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薬屋のおやじのボヤキ

公的健康情報にはあまりにも嘘が多くて、それがためにストレスを抱え、ボヤキながら真の健康情報をつかみ取り、発信しています。

85歳以上でがんのない人はいません!!

2024年04月04日 | 癌(がん・ガン)

85歳以上でがんのない人はいません!!

これには驚きました。
今日のネットニュース「日刊ゲンダイDIGITAL」に出ていました。
それを以下に貼り付けました。ご一読ください。

不本意な治療を受けないためにも…高齢者のがんには「治療しない」という選択肢もある(和田秀樹)

 国立がん研究センターの調査によると、生涯でがんになる割合は、男性は3人に2人、女性は2人に1人です。50歳から10年でがんを発症するのは、男性5.2%、女性6.7%ですが、30年後はそれぞれ43%、29%で年齢が上がるほど発症率はアップします。

 その調査結果を踏まえると、高齢者が恐れる病気のひとつは、やはりがんでしょう。1981年以来、死因のトップになっています。

 私がかつて勤めていた浴風会病院は、高齢者専門の総合病院です。在院者の平均年齢は85歳で、在籍当時、毎年200人が病院で亡くなっていました。その約半分の高齢者を病理解剖すると、85歳以上でがんのない人は、いませんでした。

 ところが、死因ががんだった方は大体3分の1で、残りの3人に2人はがんが死因にならないで共存し、ほかの病気で亡くなったことになります。がんの診断を受けているかどうかはケース・バイ・ケースでも、結果的にがんを“飼っていた”ととらえられるかもしれません。

 高齢者にとって、がんはとてもありふれた病気で、高齢者本人やその家族にがんの治療について相談されることは珍しくありません。では、どんなふうに答えるかというと、高齢者の場合、なるべく手術も化学療法も受けないことをお勧めしています。

 私は、高齢のがん患者さんをたくさん診ています。たとえば、手術を受けた方と受けていない方を比べて、手術を受けた方が術後の回復がうまくいかず、消化器官を取られてやせ細り、見る影もなくなってしまうことはよくあります。化学療法についても同様で、治療後に体力を落とし、長引く不調でつらい思いをされたまま亡くなる方も少なくありません。

 がんで自覚症状が現れるのはかなり進行してからで末期です。それまでは、痛みをはじめとするつらさや苦しさはほとんどありません。一般にがんは、高齢になるほど進行が遅いといわれますが、私の経験からも確かにその傾向はあると思います。なるべく治療をしないでがんと共存するという提案は、がんの特徴や私の経験を踏まえてのことです。

 もちろん、がんの種類や病院、執刀医の技術などによっては、体力を落とさないように、がんだけを切り取って、周りの臓器を残す、という術式ができないわけではありません。そんな手術を受けるには、事前にそれが可能な病院を探しておくことが不可欠です。

 がんと診断されたとき、多くの方はがんの知識がないことで不安を感じると思いますが、そういうときに医師に治療法を提案されると、判断がつきません。事前に調べておけば、少なくとも医師に不本意な治療を勧められるリスクは下がるでしょう。何もしないという選択は、不本意な治療を受けないためでもあります。

(和田秀樹/精神科医)

 

いかがでしょうか。
がんは放っておけ、とよく言われるのですが、和田先生も「なるべく治療をしないでがんと共存する」という選択肢を勧めておられるようです。ステージⅢの前立腺がんを抱えている小生もそうしています。

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末期がんの余命も「心の治癒力」でいかようにも変わり得るようです

2024年01月31日 | 癌(がん・ガン)

(別立てブログ“一日一楽日記”で2回に分けて投稿した記事をこのブログでまとめて再掲しました。)

1.28 スケベ爺であれば医者に見放された末期のがんが治ってしまう

 日本講演新聞(旧:みやざき中央新聞)の記事をときおり紹介しているが、今回は、彦根市立病院緩和ケア科部長・黒丸尊治氏の講演録の一部を紹介しよう。(「とにかく元気が出る講演会 がん体験者が伝える命のメッセージ in 奈良」より)
 なお、最初にお断りしておくが、この日記の表題の中にある「スケベ爺」なる言葉は講演には一切出てこないので、誤解されないように。(小生が誤解しているだけ)
(以下部分引用)

 がんが骨転移した80代のおじいちゃん「Bさん」のお話です。
 「いよいよ末期らしい」ということで、Bさんが緩和ケア病棟にやってきました。うちの病棟には、…ボランティアの方がたくさん来てくれていました。…その中の一つで、カラーセラピーの方が来てくださっていました。いわゆる大人の塗り絵で、下絵があって、それを色鉛筆かクレヨンで塗るのです。セラピストの女性が二人で来て、患者さんと他愛ないお喋りをしながら色を塗るという時間でした。
 Bさんは、2週間に1回のカラーセラピーの時間がことの外お気に入りのようでした。

 そうして半年が経ちました。
 Bさんの検査をしてみると、なんと腫瘍マーカーの数値が10分の1くらいに下がっていました。同じカラーセラピーを受けていた他の患者さんも調べてみました。みんな大なり小なり数値が下がっていました。「これは不思議だ。面白いな」と思ってセラピストさんにそのことを伝えると、彼女たちも喜んでくれました。
 「カラーセラピーで色を塗ることに対する充実感や達成感が免疫力を高め、がんを抑えたんでしょうね」と、彼女たちは言いました。
 でも僕は「たぶんそうじゃない」と思いました。なぜかというと、これは僕の推測なのですが、カラーセラピーに来るその二人のセラピストさんはとても美人だったのです。塗り絵自体は5分もあれば終わるものでした。でもその後、セラピストさんたちは、毎回2時間くらい喋ったり患者さんたちの話を聴いてくれたりしたのです。
 だからBさんをはじめ、カラーセラピーを受けていたおじいちゃんたちはみんな、セラピストさんに会えることが喜びだったのです。そんな楽しみに思う気持ちが、心の治癒力を高めたのだろうと僕は思いました。
(中略 別の末期がんの方の例の話の後で)
 それから僕は、「何がどう心の治癒力のスイッチを入れるかは分からない」と思うようになりました。それはつまり、ある日何かにキュンとときめくことで、いきなりスイッチが入って状況が好転する可能性は誰にもあるということです。そのためにも、あまり焦らず、自分なりの喜びや楽しさを感じながら過ごしていけるよう心がけてください。
(以上で講演終了)

 いかがであろうか。
 小生思うに、このBさんというおじいちゃんは、正真正銘の「スケベ爺」ではなかろうか。「俺が若けりゃ、この子たちに誘いをかけたものを。今はもう不可能だが、でき得るものならば若返ってそうしたい」という思いがことのほか強かったのではなかろうか。
 他の患者さん(全員オジイだろう)もみんな腫瘍マーカーの数値が大なり小なり下がったとのことだから、男は年老いてもナンパ願望が強いと思われる。つまりみんなスケベ爺であろう。その願望が強ければ強いほど腫瘍マーカーの数値が大きく下がるのではないか。
 小生の前にも、こうした美人のセラピストさんたちが登場するのを心待ちにしたいところであるが、そうそう前立腺がんは進行しないから末期がんになる可能性は限りなく低く、残念ながら緩和ケア病棟へ入れるのは望み薄。
 まあしかし、ある日「キュンとときめく」ことに遭遇して「心の治癒力のスイッチ」が入ってくれれば、がんのみならず、くたばりかけた体の各種臓器が若返ってくれるであろう。じっとしていては、そうした機会に巡り合えるのは、宝くじが当たるに等しい確率しかなさそうだが、積極的に探し求めればその確率はう~と上がるのではなかろうか。
 さあ、小生も「キュンとときめく」探しをしよう!
 日本講演新聞を読んで、そう思ったところです。

 

1.30 がんで余命宣告されても余生を満喫すれば、がんはおとなしくなるも、生きる望みを失うとがんは一気に悪化する

 先日の「1.28 スケベ爺であれば医者に見放された末期のがんが治ってしまう」に引き続き、日本講演新聞(旧:みやざき中央新聞)の記事、彦根市立病院緩和ケア科部長・黒丸尊治氏の講演録の一部を紹介しよう。(「とにかく元気が出る講演会 がん体験者が伝える命のメッセージ in 奈良」より)
(以下部分引用)

…肝臓がんになった70代のおじいちゃん「Aさん」です。がんが見つかったとき、Aさんは、当時の主治医から「手術をすれば問題なく良くなる」と言われました。
 Aさんは、「手術をしなかったらどれくらい生きられますか?」とたずねました。主治医が「3年くらいでしょうか」と答えると、Aさんは「3年生きられたら私は充分ですわ。ですから治療は受けません」と言って、その後は検査のみを受けられました。
 3年後、Aさんは私の緩和ケア外来を受診されました。そして、「私『3年の命』と言われ、もう3年過ぎました。ですから後は楽に逝かせてください」と言いました。
 とりあえずCTを撮ってみると、3年前からがんは全然大きくなっていませんでした。「ごくごく初期」と言っていいくらいのがんの状態でした。「腫瘍マーカーの数値が下がっていて、しかも全然大きくなっていません。もしかしたらあなたはこのまま良くなるまもしれませんね」と、僕はAさんに伝えました。「Aさんはきっと喜ぶだろうな」と思っていました。
 ところがAさんは、腕組みをして「そりゃ困った」と言うのです。「私はあと3年の命だと言われていたから、この3年間で世界20数か国を回ってみたり、充分すぎるほど人生を満喫してきた。もうやり切ったから、あとはスーッと逝かせてほしい。なのにここに来て、そんなに良くなってもらっちゃ困る」
 僕は、「とりあえずしばらく様子を見ましょう」とその場を収めました。でもそれから1年も経たないうちに、Aさんから、「先生、もうあかんかもしれん。診てもらえんか」と電話がかかってきたのです。
 「そんなわけないだろう」と思いながら検査をすると、確かに驚くほどがんが進行し、状態も悪くなっていました。結局、Aさんはそのまま緩和ケア病棟に入院し、1か月後に亡くなられました。
 Aさんのその不思議な状況について、僕はこう考えています。
 Aさんは、3年という期限を付けて、その中で充分に楽しもうとされ、実際に世界旅行をしたりして満喫されました。その喜びや充実感によって、きっと「心の治癒力」が高まったのです。だからAさんのがんの進行は抑えられたのだと思います。
 ところが、「これで全部やり切った、心残りなく逝ける」と思っていたのに、がんが良くなって、「このまま生き続けないといけない」ということになってしまった。Aさんにとって、今度はこの「生き続けること」がストレスになってしまったのです。だから急に状態が悪くなったのだと思うのです。
 Aさんのケースには、心の治癒力以外の要素が全くといっていいほど介在していませんでした。「心の状態で劇的に良くなったり悪くなったりした」という例でした。僕はAさんを通して、心の治癒力の影響力というものをさまざまと実感させられたわけです。
(以上、引用ここまで)

 いかがであろうか。
 小生思うに、このAさんというおじいちゃんは、珍しくしっかりとした死生観を持っておられた方であったのだろう。「死は怖くない、余命がはっきりすれば計画的に余生を過ごせ、実にありがたい。」と。まあ、しかし、がんの余命告知というものは、その後の「心の治癒力」でもって、いかようにも変わってしまう。先日紹介したBさんもそうだが。
 かように、がんであっても「心の治癒力」により余命宣告が外れることがけっこうありそうだし、また、例えがんであっても小生の場合のような進行が遅い前立腺がんともなると余命は全然定まらない。余命は交通事故に遭って1日かもしれないし、血管系疾患で10年、いや20年かもしれない。どうやら小生の場合、すこぶる五体満足がゆえに、いつまでたってもなかなかお迎えが来そうになく、終活の計画もうまく立てられそうにない。弱ったもんだ。

コメント (2)

がんとは無縁と高をくくっていた小生、ステージⅢの前立腺がんが見つかる。

2024年01月18日 | 癌(がん・ガン)

がんとは無縁と高をくくっていた小生、ステージⅢの前立腺がんが見つかる。
(初稿2023.12.11 追記2023.12.22、2024.1.18)

 15年前に還暦を迎え、これを第2の人生のスタートと捉え、それまでフルパワーで行っていた薬屋稼業生活を見直してファーマー・ファーマシーという半農半商生活を始めるとともに、自分の経験を元にして行い得る社会貢献に取り組んでいくことにしたところである。そして、高齢者となった65歳、後期高齢者となった75歳という節目にも、生活習慣と人生設計の見直しを行い、生涯現役をモットーとするも、何事もスローライフでいこうと心がけてきた。
 そうしたことから、「がん」とは無縁と高をくくっていた小生であるが、今秋、尿の出の悪さから泌尿器科にかかったところ、ステージⅢの前立腺がんが見つかった。“えっ、なんで俺が”と、ビックリしたというか、あきれたというか、まったく恐怖感は生じなかったが、どれだけか複雑な気持ちにはさせられた。
 さて、このがんとどう対処するか。がん全般の対処法に関しては、このブログで幾度か書いてきたのだが、いざ自分のがんとなると、少々面食らうことも生じた。やはり知識だけではなんともならない。実際に経験してみて初めて分かることも多いことを思い知らされたところである。
 そうしたことどもを中心に、自分の経験を皆様にもお知らせし、参考にしていただければ、と思い、記事にしたところです。なお、この記事は、今までに別立てブログ「薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記」に投稿したものを一部編集して再掲したものです。

(2023年)
11.20 生き方を変えよう、自分の体にがんが見つかったんだから
 還暦以降、年々ションベンの出が悪くなり、後期高齢者となった今年、この冬が乗り切れるか少々不安になってきた。そこで、わりと近くにあるH泌尿器科クリニックに掛かることにした。そこで処方された飲み薬(副作用はほとんどない)が即効的に効き、けっこう尿の出が良くなり、これでホッと一安心できた。
 ところで、初回の検診でエコー検査があり、前立腺肥大が確認された。70歳以上の標準が20gに対して27gしかないから、そうたいしたことはないが。いっぽう膀胱は、だいぶボロボロになりかけているとのことで、説明はなかったが、頻尿はこのせいだと思われる。
 そして、前立腺の腫瘍マーカー検査をするための採血をする。翌週に結果が出て、標準が4.0ngに対して11.99ngと出た。これは前立腺がんの可能性の指標となるも、加齢による数値上昇もあり、これだけではとうてい判定は下せない。そこで、M総合病院でのMRI検査を受けることになった。
 MRI検査の結果は1週間後に出て、片方の前立腺にはっきりとした腫瘍が認められた。そう大きなものではなかったが。これで前立腺がんが確定したと思いきや、「強い疑いがある」だけのことで、最終的な診断を下すためにとのことでHクリニックで生検(調べてみたら、がん診断の正確性はMRI検査より劣るようだが)を受けることになった。これは、手術とそれほど違いのない大掛かりなもので、片方の前立腺から6か所、両方で12か所もの組織サンプルを採取するもので、部分麻酔を打たれ、検体採取後は足がもつれて車椅子に介助してもらって乗り、麻酔が切れるまで3時間ベッドに横になっていなきゃならんかった。もう生検なんてこりごり。
 さて、その生検の結果が出たのが今日。医師から前立腺がんの確定が宣告され、グリソンスコアなるもの(下調べしておいたが、説明を受けてもどんなものかよく分からん)からして、悪性度は5段階のうち4段階目に高いとのことであった。
 これで、医師の治療方針が下されるかと思いきや、けっこう悪性だからリンパ節や骨に転移している恐れもあり、そちらのほうを検査する必要があるからと、再びM総合病院へ行って専門医に診てもらえるよう手配がなされた。検査、検査で、もううんざりするのだが、自分の体がどうなっているのか、これを知っておくのも良かろうと受けることとした次第。
 Hクリニックの医師が言うには、転移の有無を踏まえて治療方針を提示するとのことであり、まだ先のことになるが、自分の治療方針は女房とも相談して既に決まっている。それは「がんとの共生」であり、そのためには「生き方を変えよう」というもの。


11.26 「がんとの共生」のために「生き方を変えよう」と考えたのだが…
「11.20 生き方を変えよう、自分の体にがんが見つかったんだから」で記事にしたのは前立腺がんが見つかった、その経緯だけであり、これに今後どう対処していくかについては、具体的には何も書かず、次の一言で済ませた。
 「がんとの共生」であり、そのためには「生き方を変えよう」というもの。
 薬屋家業をするなかで、これまで20年以上、がんに関して幾冊かの本を読み、ネット情報を拾ったりするなかで、がんは無治療でいったほうがいいと感じた小生である。つまり、がんは、外部からの侵入者・せん滅すべき対象では決してなく、自らの体の一部であって「がんとの共生」をすべきものであり、がんがこれ以上暴れることなく、おとなしくしてくれる、これを願ったほうがいいと思うようになったのである。そうすれば、場合によっては、がんが自然と縮小してくれることさえあるようだ。
 そのためには、今まで頑張りすぎてがんになったのであろうから、まずは自分を自分で褒めてあげようじゃないか、「今までよう頑張って来たな。ご苦労さん。褒めてつかわそう」と。そして、これからの人生は「生き方を変えよう」じゃないか、と過去を振り返って生活習慣全般を見直し、心身ともに無理がかからぬようにすることは当然のことながら、何か前向きな明るく楽しい人生のスタートを切る、となるようにせねばいかんだろう。
 早い話、「がんになってよかった。新たな生きがいのある人生が始められた。」となればいいのである。けっこう多くの方が、そうやって「がんとの共生」をされているようだ。こうしたことを、少しばかりのお客様ではあるが、がんを患った方々に対応してきた。

 さて、過去を振り返ってみての生活習慣全般の見直しは、すでに女房と相談し、おおよその方向性はまとまった。そのなかで、自分は決して頑張ってもいない、無理もしていない、という意識であったものが、他人から見れば、頑張りすぎ、無理しすぎ、ということが多々あるようなのである。ここは、素直にその意見に従って、出力ダウン(半分の出力にしたいのだが、なかなかそうはまいらぬが)を一つひとつの事柄について実行あるのみ、ということにして、取り組み始めたところである。これの具体的なことは後日順次記事にしよう。
 ところが、何か前向きな明るく楽しい人生のスタートを切る、という「生き方を変えよう」という課題については、はてさてどうしたらいいのだろう? 
 これが、なかなか思いつかないのである。
 薬屋という稼業は“暇つぶし、ボケ防止”のためにも女房と二人で続けたいし、百姓仕事は小生一人でやっているのだがこれも続けたい。ファーマー・ファーマシーの二足のわらじはいいものであり、両方の仕事はまだまだやりたい。ほかにアパート管理があるが、下駄ばきアパートの一角での薬屋稼業につき、これは稼業と一体のもので、引き続きやらねばならぬ仕事である。趣味としては、自然科学の分野、今では社会科学の分野にも広げ、幅広く論文(といっても小論だが)を執筆している。なお、これらについては、ホームページやブログを立てて発信し続けている。
 これら(ちょっと多すぎるきらいがする)を引き続きやりながら「生き方を変えよう」としても、選択の幅はだいぶ狭められてしまう。頑張りすぎという量的な問題は、先に記したように出力ダウンでけっこう解決するだろうが、「生き方を変えよう」という質的な問題となると、はてさてどうしたものか、なかなか思いつかないでいる今日現在。
 稼業の質を変える、百姓仕事の質を変える、アパート管理の質を変える、論文執筆の質を変える、なんて、どうやったらいいのか。こうした課題については、すでに何年も前から取り組み、けっこう変えてきているつもりだから、妙案が浮かばないでいるのである。
 こうしたことをあんまり考えすぎると、かえって心的ストレスがたまり、逆効果となりかねない。今まで何人かのお客様に「生き方を変えよう」と無責任に、気楽に言ってきたが、はてさて自分のこととなると、“弱った、どうしたらいいんだろう?”となってしまった。
 ここは、何か発想の転換をせねばいかんだろう。これは、あせってもできるものではない。そのうち何か閃くのをしばし待つことにしよう。

 ところで、通常、医者から「あなたはがんの恐れあり」とか「あなたはがんになっています」とか言われると、“ガ~ン”と心が打ち砕かれて、シオシオッとなってしまいそうだが、小生の場合は、全然そうした気分にはならなかった。
 医者から最初「がんかどうか検査しましょう」と言われたとき、“自分ががんに罹っているなら、み~んな、がんになっとる。肉体的ストレスも精神的ストレスも、自分はう~んと少ないんだから。”と高をくくっていたのだが、こうして自分だけが(とまでは言わないが)選ばれた存在になったとき、自分では意識していなかったが、“自分は人よりも肉体的・精神的ストレスが多くかかっていたんだろうなあ、きっと。”という気分になっただけで、恐怖心は全く湧かなかった。
 “少しはがんを怖がれよ”といったところだが、これまたどうしたことか。暇ができたら、これについても書いてみよう。
 

