薬屋のおやじのボヤキ

公的健康情報にはあまりにも嘘が多くて、それがためにストレスを抱え、ボヤキながら真の健康情報をつかみ取り、発信しています。

どうして「薬指」って呼ぶの?(三宅薬品・生涯現役新聞N0.278)

2018年03月25日 | 当店毎月発刊の三宅薬品:生涯現役新聞

当店(三宅薬品)発行の生涯現役新聞N0.278:2018年3月25日発行
表題:どうして「薬指」って呼ぶの?

副題:現代人は薬指以外の指先のツボを刺激すると御利益いっぱい

 小指の隣の指をなぜ薬指と言うのでしょうか。一説には薬師如来像がその指だけを曲げていたからと言います。でも、薬師如来像の多くは薬指を曲げていませんし、薬指の名称は仏教の本家本元のインドにもなく中国にもないです。あるのは朝鮮語と日本語だけ。考えられるのは「薬の代わりになる指だから」と朝鮮で薬指と呼ばれるようになり、それを日本人が真似をしたのでしょうね。
 なぜに「薬指が薬の代わりになる」のか?
 鍼(ハリ)療法はそもそも中国の南方で開発されたのですが、朝鮮で大発展をみました。今でも、自分で鍼を打てる人は随分と多いようです。
 通常、指先に針を打つ場合、薬指を避けます。それは神経の性質が他の4本の指と違っているからです。薬指を刺激すると、交感神経が刺激されて戦闘モード・興奮状態になり、他の指先を刺激すると副交感神経が刺激されてリラックスする、という違いがあるのです。…(以下、下に貼り付けた画像をお読みください。副交感神経を優位にするツメモミ療法も紹介しています。)

(表面)↓ 画面をクリック。読みにくければもう1回クリック。裏面も同様です。 

 

爪もみ療法(拡大図)

(裏面)瓦版のボヤキ
    平床硬枕で四十肩が改善

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毎日、小さな幸せに気づくレッスンを、そしてそれを日記にしてみませんか。

2018年03月18日 | 心の病から脱却

毎日、小さな幸せに気づくレッスンを、そしてそれを日記にしてみませんか。

 夢も希望もないこの世の中、苦しくって嫌なことばかり。なに一つ楽しいことはない。
 こうして、毎日もんもんと暮らし、ぐちをこぼし、そのうちキレルかも。
 お先真っ暗な今の世の中ですから、そうなりそうなのもいたしかたない面がありますが、そうなってしまっては自分が損するだけです。
 それを打開するには、気の持ち方を変えるしかありません。
 では、どうやったら気の持ち方を変られるでしょうか。
 以外に簡単な方法があるのです。
 これについては、このブログでいろんな角度から取り上げました。
 そのなかの一つが表題のものです。過去2度それを記事にしました。
 それは、小生が試験的に取り組んだ“一日一楽”日記で、もう5年以上続けています。
 まずは、過去記事からその抜粋に一部補足して再掲します。

<2012.9.2 “一日一楽”日記の書き始め。落ち込みから脱却し、喜びの毎日に。>
 毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはず。それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できると言われます。それを確かめるために私も。
 ということで、8月29日からso-netブログで“一日一楽”日記を書き始めました。
 三日坊主で終わりはしないかと少々心配でしたが、難なく続けられています。
 毎日、朝から“楽しいこと探し”をせねばなりませんが、これがまた楽しいです。
 ときに、1日に2つ書きたくなる日もありますが、そこはググッとこらえて1本にしています。2本立てにしてもいいでしょうが、そこは表題にちゃんと従うことにしました。
 さて、こうした日記の効用はいかに。
 良い例があります。文筆家の五木寛之さんが、一時気分が落ち込んで物書きができなくなったことがあったそうで、そのときに毎日楽しかったことを書き綴ったことによって落ち込みから脱却でき、文筆活動が再開できたとのことです。
 また、歌人:齋藤茂吉の長男の齋藤茂太さん(故人:精神科医・文筆家)も、次のように言っておられます。
(著:「あなたと合うと元気になる」といわれる人の共通点[ぶんか社文庫]からの引用)
 日々の生活の「積み重ね」
から生まれるもの
 嫌なことは「悪口日記」に記し、普段の日記には楽しいこと、うれしい発見などを記すようにしよう。嫌な思いを書き並べると、あとで日記を見るのがつらくなるものだ。いい思い出も書いてある日記なのに封印したくなり、結局捨てる……そうならないためにも、別々の日記にしておくのがいい。
 さて、「普段の日記」には、おいしい物を食べたとか、季節の花が咲いたとか、日々の出来事の他に、うれしかったことをひとつ書いてみる。
 「うれしいことなんか、ない」という人は、道を歩いていたら、「おでんの匂いがして冬が近いと思った」でもいい。日々の「気づき」を書いていく。これが喜びになっていく。
 (その後の話は、いい笑顔を持っている人が他の人にどんな印象を与えるかについて展開され、最後は、次のように締めくくられている。)
 笑顔がいい人は、人から大事にされるのだから、もっと「自分の顔をつくる」という気持ちになって欲しい。
 さて、あなたはどんな顔になりたいか。顔だけは、日記のように「別々」というわけにはいかないのである。
(引用ここまで)

