日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

真冬並みの寒さ…昼には暖かくなるかも…今凍えています。

2024-05-02 08:30:16 | 日本語学校
05/02

曇り。

見事に冬に戻っていました、今朝。寒い…。道行く人はダウンを来ている者あり、長袖のセーターを着ている者あり…で、私はと言いますと、陽が高くなれば、暖かさを通り越して暑くなるであろうという予測のもとに、薄着でやってきました…だから、一層寒い。

昨日の雨で、凍り付いたかに見えた街でも、「月見草」が、あちこちで咲いています。あの黄は、本当に優しい色ですね。「ポピー」は、もう、おしまい…かもしれません。雨に打たれ、花にしずくを感じさせるような「サツキ」は、そのおかげで、一層鮮やかさを増しているような…と見ていると、公園脇の「サツキ」の根本には、そのまま花が落ちていた…ここの「サツキ」はもう終わりか…。

もう若葉の季節とは言えないような、それくらい緑が深くなっている木々が増えてきました。

さて、学校です。

疲れたらすぐ休む(本人にとっては、それが普通)という学生に、出席率と専門学校の話をすると、「えっ…」。その前に、休みが多いので、「ゆっくりクラス」で勉強した方がいいのではないかという話をしたのですが、彼女曰く「大丈夫。わかるから大丈夫」。わかっているかどうかが判断できない…。

そういう人は、留学生でも、少なくはないのですが、特にこの国の人に目立つのです。おそらく、ヒアリングがいいから、わかると思ってしまうのでしょう。アルバイト先で、日本人から「日本語、上手だね」と言われれば、「私、上手」と思ってしまっても不思議ではないのですが、その実、「漢字」などのコツコツ勉強は苦手で、やらないのです。さすれば、当然のことながら、「読解」などでも、漢字二字の単語などは誰かが、先に読まない限り、なにがなにやら、わからない。

『みんなの日本語(1)』(せいぜい「(Ⅱ)」の簡単な文型)で生き抜いているようなところがあるのです。私たちなら「簡単な文法しか使えていないな。街にいる(学校で勉強したことがない)人達と同じレベルで、学校で勉強している意味がない」などと思うのですが、他の日本人にはわかりませんから、適当に受け答えできる、彼の国の人達を「上手」と言い、コツコツ勉強はしているけれども、ヒアリングに差のある他の国の人を「(日本語が)下手」と見てしまうのです。

まあ、アルバイトを探すにはいいのですが、こと勉強となりますと、ちと違うだろうと言いたくなってしまいます。

覚えられるように「暗記用の文型(ここではN3)」を、毎日私の授業の時に読み続けているのですが(まず、意味、次に振り仮名、次に読み、最後に暗記)、休みが多いと、この「聞いて覚える」という得意技も功を奏しない。

で、ゆっくり勉強した方がいいと、私のみならず、他の教員からも言っている…のに、できると思っているので、心外だ…きっとそうなのでしょうね。

私たちにしてみれば、勉強云々は問題ではあるけれども、まずは、学校に来ないことには話にならない。ということで、「午前のクラスでも午後(ゆっくりクラス)でも構わない。毎日学校に来て勉強できるのは、どちら」。昨日の答えは「アルバイトの都合がつかないから(そのまま「午前のクラス」にいる)」

昨年度に来た学生達(四月生、七月生、十月生、一月生)は、彼ら二人(同国人で、同じ学校から来ている)を除けば、まず休む人はいない(タイからの学生は、卒業後の進路もはっきりしており、ちょっと例外です。一時帰国をせねばならぬこともあるので。ただ、それ以外は休みません)。休んでも、一日か二日くらい。それ故に、この二人が悪目立ちしてしまうのです。

もう一人は、けがやら病気やらと、休む理由ははっきりしていますし、病院にも行くので、それほど心配はしていないのですが、「疲れた」で休まれてしまうと、やはり大丈夫かと言うことになってしまうのです。

つまり、日本社会での暮らし方が身についていないという意味で、専門学校を受けるにしても、(休む人を)向こうが嫌がるでしょうから。

日本語学校にいるうちに、日本社会のあれこれに出会い、また社会のルールを身につけていき、専門学校や大学、あるいは会社に入ったとしても、驚いたり、戸惑ったりすることが、少しでも減るようにしておく。これも日本語学校の仕事の一つだと思っています。

母国で、あるいは日本でも、同国人に習っている人は、いくらペラペラと日本語を話していたとしても、日本社会や日本人に馴染めないところが出てくるものです。彼らが卒業後入りたい社会というのは、今の学校とアルバイト先だけというのとは違うでしょう。こういう日本語学校のように、欧米からではない外国人に慣れている所で、現地の人間と付き合っていくことの大切さというのは、直に日本社会に入って、不都合が生じて悩んだりする人でなければわからなことなのかもしれません。

中国でも、以前は、外国人は北京のある専門の大学に二年間入れておき、均してから各地の大学へ分配するというやり方を取っていました。地方の各大学も現地の人々も、外国人に慣れていなかったからでしょう。それをやめた途端に、すぐに外国人との軋轢が生じていたように思います。今のように、外国にたやすくは行けなかった頃でしたから。

外国人からすれば、ああ、中国人とはこうなんだというある程度の理解ができた上で、中国人の中に入っていけたという意味で、摩擦を和らげることができたのでしょう。

日本においては、日本語学校がその役割をしているような気がします。

もちろん、我々にも「先入観(心づもりと言った方がいいかも)」はあります。経験が増せば増すほど、あの国からの留学生はこうだろうという感覚が身についてくるのです。が、違えばほっとしたりする。この「心づもり(先入観)」は、私たちにとってみれば、大切なことで、「この国からの留学生達は大体こうだろうから、こういう準備をしておいた方がいい」に繋がり、下調べの後に授業に入るのと同じことになるのです。

前に来た人達の傾向、国民性、あるいは、受けてきた教育などから、私たちなりに得た「先入観」。これも、プラスに働けば、いい結果を生むこともあるのです。これはある意味、お互い様なのかもしれませんが。

で、まずは学校に毎日来ることが大切。互いの理解は毎日会うことから始まるのでしょうから。

日々是好日
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