12.1 一通りの前立腺がん検査がやっと終わり、治療方針の提示を受け、対処法を決定
 小便の出の悪さが気になってH泌尿器科に掛かり始めたところ、あれこれ検査され、前立腺がんであることが判明し、すでに転移している恐れもあるとのことから、M総合病院送りとなり、またまた検査があり、全部で6つの検査でもって、やっとM総合病院の専門医から治療方針の提示を受けることができたのが、今日、12月1日。今までの検査を順を追って記録に留めておこう。
(10月12日)
 H泌尿器科での初診時にエコー検査があり、これは瞬時に分かるもので、「前立腺が標準値20gであるのに対し、27gと肥大している。膀胱もけっこうボロボロになりかけている。」という説明を受けた。
 “前立腺の肥大はたいしたことないじゃないか”というのが小生の印象。でも、小便の出の悪さと前立腺の肥大は必ずしも因果関係があるわけではないようだ。
(10月26日)
 初診時に血液採取があり、その結果が出て、H泌尿器科医が「腫瘍マーカー(PSA値)が標準値4であるのに対し、あなたは11.99と高い値が出た。ここはMRIを撮って腫瘍の有無を調べましょう。」ということになった。
(11月8日)
 M総合病院でMRIを撮る。これは割と簡単に済む。
(11月10日)
 その画像データを持参してH泌尿器科へ行き、「がんの疑いあり」ということで、後日、生検を受けることになった。
(11月13日)
 H泌尿器科で生検。これが大変。部分麻酔を打って、両側の前立腺の各6か所からサンプル採取。麻酔が切れるまで3時間寝かされ、その後で尿の採取。検体採取で炎症を起こしている前立腺ゆえ、尿の出がとんと悪く、ポタポタとしか尿が出ない。“これじゃあダメだから、管(くだ)を差して尿を取ろうか”と医師が言うも、“時間かけりゃ何とか出るから、管を差すのはご勘弁願いたい”と申し出て、事なきを得る。
 しかし、その後、2~3日間は尿の出が、いと悪し。生検はもうこりごり。
(11月20日)
 H泌尿器科で生検の結果を聞く。これで前立腺がんが確定した(といっても、断定できるものではなく、かなり高い確率でがんであるということになる)のだが、前立腺がんの場合は、リンパ節への転移と骨への転移の恐れがあるから、M総合病院でこの2つの検査を受けるよう促され、その検査を受けることにした。
(11月24日)
 M総合病院の専門医から、小生の、今までの検査から言える、前立腺がんの状態のある程度詳しい説明(H泌尿器科医からは簡単な説明しかなかったが)を受け、転移の有無を調べる2つの検査の日程を決める。
(11月27日)
 M総合病院でリンパ節転移を調べるためにCT検査。造影剤の静脈注射があったが、割と簡単に済む。
(11月29日)
 M総合病院で骨への転移を調べるためにシンチ検査(骨シンチグラフィー)。早朝に造影剤の静脈注射後、いったん帰宅し、3時間後に再度来院し検査。これも割と簡単に済む。

 これで一連の6つもの検査が終了し、今日12月1日、M総合病院の専門医から治療方針の提示(11月24日の説明を含む)を受けることとなった。

 まずグリーソンスコア。前立腺がんの悪性度を評価する指標。生検で採取した組織を顕微鏡で検査したところの組織分類を言うというものだが、片方の6検体は全部陰性だが、もう片方は1検体が陰性だが、5検体が概ね同じでグレードが高く、悪性度は5段階分類で第4段階にあり、悪性度は高いと評価された。時に転移を生ずる恐れあり、という段階にある。

 次にTNM分類。
 前立腺がんの広がり・進行度や転移の有無から、がんの病期を評価するもの。
 T:がんの広がり(T1~T4の4段階)のうち、第3段階にあり、広がりは大きい(前立腺の被膜を越えて精嚢へ少しだけ浸潤している)。
 N:所属リンパ節への転移の有無 → CT検査の結果、転移無し
 M:遠隔転移(所属リンパ節以外のリンパ節、骨、それら以外)の有無
   →シンチ検査の結果、転移無し

 TNM分類を分かりやすく分類したもの
 病期A(ステージⅠ) 偶然に発見された小さながん
 病期B(ステージⅡ) 前立腺の中に留まっているがん
 病期C(ステージⅢ) 前立腺の被膜を越えて浸潤しているが転移は無いがん
 病期D(ステージⅣ) 転移がみられるがん

 小生の場合は、「病期C(ステージⅢ)」との判定。
 して、その治療方針の説明は次のとおり。
 まずはホルモン療法により前立腺がんの増殖を抑制する。ついで放射線療法によるがん巣の削除、場合によっては前立腺(浸潤の恐れのある精嚢も)の除去手術。
 ホルモン療法は早速やったほうがいいと考える。

 以上の提案がなされ、いかがされるかと問われた。小生のそれに対する回答は、次のとおり(11月24日の説明時に大雑把に行った回答を含む)。
 後期高齢者となった今、これまで75年と、もう十分に生きてきたから、早々にがんで死んでもいい覚悟はできている。
 年を重ねるにつれ、脳梗塞を患う恐れが高まってくる。脳梗塞でピンピンコロリと逝ければ最高だが、そううまくはいかず寝たきりになる恐れが大であり、そうなると家族に多大な迷惑をかける。脳梗塞にならなくても、長生きすれば認知症にかかる恐れもあり、これも家族に多大な迷惑をかける。
 そうなる前に、がんで死ねたほうがありがたい。がんはそう苦しまずに、しっかりした意識を持ったまま死ねると聞いているから。
 よって、なんら治療をせず、がんと共生しつつ、この世を去りたい。

 と、まあ、こんな希望を出し、M総合病院の医師から了承をいただいた。
 なお、検査結果や小生の希望は、かかりつけ医のH泌尿器科へ伝えていただけることになり、後日、今飲んでいる薬(尿道を拡張するもの)がなくなりかけたところで、H泌尿器科の医師を訪ね、今後の経過観察法を決めることとした。
(12.22追記)
 昨日、かかりつけ医のH泌尿器科へ行ったところ、ホルモン療法を進められるも、これはお断りし、「前立腺がんはなんら治療せず」でいくことが決定した。

12.7「がんとの共生」のために生活習慣全般を見直そう
 11月26日に次のように書いた。
 今まで頑張りすぎてがんになったのであろうから、まずは自分を自分で褒めてあげようじゃないか、「今までよう頑張って来たな。ご苦労さん。褒めてつかわそう」と。そして、これからの人生は「生き方を変えよう」じゃないか、と過去を振り返って生活習慣全般を見直し、心身ともに無理がかからぬようにすることは当然のことながら、何か前向きな明るく楽しい人生のスタートを切る、となるようにせねばいかんだろう。(中略)
 さて、過去を振り返ってみての生活習慣全般の見直しは、すでに女房と相談し、おおよその方向性はまとまった。そのなかで、自分は決して頑張ってもいない、無理もしていない、という意識であったものが、他人から見れば、頑張りすぎ、無理しすぎ、ということが多々あるようなのである。ここは、素直にその意見に従って、出力ダウン(半分の出力にしたいのだが、なかなかそうはまいらぬが)を一つひとつの事柄について実行あるのみ、ということにして、取り組み始めたところである。これの具体的なことは後日順次記事にしよう。(再掲ここまで)

 今日は「生活習慣全般の見直し」について具体的なこと記事にしよう。女房と相談しながら、今までに考えついたことは次のとおりである。
 まずは稼業の薬屋(化粧品、たばこ販売を兼業)関連
①休業日を2日から3日に5割増し
 7年前、女房が高齢者(65歳)になったのを機に休業日を完全週休2日にし、日・月曜連休としたのだが、それを一歩進め、来年1月から土・日・月曜3連休とする。これによって、営業中の緊張感持続による精神的疲れが緩和されようし、休日に行う百姓仕事を“のんびりゆったり”こなせるようになる。
②年齢識別&新札対応たばこ自販機の導入決定
 タスポが間もなく使えなくなり、運転免許証かマイナカードで年齢識別することになり、併せて新札発行となるから、新機種のたばこ自販機の導入が迫られる。1台80万円もして採算が取れないが、店頭販売は手間がかかり負担となるから、新機種の導入を決定し、楽することに。なお、自販機は2台あるが、新機種導入を機に1台に統合する。
③店頭花壇の永久撤去
 この夏、あまりに長期間猛暑が続いたせいで、店頭花壇のプランターに植え込んでいた夏の草花の多くが枯れてしまい、いったん撤去した。冬の草花を飾る時期に花壇を再開するつもりでいたが、草花の世話はけっこう手間がかかるから、店頭花壇は永久撤去することに。
④石油ストーブの新設
 厳冬期にはエアコンの暖房能力が落ち、店内は寒い。着込んだり、カイロを貼ったりせねばならぬ。快適な暖かさにするため、そうした日には石油ストーブを補助的に使い、寒さ我慢をしなくてすむよう、アラジン型の石油ストーブを置くことにしよう。ストーブ周りでお客様と話をするのも、また楽し、であるゆえ。

 次に、アパート管理があるが、下駄ばきアパートの一角での薬屋稼業につき、これは稼業と一体のものとなるが、改善事項は次のとおり。
①リフォームをしない
 築50年を過ぎたアパートであり、空き部屋は6室あるも、もうリフォームはしない。近隣にけっこう新築アパートがあり、新規入居者は見込めないから。
②新規入居者は基本的に入れない
 1階の店舗従業者用に使っていた2室が空いているが、これ以外には新規入居者は入れないことにする。なお1室きれいな部屋があるが、これは何かの非常用に残しておく。

 3つ目は、百姓であるが、10年ほど前から省力化を検討し、2年ほど前から本格的に「手抜き農法」に取り組んでいる。それをさらに一歩前進させることに。
①丸一日の農作業を半日化
 今までフルパワーで丸一日農作業をすることが多かったが、肉体的ストレス軽減のため、半日で切り上げることにする。店の休業日を週2日から3日にしたことによって、これは実現できよう。なお、予定した百姓仕事がこなせないときは、店の営業日を遠慮なく使うことにしよう。月初め以外は店は暇だから。
②畑全面作付けを順次縮小
 自宅前の畑(果樹園を含む)と須賀前の畑、ともに約400㎡あり、体力的に持て余し気味となってきている。来季の夏野菜から空き畝を順次作り、畑の淵と同様に草刈機による草刈管理だけの畝を増やしていこう。
③苗づくりを順次廃止
 夏野菜の苗づくりで手間のかかるもの(白ナスが群を抜いて手間がかかる)を順次廃止し、苗購入で代替する。
④株間の拡大
 今まで単位面積当たりの収量を十分に上げようと、株間を気持ち狭くしていたが、これを広く取り、作付けの手間を減ずることにする。
⑤新規栽培品種の作付けはしない
 落花生を予定していたが、止め。今後とも新規栽培品種の作付けはしない。
⑥果樹の本数及び樹形の縮小
 果樹は剪定作業が必ず必要で、特に柿の木が面倒だ。先日庭師に1本伐採してもらったが、毎年1本伐採し、柿の木は無しにしよう。柑橘類と梅の木は毎年の剪定が楽になるよう、樹形の縮小をしよう。
 以上、ここに強く宣言しておく。
 こうでもしないと、①以外は反故にしてしまいそうだから。

 4つ目は、情報発信に関すること。当店お客様へのDMは欠かせないから、これは引き続き行うが、ホームページやブログ(8本)の更新は極力減らす。
 今まで、新規の情報を頻繁に発信しようと悪あがきしてきた感がする。ここは背伸びしないことだ。冷静になって考えてみるに、精神的ストレスがかかりすぎているのではないか。
 毎日のように発信するのは“一日一楽日記”だけにし、後は順次「休止」へ。

 以上が、現時点での生活習慣全般の見直しであるが、これをきっちり実行すると、“暇で暇で困ってしまう”となりゃせんか。何かやっていないと落ち着かない、という性分ゆえ、そのように危惧されるところである。
 何か新たな趣味でも作って穴埋めするとなると、毎日が忙しくなって、元の木阿弥となってしまうだろうし…。困ったことだ。
 ここは、一つひとつの作業を「ゆっくり、のんびり」やって時間を潰すしかないか。ということで、何事も「ゆっくり、のんびり」することにしたいが、加えて何事も「楽しく」やっていきたいもんだ。

12.9「がんとの共生」のため「生き方を変えよう」 第1弾は「週休3日」の有効活用
 小生の前立腺がんは、医師の判定では「悪性度は5段階分類で第4段階と高い。病期は4段階分類でC(ステージⅢ)と高い。」というものだが、他のがんと違って、前立腺がんは一般に進行が極めてゆっくりなようである。
 男の場合、がん罹患数のトップ4は、前立腺、大腸、胃、肺で、他の部位を大きく引き離している。死亡数は、肺がダントツで、大腸、胃と続き、これがトップ3で、がん死全体の5割を占める。以下、膵臓、肝臓、そして前立腺と続き、前立腺は全体の6%。この統計からしても、前立腺がんは「罹患すれど死ぬことはさほどでない」となる。
 病期が一番上の段階「D(ステージⅣ)=転移がみられる」であっても、5年相対生存率は65.6%、10年相対生存率は45.0%と高く、そうそう死ぬものではない。小生のステージⅢにあっては、10年相対生存率は98.5%と“死ぬことは極めてマレ”となる。しかし、前立腺がんの死亡者数はけっこうあり(がん全体の6%)、ステージⅢがやがてステージⅣに進んでお陀仏となる可能性は、ままあることになろうというもの。

 さて、ステージⅢのがんが見つかったところで、今までどおりの生き方、生活習慣を続けていけば、やがてステージⅣへ進むと考えたほうがよかろうし、ここで「生き方」と「生活習慣」を改めれば、がんはステージⅢで留まってくれる、と考えてよかろうというものだ。
 「生活習慣」の見直しについては、11月26日の記事に書いたように、これは容易なのだが、「生き方」を見直して「生き方を変えよう」というのは、具体的にどうすればいいのか、容易には思いつかないでいた。
 小生は、65歳になった頃に、仕事は無理せず、楽しく毎日を過ごそうと、この“一日一楽日記”を付け始め、心身ともにストレスから解放された人生を送ってきたつもりであり、もう10年も前に「生き方を変えよう」を実践してきたつもりでいるのである。ここにきて、この10年とはまた違う形に「生き方を変えよう」としても、すでに実践済みなんだから…となってしまい、新たな質の異なる「生き方」はそうそう思いつくものではない。

 ところで、「生活習慣」の見直しについては、「12.7「がんとの共生」のために生活習慣全般を見直そう」で具体的にあれこれ書いて、今、実行しつつある。
 
その最大のものは、来年1月からの薬屋稼業の休業日数増大である。7年前に女房が高齢者になったときに完全週休2日にしたのだが、もう1日増やして週休3日にすることにしたことだ。今までの日・月曜日に土曜日を加え、毎週「土・日・月曜日」の3連休にするというもの。

 さて、1日増えて5割増しとなる休業日を何に使うか。
 これをあれこれ思いめぐらせていたところ、“そうだ、毎月1泊2日で女房と湯治にでかけりゃいいんだ!”と思いついた。夫婦そろって温泉大好きであるゆえ。今までは年に4回ほどしか出かけられなかったが、これは、女房も慢性心不全という病を抱えているがゆえ、連休日に計画的に家事雑用をこなすも、1泊旅行で2日間つぶれてしまうと他の週に家事雑用がシワ寄せされ、体力的能力いっぱいいっぱいになってしまうゆえ、毎月はとても出かけられなかったのである。それが、週休3日となれば、家事雑用に余裕ができて、毎月湯治に出かけられるというものだ。
 女房にそう話をしたら、“いいわね、出かけられるわ、楽し~い!”との返事がすぐに返ってきた。“さあ、どこへ行こうか。計画するだけでワクワクする!”

 ここで思った。“楽し~い!ワクワクする!”ということが「生き方を変えよう」ということに直結するのではないか、と。今まで、そうそう“楽し~い!ワクワクする!”という出来事がなかったのだが、“楽し~い!ワクワクする!”ということが頻発すれば、それは「生き方を変えよう」ということになった証拠、と言えるのではないか。
 こうして、「がんとの共生」のため「生き方を変えよう」 第1弾は「週休3日」の有効活用。まずは、これをオーバーに喜んで、“楽し~い!ワクワクする~!”と、子供のように大はしゃぎすることにしよう。
 そして、なかなか思いつかないでいるが、“楽し~い!ワクワクする!”第2弾を、またゆっくり考えようじゃないか。

12.10「がんとの共生」をするために漢方薬と健康食品をしっかり飲もう
 自分の体に見つかった前立腺がんとの「がんとの共生」をするために、以前からどれだけかは飲んでいる漢方薬と健康食品を、この際、全面的に見直しを行い、良いものをしっかり飲むこととした。
 今まで、がんにいいものをあれこれ飲んでいれば、がんに罹ることはない、と勝手に思っていたのだが、そうは問屋が卸さなかった。
 銀杏葉エキスは抗酸化作用が強いからがん抑制になる。マルチミネラル(特に亜鉛とセレン)は免疫強化になるからがん抑制になる。クルクミン(吸収効率のいいナノ粒子)は抗がん作用がある。各種文献でそのような臨床データが出ているようだ。
 今まで、これらを別目的で飲んできた。自分の体にいいというよりは、お客様に当店推奨品として力を入れて売っているから、その手前、自分も飲まなきゃお客様に申し訳ない、といったことからである。しかし、小生はがんに罹患したのだから、抗酸化や免疫強化などはたいして当てにならないことを思い知らされた、といったところだ。
 自分の体の欠陥としては、排尿障害(尿の出が悪い、頻尿)があり、これに関しては、八味地黄丸(これに2味を足した腎氣丸)とペポカボチャの種(食品:ナッツ)、そして間接的に効く鹿茸&紅参(腎の滋養)をしっかり飲んできた。この3つの組み合わせは、まあまあどれだけかは効く感がしていた。

 
 ところで、当店のお客様で、もう10年ほど前のことであるが、前立腺がんを患い、リンパ節への転移もしていた80歳の方(5年生存率6割強)の息子さんから、医者が出す薬や手術などの治療なしで長生きできる方法はないかと相談があり、4点セットをお勧めした。
①がん患者はたいてい低体温になっているから、体を温める力が強いエゾウコギ(俗称:シベリア人参)製剤
②あらゆる健康の基本は腸内環境の改善(免疫適正化と腸内発酵による体温アップ)にあるから整腸剤(酪酸菌を含むもの)
③代謝アップと免疫力を高めるための総合ミネラル剤
④ストレスで大発生する活性酸素を消す銀杏葉エキス
 4点ともなると、なかなか毎日ずっととは参らず、途中から第1に必要とする①エゾウコギ製剤のみになってしまったが、親父さんの体調がぐ~んと良くなったようで、3年後には、がんの心配はしなくてよくなり、もう何もいらない、と息子さんから連絡があり、その後の親父さんのがんの状態は分からなくなったが、低体温解消だけでけっこう効果があると感じた次第である。
 その後、がん相談のお客様はそう多くはないが、第1に低体温解消を強くアドバイスしているところである。もっとも、「がんとの共生」さらには「がんの消滅」へと持っていくには、心の持ち方が最重要で、がんと戦うのではなく、がんと仲良くし、さらには「がんになって良かった」と感じる、これは「生き方を変えよう」がうまくいった結果ということになろうが、そうした心のケアに重点を置いてきたが。

 
 さて、小生の前立腺がんであるが、このがんは他のがんに比べておとなしいがんである上に、小生の進行度は4段階の3番目であって、10年生存率は100%に近く、余命いくばくもない年(75歳)になっているんだから何も心配するものではない。
 でも、薬屋という稼業を行っているのだから、あれこれ漢方薬と健康食品を使って、あわよくば「がんの消滅」ができないか、その臨床実験をするのも面白かろうと、しっかり漢方薬と健康食品を飲むこととしたところである。

 まずは、がんのお客様にお勧めしている4点セット
①体を温める力が強いエゾウコギ(俗称:シベリア人参)製剤
 加齢とともに低体温傾向になっているのは間違いなく、今までほとんど飲んだことがなかったが、しっかり目安量どおり(または5割増し)飲むこととした。
②整腸剤(酪酸菌を含むもの)
 自家採取の野菜を毎日たっぷリ食べているから腸の調子はいいようだから、整腸剤は今まで飲んだことはないが、より腸内環境をよくするために毎日目安量どおり飲むことにした。
③代謝アップと免疫力を高めるための総合ミネラル剤
 従前どおり毎日1回目安量を飲む。
④ストレスで大発生する活性酸素を消す銀杏葉エキス
 従前どおり目安量の2倍を毎日、朝晩2回に分けて飲む。加えて、晩に飲むものには抗がん作用があるクルクミン(吸収効率のいいナノ粒子)も配合されている。

 これらの他に、排尿障害(尿の出が悪い、頻尿)に関するものも見直しをした。
①八味地黄丸(これに2味を足した腎氣丸)
 従前どおり満量を毎日3回飲む。
②ペポカボチャの種(食品:ナッツ)
 夕飯時にけっこうな量を毎日を食べているが、満腹になりすぎるから、そのエキスに他の有効成分(体を温める等)を加えた健康食品に切り替えることにした。
③間接的に効く鹿茸&紅参(腎の滋養)
 従前どおり毎日しっかり(満量の少なくとも半分)を飲む。