 その後、日記にするものではありませんが、類似したものとして「小さな幸せに気づくレッスン」というものがあることを知りましたので、それを小生の“一日一楽”日記に取り入れました。
 ひすいこたろう著「ものの見方検定」の中に次のように書かれています。
<小さな幸せに気づくレッスン>
 わたしは今日幸せでした。なぜならば……
 わたしは今日幸せでした。なぜならば……
 わたしは今日幸せでした。なぜならば……
 寝る前に、なぜならばの続きを3つ考えてから寝てください。例えば…ラーメンがとびきりおいしかった……太陽の日射しがとっても心地好かった…などなど…。
 こんなふうに、今日からまず21日間続けてみてください(21日間続けると習慣になりやすいと言われています)。
 寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
(引用ここまで)

 その後の経過ですが、小生が“一日一楽”日記を書き始めて半年ほど経った頃に、このブログで感想を書いたのが次の記事で、これを抜粋して再掲します。
<2013.2.18 毎日がなぜか楽しくなる「“一日一楽”日記」のすすめ>
 
当初は、必死になって「何か楽しいことはないか」と探しまくり、「ない」となると、本の記事を引用したりして、取り繕っていました。そこまで無理する必要はないと、友人からアドバイスも受けましたが、毎日落ち込んでいる方々の助けとなり、落ち込みからの脱却法の見本となればと思い、少々無理もしました。そうして、毎日“一楽”を探しまくる生活をしていましたら、いつの頃からかははっきりしませんが、気張らなくても、「ああ、楽しい」という事柄が、直ぐに見付かるようになってしまいました。
 なぜだろうと考えてみると、「以前は楽しいとは思わなかったほんの些細な事柄が、なぜだか楽しく思えてしまう」という自分がいることを発見したのです。
 こうして、約半年前の自分と違う自分が今ここにいるような気がします。
 “毎日が楽しい” そんな気分の連続です。
 落ち込むような日がめったにない小生ですが、以前は、“今日は何もいいことがなかった”と思える日が多かったものの、“一日一楽”日記を書き綴ることによって、“ああ、今日もいいことがあった”となってしまったからでしょうね。
 “楽しいこと探し”にはまってしまった小生。
 その“楽しさ”から、今日、中間報告として、「“一日一楽”日記のすすめ」を書かせていただきました。
 なお、最近“楽しいこと探し”をしていて、これが見付かる前に“幸せだなあ”と感ずる事柄の方が心に浮かぶことが多くなりました。
 “楽しい”と“幸せ”は、似ているようで似ていない、そんな感じがします。
 でも、どちらも心を明るくしてくれますから、“楽しい”と“幸せ”の両方の事柄が訪れてくれるのは、よりうれしいことです。そう言えば、“うれしい”という言葉も、似ているようで似ていないですね。
 何だか全てが、いい方に、いい方に、と回っていきますね。
(再掲ここまで)

 こうして“一日一楽”日記を書きつづり、とうとう1000話を超えることなった時点で、so-netブログに次のように感想を述べました。
<2015.
6.3 “一日一楽”日記 今日が1001話>
 こうした日記を毎日書き綴っていけば、本当に「落ち込みから脱却し、幸せ膨らむ」のか、当初は半信半疑ではありましたが、あれから3年ほど経つ今日まで、困ったり弱ったりした出来事がなかったのかもしれませんが、実に平穏無事に、かつ、楽しく幸せに暮らしてこられました。
  “一日一楽”日記を付け始めて、しばらく後に立ち上げたブログ「薬屋のおやじの“腹たち日記”」も、当初は腹がたつことがあって少し記事を書きましたが、その後、腹がたつことがなくなってしまい、今では休眠状態になってしまいました。
  つい先日、間もなく収穫という畑のニンニクが野菜泥棒にごっそり盗まれてしまったのですが、そのときもガックリはしたものの、不思議なことに全く腹はたちませんでした。
  毎日、楽しいこと・うれしいこと・幸せなこと・ラッキーだったこと、そうした類のことに心を向けていると、その反対の出来事が訪れたとしても、大して困ったり弱ったりせずに済んでしまうように思えます。また、何だか不幸が幸せに変えられてしまえるような気さえ、ちょっとはしてきました。
  まだ経験は浅いですから、何ともいえない面がありますが、楽しいこと、うれしいことなどに絶えず心を向けていると、不思議と向こうから幸せがやって来る、という幸運にありつけそうです。
  そうしたことから、“一日一楽”日記が今日1001話になりますが、これからも毎日書き綴っていこうと思っています。
  「不思議と向こうから幸せがやって来る、“一日一楽”日記」となりそうで、ワクワクしています。
 (引用ここまで)

