宇宙の発生は必然か偶然か?
http://ameblo.jp/rayna11/entry-10214213126.html
2009-02-25 02:32:41
テーマ:考え
皆さんはこの世界は偶然にできたと思いますか?
それとも「神」が創造した必然だと思いますかね(・_・)
自然科学は「偶然」だとして研究を進めています。
色々思索していますが、説明が中々難しそうです。
もし偶然宇宙が発生したならば、宇宙の中でも宇宙が発生してもいい筈です。
この地球上で発生してもいい。
しかしどうやらそういうデータは無さそうです。
偶然発生したなら偶然消滅しても良い。
でもそれも中々無さそうで、とりあえず物質は安定して存在しています。
元々は全ての物質はただのエネルギーだったんですね。
それが物質化したのがこの世界なのですが、それをまたエネルギーに戻すのがお馴染みの核エネルギーです。 つまり質量欠損分がエネルギーになる。
とにかくそのエネルギーが物質化する時にある機構が働いているのですが、要するにそれは「実体化」という事になります。
ただの「力」に過ぎなかったものが形を持つ。
これはただ自然なままでは駄目なんですね。
カオス的なエネルギーを安定した物質にするには、人為的とも思える機構が必要なんです。
なぜそう考えられるのか?
例えば工事現場の「騒音」も、誰かが作曲した「音楽」も同じ「音」ですよね?
実際物理学ではこれらを同じ「音波」として扱います。
逆に言えば実は物理学では「騒音」も「音楽」も見分ける事ができない。
同じようにこの世界が神によるものか、偶然によるものかは物理学では見分ける事ができないんです。
それは心霊現象でも同じ。
つまり単に学問的対象ではないだけで、心霊現象は「科学ではない」とは言えない。
それはともかくしかし明確に我々は「騒音」と「音楽」を聞き分ける事ができる。
それを聞き分ける分水嶺とは何でしょうか。
「音楽」には「騒音」と違ってある「形式」或いは「秩序」がある。
それを敷衍して我々が「世界」だと認識できるのは、この世界に「秩序」があるからなんです。
目の前のリンゴが急に消えてしまったり、何の脈略も無しに赤から青に変わったりはしません。
ある「秩序」に従って安定して存在している。
だから「世界」だとか「宇宙」だとか規定する事ができるんです。
以前の日記(2008年12月2日)でも書きましたが、実は「秩序」がある状態の方が難しくて稀有な事なのです。
ただの「騒音」と秩序化された「音楽」なら、後者を生成する方がずっと大変でしょう?
だから「世界」が人為的なものの可能性が高いとは言えないでしょうか。
そう、つまり我々の「世界」は「音楽」と同じなのではないだろうか?
という結論に至るわけです。
さてその「音楽」と「騒音」を分ける「秩序」とは何でしょうか?
一言でいえば「イマジネーション」です。
これは「音楽」と「騒音」を明確に分ける力を持っていますが、物理量ではありません。
だから測定できません。
しかしこの「イマジネーション」が世界の「始原」だと言い切ってしまいます。
イマジネーションが存在の根源
だと
この世界はイマジネーションであり、我々もまたその力を持っている。
これが仏教で言う「個は全の中に、全は個の中に」の意味です。
しかし現在の人類の水準では、自ら有しているその「力」のごく一部しか使っておらず、しかもイマジネーションと物理量を直接に結び付けられてはいないというだけなんです。
でもたまに例外がいます。
スプーン曲げだとかごくマイナーな事ですが、「イマジネーション」と「物理量」を結びつけてしまう人もいます。
例えば自分の体に自分の意思で静電気を発生させて、水を曲げる人もいます。
尤も我々が筋肉を動かせるのは、電気信号を発生させてるからなのですが、それは我々の「意思」で行っています。我々は自らの意思で電気エネルギーを操作してる。
だから「イマジネーション」は実際に物理的な力を持ってるわけです。
この「世界」が騒音に対する「音楽」に例えられるなら、人為的なイマジネーションが介在してるとして良いでしょうか。
しかし自然科学を進める上で「神」を持ち出すのには大反対です。
そうしてしまうとそこで研究は終焉を迎えます。
だから自然科学が「無神論」なのは、研究上の「都合」なんですね。
西洋の有名な研究者の多くがキリスト教の熱心な信者だったりもするわけです。
だから近代科学=無神論と単純に考える人は、自然科学の本質を全然解っていない人々です。
優秀な研究者程実は「神」に強い興味を抱いていたりするんです。