 これに加えて、健康保持に飲んでいる漢方薬や健康食品の見直しをした。
①筋肉の保持と強化のための健康食品
 これは百姓を続けるために飲んでいるもので、HMBCaを主成分とする筋肉強化のためのものと、筋肉・関節の原料となるコラーゲンを引き続き飲用。
②肝機能などの維持のための健康食品
 田七人参(三七人参)を主成分とする漢方薬(扱いは健康食品)1日1包を毎日飲んでいたが、満量の2包に増量して飲用することに。
③体(特に細胞)の若返りのための漢方薬と健康食品
 亀の甲羅、鹿の角などを配合した漢方薬(扱いは健康食品)を目安量どおり飲んでいるが、これを引き続き飲む。この他に、米発酵エキス、牡蠣エキスなど5成分を配合した、新たな健康食品を目安量の半量飲むことにした。
④高血糖抑制健康食品
 ヤーコン茶を毎日少量飲んでいただけだが、ヤーコン葉+桑葉エキス粉末を1日1包(食事は夕食の1回しか取らないゆえ)飲むことにした。

 さて、以上のもろもろに加えて、漢方で最高の高貴薬「牛黄」も飲むことにした。牛黄は滋養強壮薬の王様ともいえる生薬で、消炎効果も高く、がんの進行を食い止めてくれる効果も期待できようというもの。その牛黄は中国で需要が増大している上に投機対象になっており、価格は高騰を続けていて、メチャ高価なものとなってきているが、牛黄製剤(牛黄+人参)を、満量の半分(朝2カプセル)を飲むこととした。

 これからは随分といっぱい飲むことになるが、全部の価格はしめていくら?となると、牛黄製剤だけで1か月分約6万円にもなる。これにはビックリさせられる。当店のお客様で牛黄製剤を疲労回復(即効的に効く)のためにときおり飲んでおられる方が2名いらっしゃるが、1か月3万円くらいのもの。もっとも、我が女房となると、慢性心不全を抱えているゆえ、心臓の苦しさから脱却するために1日3カプセルを飲んでいるが。
 で、小生の場合、全部で1か月分いくらになるかというと、計算するのが怖い!
 まあ10万円は軽く超えるということにはなろうが、牛黄製剤で体はきっと元気この上ないとなろうし、がんのほうも少なくとも現状維持で留まってくれると思う。そう考えれば10万円は高くない、と言えよう。同業者には、月20万円もお買い上げいただけるお客様もざらにいるというし、本人(経営者)でそのくらい飲んでおられる方も何人かいらっしゃる。それに比べれば、おやさしいもの。
 牛黄製剤を飲み始めて2週間になるが、体が元気になったのを実感している今日この頃である。おおいに健康に投資しよう! 半分、破れかぶれだが。

(2024年)
1.17 「がんとの共生」のため「生き方を変えよう」 第2弾は「同級生と遊び惚けよう」
 薬屋家業をするなかで、これまで20年以上、がんに関して幾冊かの本を読み、ネット情報を拾ったりするなかで、がんは無治療でいったほうがいいと感じている小生である。
 つまり、がんは、外部からの侵入者・せん滅すべき対象では決してなく、自らの体の一部であって「がんとの共生」をすべきものであり、がんがこれ以上暴れることなく、おとなしくしてくれる、これを願ったほうがいいと思うようになったのである。そうすれば、場合によっては、がんが自然と縮小、消滅してくれることさえあるようだ。
 そのためには、きっと今まで頑張りすぎてがんになったのであろうから、まずは自分を自分で褒めてあげようじゃないか、「今までよう頑張ってくれたな。ご苦労さん。褒めてつかわそう。ありがとう。」と。
 そして、これからの人生は「生き方を変えよう」じゃないか、と過去を振り返って生活習慣全般を見直し、心身ともに無理がかからぬようにすることは当然のことながら、何か前向きな明るく楽しい人生の再スタートを切る、となるようにせねばいかんだろう。
 早い話、「がんになってよかった。新たな生きがいのある人生が始められた。」となればいいのである。けっこう多くの方が、そうやって「がんとの共生」をされているようだ。

 「生活習慣」の見直しについては、11月26日の記事に書いたように、これは容易なのだが、「生き方」を見直して「生き方を変えよう」というのは、具体的にどうすればいいのか、容易には思いつかないでいた。
 小生は、65歳になった頃に、仕事は無理せず、楽しく毎日を過ごそうと、この“一日一楽日記”を付け始め、心身ともにストレスから解放された人生を送ってきたつもりであり、もう10年も前に「生き方を変えよう」を実践してきたつもりでいるのである。ここにきて、この10年とはまた違う形に「生き方を変えよう」としても、すでに実践済みなんだから…となってしまい、新たな質の異なる「生き方」はそうそう思いつくものではない。
 ところで、「生活習慣」の見直しについては「12.7「がんとの共生」のために生活習慣全般を見直そう」で具体的にあれこれ書いて、今、実行しつつあるが、その最大のものは、今年1月からの薬屋稼業の休業日数増大である。7年前に女房が高齢者になったときに完全週休2日にしたのだが、もう1日増やして週休3日にすることにしたことだ。今までの日・月曜日に土曜日を加え、毎週「土・日・月曜日」の3連休にするというもの。

 そこで、1日増えて5割増しとなる休業日を何に使うか、これをあれこれ思いめぐらせていたところ、“そうだ、毎月1泊2日で女房と湯治にでかけりゃいいんだ!”と思いついた。夫婦そろって温泉大好きであるゆえ。今までは年に4回ほどしか出かけられなかったが、これからは時間的余裕ができて、これが実現できそうだ。
 女房にそう話をしたら、“いいわね、出かけられるわ、楽し~い!”との返事がすぐに返ってきた。“さあ、どこへ行こうか。計画するだけでワクワクする!”
 ここで思った。“楽し~い!ワクワクする!”ということが「生き方を変えよう」ということに直結するのではないか、と。今まで、そうそう“楽し~い!ワクワクする!”という出来事がなかったのだが、“楽し~い!ワクワクする!”ということが頻発すれば、それは「生き方を変えよう」ということになった証拠、と言えるのではないか。
 こうして、「がんとの共生」のため「生き方を変えよう」 第1弾は「週休3日」の有効活用。まずは、これをオーバーに喜んで、“楽し~い!ワクワクする~!”と、子供のように大はしゃぎすることにしよう、ということに相成った。

 さて、なかなか思いつかないでいた“楽し~い!ワクワクする!”第2弾は、昨年12月に小学校の当地区在住の同級生と(わずか3人だけであるが)、急遽行った忘年会がほんと楽しかったことから、こうした会を頻繁に開催し、「同級生と遊び惚けよう」と思いついた。
 そのきっかけは、昨年10月に小学校下の男だけでの飲み会(約10人)を行ったのだが、その会で「来年からは奇数月の第3日曜日の10時に小学校下の男だけ集まって喫茶店で懇談する」ことになったことだ。そのときは、年に6回も日曜日が半日も潰れ、百姓仕事に支障が出るからと、あまり乗り気ではなかったが、店の定休日を1日増やしたから、これは十分に対応できることになり、今では大乗り気と小生の心が変異した。
 でも、これだけでは、いかにも少なすぎる。もっと行事を増やさなきゃ。
 偶数月にも何か計画したほうがいい。10月の飲み会は料理好きなS君宅でバーベキューを行ったのだが、これは8月にやればいい。S君も了承済みだから。他の月は、例えば一部の者で麻雀を打ったり、魚釣りに出かけたり。これは奇数月の喫茶店での懇談のとき決めればいいじゃないか。
 こうした“楽し~い!ワクワクする!”ことを大いに計画すると、“こりゃ面白い”となる。「がんになってよかった。新たな生きがいのある人生が始められた。」となるは必至。

 以上は、地元小学校の「同級生と遊び惚けよう」であるが、同級生は他にもいる。大学時代の寮の同級生が首都圏に何人かいる。彼らと少なくとも年に1回は飲み会をやりたい。地方から参加するのは小生と京都在住のT君となろうが、幹事のN君に頼めば二つ返事で開催が決まるだろう。それと、しばらく中断している寮生同窓会の再開だ。これは幹事のO君から、先日、10月開催の案内が来たから、これも楽しみにしている。

 同級生は皆、後期高齢者になったんだから、片足を棺桶に突っ込んだ輩ばかり。余生を大いに楽しもうじゃないか。これでいいのだ!
 小生、生涯現役でファーマー・ファーマシー(百姓と稼業の薬屋)を貫徹するのが半分、後期高齢者として遊び惚けるのが半分、これでいいのだ!
 ますますワクワクし、楽しくなった。
 これって、きっと「生き方をかえよう」になっているんじゃないか。

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フキノトウに含まれる苦み成分ペタシンが、がん細胞の増殖と転移を極めて強く抑制する

2021年09月02日 | 癌(がん・ガン)

フキノトウに含まれる苦み成分ペタシンが、がん細胞の増殖と転移を極めて強く抑制する

 今朝の岐阜新聞ネットニュースを見ていたら、あっと驚く“天然抗がん剤”が見つかったと報道されていました。そこで、原典を探したら、2021年9月2日(木)2時(日本時間)にThe Journal of Clinical Investigation誌のオンライン版で発表された下記のものでした。
 図表にもありますが、たいていのがんに効くことが分かり、かつ副作用がわずかとのこと。

 日本原産フキノトウからがんの増殖・転移を強く抑制する物質を発見(国立大学法人東海国立大学機構 岐阜大学)

 岐阜新聞ニュースによると、発見のいきさつは次のとおり。
 「研究は、正常細胞にはほとんど影響せず、がん細胞のみに選択的に毒性を示す創薬をテーマに着手。同大学院とカー用品メーカーのシーシーアイ(関市)が共同で作成した植物由来の化学成分ファイトケミカルのデータで、フキノトウからとった成分が高い抗がん効果を示していたことから、効き目の正体に注目し、ペタシンを突き止めた。」(引用ここまで)

 なお、論文の最後のほうに、【今後の展開】として「本研究で同定したペタシンは強い抗がん効果と安全性を兼ね備えたユニークな化合物であり、…ペタシンは人工的に大量合成できるため、ペタシンを基礎とした新しい抗がん・転移阻害薬の開発が期待されます。また、安全性が比較的高いことから、ペタシンおよびペタシンを含む植物抽出物はがん予防への応用も考えられます。」とあり、これはきっと「がん予防健康補助食品」にもなり得るのではないでしょうか。

 がん治療やがん予防に革命的変化を起こすかもしれませんね、期待されます。

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がんは敵じゃない。がんは「話す」。がんの言い分を聴くことです。

2018年07月07日 | 癌(がん・ガン)

 がんは敵じゃない。がんは「話す」。がんの言い分を聴くことです。

 こうおっしゃるのは、長年、消化器系のがん除去手術を行ってこられた船戸崇史医師。
 がん細胞をきれいに除去すればがんは治るものと最初は思っておられたものの、「がんができる原因を取り除かなければ治したことにはならない」という結論に達し、岐阜大学病院を辞めて、船戸クリニックを開業されました。
 氏も「10年前、有り難いことに私もがんになりました。本当にめでたいと思いました。」と述べておられるのですが、これで、がん患者の気持ちも分かり、がんの原因除去の治療法も確立できたというものです。
 がんが、がんを患った方に話しかけます。
 『あなたの生き方はそうじゃないでしょう?』
 そういう魂の呼びかけ、『変わりなさい』と、がんは言っている。
 氏は、今年、リボーン洞戸という、がん予防滞在型リトリート(がん治療も実施)もオープンされています。

 こうした「がんの原因除去」という療法を、がん患者の相互扶助で行っている集まりは、以前に紹介した次のものがあります。
 2013.05.12 がん患者の相互扶助でがんを自然治癒させてしまうNPO法人「いずみの会」「いのちの田圃の会」に驚愕!

 船戸崇史医師の治療法は、それと共通するものが多いかと思われます。
 氏の講演録が、時折このブログで紹介している「みやざき中央新聞」の2018年6月25日号に掲載されていましたので、それを下に貼り付けておきます。ご一読ください。
(みやざき中央新聞:一般的なローカル紙とは全く異なり、“心温まる、勇気をもらえる、感動した!”という内容の、全国各地で開かれた講演会の講演要旨を中心とした紙面編集となっていて、月4回発行の“全国紙”です。口コミで全国に愛読者がだんだん増えているようです。小生もその一人です。)

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2014.11.22 注目される、がんの心理療法=サイモントン療法
2013.09.23 がんを治すには肩の力を抜くにかぎります:ただしい人からたのしいヒトへ(小林正観著)の紹介
2013.09.01 論より証拠のガン克服術(“がん患者の駆け込み寺”NPO法人いずみの会:中山武著)の紹介
2013.01.26 がんは、日本文化「今を感謝して受け入れ、今に集中する」を素直に受け入れれば治るんです。
2011.09.13
治癒した人から分かった「ガンを治す心」(ガンも心身症の一つ:無理をしない自然な生き方を)

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がんを患った友人をどうやって治癒へ向かわせる手助けができるか

2018年05月31日 | 癌(がん・ガン)

がんを患った友人をどうやって治癒へ向かわせる手助けができるか
(最新更新:2018.9.22)

 小生の50年来の友人が、高齢者となってから急性骨髄性白血病を発症したのが昨年の今頃のことであった。
 マニュアルどおりの治療を大病院でしてもらうこととなり、抗がん剤でがん化した白血球を徹底的に叩くことになった。それによって感染症を拾う恐れが多分にあるから、面会謝絶となる。よって見舞いには行けない。
 また、検査の過程で、けっこう重症な腎臓病であることも判明したのだが、これの治療法はないとのことで、放置されることとなった。
 高齢者の白血病治療となると、助かる率は大きくはない。加えて腎臓病も併発しているのだから、めでたく退院となることは望み薄と思われた。
 そこで、彼が心の整理をきちんとできるよう、これはいいぞと思われる本、薬屋稼業という仕事がら、お客様への贈呈用にしようとストックしている本のなかから選んだ2冊を病床で読んでもらうことにした。心の安寧が何とかして得られないかと考え、そうすることにした次第である。
 その後、半年ほどが過ぎ、運よく無事(半分強引だが)退院できたとの電話があったのが年末であった。しかし、超遠方であるからして見舞いに行くのは3月を予定した。そして、見舞い代わりに、腎臓のほうは医者に見放されているから、腎臓の滋養強壮にいい漢方薬「鹿茸製剤」の大箱を送っておいた。
 それをたぶん飲み終わった頃、続けてそれを飲まないかと電話しようと思っていたところ、彼の奥さんから、再入院となってしまったとの電話があった。2月のことだった。
 彼の場合、2つの病気を抱えて再入院となると、これはもうお陀仏だろう。彼に今度会えるとなれば、それは葬儀での死に顔となりそう。
 そうしたところ、数日前に彼から元気な声で電話があり、“退院できました。体の調子は良く、食事もうまい。腎臓のほうも検査数値がぐんと良くなりました。”とのことであった。
 “今度会えるのは葬式のときかと思っていた。よかったなあ。俺、あれこれ用事があって、会いに行けるのは来月下旬となるが、待っててくれ。”と返事をしたところである。
 さて、見舞い代わりに何か送らねば。腎臓が持ち直したとなれば「鹿茸製剤」は置いといて、がんにいいと言われる健康食品を飲んでもらおうということにし、数日前に送ったところである。
 そして、一筆したためておいた。
 がんは、どちらかといえば「心の病」と捉えたほうがよく、免疫力を高める健康食品は気休めにしかならないと思うが、どれだけかは「心の支え」になってくれるであろうから、無駄にはならないであろうというものだ。
 で、何としたためたか。それを以下に紹介しよう。(個人情報保護のため一部改変) 

〇〇様、あらためてご退院お喜び申しあげます。
急性白血病の発症のうえに、けっこう重症な腎臓病までもが見つかって、案じておりましたが、幸運にも腎臓のほうは大きく改善したようで何よりです。
差し上げた「霊鹿参」がいくら腎臓に効くと言っても、1箱飲んだくらいでは、そこまでの改善力はなく、これはきっと〇〇さんの自然治癒力がまだまだ大きかったからでしょう。
あとは血液のがんの再発防止です。がんに対する免疫力のアップをせねばなりません。これもご自身の自然治癒力のアップということになりますが、同送しました「参霊茸」がどれだけかのお役に立つのではないかと思っています。
お見舞いがわりに、とりあえず送らせていただきました。
これは、10数年以上前から売られている健康食品ですが、発売当時、がんに対する免疫力を向上させる効果があると言われていた「田七人参」「霊芝」「アガリクス茸」の原末をブレンドしたものです。
たいへん飲みにくいものですが、良薬は口に苦しで、1日2~3包(目安量は3包)お飲みなってみてください。
なお、がんからの脱却は「生き方を変える」つまり「心身ともにストレスがかからない生き方」が何といっても重要になります。
がんに罹った人は、「こころ」か「からだ」あるいはその両方に長期間知らず知らず過剰なストレスがかかり続けた結果として発がんした、というケースが大半です。
よって、「自分は今まで十二分に頑張った。」と自分で自分をほめてやり、「そのような頑張りはもう必要ない。なぜならば、一生分の頑張りは今までにやりつくしたであろうから。」と捉えて、これからは『悠々自適有限会社』の人生、つまり「毎日余裕をもって暮らすにつきる」という生き方に変えれば、がんのほうから逃げていく、ということになりましょう。
それでは、来月下旬にお会いできるのを楽しみにしております。
平成30年5月26日

                              三宅和豊

 

 と、いうふうに対処したところですが、見舞いに行く頃に再々入院となってしまいはしないかと気をもんでいるところです。来月下旬に彼に無事に会うことができたら、贈呈した本の効果なりなんなりを追記することとします。

(6月30日追記)
 当方3人(従兄弟同士)で26日に白血病治療中の彼のところへ見舞いに行ってきた。ここのところ体調がよく、何を食べてもおいしいとのことで、従業員数名を抱える会社社長として職場へもちょくちょく顔を出しているとのことであった。なによりである。奥さんの話では、彼は頑張りすぎるのでブレーキを掛けるのが大変だそうだ。これは性分として何ともならないかもしれない。
 怖いのは感染症を拾うことであり、マスクをしていたほうがいいのだが、うっとおしくて、あまりしていないようであった。
 当初の予定では、夕食は当方3人でホテルの近くで料理屋を探して食べることにしていたが、彼は体調がいいからと、奥さんも加えた5人で料亭を予約してくれており、3時間強も付き合ってくれた。
 進呈した自然治癒力アップのための「参霊茸」については、飲みにくくて飲みたくないようであったので、続けなくてもいいよ、と返事したところである。
 というようなわけで、彼に備わった自然治癒力が今のところ大きく働いているようであった。

(9月22日追記)
 彼の奥さんから電話あり。主治医から旅行に出かけてもよろしいとの了承を得て、1週間前に泊りがけの旅行を楽しんだ帰りに急に発熱。急きょ入院して治療を受けるも帰らぬ人となった。
 奥さんの話では、小生が見舞いに行って以降、ずっと元気で、あまりにも突然の出来事で、信じられないとのこと。
 享年70。ちと早いが、旅行を楽しみ、入院わずか1週間でピンピンコロリと逝けたのだから、当人も満足しているのではなかろうか。

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がん細胞に“ありがとう”と真から言えれば、不治のがんも治ってしまう!