 そして、さらにそれから3年近く経ち、とうとう一日一楽日記も2000話を超えました。それをso-netブログで次のように記事にしました。
<2018.
3.17 知らぬ間に“一日一楽日記”も2000話超え> 
 1000話超えの記事から3年近く経つが、そういうこともあったのかと懐かしく思い出す。これを読み返してみて、つくづく思うのは、「毎日、楽しいこと・うれしいこと・幸せなこと・ラッキーだったこと、そうした類のことに心を向けていると、その反対の出来事が訪れたとしても、大して困ったり弱ったりせずに済んでしまうように思えます。また、何だか不幸が幸せに変えられてしまえるような気さえ、ちょっとはしてきました。まだ経験は浅いですから、何ともいえない面がありますが、楽しいこと、うれしいことなどに絶えず心を向けていると、不思議と向こうから幸せがやって来る、という幸運にありつけそうです。」という感想が、随分と現実味を帯びてきた。
 そして、たまには、“くそ面白くねえな、頭に来る”と口にしても、“いらいら、かーっ!”と頭に血が昇るということは全然ない。怒りでもって興奮する、ということは遠い昔の記憶となってしまった。どうやら、心がいつも安寧に保たれる、というのが恒常化してしまったようである。
 これからも、毎日“一日一楽”日記を書き綴っていきましょう。「不思議と向こうから幸せがやって来る、“一日一楽”日記」です。

 いかがでしょうか。皆さんも「小さな幸せに気づくレッスン」を毎晩行い、そしてそれを日記にしてみませんか。
 とりとめのない長文を最後までお読みくださいまして有り難うございました。読者の皆様方のお幸せを遠い空の下からお祈りいたしております。

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太田胃散が胸やけに効くわけは意外なところにあり

2018年03月13日 | 胃の病

太田胃散が胸やけに効くわけは意外なところにあり
(最新更新:2018.6.21)

 このブログで慢性胃炎について、幾つかの記事、例えば「胃薬を飲めば飲むほど胃は悪くなる(付記:お茶も薬のうち)胃酸の逆流で逆流性食道炎が起きるなんて大間違い !?」で取り上げたところ、読者の方からコメントやメールそして電話相談がたくさん寄せられ、そのなかで「太田胃散」を飲むと不快な症状(特に胸やけ)が解消するというお話がけっこうありました。実際、当店のお客様でもそうおっしゃる方が多いです。

 太田胃散の特徴は重曹(炭酸水素ナトリウム)が高配合なことです。“たかが重曹で、そんなに効くわけがない。どういうことだろう?”と不思議に思っていました。
 というのは、以下、重曹の特性ですが、
 重曹(炭酸水素ナトリウム)の水溶液は pH = 8.3 程度の弱いアルカリ性を示す。
 
酸と反応して炭酸と塩ができ、炭酸は二酸化炭素と水に分解する。
  NaHCO3 + HCl → NaCl + H2CO3
  H2CO3 → H2O + CO2
 化学式が出てきて少々難解ですが、要するに、重曹(NaHCO3)を飲むと、胃酸の主成分である塩酸(HCl)と反応して、食塩(NaCl)と炭酸(H2CO3)になる。
 炭酸は水には低濃度にしか存在できず、水と炭酸ガス(二酸化炭素)に分離する。そして、分離した炭酸ガスは水に溶けた状態で存在し、体内に吸収される。
 なお、「炭酸水」とは、水に炭酸ガスを高圧で水に溶け込ませたもので、ごく一部が炭酸(H2CO3)として存在するだけです。圧を開放すると、溶け込んでいた炭酸ガスが泡となって出ます。サイダーやビールの発泡がそうです。

