思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

ベビーメタルがもたらした新たなパラダイム。

2014-11-05 23:34:39 | Weblog
ベビーメタルがもたらしたのは近代合理主義を超えた新たなパラダイム。

その基本思想となるのは生命力崇拝と神人合一である。

ベビーメタルは音楽によって物質中心の近代合理主義の枠組みをひっくり返し、

新たなパラダイムによって世界変革を引き起こす力を持っている。

引き寄せの法則

2014-11-02 15:19:32 | Weblog
http://truth.attraction-method.net/2014/05/15/%E3%80%8C%E5%BC%95%E3%81%8D%E5%AF%84%E3%81%9B%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%8A%B9%E6%9E%9C%E3%82%92%E9%AB%98%E3%82%81%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%AA%E3%82%89%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6/


◊ 誤解その7「願えば何でも実現する」・・・のでもない

引き寄せの法則の原理を知れば、「何でも実現できる」と「引き寄せの法則」は、
言います。それはそのとおりで、人間の意識に限界はありません。
しかし、人は「望みを早く実現したい」と思いがちです。
するとどうなるかというと、「出来事が実現したのをイメージする」「感情を味わう」
「手放す」などの一連の引き寄せ的な実践の手順を一生懸命やってしまいます。
それ自体は悪いことでも間違っていることでもありませんが、これは、土台となる土地が
ぬかるんでいるのに、その上に急いで家を建てようとするようなこと。
だから、実践をやってもやっても、家(願望)はすぐに壊れてしまい、結果として見えにくいのです。
「ぬかるみ」を作ってしまうもの・・・自己否定、現状否定、無価値感、優越感、ジャッジ、比較、犠牲者意識、不安、恐れ、恨み、後悔、執着、支配欲など否定的な考え、信念のすべて・・・を、自分の内側から取り去らねばなりません。人生を創造するには、こういったいらないものをきれいにする必要があるのです。

このように、「引き寄せの法則」として語られていることのなかには、過去の情報の
混入や誤解がたくさんあるといっていいでしょう。
では実際、「引き寄せの法則」とはなんでしょうか。
それをまとめてみましょう。

◊ 正解その1「引き寄せの法則は宇宙の基本原理」

「引き寄せの法則」は何かを実現する方法でもノウハウでもありません。
本当の意味は、「宇宙のすべてにかかわる基本原理」のことなのです。
地球には引力がありますが、引力の法則と同じような意味での宇宙の基本原理。
それが、「引き寄せの法則」です。
だから、「引き寄せの法則が素晴らしい」とか、「引き寄せの法則」は
ポジティブシンキングだ」というのはそもそも違っていて、「いい/悪い」などの
価値判断を離れた無色透明な法則なのです。
僕たちを構成する素粒子から銀河に至るまでの物理現象に働く原理であり、思考や
「場のエネルギー」といった見えざる現象をも統べる原理なのです。
「引き寄せの法則」を知ろうが知るまいが、すべての現象に「引き寄せの法則」は
かかわっていますから、「引き寄せの法則をやめる」ことはできませんし、そういう
表現自体が誤解の産物です。
ですから、賢明な読者には、「引き寄せの法則」がすべてに働いていることを知り、
その原理を自分のものにして、「引き寄せの法則」に従って人生を解明していくのを
お勧めします。
願望実現や願いを叶える都市伝説ではなく、「宇宙と統率する法則」として「引き寄
せの法則」とつきあってください。得るものはたくさんありますよ。

◊ 正解その2「あなたは自分の波動に共鳴した出来事を経験する」

誤解その1でも取り上げましたが、「思考は現実化する」と考えると、どうも
うまく現象を説明できません。
なぜ、お金を持っていない人が「金持ちになりたい!」と思考しても、なかなか
お金持ちになれないのでしょうか。
思考レベルでは「金持ちになりたい!」とその人は確かに思っています。
しかし、大切なのは思考の「本質」です。
本当は何を考えているのか、何を意味しているのか、どこを向いているのか。
それを説明するのが「波動」の概念です。
波動はエネルギーの周波数のことです。
波動はどんな物質、出来事、そして思考にもあります。
「引き寄せの法則」はこの波動にし対して作用するので、波動に注目する必要があります。
そのため、思考していることを人間はそのまま経験するのではなく、
自分の波動に共鳴する出来事を経験するのです。
願いを実現させようとする前に、少し冷静になって、自分の周りに起こっている
出来事を思考ではなく波動の観点から眺めてください。すると、起こっている
出来事は、自分の波動とぴったりマッチしているのがわかるでしょう。