2015年11月19日 | 癌(がん・ガン)

がん細胞に“ありがとう”と真から言えれば、不治のがんも治ってしまう!
(最新更新 2018.7.7)

 みやざき中央新聞というローカル紙があります。以前にも紹介しましたが、一般のニュース報道ではなく、“心温まる、勇気をもらえる、感動した!”という記事ばかりです。
 1か月に4回発行され、当店ではその中から2~4つの記事を選び出し、毎月のお客様へのDMに両面刷り1~2枚を同封しています。
 その中から久し振りにブログアップしました。2015年11月2日号の社説です。

 手術不能、余命1か月と宣告され、痛くて苦しい治療を3回受けられたものの、これで治癒したとは思われません。でも、奇跡的に10か月後にがんがきれいに消えたのです。
 それは、表題にしたとおりでして、詳細は11月末に発刊される工藤房美著「遺伝子スイッチ・オンの軌跡」をお読みくださいとのこと。その著の概要が下の社説です。
(クリックし、読みにくければ、もう1回クリックしてください。)

 がんを患い、不治の病と宣告された方、みやざき中央新聞を定期購読されるとともに本書をお読みになることをおすすめします。
 なお、これは奇跡でも何でもなく、“ありがとう”と真から言えるようになれば、誰でも知らぬ間にがんは消えてしまうものなのです。
 このブログでも、そうした例を幾つか紹介しています。

 治癒した人から分かった「ガンを治す心」(ガンも心身症の一つ:無理をしない自然な生き方を)
 注目される、がんの心理療法=サイモントン療法
 がんを治すには肩の力を抜くにかぎります:ただしい人からたのしいヒトへ(小林正観著)の紹介
 論より証拠のガン克服術(“がん患者の駆け込み寺”NPO法人いずみの会:中山武著)の紹介
 がん患者の相互扶助でがんを自然治癒させてしまうNPO法人「いずみの会」「いのちの田圃の会」に驚愕!
 がんは、日本文化「今を感謝して受け入れ、今に集中する」を素直に受け入れれば治るんです。
 がんは敵じゃない。がんは「話す」。がんの言い分を聴くことです。

 なお、別立てでホームページを開設しています。がん対策についてまとめたページは次のとおりです。併せてご覧ください。
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がんは転移するものではなく、仕掛けられた時限爆弾が時間差を置いて爆発するだけ

2015年04月04日 | 癌(がん・ガン)

がんは転移するものではなく、仕掛けられた時限爆弾が時間差を置いて爆発するだけ

 このブログの中でも、「がんは転移する」ことを前提に記事を書いてしまったことがありますが、このことについては常々疑問を感じていました。
 といいますのは、毎日、誰しも体のそこら中でがん細胞ができ、たいていは直ぐに“これは異常な細胞である”と免疫細胞が感知して破壊してしまうと言われているのですが、それが不完全にしか行われない場合には段々と腫瘍として塊が成長するのですから、その腫瘍は特定の臓器に限られたものではないでしょう。
 そして、がん体質といいますか、免疫細胞のがん破壊能力が落ちている場合には、あちこちで腫瘍ができ始めることでしょうが、それらが均等に生長するのはまれで、暴飲暴食であれば胃なり腸なりで真っ先に腫瘍が生長すると考えた方が素直な感じがします。
 さらには、胃でできたがん細胞は、胃という器官に特有の、消化機能を特化させた細胞の異常細胞ですから、それが剥がれ落ちて、例えば肺へ漂着して肺がんを作ろうとしても、そこは肺に特有の、呼吸機能を特化させた細胞群であり、これとは全く異質である胃の細胞を元にして腫瘍を作ることは不可能なのではないでしょうか。たとえ異常な細胞であったとしても、肺の一部を胃に変えるなんてことは神技すぎます。

 この疑問を解き明かしてくださったのが、このブログで最近何回か登場願っているい新谷弘実医師です。今回も氏の著「病気にならない生き方」から抜粋して、このことについて紹介することにします。
 なお、新谷氏は内視鏡外科の先駆者であり、たぶん世界一の臨床例(著書発刊時で日本人・米国人合計30万例)をお持ちで、胃がん、大腸がんを中心に豊富ながん治療経験をお持ちの方で、患者がどんな食事をしてきたか、その食歴をヒアリングし、それをがん治療後の食生活指導に生かされておられます。(以下、引用開始)

 異常な細胞が増殖して組織が塊になったものを「腫瘍」(しゅよう)といいます。さらに、腫瘍のなかでも、湿潤や転移をせず、成長に限界があるものを「良性腫瘍」といい、そうでないものを「悪性腫瘍」といいます。この悪性腫瘍を「ガン(癌)」と呼ぶのです。そして、最初に腫瘍ができた臓器や部位の名称を冠し、「大腸ガン」「肺ガン」「肝臓ガン」「乳ガン」というような病名がつけられます。
 ガンと診断されたとき、真っ先に心配するのは「転移」があるかどうかでしょう。転移があると、外科手術で病巣部をすべて取りきることがむずかしく、完治はむずかしいといわれているからです。
 転移というのは、最初にガンができたところとは別の場所に、ガンが現れることです。なぜガンが転移するかということについては、一般的にはリンパ腺や血管を通してガン細胞が他の臓器に運ばれ、そこで増殖するからだといわれています。でも私の考えは少し違います。私は、最初にどこか1か所にできたガン細胞が増殖する過程で他の臓器に飛び火するとは考えていません。
 通常、ガンが発見されるのは、小さくても直径1センチ程度の腫瘍に成長してからです。ガンの腫瘍は、1つのガン細胞が増殖してできたものです。わずか1センチの腫瘍でも、それを形成する細胞の数は何億にもおよびます。
 ですから、そこまで増殖するのに要する時間はけっして短いものではありません。ガンが生活習慣病である以上、どこかでガンができたということは、そのあいだに、腫瘍にまで成長していないガン細胞がすでに全身で生まれていると考えられます。目に見えないからといって、ガンがないと考えるのは危険です。
 日々の生活によって体内に蓄積された「毒」は、まるで時限爆弾のように全身の細胞に仕掛けられているのです。その無数にある爆弾のどれが最初に爆発するかは、その人の遺伝的要因や、生活環境などによって違います。食品添加物や農薬を使って育てたものばかり食べていた人は、解毒をつかさどる肝臓に仕掛けられた爆弾が最初に爆発するでしょう。食事時間が不規則で、お茶や胃薬をよく飲んでいた人は、胃の爆弾が破裂するかもしれません。でも同じような生活をしていても、遺伝的要素が違えば、爆弾の破裂する箇所は違うかもしれません。つまりガンは、どこか一部だけが侵される「局所病」ではなく、体全体が侵される「全身病」だということです。
 それが体のあちこちに「転移」したように見えるのは、全身に仕掛けられた爆弾が、時間差で次々と爆発していくからでしょう。
 そう考えると、現在の原発病巣をリンパ管や血管まで含めて広範囲に切除するという、一般的な手術方法が本当に正しいのかどうか、という疑問が生じます。
 ガンは、転移を見逃して原発病巣を切除してしまうと、転移部分のガンが急成長を始めるので危険だといわれます。しかしこれも、ガンが全身病だと考えれば、当然のことといえるでしょう。ただでさえ、生命エネルギーの低下している肉体から、リンパ腺や血管まで含む臓器を大幅に取り除いてしまったら、体の免疫機能がより急激に低下するのは当たり前だからです。
 ですから私は、大腸ガンの場合、リンパ腺への転移を防ぐため、または目に見えないガンのために高範囲にわたって腸間膜を切り取るということはしません。ガンを残すことよりもリンパ腺をなくすことによるダメージのほうが大きいと考えるからです。
 今の医学では、ガンは切除しないかぎり自然には治癒しないとされていますが、それは違います。人間の免疫力、自然治癒力というのは、本来はもっと強いものなのです。私の患者さんたちが、リンパ腺に少しガンが残っていても、その後の食事療法で再発もせず健康を保っているのが何よりの証拠です。
 新谷食事健康法に即した食事改善をすると、生命エネルギーそのものである「ミラクル・エンザイム(“原”酵素とでもいうべきもの=その存在は新谷氏の仮説)」が大量に補われます。そして同時にミラクル・エンザイムを消耗する生活習慣を改めていただくので、その効果は倍増します。こうしてミラクル・エンザイムの量が充分に回復するので、その人本来の免疫力が高まり、活性化した免疫細胞の働きによってガンを抑え込んでくれるのだと、私は考えています。…
 ガン患者の食歴を調べていくと、動物食(肉や魚、卵や牛乳など動物性の食物)をたくさんとっていたことがわかりました。しかも、早い年齢で発病している人ほど、早くから動物食(とくに肉、乳製品)を多く、そしてひんぱんにとっていたことがわかったのです。乳ガン、大腸ガン、前立腺ガン、肺ガンなど、発病したガンの種類はさまざまですが、この傾向だけは同じでした。
 そして、どんなガンを発病した人も例外なく腸相が悪かったです。そのため、私は体のどこかにガンができた人には、大腸ポリープや大腸ガンができている可能性が高いので、必ずコロノスコープ(大腸内視鏡)の検査を受けるよう、いいつづけてきました。
 …結果は予想どおりでした。なかでも女性なら乳ガン、男性なら前立腺ガンを発病した人の大腸に異常が発見される確率は、とても高いという臨床結果が出ています。…
…私は、抗ガン剤は猛毒以外の何ものでもないと思っているので、よほどのことがないかぎり使用しません。たとえば、大腸の外側のリンパ腺にガンが見つかったような場合でも、私は抗ガン剤は使いません。私の治療法は、まずガンに侵された部分を切除し、目に見えるガンが一応取り除けたら、あとはその患者さんがガンになった原因と思われるものを排除していきます。まずたばこやアルコールの習慣を断つことはもちろん、肉類、牛乳、乳製品も4、5年は完全にやめてもらいます。そして動物食を少量に抑えた新谷食事健康法を実践していただくとともに、こうしてガンが再発しないように体の免疫力を高めていくのが、私の治療法です。…
(以上、「新谷食事健康法でガンが再発しない理由」、「あなたはあなたが何を食べているかで決まる」の項ほかから抜粋)

 さて、新谷食事健康法とはどんなものか、以下、再び引用します。

 私が提唱している食事法では、基本的には、エンザイム(酵素)を多く含む食物をよい食物、エンザイムが少ない、またはなくなってしまっている食物を悪い食物と考えます。
 よい胃相・腸相の人たちに共通していたのは、エンザイムをたくさん含むフレッシュな食物を多くとっていたことでした。そしてこのことは、…腸内細菌が活発に働くような腸内環境をつくるのにも役立っていました。
 一方、胃相・腸相の悪い人たちに共通していたのは、エンザイムを消耗する生活習慣でした。お酒やたばこの常用、大食、食品添加物を含んだ食事、ストレスの多い生活習慣、医薬品の使用、これらはすべてエンザイムを消費する行為です。…
 このことからわかるのは、健康を維持するためには、体内のエンザイムを増やす食生活をするとともに、体内のエンザイムを消耗する生活習慣を改める必要があるということです。そしてこのことこそが、私が提唱する「新谷食事健康法」の根幹となっているものなのです。…
 そのためもっともよいのは、ミネラルをたくさん含んだ肥えた土地で、化学肥料や農薬を使わずに育てられたものを、収穫してすぐに食べるということになります。
 野菜でも果物でも肉でも魚でも、新鮮であれば新鮮であるほどエンザイムの量は多いと思って間違いありません。私たちが新鮮なものを食べたときに「おいしい」と感じるのは、エンザイムがいっぱい詰まっているからなのです。
 しかし人間は、他の動物と違って食材を調理して食べます。煮たり焼いたり、ときには油で揚げたりもします。エンザイムは熱に弱いので、調理すればするほど失われていくことになります。かといって、何もかも「生」で食べることもできません。
…食材の選び方、調理の仕方、そして食べ方というものがとても大切になってくるのです。
…健康によい食事を研究している人のなかには、人間も…(野生の動物のように)…すべて生の状態で食べるべきだという人もいます。
 でも私はそうは思いません。なぜなら、健康に生きるためには人が「幸福」であることがとても大切だからです。食事は人間にとってもっとも大きな喜びをもたらすものです。ムリしてまずいものを食べていたのでは健康にはなれないのです。 
 ですから新谷食事健康法では、自然に学びながらも、楽しみながらそれを続けることが何よりも大切だと考えています。
…新谷食事健康法を実践していただくと、約半年ほどでみごとなまでに胃相・腸相が改善され、ガスや便のいやな臭いも軽減されます。
 そのためのポイントは、…
・植物食と動物食のバランスは、85(~90)対(10~)15とすること
・全体としては、穀物(雑穀、豆類を含む)を50%、野菜や果物を35~40%、動物食は 10~15%とすること
・全体の50%を占める穀物は、精製していないものを選ぶこと
・動物食は、できるだけ人間よりも体温が低い動物である魚でとるようにすること
・食物はどれも精製していないフレッシュなものを、なるべく自然な形のままとるようにすること
・牛乳・乳製品はできるだけとらないこと(乳糖不耐性やアレルギー体質の人、牛乳・乳製品が嫌いな人は、いっさいとらないようにする)
・マーガリンや揚げ物は避けること
・よくかんで少食を心がけること
 自然の摂理と人間の体の仕組みを知って、これらのポイントを守れば、健康に良い食事を楽しみながら続けることはそれほどむずかしいことではありません。…
 …分厚いステーキやチーズやお酒も、たまになら食べても飲んでも大丈夫です。…大切なのは、楽しみながら、正しい食事を長く続けていくことです。
(以上、「とにかくエンザイムの多い食べ物を食べなさい」「まずいものを食べていては健康になれない」の項などから抜粋)

 新谷食事健康法はポイントが8項目あげられていますが、その詳細は省略します。なお、リンクが貼ってある箇所は別記事で解説していますので参照なさってください。
 ところで、「たまになら食べても飲んでも大丈夫です」とありますが、その頻度はといいますと、引用を割愛しましたが「ほかの95%が健康に留意した食事をしていれば」と表現されていることから推測するに20日に1回といった程度になるかと思われます。
 
次に、新谷氏は、がん患者に対して「毎日の生活に幸福感をもっていただけるよう精神面でのフォローもしていきます。」とおっしゃっておられますが、その重要性について、以下、引用します。

 「人はパンのみにて生きるのではない」というのはキリスト教の教えですが、これも自然の摂理の一つだったのだということを、私は多くの患者さんから教えてもらいました。
 病気の人が、何か目標を得たとき、奇跡的に病気が回復することが実際にあります。ガンでとても苦しんでいた人が、苦しんだあげくに、何かをきっかけに感謝の気持ちをもてるようになり、そこから病が回復していったという事例は世界中にたくさんあります。
 人間は誰しも無限の可能性を秘めています。その可能性が開かれたときには、体中のエンザイムが活性化し、そのエネルギーは死の淵からその人を連れ戻してくれることさえあるのです。
 逆に、どれほど体が健康であっても、毎日ネガティブなことを考え、毎日不幸だと思いながら一人寂しい人生を送っていたら、エンザイムはどんどん力を失っていきます。
 ですから私は、ガンを治すというのはじつはそれほどむずかしいことではないと思っているのです。その人が心から自分は治ると信じ、自分が誰かを心から愛していることを悟ることができたら、その人は病を克服することができるのではないかと思います。
 愛する孫が学校を卒業して、結婚して、子供をもつまで自分はどうしても生きていたいと心の底から強く思えば、その人はそこまで生きるのです。どれだけ強いモチベーションをもつことができるか、それによって無限の可能性が開くのです。
 病気を癒すというのは、単に悪いところを切り取ったり、薬を与えたりすることではありません。その人が心からハッピーになれるようなモチベーションをもたせてあげることです。
 ですから本当によい医者というのは、そういうモチベーションを患者に上手に与えることのできる医者なのだと思います。だから、私はそういう医者になりたいと思っているのです。(以上、「愛」は免疫力を活性化させる の項から抜粋)

 ここまで新谷弘実著「病気にならない生き方」から随分と多く引用をしてまいりましたが、ガンを患っておられる方、ガンが心配な方、ガンを予防したい方には必読の書です。2005年発刊と少々古い本ですが、中身は新鮮なまま保たれています。

(参考)
 別立てホームページに、がん対策全般についてまとめたページがあります。併せてご覧になってください。
  生涯現役をサポート:三宅薬品のHP 健康情報 がん

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抗がん剤と「MMS(二酸化塩素)」、どっちもどっち?とは言えないようです。

2015年03月20日 | 癌(がん・ガン)

抗がん剤と「MMS(二酸化塩素)」、どっちもどっち?とは言えないようです。

 このように表題を訂正し、再追記することとします。
 2015年3月20日に『抗がん剤と「MMS(二酸化塩素)」、どっちもどっち』と題して記事を投稿しました。その後、2016年3月6日に賛否両論を若干追記しました。
 そして、2016年10月から11月にかけて、コメントやメッセージで治療法がない難病に非常に効果があったという体験例を複数の方からいただきました。
 そこで、これまでのご意見そしてMMSに関するサイトや実体験ブログを今一度拝見して、“副作用の出方は抗がん剤とMMSとでは、その大小に違いがあるのではなかろうか。そして体細胞内細菌感染にはMMSが威力を発揮するのではなかろうか。”との思いも出てきましたので、本稿に再追記することとし、それを今までの記事の冒頭に貼り付けました。本件については、まだまだ手探り状態ですので、間違いの指摘、足らず前の補足など、ご意見をいただけると幸いです。
 

(2016年11月16日再追記)
 一番問題となるのは、副作用についてです。
 抗がん剤の場合はほとんどの方に大きな自覚症状が現れるのが常のようでして、抗がん剤を使っている期間ずっと続いたり、遅れて出てくるものもあるようです。これは、
抗がん剤は細胞分裂の活発な細胞によく働きかけるように作られており、抗がん剤は正常細胞に比べて細胞分裂を活発に繰り返しているがん細胞を攻撃するも、併せて細胞分裂を活発に繰り返している諸器官の正常細胞に対しても攻撃してしまい、それによって副作用が出てしまうのです。もっとも抗がん剤の強弱、使用量の大小で、副作用の出現に差が出ますし、個人差も大きいようです。
 一方、MMSの場合は二酸化塩素というフリーラジカルの1種が強い酸化力をもつことから、環境中のウイルス除去、除菌、抗カビ効果が知られており、これが体内に一定濃度以上投与されれば体細胞も細菌と生体反応の基本は同じですから、何がしかのダメージを受け、副作用として自覚症状が生ずることにもなりましょう。これも個人差が大きいと思われます。ただし、これは先に本稿で紹介しましたが、「ヒトの体内では白血球(主として好中球)が塩素系フリーラジカルを放出し、病原菌などを殺傷するために使用しています」から、ヒト細胞は塩素系フリーラジカルに時としてさらされるという環境にあり、一定程度までの二酸化塩素には十分に絶え得るとも考えられます。
 こうしたことから、MMS使用時の副作用は、抗がん剤投与時の副作用より小さいもので済むと考えられる面があります。

 ところで、MMSの使用説明について気になったのは、ネット検索を重ねる中で、MMSの服用による副作用、そして改善しなかったり悪化するケースについての説明が不十分ではないかと思わせられたことです。
 今回、ざっと検索してみたところ、前回と同様でしたが、MMSの飲用により「用量を増やしていくに従って“嘔吐、吐き気、下痢”を伴うことがある」旨、書かれているのをどれだけか見つけました。そして、これは「好転反応[=瞑眩(めんげん)現象]であって、この現象は一過性のもので、改善されるときに起こる一種の拒否反応」である旨の説明を下記サイトで見ました。これは漢方の世界でもときどき登場するものですが、本稿をアップするときも確かこれを見た記憶があります。
https://jhumblemms.sharepoint.com/Pages/mmsintroduction.aspx
 そして、販売や推奨サイトでは「使用は自己責任でお願いします」と書かれているのですが、この一言だけでは無責任すぎやしないか、小生にはそう思われます。

 漢方の世界では、好転反応[=瞑眩現象]について次のように言っています。
 一部の漢方薬においては、病状が改善されるときに起こる一部の細胞の拒否反応であったり、あるいは代謝によって変質細胞が正常細胞に修復されて有害物質が体外に排泄されるときに起こる反応現象が起因して、体調が一時的に悪くなることがあります。
 これを「瞑眩(めんげん)現象」といいます。
瞑眩の期間は様々ですが、1週間程度で現れ、2週間から1か月で治まることが多いようです。アトピーなど長く患っている皮膚疾患などは期間が長くなることが多く、何回か繰り返すこともあります。また、不規則な生活で滞りが強い方は強く出る傾向があるです。瞑眩を乗り越えるためには、食生活、睡眠などを見直して適正化することも大切です。ただし、今出ているのは瞑眩なのか、副作用なのか、症状だけで判断するのはなかなか難しいものです。症状が現れたら、漢方薬局とよく相談し、そのアドバイスに従ってください。
(引用ここまで)
 これと同様なことがMMSを飲用した場合にも多く生ずるようです。症状が強く出た場合には、飲用量を一時的に減ずるなどの具体的な処置法はリンクしたサイトに詳しいですから、その詳細を知って、くれぐれも慎重に対処していただきたいです。

 もう1点は、「体細胞内細菌感染にはMMSが威力を発揮するのではなかろうか」というものです。
 現代医学では、恒常的な体細胞内細菌感染を軽視し、なかでも腸内細菌の体細胞内感染はないものとして無視しています。
 これが高度成長期以降に次々として出てきた難病に何ら有効な手当ができず、いたずらに症状を悪化させるだけの治療しかできていないと考えられます。
 このことについては、このブログの過去記事「リーキーガット症候群を克服しよう」において次のように書きました。
 子供や大人にしろ赤ちゃんにしろ、本来は体内に入れてはならない未消化物や雑菌が腸壁からすり抜けて体内に侵入するのが恒常化すれば、どうなるでしょう。
 当然に大変なことになります。様々な疾病を引き起こすことになりましょう。
 まずは、これはよく知られたことですが、未消化のたんぱく質が食物アレルギーの原因となり、また、アトピー性皮膚炎を起こしたりします。これはアレルギー反応が皮膚へ出た症状ですが、皮膚以外にも体中で様々な炎症を引き起こすことになります。…
 なお、過敏性腸症候群(脳が不安や精神的ストレスを受けると、自律神経を介して腸の運動異常を引き起こし、便秘や下痢を繰り返す)を併発することも多くなります。
 次に、腸壁から体内に雑菌が侵入したらどうなるでしょう。
 まずは病原菌ですが、これは免疫機構でもっていち早く発見して殲滅しようとしますから、発熱などを引き起こし、ある程度の免疫力があれば撲滅できます。…単なる雑菌であれば、侵入する数はさほど多くはなく、掃除役の白血球が少しずつ食べてくれて大事に至らないことが多いでしょうが、油断ならないのは莫大な数が生息している腸内細菌です。腸内細菌がなだれをうって体内侵入したらどうなるでしょう。
 これに関しては全くと言っていいほど関心が寄せられていないのですが、西原克成氏は、医学界みな、これを見落としていると言っておられます。
(注:2014年6月、順天堂大学の研究グループが、“腸内細菌が血液中に移行することを初めて発見した”と発表し、糖尿病との関わりだけを論文にしていますが、既にその10年前、西原氏は著「究極の免疫力」の中で様々な疾患との関わりを述べておられます。)
(転載ここまで)