 さて、「胸やけ」とはなんぞや。
 医学的解説では、「胸が焼けるような感じや痛みを感じたり、違和感を感じる症状のことです。胃酸が食道へ逆流したときに起こるものです。」とあります。
 つまり、「食道の粘膜が酸で痛めつけられ炎症を起こしている」ということになるのですが、弱アルカリの重曹を飲んだことにより、食道の粘膜に付着している胃酸が中和されることはあったとしても、炎症までもが速やかに解消するとは不思議なことです。
 太田胃散の場合、重曹のほかに各種生薬や複数の胃酸中和剤が配合されているも、それが効果的に作用するとは思えません。

 しかし、重曹を飲むことによって、胸やけが速やかに解消するのですから、上の説明の胸やけの原因が間違っているのか、重曹に中和作用以外の働きが何かあるのか、ということになります。
 考えられるのは、「胃酸の逆流で逆流性食道炎が起きるなんて大間違い !?」のなかで、福田稔著『実践「免役革命」爪もみ療法』から引用しました次のこと、
 実はH2ブロッカーは、そうした自律神経を調整して白血球に働きかける作用があるのである。胃かいようの治療…(に使う)…H2ブロッカーという薬には、白血球の中の顆粒球を抑えるという「副作用」があるのである。実はこの「副作用」こそが、かいようを改善させている効果の本質だったのだ。(引用ここまで)

 これと同様に、胸やけも「高ぶった交感神経の作用により顆粒球が増えて暴れ(活性酸素を異常発生させ)、食道粘膜に炎症を起こさせている」というのが真の原因でしょう。
 そこで、副交感神経の働きを高めて交感神経を鎮めてやれば、それによって顆粒球が減り、食道粘膜が正常化する、ということになりましょう。
 そうした働きが重曹にもあるというものです。

 では、重曹に「交感神経を鎮めて顆粒球を減らす」その作用機序はというと、次のように考えられます
 (10年以上前に買った本を引っ張り出してきて読んでいたら、興味ある記述を見つけました。)

 安保徹著「免役革命」(2003年)より引用
…意外に思われるかもしれませんが、炭酸飲料をたくさん飲むことも、副交感神経を優位にします。…炭酸ガスがある状態では、人間はどんどんリラックスします。…コーラでもサイダーでもビールなどの炭酸飲料は、一服するとき、休むときに飲みたくなるでしょう。
 炭酸ガスというのは、体液にとけたときに、酸素を奪って炭酸になる性質があります。…生体から酸素が奪われるとリラックスします。(引用ここまで)

 なんでもないことだったのです。救世主は単なる炭酸ガス。もっとも太田胃散には芳香性生薬としてケイヒ(=別名:ニッキ、シナモン)などの気分をリラックスさせてくれるものが含まれていますから、相乗的にリラックス効果が得られようというものです。

 だからといって、太田胃酸などの重曹配合のものを多用していいかとなると、こうした胃腸薬には重曹より強烈な胃酸中和剤が複数配合されるのが常ですから、胃液の酸性度が落ちてしまい、消化不良を起こしますから、いただけません。

 しょっちゅう胸やけを起こす方は、自律神経のバランスが崩れて交感神経が高ぶっているに違いない、つまりストレス過乗なのですから、その原因を断ち、リラックスする方法を見いだすしかないのです。
 なお、炭酸ガスに効果がけっこうあるのですから、お風呂は発泡入浴剤のバブでも入れて楽しまれてはいかがでしょうか。湯に溶け込んだ炭酸ガスがどれだけかは皮膚から吸収されてリラックスできましょう。

 ところで、安保徹先生が紹介した著のなかで炭酸ガスを発生させるものとして「コーラ、サイダー、ビール」を例示されていますが、慢性胃炎の方にはどれもこれもおすすめできません。炭酸飲料は弱った胃を冷やし過ぎます。弱っている胃は温めるのが何よりですからね。

(参考記事)本稿の中で、福田稔著『実践「免役革命」爪もみ療法』を一部引用しましたが、“爪もみ療法”は、交感神経を沈め、副交感神経を高めますから、慢性胃炎の方におすすめしたい治療法です。下記をご覧ください。
 2018.6.21 実践「免疫革命」“爪もみ療法”のすすめ。いろんな病気が改善しますよ。

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皮膚は大切な最大の臓器(三宅薬品・生涯現役新聞バックナンバーN0.217)

