薬屋のおやじのボヤキ

公的健康情報にはあまりにも嘘が多くて、それがためにストレスを抱え、ボヤキながら真の健康情報をつかみ取り、発信しています。

夏の間に罹っておきたい新型コロナだが

2020年07月31日 | 風邪・インフルエンザ・コロナ

夏の間に罹っておきたい新型コロナだが

 新型コロナで世界中が大騒ぎしているようだ。規制を緩めた日本では、途端に感染者数が増えて最高を記録しただの、第2波の襲来だのとマスコミは危機感を煽っている。
 わあわあ大騒ぎしている学者も多く、ネットで危機感を煽りまくっているから、始末が悪い。単なる薬屋で感染症に詳しくはないが、基本だけは分かっており、ツボは押さえていると思っている小生である。
 で、日本でここのところ重症者や死者はどの程度の人数になっているのか、これが重要な指標となるのだが、どういうわけか非公表であるも、全然たいしたことはなさそうだ。
 そもそも、感染者数という発表がおかしい。厚労省も当初は「陽性者数」と言っていた。これが正しい表現だ。そして、連日、重症者数と死者数を内数で発表していた。その頃は、旧型コロナ(普通の感冒)に比べて重症化率も死亡率も桁違いに大きいから、これは警戒せねば、と小生は思った。
 旧型コロナより怖いのがインフルであるが、これと新型コロナを対比したいと考えていた小生である。インフルは大雑把な捉え方であるが、日本では毎年1千万人がお医者さんにかかってインフルと診断されている。インフル特有の高熱が出たりして、そのように診断が下される。つまり、医者にかかった発症者数が1千万人である。これは定点観測数値を元にして推定数として統計に上がってくる。なお、死者数は多めに見てざっと1万人、少な目に見て4千人程度であろう。その年その年のウイルス種によって強弱があるから、一律には言えない。
 ところで、医者にかからずに治してしまう病人もいる。薬屋で適当に薬を買って自宅療養する人(うちは薬屋だから、そうした人がけっこういるのが分かる)もあれば、高熱が出ても一晩布団をかぶって寝りゃ治るとばかり薬を飲まない人もいる。さらには、喉がいがらくっぽくなっただけで一晩寝たら治ってしまったという人もいる。なかにはクシャミ1発、それでもって鼻粘膜にくっついたウイルスの大半を吹き飛ばし、ケロッとしている人もいる。よって、インフルにかかる人は統計数字より随分と多い。
 もう一つ、注目されるのは家族内感染だが、インフルは子どもを集中的に襲うウイルスであり、インフルに罹った子どもを看病する母親は、まず感染するだろうものの、無症状で終ってしまうことが多い。この場合、母親は少なからずウイルスを吸い込んでいると考えていい。子どものクシャミをもろに受けてそれを吸い込んだら、一度に入り込むウイルス数は10万個にはなろうから発症する恐れがあるも、子ども部屋に浮遊しているウイルスを少しずつ吸い込む程度であれば、精々千個単位となろうから、その程度であれば鼻粘膜で待ち構えている免疫細胞がたちどころに食い殺してくれ、一切の症状が出ないのである。ちょっとヤバイと体が察知したら、先に言ったようにクシャミ1発である。
 喉のイガイガやクシャミ1発程度の感染で抗体ができるかどうかはっきりしない。全くの無症状であれば最前線の免疫細胞が働くだけであろうから、免疫系統の司令部へウイルス情報を発信することはなかろうから抗体産生はしないであろうし、その準備もしないと考えていい。でも、免疫系統の司令部ではウイルス情報をキャッチし、それを元にして抗体産生の準備(記憶して、次回ウイルスが大量に侵入した場合に抗体を速やかに大量産生、その準備)をしている節があるのである。
 約100年前にスペインかぜ(当時の新型インフル)が世界的に流行り、日本でも猛威を振るった。3年かかって終息したのだが、患者数は2年目に1桁下に、3年目はまた1桁下に、となった。ということは、1年目に日本人の9割に抗体ができ、2年目はその人たちは抗体のお陰で発症しなかった、ということになる。残り1割の人は2年目に抗体ができ、3年目は1年目に抗体ができた人と合わせて99%の人に抗体ができていて発症しなかった、ということになる。
 加えて、新型インフルのスペインかぜにおいては、インフルに弱いはずの高齢者がどれだけも死ななかったのである。これは、どうやらその60数年前に流行ったインフルとの類似性があった新型インフルというしかないのである。つまり、大昔の抗体が記憶されており、それが働いたというしかないのである。
 こうした例は、これも大騒ぎされた、先般の新型インフル(2009年)で、高齢者の罹患率は極めて小さかったという事実があり、インフルが流行れば(毎年のことではあるが)9割の人が感染し、その年に流行った抗体をちゃんと準備していると考えるべきであろう。
 さて、今般の新型コロナについて抗体を持っている人がどれほどいるか検査があちこちで始まった。つい最近新型コロナに罹った人はまだ血液中に抗体が浮遊しているであろうが、治ってしまえば何も血液中に浮遊させるほどに抗体を産生し続ける必要はなく、免疫系で記憶だけしていればいいから、血液中の抗体は皆無となる。これを検査して「抗体陰性」「抗体陽性」なんてやっていても全く無意味である。

