日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

ブログは、これから、一ヶ月ほど休みます。

2024-07-31 08:07:51 | 日本語学校
曇り。

今朝は、曇り気味で、風も少々あり、あろうことか、涼しさまで感じてしまいました。ちょっと…、不気味と言えば不気味。猛暑が続いていますから。もとより少し歩くと汗が噴き出してきて、やはりな、まだ夏だわとなったのですが。

昨日、午後の授業中、黒雲が湧いてきたなと思っていると、突然ザーッと来ました、驟雨、にわか雨。学生達は、「おーっ」と言って、そして、「雨です」。なぜか顔が明るい。これも、(雨が)久しぶりだったから「オーッ」と来たのか、それとも、傘がない故の「(どうしよう)オーッ」だったのかは判りませんでしたが。一人が、にこやかに、カバンから傘を取り出し、「私には傘があります」。もっとも、いつの間にか、雨もスッと止んでいたで、せっかくの傘も役に立たせることはできませんでしたが…。

そして、帰りのこと。スーパーを出て歩いていると、パラパラッと来ましたね。まだ降り足らなかったのでしょう。そして、これもすぐに止んでしまいましたが。

ところが、今朝、公園を横切っていると、土がカラカラではないのです。表面は砂地でも、その下には粘土質の土が入っているのかもしれません。水分がまだ保たれていたような…。

そして、地面には、「サルスベリ」のピンクの花が、落ちて端に寄せられていました。昨日のにわか雨に打ち落とされてしまったのでしょう。咲き始めであったら、まだ耐えられたのでしょうが、早く咲いていたのが、「もう、ムリー」とでも言いながら、落ちてしまったのでしょう。猛暑が続く中で、こういう姿を見ると、ちょっとしんみりしてしまいます。

さて、学校です。

夏休みが近づいてきたということもあり、「Dクラス」では、発破をかけて、授業を進めていくことに。最初の「授業」は、七月の九日。初めの頃は互いに様子見でした。しかも、(私が)クラスに入る機会があまりなかったところから、席替えをするのに少々時間がかかりました。少し判りかけたころ、席替えをしたものの、2,3点、吹っ切れないところがあった。そのほかにも、「2列目の○○さんが、こちらを見ようと、位置を常に変えているから」とか、「寒いとか、暑いとか言う人がいるから」とかいう意見がチラホラ出てきたのですが、まずはクラス形成を主に据えた席替えということで、しばらくはそのままに。いずれ、「Cクラス」から、3,4人は移ってくるでしょう。それまでの辛抱です。

「Cクラス」は、だいたい、できあがりつつあります。あとは、3,4人が去った後に考えればいいこと。ただ、両クラス(「C・D)」とも、女子中心ですね。二年生クラスのようにはいかなさそう。「二年生クラス」では、「A・B」ともに、男子がよく働いてくれています。働くことに関していえば、全く文句のつけようがないという人が一人いて、こちらの意図をすぐに呑み込んで、さっさとやってのけます。

彼は、他の学生たちよりも、年が長けており、社会経験があるので、動きがいいのかもしれません。他の男子たちも大半はよく動いてくれます。ただ、慣れていないこともあり、初めのうちは戸惑っていました。戸惑うどころか、ボウッとして立ち尽くしている人もいたくらいでした。学校内の作業は自分たちでやるという日本の習慣が、よくわからなかったのでしょう。

しかしながら、前述の学生が動いているのを見たり、こちらの指示が理解できるようになるにつれ、さっさと動いてくれるようになりました。今では、さすが二年生と褒められるくらいです。ところが、こうなると、女子の出番がない(なにせ、作業の量の割には人が多い)ような感じになるのですが、それはそれとして、自分たちでやるべき所を探して動けるようになっています。

こういう人達が就職すると、その会社は助かるでしょうね。皆が皆、大きな事業を目指さねばならないというわけではありませんから。自分の持ち場というか、役割を(その、日本人が大半を占める会社の中で)探せるということも、彼らにとっては必要であり、大切なこと。

その点、「一年生」は、見ていると、男子はあまり動けそうにない…。おそらく慣れてきても、シャカシャカ動くのは女子の方でしょうね。「何をしますか」とか、「どうしますか」と聞いてくるのは女子の方であり、男子はただ立っているだけ。「動け」と喚かねばならないかな、最後まで…などと考えてしまう。もっともベトナム女子は、皆が動いていても、おしゃべりしたり、立っているだけで、何もしない。母国での様子が窺えますね。「日本では働かざる者は、大切にされない」ということを、卒業までに学べるかどうか。だいたい、これまではベトナム女子は、働き者という印象だったのですが、今年の一年生は違うようです。あれをやれ、これをやれと仕事を与えねば、多分、そのままでしょうね。

まあ、もう少し日本語がわかるようになれば、男子も動かねばならないと思うようになるでしょう。まずは全体像を捉えさせ、役割分担を理解させる。もちろん、その前に、「男は動かず、女に皆させる」という習慣をぶち壊すことが、私たちの最初でしょうが。集団の中にあって「動けない人間」は、評価されません。机に座って偉そうにしているのは、日本では穀潰しと言われるだけなのです。

日本語の勉強以外に、日本の習慣や仕事のやり方などに慣れさせていくことも、日本語学校の仕事なのでしょう。なんとなれば、の留学生達の、主な目的は日本で働くことなのですから。

日々是好日
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クラス毎に授業のやり方、味付けを変えているのですが、「Dクラス」でも、だいたい決まってきました。

2024-07-30 08:18:23 | 日本語学校

晴れ。

暑さでグタッとなっている私たちをよそ目に、学生達は元気です。…若いなあ。

学校に来て楽しくなければ、だれも来ようなどとは思わないでしょう。私だってそうです。友達あり。友達がいれば、おしゃべりは進みますし、教員がいれば、少なくとも一つ二つは学べることがある。学べることがあれば、昨日より少しでも進歩したことになる。それが積み重なれば、日本での生活の中で、いつか「おやっ。私って上手じゃん」ということにも繋がる。これは試験とは関係ないと言ってもいいでしょう。「試験用」の日本語ができるというのと、「生活」で使える日本語ができるというのとは、どうも別物のようですから。

しかしながら、この暑さにもバテない、この活力は一体どこから来るのでしょうね。少なくとも、だれも「ここに自分はいてもいいのか」とか、あるいは、「なぜ、自分はここにいるんだろう」などとは考えていないようです。一度、考え出したら、戻るのは難しい。できれば、この学校にいる間は考えさせたくないことです。「(学校へ)来たね、さあ、勉強しよう」で、迷わせないようにするのが一番です。

昨日は、集中的に「Dクラス」に活を入れました。日本での授業が始まってから、まだ一ヶ月とは経っていませんから、判らないであろうことを判った上で、どんどん話していきます。もちろん、簡単な言葉を使いますし、どうしても判らせたいところでは、「初級の教科書」の単語を調べさせながらですが。

授業前、15分ほどから一人、二人と学生達がやってきます。来ている学生、一人一人に、「国で、日本語をどこまでやったか」を確認していきます。スリランカ勢は二人ほど怪しいですね。座っていただけでしょう。注意しなければならないのは、ネパール勢。ここ数回教えた感じで言うと二人は信じられる。一人は「17課」まで、もう一人は「20課」だったかな。今、まだ五課くらいのものだから、きちんと言えている。…他のネパール勢は信じられない…これも座ってた組でしょう。

で、他の人に「座っていただけだろう。君は『ひらがな』も読めない。単語はどこまで覚えている」などと、日本語がわかる相手には決して遣えないような言葉も遣っていきます。なぜなら、遠慮がちな日本語では何も通じないからです。まだ判らないだろうし…と遠慮して言わないでいれば、その方が罪作り。鉄は熱いうちに打ては本当です。

一人一人、しっかりと目を見て聞いていきます。大変ですね…向こうが。ただこの締め上げは聞きました。授業中(90分)はもちましたもの。

一人一人に聞いていけば、意味はわからなくとも、雰囲気は伝わります。「向こうで△△が責められている、こっちでも○○が責められている。次は自分か」みたいな感じで。他の学生が通訳に走らなくとも、こういうことは(ネパール勢)にも一人一人確認していきましたから、数をこなしていけば、判るものです。

ネパール勢では、二人以外は、腑に落ちませんでした。できる風でいても、できないわけですから、ごまかしてどうにかなるはずもなく、それが判らなければ、ここにいる一年九ヶ月をごまかしで過ごしていくことになります。前に、「まだ、『3課』だぜ。それがどうして言えない」と、言ったことがありましたから、その繰り返しで、「ああ、あれだな」くらいの勘は働いていたようです。

それと、「この学校を卒業してから何を学びたいか」も聞いておきました(全員ではありません)。その実現には、「日本語のレベル」が関係しているということも言っておきます。

こういうのは、全員が、言ったときに判ったという必要はないのです。こちらも何度も繰り返しますから。最初のころは、やや頻繁に(言い方を変え、中身も脚色を加え)言い、だいたい三分の二ほどに浸透したなと思った頃に、そういう話は止めにします。お互いに飽きるのです。言う方も飽きるし、聞く方も(判りますから)諄いと思う。それに、『みんなの日本語(Ⅰ)』が終わる頃には、具体的な話に変えていかねばなりませんから。

で、「Dクラス」です。

現在、皆と卒業(再来年)を共にする「Cクラス」では、今、『みんなの日本語(Ⅱ)』の35課に入っているし、可能性のある学生には、「Cクラス(多分、休み前に『N5漢字』は終わるでしょう」の漢字勉強とは別に、(三人ほどは余力があり、頑張れそうなので)、「N4漢字」も朝、30分ほど早く来させて教えているということ(中国人学生は別待遇です。先に漢字の本を渡し、どんどん先にやらせていっています。今は「N3漢字」です)それに比べれば、皆は、「ひらがな・カタカナ」に時間を取られて、何もできないでいる。そういうことを、壁に貼ってある、「N5漢字」「N4漢字」一覧を見せながらですが、話していきます。

こういう話は「Cクラス」では、もう無駄です。判る人には耳タコでしょうし、通じない人には「またか」ですから。

しかし、この「Dクラス」では、そういう話をしたことがありませんでしたから(入学式の時に、通訳を入れて話はしてあります)、多少は響いたようで、一人30分で集中が切れる学生がいるのですが、彼以外は、まあ、みなずっとこちらから目が離れませんでした。