2018年03月10日 | 当店発刊の生涯現役新聞バックナンバー

 毎月25日に発刊しています当店の「生涯現役新聞」ですが、これをブログアップしたのは2014年陽春号からです。それ以前の新聞についても、このブログ読者の方々に少しでも参考になればと、バックナンバーを基本的に毎月10日頃に投稿することにした次第です。ご愛読いただければ幸いです。

当店(三宅薬品)生涯現役新聞バックナンバーN0.217:2013年2月25日発行
表題:「皮膚」は大切な最大の臓器

副題:皮膚は呼吸し、有用物質の吸収、老廃物の排泄をしています

この記事は、このブログの2013年2月26日付け「ヒトの皮膚呼吸、皮膚の吸収・排泄機能をもっと高く評価すべき。アトピー対策の出発点になります。」の一部を要約したものです。

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脱農薬! 無肥料・無農薬栽培をすすめよう

2018年03月07日 | 食養

脱農薬! 無肥料・無農薬栽培をすすめよう

 本稿は、残留農薬の害を主眼にしていますが、それに関しては後半に述べることとし、まずは無肥料・無農薬による野菜づくりについて思うところを記すこととします。

 無肥料・無農薬栽培、これを通常「自然栽培」というのですが、そうして作られた野菜は若干生育が遅くなり、色は薄く、妙にアクっぽい(場合によっては、これがうまいと感ずる)ということは全くなく、なかには最初は物足りないと感ずる人もいらっしゃるようです。でも、自然栽培した野菜を食べ続ければ、誰もが“こんなおいしいものはない!”と、はまってしまいます。これが自然の味というものです。
 草むらで草を食む牛は、色の濃い草を避け、色の薄い草しか食べないと言います。なぜならば、色の濃い草は糞尿がかかった草で肥料を吸って育ったからです。牛は、そうした草は、まずいと思うのか毒があると思うのか、そのいずれか、あるいは両方でもって、“自然に育った草”を求めるのです。

 無肥料・無農薬の野菜づくりをすすめておられる河名秀郎さんが、そのようなことを言っておられます。それにしても後段の話には驚きました。
 小生は専業農家の生まれで、社会人になった年に親父が起業して薬屋を始め、今はその2代目をやっております。よって、農業にはどれだけかは携わってきましたし、最近は半農半商生活をしており、別立てブログ「ファーマー・ファーマシーの日記」で主として野菜づくりについて、その悪戦苦闘ぶりを記事にしています。
 そのブログ記事を一部手直しし、以下に、現時点での無肥料・無農薬野菜づくりについて自分なりの考えや取り組み状況をまず紹介しましょう。

 最初に、有機肥料栽培について。
 各種有機肥料を上手に組み合わせ、化学肥料は苦土石灰程度にして栽培すると、味が濃厚で甘味が増した野菜が取れます。(もっとも、牛はこれをマズイと思うでしょうが、現代人、小生を含めて、これをおいしいと感じます。)
 ところが、市場に出回っているものは、化成肥料などの即効性化学肥料中心の施肥ですから、成育が早く、大きく成長し、見た目にもいいです。でも、有機肥料栽培に比べ、ビタミン・ミネラル含有量が落ちますし、甘味・うまみも減ります。本来の野菜とは似ても似つかない、姿形だけが似せられた、まがいものと化してしまっています。

 ひどいものになると、窒素肥料過剰で苦味があるものまで売られています。肥料がまだそのまま葉っぱや根っこに残ったままの状態にあるのです。ホウレンソウ、大根、キャベツ、ハクサイで苦味を感じたら、まず肥料過剰だと思って間違いないでしょう。もっとも、昔からの品種で原種の性質を引き継いでいるもののなかには初めから苦味があるものもありますが、まずこうしたものは一般の市場に出回っていません。
 なお、ネギの場合ですが、最後の追肥を多めにすると、葉っぱの折れが減りますし、青々してきて見た目が良くなりますから、そうしたものが市場に流通します。これは、当地特産の「徳田ねぎ」でも同様で、葉も白根も硬くなりますし、甘味・うまみも減ります。
 こうしたことから、うちでは化学肥料は基本的に使うことはなく、なるべく穏やかな有機肥料を何種類か組み合わせて栽培してきました。こうした有機肥料の欠点は、値が張ることと施肥が面倒なことです。よって、利益を上げるには適しませんが、うちでは自家消費分のほかは当店のお客様に差し上げたり、親類に送るだけですから、おいしさ第一の栽培法をとっているのです。