 前置きはこのくらいにして、本題に入ろう。
 新型コロナも旧型コロナも風邪ウイルスの1種であり、コロナに変わりはないのだから、感染力は強く、何もしなかったらインフルと同様に、あらかたの日本人に1年でうつしてしまうことだろう。2009年に新型インフルでやっきになって感染を防ごうとしたが、無意味であった。大きく広がった時点で旧型インフルより弱毒性で、日本人全員が感染しても大丈夫ということがわかり、途中で対策は何も取られなくなった。
 今般の新型コロナでは、その初期に重症化率、死亡率ともに高く、旧型コロナのように感染が広がったら医療崩壊する(酸素吸入器や人工呼吸器が足りなくなる。医療従事者が不足する。ベッドが満床になる。)から、毎日の発症者数を抑え、ピークの山を小さくする必要があるとして、濃厚接触機会を減らすための自粛措置を取るよう、国民あげての協力を求められた。これはこれでいい。初期はこうするしか他に方法はない。
 だがしかし、医療崩壊には至らなかった。そして、やりすぎといえるほどの自粛でもって感染者数(正しくは陽性者数)が落ち着きを見せ、自粛をだいぶ緩めた。今、その状態にある。すると、これは当然のことだが、感染者数(陽性者数)は増え続ける。
 ここで、また大騒ぎ。
 なんで大騒ぎするの? 最初は医療崩壊しては大変なことになる、これがための政策であったのであり、今日時点では医療体制もうんと充実させ、最初の何倍かの重症者が出ても医療崩壊しないように準備万端できているのに、である。
 世界的傾向を見ても、新型コロナは今となっては、台湾のように封じ込めは不可能となった。アメリカ、ブラジル、インドが3大感染地であるが、この3国は感染者数が増え続けている。感染者ゼロとなった国はいまだ台湾以外にはない。
 新型コロナはすさまじい感染力を持っていると言っていい。もっとも毎年のインフルよりまだ1桁下だが。これは各国様々な規制をしているからにすぎない。これも、医療崩壊しないようにするのが目的だ。
 つまり、インフルのような“ドカーンと1発”大きな感染ピークなるものを作らないように、“ダラダラとした長~い長~いなだらかなピーク”を作らせる施策を打っているのであり、決して封じ込め施策を取っているのではない。
 ここを間違えてはいけない。決して封じ込めはできないのだから。
 もし、封じ込めをしたいのなら、徹底的に感染者をあぶりだし、感染者数をゼロにする見込みがついたときに鎖国するしかない。なお、江戸時代には鎖国をして、そのお陰で外国から入ってくる疫病(感染症)をかなり防いだようだが、それでも長崎の出島からけっこう入り込んだようであり、インフルもコレラもたびたび大流行した。
 今の騒ぎようを見ていると、なんと江戸時代に帰り、猫の子一匹(猫も感染する新型コロナ)外国からは入らせないように、近々鎖国政策を取らんとするような感じがする。加えて、幕藩体制への復帰でも考えているのだろうか、他藩へ出るのも他藩から入るのも規制したがっている殿様ばかりで、やがて県境に関所でも作る気でいるかもしれぬ。
 何をバカなことを考えていると言いたい。
 世界情勢を見ていると、
もはや感染は防ぎようのない新型コロナであり、日本人も皆、これに感染したほうがいい状況にあると言える。
