思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

東北地震についてのメッセージ

2016-09-12 09:12:35 | 思想、哲学、宇宙論
http://ww81.tiki.ne.jp/~okwhiro/C11_2.htm


41 愛の絆

更新日時:
2011/04/23




今回の災害で愛しい伴侶や家族と生き別れになって悲しみの極地にいる人達には深い同情を感じます。しかし死は愛を引き裂くことは出来ません。何故なら愛は宇宙最大のエネルギーだからです。愛は死の壁を越えて繋がっています。本当は別れ別れになった人達とは以前よりも霊的に深く結ばれているのです。あなたがいる所、どこにいようと亡くなった人は傍に付き添っているのです。唯普通の人にはそれが見えない、聞こえないというだけです。彼らは実は自分のことよりも貴方方のことを一番心配しているのです。自分はこのとおり元気でいるのに生き残った人たちはそれに少しも気付いてくれない、一体どうしたらわかってもらえるのかと悩んでいます。遺体はすでにその人ではありません。遺体は当人が生前に着ていた服のようなものです。その人はそこにはいません。その人はあなた方のすぐ傍に立ち、あなた方を見守っているのです。何時の日か人々はその事実に目覚める時がくるでしょう。



災害で亡くなった小さな子供たちは霊界で生前子供のいなかった母親に引き取られて大切に育てられます。地上生活で得られるはずであった学びと体験は霊界で修得されます。地上の親が人生を真っ当して他界するとその子供が真っ先に出迎えてくれます。当時小さかった子はすっかり成人して立派な青年になっていることに驚く事でしょう。成長していてもすぐに我が子だとわかります。そこでは地上と立場が逆になっていて地上の親はかつての我が子から教えられることになるのです。



地上での体験が不遇であったならそれは必ず霊界に行ってから補われます。そういう法則が働くのです。何一つとして不公平というものは無いのです。報いと報酬、それは人の人生において寸分の狂いも無く発動されます。あなたが何時の日か霊の目で人生を眺められるようになった時、今回の体験が永遠の人生を構成する貴重な一コマになっていたことに気がつくでしょう。そして摂理の見事なまでの完璧さと無限の愛に神を感じることでしょう。




42 災禍の意味

更新日時:
2011/04/13




人々の間で今回の災禍の本当の意味がわかるのはかなり先のことになるでしょう。この国だけではなく人類全体の記憶として残ることになるでしょう。個人の人生において何度か危機が訪れるように国や世界の規模でも同様のことが起こります。それは誰もが予期せぬ時に起こり大きな衝撃と共に人々の魂を深いところまで揺さぶるのです。その局面だけを捉えると悲劇と苦しみしか見えないでしょう。この世には神も仏もないのかと叫びたくなるのも無理はありません。しかし将来、人々が広い視野から眺められるようになった時、その意味が理解されるようになります。物心両面において納得するようになります。




43 災害で死ぬことの真実

更新日時:
2011/03/25






災害で亡くなった人たちを気の毒がる気持ちはわかります。しかし人は元来いつまでも生き続けることは出来ません。この地上に肉体を持って生活している以上、自然の営みの一つである災害(人間にとって)を避けて通ることは出来ません。世の全ての事と同じく、事故や災害で死ぬという事にも偶然はありません。不慮の事故というものはありません。人は肉体を去る時期をあらかじめ定めてこの世に来ています。その因子と生後積み重ねてきた原因と結果の所業が複合的に作用して災害に遭うという1つの結果を生むことになります。死ぬ理由は何であれ、人は自ら定めた寿命から大きくずれることなく、時期が来れば霊界に帰還するようになっているのです。事故や災害に遭遇しても未だその時期が来ていない人は年齢に関係なく生き延びます。人はよく奇跡的に助かったという話をしますが、その裏にはそういう摂理が働いているのです。奇跡というものは存在しないのです。宇宙の全ての出来事は摂理の範囲内で起きます。



しかしこれまでに繰り返してきたように、どのような死に方をしようと死ぬ事は悲劇ではありません。悲劇と言うならこの世で肉体で地球に繋がれ、物質の世界で苦労している人たちのほうです。死んだ人は重苦しい肉体を地球に返してようやく自由の身になれたのです。人生の第2ステージに進級したのです。死ぬ事を地上の眼で見ると不幸な事になりますが、霊の目で見るとそれは束縛からの解放であり死というものは無いのです。このような状況の中で卑劣な行為をする人間がいますが、そういう者の魂こそ死んでいるのも同然です。



災害や事故で亡くなった人はショックが収まるまで霊界で手厚い看護を受けることになります。死の自覚が出来ていない人達は指導霊のもとで自分の状況を理解するようになります。大災害で一度に沢山の人が死んだ時には霊界ではそれに対応して大規模な救援活動が行われます。ですから亡くなった人の行く末を案じる必要はありません。気持ちの整理がついた後にそれまでの人生で未達であった事は霊界で継続されることになります。地上よりはるかに進んだ知識を学ぶことが出来ます。地上には無い素晴らしい芸術にも触れることが出来るようになります。地上生活特有の物質の悩みから解放されます。災害や放射能汚染に恐れおののく必要もありません。地上の体験が悲惨であったならば死後は必ずその補填があり、霊界で幸せに暮らすことができます。人生の全てに絶対公正の法則が働いていて不公平というものはないのです。




44 神性の芽生え

更新日時:
2011/03/19




この災禍の中で人々の間から神性が芽生えつつあります。同胞の受けている苦しみを黙って見ていられないのです。今回の苦難を共に分かち合い支えあって行こうという善意の施しが世界中に広がりつつあります。互いに助け合い支え合う中から感動が生まれています。これが人間の本来の姿なのです。それまでは物質に埋もれて曇らされていた眼が開けて来たのです。人はそういう体験のなかから人生において真に価値あるものは何かということを学ぶのです。



人間がこの世に生まれてくる究極の目的は自らに潜在する神性を芽生えさせることにあるのです。神性が目覚めるには人間は皮肉な事に極限の状態を体験する必要があるのです。もう限界かと感じるような苦しみや悲しみが魂を開かせるのです。それまでは神性が眠っているのです。何時の日か人々は今回の体験を懐かしく振り返る時がくるでしょう。我々はあの苦境を乗り切ることが出来たのだと自分や母国を誇らしく思うことでしょう。




45 困難を乗り越えて

更新日時:
2011/03/16




原発のように人間が作ったものが害を及ぼす時、その規模はその力に応じたものになります。人間の作ったものにはそれなりに限界があるのです。その限界を超えて害を及ぼすことはなく、それなりの対処法が考えられるでしょう。実態以上に恐れることはありません。また原子力エネルギーはもろ刃の剣であり近代社会がその恩恵を受けて来た事も忘れてはなりません。



人類は過去幾多の災禍を乗り越えて進歩してきました。個人と同じく民族や国家にとっても困難や試練は成長の為の糧になるのです。もし今までに何の困難も障害も無かったとしたら人類は今のように進歩する事は出来なかったでしょう。技術の進歩も遅れていたでしょう。困難が人間を成長させるのです。歴史を振り返ればわかるように人類は何度も絶望の淵から立ち上がってきたのです。民族の力を結集して困難に立ち向かっていけば克服できない問題はありません。