 このように、リーキーガット症候群においても、雑菌を含む腸内細菌の体内侵入による細胞内感染が大きな問題になると小生はにらんでいます。
 ここで、西原克成氏のサイト「西原研究所」の免疫病治療のページに書かれている冒頭の言葉を紹介しましょう。
 風邪、ぜんそくにアトピー性皮膚炎、花粉症、歯周病。最近では誰もが耳にする病名です。こうした疾患は、総括して免疫病と呼ばれています。この免疫病すべてにあてはまることは、身体の器官や組織を構成する細胞群への腸内細菌やウイルスの細胞内感染症ということ。そして、こうした疾患は、その場しのぎの治療や薬では完治しないのです。
(引用ここまで)

 このことについては、例示された疾患のみならず、高度成長期以降に新たに生じてきた各種難病についても言えることを西原氏は述べておられます。
 そして、そうした疾患について、
西原博士のブログ(2016.11.04)に、とある講演録の全文が投稿されており、その一部を紹介しましょう。
 
口・喉・鼻腔・胃腸には数え切れないほどにおびただしい数の微生物が生きて住み着いています。これらは、口呼吸を続けたり、腸が冷えたり、手や足、頭を冷やしたりすれば、腸扁桃(パイエル板)から未分化間葉細胞内に自動的に吸収されて顆粒球となり、体中を巡ってこれらをいたるところの細胞内に播種します。細胞内感染症ともなれば、糸粒体の栄養分が横取りされて細胞の働きが駄目になります。これが難治性疾患の本態です。
元々ヒトの身体の血液内には全く無害の微生物が少しは共存しています。余り多量になると障害がでるのです。
(引用ここまで)

 このように、ヒトの体というものは、病原菌や雑菌のみならず腸内細菌の巣窟と化していることが往々にしてあり、これが近年顕著なものとなり、それでもって様々な疾患を抱えるようになった高度成長期以降の日本人なのです。
 その最大の要因は、冷蔵庫文化が隅々まで行き渡ったことにより、異常に冷えた飲食物を口にするようになったことにあるに相違ないです。
 これに、恒常的な口呼吸が加わると、これは日本人に多いのですが、よりいっそう細胞内細菌感染が進むのです。

 こうしたことからすると、MMSは雑菌や腸内細菌などの細胞内感染症に効果を発揮し、適正な飲用量であれば感染菌を殺し、それが排出されるときに瞑眩現象が起きる、というのが理解できます。
 ただし、腸内に存在する腸内細菌には影響を与えないとするMMSの説明文が存在するのですが、これは矛盾する面があるのではないでしょうか。もっとも、腸内の水分は体内へ吸収され、MMS飲用後に水分補給を十分にすれば、腸内のMMS濃度は薄まり、影響を与えないということも考えられましょうが、残念ながら、そうした説明を目にすることはできませんでした。

 以上のことから、現代医学では治療法がない難病に対しては、「毒をもって毒を制す」ことになる「MMS」でもって「荒療治」するのも一法となりましょう。
 ただし、好転反応(瞑眩現象)なのか、単なる副作用なのか、症状だけで判断するのはなかなか難しいものですから、慎重の上にも慎重に対処する必要がありましょう。
 なお、細胞内感染症に対する安全な治療法としては、先に紹介した
西原克成氏のサイト「西原研究所」の免疫病治療のページに「ミトコンドリアを元気にさせる生活習慣7カ条」が紹介されています。こちらは安全な対処法ではあるものの、かなり根気がいり、完治に長期間を要するものとなりますが、併せて取り入れられることをお勧めしたいです。

 なお、難病治療法には、MMSやここで紹介した西原氏の免役病治療の他にも、幾つかあります。以下に、実績をあげられておられる、お2方を紹介しておきます。
①西式健康法の断食療法
 1週間か10日あるいはそれ以上の期間にわたって行う「長期断食」(期間をおいて複数回)です。腸壁を健全にするとともに体細胞のクリーンアップにもけっこう効果的なようです。ただし、ちゃんとした指導者がおられる断食道場に宿泊しての実施となります。自宅で勝手に長期断食すると、大きな危険を伴うことがありますので、ご注意ください。
 小生は自宅での短期断食の経験が幾度かあり、それを積み重ねても、まだ3日断食が最長でして、1週間や10日間の長期断食は単独ではまだまだできない状態です。
 参考までに、西式健康法の断食療法を受け継いでおられる、断食療法の第一人者、故・甲田光雄氏の著書を2つ紹介しておきましょう。
  「断食療法50年で見えてきたもの」(2003年 春秋社)
  「第三版 断食療法の科学」(1976年 春秋社)
②松本理論(松本医院院長 医学博士 松本仁幸氏)
 膠原病をはじめ難病を独自の理論でもって漢方治療され、多くの実績をあげておられます。大阪府高槻市で開院されており、通院の必要があります。
 例えば、リウマチについては、「リウマチ完治の理論と証拠」の論文の冒頭に次のように書かれています。
 膠原病やアレルギーは決して怖れるものではありません。この理論は全ての膠原病やアレルギーに通ずるものです。免疫反応を抑制せずに、痛みだけを楽にすれば、リウマチは抗体のクラススイッチ(*1)と免疫寛容(*2)によって完治する。漢方と鍼灸と漢方浴剤で、松本理論に従って、リウマチは必ず治してあげます。
(引用ここまで)
(*1)膠原病とアレルギーは抗体の種類に違いがあり、前者はIgG抗体という武器を用い、後者はIgE抗体という武器を用いています。IgG抗体はIgE抗体に変えることができ、この変換を抗体のクラススイッチといいます。
(*2)「免疫寛容」とは、正確には「自然後天的免疫寛容」のことで、例えば、蚊の多い地域に住んでいる民族は幼少の頃から長期間蚊に刺され続けているため、皆が蚊に刺されても腫れなくなるというものです。これは日本人にも当てはまり、蚊がいる環境で長年働いていて歳を食うと蚊に刺されても腫れなくなる人がけっこういます。

 以上、今回の追記文がたいへん長くなり、それを本稿の冒頭に貼り付けましたので、読みにくくなりましょうが、ご容赦ください。
 以下が再追記前の2015年3月20日付け『抗がん剤と「MMS(二酸化塩素)」、どっちもどっち』の全文です。

抗がん剤と「MMS(二酸化塩素)」、どっちもどっち

 まずは抗がん剤について、おさらいしておきましょう。
 今日、幾多の抗がん剤が使われていますが、その抗がん剤が「効く」として採用、承認される基準がどうなっているかといいますと、それは「レントゲン写真など画像の上で、がんの大きさ(面積)が半分以下になっている期間が4週間以上続くこと。そして、抗がん剤を使った患者の2割以上がそういう状態を呈すること」というのが条件です。
 ということは、「効かない」という面に着目すると、8割もの患者は、出来ているがんに対して全くあるいは不十分にしか反応しないことが十分に有り得るということになります。
 このような代物が薬として認可されるなど、他では考えられないことです。

 それにもかかわらず、医療現場では、がんの除去手術後に、目に見えない小さながんがあちこち転移しているかもしれないからと、予防の意味を込めて暫くの間は抗がん剤を投与するのがセオリーになっています。抗がん剤でがんを消滅させることはほとんど不可能なのに、誰もが副作用だけはたんまり味わされます。
 こうしたなかで、滅多に抗がん剤を使わない医師も何人かいらっしゃいます。そのお一人が新谷弘実氏で、その著「病気にならない生き方」の中でご自身の考えを述べておられますので、それを紹介しましょう。なお、新谷氏は内視鏡外科の先駆者であり、たぶん世界一の臨床例(著書発刊時で日本人・米国人合計30万例)をお持ちでして、胃がん、大腸がんなどの施術の超ベテランの方です。

…私は、抗がん剤は猛毒以外の何ものでもないと思っているので、よほどのことがないかぎり使用しません。たとえば、大腸の外側のリンパ腺にがんが見つかったような場合でも、私は抗がん剤は使いません。私の治療法は、まずがんに侵された部分を切除し、目に見えるがんが一応取り除けたら、あとはその患者さんががんになった原因と思われるものを排除していきます。まずたばこやアルコールの習慣を断つことはもちろん、肉類、牛乳、乳製品も4、5年は完全にやめてもらいます。そして動物食を少量に抑えた新谷食事健康法を実践していただくとともに、毎日の生活に幸福感をもっていただけるよう精神面でのフォローもしていきます。こうしてがんが再発しないように体の免疫力を高めていくのが、私の治療法です。…
 抗がん剤がなぜ「猛毒」なのかというと、体内に入ったとき大量の「フリーラジカル/活性酸素」を出すからです。抗がん剤は毒性の強い活性酸素を大量に作り出すことで、全身のがん細胞を殺しているのです。しかし活性酸素は、がん細胞だけを殺すわけではありません。そのため正常な細胞も、抗がん剤によってたくさん死ぬことになります。「毒をもって毒を制す」という言葉がありますが、抗がん剤を使用する医師の発想はまさにそれといえるでしょう。抗がん剤は同時に発がん物質にもなりうるのです。
 しかしどんなときでも、人間の体というのは恒常性を保とうと働きます。そのため毒性の強いフリーラジカルをが体内で大量に発生すると、体中のミラクル・エンザイム(“原”酵素とでもいうべきもの=その存在は新谷氏の仮説)がそれを解毒するためのエンザイム(酵素)に姿を変えます。体は全力を尽くしてもっとも被害の大きい活性酸素の中和に取り組むのです。
 現実には抗がん剤治療でがんを克服した人もいます。しかしそうした人の多くは、年齢的に若く、多くのミラクル・エンザイムを保持していたと考えられる人です。ミラクル・エンザイムは年齢を重ねれば重ねるほど量が減っていきます。もちろん個人差はありますが、年齢が若いほうが抗がん剤治療が成功する確率が高いのは、抗がん剤によってミラクル・エンザイムを消耗しても、まだダメージから回復するのに必要なだけのミラクル・エンザイムをもっているからだと考えられるのです。
 抗がん剤の副作用としては、食欲不振や吐き気、脱毛などが有名ですが、それらの症状はすべて、大量のミラクル・エンザイムが解毒に使われた結果、各所でエンザイムが不足して起きる症状だと考えられます。それほど抗がん剤の解毒に消費されるミラクル・エンザイムの量は莫大なのです。
 消化エンザイムが不足すると食欲はなくなります。同時に代謝エンザイムも不足するので、細胞の新陳代謝が滞り、胃や腸の粘膜がぼろぼろになり吐き気を誘発します。皮膚がぼろぼろになり、爪が割れ、髪の毛が抜けるのも代謝エンザイムが欠乏したことが原因です。レベルの差はありますが、薬が体内に入ると、これと同じことが起きるのです。
(引用ここまで)

 いかがでしょうか。ここで注目していただきたいのが、フリーラジカルの恐ろしさです。活性酸素がその一つで、これを中和する酵素がないと連鎖反応的に際限なく体内物質を破壊し続けるのです。フリーラジカルを分かりやすく言えば、可燃物が燃えることと同じ性質のもので、その着火剤がフリーラジカルと言えましょう。抗がん剤はこのように実に恐ろしい治療薬でして、正に毒をもって毒を制す、ということになります。
 ただし、体内では白血球(主として好中球)がフリーラジカル(主として活性酸素、他に過酸化水素、次亜塩素酸など)を放出し、病原菌などを捕捉し殺傷するために使用していますから、生命体にとっては不可欠なものであり、フリーラジカルは「両刃の剣」とも言えます。ここで注目しておいていただきたいのは、白血球(主として好中球)が病原菌に対して放出するのは活性酸素だけではなく、「次亜塩素酸」も使われているということです。

 さて、抗がん剤と同等の性質をもつ「MMS」やそれに類似するものがネット上でちょくちょく見られるようになりました。小生のところへも「MMS」類似品の副作用についてご相談がありましたので、以下に私見を述べさせていただきます。
 「
MMS」とは、「The Miracle Mineral Solution of 21st Century(21世紀の奇跡のミネラル溶液)」の略字のようですが、「Master Mineral Solution」と表記されたり、「ミラクル・ミネラル・サプリメント」と日本語表記されたりしています。
 これを開発されたのは、米国のジム・ハンブル氏だそうで、
南米のジャングルに持って行ったある溶液をマラリアにかかった現地隊員に飲ませたところ、数時間以内に症状がおさまり、翌日には元気になったことをきっかけに、アフリカのマラリア感染者を対象にした臨床実験と研究を行うなかで、最も効果的なものとして「MMS」を開発され、かなりの実績を挙げられているようです。その後、マラリア以外に、エイズや難病さらにはがんやその他の疾病への応用にも着手され、米国国内でも様々な疾病に対してこれを利用する人が現れ、日本国内でも販売されたりして利用者がどれだけかありそうです。 
 この「
MMS」なるものはどんな化学薬品かといいますと、単なる亜塩素酸ナトリウム(NaClO2 )の28%水溶液で、これ50%クエン酸溶液を混ぜると、二酸化塩素が発生し、その二酸化塩素の殺菌作用でもって、生体内に入り込んでいる細菌、バクテリア、ウイルスなどを死滅させるというものです。それ以外にも有害化学物質の解毒に効果があるとうたわれています。
 これは、要するに「遊離塩素」による殺菌効果を狙ったもので、二酸化塩素は浄水場において従前から大掛かりな水道水の殺菌にけっこう使われています。先ほど申しました白血球(主として好中球)が病原菌に対して放出する次亜塩素酸も同類のものです。
 従って、「MMS」の主体となる亜塩素酸ナトリウム(NaClO2 )でなくても、
次亜塩素酸カルシウム(Ca(ClO)2 :さらし粉=プールの消毒液)、次亜塩素酸ナトリウム(NaClO :水道水の殺菌剤)であっても、同様な効果が出るものと考えられます。案の定、「MMS2」というものが販売されており、これは次亜塩素酸カルシウムです。なお、遊離塩素は活性酸素と同質のフリ-ラジカルですから、標的としての微生物に止まらず、抗がん剤と同様に際限なく正常な体内細胞も破壊し続ける性質のものです。
 少々難しい説明になりましたが、
水道水に含まれている残留塩素の殺菌力のことは、おおかたの方が知っておられましょう。遊離塩素も残留塩素も同じと考えてよく、その高濃度の溶液を飲むことによって、それが体内で薄められ、体液が水道水と同様な状態になって、体内で殺菌効果などを発揮するというものです。

 抗がん剤は活性酸素というフリーラジカル、「MMS」は遊離塩素というフリーラジカルの強烈な化学反応力(ともに酸化作用)によって、抗がん剤にあってはがん細胞を、「MMS」にあっては細菌などを、特異的(選択的)にたたく、ということになればいいのですが、どっこい、そうは思うように参らず、正常な細胞や腸内細菌まで無差別的に殺してしまうことになりましょう。
 フリーラジカルの特性からして、どちらも標的を特異的にたたくことは不可能で、「毒をもって毒を制す」という性質のものとなるのは自明のことです。

 ここで、二酸化塩素の働きについて、日本二酸化塩素工業会HPからの抜粋し、少し補足しておきます。
 二酸化塩素はラジカルの1種であり、強い酸化力をもつことから、ウイルス除去、除菌、消臭、抗カビ等のはたらきを有することが知られています。これらの力を利用してプールや浄水処理等の現場における消毒剤や低濃度での空間除菌剤として使われています。通常の利用に加え、2001年に米国で発生した炭疽菌の芽胞が送りつけられるバイオテロの際には建物の除染に用いられた実績があるなど、その能力は非常時にも高く評価されています。

 二酸化塩素は、酸化作用により、標的とするウイルス・細菌のタンパク質を変化させます。具体的な反応のターゲットは、タンパク質を構成するアミノ酸残基のトリプトファンとチロシンです。この作用によって、ウイルス、細菌の構造が変わり機能が低下すると考えられています。ウイルス、細菌の他、カビにも直接はたらき、その構造を変化させて除菌することができます。
 (抜粋ここまで:<注>ラジカルとフリーラジカルとは同じ意味と考えていいです。)

 ところで、「MMS」の商品説明によりますと、「二酸化塩素の働きには選択性があって、酸化する対象物を選択し、健康な細胞や善玉菌には被害を与えない」となっています。
 その根拠の一つとして、「善玉菌は好気性であり、病原菌は嫌気性であり、二酸化塩素は嫌気性生物を選択的に破壊する」とあります。しかし、微生物学の分類上では、善玉菌も様々な種類があって、どちらかというと嫌気性のものが多く、病原菌も概ね同様な傾向にあって、中には好気性のものもありますから、好気性・嫌気性の説明に間違いがあります。また、二酸化塩素が酸化反応を起こす対象物は、ごく普通に存在するアミノ酸であるトリプトファンとチロシンのようですから、これは人の体内細胞、善玉菌、病原菌、ウイルスなどあらゆる生物に普遍的に存在していると思われ、ターゲットを選択するのはとうてい不可能と考えられます。

 いずれにしましても、このように「毒をもって毒を制す」ことになる抗がん剤と「MMS」(類似品を含む)は、勧められたものではありません。
 なお、「MMS」(類似品を含む)は、殺菌剤であるがゆえに医薬品としては認可されない性質のもので、現に2010年7月30日付で
アメリカ食品医薬品局(FDA)から「MMSの飲用は脱水症状を起こして命に関わる」と警告されたとのことです。つまり、「毒だから飲むな」というものです。
 しかしながら、「MMS」はマラリアにはけっこう効くようですし、先般騒がれたエボラ出血熱の対応に当たっては、ある種の抗がん剤が効くのではないかと言われましたが、その効く仕組みはフリーラジカルの働きでしょうから、エボラ・ウイルスには「MMS」であっても充分に対処可能ではないのでしょうかね。もっとも、かなりの副作用を覚悟せねばならないでしょうが。
 そして、抗がん剤も「MMS」と同質のものですから、「MMS」と同様に抗がん剤も「毒だから飲むな、命に関わる」と警告を発していただきたいものです。また、どちらも野戦病院の医学に端を発する代物ですから、これは質実剛健な若者に対する「荒療治」であって、虚弱体質の方や中高年の方には決して適したものではないことをご承知置き願いたいです。

(2016.3.6追記)
 この記事に対して、「MMS」は正常細胞にはダメージを与えないという理論的な説明(根拠:酸化電位)を半年以上前に、ある研究者からメールでいただきました。
 しかし、現実にはどうか、臨床的にはどうか、となると、副作用なしに済むとはとても思えないのは、この記事で書いたとおりです。
 また、「MMS」が様々な病気に効くというのであれば、かつて塩素臭がぷんぷんしていた大阪の水道水を飲んでいた人たちは様々な病気が治り、真水を飲んでる人たちや脱塩素装置を使っている人たちよりも病気の罹患率が少なくなっていなければなりませんが、とても、そんなことは考えられません。
 なお、小生の元に、メールや電話で2件、「MMS」の副作用で相談を受けました。
 その概要は次のとおりです。
①アトピーの子供さんに飲ましたケース
Q 親がまず実験台になって「MMS」を飲んでみて、何ら障害が出なかったので、アトピーの子供に飲ませた。すると、アトピー症状がひどくなり、飲ませるのを止めるも、悪化した症状の回復が思わしくない。「MMS」が体の中に残留していて、ずっと副作用に悩まされるのではないか、心配だ。
A 体内で作られる抗酸化剤でもって既に「MMS」は消滅しており、残留は全くないから安心してよい。アトピー症状の悪化により、いったんただれた皮膚の炎症は、どんな場合にあっても気長に養生するしか対処法がない。
②胃がんの消滅を目指した例
Q 胃がんの手術を医師からすすめられたが断り、別の対処法で手術せずに済む状態になったが、胃がんの消滅を目差し、「MMS」を飲み続けた。その結果、体重が20kg減り、貧血にもなり、大変なことになった。肝臓へもがんが転移してしまった。救急車で運ばれたのを契機に「MMS」を止め、体調が回復してきたが、今後が心配だ。
A 体内で作られる抗酸化剤でもって既に「MMS」は消滅しており、残留は全くないから安心してよい。肝臓のみならず他の臓器もがんになっている恐れもあるが、がんは単なる塊であって体に悪さをするものではなく、抱えたままの状態であって差し支えない。生き方を変え、明るく前向きな毎日を過ごせば、がんはおとなしくしてくれている。場合によっては塊が消滅することもある。がんは恐れるにあらず。