 日本国政府も訳の分からぬことを言っている。そもそも政府というものは、施策の方針を首相の下に決定する。そのための専門家会議(あらかじめ政策を決め、それを支持してくれる御用学者を集めて、格好付けする)であるのだが、それを解散させたはいいが、これまた訳の分らぬ分科会なるものを立てているが、クソの役にも立っていない。
 自粛を解除する方向に施策の舵を取ったのだから、それを支持してくれる感染学者を集めて、専門家もそう言っているのだから全く安全だ、よって自粛は緩める、と自信をもって首相は言い切ればいい。そして、アベノマスクはもう不要だと、記者会見の席上で放り投げるパフォーマンスを取ることだ。
 そういえば、マスクなんて不要だと公言しながら、またマスクをはめたどこかの大統領がいたが、朝令暮改では困る。首尾一貫していなくてはならぬのが首領というものだ。
 その上手をいく、これまたどこかの大統領は「社会免疫を作ればいい(国民の6、7割が感染すれば流行は落ち着く)。なぜ学校を閉鎖しなければならないのか。仕事に戻って経済を回そう!」と声を荒げたものの、担当大臣が言うことを聞かなかったり、州知事や大都市の市長が住民に行動規制を掛けていて、空回りしているが、この大統領が正論である。彼はこうまで言い放った「私たちは皆、どうせ死ぬのだ」と。そして、最近、自ら新型コロナに感染した。この大統領、世界一立派な方だと小生は思う。どの国の首領も、新型コロナで年寄りがバタバタ死につつあり、そうした年寄りに支えられて目出度く当選し、そのお陰で政権の座にあるから、必死に年寄りを守ろうとする施策を展開していると小生は思うのだが、彼(この際、はっきり言っておこう、ブラジル大統領のボルソナロ氏)は全く違うのであるからして。
 これに近い施策を国を挙げてやっている国が1か所ある。それはスウェーデンで、社会免疫をつくって乗り切ろうという政策を立てており、近隣欧州各国からの評判が悪い。でもそんな雑音は排除して、ブラジル大統領が言うように、小中学校は普通に通学させている。日本でも不思議なほどに子供の感染者数は少ない。日本では高校生の年代までそうだ。でも、スウェーデンは高校以上は閉校にしている(5月1日現在)が、これは年齢別感染者統計からの判断であろう。そして飲食店の規制も随分と緩いものとしている。よって、毎日の感染者数はけっこ多いが、ここのところ下火になってきたようだ。
 ちなみに7月30日現在でのスウェーデンの感染者数79,782人、死亡者数5,730で、感染者数はまだ国民(991万人)の0.8%にすぎないが、日本に比べると随分と高率だ。日本は人口1億2596万年、感染者数33,049人、死者数1,004で、感染率は0.03%でスウェーデンの30分の1に過ぎない。
 スウェーデンもまだまだ社会免疫はできていないが、緩い規制を続けていけば、そのうち目的は達成できよう。なお、スウェーデンにおける老人施策は厳しく、日本では許される満員電車に乗ることは拒否されるとのこと(5月1日現在)。
 つまり、スウェーデンは規制すべき所は規制し、緩める所は緩めるというメリハリの利いた施策を展開し、経済がうまく回るようにしている。
 欧米かぶれしている日本であり、老人福祉の最先端を行っていることで名高いスウェーデンであるからして、新型コロナのスウェーデン方式は実に取りやすいと思うのだが、政府も、そしてこのことを知っているマスコミも、なぜにスウェーデンのスの字も言わないのだろうか。