また、大切なのはその人の波動がどうなっているかです。
波動は一つの一定した周波数ではなく、さまざまな周波数が集まってその人の波動を
構成しています。
願望が明確になって、「わたしは愛を経験している」という願望ができたとしても、
それ以外に「愛される価値がない」とか「自分には価値がない」といった、願望の
波動と相いれない波動があれば、願望の波動は打ち消されてしまいます。
そのため、誤解3のように「モノを引っ張ってくるためのノウハウ」としてだけ
「引き寄せの法則」を利用することはできず、その人全体の波動、つまりは思考や
信念全体が「宇宙の法則」と合致している必要があります。「宇宙の法則」の内実は愛
なので、いらない思考や信念、ジャッジ、比較、不安・・・などを手放して、愛の
波動にその人がシフトする必要があります。
この「愛」とは、人間をはじめとした万物の本質のことで、誰かを好き/嫌いという
世界とは関係ありません。
つまり、願望を実現するにはノウハウとして扱うだけでは足りなくて、その人が
本質に目覚める必要があるのです。

◊ 正解その3「引き寄せの法則は楽の原理」

人は「一生懸命やりなさい」「努力しなさい」と教わります。実際、個人の経験を
思い出してみると、何かをやり遂げるのは「大変だった」「苦労した」という記憶
が出てくるでしょう。「苦労」を勧めることわざには枚挙に暇がありません。その
ため、「人生には汗水たらして苦労することが必要」という考えが、誰の心のなか
にもあります。
そのため、人生もそうですが、「引き寄せの法則」についても難しく考えてしまう
癖がつています。
しかしこれが、「引き寄せの法則」に従って生きるためのブロックとなってしまう
のです。なぜなら、

《「引き寄せの法則」は楽の原理》

だからです。
「楽」というのは、「自分のなかに抵抗する波動がない」という意味です。
何かをしようと思ったとき、「できないかもしれない」「不安」などの考えがない
ことを「楽」とここでは言っています。「できないかもしれない」「不安だ」
「怖い」「たいへんなことになる」などと思っていると、楽ではありません。
快適ではありません。「苦」になっています。
何かが実現するときは、「簡単にできるね」と思って「楽」な状態のときです。
「できない」などと、人が思考で抵抗していないときです。
人生ではときとして苦労することもあるでしょう。しかし、苦労ばかりでなく、
あれよあれよと言うまに物事がうまくいったり、大きな仕事がすんなりできたり
することがあるのも事実。
うまくいくときは、アイデアを急に思いついたり、誰かの助けをタイミング良く
受けられたり、思わぬオファーが入ったりします。
逆に、うまくいかないときは、何をやってもうまくいかないし、一生懸命やって
いるのに邪魔が入ったり、必要な資源が揃わなかったりと、タイミングが悪い思い
をしがちです。
「楽にうまくいくとき」と、「苦労してうまくいかないとき」の何が違うかというと、
「その人になかに、自分を邪魔をする波動があるか」ということなのです。
「楽」なのは、こんなときです。