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年寄りのがん検診は必要か、早期発見の不幸&手遅れの幸せ

2015年01月13日 | 癌(がん・ガン)

年寄りのがん検診は必要か、早期発見の不幸&手遅れの幸せ

 中村仁一氏の著<大往生したけりゃ医療とかかわるな 副題:「自然死」のすすめ>を読み、その読後感想として、最初に<自然死」のすすめ(中村仁一著)読後感想を記事にし、引き続いて<楽に死ぬには、がんに限る。がんは放っておけばいい!>をアップしましたが、そのなかで、手遅れの幸せ」とセットで「早期発見の不幸」について詳述しておられ、これについては別の機会に紹介することとしました。
 よって、今回、表題に関する部分を抜粋して紹介することにします。(以下、引用)

 「がん検診」は身体によくないと、定年退職を機に“検診断ち”をして、晴れ晴れとした気分で過ごしている知り合いが何人もいます。
 なぜ身体によくないかを聞いてみますと、「たとえがんでなくても、少しでも異変があれば精密検査に回される。回された方は、『がん検診』を受けて『精密検査』といわれたら、心穏やかでいられるはずがない。もしも、がんだったらと思うと、心も千々に乱れ、夜も眠れない、食欲は落ちる、仕事に身が入らないなど、結果がわかるまで生きた心地がしない。おまけに、精密検査の結果が出るまで10日も2週間もかかる。こんな気持ちを味わうのは、もうたくさんだ。さらには、精密検査で胃に穴が開いた、腸に穴が開いたなどという話も聞く。世の中には、知らない方が幸せということもあるのではないか。もう、こんな思いを繰り返すことに耐えられない」といいます。
(中略:氏はこれを肯定しつつ、がん検診を受けるに当たっての留意事項を説明)
 検診は、精度が高くなくてはいけません。精度について考える場合、がんの人を見逃さず、濾し取る力に、「感度」という指標があります。感度は高いに越したことはありませんが、感度100%ということは、現実にはありません。
 もう一つ、がんではない人を、がんではないとはっきりさせる力を、「特異度」といいます。
 感度が高くても、特異度が低いと、やたら精密検査が増えます。しかし、特異度がいくら高くても、感度が低いと見逃しが多くなります。
 見逃しは裁判沙汰になることもあり、これまで感度ばかりが重んじられてきた傾向がありますが、がんではない人を、しっかりがんでないと判定する特異性も負けずに重要なのです。
 感度ばかりを追求しすぎると、がんでないものをがんと疑う過剰診療が生じ、勢い、精密検査が増えることになります。
 精密検査には、前述のように、一定の割合で出血や胃、腸に穴が開くなどの偶発事故が起こります。また検査費用がかかり、検査のために仕事を休まねばなりませんし、結果がわかるまで不安な気持ちで過ごさなくてはなりません。前立腺がんのように前立腺に針を刺して組織を採る生検という肉体的苦痛、X線被曝など不利益もあります。
 また、放っておいても問題のないタイプのがんを見つけてしまうと、治療する無駄と副作用という不利益を蒙ることになります。
(中略)
 がんが老化であることは、前述した通りです。また、「がん検診」は、早すぎる死を回避する手段だということも申しました。
 とするならば、繁殖を終えて、生きものとしての賞味期限の切れた「還り」の途上にある年寄りには、もはや、早すぎる死というものは存在しないことになります。
 ならば、あまり「がん検診」などに近寄らない方が得策といえます。
 これまで、70歳前後の何人もの有名人が、よせばいいのに、健康であることの証明ほしさの「人間ドック」を受けてがんが見つかり、目一杯の血みどろの闘いを挑んだ末、見事に玉砕し、果てています。自覚症状は全くなかったでしょうから、「人間ドック」など受けさえしなければ、まだ一線で活躍していただろうにと思うと、残念のひとことに尽きます。
 よしんば、早期がんといわれて取り切れた場合でも、その後は、一定期間ごとに苦痛を伴う検査を繰り返さなくてはなりません。また、無事に5年経った後でも、生きている間はずっと「再発」に怯え続けなければなりません。というのも、ちょっとでも身体に異変が生ずれば、ひょっとしたらの思いが脳裏をよぎるはずだからです。
 この心理的ストレスは、相当なものと思われます。「早期」だからよかった、安心ということでは必ずしもないようです。しかも、検査の賞味期限は当日限りです。偶然、見つからなかっただけということも考えられます。
 生きている間は、このようなことがずっと続くわけですから、これを「早期発見の不幸」といいます。
 一方、「がん検診」や「人間ドック」に近寄らなかった場合はどうでしょう。がんは痛むといいますが、それならどうしてもっと早く見つからないのでしょう。不思議でなりません。
 症状のないまま、ふつうの生活をしていたら食が細り、やせてきて顔色も悪いので、周囲が心配して無理に検査を受けさせたら、手遅れのがんだった。そんな話をよく耳にします。
 繰り返しになりますが、なぜ、そんなに進行するまで病院に行かないのでしょうか。痛まないからというのが、その答えとしかいいようがありません。
 一見、手遅れの発見は、不幸の極みのようにうつります。
 しかし、考えてみてください。それまで何の屈託もなく、自由に充実した毎日が送られていたわけです。痛みが出なければ、今後も体力が落ちて自由に動くのがむずかしくなるまで、ふつうの生活をすればいいのです。
 長生きもけっこうですが、ただ長生きすればいいというものでもないでしょう。どういう状態で生きるかが重要だと思うのです。私自身はぼけたり、いつ死ねるかわからないままの寝たきりや植物状態で生かされているのは、願い下げです。
 繁殖を終えるまで生かしてもらったのですから、もう充分ではないですか。人生の幕引きを思い通りにできるかもしれない「がん死」は最高だと思います。
 これを、「手遅れの幸せ」といいます。(引用ここまで)

 終わりの方は前回も引用したところですが、手遅れのがんは余命〇月と宣告してもらえるのですから、その間にやっておきたいことが計画的にでき、まさに「手遅れの幸せ」となりましょう。
 ところが、中村氏も著書の中で例を挙げておられましたが、「手遅れの幸せ」を感ずるとがんの進行が遅れ、宣告以上に生き長らえることがあるようです。
 このことについては、過去記事「がんを治すには肩の力を抜くにかぎります:ただしい人からたのしいヒトへ(小林正観著)の紹介」で紹介しましたように、生活週間ががらりと変わり、ストレスが大幅に減り、かつ、生命力が十分に残っていると、がんは萎縮の方向に向かい、時には消滅してしまうことも多々あるようです。
 次に、中村氏は、「早期発見の不幸」に関して、抗がん剤について詳述されていますから、ここでもそれを紹介しておきましょう。

 …抗がん剤も“猛毒”ですから、がんを消そうと思えばできないわけではありません。ただ、がんが消える前に、いのちが先に消えてしまいますので、実用的ではないということです。
 それにもかかわらず、医療現場では、抗がん剤が「効く」とか「有効」という言葉が使われています。それはどういう意味なのでしょうか。(中略)
 抗がん剤が「効く」として採用、承認される基準があります。それは、レントゲン写真など画像の上で、がんの大きさ(面積)が半分以下になっている期間が4週間以上続くこと、そして、抗がん剤を使った患者の2割以上がそういう状態を呈することというのが条件です。8割もの患者が反応しないようなものが、薬として認可されるなど、他では考えられません。
 医療側は、こういう事情を踏まえて「効く」とか「有効」といっているわけですが、患者側は「効く」といわれれば、「治る」あるいは「がんがなくなる」と受け取ったとしても責められません。同じ「効く」という言葉を使いながらも、中身には天と地ほどの差があるということになります。
 そのうえ、抗がん剤は、ほとんど「毒薬」か「劇薬」指定ですから、当然、強い副作用もあると覚悟しなければなりません。なぜなら、がんだけを攻撃するのではなく、まともな細胞や組織もやられるわけですから。
 抗がん剤で治るのは、血液のがんや、塊になるものでは精巣がん、子宮絨毛がんぐらいのものといわれます。
 胃がんや肺がんのような塊になるがんは、一時小さくなることはあっても、あまり使う意味はないことになります。
 また、…副作用が強烈でしょうから、ヨレヨレの状態になります。結果的に苦しむ期間が延びただけというのでは、あまりにも悲惨すぎるのではないでしょうか。つまり、延命はけっこうなことですが、どういう状態での延命かが問われていると思います。
 さらに抗がん剤は“猛毒”ですから、効果はなくても、副作用は必ずあるはずです。ですから延命効果はなくても縮命効果はあるということです。
 いのちを伸ばすつもりが、かえって縮める結果になっていると思うのです。(引用ここまで)

 いかがでしたでしょうか。
 年寄りのがん検診は不要であり、受けてしまったら「早期発見の不幸」が待っており、受けなければ「手遅れの幸せ」を手にすることができるというものです。
 これは、がんに限らず、全ての病気についていえることで、本書の表題にもなっていますが、中村氏の老人医療について思いを最後に紹介し、本稿を閉じることにします。

 年寄りの不具合は、すべて老化が原因か、老化がらみです。今さら、医者にかかって薬を飲んでみたところで、若返らせることは不可能ですから、根本的には、どうなるものでもありません。
 しかし、治りたい一心で治そうと思ってやって来た医者のところで「年のせい」などという、にべもない言葉は、患者にとっては許せません。
 もっとも、医療側も年寄りは大事な「飯の種」ですから、のど元まで出かかった言葉でも、ぐっと呑み込みます。
 そして、さらに、老化にもっともらしい病名をつけ、発達した医療に頼れば何とかなるように煽り、期待を持たせます。下手に「年をとればこんなもの」と覚られようものなら、病院は潰れ、開業医は夜逃げを余儀なくされ、医療関係の失業者が町に溢れます。
 民間病院が立派に建て替えられたのも、「お年寄りさま」のおかげです。三拝、九拝、仇やおろそかに思っては、罰があたるというものです。
 しかし、よく考えてみてください。テレビや冷蔵庫は15年ももたないでしょう。ところが、人間は60年も70年ももつんです。これは、凄いことだと思いませんか。
 だから、「年をとれば、どこか具合の悪いのが正常」なんです。万一、年寄りのくせに、どこもどうもないなら、それはよほど異常というべきでしょう。即刻入院して精密検査を受けた方がいいと思います。
 とにかく、「老」も「苦」(ドゥフカ)で、思い通りにならないものとしてしっかり明らめ、年をとれば、ある程度こんなものと、あまりこだわらずに寄り添うのが一番と思います。

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楽に死ぬには、がんに限る。がんは放っておけばいい!

2015年01月07日 | 癌(がん・ガン)

楽に死ぬには、がんに限る。がんは放っておけばいい!

 一番恐れられている病気、それはがん。
 何よりも痛みが激しいし、吐き気・だるさで苦しくてしかたがない。がんが進行したら不治の病となり、死の瞬間までそうした苦痛を味わい続けねばならない。だから、がんほど恐ろしいものはない。
 これが世間一般の常識となっています。
 でも、常識は非常識、非常識が常識であるのは、この世の常でして、まず政治家が言うことがそうです。これは多くの方がそう思っておられましょう
。次にマスコミ。さんざん政治家を叩きまくっていますから、さも正義の味方であるやに思われてしまいますが、実は肝腎なところでは政治家とつるんでいますし、経済界との関係も同様です。これは案外知られていないことですが、政治家とマスコミは同類のペテン師とみなして間違いなしです。
 人の健康、生命を預かる医療業界はそんなことはないだろうと多くの方が思っておられるのですが、どうしてどうして政治家やマスコミと同じことをやっていますし、いや、日本の場合、医療業界は政治家やマスコミ以上にあくどいかもしれません。世界一悪質な“オレオレ詐欺集団”と言われてもしかたがないのが実情だからです。
 まずは検診。早期発見・早期治療をお題目にして、国民全員に集団検診を半ば義務付けし、働き盛りとなったら人間ドッグ検診を補助してまで受けさせています。ところが、集団検診制度や人間ドッグ施設があるのは日本だけで、先進諸外国では、これらをやったところで全く医療費削減にならず、無駄なこととして見向きもしていません。
 ちなみに、少々古いデータですが、精密検査に使うCT・MRIはともに世界の3割を日本で所有しています。いかに日本は検診しまくっているかが分かります。
 次に、集団検診と人間ドッグ検診を盛んに行っている日本では、国際的な診断基準を上手に活用し、病気でもない人に病気のレッテルを貼るという詐欺を働いているのです。
 高血圧の基準値をオーバーしたからやれ降圧剤だ、コレステロール値がオーバーしたからやれ脂質降下剤だ、といった調子で飲まなくてもよい薬を飲ませ、いや、飲んでは体を害する毒を盛ってるのです。
 ちなみに、これも少々古いデータですが、降圧剤は世界の5割を日本人が消費し、脂質降下剤は6、7割を消費しています。いかに日本人は薬漬けにされ、その長期服用によって健康を害されているのかが分かろうというものです。
 (ここまで国際比較を4項目掲げましたが、医療に関する国際統計はいろいろ発表されているものの、日本の医療業界に都合の悪いものはマスコミも記事にしませんから、最新データは不詳ですが、ほとんど変化はないと思われます。)
 3つ目が無駄な延命治療です。日本のマスコミでは、欧米のどこそこで植物人間の人工呼吸器を外す外さないで大問題になっている、外すのは安楽死であり、命の重さを考えるに、ここは慎重に議論すべきだ、といった風潮の記事が新聞であれば大きな紙面を割き、テレビであれば特集として、度々取り上げています。これは、延命装置の助けによって健康が回復する見込みがあるとして、若い人に施された措置のその後の問題です。
 これらを目にすると、日本における延命治療全般と同様なことが欧米でも当然にして取られているものと錯覚してしまいます。
 そうしたことから、年寄りが自立生活できなくなり、食が細くなって入院するとなると、病院では酸素吸入をし、栄養点滴をし、これが出来なくなると胃ろうまで行い、とことん延命措置を取る、これは先進諸国どこも共通であろうと、日本人は思ってしまっています。
 しかし、あにはからんや。こうした場合、欧米では酸素吸入も点滴もしない。ましてや胃ろうをしようものなら老人虐待であると言われるほどです。欧米の病院では、食事は自分で食べられる量しか与えませんし、水も飲める量しか与えません。そして、もう食べられない、もう飲めないとなったら、一切の医療措置は止めてしまい、自然死を待つというのが、欧米の病院でごく普通に行われています。よって、日本では寝たきり老人で病院は満杯なのですが、欧米ではそうした老人は全然いないのです。
 こうしたことも、マスコミで報道されたためしがありません。
 病院が“寝たきり老人飼育場”と化している日本、余りに異様な姿となっています。
 これに類するものとして、著書「心の病に薬はいらない!」で内海聡氏(内科医)は、精神医療分野で痛烈に現行医療を批判しておられるのですが、
その中で “えっ、あの方までが!”というのが目にとまりましたので、まず、それをかいつまんで紹介しましょう。(以下、その部分の要約)
 そもそも精神医療とは何だというと、長年、日本医師会長を務められた武見太郎氏がおっしゃった「精神医療は牧畜業だ!」に尽きます。というのは、ヒトを正常な人間と家畜(精神病患者)に区別し、患者を精神病院という畜舎に押し込め、向精神薬という餌を与え、最後は薬害でもってする「業」であるからです。医者の銭儲けのために政治を動かした武見太郎氏でさえ、このような発言をされているのですから、精神医療関係者たち(厚労省・医者・製薬会社)は詐欺師の最たるものです。(要約ここまで)

 いかがでしょう。さらに、内海氏は精神医療関係者にとどまらず、「身体医学であっても大同小異のことをやっており、皆さんが病気に関して詐欺に引っかからないコツは、どこの医療機関にもかからないことです。」とまでおっしゃっておられます。
 このように、日本の医療というものは実におどろおどしい状況を呈しています。

 随分と前置きが長くなりましたが、がん治療分野においても、日本は、こうした面では世界の“最先端”を行っています。
 “早期発見・早期治療”を合言葉に、やたらとがん検診をすすめ、がんでないもの(いわるゆ“がんもどき”)までをもがんにしてしまいます。そして、検査で発見されたときには、本当はもはや早期ではないのですが、がんの塊が小さなものであれば、それでもって早期発見とみなしてしまうという乱暴な診断を下します。
 さらに、がんは大きくならないうちに、切り取ってしまえ、抗がん剤で小さくしろ、放射線で焼き殺せ、という3大療法でもって、がん退治をしようとします。
 この療法は世界共通のようなのですが、しかし欧米諸国では、がんと診断されても様子見したり、代替療法で体にダメージを与えない方法も採られるなど、日本のような「がん即3大療法」ではなさそうです。加えて、3大療法でもってしても治癒の見込みがないと判断されると、いたずらに抗がん剤を打ち続けるなどといった悪足掻きはせず、患者の体がボロボロになる前に医療放棄し、ホスピスで余生を過ごさせるなど、自由にさせるようです。こうしたことから、欧米では寝たきりのがん患者というものも存在しないことになるのです。

 やっと、ここで本題に入ります。
 「楽に死ぬには、がんに限る。がんは放っておけばいい!」と表題にしましたが、大半の医師も「がんは痛みが激しく、死の瞬間まで苦痛を味わい続けねばならない恐ろしい病気だ」と思っておられるようですから、世間一般もそう信じるしかないのですが、実際には真逆なのが実情です。
 このことについては、何人かの医師が本を出して、そのようにおっしゃっておられるのですが、がんの自然死で最も多くの臨床例をお持ちと思われるのが中村仁一氏で、その著書「大往生したけりゃ医療とかかわるな」から、まず、痛みについて、その要旨を紹介することにしましょう。

 私は老人ホームに(医師として)移った当時は、がんの末期は猛烈に痛むものという、医療界の“常識”に毒されていました。がんで痛みが出るのは、放射線を浴びせたり、“猛毒”の抗がん剤で中途半端にがんを痛めつけるのではないか。がんを完全に根絶やしにできるのならともかく、がんの残党が存在する以上、身内を殺された恨みで、がんが復讐に出てもあたりまえと思っていました。だから、猛烈な痛みが生ずる。
 ですから、がん末期の患者が来たら、痛みにどう対処しようかと、正直ビビりました。
 しかし、年寄りの手遅れのがんに5例、10例とかかわっていくうちに、発見時に痛みはなく、その後、何の手出しもしなければ痛むことはないとわかったのです。
 たしかに、“痛み”があるなら、もっと早い時期にがんは見つかっていておかしくありません。それが、病院に行くきっかけが、痛みではなく、血を吐いたり、お尻から血を流したり、痰に血が混じったり、レンガ色の小便が出たり、身体が真っ黄色になったり、食が細ってやせてきたり、少し動いただけで息切れがするなどだったのです。
 私がこれまで、老人ホームで見てきたがん末期の年寄りは、60~70名にのぼります。
麻薬を使うほど痛んだケースは1例もありません。
 老人ホーム入所者で、最期を病院で迎えた人たちも、痛んだから入院したのではありません。胃や腸から大量の出血をしたり、肺炎になったり、黄疸が出たり、最期ぐらいは病院でという家族の強い希望があったり、というケースです。
 こうした例に数多く接し、「がんは完全に放置すれば痛まない」「死ぬのは“完全放置”のがんに限る」は、確信に変わりました。
 なお、いよいよお迎えが来たという状態になって、がん患者が通常何日であの世へ逝くかですが、点滴もせず、口から1滴の水も入らなくなった場合、一般の老衰死と同様に7日から10日程度です。その間、本人はスヤスヤ状態なので、何ら苦痛はありません。そして、末期がんの死に方にもうひとつ突然急変型ともいえるタイプがあり、亡くなる1時間前までニッコリ笑っていたケースさえあります。
 ところで、現実には、すべてのがんが強烈に痛むわけではありません。抗がん剤などでさんざんがんを痛めつけても、痛むのは7割程度といわれています。残り3割の人は、「不思議にも」「珍しいことに」「思いがけなく」「奇跡的に」などど形容されて、軽く片付けられてしまっています。

 いかがでしょうか。抗がん剤などでがんを叩けば痛みが伴うことが多いでしょうが、何も処置しなければ痛みで苦しむことは決してない、というのが、がんなのです。
 次に、「死ぬにはがんに限る」の2つ目の良い点について、中村氏は次のようにおっしゃっておられます。以下、引用・要約します。

