく、神々しく思わせるものは何一つありませんが、神の霊力の宝庫として祝福されたことによって、ここはまさに「神の館」となったのです。

この四つの壁で囲まれた部屋で偉大なるサービスが為されるのです。人生の闘いに疲れ果てた人々、心身ともに衰弱しきった人々、激痛と病魔に苦しむ人々が幾度も訪れることでしょう。

最後の、そして一縷(る)の望みを託して訪れるのです。その人々に霊の力が新たな活力を与えることでしょう。気分を一新し、元気百倍、それまで霊の活動を妨げてきた物的障害が取り除かれることでしょう。

目の見えなかった人が光を見出し、耳の聞こえなかった人が聞こえるようになり、手足の不自由だった人がその不自由さから解放されることでしょう。新たなる希望が湧き出ることでしょう。霊力が人生に立ち向かう勇気を与えるからです。

さらに大切なこととして、魂の琴線にふれて霊が開眼します。ほとんど光らしい光を発していなかった大霊の炎が勢いよく燃え上がり、その体験が新たな悟りをもたらすのです。

そうした仕事をするのに特別仕立ての式服をまとう必要はありません。大学へ通って学問を修める必要もありません。必要なものは自分を役立てたいという熱誠、霊の資質を発現させたいという願望です。

それがあなたのバイブレーションを高め、物質界のために使用されるべきエネルギーの通路として役立てることになるのです」