 さて、日本の現実に戻ろう。人間は人種民族の違いはあれど、病気に対する抵抗力は概ね同じようなものと考えられるも、感染症に対する免疫力についてはけっこう差が出るのが今回の新型コロナで分ってきた。幸いなことに東アジアの民族は新型コロナにかなりの免疫力が働くようである。分母の取り方に違いがあろうから比較は難しいが、先のスウェーデンの死亡率は7%であるのに対し、日本は3%である。このように死亡率は低い。そして、死ぬのはヨボヨボの年寄りに集中している。ここはボルソナロ大統領がおっしゃったように「私たちは皆、どうせ死ぬのだ」と開き直りで行かねばいかんであろう。
 加えて、ここのところ感染者数はうなぎのぼりだが、死者数は非常に低迷している。やはりコロナはコロナであり、日本の蒸し暑さには弱いと考えていい。この際、ボルソナロ氏じゃないが、どんどんコロナに感染したほうがいい。感染したボルソナロ氏だって感染するすれど発症せずで終わってしまったし、夏場の日本のコロナは弱々しいのであるから、ちょっときついワクチンだと思って感染したほうがいいと小生は思う。
 そうすりゃ、コロナは冬場に強くなると考えられるから、今冬、“俺、へっちゃら。なんせ夏に罹ったから。”と平気でいられる。ボルソナロ氏にあやかりたい!と願ってやまない。
 日本国中には、ブラジル大統領に知恵を付けた感染学者や、スウェーデン政府のご意見番になった感染学者のような御仁が必ずいるはずであり、そうした学者を集めて専門家会議を復活させ、今取ろうとしている政府施策にお墨付きを与えてもらえば、全問解決となるのだが、どうして安倍さんはそうしないのだろうか。アベノマスクはもう不要だと、記者会見の席上で放り投げるパフォーマンスをぜひ見たい。そうすれば、安倍政権を諸手を挙げて支持するのだが。