 がんは比較的最後まで意識清明で意思表示が可能です。そして、この世に生れ出たからには全員が死刑囚である私たちに、末期がんであれば余命2か月、3か月、半年などと近未来の確実な執行日を約束してくれます。そのため、きちんと身辺整理ができ、お世話になった人たちにちゃんとお礼やお別れがいえる、得がたい死に方だと思います。
 「今や、がんは2人に1人がかかり、3人に1人はがんで死ぬ病気です」とよくいわれます。しかし、あの表現は正しいにしても、脅し文句です。がんは老化ですから、高齢化社会が進めば進むほど、がんで死ぬ人間が増えるのはあたりまえです。超高齢化社会では、全員ががんで死んでも、不思議ではありません。
 繁殖を終えたら死ぬというのが、自然界の掟です。生き物としての賞味期限の切れた年寄りのがんは、「もう役目はすんだから、帰ってきてもいいよ」という、あの世からのお迎えの使者と考えていいはずです。
 症状のないまま、ふつうの生活をしていたら食が細くなり、やせてきて顔色も悪いので、周囲が心配して無理に検査を受けさせたら、手遅れのがんだった。そんな話をよく耳にします。
 繰り返しになりますが、なぜ、そんなに進行するまで病院に行かないのでしょうか。痛まないからというのが、その答えとしかいいようがありません。
 一見、手遅れの発見は、不幸の極みのようにうつります。
 しかし、考えてみてください。それまで何の屈託もなく、自由に充実した毎日が送られていたわけです。痛みが出なければ、今後も体力が落ちて自由に働くのがむずかしくなるまで、ふつうの生活をすればいいのです。
 長生きも結構ですが、ただ長生きすればいいというものでもないでしょう。どういう状態で生きるかが重要だと思うのです。私自身は、ぼけたり、いつ死ねるのかわからないまま寝たきりや植物状態で生かされているのは、願い下げです。
 繁殖を終えるまで生かしてもらったのですから、もう充分ではないですか。人生の幕引きを思い通りにできるかもしれない「がん死」は最高だと思います。
 これを、「手遅れの幸せ」といいます。

 いかがでしたでしょうか。なお、中村氏は、「手遅れの幸せ」とセットで「早期発見の不幸」についても詳述しておられますが、これについては別の機会に紹介することとしましょう。
 小生思うに、なぜに日本人はがんを恐れ、がんは痛くて苦しいものとして考えてしまうか、これは、がんの摘出手術をされた上で抗がん剤が投与されたり放射線を浴びせられたりして、患者の体がボロボロにされてしまうという現状を幾たびも見ているからではないでしょうか。そして、そのような患者虐待を許してしまっているのが、日本人に特有の「死生観のなさ」でしょう。ずばり言えば「年寄りの悪足掻き」です。
 還暦を過ぎたら死を前提に毎日を生きる、これは「死に方」を考えるのではなく、死ぬまでの「生き方」を考えるということです。明日死んでも悔いはなかった人生であった、と思えるような日々の生活ができたらどれほど幸せか、小生はそう思っていますし、中村氏もほぼ同様に考えておみえです。
 小生も、死ぬなら余命〇月と宣告されて「がん死」したいと希望するのですが、しかし、がんになる主な原因はストレスですから、小生にはこれが無縁につき、残念ながら希望がかないそうにありません。

 中村仁一氏の著<大往生したけりゃ医療とかかわるな 副題:「自然死」のすすめ>を読んで、このブログで先に<自然死」のすすめ(中村仁一著)読後感想を記事にしましたが、本書をもう一度読み返してみて、今回の記事をアップしたところです。
 何かと脈が合う中村氏です。少なくとももう1テーマ取り上げたいと思っています。

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注目される、がんの心理療法=サイモントン療法

2014年11月22日 | 癌(がん・ガン)

注目される、がんの心理療法=サイモントン療法
(最新更新 2018.7.7)

 がん患者さんから直接に代替療法の相談を受けるのは、ここのところぱったり止まっているのですが、がん患者さんの身内の方から、その相談を受けることが時々あります。これが一番対処が難しいです。
 
といいますのは、たいていの場合、患者さんは治療をお医者さん任せにしておられ、その医師を信用しておられます。それに対して、相談に来られた身内の方(何人かの身内のうち、その方一人だけの場合がほとんど)は現代医療に疑問を持っておられ、医師を信用されていないからです。
 小生は、現代医療を否定する最右翼ですから、相談されて、どうしたらよいか問われたら、「即退院し、心の病のケアに入るべし」と、言うしかありません。
 それに身内の方が賛同され、がん患者さんに上手に話をされて、心変わりしていただければ、大半のがんは治癒に向かうでしょうが、これは、あまり期待できません。
 身内の方が深い知識を身に付け、かつ、愛情を持って患者さんに接し、医者に見切りを付けさせて治療法が180度違う心理療法を採択させねばならないからです。
 下手にこれを行うと、患者はどちらに従えばいいか惑わされ、心を股裂きにされるのですから、逆の心理療法となってしまい、病状は一気に進みかねません。
 加えて、患者一人の力では心の病から脱却するのは難しいですから、身内の方と
一心同体になって対応していかなくてはなりません。

 心の病である、がん。その治療は心理療法しかないでしょう。
 それも、個々に行うのではなく、がん患者さん何人かが集団になって一緒に行い、互いに励まし合うしかないのです。そこには当然、そうしてがんが治癒した先輩が加わり、患者さんに自信を持っていただくのが一番です。
 特に、日本人の場合は、心身がまともな状態であっても個人行動は取りたがらない国民性があり、まして不治の病ともなると非常に気弱となり、集団主義的行動しか取りえないのです。
 こうしたことから、心理療法も、それを頭に置いて行わねば十分な効果を発揮することはできないでしょう。
 その点、「いずみの会」や「いのちの田圃の会」は理想的な互助組織と言えます。

 さて、米国から入ってきた、がんの心理療法「サイモントン療法」ですが、かなりの成果をあげているようです。
 「みやざき中央新聞」で取り上げられていますから、これは信用がおけましょう。
 その新聞記事を元にネット検索したら、「NPO法人サイモントン療法協会」というのがありました。そのHPにざっと目を通しましたら、心理療法士養成のウエイトが高いような感がしますが、がん患者さん集団の心理療法(5泊6日:ベーシックプログラム)も行われており、その頻度は分かりませんでしたが、内容は充実していると感じました。
 興味がお有りの方は、HPにアクセスしてみてください。
  NPO法人サイモントン療法協会
  http://simontonjapan.com/

 なお、みやざき中央新聞に掲載された記事は以下のとおりです。

 

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がんを治すには肩の力を抜くにかぎります:ただしい人からたのしいヒトへ(小林正観著)の紹介

2013年09月23日 | 癌(がん・ガン)

がんを治すには肩の力を抜くにかぎります:ただしい人からたのしいヒトへ(小林正観著)の紹介
(最新更新 2018.7.7)

 9月はがん征圧月間で、がん患者の方に読んでいただきたい本を先日このブログで1冊紹介しました。がん患者自助団体「いずみの会」代表の中山武著「論より証拠のガン克服術」です。
 その内容を簡潔に紹介すれば、次のようです。
 がんとは、間違った食生活やストレスで起きる生活習慣病で、がんを治すには、まず心の改善が重要で、そして、がんができやすい体質になっているから食事で体質を改善する必要がある、と述べられています。そして、著者のモットーは、「ガンになったら、ゆっくりぼちぼち治していこうや。ガンちゃん、一緒に暮らしていこう。」です。

 がんは、「がん体質と言うものがあって生活習慣病である」ということは、糖尿病と類似しています。
 糖尿病は、すい臓が弱かったりしてインスリンの出が悪いという体質から来る生活習慣病ですからね。その要因は、間違った食生活やストレスが起因します。
 体質的に糖尿病になりやすい方、これは遺伝的な要因も大きいです。糖尿病は根治が難しく、一生付き合っていくしかないです。
 どうでしょうか、がんも糖尿病も一緒ですよね。
 違うのは、がんは「こころ」の比重が大きいことです。

 「こころの病」を改善するには、心の持ち方を変えるのが一番なのですが、これがなかなか難しいです。先日のブログの中で、一つに「トイレ掃除」があることを紹介しました。これを勧めておられる方、心学研究家の小林正観氏の著書は非常にたくさんありますが、どの本も「心の持ち方を変える」のに大変参考になります。
 小生が持っている4、5冊の中で、一番お勧めなのが表題にしました「ただしい人からたのしい人へーもう一歩奥の人格論ー」(弘園社)です。
 一言で言えば、「肩の力が抜け、ホッと安堵する気分になる」本です。
 この本には、がんについても数箇所で触れられていて、がんで闘病中の方に真っ先に読んでいただきたいものです。
 これより、この本の表題に直接関係する部分とがんに関する部分を幾つか紹介することにします。

(P.2)はじめに
 これまでたくさんの人生相談に乗ってきて、多くの方がなかなか乗り越えられない3つの問題に行き当たりました。
 1つ目は、周りに苦しんでいる人がいるとき、それを自分が解決してあげなければいけない、なんとかしてあげなければ、と思うことです。
 2つ目は、自分はちゃんと生きているのに、周りの人は同じように生きていないではないか、自分はちゃんと働いているのに、周りの人は同じようには働いていないではないか、…という怒り。
 3つ目は、子供をちゃんとしつけなければいけない、部下に対してちゃんと教え込まなければいけない、ということでイライラしている。あるいは自分がいろいろなものを背負っている、ということでした。
 この3つに共通していることは「正しい」ということではないでしょうか。
 自分が「正しい生き方」をしているのに、周りの人が「正しくない生き方」をしている。「私」は「正しい生き方」をしており、「正しい生き方」を知っているのだから、周りの人を何とかしなくてはいけない、何とかすべきだ、と思うところにそれらの問題が生じているような気がします。
 心の勉強をしていくなかで、「どんなことに対しても腹を立てたり怒ったりせず、イライラしないことが自分にとって楽である」ということや「周りの人に対して心穏やかに接することができる人を人格者と言い、人格者になったときに自分が最も得をし、楽な生き方ができる」ということはわかってきました。しかし、その人格者になった人でも、最後の最後まで残る「怒り」や「憎しみ」というものがあるようです。それが何から出てくるのか突き詰めて、出てきた答えが「正義感」と「使命感」でした。
 正義と使命を自分の中に背負うのはいい。しかし、「正義感」と「使命感」というものになると、相手を糾弾し、憎むことになってしまうようです。
 「心穏やかに暮らしたのですが、子供がちゃんとしていないので怒らざるを得ないではありませんか」というように相談をしてくる人が多くおられました。
 「そうやって怒ったり怒鳴ったりすることが楽しいですか」と問いかけると、
 「いいえ、楽しくはありません。でもちゃんと育てなければいけないでしょう」
 と反論する人が少なくないのです。
 「それが楽しいのですか」
 「いいえ、楽しくはありません」
 「楽しくないのなら、やめればよいではありませんか」
 というのが私の答えでした。
 自分が正義や使命を背負っていて、それが「正義感」や「使命感」になったとき、人間はどうしてもそうでない相手を糾弾してしまいがちです。しかし、基本的には「自分がどう生きるか」ということに尽きるのではないでしょうか。周りの人が自分の思いどおりに(「私」の価値観に沿って)生きているかどうかということではなく、自分がいかに自分の価値観に正直に生きていくか、ということで充分なのではないかと思います。…
 「正しい」という価値基準ではなく、それをやることが「楽しい」のかどうか、ということを物差しに置いてみてください。もしかすると、今までにはない、楽しく、幸せで、心穏やかな時間が待っているかもしれません。…

(P.56)悪いことをしていないのに
 ある方が、後援会のあとの2次会でこのような質問をされました。
 「私の友人がついこの間、ガンで死にました。その人は『世の中には悪いことをして人に嫌がられ、迷惑をかける存在でありながら楽しく愉快に生きている人がいるというのに、私は何も悪いことをしていないのに、なんでこんな病気になって死んでいかなければならないのか。理不尽ではないか。私が何を悪いことをしたというのか』といいながら死んでいきました。そのことについて伺いたいのです」
 と言いました。
 どうしてそんな不公平なことが起きるのか、というのが質問の趣旨でした。
 私はこう答えました。
 「ガンになって、あと数ヶ月の命と言われたとき、例えば、自分の好きな絵を描いて何十点か残そうとか、作曲をしたり、好きな曲を演奏して録音して残そうとか、本を書いたり短歌や俳句を書いて残そうとか、そういうふうに自分の存在証明を『残すということで気持ちを切り替えた人たちがいます。
 そのような人たちには、宣告された期間が過ぎても死なない、というケースが多々ありました。あと3ヶ月と言われた人が半年も生きていたり、半年と言われた人が1年も生き延びているという事実に驚き、病院で検査すると、ガン細胞が消滅している、というものです。そういう例が、世の中には多々あるようなのです。
 今の方のような、『ほかにもっと悪いことをしている人がたくさんいるのに、その人たちには何も起こらなくて、何も悪いことをしていないで正しく生きてきた私になぜこんなことが起きるのか』という質問は、自分の運命を恨み、呪って受け入れなかったことのストレスのゆえだったのかもしれません。
 自分が『正しく』生きてきたかどうかではなく、問題は、『楽しく』生きてきたかどうかなのです」…
 ですから、「自分は正しい生き方をし、ほかの人は正しくない生き方をしてきたのもかかわらず、正しい方の私が病気を得て、正しくない方がのうのうと生きている」と考えること自体が、すでに自分の体にガン細胞を作っているということになりそうです。…
 「こうありたい」あるいは「こうあってはならない」と思うことは、そのどちらも執着ということにほかなりません。執着していることが、自分にとってのストレスになり、ストレスが体を壊していくようです。…

(P.81)第3章 性格病理学
 たくさんの人から人生相談を受けてきて、「ある病気の人には性格上の共通項があるようだ」と思うようになりました。…
 「こうしよう」「こうしたい」「こうでなければならない」との思いが強いとき、そうならない場合(それが実現しない状態)が長く続くと、人は「ストレス」をを感じるようになり、その「ストレス」がたまって「疲れ」を生じます。「疲れ」は「凝り、張り、痛み」となり、「凝り、張り、痛み」は「臓器の故障」(=病気)を生み、それが進めば「死」に至るのです。
 つまり、ストレス→疲れ→凝り・張り・痛み→病気→死という5つの段階をたどるわけですが、その一番の源は「ストレス」。
 さらに、「ストレス」の源は、「これを実現したい」「こうでなければ」という「思い」「こだわり」「執着」。
 病気も、そうした「こころ」の問題が大きいのかもしれません。…
(P.93)乳ガン 子宮ガン 卵巣腫瘍
 ある病院の副院長を15年ほどしていたという方から聞いた話です。
 その病院には、ほとんど近代医学から見放された難病の患者さんたちが入院していましたが、その15年の間で発見したことがあったそうです。
 それは、乳ガン、子宮ガン、卵巣腫瘍になる人たちには、人格上の共通項があるということでした。その共通項とは、「女なんかに生まれなければよかった」「なんで男に生まれなかったんだろう」…と言い続け、思い続けてきたということでした。
 そういうふうに言い続け、思い続けてきた結果として、その人の体自身が反応をしたのです。「わかりました。そんなに女でありたくないのなら、では、女でなくなりましょう」と、自らの体が反応し、女性だけが持っている特有の器官である胸と子宮と卵巣を切り取る方向に動きました。
 誰がそうしているのかというと、自分の意志でそうしているのです。…
 「生きているのがつらい、悲しい、つまらない」と言い続けている人は、「生きているのがそんなに大変なのだから、早く死んでしまいましょう」と、体が反応して壊れていくようです。病気がちの人には、そうやって愚痴や泣き言を言い続けている人が多いのではないでしょうか。自分の口から不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句が出てきている人ほど、体が壊れやすい気がします。とても単純で簡単な法則です。…
 自分の口から出てくる言葉をすべて、「嬉しい」「楽しい」「幸せ」「大好き」「愛してる」「ありがとう」というものにしたら、「生きているのがそんなに楽しくて、面白くて、幸せであるのなら、もっと長生きをしましょう」と、体が反応するということです。
 体の中に故障(病気)を抱えているということは、自らの言葉や想念によって壊した部分があるのかもしれません。それを修復する魔法の言葉が、「嬉しい」「楽しい」「幸せ」「大好き」「愛してる」「ありがとう」言葉であるらしいのです。
(P.106)秒刻み
 面白いデータがあります。
 ある生命保険会社が、職業別に保険料を設定した方がよいのではないかということから、死亡率やガンになる割合を職業別に出したことがあります。20~60歳までの約50万人を対象に、首都圏と関西圏で調べたものだそうです。
 その結果、最もガンになりやすい人というのは、マスコミ・報道関係の方々でした。…一般のガン死亡率1に対して死亡率は2.63倍…。全国の死亡率でガンは28%であるのに対し、この分野では41%…。…民放連に限れば55%…。
 2番目にガンになりやすいのは、交通機関…。一般のガン死亡率1に対して2.47…。
 3番目は金融機関…。一般のガン死亡率1に対して2.34…。
 この3つに共通していることは何か。
 「数字」というものではないでしょうか。数字に追われたり、数字を追いかけたり、あるいは数字をはさんで相手の人と話をしたり、時には罵声を浴びせられたりする状況にいる、ということではないでしょうか。…
 このように「ねばならない」ものを、特に数字として抱えている人たちが、どうしてもガンになりやすいらしい、ということがわかりました。…
 …こうい職業に就いた場合もなるべく自分の中で「ねばならない」ではなく、「良い加減に、適当に」生きるということが大変大事であると思われます。…
 …「どうしてもそうしなければならない」という気持ちはなるべく外す方がいいようです。
 ありのままに生きること、のんびり生きること、できる範囲でやること。
 そのようにした結果、上司が「おまえはちゃんとした仕事をしていない」と怒鳴り、「おまえを置いておくわけにはいかないから、もうこの会社から出ていけ」と言うようであれば、笑顔で「はい、わかりました」と言って出て行くくらいの気持ちのゆとりや大らかさを持っていること。
 そうでないと、自分の精神、心、肉体を蝕んで、早死にをするようです。そういう構図になっているようです。

第5章 力を抜いて生きる
(P.202)変幻自在
 私たちは、「こうでなければならない」とか「こうあるべきだ」というものをたくさん抱えているような気がします。…
 「べきだ」とか「ねばならない」という考え方に自分自身ががんじがらめになるのをやめ、「何が正しいのか」という考えからなるべく離れるようにして、「何が自分にとって楽しいのか」ということを考えてみたらどうかと思います。…
 今まで私たちは、「夢を持ちなさい」「希望を持ちなさい」と言われ、夢や希望を持つことが重要で、それらを追い求めるのが人生である、というふうに教え込まれてきました。
 しかし、夢や希望がたくさんあるということは、言葉を換えて言うと、足りないものがたくさんあり、「あれも欲しい、これも欲しい」「あれも足りない、これも足りない」と言っている生活のように思えます。
 そのような「自分の目的や生きる方向を自分に課す」ということはやめて、「自分がそのように動く羽目になったら、そのようにする。やる羽目になったらそれをやる」というような自由な立場で生きていくのはどうでしょうか。…
 「正しさ」を求めることで怒りや憎しみを感じるような人生を送ってきたのであれば、もう1歩進んで、新しい世界に足を踏み出してはどうかと思います。
 「正しい生き方」から「楽しい生き方」へ、「正しい人」から「楽しい人」へ、なのです。(了)

 以上で引用を終わります。いかがでしたでしょうか。
 小生は、「ねはならない」という事態になって苦悩したり、また、落ち込んだりしたときには、この本を書棚から取り出してパラパラッとめくり、所々を読んでいます。そして、今回、久し振りですが全体を読み直しました。全体を読んだのは数度目です。
 その中で一番気に入っており、
心穏やかにしてくれるのは、「ウサギとカメ」(P.193)の物語です。誰もが知っているその童話の続きを著者の創作話として書かれています。何と、彼らは、そのあと5回もレースをするのですが、どんなレースが展開されたのか、それは本をお買い求めの上お読みになってください。

 ※ここで、おことわり申し上げます。紹介した本は、以前は本屋やアマゾンでは取り扱っていませんでしたが、今日ではアマゾンで注文できます。しかし、「在庫切れ」。小生が直接入手した「弘園社」でも「在庫切れ」となっています。
 入手可能なのは、小生の知る限り、次の2社です。
  ありがとう書店 http://www.thanksthanks.net/
  
宝来社 http://www.358.co.jp/(後日追記:売り切れのようです)
  古本でよければ、アマゾンにあります。

(2014.11.4追記)
 別立てでホームページを開設しました。がん対策についてまとめたページは次のとおりです。併せてご覧になってください。
  生涯現役をサポート:三宅薬品のHP 健康情報 がん

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論より証拠のガン克服術(“がん患者の駆け込み寺”NPO法人いずみの会:中山武著)の紹介

2013年09月01日 | 癌(がん・ガン)

論より証拠のガン克服術(“がん患者の駆け込み寺”NPO法人いずみの会:中山武著)の紹介
(最新更新 2018.7.7)