 次に、農薬についての小生の基本的な捉え方について。
 農薬の残留については国産のものであれば、一部のアレルギー体質の方を除き、今のところは通常さほど気にすることはないと思われます。大産地であっても、自主規制でもって、毒性が弱く、残留性の少ないものを使っていますからね。といっても、虫が付いたものは一部の消費者が心因的拒絶反応を示しますから、残留なしとはまいらず、どれだけかは農薬が残っていると考えねばなりません。現に、農水省の基準では一定濃度以下の残留であれば出荷が認められています。(これは将来的にはだんだん問題が出てきそうで、そのことについては最後のほうで述べます。)

 農家が生産した野菜は、大半が農協指定の箱に梱包されて農協から出荷され、それが大手スーパーマーケットに渡り、各店に配送され、箱から出されて店頭に並びます。その最終作業のときに虫が1匹でも発見されれば、
その箱に入っている野菜のみならず、同一入荷先の全部が返品対象となるようです。ここまで厳しい扱いを受けるとなると農協もたまったものではありませんから、農家にしっかり農薬散布するよう指導します。
 ここのところは“虫がいれば残留農薬はほんのわずかなんだろうから安心”というふうに消費者が考えを改めてくれれば、随分と減農薬が進むんですがね。日本人の過度の清潔感、不潔恐怖症とも言えるものが大きくわざわいしています。
 農家の立場から物申せば、畑を飛び交うモンシロチョウ、農薬使用がために滅多に見かけなくなりましたが、消費者がそれを“綺麗だね”と言うのであれば、キャベツについた“そのイモムシも愛おしいね”と言ってほしいものです。
 なお、都市近郊の直売場で売られているもののほうが、場合によっては農薬がきついのではないでしょうか。人の往来、車の往来が多いほど害虫や病原菌の拡散がひどくなり、都市近郊では何種類もの農薬を多用せねばならない傾向にあるからです。その農家は、たいていは“畑のここの部分ははうちで食べる分だから、多少虫がついてもいいので農薬散布は控え目に”と、売るものと自家消費のものと分けておられます。

 うちは都市近郊にあり、無農薬でいくとハクサイ、キャベツなどは虫食いだらけ、虫の糞まみれになることが多いですし、トマトは最盛期を過ぎるとヘタに虫が入ることがけっこうあるのですが、最近は農薬使用を我慢しています。よって、キャベツやハクサイは当店のお客様に差し上げることは、まずできません。
 虫害を少なくするための方法として、うちでは促成栽培しないことにしています。作付けを少々遅らせたり、成長があまり早くない品種を選択すれば、虫がつきにくくなりますからね。そして、このほうが本来の旬を味わうことができるというものです。

 そして、無肥料栽培への挑戦について。
 これについては、先駆者の事例を2、3参考にし、自分なりに昨秋から本格的に取り組みを始め、冬野菜の作付けはその多くを「無肥料・無農薬」としましたが、残留肥料がけっこうあったようで、どれもこれもまともに育ち、実質上は「“減”肥料・無農薬」栽培であったことでしょう。今年の夏野菜も同様に施肥を全くせずに栽培することにしていますが、まだまだ残留肥料があることでしょうし、どれほどの収穫量になるのか、いずれにしろ当面は減収になることを覚悟しつつ、あきらめずに挑戦し続けていこうと考えています。
 その詳細は、別立てブログ「チャレンジ自然農法」で書くことにしております。

 ここまで、小生の野菜づくりの取り組みを中心に述べてきましたが、今日、市場に出回っている農産物(うちの野菜も含めて)は、本質的に、同一品種のものであっても自然栽培のものとは異質なものと言わざるを得ません。
 その端的な例を紹介しましょう。
 自然食料理人、船越康弘さんの講演録(みやざき中央新聞2018.1.28とそれ以降数回)からの抜粋ですが、次のように船越さんは言っておられます。
 私は1986年に民宿「百姓屋敷わら」を作り、米、麦、大豆、そばを自分で作ることにしました。無肥料・無農薬の完全な自然栽培で、作物の乾燥もすべて天日干しです。
 小麦アレルギーはなぜ起こるのでしょう。一般的に小麦は、高い温度で製粉されると「異形たんぱく」が形成されます。これがアレルギーを引き起こすと言われています。
 私たちは小麦を天日で干し、石臼で挽いています。そうやって作ったうどんやパンは、アレルギーやアトピーの子たちがいくら食べても反応は出ません。(引用ここまで)