やれば、できるじゃん。まだ「6課」ですから。それでも、一回目は揃いません。では、文を区切って言わせていきます。で二回目、三回目、できなければ、四回と繰り返していきます。最後には、「本を見ないで」…まあ、それでも言えない人はいましたが、声がかなり揃っていました。声の大きさもいつもとは違います。目をつけていた学生を睨め回すように見てやると、しっかりとこちらを見ていましたし。

できると思い、3回言うのに飽きている学生には、個別で「言って見ろ」と言わせてやります。言えないことが判らねば…判ってもだめというのは、もう少し後で判断していきます。

こういうことをやってやるのは、おそらく二ヶ月ほどでしょうか。どこまでやれるか、頑張れるかという相手の了見が判った時点で止めます。子供ではないのですから、それ以後は、やる人はやりますし、無理な人はそれなりの勉強の仕方でやらせていくしかありません。

ただ、うれしいことに、今の「A・Bクラス」にせよ、学校は楽しいようですね。もちろん、一番は学べることでしょう。上手になっていくのが判れば、それはそれで楽しい。それから友達でしょうね。教室内でのやりとりも面白いらしい。

同じクラスであってかなりレベルが違っていても(同じ学年は二クラスしかないので)、誰も相手を貶める人はいません。それなりの、自分の立ち「位置」があるからでしょう。毎日学校に来ていれば、互いに判ることも増えてきます。一年以上共にいるわけなのですから、時々、こちらの知らない話なども出てきます。それも面白い。早速、導入の終わった「文型」などに使ってやれば、理解も深まるでしょうし、今度は自分も使ってやろうという気にもなるでしょう。

日々是好日

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外も暑い、中も暑い。ホント、大変。

2024-07-29 07:46:31 | 日本語学校
薄曇り。

晴れていないと、「サルスベリ」のピンクがぼけて見えますね。

今朝もうちのドアを開けるなり、外のムワッとした空気にギョッ。学校に着くと、熱風とまではいかずとも、土日と二日分のムワッがドアを開けるなり攻めてくる。…これはほんと、頂けませんね。

この猛暑が続いているときの助けが、「梅干し」。最近は「ちょっと疲れたな」で、「はい、一個」という風によく食べています。すると、気持ちも関係しているのでしょうが、シャキッとなる…ような気がする。ありがたきかな。古人に感謝。

さて、学校です。

若い人は違いますね。「暑い、暑い」と言うくらいで、バテているような気配はない。「七月生」くらいでしょうか、ちょっと表情が判断できないのは。四月生も半分以上は、どうにか慣れたかな。これも日本語を真剣に学んできたか、あるいは、来日後学んだかで差がついてきたような気がする。言葉がわかると、表情も陰りが薄れてくるのです。

ネパールの学生は、高校を卒業してすぐの人と、大学に入学していた人との差は少しばかりあるかと思っていたのに、…ない。同じように、あまり勉強する習慣がない…人が大半。働き者ではあるのですが。特に去年の「七月生」は、何やかやとよく手伝ってくれます。とは言いながら、こと、勉強のこととなると、いくらやり方を説明しても、どうもピンと来ないらしい。「困った」さんだなあと、こちらが困っているのと、そういう私に困ったような顔をして、見つめていたりする。まっ、いいか。いい子達だから。自分の中でできること、判ることを少しずつ増やしていけばいい。まずは日本理解です。

「Bクラス」で、読解的な授業を避け始めてからすでに一ヶ月。今は、できうる限り「話」中心の授業にしています。みんな、本当は、おしゃべりしたかった…ということがよくわかりました。振ると、言いたくてたまらないとばかりに、何かを言う。最初は教師対一人の学生ですが、だんだんと、その学生の発言に対して、ケチをつける人あり、うんうんとうなずく人ありで、話が増殖していく。

放っておいても、自己増殖ができるので、まずは見ておく、手は出さない。とはいえ、話が途切れる…行き詰まる時があるのです。その時は風通しを良くしてやるか、別の話題を提供してやればいい。「読解」のための教科書とはいえ、本の中にはそういう「きっかけ」、つまり材料がゴロゴロしているのです。そして、時々、時々ですね、本題に戻るのは。もちろん、「司会」者の手の内にあるということが条件ですが。

一方「Aクラス」では、どんどん「読解的」な授業を進めています。早く上級の教科書に入りたいのですが、試験対策で問題集をやったが故に、進度は遅れ気味。もとより、この「遅れ」も無駄ではない。多少、遅れてはいても、その分、力はついてきているようで、知っている単語、判る文法が増えている。故に、説明を端折ることもできる…。

…で、「夏休みが来たぁ」です。「カレンダー」を見ていると、肩越しに「12月の休みはいつからだ」なんて聞くおっちょこちょいがいる。そうですね。夏休みの次は冬休み。でも、その前に進学先を決めてよ。

日々是好日
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「初級授業」では、学生達を休ませずに、「言って、聞いて、言って、聞いて」と活動させつづけねばなりません。体力勝負ですね。

2024-07-26 08:28:33 | 日本語学校

晴れ。

今朝も暑い。おまけに湿度がまだ80%を超えています。陽が高くなれば、だんだん落ちてくるのでしょうけれども…。相変わらず、ムワッとした空気をまとっての出勤。

さて、学校です。

前に、バングラデシュからの学生が、「N3合格」という書類が届いていたのに、来てみると「ひらがな・カタカナ」すら書けなかったということがありました。どうも、頭が良かったので、(あの国の勉強のやり方で)こういう七面倒くさいものは無視して、手っ取り早く。テスト用に特化したものだけに全力を注ぎ、「合格」していたのでしょう。来日後、困るのがはっきりしているのに、その程度の「頭の良さか」と、ガックリきていたのを思い出しました。

「漢字」どころか、「ひらがな・カタカナ」も無駄と思ってやらない人は、バングラデシュ人だけでなく、インド人にもいました。それにアラブからの人にもいましたね。いくらやれと言っても、書こうとしない。私は英語で大丈夫なんて言っている。話せればいいから…学校に通っているのに、文字が書けない?…それでいいと思えるのが、私たちから見れば不思議なのですが、そういう価値観で来ているので、日本に来たからと言って変われないのでしょう。こういう人は大卒かそれ以上でしたから、ある意味、もう柔軟性を失って、自分の国のやり方でしかやれないのでしょう。成功体験が仇を為しているパターンでしたね。

結局、来日後は、愚直さという「能力」を持っている人の方が、信用され、伸びていくものなのですが。ただ「『合格』すればいい。それも『N5』よりも、『N4』。『N4』よりも『N3』」という考え方で、中身なんて「あっち行け、ホイ」だったのでしょう。
 
もう二十年近く前のことですから、その頃は、こちらも送られてきたものをチェックするしかなく(人数が多いところは行っていましたが、少ないところは、書類だけで審査していました)、書類が正しいかどうかくらいでしたね、見ていたのは。疑うなんて考え方がまだ自分の中に育っていませんでした。

ところが、来てびっくらこいた。ええっでしたね。その合格書類は本物でしたし。後から判ったのですが、そういう問題集というか、まあそんな類いのものがあるらしく、後から来た学生が、自分もそれで「合格した」と白状したのです。

それから、バングラデシュからは、以前にここで教えたことのある人による紹介者しか入れていません。紹介と言っても、最初は相談のような形で来たのですが。「自分の身内だけれども…日本で勉強させたい」。それから知り合い(非常に近い知り合いです)と幅は拡がっていったのですが、今、いる学生三人のうち、二人が兄弟がここの卒業生です。何かあったらすぐに連絡できますし、またこちらの勉強方法や「性格」もよく伝えてくれているので、…やりやすい。すぐに怒ることも知っているし、文句ばかり言うけれども、だいたい翌日には忘れてる…ことなんかも…。

なぜ、このことを思い出したかというと、ネパールからの学生(七月生)の話を聞いたからです。やっと私の言う意味がわかって教えてくれた…のですが。
  
この一年生クラス「四月生・七月生」のうち、ネパール勢大半は、一人が言った「五課までしか勉強していない」と同じような状況なのでしょう。こちらとしては、「N5」に合格して来ているからには、『みんなの日本語(Ⅰ)』くらいは、一応やってきているはずと思っているのに、「五課」ということは、限りなく「日本語のレベルは」ゼロに等しいということ。

もちろん、学校では「いろは」からやりはしますが、こちらはザッとやるつもりでいるのに、「初めて」だったら、ザットはやれない。だいたいしつこくやる必要はないはずと思っていますから。

それが、蓋を開けてみると、「○○さんは、△△です」は、すぐに言えても、「○○さんは△△ですか。いいえ、△△ではありません」がスムーズに流れていかない…。個人の問題かな(向こうへ行って、この学校で勉強できるかどうかなどを見てはいないので、時々、おそらくは能力的に言語方面の勉強が無理という人が来ることがあるのです。毎日が休むことなく学校に来るし、人柄もいいし、それなりにアルバイトもできるので、私たちもそれなりに扱ってはいるのですが)と、最初はそう思っていたのですが、実際は、ただ国で勉強して来なかった…だけ。

なんで「N5」に合格できるのだ!!!!でも、以前のバングラデシュの学生を思えば、そういうのが、ネパールにもあり、あるだけでなく、多くがそれを利用していて、「N5」に合格した…、しさえすればいいのでしょう、「後は野となれ山となれ」精神で。

「『N5』に合格した」というのは、つまり「基礎の基礎」はやってきたということと思っていたのに、豈図らんや、トンデモハップンでした。

来年の四月生(今年は10月生も来年の一月生もいれません。この「五課しかやっていない」人達でこっちは喘いでいますから。そんな余力無しです)は、ネパール側にきっちりと、「N5合格ではなく、『みんなの日本語(Ⅰ)』をやった人だけ」こちらに紹介してくれと言わなければならないでしょう。一年ちょっとくらいで、「N3」に、「正統に」合格させねばならないのです。なにせ、スリランカ勢は『みんなの日本語(Ⅰ)』は終え、「N4」試験目指して、勉強していたという人たちが(していても、日本語がきちんとできているかどうかは別です)ほとんどなのですから、それは進め方に苦労する。