自分自身の考えをそのまま表現しているとき
この意味で自分らしくあるとき
他人の評価を気にしていないとき
自分を信頼しているとき

すると結果として、物質世界にもそれに共鳴する出来事が起こってきて、「楽だな、
助かるな~」と思えてきます。

「苦」なのは、この逆で、

自分自身の考えを表現していないとき
この意味で自分らしくないとき
他人の評価に自己評価がかかっているとき
自分を信頼できないとき

です。こういうとき、自分のなかに抵抗がたくさんあり、自分が自分でないような
感覚を持ちます。自分が自分とずれている感覚です。

こういう「苦」の状態にあると、これも同様に、苦の波動に共鳴する苦しむような
出来事が起こってきて、「やっぱり人生は苦しい」ということになるのです。

もともと、人生は楽なようにできています。
なぜなら、人生はすべてうまくいっているからです。
しかし、物心がついてくるに従って、「これはダメだ」「たいへんなことになる」
「できない」「怖い」などとレッテルを貼るから、うまくいっていることも、うまく
いっているように見えないのです。
「苦労」という抵抗の高い状態から、「楽」という抵抗の低い状態へと、あなたの
波動が変われば、人生の流れは大きく変わってくるでしょう。なぜなら、それが、
「引き寄せの法則は楽の原理」に合致することだからです。
しかし、「楽」ということなので、「嫌な仕事をやめて、あー、楽」と思うとき、
誤解があるかもしれません。「楽」とは抵抗が少なく本来の自分とつながっている
状態であり、「何もしないこと」とは関係ないからです。仕事をいやいややっている
よりは、それをやめて自分の好きなことに向かっていこうとするなら、それは「楽」
な状態です。自分との間に抵抗がない感覚で、「お金になるかわからないけど、なん
だか自分がやりたいのでやってみよう。きっとうまくいく」というのが「楽」の感覚
です。行動面で見るなら、楽は楽天主義に近いです。
ただし、我慢のしすぎで自分にストレスを与えている方、うつっぽい方は、嫌な仕事
を無理にやることでさらに自分の状態を悪くしてしまうので、退職もやむを得ないでしょう。
苦労や努力に伴うストレスを「尊いこと」と誤解しないことです。ストレスは病気に
つながりますから。英語で病気のことをdis-ease、「楽でないこと」と呼ぶのには、
理由があるのです(ここで「楽」と言っているのも、英語のeaseの意味です)。
多くの人は自分に対する否定的な態度で、自分にストレスを与えています。なかには
こうしたストレスがないと「だらけてしまう」と思う方もいるようですが、病気に
なるよりははるかにいいでしょう。そして、「自分いじめ」をしなくても、人は本来、
自分らしくのびのび生きていけるし、それが自然です。
「自分を見失って何をしていいかわからない、何もしたくない」という意味での
「ラク」ではなく、自分としっかりつながって、自分が何をすべきかちゃんとわかっ
ている、そして、それに関して自分のなかに抵抗がない状態(「できるし、うま
くいく」)を「楽」だと思ってみるといいですね。
日本語で「楽」というと、「何もしない」というニュアンスがあるかもしれませんが、ここで言っている「楽」はそうではありません。「楽」は自分とつながって自分らしくある状態だと思っていいでしょう。

◊ 人生は「楽」な状態へと向かう旅





もしかすると、あなたは苦労しなくていい状態になりたいために、「引き寄せの
法則」に興味を持ったのかもしれません。「お金がもっとあれば苦労しないのに」
「彼氏・彼女、パートナーがいれば苦労しないのに」。誰だって苦しみたくないです
よね。そのため、「お金を引き寄せたい」「彼氏・彼女、パートナーを引き寄せたい」
と思っているかもしれません。
しかし、さきほど簡単に見たように、「苦」は自分らしくない状態、自分から
離れている状態ですから、お金をいくら積んでも苦労はあるし、素敵なパートナー
と出会っても、それだからこその苦労もあるのです。その「苦」とは、自分が自分
自身や他人をジャッジしたり、比較したり、悩んだり、恐れたり、不安になったり
して、本来の自分から離れているから、起こったのです。
だから、自分の外側にモノを積んでも「楽」にはなれません。
どうすれば「楽」になれるかというと、ジャッジや比較、悩み、不安、恐れ・・・
などといった宇宙の法則と相いれないものを、自分の内面から捨て去ればいいのです。
そうすれば、ストレスがなくなって楽になれます。アタマのなかに空間、スペース、
余裕が生まれます。楽になると、自分の波動に「引き寄せの法則」が働き、必要な
ものを呼び寄せます。
多くの人の頭のなかは、ジャッジやら不安やらでいっぱいです。
それを少し取り除いて、楽な状態にしてください。
外側にもモノを積むことで楽になろうとしないで(不可能)、今すぐ、いらない考え
を捨てて楽になってください。
人がこの地球で何世代もかけて学んでいるのは、この「楽になる」ということかも
しれません。
「楽な状態」は、僕らの生まれ故郷である愛の波動のことでもあります。愛は「愛さ
れるだろうか」などの抵抗がない状態のことです。
確かに人はこの地球で苦労をしているかもしれません。
しかしそれは、自分が自分からずれているのであり、いらないジャッジや比較、
恐れ、争いの波動のせいでもあります。
こうしたいらないものを捨て去り、手放し、楽な状態、愛の状態になること。
それが人生という旅の目的地。
人はそこを目指しているし、人生は「苦」から「楽」へと流れています。