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腹立ち日記と一楽日記(三宅薬品・生涯現役新聞N0.306)

2020年07月25日 | 当店毎月発刊の三宅薬品:生涯現役新聞

当店(三宅薬品)発行の生涯現役新聞N0.306:2020年7月25日発行

表題:腹立ち日記と一楽日記

副題:二本立ての日記をつけてニコニコ人生を送りましょう

(表面)↓ 画面をクリック。読みにくければもう1回クリック。裏面も同様です。

(裏面)瓦版のボヤキ

    笑ってください「シルバー川柳」

 

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頭のいい人は脳が重いか

2020年07月14日 | ボケ・認知症

頭のいい人は脳が重いか

 佐伯誠一著「からだの雑学事典」(1984年)からの引用記事を先日書いたところであるが、読み終わってみて、けっこう面白い記事が何本かあった。今日も、その一つを紹介。今回が最終です。 で紹介したものです。)
(以下引用)

 人間の脳は、大脳、小脳、中脳、延髄からできている。そのうち大脳は、脳の中でいちばん大きく、脳の大部分を占めている。
 大脳は、脳の中でも最も重要なはたらきをし、人間の知恵のもとだ。このはたらきをするのが、大脳の表面の大脳皮質に並んでいる神経細胞と、神経細胞から出ている突起である。
 大脳の表面の皮は平均2.5ミリの薄さしかなく、深いしわが寄っている。しわを伸ばして広げると、おとなで約2200平方センチ、ちょうど新聞紙1ページの広さになる。これが大脳皮質である。そして、ここには神経細胞が140億個もぎっしり並んでいる。
 ところで、脳の重さと頭のよし悪しはまったく関係ない。
 日本人の大脳の大きさは、成人男子で1350*~1400グラム、女子で1200~1250グラム。(注 *印 投稿時1000としていましたが、転記ミスしたようです。訂正します。本を捨ててしまったので正確性を欠きますが。メールで間違いをご指摘いただいた方、有り難うございます。)
 もし脳が重いほどいいというのであれば、男性は女性より常に利口ということになるが、こんなことを真面目に信じる人はいないだろう。
 まして4キロ以上もあるゾウや、9キロ以上もあるクジラが、人間よりはるかに利口などということはあり得ない。天才や偉人たちの脳の重さを調べても、平均より重い人・軽い人さまざまである。(本項付随イラスト「天才たちの脳の重さもイロイロだ!」に6例示され、小さい例としてノーベル文学賞受賞者アナトール・フランス(男性)の1000gが挙げられている。)
 大脳皮質の神経細胞の数は、年齢、性別、人種などによって異なることはなく、生まれたときから同じであり、年を取るにしたがって、その機能を失うと言われている。
 1個の神経細胞には数十から数千もの突起が出ているが、これが隣の神経細胞と複雑にからみ合っている。大脳に刺激を与えると、このからみ合いが複雑になる。
 頭のよい悪いの違いは、これらのからみ合いの具合、いいかえると神経の配線のよし悪しによるのである。
(引用ここまで)

 最近の研究では、脳の神経細胞は加齢で数を減らしても、部分的に増えることもあることがわかった。それは短期記憶をつかさどる海馬という部分である。
 そして、高齢となっても脳は使えば使うほど神経細胞の突起のからみ合いが増え、これは決して衰えるものではなく、ますます頭が良くなると言われている。年を食うと、そこまでの努力をほとんど誰もしなくなるだけのこと。そして、どんなものも使わなきゃ衰えるのであり、一般的に年を食えば食うほど頭を使わなくなり、神経細胞は減り、突起のからみ合いも消え、やがてボケるのである。
 なお、チンパンジーの脳の構造はヒトと酷似しており、脳の容積はヒトの3分の1ぐらいだから、大脳皮質の表面積となると約2分の1となる。よって、神経細胞の数はヒトの約2分の1を下回るようなことは決してなかろう。ひょっとすると、同じかもしれない。というのは、ネズミの脳は0.4グラムしかないし、イヌは100グラムしかないが、けっこう利口な動物であるからだ。
 となると、ヒトはボケボケしてはいられない。毎日ボヤーッと過ごしていると、頭の良さはチンパンジーに負けてしまうかもよ。
 これに対する反論として、「チンパンジーのおでこは小さく、おでこの内側にある前頭葉(記憶を照らし合わせて判断を下したり、ものごとを考えたりする“人間らしさ”を表出する大脳)が発達していないから低能だ。」という説明がまかり通っている。
 しかし、ヒトの頭蓋骨は単に幼形成熟しただけのことであり、生まれたばかりの赤ちゃんはヒトもチンパンジーも頭蓋骨の形は似ている。チンパンジーは、幼いときに比べて大人になるにしたがい頭蓋骨をかなり変形させ、顎を発達させたにすぎない。脳の神経細胞の数はヒトもチンパンジーも生まれたときと大人になったときと変化はないのだから、この説明は間違っている。
 先に言ったように「脳は使えば使うほど神経細胞の突起のからみ合いが増える」のであるからして、我々は、チンパンジーに負けないよう、毎日頭を使わなきゃいかんのです。

(補記)
 女性の脳は男性より小さいが、大脳皮質内の神経細胞は女性のほうが密に存在し、その数には差がない。また、チンパンジーの大脳皮質内の神経細胞数はヒトの8割であり、このことからして知能的な差はさほどないと思われる。  

 ところで、ヒトと類人猿の頭脳はどれくらいの違いがあるのか、その事例紹介を別立てブログで記事にしていますが、面白いものを4つ紹介しましょう。
夕陽を見つめるチンパンジー(Vol.2)
歌を口ずさむゴリラたち
首飾りをつくるオランウータン
瞬間記憶ができるチンパンジー、これができない人間