 このお話では製粉過程が一番の問題のようですが、無肥料・無農薬も大きな関わりを持っているのではないでしょうか。
 無肥料栽培の一番の特徴は、根張りがものすごいことのようです。それによって、土壌細菌との共生が進み、土壌細菌が鉱物から溶かし出した各種ミネラルを主体に、土壌細菌の手による有用物を吸収して、本来の、自然の育ち方をしてくれるようです。
 よって、味が違うのですし、天然の栄養素ではない濃厚な肥料成分(有機肥料にしろ化学肥料にしろ)が植物体に取り込まれたり残留したりすることもないのです。
 これは、自然の状態で放し飼いして育てた鶏の卵と類似していましょう。何年か前に、そうして育てた鶏の卵をいただいたことがあるのですが、黄身は薄かったですし、非常にサッパリした味でした。冒頭で紹介した、河名秀郎さんがおっしゃるように、まさに「最初は物足りないと感ずる人もいらっしゃる」そのままでした。

 このように、無肥料・無農薬栽培作物は、冒頭でも紹介したように、慣行農法(通常の現代農法)で栽培したものと、まるで違うものになってしまうのです。
 そして、「最初は物足りないと感ずる」ということからして、当然のことながら無肥料・無農薬栽培作物は「
ヒトの体にやさしい」ものとなることでしょう。
 加えて、自然栽培することによって、作物本来のたくましさが出てきて、つまり免疫力が高まり、病害虫の被害を受けにくくなることです。よって、無肥料栽培の成功は、無農薬栽培を自動的に可能にしてくれるのです。ここが、自然栽培の興味深いところです。

 さて、ここから本題に入ります。
 無肥料・無農薬栽培作物がアレルギーやアトピーの子どもたちにどれほどの効果があるか、これは子どもたちに限らず大人についても言えることですが、特に化学物質過敏症の方々にとっては、やはり優れた効果があるのではないでしょうか。
 
 現に、ここまでで紹介した河名秀郎さん、船越康弘さんの例では、そうした効果が確認されているようです。また、うちの近くでは岐阜市の山田克己さん(㈱レンゲの里岐阜:主に米・豆類の栽培と販売)がそうです。

 まず、アレルギーとはなんぞや、ということになるのですが、大ざっぱに言って、体内に入ってきた異物(自分の体には存在しない化学物質、たんぱく質など)に対する異常防御反応、過敏防御反応と言っていいでしょう。
 健常な人にあっては、通常これらの異物は穏やかな無害化なり、穏やかな排出でもって何事もなく処理されるでしょうから、アレルギー反応は示さないのです。
 また、恒常的にこれらの異物にさらされ続けると、場合によっては、これを無害なものとして受け入れてしまうという能力さえ獲得することがあります。生物は基本的にそうした性質、何もかも受け入れてしまうという性質を有していると思われるのです。
 例えば、蚊に刺されたとき、蚊はまず唾液を皮下に注入しますから、それに含まれる異物にヒトは誰しも防御反応を示し、赤く腫れて痒みも引き起こします。しかし、これが恒常化すると、無反応になるのです。東南アジアでは子供時代にその能力を身に付けますし、日本人であっても毎日蚊に刺され続けていると、だんだんその能力を身に付けてくるようです。百姓仕事を毎日していた亡きおふくろがそうでしたし、時折畑仕事をする小生も高齢者の仲間入りをした頃からほとんど無反応になりました。
 これを免疫寛容というのですが、痒み止め剤を用いていると免疫寛容は成立しないようです。小生は、何か所も蚊に刺されてあまりに痒いときは農作業後にタワシで擦るだけにしていましたから、免疫寛容になってきたのでしょう。
 この免疫寛容に着目して、アトピーなどのアレルギーを完治させておられる医師もいらっしゃいますが、相当長期間、ひどい症状を呈しますから、覚悟してかからねばなりません。当然のことながら、専門医の観察の下で経過を見ながらの治療となります。
(参考)その医師のサイト 医療法人聖仁会 漢方科 松本医院

 アレルギー改善の基本は、自然界ではこうした免疫寛容(動物が蚊に刺されて腫れることはない現実からしても明らか)でもって行われているのですが、高度文明社会では、もはやこれは、とても万人に受け入れられる治療法ではないです。
 軽い症状(文明前にあっては何でもない症状)であっても大げさに受け止めてしまう世の中になり、“最新科学の力でもって一刻も早く不快な症状を取り去ってくれ”と要求するのが現代人であり、また、そうしなければならないのがご時世というものでしょう。