 がん患者の自助団体「NPO法人いずみの会」が名古屋にありまして、23年の歴史を誇り、安心して入会できる“がん患者の駆け込み寺”です。入会金1万円、年会費3千円です。スポンサーもいないし、宗教団体もついていないし、健康食品などの押し売りもありませんから、これ以外に必要な経費は会合などへの交通費だけです。なんとお安いこと。
(参考:これとほぼ類似する団体として、横浜に「ガンの患者学研究所」があります。)
(詳細については、各団体名をクリックしてご覧ください。)

 がんが再発したり転移したりして「手遅れ」状態にあるからと医者に見離された患者さんが、この会に入ると、皆さん、がんと仲良く付き合うことを覚え、そして、がんがおとなしくなったり縮小したり、中にはがんが消えてしまったりして、「“がん”って何なの?」となってしまうようですから驚きです。年間平均生存率は約95%といいますから、医者に言わせれば「毎日、奇跡が連続して起きている! わけが分からん?」となりましょう。

 さて、小生は、5月17日に投稿した「ボヤキ…がん患者さんへのカウンセリングの難しさ」でもって、がんについては薬屋として敗北宣言し、もう、がんに関する記事は書くまいと決めました。そして、もし相談があったら、「当店で漢方薬や健康食品を買うより、名古屋にあるNPO法人いずみの会に入りなさい。岐阜から直ぐ行ける。」と言おうと。
 ところが、そのブログ記事のコメントで、ある方から「お縄にならない範囲で、ぜひ癌についても書き続けてほしいですね。」と励ましの言葉をいただきました。
 また、先日は、はるばる神奈川県から車を飛ばして当店までお出でいただき、その方のお父上様のがんについてご相談を受けたりしました。ブログ記事を見てお出でになり、そして、漢方薬や健康食品をお買い求めになったのです。ご来店いただいたこの方には、この先当然フォローしていかねばなりません。

 こうして、再びがんに関わっていかざるを得なくなりました。
 よって、ブログでも記事を書き続ける、と言っても、頻度は落ちるでしょうが、これはといった内容のものがあったときには書くことにした次第です。
(注:このブログでは、最近「癌」の表記を「ガン」から「がん」に変えましたので、小生の執筆文は「がん」となり、引用文は「ガン」となっています。あらかじめご了承ください。)

 そこで、今回は、今日から「がん征圧月間」が始まりましたので、それによせて、最近入手した、がん患者の自助団体「NPO法人いずみの会」の元代表者(故人)中山武氏が著された本の内容がとても勉強になりましたので、それを紹介することにします。
 「論より証拠のガン克服術(2004年9月:草思社:1200円+税)」
 なお、この本なり別の中山氏著の本は、「いずみの会」に入会なさる前に読んでおいてほしいとのことです。

 まず、副題として「長期生存者の会が教えるガン体質改善法」とあり、背表紙には次のように書かれています。

 「ガンの常識」はまちがっている!
 ガンは死病である。→×
  〇→ガンは生活習慣病だから、体質改善すればよくなる。
 ガンは原因不明だ。→×
  〇→食生活やストレスでガン体質になったためにガンになる。
 転移したら治らない→×
  〇→ガン体質を改善しないかぎり、別の場所にガンができるのは当たり前。
 ガンを治せるのは三大療法(手術・抗癌剤・放射線治療)だけ。→×
  〇→三大療法はガンそのものに効くだけで、患者のガン体質は変わらない。

 ガンは早期発見しないと治らない。→×
  〇→末期ガンでもガンが退縮した例、進行せずに元気に暮らしている例は少なくない。
 ガンになったら医者に頼るしかない。→×
  〇→ガン治療の第一歩は、「自分で治そう」という意志である。

 本に書かれていることを総合し、背表紙の内容を一言で言うと次のようになります。
 「ガンはまちがった食生活やストレスで起きる生活習慣病だから、自らの意志で生活習慣を改めれば治るものだ。」

 これより、小生が興味深く感じた箇所を抜粋して紹介しましょう。

(P.14)病気の「手遅れ」の場合なら、助かりようもある。「ガンが進行していて手術ができない」とか「末期ガンで余命半年だ」という状態の「手遅れ」なら、快復する道もあるし、実際に快復している人もいる。
 ところが、抗癌剤を使い過ぎて、臓器などを痛めつけられた「手遅れ」は、どうしようもないのである。こういう方々はほとんど半年以内に残念な結果になってしまう。

(P.16)…経験から、ガンは「治る」ものであるといいたいところだが、この病気はときには十数年後でも転移・再発することがあるので、「治る」という言葉は誤解を招く恐れがある。
 だから「生き抜く」という表現にするが、数年も十数年も生き抜いている患者さんたちは、ほとんどの人が医師などに頼らず、自分の力で、「自助努力」で生き抜いている。だからこれは「快挙」であるといいたいのである。

(P.18)「ガンを治すには、まず心の改善を」、「ガンができやすい体質になっているから、食事で体質を変えよう」というと、「何をバカなことを! 心や食事でガンが治れば世話はない!」と笑い飛ばされるのは百も承知である。
 それがいまの医療界の実態だ。私も実際に医師から嘲笑・罵倒されたことがある。ある医師は次のように言った。
「われわれ専門家が、国の総力をあげて研究し取り組んでいても治せないのに、いくら治った人がいるからといって、素人さんの集まりで治るわけがない」
 それでも、私たちの考え方や方法で、医者や国に見放されたガン患者さんたちが、何年も十数年も生き抜いている事実はゆるがないのだ。

(P.20)「いずみの会」で会員の方たちにすすめていることは、「心の改善(転換)」と「食事の改善」と「運動をすること(歩くこと)」の、おもにこの3つである。
 これを三本の柱にして、ほかに、あまり金のかからない「民間療法」などを紹介している。そのほか、本当に必要なものがあれば、それぞれが独自の判断で取り組めるよう情報の伝達をしている程度である。
…だから、一部の現役の医師の先生たちも注目するようになり、なかには会員になってくださったり、会合に出席する先生まで出てこられたのである。

(P.32)(著者ご自身のガン闘病生活を振り返って:東京都大田区の松井病院・食養内科でのこと)「食養内科」は食事の指導だけでなく、患者さんの心のケアも実施している。私は同内科の部長・長岡由憲先生の次の言葉が忘れられない。
「自分のガンは治ると信じている患者さんは、経過がよく長期延命されますが、治らないとあきらめている患者さんは、経過が悪いように思います」
 まさに、いかに心のあり方が重要かということを指摘している言葉だと思った。「治そう」という意志、しかも「自分で治そう」という決意こそが、何よりも「免疫力」を高めるのである。
 体によい食事をいくらきちんと摂っていても、治すという「前向き」の気持ちがないと、治るものも治らないということなのだ。

(P.36)また、家族の協力というものも不可欠である。毎日一緒に暮らしているだけに、その存在が患者さんの免疫力に与える影響はきわめて大きい。
…私の免疫力が上がったのは、ひとつには家内の応援があったからである。
…現在、私は各地で講演活動をしているが、もし夫婦間で「ガンなんて、切って治したんだから、文句をいわずに仕事を手伝え、という伴侶がいたら、夫婦別れをしてでも自分の体を治さんとダメですよ」という話もしている。

(P.54)私たち「いずみの会」では、ガン治療のためには、3~5年間「玄米菜食」を徹底的にやる必要があると提唱している。徹底的にとは、白米、肉、赤身の魚、甘いもの、果物、油もの、牛乳、乳製品、パン、アルコール類などをいっさい口にしないということだ。
…さらに補足として、「よく噛むこと」について述べておきたい。…
…「まず、しっかりした便を出すこと。これが体調がよくなったきっかけ。これがガンを治す基本」

(P.59)私は、「ガンを治すぞ」という前向きな気持ちと、だれにも頼らず自分で治そうという自立心は不可欠だと述べてきた。
 そして、それ以上に大切なことは、「あせらずに、怖がらずに、ぼちぼちいこう」という「リラックスした心」だと思う。
 安心と、信頼と、平常心を保ち、ストレスをつくらない心の状態でいること、これがいちばん大切なのだ。…
 「ガン克服のカギの60パーセントは、心のあり方にある」
 これが私のもっとも主張したいことであり、本書執筆の目的である。

(P.81)名古屋市西区にある「おひさまクリニック」の岡田恒良先生は、あるところで伊藤勇さん(いずみの会会員で講演活動を盛んに行っておられる方)のことを次のように紹介している。
「『いずみの会』にこんな会員がおられます。余命3か月といわれ、最後に好きなことをしようと、やっていた会社を譲り、死ぬ準備をすっかり整え、海外旅行に出かけました。そして『治るもよし、治らんもよし』という境地になって、笑顔で毎日を過ごした。そうしたら3年、4年たってもなんともなく、とうとうガンがなくなってしまったのです」
 伊藤さんは「我執」を放したら楽になったと述べた。岡田先生も「自我」を中心に生きているうちはだめだというのが自論である。
…しかし、これがいちばん難しいそうだ。患者さんに「死にたくない、治りたい!」というあせりの気持ちがあるうちは治らないという。そういう気持ちは「エゴ(自我)」であり、エゴが心を乱してしまうのだという。
 私は先に、「ガンなんかで死んでたまるか」という気持ちが大事だと述べた。これは岡田先生の説と矛盾するようだが、そうではない。私のいう「治りたい、死んでたまるか」という気持ちは、「あきらめるな、ガンなんか死ぬ病気ではないぞ、前向きに生きていこう」という意味あいのものである。
 「ガンになったら、ゆっくりぼちぼち治していこうや。ガンちゃん、一緒に暮らしていこう」
 これが私のモットーである。
 ガンに対する恐怖のあまり、あせったり、あわてたり、ムキになったりする患者さんが非常に多い。それで残念な結果になってしまう人が少なくないのである。その恐怖心や焦燥感はどうしても心を乱し、大きなストレスとなる。

 いかがでしょうか。ここまでで、この本の4割ほどからの引用です。
 「がんは心の持ちようで治る」、これが6割のウエイトを占め、あとは、書いてはありませんが、3割は「玄米菜食」という食養で、残りの1割は運動を欠かさない、そうすれば、がんは誰もが治る、といったところでしょう。
 小生思うに、ここで難しいのが「心の持ちよう」です。
 普通の人にとっては、一人で取り組むには肩の荷が重すぎます。少なくとも家族の全面的な支援がいりますが、空回りすることも多いのではないでしょうか。
 やはり、同じがん患者さん同士の仲間意識でもって、皆が集まって互いに支えあい、医者に見放された人が今ここにピンピンしている姿を実際に会って見て確かめることができる、そういった場に参加するのが一番でしょう。
 ここに、「いずみの会」のような自助団体の良さがあるのではないでしょうか。

 さて、引き続き引用をしたいのですが、小生が興味深く感じたところを最終の198ページまで紹介するとなると、膨大な字数になってしまいます。
 そこで、終わりの方(実質上の巻末)から1箇所のみ引用することにします。

(P.180)「がん性格」を捨てよ
 そして私は、先生(日本ホリスティック医学協会理事:長谷川信博:医学博士・薬剤師)の次の言葉が非常に重要だと思う。
「何か病気が起きたとき、自分を『反省する』ことが必要です。『おれが悪かった』と思っただけで、それだけで、半分病気は治っちゃう。ガンだけじゃなく、すべての病気にいえることです」(長谷川先生の言葉はここまで)
…「何も悪いことをした覚えもないのに、ガンになってしまった。なぜだ、なんのせいだ、だれのせいだ?」と考えている人はじつに多い。とくに、ガンは怖いという常識があるから、その思い込みには強いものがある。
 ガンにかぎらないが、病気になったときは、それが引き起こした「きっかけ」というものがある。職場の仕事内容や人間関係であったり、家庭の事情であったり、あるいは無関係の人から偶然、強いショックを与えられたりと。
 しかし、それらはあくまで「きっかけ」であって、病気の本当の原因ではない。「真因」という言葉があるが、真の原因は、自分が「病気になるもと」をすでにもっていたということである。
 少なくとも健康な人であれば、たとえ大きなストレスやショックを受けた場合でも、そう簡単には病気にならないものである。
 極端なことをいえば、真冬にだれかに水をかけられても、風邪をひかない丈夫な人がいる。かと思うと、まちがいなく風邪をひくという人もいる。この場合、水をかけた人を責めても風邪は治らない。自分で治すしかないのである。
 だから、そんな弱い体をつくってしまったことを「反省」し、「おれが悪かった」と判断し、自分の力で風邪を治すことに専念しないと、治るものも治らなくなる。
 ガンも同じだ。ガンになるような体をつくってしまった自分を「反省」し、「おれが悪かった」という気持ちになれば、自分の意志で積極的に治療に取り組むことができる。
 そして、その前向きなプラス思考こそが、免疫力を抜群に上げることにもなるのである。長谷川先生が、「それだけで、半分病気は治っちゃう」というのは、そういう意味であり、きわめて重要なことなのである。
 しかし、これがなかなか理解できない患者さんが多いのも事実だ。とくにガン患者さんは、この病気を非常に恐れているから、だれかに頼りたくてしかたがなくなっている。
 ガンになるなんて、自分は運が悪かったと嘆いている。だから、自己責任という考え方はなかなか受け入れられないケースがほとんどだ。
「いずみの会」がいちばん苦労するところも、まさにここである。抗癌剤の危険性を話すと、医者にはこれこれこういわれたけれども、やめて大丈夫だろうか、というふうに、私たちを「頼り」にしてくるのである。
 気持ちはわかるが、やはりどうしても、ガンをつくったのは自分であるから、自分で治さないことにはどうにもならないと自覚することが先決である。
「自分で考えて、自分で勉強して、自分の責任で治療に取り組む」
 この気持ちがないと、治るものも治らなくなるということを肝に銘じていただきたいと願う。
「それから、感謝の気持ちがあるかないかということも治癒を左右します。『生きさせてもらっています』という感謝の気持ちがあるか否かですね、ずいぶんちがうんですよ」
 また、長谷川先生は「ガン性格」というものがあるという。それは簡単にいうと、わがままな人、独占欲や名誉欲などの「欲」が強い人、自己中心の人、頑固で負けず嫌いの人、自分の考えを押し通そうとする人、甘えん坊の人などなど、要するに「我」が強い人を指す。
 先に、岡田恒良先生や伊藤勇さんが述べていたように、「我執」を捨てることが大切なのである。
「ガン性格を捨てて、『中庸の心』で生きることが必要になります。人間はヤジロベエのようなものです。一つの考えやものごとにこだわらないということです」
 松井病院の長岡先生は、「修行」が必要といった。長谷川先生の「中庸の心」と同じような意味であろう。
 私も講演などで、よく次のようにいう。
「癌という字は、病という字に『品物が山のようにある』と書きます。我執のために、いろいろなものを心に抱え込むと、がんになりますよと警告しているのです。昔の人はよくわかっていたのですね」
 何度もくり返すようだが、「我執を捨て、自分で考え、自分の責任で治療に取り組む」、その心がけが肝腎であることを、よく覚えておいていただきたい。

 いかがでしょうか。やはり、心の問題が大きなウエイトを占めるようです。この本を読んで、再認識させられました。
 このブログの過去記事『治癒した人から分かった「ガンを治す心」』でも書きましたように、土橋重隆先生は「ガンは心身症である」とも言っておられ、そこでも、表現は違いますが“「我執」を捨て「中庸の心」が大事”と類似したことをおっしゃっておられます。(お時間がありましたら、表題をクリックしてご覧になってください。)
 「我執」を捨て「中庸の心」に持っていく、そういう精神状態を作り出す一つの方法が、何と「トイレ掃除」です。無心になって「ピカピカのトイレにしよう」(一気にではなく少しずつでいいですから毎日続けて行けば)と行動を起こすと、トイレがピカピカになった頃には精神状態が、知らないうちに「中庸の心」になっていることでしょう。
 「トイレ掃除」については、このブログの左サイドバーのカテゴリー「心に安らぎ・トイレ掃除」に何本かの記事を入れてありますのでご覧なさってください。「がんに効果的」とは書いていませんが、「鬱(うつ)に非常に効果的」であることは確かですから、広く「心の病」に効くのですし、必然的に“「我執」を捨てた「中庸の心」”にしてくれますからね。

 大変な長文となってしまいましたが、読者の皆様には最後までお付き合いくださいまして有り難うございます。
 冒頭で言いましたように、今月は「がん征圧月間」ですが、がんは「征圧」しようとすると、ますますがんが力をつけて不治の病に至るのですが、「ガンちゃん、一緒に暮らしていこう」と
いうふうに、がんと「共生」する「心」を持てば、やがて治癒するものなのです。
 よって、がん患者さんが自分のがんについて考えるに当たっては、「がん征圧月間」ではなくて「がん共生月間」と見方を変えて、お考え直された方が良いのではないでしょうか。

(2014.11.4追記)
 別立てでホームページを開設しました。がん対策についてまとめたページは次のとおりです。併せてご覧になってください。
  生涯現役をサポート:三宅薬品のHP 健康情報 がん

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ボヤキ…がん患者さんへのカウンセリングの難しさ

2013年05月17日 | 癌(がん・ガン)

ボヤキ…がん患者さんへのカウンセリングの難しさ

 最近、このブログに「がん」に関することは、もう書くまい、もう書くまい、と思っていながら、今年になってから4本も書き、もう18本にもなってしまいました。
 なぜに、もう書くまい、と思うようになったかと申しますと、理由は3つあります。

 先ず第1に、小生は代替療法でもってがんを治癒させる自信をけっこう持っているのですが、そのためには薬屋稼業をしているからには、がん患者さんに最低4点セット(漢方薬と健康食品)を買ってもらわねばなりません。そして、生活指導です。この生活指導が一番威力を発揮するのですがね。
 さて、これをやったらどうなるか。
 やがて、患者さんのがんを完治させたことが、お医者さんや保健所に聞こえて行きます。すると、「がんに効くと言って健康食品を売った。これは薬事法違反である。」となって、薬屋は必ず営業停止処分を受けます。
 同業者で、こうした処分を食らった方を知っておりますから、とても恐くて、がん患者さんを相手にできないのです。

 2つ目が、病院のがん治療三大療法(摘出手術、抗がん剤投与、放射線照射)を受けつつ、代替療法も併用したいという方。
 たいていは、何かいい健康食品はないか、というご相談です。

 しかし、三大療法で疲弊している体を改善させようとするのは至難の技ですし、もし改善させたとすると、更に強い抗がん剤を投与されたり、放射線照射の回数が増えてしまい、元の木阿弥になってしまいます。
 こうした患者さんは、先ず、がん治療三大療法を止めることが最高の療法であり、代替療法を併用したって勝ち目は全くないのです。
 こうした方は、ご来店になったときに“〇〇が良いと聞いたがどうか。”とお尋ねになりますので、“保証はできませんが物は試しと言いますからお飲みになったら。”とお買い上げいただくのですが、それが功を奏したことはほとんどなく、また、そうした方も近年めっきり減りました。

 3つ目が、病院の治療を受けようか、受けまいか、迷っておられる方。
 こうした方に代替療法を選択すようアドバイスすると、当人は、医者と薬屋とどちらを信用したらよいか、ますます悩むようになられ、よりストレスが高まり、がんを更に悪化させることになってしまいます。

 “よし、ここは薬屋を信用しよう。”となった場合には、1つ目の問題が生じてきてしまい、親身にアドバイスすることができなくなってしまいますしね。
 これは、このブログで過去に相談を受けたこととも関連します。“友人ががんと診断され、病院の三大療法でなく、代替療法を勧めたいがどう説明したらよいか。”というものです。この場合も、がん患者さんの心を八つ裂きにしてしまうことになり、ストレスを高めるだけになりましょう。
 また、最近、こんな方がありました。
 “病院の三大療法はダメだ、何かいい代替療法を見つけ、それをしなきゃいかん。”と言っておらてた方が、いざ自分ががんと診断されると、お医者さんがおっしゃるとおりの療法を受けられ、副作用で苦しんでおられる、という状態になってしまっています。
 “病院へ行くのを止めなよ。”と軽くアドバイスしたのですが、“いざ自分ががんになると、そういうわけには参らんわ。”とおっしゃる。
 かなり精神力の強い方とお見受けしていた方がそうおっしゃるのです。
 これは、きっと日本人に特有の「優柔不断さ」「頼りっきりになる」「空気を読み、それに従う」といったことからくる「決断力のなさ」によるものでしょう。

 こうしたことから、店頭でのがん患者さんへのカウンセリングは、しっかりやれば“お縄頂戴”となるし、下手にやれば患者さんの心をより苦しめることになり、いずれにしても商売にはならないことがはっきりしています。
 よって、がんに関する記事は、ブログ読者のがん予防やご自身ががんに罹患された場合の取るべく療法の参考にしていただく程度のものに過ぎなくなってしまい、他に手を打たねばならない疾病対策が幾つもありますから、今後はそちらの記事を優先し、がんに関する記事は何か特別重要なものがない限り、書くことを控えることにした次第です。

 なお、がん患者さんから相談があった場合には、先に記事にしました「いずみの会」などの自助団体を紹介することでもって対応することにしたいと思っています。

 以上、薬屋のおやじの敗北宣言に関するボヤキ。 

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