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新型コロナを正しく知りましょう、その情報提供

2020年07月13日 | 風邪・インフルエンザ・コロナ

新型コロナを正しく知りましょう、その情報提供

 新型コロナに関しては、マスメディアから発信される情報は全て排除したいものです。なぜならば、彼らの価値観は今日においてはテレビなら視聴率、新聞なら発行部数、これが全てであって、情報が正しいかどうかはどうでもよいからです。
 で、どういう報道をするかといえば、視聴者を読者を“脅す”内容であれば注目されること間違いなし、となりますから、恐怖を煽り、いたずらに心配させ、その続編を明日も明後日もオーバーに報道する、これに徹しています。
 その昔の三流週刊誌、今のテレビ・新聞はそんなことしか伝えません。

 そうなると、我々は、どこかから正しい情報、間違いない道しるべを得なければ、自分や家族がどう行動するか、その選択を大きく誤り、後でとんでもない後悔をすることになってしまいます。
 小生も、少ない情報の中から、これだけは間違いない、これは正しい情報だと確信が持てた事項をこのブログで発信し、それが後で誤りだと知ったときには早速に訂正情報を出してきました。
 しかし、情報網がどれだけもない小生ゆえ、途中でギブアップし、このブログの読者の方々には次の2つのサイトをご覧になるよう、おすすめしたところです。
 中部大学教授 武田邦彦教授
  → 武田邦彦(中部大学)
 京都大学 iPS細胞研究所長 山中伸弥教授
  → 山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信
 今のところ、大ざっぱにいって、前者は楽観的、後者は悲観的、といった受け止めをしておられる。ほぼ毎日のように解説されたり、新着情報を提供していただけます。
 これからは、小生もこれをみて自分の行動を判断することとします。
 皆さんも、この2つのサイトを参考になさってはいかがでしょうか。
(以上、4月7日の当ブロブで書いたこと)

 ところで、別の方の解説、これは「日本講演新聞」(月4回発行:発行元「宮崎中央新聞社」)に掲載されていたものですが、けっこう的を得ている、と小生は感じましたので、読者の皆様に情報提供します。
 5月7日の講演録ですから、2か月ほど前の時点での解説になりますが、現時点でも通用するものでしょう。(当新聞6月15日号、22日号、7月6日号をとりあえず掲載します。7月13日号<最終>は入手次第追加掲載します。←14日追加掲載)

 

 

 

 

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正座、足のしびれない座り方

2020年07月12日 | よもやま話

正座、足のしびれない座り方

 佐伯誠一著「からだの雑学事典」(1984年)からの引用記事を先日書いたところであるが、読み終わってみて、けっこう面白い記事が何本かあった。今日も、その一つを紹介。 で紹介したものです。)
(以下引用)

 足に血液を送る血管は、太い1本の血管が枝分かれしている。血液が順調に流れれば、足はうまく動く。だが、正座を長くしていると膝の太い血管が圧迫されて、足の先まで血液がうまく流れなくなる。そのため足がしびれて、ぴりぴりと変な感じがしたり、立てなくなったりする。
 …正座してしびれないコツは、足のひとところに体重がかからないように、うまく座ることだ。また、座りながら、ときどき足を動かせば、しびれにくい。
 たとえば、両足の親指を重ねて正座し、ときどき親指を上下に入れ替えれば、親指の運動ができてしびれない。茶道の先生や坊さんが長時間正座していてもしびれないのは、座り方がうまいし、訓練しているからだ。…
(引用ここまで)