一斉授業というのは、特に「初級」においては、ある程度(レベルが)揃っていないと、難しいものです。

もちろん、「中級」でも「上級」でも、クラスの中に、それぞれ差は出ています。ただ、半年以上を同じクラスで頑張っていれば、どこかしら、補え合える雰囲気がすでにあり、それが穏やかな空気となって醸し出されている…ような面があり、誰それがレベルが低いから邪魔だなんて気持ちは皆持っていません。助け合いですね。答えを教えるのはだめですが。

ところが「初級」ではそうはいかないのです。なにせ「初級」というのは、「中級・上級」と違い、「リピート」命なのです。声が大きい初級クラスなどの授業では、90分が終わる頃には、こちらの喉もゼイゼイになっています。それくらい、言わせてやらねばならぬのです。

「初級」授業に、教師がペラペラ説明する必要ありません。「言わせ、言わせ、聞かせ、言わせ、言わせ、聞かせ、また言わせ、言わせ」ができない教師であったら、いわゆる「役立たず」というレッテルが貼られても文句は言えないでしょう。それが、母国で「(1)」はやったけれども…で止まっている学生にとっては、プラスになり(日本人の強みですね)、来日したからこそ、学力が伸びると言われるところなのです。特に、できる学生に対する「応用」が、ですね。

それが「真っ白」に近い状態だと、意味がわかっていませんから(ベトナムの学生を教えたとき、説明が母語で書かれているのに、意味がわからないという人が何人も出て、困ったことがありました。それから推して考えるに…似たものかも知れません)、リピートもできないでしょう。

ただ、上を置いておくわけにはいきません。上の人達は、上手になろうと、国でも勉強してきたわけで、下ばかりに手を焼いていると、上の学生達が、飽きてやる気を失ってしまいます。上の学生達が落ちてしまったら、ただのだらしない学校になってしまうでしょうから。

日々是好日
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今年の七月生(ネパール)は、「N5」に合格しているとはいいながら、教科書は「五課」までしか、習っていなかったという。それでも「合格」できるような試験なのですね。

2024-07-25 12:12:27 | 日本語学校

晴れ。

薄い雲に覆われていた空も、今では雲が切れて、青空がかなり見えてきました。今日も暑くなりそうです。酷暑。

さて、学校です。

「七月生」たちも、一ヶ月が過ぎた頃から、だんだん、「差」が出てきました。この「差」というのは、日本語力の「差」というものではなく、「コミュニケーション力」と言った方がいいかもしれません。まず、表情です。

相手が「何を考えているのか」とか、「どう感じているのか」を考える力、思いやる力の有無というか、その度合い。その上で、自分がどう反応すべきなのか…つまり適応力。

これは日本語がまだまだの人でもできること。表情や身振り手振りで、それとなく、表すことができますから。これがないと、無表情で、とりつく島のない人ということになってしまう。言葉ができない上に、表情が読み取れないというのは、ちょっといただけない。かわいげがないと受け取られてしまいがち。

このクラスは一人の在日生をのぞけば、スリランカ人とネパール人しかいないので、両者を、つい比べてしまうことも…少なくないのです。

ちなみに他のクラス構成を見てみると、二年生の二クラスでは、まず「Aクラス」は4カ国からなる八人で、「Bクラス」は7カ国からなる十二人。そして、今年の一年生クラスでは、四月に来た「Cクラス」は20人からなる6カ国となっていて、この「Dクラス」のように、留学生が2カ国からだけというのは、この学校では珍しいこと。少なくとも、一人二人は、別の国からの人がいて、いわゆる多様性が保持されているのが普通ですから。

で、先の「七月生」です。

ネパールからの学生がどうも呑み込みが悪いので、訊いてみたのです。(一応、留学生は皆、「N5」の試験に合格してから来ています)「国でどこまでやった?」。教科書はスリランカもネパールも、『みんなの日本語』で勉強したと言っていましたから、比べやすい。最初に尋ねた学生は、(四月生の助けを借りて)「三課」。もっとも、その後、他の学生が「五課」と言ったので、慌てて言い直し、同じく「五課」…本当かどうか判りませんが。まあ、「三課」でも「五課」でも同じようなものですが。昨日、学校では「四課」が終わっていますから。…ということは、もう貯金は使い果たした?

すると、別の学校から来た一人(ネパール人)が、「私は十二課までやった…」そう、少しはいいか。

スリランカの学生は『みんなの日本語(Ⅰ)』は終えており、「N4」の勉強までしてきたと言っていましたから、最初から差がついていたわけです。もちろん、個人的な差がありますから、『(Ⅰ)』を終えていても、さっぱりの人もいますから、だからどうだというわけではないのです。言語に関して勘のある人やセンスのある人は、勉強してから来ようが、していなかろうが関係ありません。ここで勉強すれば済むことですから。それに、頑張れるという人も関係ありません。そう言う人はどこでもどんな状況であろうと、頑張れるものなのです。

ただ、こういう日本語学校に来る留学生については、それはあまり期待できることではないのです。そういう学生が来たら、めっけものくらいの感覚でいた方が、いい。その方が苛つかずにすみます。

と言いましても、この「5課」には驚きました。以前は白紙状態で来ている人もいたのですが、それはネパールからの留学生がボチボチ増え始めた頃のことで、今の状況とは全く違っているはずです。

その時も、ネパールに行って初めて判ったのですが、先生がいない…のです。日本語の先生と紹介されたのに、私たちの簡単な日本語が判らない。その上、これがひらがな???という文字を書いていたり…。それでも、現地に行って、彼らの先生や留学予定者に会っていたので、それなりに選ぶことができました。

目的が「勉強」ではないと明らかに見える人や、先生からして、ひどかったり、あるいは「これは無理だ(ひらがなも読めないし、まして書くことなど全くできない)、本当に勉強したんですか」という人は、総じて、お引き取り願いました。…こちらが断っても全く関係ないのです。「数打ちゃ当たる」くらいの考えで連れてきていたのでしょう。それでも、日本のどこかの日本語学校には入れるそうですから。

それとは別に、「ひらがな」なんぞは書けなくとも、面接の時に、(教科書は持って行き、個人レッスンのような形で)教えながら様子を見て、これは頑張れそうだと思ったり、言語に関してセンスはあるなと見えた人は、候補に入れました。

もちろん、こちらの勘が狂うこともありましたが、現地に行って、見て(学生や教師を)判断できたというのは強みでした。二度、三度とそれを繰り返せば、向こうでも、だいたい察しはついて、こちらが断りそうな人を私たちに紹介しなくなりましたもの。回数を重ねていけば行くほど、面接が楽になりました(予定者の数も減りましたから)。

ただ、この「コロナ」です。それで、それがぷっつり切れた…。あの「普通の学生」を紹介していたグループが、たった「5課」くらいしかしていない人を寄越す???どうも、同じグループで代表者は同じでも、受け持つ人が変わっていたようですね。こちらも、ほどほど注意しておかねば。

スリランカでは昨年、新しい所からの学生を二期(四月と七月)に入れて、問題があったので、10月からは断っています。もう一カ所、新しいところがあるのですが、何か問題が生じると、すぐに在日の関係者が駆けつけてくれます。それに、向こうで『みんなの日本語(1)』が終わってから、「N5」の試験を受けさせているようですので、来日後の勉強においても、基本的に問題はありません。あとは個人的なことだけです。

留学生達が来日後、日本語学校で学べるのは、最長で二年。その間に私たちは彼らが希望する進学先や会社などへ入れるように、指導していかねばなりません。もし、この「二年」という縛りがなければ、それぞれに適した教え方で、もう少しゆっくりとやれるのでしょうが、最長で二年と言うことは、四月に来た場合ですから、もし七月に来れば、一年と九ヶ月、十月に来れば、一年と半年、一月に来れば、一年と三ヶ月ということになってしまいます。

その上、「日本語能力試験」は、七月と十二月の2回しかありませんから。四月か七月に来ていれば、どうにか3回受けることができますが、十月ならば、2回しか受けることができません。しかも、専門学校や大学を受験する場合、十二月の試験(結果)は間に合いませんから、一発勝負ということになってしまいます(十月生の場合)。素質があると思われても、一年に満たぬ間に、「非漢字圏」から来た、ごく普通の学生が「N3」に合格するというのは、かなり難しい。まして「N2」においてをや。

彼らは(来日前)働いたこともなければ、掃除・洗濯・食事の支度などもしたことがないというのがほとんどで、それに、普通の人達ですから、受験のために必死で勉強してきたという経験も、いくたりかを除けば、まずないと言ってもいいでしょう。

今の二年生は、学校生活というか、授業を楽しんでくれているようですから、それはそれでうれしいのですが、これからのこと、つまり専門学校などの受験のことを考えると、もう少し、国でやってきてくれたらなあと思ってしまいます。遅きに失するといえばそうなのですが。…なにせ、十月生が多いので。

ただ、彼らは、それらをあまり意に介していないようですね。やきもきしているのはこちらだけか…。それが歯がゆくもあり、まだ同時にやってやらねばという引き締まったような気持ちにもさせるのですが。

日々是好日
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「メヘンディ」だけで、話が続くものなのですね。

2024-07-24 08:22:22 | 日本語学校
晴れ。

暑い。暑さは、相変わらずです。夏だから、暑いのは当然。そう、当然のことで、もし夏のこの時期が暑くなかったら、それこそ大問題。それはそうなのだけれども…人間というのは全く…判っていながら、愚痴を言う、文句が絶えない…本当に厄介な存在です。

さて、学校です。

昨日は、「Cクラス(今年の四月生)」で、参考部分を読んでいると、突然、ネパールの学生が、「日本ではいつ虹が見られるのか」と聞いてきた。「いつ…ですか(困ったな)」。

私が子供の頃には、「夕立」の後などに時折見かけることがありました。海岸沿いなどですと、湾を跨ぐように大きく掛かる虹を見ることもありました。ところが、最近はとんと聞きませんねえ。もちろん、どこかで、字の如く、水を飲む巨大なヘビの姿が見られるのでしょうが。

どう答えていいか困っている私を見て、すぐに学生、「ああ、大丈夫」と言ってくれましたが、こういうおもしろい質問をするのも、だいたいネパールの学生と相場は決まっています。…当たり前と考え、答えを用意していないような質問ということなのですが。

以前、「どうして日本には星がないのか」と聞かれ、どういうふうに説明していいのかちょっと戸惑ったことがありました。彼らが学校でどの程度学んできたのか、よくわからなかったからです。