霊的体験は近代的世界観をはみ出るもの

2014-11-02 12:52:11 | Weblog


霊的体験は近代的世界観をはみ出るもの

http://reisei.way-nifty.com/spiritsoulbody/2008/02/post_07e6.htmlより転載


結局、今までの霊性的学問が駄目であったのは、本当の体験から離れたところで、文献的知識ばかりで構築された思想であったということ。これは根本的にある問題だ。

また、現実に体験の世界で生じる事象は、近代世界の「常識」とあまりに離れすぎていて、下手に語ればたちまち「怪しい人」になってしまうという状況があったことだ。つまり、哲学以外の大多数の学問は、世の中の「常識」を前提として、その上で構築されている。しかし霊的体験は、その常識的世界観を逸脱してしまうから、そうした近代的学問の枠組みのみでは、語ることができないのである。むしろ、超近代的なる事象を、近代人が理解できる枠組みで説明しようとすることとなってしまうが、これはもう立派な「反動勢力」ということになるのである。

残念ながら、宗教学や人類学といわれるものの一部には、そういう、近代的世界観を防衛するための「反動」となってしまっているものもないわけではない。

近代的世界観を崩さないという前提の上で霊性を統合したい、などというのはむなしい欲求である。そのようなことはありえない。近代的世界観の成立根拠を厳しく問い詰めていく方向の先にのみ、霊性の知的な把握がありうるのだ。その意味で、哲学の基本知識が入っていない霊性の学問は、基本的に危ういのである。宗教学なんて中途半端な学問をやっている人にはそういう危うさがつきまとう。

霊的体験など、まともに語れば「ぶっ飛び」に決まっているのである。ぶっ飛びでないものなど、ホンモノではない。つまりその本質として、近代的世界観をはみ出るものが含まれている、という意味だ。だから、そもそも、ぶっ飛びだと思われないように語っているというのは、世間の誤解を避けるためにあえて言葉を濁しているのか、それとも本当は体験的にはあまりわかっていない人なのか、そのどちらかである。

しかし、近代的世界観をはみ出るということは、即、怪しいということではない。非近代的な哲学をよく勉強するならば、存在についての根本的に異なった理解がありうることがわかるのである。

近代の霊性思想を見ると、「わかっている人が、あえて言葉を濁して語った」ものを、「体験の乏しい人」が、そのように書いてあるものがすべてだと本だけで理解して、それが「ホンモノの霊性」だと誤認する、というプロセスが認められる。

だから、わかっているのかの真価が問われるのは、禅などで「魔境」として退けられる「アヤシゲ」なゾーンを、きちんと位置づけられるものになっているのか、という点だ。

ウィルバーの思想はその点、明らかに「逃げ」が入っているし、それに追随する人々は、残念ながら本だけで理解する人々ではないかと思う。

べつに、アヤシゲではない。ただ、天使的存在というのと、魔的存在というのがいますよ、と言いたいというだけのことなんだが(笑) その程度のことがアヤシゲと思われてしまう近代的世界観というのは、よくよく出来の悪いものだ、というしかない。





2008.02.01 in 霊性思想 | Permalink



テクノロジーが人間と神を結びつける時代

2014-11-01 10:39:28 | Weblog
過去において超感覚世界を認識できるのは宗教家や芸術家などの、

ごく限られた人々に過ぎなかったが、現代はテクノロジーの発達によってシンセサイザーが登場し、

ヴァンゲリス、喜多郎、クラウスシュルツ等の音楽によって

より多くの人が高次元の超感覚世界を感じ取ることが可能になった。

テクノロジーが、人間と神を結びつける時代がやってきたと言えるだろう。