 まあ、これは通常言われていることで、これでもって、すぐにいつもより長時間正座ができるようになるものではないと思う。
 小生は、けっこう長い時間、正座ができる。これは、たったの1回だけだが、長時間の“修行”のおかげだ。30年も前のことだろうか、東京の親戚の葬式に行ったとき、会場は公民館で、びっしり参列者が入り、なんと板の間で1時間も正座させられっ放し。足はしびれ、痛みを通り過ぎて無感覚。葬儀が終わって立ち上がろうにも、全く足がいうことをきかない。恐れ入りました、です。
 これ以来、法要など座布団を敷いての正座は、読経が1本終わるまで平気になった。もっとも、すぐにサッと立ち上がるのは無理だが。そして、料亭の座敷で宴席がある場合も、正座していることが多い。このほうが楽なのである。長時間あぐらをかいていると腰が痛くなるからだ。
 ところで、我が宗派は有難い。浄土真宗の場合、法要などの最後にたいていは「御文様」が読まれる。これを聞いている間は、座ったままで頭を低くする。すると、その間、ケツを気持ち浮かせぎみにし、それでもって足の血流を回復させることができるのだ。うまいことを坊主は考えたものだ。これによって、ああ、全部終わった、すっくと立って蝋燭を消そう、お布施を坊さんに渡そう、と、ササッと行動に移せるのである。

(本ブログでの追記)
 近年、中高年で正座ができない人が急激に増えてきた感がします。
 どうやらこれは“ウンチング・スタイル”の変化が原因と思われます。つまり、和式トイレから洋式トイレにほとんどの家庭が変わり、膝を大きく曲げる習慣の喪失、これにより膝関節が硬くなったからではないでしょうか。
 正座によって膝関節は柔らかくなりましょうし、正座は背骨を真っすぐ直立させますから、首から足までの骨のゆがみを正してくれるように思われます。
 1日1回は正座、これを心がけたいものです。公式の場で、まだまだ正座せねばならないことが多い日本社会ですからね。

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冷たい物中毒からの脱却を(三宅薬品・生涯現役新聞バックナンバーN0.197)

2020年07月10日 | 当店発刊の生涯現役新聞バックナンバー

 毎月25日に発刊しています当店の「生涯現役新聞」ですが、これをブログアップしたのは2014年陽春号からです。それ以前の新聞についても、このブログ読者の方々に少しでも参考になればと、バックナンバーを基本的に毎月10日頃に投稿することにした次第です。ご愛読いただければ幸いです。

当店(三宅薬品)生涯現役新聞バックナンバーN0.:2011年7月25日発行
表題:冷たい物中毒からの脱却を
副題:

 ↓ 画面をクリック。読みにくければもう1回クリック。

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食後すぐに力仕事をしてはならない理由とは

2020年07月08日 | よもやま話

食後すぐに力仕事をしてはならない理由とは

 佐伯誠一著「からだの雑学事典」(1984年)からの引用記事を先日書いたところであるが、読み終わってみて、けっこう面白い記事が何本かあった。今日も、その一つを紹介。 で紹介したものです。)

 食後の運動に要注意
 食後すぐに運動すると、よく左側上腹部が痛むが、これは脾臓が痛むのである。
 脾臓は、みぞおちの左側、胃や肝臓よりも深部にあり、…老朽血球の破壊を行なったりしている。
 ふだんは血液を貯蔵していて、からだのどこかで大出血して、体内の血液が少なくなったときや、激し運動をして、からだのある部分に多量の血液を送る必要が生じたときなどに、脾臓は縮んで、たくわえていた血液を送り出して補う役目をする。
 こんな場合に、脾臓は2分の1から3分の1、ひどいときには6分の1にも収縮する。
 食事をすると、食物をこなすために胃や腸など、消化器に血液がよけいに集まるので、脾臓は懸命に働いている。(つまり、縮こまる。)ところが、このとき、急激な運動をすると、筋肉へも急いで多量の血液を送らねばならない。
 そのため、脾臓はいつも以上に縮まろうとする。つまり、脾臓がひきつるようになるので、左腹のあたりに痛みを感じるのである。
(引用ここまで)

 「昼飯を食ったら食休め」と、先日この日記に書いたのだが、その理由の一つに以上のものがあるのだ。ヒトのからだは一度にあれもこれもできるようには作られていない。
 食後は消化器系に血液が巡るのであり、運動しているときには筋肉系に血液がよく回るのである。そして、頭を使うときは脳血流が良くなるというものだ。
 なお、病気したときは、これら3系統への血流を絞り込み、からだ全体に存在する免疫系に血液を回すために、「食わず、動かず、脳を休ませる」に限る。
 動物は病気したとき、自然治癒力を最大限に発揮せんとして、皆、そうしているのであるからして、ヒトも動物を見習わねばいかんのである。