どうも彼の頭の中には、「地球は、その他、諸々の星と同じように、宇宙に存在している一つの星である。地球の周りには、(距離は光年という単位でしか計れないけれども)星が無数にある」というのがあったかどうか。また、「ある」と、「見える」というのは別次元のことである…というのが、判っていたかどうか。どうも、「見えない」イコール「日本には星がない」になっていたよう感じがしたのですが。

これも答え方が難しい。「星はあるけどね、このあたりは夜でも明るいから、あまりはっきりとは見えないのだ」くらいに答えていたような気がするのですが、何となく釈然としていない…ふうが見てとれました。

それはともかく、昨日は、「Bクラス(昨年の四月生、七月生、十月生、それと今年の一月生も)」で、女子会のように「メヘンディ(ヘナアート)」の話で、盛り上がりました。いつもはおしゃべりなバングラデシュ男子が何も言えない風だったのが面白かった…。言えないんだなあ、(話に)入れないんだなあ、本当に面白い。何となくムズムズしているような、でも、どう口を挟んでいいのか判らないような…ほんと、面白い顔つきでした。

前にも一回、インドの女子学生が左手にしっかりといろいろな模様を描いてきていて、それで皆で盛り上がったことがあったのですが、昨日は、タイの学生が、私が教室に入ってくるなり、大きな声で「せんせ~い」と手を見せに来たのです。

そこには「手の平」の部分に簡単な、ひまわりのような花が描かれていて、どうも「メヘンディ」文化の継承者たちが描いてくれたらしい。

昨日の授業では、八月一日に行く「富士山」のビデオを見せ、その後、さあ、勉強とするはずだったのですが、そのとき、一人の学生が、まるで私が何か悪いことをして、鬱屈でもさせたかのような表情で、「今日は先生と思わなかった…(つまり、本を忘れたのね)」。

「じゃあ、今日の部分をコピーしてもらってきなさい」。すると、もう一人が、慌てて立ち上がった。「二人?、下に先生がいるから、早く行きなさい」…なかなか戻ってこない(後で聞くと、コピーしてもらった先生と楽しそうにおしゃべりに励んでいたのだそうな)。

その間、(女子が大半なので、男子はこういう話題には口を挟めないようです。目だけあっちを見、こっちを見しているものの、何も言えない)「メヘンディ」の話になった。七月の何日か(聞いたけれども忘れました)にネパールのお祭りがあったのだそうな。それで「メヘンディ」をしたのだそうです。皆でその話をしている。時折、こちらが質問をすると、スリランカにも、ネパールにも、そしてスーダンにもあると言う。もちろん、インドにも。

ネパールでは「お祭り」や「結婚式」の時だけ。で、インドやスーダンでは、いつでもいいと言う。気分がいいとき、楽しいとき、その時に描くと言う。いつでもいいですと、いかにも楽しそうに言う。すると、スリランカの学生が、自分たちはしないけれども、スリランカにいる「イスラム人」がすると言う(おそらく、彼女の「イスラム人」というのは、インドから来たイスラム教徒の人達なのでしょう。だから文化をしょっている)。

すると、コピーから戻ってきた学生がそれを聞きつけて「『イスラム人』って何」と来た。俄然、強気になったふう。一人が、「『イスラム人』じゃない」と。まあ、そういう言い方もしないことはないけれども。そこで「『イスラム教徒』、つまり、イスラム教を信じる人」と入れた。勉強の時にはへっぴり腰で、後ずさりしがちなのに、この言葉は一発で使えるようになった。要は、必要か必要でないかなんですね。

このインド圏の3カ国とアラビア圏のスーダンの4カ国から来た女子で、話が盛り上がっている。普段なら「日本語で」と喚くところなのですが、情報交換をしているのがよくわかったので、彼らの話を遮らぬようにして聞いていると、この7月の祭りはインドにもあるのかと聞いている…らしい。インド人でも彼女はイスラム教徒なので「ない」と答えている…らしい。多分「ヒンディーの祭り」なのでしょうね。言葉は判らなくとも、話題さえはっきりしていれば、なんとなく判るもの。

隣同士、私たちから見れば、ほとんど同じである文化としか見えないこの4カ国(ネパール、インド、スリランカ、バングラデシュ)であっても、却ってインド人の彼女とスーダンのイスラム教徒である女性との方が近いような感じがするときもある。

そういえば、日本と韓国・北朝鮮、中国もそうですよね。文化の基盤というか岩盤になっているところが何かで違ってくるのかしらん。時たま、私が話に加わると、彼らはそれなりに皆で頭を捻りながら、日本語で答えてくれるので、そうなると、フィリピンやタイの学生も、「ああ、そうなのか」という顔になる。彼らも話には加われずとも、聞いているのがよくわかる。

話の切りのいいところで、教科書に戻ったのですが、この間、私にもわかるようにと、日本語を使おうと努力した故にでしょうか、いつもより、入りが良かったような気がする…。そんな気がしただけでしょうかしらん。

日々是好日

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「暑い、暑い」と南の国の人達が言う。そうね、暑いね。

2024-07-23 08:56:47 | 日本語学校

晴れ。

朝、ドアを開けるなり、ムワッとした空気にまといつかれたような気分になりました。日陰を縫うようにして歩いて来たのですが、この湿度からは逃れられない。乾燥地帯であったら、同じ三十度であっても、こうまで暑くは感じないであろうなどと、汗を拭き拭き考えてしまうのですが。…しかし、私は日本にいる…。日本では、この水分を多量に含んだ重い、ネチネチとした熱気からは、木陰に行こうが、どこに行こうが、逃げられない。単に太陽光だけ脇にやることができるだけのこと…、日陰を選んで歩いていても…。はあ、暑かった。

学校に着いても、しばらくは外と同じ。悪くすると、最初のうちは、籠もっている熱があるだけ、ひどいのかも知れません。思わず、「まさか、私、暖房にしてやしまいね」などと、リモコン確認をしてしまうほど。…もっとも、時間が経てば、それなりに冷えてきます…。

さて、学校です。

「四月生」のクラスは、「七月生」が、三ヶ月後に来るので、それを考えながら、座席を考えることができました。「中級」に入ったときに、ついてこられるかどうかが、一つのポイントです。今年は「十月生」は受け入れないことにしてありますので、「四月生」はもう一度だけは、やり直すチャンスを与えることができます。

同じように、留学生であり、「N5」に合格して来ていると言いましても、実際には、「(N5)試験対策」しか、してくれなかったという(現地の)学校から来ている人もいますし、失敗はしても、一応「N4」の試験まで受けたという人もいます。

留学生ですから、「真っ白な人はいないはず」という前提で、こちらはカリキュラムを組んでいるのですが、中には「白紙状態」の人も来ています(大卒者は「N5」合格という縛りがないのです。一応、大卒者はきちんと勉強することができるであろうということで、この縛りはないのでしょうが、そうとも言えない場合もある)。で、毎年、(教科書の)最初の方は、「復習」のつもりで授業を受けてもらっているのですが(本音では、さらりとやって、早く終わりたい)、白紙で、あるいは白紙同然の状態で来ている人にとっては、勉強の習慣がそれほどなければ、少々どころか、かなりきついでしょうね。

大卒者には、目的が、言語習得にない場合もあり、一筋縄ではいかない場合もあるのです。とはいえ、ここは学校ですし、「一斉授業」をしているので(「取り出し」で、別に教える場合はありますが、それはこちらの判断でするので、それを期待されても困るところ)、日本語の勉強に難があれば、クラスを変わるという形で、もう一度勉強し直してもらうということになります。

今年の四月生も、そう言う人がかなり出そうです。これは何も彼らが不勉強であるというわけでもなく、彼らが通った日本語学校に問題があるとしか言えないのですが。

きちんと「ひらがな・カタカナ」を覚えていないとか、「文法」の意味がわからぬまま、「試験対策」をして、とにかく「N5」に合格させたとか、まあ、様々な理由があるのでしょうが、「ひらがな・カタカナ」が読めない、書けない状態であれば、それでここで「日本語を勉強させてくれ」と言われても、処置無しなので、来日後、きっちりとやってもらうということになります。

最初の「四月生」用のカリキュラムで、ついていけなければ、一応、「七月生」が来るまで、同じクラスで聞いておき(これとても意味があるのです。先が判って習うのと、何が何だか判らぬまま座っているのとでは全く違いますから)、次に備えるということになります。「文字」が書けなければ、宿題もできませんし、(文字が)読めなければ、自分で勉強していくこともできません。

これも、最初から「七月生」クラスに入った方がいいという人と、「動詞の活用」の2,3課前くらいから入った方がいい人、また『みんなの日本語(Ⅰ)』の後半くらいから移った方がいい人など様々です。中には、「ここから判らないから、このあたりから『下のクラス』に入りたい」と言ってくる人もいます。

ただ、クラスは「午前の部」と「午後の部」とに分かれていますので、どうしても「午前にはいけない(アルバイトなどによるのでしょう)場合は、本人に納得させた上で、そのままのクラスにおいておくこともあります。スリランカの学生などは、ヒアリングがいいので、それでも、生活に支障がない程度には、どうにかなる場合もあります。

もちろん、「読み」や「漢字」などはついて行けませんから、あまりいいこととは言えませんが、それでもそのクラスに残ることが希望なら、話し合った上で認めることもあります。その理由には、大きく分けて、人間関係、そしてアルバイトの問題があります。言語学校とはいえ、中にいるのは、性格も違えば、生活条件も違う人達。生活が崩れてしまえば(アルバイトがなくなれば)、勉強どころではありませんし、それで勉強を諦めるよりは、ずっといい…。無理に移してしまうと、わけがわからなくなって学校に来なくなると言うことだってあるのです。

皆、日本人同様、普通の人達ですから、ほんの些細なことでガックリきてしまうことがあります。ストレスと自覚できないようなストレスかな…。彼らは、根性があるとか、困難に負けず頑張れるというような人達ではありません。辛いことがあると、もういいやとなってしまいがちな普通の若者です。学校でしか、笑うときはないという人もいます。

大半は、来日後初めてアルバイトをしていますから、これも辛い。アルバイトがないのも辛い。学校に通いながら、アルバイトもするし、親元を離れて生活していますから、料理も作らなければなりませんし、掃除・洗濯もしなければなりません。おそらく、何も問題がなくとも、ギリギリカツカツで生活していますから、それ以上のストレスは与えられません。