 そこで、やむなく対応せねばならない要素として上がってくるのが、近代文明で作りだされた様々な化学物質の排除ということになります。住宅建材、家具調度品、衣類といった工業製品においては、かなり対応が進んでいるようです。
 しかし、食べ物については、大きな限界があります。加工食品は腐敗防止のために防腐剤や漂白剤が不可欠なものとなっていますし、生鮮野菜
のみならず、穀物や豆類、そして果物から茶葉までもが、その栽培過程で農薬散布が不可欠になっていますから、いかんともしがたいわけです。
 加えて、ジャガイモにあっては、選別場のラインを転がるときに皮がむけやすく、見映えが悪くなる、消費者が嫌うからといって、それを防ぐ便法として「収獲直前に除草剤でもって枯らす」なんて方法を取っていますから、これまた考えものです。ジャガイモは床の間に飾って眺めるもの、なんでしょうかね。
 これら化学薬品のうち、特に農薬は、その多くが昆虫という同じ動物を殺す毒薬ですから、ヒトが持ち合わせていない酵素(正しくは、ヒトの遠い祖先は持っていたが、不必要なものとなり、その遺伝子に傷が付いても放置され続け、今は働きを失った状態にある)を阻害するだけだと言われても、けだし、ヒトが持ち備えているその防御機構からして、農薬は尋常ではない化学物質として捉え、機敏に防御反応を示すのが健常というものでしょう。そう易々と免疫寛容する体質に変換できるとは考えにくい性質のものです。
 特に、アレルギー体質になっておられる方は、その過敏性ゆえに、ごく微量の農薬に対しても格別に異常防御反応を示すことになるのは必然です。
 農薬を使用した農産物は、たとえ高精度の農薬検知機器でもって検出限界以下とされるものにあっても、決して農薬ゼロではないでしょう。機器が感知しない濃度であっても、必ずどれだけかは残留していると考えるしかなく、その農薬はヒトの体内にある検知器に必ず引っ掛かる性質のものであるからです。
 もっとも、農薬に対しても免疫寛容の出番はあります。しかし、毒のある葉っぱばかりを食べていそうなコアラやナマケモノの、そのノソノソと動く姿を見ていると、彼らはまだまだ順応途中に見えてしまい、ヒトという動物が農薬という毒に慣れるには、この先100万年待っても無理なんじゃないでしょうか。
 なお、現代人は、江戸時代の人々と比べると、その動きは、機敏に動き回る犬や猫の姿から、今やコアラやナマケモノのような状態になっており、これは食生活が様変わりしてしまったことが大きな要因になっているに違いないのですが、近代になって新たに出現した様々な毒素にさらされ続けていることも原因しているのではないでしょうか。

 こうしたことから、今後ますます(無肥料栽培の帰結としての)無農薬栽培、つまり自然栽培した農産物が大きな重要性を持ってくると小生は捉えています。
 
今のところ健常に見える人であっても、何らかの切っ掛けで農薬に異常防御反応、過敏防御反応を呈するような体質に変換するやもしれません。そうした人は少数かもしれませんが、誰しもが少しずつ少しずつ心身が蝕まれていく(農薬には神経毒のものも多いから心も蝕まれる)、これは誰も気づかない性質のものですが、その恐れは多分にあるのではないでしょうか。我々は、ポンペイの悲劇(※)の教訓を忘れてはならないのです。

 こと、農薬問題、つまり脱農薬は、遠き遠き道とはなりましょうが、将来において無肥料・無農薬による自然栽培が大きく広まっていくことを期待したいです。小生もファーマー・ファーマシーとして、微力ながらその取り組みに力を入れてまいる所存です。

(※)紀元前の都市国家ポンペイの悲劇は、ベスビオス火山の大噴火による火砕流で一瞬にして消滅したことで有名ですが、実は、もう一つ知られざる悲劇を抱えていました。
 それは、都市住民が皆、鉛中毒になっていたことです。
 ポンペイでは、公共施設のみならず、各家庭へも水道が網の目のように張り巡らされており、その水道管が何と鉛で作られていたものですから、いたしかたありません。
 でも、皆が皆、そうした健康状態になってしまうと、高度文明都市…当時のポンペイは群を抜いて発達していた都市であったようです…では、それが当たり前となり、そうであっても健康だと錯覚してしまうのです。
 ポンペイの都市住民は背が低く、短命であったと言われていますが、彼らは、高度文明社会に暮らすがゆえの生活習慣病としか考えていなかったことでしょう。
(脚注
は、このブログ2011.11.11 『元祖「公害」は奈良の大仏、すさまじかった水銀汚染。今はマグロで水銀が体内蓄積。』から、その一部を再掲しました。)

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