学校では、もちろん、勉強の時には、特に「試験前」はかなり厳しく指導しますし、活も入れるのですが、相手の状態を見ながら、手を緩めたり、彼らが興味を持てそうな話題を振って元気づけたり、まあ、緊張状態が続かないように気をつけています。それも、彼らなりに厳しい状態にあることが(この感覚は人によって違います)判っているからのことなのです。テキトーにやろうとか、ずるをしようとしている人には厳しくとも、頑張っている人達には、エールも送るし、手加減もする。そうやって、どうにか彼らが希望する所へ持っていきたいと思っています。

日々是好日

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「セミ」が鳴き始めました。皆、頭の中には「夏休み」しか、ないような具合。まだ二週間ほどもあるというのに。

2024-07-22 08:04:47 | 日本語学校

晴れ。

「『セミ』の声がしないなあ」と感じていたその日の帰り、「ミンミンゼミ」が鳴いていました。「ミ~ン、ミ~ン」と、遠くの街路樹から聞こえて来ました。夏ですねえ。

私のふるさとでは、これが、「ワッシ、ワッシ」で、この声で暑さが「十の二乗」に膨れ上がって夏となるのですが、ここでは「ミ~ン、ミ~ン」と、「ワッシ、ワッシ」に比べれば、数段かわいらしげ。聞いても大して暑さは増さない。ただそうは言いましても、確かに夏になった…。

巷では、アメリカの「素数ゼミ」なんてのが話題になっているようですが、夏になると、「セミ」が話題に上るのは、どこでも同じなのでしょうね。そういえば、この「セミ」が部屋に飛び込んできて、慌てふためいていた学生もいましたっけ。「あ、あ、あれは何ですか」。驚いていたのなんのって…。「ネズミ」に驚かないのに、「セミ」にビビるか…。

もっとも、私も「ヤモリ」の鳴き声を、「シーサンパンナ」で、初めて聞いたときには、本当にビビりました。でも、いまだに「あれは、本当に『ヤモリ』の声だったのかしらん」と思っています。

夜間に、真っ暗な中、部屋の中からとしか思えない所からの「声」です、それは驚きますよね。聞くと「ヤモリ」とのこと。今でも、あれは「訳」がどこかしら間違っていたのではないかと思っています。日本の「ヤモリ」は、あんなに大音響で鳴きはしませんもの。

気候が違えば、当然そこに住む「生き物」も違ってくる、そういうものに、初めて対すれば、ビビるのも当然のこと。もっとも、「セミ」にはすぐ慣れたようでしたが。

さて、学校です。

学生達の気分は、「七月生(一年生)」を除けば、皆「夏休み」になっている…。すでに「冬休み」を視野に入れている「二年生」もいるくらいですから。「ね、先生。『冬休み』はいつから?」長期休みの前は、みんなよほどうれしいものと見えます。もっとも、「夏休み」は長く、一ヶ月近くありますから、後半になると、やはり友達にも会いたくなるのでしょう。二学期の登校日には、遅刻したり、来なかったりする人は、まず、いませんから。…まあ、前の日に来たり、日にちを忘れて、電話をしてきたりする人は、時折、見受けられるようですが。

「夏休み」期間に、「二年生」は、案外、忙しく、大学や専門学校のオープンキャンパスに行ったり、あるいは「この学校はどうか」と尋ねに来たりすることもあります。「二年生」とは、「四月生」も「七月生」も「十月生」も、そして今年の一月に来た人とも、何となくお互いがわかり合えるようになっているので、それほどの不安はないのですが、「一年生」ですね、問題は。

「七月生」は来てすぐに、長期休暇となります。日本語のレベルで言うと、「ひらがな・カタカナ」が書ける程度で、勉強が中断するわけですから、アルバイト探しもままならないでしょう。「四月生」は、すでに、最初のアルバイトを変わった人もいるくらいですから、(まあ『みんなの日本語(Ⅱ)』に入っていれば)アルバイト探しくらいならどうにかなるかな。

おそらく、親戚がいる人はその人達が彼らの便宜を図ってくれるでしょうし、二年生の同国人が、紹介してくれるということもあり得る。ただ問題は日本語力ですね。

スリランカ人はヒアリングがいいので、アルバイトくらいならどうにかなるにしても、「七月生」の大半を占めるネパール人はちょっと大変かな。母国で大して日本語を学んできてはいないようですから。

来日後のことを、よく考えてくれるような(現地の)学校であれば、そういうこともないのでしょうが。来日後、こちらが初めて判る「(日本語の)レベル」というのもあります。「えっ?これで『N5』に合格した????」

最低限の日本語、教科書でいえば、『みんなの日本語(Ⅰ)』くらいは学んでおいてほしいのですがね。そうでないと、来日後の生活にも支障が出てきます。

簡単に、日本へ行きさえすれば、どうにかなるくらいに言われて来ている人もいるようです。留学生は、一応「N5」に合格して来ている(大卒者を除く)はずなので、「N5」レベルのものは、サッサッと復習して先に進むというやり方をしているのですが、ネパール人留学生が多くなると、そうは行かなくなります。初心者に対するようなやり方に変えざるを得なくなることもよくあります。

今年の「七月生」は、そんな感じです。…とはいえ、あまり諄くやってしまうと、他の学生が困ってしまう。…もっとも、(他の国から来た学生とも)大した差はなさそう(今回は)なので、どうにかなりそうなのですが。

日々是好日
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「自分の性格は?」「優しい。明るい」「どうしてそう思うの」。それから「短所はない」と言い切る学生。「本当にないの?それこそが短所だ」。

2024-07-19 07:13:05 | 日本語学校
晴れ。

暑くなるというのが、もう朝っぱらから知れている…。なぜ「セミ」が鳴かないのかと思いたくなるようなモワモワっとした周りの空気です。空気自体が暑くて膨らんでいるような気がする。暑いと言っても、その尖った暑さではないのです。へなへなとアイスクリームが溶けていきそうなそんな感じ。鋭い鋭角を持った氷の暑さではありませんね。

ふと前を見ると、西の低いところに、いかにも「ナツーッ」とでも言えそうな雲が重なっていました。別に(なぜナツーッと思ったのかの)根拠があるわけではないのですが。

もう「エアコン」が必需品になってから久しい状態が続いています。最初の頃は、「暑い(下げて)」と言う人と、「いえ、いえ、寒い(上げて)」という人とがはっきり分かれていたのですが、最近では、「寒い」と言っていた人達も、「暑い」組に呑み込まれでもしたかのように、聞くと「暑い、大丈夫(そのままでいい)」と言っています。なにせ、午後のクラスの学生達は、一番暑い時間にセッセコセッセコやってきているのですから。宜なるかな。

さて、学校です。

昨日は、「Bクラス」で、「あなたはどんな性格ですか」というのをやってみました。追い詰められると、簡単に「やさしい」とか、「明るい」とか答えてしまうのですが、そこで「どうして」とか「何が、どこが」と聞き返しますと、途端に答えに窮してしまいます。結局、よさげな言葉を適当に言っているだけなのでしょう。下手をすると、皆が「優しくて、明るい」だけの面白みのない人間になってしまいそうです。

最初は、母語で書いてみて。後で個別に質問していくから」と言っていたのですが、AIの力を借りて、すぐに日本語にしてしまうので、突拍子もない単語が続出するということになってしまいます。

前に(卒業生ですが)、文章を読むときに、AIの力を借りるという学生がいました。一つの漢字にしても読み方が一つとは限りません。いくら外国人用の教科書で、大した文章ではないにしても、場面に即したり、(文章の)流れからその違いを見極めて、読み方を選ばねばならない時もあります。それで、読み間違える度に、「グーグルが悪い。グーグル、バカ」と言って皆に爆笑されていたのですが。いくら注意しても、楽だからつい使ってしまうのでしょう。旅行くらいならどうにかなっても、「学び」の上では、どうにもなりません。こういう機器を使いこなすにも、ある程度の日本語力が必要なのですが、機器を信奉している人には、どうも通じないようですね。AIでどうにかしよう、どうにかなるだろうと思ってしまうようなのです。

で、その学生と同じように、AIで調べて、突拍子もない単語を出してくる学生に、「その意味も(その単語には)ないことはないけれども、(使うのは)変だ」あるいは、「こういう場面では使わない」などと言いますと、学生によっては、もうAIを諦めて、言われたとおりに母語で書いていこうとする人も出てきます。もちろん、スマホを手放そうとしない人もいくたりもいるのですが。

それから、自分の性格を言うには、「長所と短所が判っておく必要がある」と言うと、何人かが、「短所はない」と言う。「それが判らないと言うことは、それが短所だ。これは、大きな短所だぞ」と言うと、ハタと困った。「ないわけがない。あるだろう」。「いや、ありません」と言う。あるはずだとこちらは腹ではっきりと思っているのですが、ないと言い張る相手に、「山ほどある」にとどめておきます。相手は、「ん?ヤマ…」。「そう、山」。
まるで掛け合い漫才です。

それから、出たのは、「お年寄りが好き」と「人を助けます」という二種。これも「自分の性格」という範疇に入れるのはちょっと難しいような気がするのですが、言いたいことはわかる。

「お年寄りが好き」は「優しい」の一つとまとめれば、性格を言うことにもなるし。お年寄りが好きというのは、ネパール女子が言ったもので、大家族で育っているからでしょうね。おじいさんやおばあさんにかわいがられて育っているのだろうなと想像ができるような人達。そうだなあ、親切で優しいもの。

「人助けが好き」というのは、イスラム系の学生がよく言うことなのですが、これも宗教的な祭りの度に、また、折に触れて、貧しい人達に喜捨をするという習慣から来ているのでしょう。ただ日本人的な感覚では、「上から視線」が感じられて、あまりいい気分はしません。

「食べ物をあげます。貧しい人にあげると喜びます、お礼を言います」。だから(自分は)気分がいいのでしょう。もっとも、彼らは若く、自分の稼いだカネではないということはすぐに判ります。家族が金を持っているから、自分も人に施すことができる。それゆえ、いい気分になれる…ような感覚は、あまり褒められたものではないと日本人は思います。誰にも判らないような形でやれば、まだしも、そうではないでしょうから。

こういうと、「非常に不本意である」と思うようで、嫌がられるのですが、そこはある程度はっきり言った方がいい。「その金は、自分の稼いだ金ではないでしょ。その人達がほしいのは金や食べ物ではなく、自分でそれが得られるような正当な仕事であるはずであって、それは政府や自治体、金持ちなどがすべきこと。すべきことは施しではないはず」と、日本人は思ってしまうのです。

日本人などがするボランティア活動とは、やはり毛色が違うなという気がする。

施しをすれば、天国に貯金ができるくらいの気持ちでやっているような、対等な関係とは言いがたいような…そんな気がする。

「話さねばならない、自分なりの考えを言わねばならない」ような場面は、中級になってから、かなり少なくなっていました。ちょうどいい機会です。彼らは話せるようになれば、読めるようにもなるだろうと思われるタイプ。まずは一歩ずつですね。こちらがふっかけていくと、抵抗しようと考えてくれます。それもまた面白い。

日々是好日
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面白いですね。「まだ、したくない」とか、自己主張をし始めました。いつも頑張っているから、よほどのことがない限り、こちらもあちらに合わせています。

2024-07-18 08:18:17 | 日本語学校

曇りのち晴れ。

晴れてきましたね。今日は暑くなるのでしょうね。…30度に至らない日が幾日か続いたので、暑さが堪えそう…。

連休から、火曜日と休んでいた間に、道ばたの花の顔がすっかり変わっていました。スーパーに咲いていたのは、「サルスベリ」の花。少し前までその気配すらなかったのに…おっ、急に花が付いたなと思いながら歩いていると、「エノコログサ」が勢いよく背を伸ばしているのを見つけ、野っ原みたいとネコを飼っていたときのことを思い出し、その次は「ノカンゾウ」の花です。賑やかな花というか、見ているだけで暑苦しくなってくる…。ほんに三日見ぬ間のなんとやら…。

まだ「梅雨明け」の報道はないけれども、目に飛び込んでくるのは、「夏本番」の花々…。目から暑さが湧いてきそう…。

さて、学校です。

「Aクラス」では「N1聴解」「N2聴解」、「N1漢字」「N2漢字」、「N1文法」の教科書が届き、早速授業を始めます。「試験対策」のため、「読解」では、教科書をお休みしていたのですが、(試験も終わったこと故)その続きと、「N1・N2漢字」、それから「N1文法」(暗記のため、軽く流すだけですが)をやるつもりで、授業に臨んだのですが。「N1文法」は拒否されてしまいました。…先生、まだ早い…。

中国人学生はいいとして、ミャンマーからの二人にとっては、ちょっときつかったのかな。もうちょっとゆっくりしたい…というところなのでしょう。で、目次を見せて、ちょいとばかり説明をするくらいにしておきました…。まあ、「N2」の試験が終わったばかりといえば、言えないこともない。直に夏休みが始まることだし…。「漢字」の方は「N2」「N1」ともに何の抵抗もなく、やれましたけれども…。

もっとも、「N2」を受けたはいいけれども、まだ漢字テストが終わっていない人もいますし、「N3」を受けたものの、どうもそちらに足が向いていない者もいます。「試験」前には、「最後は『読み』に集中しろ」としか言えなかったのですが、それを本気にとられてしまっているような…。あれはあのときだけ…だったのだけれども。

つまり、追い詰められた者の最後のあがきみたいなもので、真っ当なやり方ではない…といっておいたのですが、ここだけが、どうも消えてしまっているような…。

確かに、漢字を書いて覚えて、テストに合格する(毎回、20単語くらいのものなのですけれども)というのは、大変といえば大変なこと。四つ間違ったら、もう不合格ですものね。しかし、「試験対策」期間が終われば、元に戻るというのも、いわば当然のことで、何ら不思議はない。…そうは言っても…ただ気持ちがね、ついて行けない…。

と、そう思っていたら、次の「Bクラス」は、明るかったですね。こんなに明るくていいのかしらん…。もう試験のことはすっかりどっかへ飛んでしまっている…。「もう、忘れたかあ」とでも言いたくなってしまう。

で、明るい人達と、また「N3文法」の暗記文を読んでいったのですが、4ページくらいから、読むのが辛くなっている人がいますね。とはいえ、皆で読むということは、聞くと言うことにもなりますから、続けてやって「聞き慣れさせる」ことも必要。耳から覚えたほうがいい人達も少なくないので。

八月の「富士山バス旅行」の旅行保険で必要なので、各人に名前を書いてもらいがてら、「白地図(世界)」に、こちらの言う国名を書いてもらいました。彼らが来たときから、教科書に(その国が)出てくる度に、国名を書かせたりしていたのですが、それも『みんなの日本語(Ⅰ)』で、何となく途絶えていました。ただ、改めて書かせていくと、聞いたことはある、という表情をする人もいて、まあ、あれも無駄ではなかったか…というところ。本当に無駄なことはないのですね、なんであれ。

自分たちの国をまず書かせ、それからこの学校に来ている人達の国も書かせ、それから、今、紛争の起きている国、よく時事問題で扱われている国なども書かせていく。

「名前書き」が終わったかなと見てみると、四苦八苦している者もいる、ついには銀行カードを出して、それを写している者もいる…。一番苦労しているのは、スリランカの人。名前が長い…というか、いくつも連なっているので、書くのも大変、しかもカタカナですからね。曖昧な音も少なくないので、己の名であれ、いつも使っている名前以外は、どっちだっけとなるみたい。

その、いくつも連なった名前を、ホウッと言いながら、のぞき込んでいる人もいる。こんなことでもない限り、相手の名前のことなんぞわかりませんから、いつもの名前で終わりくらいに考えている。タイ人は愛称で呼んでいるので、「アレッ、名前が違う」なんて言う人もいる。

ホンにこれ一つでも国際交流になるみたい。「名前書き」が終わると同時に、授業に戻ったのですが、これもまたすっかり忘れていましたね。もう一度やり直しながら、思わずクスリ。これじゃいかんなのでしょうけれども、明るくて、何度やっても嫌がらないからいいか…みたいな気になる。帰る時も、みな、明るく「さようなら」…楽しいクラスですね。

「A」も「B」も明るくて、ほんとうに、いい「クラス」です。

日々是好日
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「七月生」の授業が始まってから、一週間が終わろうとしています。多分、「とても」大変だったでしょうね。

2024-07-12 07:54:14 | 日本語学校

曇り。

時折。パラリと雨滴を感じる…程度です、まだ。どんよりとした雲が、空一面を覆っています。今にも降りそうで、降るかと思うと…降らない。まだまだ我慢できると空が突っ張っているような。とはいえ、じき、降り出すでしょう。最近は、今年の「四月生」達も少し日本の今時の天気が判りかけたとみえ、降りそうで降らない空模様の時にも、傘を持ってきているようです。

一方、2年目の学生達は、…傘を持ってきていませんね。これも慣れでしょうかしら。梅雨」に入ったのも遅かったし、それに何より、(入ってからも)大して降っていませんものね、よくわかっていらっしゃる。

さて、学校です。

「七月生」の勉強が始まってから一週間が過ぎようとしています。それなりに慣れるしかないのですが、「はじめて(日本語の)音を聞く」かのような人が若干名というか、多めにいて、それが「困ったさん」になっています。もとより、以前はそういう人が多かったそれ故、その頃は、それはそれでこちらも心の準備ができていましたから、それなりに授業が進められた。

ところが、「N5」合格という「足切り」があるにもかかわらず、「あいうえお」すらままならぬ人が来てしまうと、こちらとしても送り手に文句の一つも言いたくなる。どんな教え方をして、こんな状態で送り出してきたのだと。

来てしまった人は、こちらとしても、対処していかねばなりませんが、それでも、まだ「第1課」なのに、それにビビりながら座っている人を見ますと、ちょっと困ってしまいますね。

まあ、これからどう教えていくか、進度はどうするかを考えられた一週間でもあったといえば、そう。ところが、このクラスに下りてきた三人の「四月生」は、本当に楽しそうにしているのです。「判る」というのは、人を生き生きとさせるものなのですね。

来日した時、今の彼ら(七月生)と同じように状態だったので、真面目に勉強していてもついて行けなかった…だから、もう一度やりたいとなったのでしょう。これは、真面目である程度自分が判っている人だからこそ、できるのだと言ってもいい。ところが、この「七月生」の中には、とんちんかんなことを言いながら、平気な人がいる。こちらとしてはその方が不安。間違えても平気だし、言い直させても、何のことはないと、また同じような間違いを口にし、…多分、それが何?くらいのものなのでしょう、なんとも感じていない。

三名のうち、二名は一ヶ月ほど遅れて入国したので、最初の部分がスッポリと抜け落ちていましたから、七月生が来たら入れると最初から考えていました。もう一名の四月生は自分からもう一度やりたいと言いに来ました。

先の二人には、来たときに、取り出して、補講をしたのですが、やはりスッと入っていくことはなかった。これも「日本語の音」に慣れていなかったので、単語にしても覚えられず、本人も辛かったのでしょう。文字が読めないと、それだけでハンディになってしまいます。他の国から来た人達は読めていましたから。

自分から言いに来た人は、最初は「こりゃあ、だめだ」と思われていたのですが、だんだんにテストでも点を上げていましたし、宿題もやってきていましたから、もう少し進んでから(1課からではなく、12課か13課くらいから)でもいいかくらいに考えていたのですが、本人の希望を重んじて、「七月生クラス」に入れたのです。判ることがよほどうれしかったのでしょう、「四月生クラス」の時とは、全く違う表情で、授業に参加していました。

そして、今は、「判る」どころか、以前の彼らと同じような状態の人達(七月生)に、いろいろと教えてやっています。「今、ここを見ろと言っているよ」とか、「教科書じゃないよ。『単語・文法』の本を見て」とか。

最初に、登場人物の国を地図で確認させているのですが、その時には特に威力を発揮していましたね。国名を英語では知っていても、位置が判らないという人が大半なので、この地図でチェックは必要不可欠のことなのです。

多分、この「七月生クラス」で、一番楽しんで勉強できているのは、今のところ、この三人だけなのでしょう。

日々是好日

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「話」を先に入れてみると、授業がスムーズに進められました。みんなお話ししたかっただけでなく、日本や日本語以外の知識もほしかったようですね。そういう時期に入ったのかと感慨深かった…私です。

2024-07-11 08:22:21 | 日本語学校
曇り。

今朝は、ここ数日続いた「酷暑」が収まった…感。風もムワッと膨らんだ暑さを含んではいない、普通の風。そう思いながら歩いていると、ふとドライフラワー化した「アジサイ」に目がとまりました。

「アジサイ」は「梅雨時の花」と言われるけれど、今年は「梅雨」が始まる前に盛りを迎え、「梅雨」が終わる前にもうドライフラワーになっている…。その隣に大きく勢力を張っている「オシロイバナ」と比べると、少々情けなくなってくる。思わず…栄枯盛衰であるなあ…。

そう思いながらも歩いていると、草の匂いが拡がっている箇所に行き当たりました。「クサ」本来のあの匂いです。見やると、路肩の野草が刈られ、刈られ残りの草があちこちに散らばっていた…。そういえば、いつもこの時期に、ここでは路肩の草が刈られていたっけ。草木同様、人間の活動も決められたとおりに行われている…。まあ、様子を見ながらでしょうけれども。

さて、学校です。

今年の「七月生」は、どうも「留学生」とは思われないような日本語のレベルでやってきているよう。しかも、ちょいとでもレベルが上の人がいないので、注意事項などを簡単な日本語で話しておこうとしても、それもできず、少々不便…。「四月生」相手の時には、どうにかなったようなことでも、なにせ、ポカ~ンとしているので、んんん…もしかして、日本のことをあまり聞いていないまま来ているのでは…とも思ってしまいます。

昨日で(私は)二回目の授業だったのですが、たかが「あいうえお」を言うとか、「第1課の○○は△△です」くらいのものなのに、その二回目の授業(前日の復習)で、まだ言えないという人があちらにも、こちらにも。留学生というのは、多少の差はあっても、一度勉強して来ている内容(一応「N5」に合格しているはず)ですから、「音に覚え」はあるはずなのです。それが言えないと言うことは、「音に覚えがない(読めない人が何人かいるので、『見て(読んで)』ができない)」…。

これでは真っ白で学びに来る「在日生」と同じように対処するしかない…。まあ、皆が同じようなので、「四月生」のように、取り出しで面倒を見る必要もない…から、やりやすいといえば、やりやすいのですが。授業のレベルを下げればいいだけのこと。つまり、復習の時に、「応用」をさせる必要はないということです。ひたすら繰り返して、覚えさせるだけということになります。…こちらから見ればそうなのですが、難点が一つ。彼ら自身が「言えない、できない」ということを、どうも、認識できていない…人がいる、それも一人や二人ではない。

ということは、しょうがないですね。地道にやるしかありません。来てしまっているのですから。

で、今度は二年生の「Bクラス」のことです。

「Aクラス」ではトットコトットコ教科書を進め、このクラスでは、「話す」を重点にしていこうと思っていたのですが、やってみると、随分授業が楽になり、どうもこのやり方は彼らに合っていたようです。

彼らも「(教科書で)学ぶ」よりも、「(教科書というのは)一つのきっかけ」にすぎないと見ているようで、それはそれでいいのです。昨日は、イスラム女性の「ヘジャブ」から話を始めました。前に、イスラム女性二人の「被り物」を見て、違うようだと思って、「どちらも、ヘジャブですか」と訊いたことがあったのです。その時、「こちらはヘジャブ。彼女のはスカーフ」と言われたので、その時は、うん、そうか。

ところが昨日のは違っていました。こちらから見ると、一方は「ヘジャブ」で、もう片方は「スカーフ」。ところが、「二つともヘジャブ」…いくら聞いても違いがわからない。「ヘジャブにはいろいろな形がある」らしい。でもどう見ても、「(あっちは)スカーフでしょ」…。…違う。

まあ、判らないので、そのまま話を打ち切り、ついでに、話の流れから「タペストリー」を取りに行かせ、「イスラム文化」の所を見せ始めた。こういうことは皆で見たほうが勉強になっていい。他の学生達も、言われたページを開き、写真を見ている。写真だけでいいのです。知識を広めることになる。で、見せていると、他の学生からも質問が出てくるそうやって話を進めていくと、「N3」の文法や漢字を教えている時には、あまり乗り気でなかった人達まで、同じようにページを繰って、話を聞いている。

「写真だけでいいからね。カタカナが多いからそれは読まなくてもいい」と言っているとそれなりに、写真を見てあれこれ言いはじめた。主に話に加わったのは、イスラム人五人でしたが、話に加われなくても、前に座っているネパール女子が聞き耳を立てているのが判る。知りたいのでしょう、いろいろなことを。そういうレベルに入っているというのが、ここからも判る。

もちろん、それ以外の話もしましたが、皆がどこかしらで、一言、二言、三言、あるいはもっと話していました。そして、時期を見計らって、教科書に入っていきます。まだしゃべり足りない学生が(本音は「教科書は嫌だ」でしょうけれども)、まだまだと言っていましたが、「教科書を開いて。はい、5課」とやると、素直に開いて、勉強の姿勢。中には「何ページ?」なんて聞き直す輩がいる。そこでまた、皆、爆笑となる。「しばらくこの教科書を見ませんでしたから、忘れましたね」と言うと、それなりに抵抗の言葉を放つ。前までは、下を向いて黙っていたのに。

リラックスできたのでしょうね。なぜか単語の説明も、スムーズに判ってくれ、漢字の読みも前よりも楽にでき、本文も、空を見上げている者(一名)以外は声が揃っていたような気がしました。「教科書」と言うと、難しいとか苦手とかいった気持ちの方が勝って、それが大きな壁になっていたのかもしれません、前は。雑談しながらの勉強…だったから、彼らも楽になったのでしょう。話しているうちに日本語の勘をつけてくれという思いはこの意味では、まずは、合格。

この感じでこのクラスでは、雑談を導入にし、「教科書」を教えていくことにするつもりです。案外、こういう歴史の話に乗ってくる人が多かったのは発見でしたね。知識を入れていく時期に入っているのかもしれません、「言葉のお勉強」と言うよりは。

昨日は、「日本語の授業」とはまた違った面白さがありました。「勉強」から離れると、学んでくれるようですね。これは別に矛盾していません。

日々是好日
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七月生の「初めての授業」。「カタカナ」はともかく、「ひらがな」も今いちの人が…こりゃあ、「文字」を教える教師は大変だぞ。

2024-07-10 08:27:32 | 日本語学校
晴れ。

今朝も見事な青空です。朝、うちを出てから、建物の陰やら、木陰やらを選びながら歩いてきました。これも、人が少ない早朝からできる芸当であって、これが30分でも遅くなると、彼我共に困ってしまう…。

さて、学校です。

昨日、「七月生」の初授業をしました。まだ「挨拶ができない」。「靴をしまう場所が判らない」。席についても、「じっとこちらを見ているだけ」という状態。つまり「本を机の上に出す」という習慣もない。…という「無い無い尽くし」での出発です。

まず、「玄関に靴を並べないで、靴入れに入れましょう」から始まり(早速玄関に行かせ、入れさせます)、「席に着いたら、本と鉛筆を出しましょう」で出させ、「教科書」には「きょうかしょ」と書かせ、「単語・文法」の本には「たんご・ぶんぽう」と書かせ(鉛筆で書かせていますから、もう少し字が判るようになったら、また書き直せばいいのです)、次に「個票に名前を書きましょう」となったのですが、そこで、はたと困ったらしい。スイスイと名前が書けた人はいませんでしたね。アタフタと隣の人のをのぞき込んだり、教科書のページをめくったり…。

これも鉛筆で書くように言っておきましたから、マシになったら書き直せばいいこと。ところが、いつまで経っても出そうとしない。で、(授業ができませんから)強制的に「出しなさい」。名前が半ギレであってもしょうがないのです。名前くらいは覚えておくようにということすらできない自分たちが悪いのですから。彼らの国の先生たちは、優しいというか、テキトーというか、つまりはテキトーなのでしょうね。日本に送り出せればいいわけで、上手にさせようとか考えていないのでしょう。

相手が判っても判らなくても、日本語で押し通すことは大切です。聞いて(これが主です)相手の表情やら身振り手振りやらを見ているうちに、なんとなく勘がついてきますから。もちろん、これが苦手というか、鈍い傾向にある人もいます。が、10人いればそれも、一人か二人くらいのこと。大半は、(時間の)多少の差こそあれ、判ってきます。こういうのは、言葉だけでなく、異国で生活する上でも、とても大切なことです。生きる上でのとでも言いましょうか。それに、ついでに自国との違いも見えてくることもありますし。そのうちに、何も言わなくても、相手の雰囲気で次の行動ができるようになったりすることもある。

適当なところで授業に入ります。まず、「50音図」で、発音を見ていきます。これが覚えられていない人もいましたね。私の今日の授業では、それらをきちんと覚えさせる…というのではありませんから、まずざっと流していくだけ。いわゆる授業をする前の準備体操のようなもの。それから、「聴音」「促音」「発音」などもザッと流し、「始めましょう」「終わりましょう」も簡単な練習で終え、「第一課」の単語に入ります。

読めない人が多いのに…と思う必要はありません。まだ、ここ(日本)での「文字」の授業は始まっていませんから。だいたい勉強して(「ひらがな」「カタカナ」を)覚えたと言っていても、「読めるか」となると、読めません。読めないから(読めるまで)といつまでもそこで立ち止まっているわけにはいきません。すぐ読めるようになる人もいますし。そんなことをいつまでもタラタラしていては、勉強が進んでいきません。簡単すぎて飽きる人だって出てきます。ということで、いつも「文字」も「文法」も同時進行ということにしています。だいたい、複雑な思考を要するものなんて、最初には出てきませんから。

「学校」は「学校」ですし、「鉛筆」は「鉛筆」で、見れば判る。とはいえ、ネパールの二人は「~は…です」はできても「~は…じゃありません」がうまく言えませんでしたね。スリランカからの一人もそう。このままでは白紙で勉強しようという「タイ人」少年に追い抜かれてしまうかもしれません。

留学生、しっかりしろ。頑張れ。

日々是好日
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一昨日の日曜日、「日本語能力試験」がありました。「N2」も「N3」も「文字・語彙」がかなり難しかったようです。

2024-07-09 08:43:36 | 日本語学校

暑い。

今日は昼からの授業ですが、あの灼熱地獄の中を歩いて出勤…というのは、老体には応えます…ということで、また今朝も早朝出勤です。

さて、学校です。

日曜日、「日本語能力試験」がありました。「Aクラス」の学生達(特に「十月生」)、学校に来るなり、「文字語彙」が難しかった…。まあ、「読解」は言わずもがな…なのでしょうが。

一人曰く「知らない単語がたくさん。例えば、四択でしょ、四つのうち、三つが知らない単語だった」

別の一人曰く「『文字語彙』も難しかったけれども、『聴解』も大変。速い、速い、速い。なんて言っているのか考えている間に、もう終わって、次の問題になっていた…」

先の一人は「N2」を受け、後の一人は「N3」を受けたのですが、出身国こそ違え、共に、昨年の10月から勉強してきた二人。聞いていると、現「レベル」が同じであるかのような印象を受けてしまうから面白い。やはり「四月生」達に比べて、半年の差は高くて厚い壁でしたね。

とはいえ、まあ、いい経験と言ってもいいでしょう。こういう試験は回数を重ねれば重ねるほど、真面目に勉強してきた人というのは、伸びていくものなのです。

この「Aクラス」というのは、(当校が)少人数校であるが故の、不利…つまり、「N2」と「N3」受験予定者がともに同一クラスで、授業を受けるという不利益の下で、四月から学んできました。この「Aクラス」に上がってきた十月生のうち、一人は中国人ですし、もう一人は、あのまま置いておくわけにはいかないと思われたネパール人です。彼の場合は、最後まで悩みました。中国人なら漢字に問題はありませんから、どうにかなる。ところが、「非漢字圏」の人だと、漢字が最後まで越えられないハードルになってしまう可能性があった。漢字だけは不安が的中していますが、ただ、彼の場合、深く考えることができるので、今のところは、上げて良かったと思っています。

もっとも、この「不利」、遠き慮りから見れば、別に不利でも何でもありません。当座は、不利であるというだけのことです。

「N3」文法をきちんと習わないうちに、「N3」レベルの「文章」を読まねばならない。「N3」文法も終わっていないのに、「N2」文法を聞かねばならない。…まあ、最初の頃は苦労したでしょうけれども、今ではそれほどのこともないらしい…。ごく普通の顔(表情)をしていますから。

「文法」などは、「N3」も判らないのにと渋る学生(中国人学生の方には、七月には、「N2」受験と来日時から言っていました)に、「N2」文法は聞くだけでもいいから…と言い聞かせ…つまり、ごねないように騙した…のかな。最初のうちは「先生が何を言っているか全然判らない」と言っていたこの学生に、暗記文を読ませていた。

この二人、『みんなの日本語』を学んでいるときには、私の話が「速い」なんてこれっぽっちも言っていなかった…まあ、これも、当然のことでしょう。だいたい「初級」さんへ話すときのスピードだって、他の教師に比べ、多少速いとしても知れたものですし。それに比して、「中級」さんに対するときには、この速さのみならず、用いる単語もかなり違ってきますから、それで面食らったのかもしれません。もっとも、これは最初の2、3週間くらいのことらしく、だんだん愚痴をこぼさなくなった…。もしかしたら、諦め半分とはいえ、慣れた…のかもしれません。速さなんて、慣れですもん。それに、単語は、聞かれれば、彼のことやら、他の学生達のことやらを用いて、「たとえ」を出して教えますから、落ち着きもしたのでしょう。

とはいえ、半年の差は、なかなか埋められません。「四月生」たちが普通の出来であれば問題なかったのでしょうが、この「四月生」たち、昨年の12月には「N3」に余裕で合格できましたし、真面目で、漢字もよく覚えていますから。

2ヶ月ほどは、暗記文の意味が全く書けなかった(右の空欄に書くように言ったのですが)…もちろん、それは認めていた。一度でも聞いたことがあると、次に勉強するときに役に立ちますから、黙認です。やれると思ったら、こちらが何も言わなくてもやるだろうと待っていたと言った方がいいのかも知れません。それがいつ頃でしょうか、ふと見ると、何か書いている…「判りましたか」、聞くと「はい」と言う。

これも慣れ。もちろん、埋められない部分はかなりありますが、こちらも最初は一緒にできるのは夏休み明けくらいかなと見ていたのですが、それが次の試験準備期間かなと幾分後退している。

ただ、試験のための問題集は差が出たとしても、同じ「N3」受験とはいえ、「Bクラス」との差は歴然としてある。「Bクラス」では「N3」の問題集が終わらぬまま、試験の日を迎えたけれども、形だけであっても、「Aクラス」では終われた。「N2」の問題集は終われませんでしたけれどもね。両方の「読解」を、決められた時間内でやってしまうというのは、いくら手順とかを考えていても、多少無理が生じた。とはいえ、このやり方はそれなりに役立ったと思います。語学なんて、結局は慣れなのです。人数が多ければそれなりに質問も増えますし、学校外の行動も違いますから、見聞きする範囲も広がり、それゆえに、話題も増える。

ということで、今日から問題集と離れ、普段の勉強に戻ります。
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こう暑いと、外に出るだけでも大変です。

2024-07-05 07:21:47 | 日本語学校

晴れ。

暑い、暑い。昨晩は、熱帯夜だったそう。…まだ「梅雨」は終わっていないのに。「セミ」もまだ鳴きはじめていないのに。これからも続くのだろうな…暑い、暑い、暑い…。

さて、暑い中、「七月生」が揃いました。そこで、順繰りに、支所やら、郵便局やら、また、はんこ作りやらにと、スタッフが汗びっしょりで連れて行っています。また、もう一人が、彼らの住むことになっているアパートに、電気製品やら、その他の細々したものを備えに走り回っています…。こちらは涼しい教室で授業と、申し訳ない…。

というわけで、教員も大変ですが、学生達も大変。

一昨日、成田に着いたのはネパールからの留学生達。なんでも、同じ機に200名ほども留学生が乗っていたそうで、手続きがなかなか捗らず、…中から出てこない…。便が遅れた上に、出てこないので、迎えの人は、大変…。

スタッフと一緒に行ってもらっていた先輩学生が最初にへばってしまった…(午後のクラスなので、夜勤のアルバイトなのです)。で、ちょうど日陰になっていたベンチを見つけ、そこで、二人を休ませた…そう。遅れていた飛行機が着くまでの間だけだったそうですが。

着いたということで、早速起こし、そちらへ向かったはいいけれど、なかなか外に出てこない。その上、待っている(他の)日本語学校の人達で混雑していたので、よけい疲れた…そう。「出てきた」…で、そちらに向かっても、もらっていた写真とどうも顔つきが一致しない。で、間違えて他の人に声をかけてしまった…そう。

とはいえ、あれやこれやで、空港を出発して、行徳駅へ。すごいですねえ。連絡を受けたネパール人学生達が、駅に勢揃いして待っていた。何でも、ネパールからの学生の時には、いつもそうなのだとか。疲れ果てた出迎えの二人は、そこで「もうだめです」と、部屋へ戻り、代わりに、駅に来ていた学生達が、来たばかりの学生達の荷物を皆で運び、スタッフはその点、別に気を遣う必要がなかったとのこと。…そうだったんだ。

空港に出迎えていた学生が、スマホで彼らと連絡を取り、来られる人は皆、来てと呼んでいたらしい…なるほど。いつものことだそうですが。
難行苦行
見ていたスタッフによると、勉強の面ではイマイチの学生達だけれども、男女ともに、よく働く…とのこと。さっさと手早く運び、よく気が利くとのこと。その点、同じインド圏とは言え、スリランカ男子やインド人学生達とは違うなあ…。これもお国柄ですかしらん。

そういえば、昨日、「Bクラス」で、「~ておく」がヒントになって解いていくような問題があったので、そこで、水を向けてみたのですが、どうも「パーティー」と出したのがまずかった…。

『初級』の時に、(パーティーの時)「花を買っておきます」とか「飲み物を買っておきます」、「送辞をしておきます」みたいなのを練習したことがあったので、そのつもりだったのですが、おそらく、勉強したときには、彼らはただ練習だからやっていただけのことで、深くは落ちていなかった…としか思えない…。そうか、そこからしてこちらのやり方がまずかったのか。(次は別の例を出すか、設定を細かく決めておこう…)

で、昨日は「みんなの所では、パーティーで何を準備しておきますか」とやってしまったのですが(失敗でした)、「何もしません」と言うのです。食べ物は?と問いかけると、「レストランから持ってこさせます」と言う。すぐに他の学生が「200人くらい来ますから、自分で作りません」と言う。別の一人が、「1000人くらいです」。はあ?

私達が言っている「パーティー」なるものは、「ホームパーティー」の意で、せいぜい10人くらいの集まり…であると思っていたのですが、どうも違うらしい。彼らからすると、「パーティー」と称するものは、結婚式などであって、友達を呼んでする「お茶会」めいたものは、毎日のようにしているから、そのようなものは「パーティー」とは言わない…。

では、結婚式はと言うと、話がどんどん大きくなっていきます。うちに、200人くらい呼ぶで、びっくりしていたら、普通は1000人くらいと言う人もいて、それで、えええっとなっていたら、こんなことを言う学生までいました。

彼女曰く「例えば、行徳に住んでいるとすると、行徳に住んでいる人を、みんなを呼ぶ」と言う。「知らない人も来るの?」。「はい」。「知らない人だよ」。何が不思議なのという顔をして、先の二人も当然と言う。

黙っていたのはタイとフィリピンから来ている学生。それとおしゃべりなくせに、こういう、女子の話題には何も口を挟めないというバングラデシュの三人の男子。

もう、いいやと言うことで、問題集の問題に移ったのですが、どこか変だな、話がかみ合わないなと思った時には、名は同じであっても、それぞれが思っている対象が微妙に異なっており、それについて、それぞれが、いわゆる「勝手に」話していた…という場合が少なくないのでしょう。

「パーティー」なるものもそうでした。私たちは、仕事とかで忙しく、人のうちへ行って食事したり、お茶を飲んだりなどはほとんどしませんから、「(子供の)お誕生会」くらいのものでも、改まって「パーティー」の一つくらいに考えてしまうのですが、そういうことを毎日のようにしている人達にとっては、それは毎日のことだから別に「パーティー」などと言う必要もなく、一生に一度か二度のようなものにだけ、「パーティー」と言うのでしょう。

まあ、面白い一日でした。

日々是好日



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