(本ブログでの追記)
 今般のコロナ騒動で、「らしき症状が出たからといって医者に来るな、3日(4日?)間は自宅で安静にしておれ」と、医師会は「コロナはクルナ」と、当初は(今も?)受診を拒否していました。
 ここは、旧型コロナ(普通の風邪)であっても新型コロナであっても、今般のお医者様がおっしゃることに素直に従い、症状が出たら家でじっとし、動物を見習って「食わず、動かず、脳を休ませる」の“3無”生活をするのが一番です。
 旧型コロナにしろ新型コロナにしろ治療薬は医者は持っておらず、唯一頼りにできるのは自分が持ち備えた自然治癒力しかないのですから、この力を最大限に発揮できる状況を作り出す以外に治療法は存在しないのです。
 よって、インフルエンザを含め風邪一般は、今回の教訓「コロナはクルナ」を大原則として、医者にかからないのが最善の道となります。
(注)抗インフルエンザ薬があるじゃないか、という反論がありましょうが、この薬にはウイルスを殺す力はなく、あくまで増殖を抑えるだけのことで、罹患初期に効果的なだけです。ウイルスを殺すのは、やはり自分が持ち備えた自然治癒力しかないです。

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“屁”学入門

2020年07月06日 | よもやま話

 “屁”学入門

 佐伯誠一著「からだの雑学事典」(1984年)からの引用記事を先日書いたところであるが、読み終わってみて、けっこう面白い記事が何本かあった。今日も、その一つを紹介。 で紹介したものです。)
(以下、本書を部分的に引用)

 おならには2種類ある
 …腸内には…100兆個もの細菌がいる。これらの細菌が…食物のかすを発酵分解して、ガスを発生する。このガスがおならである。
 ところで、おならには、もう一つある。食物を飲みこむとき、空気も一緒に胃の中に入る。飲みこんだ空気は溜まり、やがて口に逆もどりしてゲップになるが、腸に送られ、消化器を通って、おならになって排泄される。
 つまり、おならには、…2種類がある。腸の働きの活発な人は発生するガスが多く、おならがよく出る。また、大口でご飯をぱくつく人も、空気を飲みこむから、ゲップやおならが多い。
 日本人の成人男子が1日に放つガスの量は400~2000cc。1回に出る量は、ふつう100ccぐらい。日本人は概して、食事をせかせか食べるから、おならの量が多い。お茶漬けサラサラは屁のもとだ。…もっとも、1回の量は個人差があって、50~500ccまで幅がある。おならを小出しにする人は1日に10回以上はしているわけ。1時間に2回も3回も放出する人がいる。

 おならも香水も、においは同じ
 口から飲みこんだ空気が、おならになって排泄されるが、このおならは音が大きくても臭くない。…反対に、体内で発生したガスのおならは臭い。…
 肉や豆などの蛋白質が腸内で分解するとインドールができるが、これが猛烈に臭い。澱粉が発酵するとメタンガスが出るが、これは無色無臭でにおわない。…インドールが、おならのにおいの元凶だ。日本人のおならは、それほど臭わないのに、西洋人のおならが、ものすごく悪臭なのも、肉食だからだ。
 ところで、香料、つまり、芳香の代表は、動物はジャコウ、植物ではジャスミンだが、どちらもにおいの素はインドールだ。インドールは、化学構造がジャスミン花精油と同じである。インドールは濃いと糞臭を感じ、薄めると芳香になる。おならも薄めると、悪臭転じて芳香を放つ。
 なお、腸内にはウエルシ菌といって、臭いおならをつくる細菌もいる。この細菌は老人になるとふえるから、老人のおならは臭い。

 日本中が待望したおなら
 …胃腸の手術のときも、多量に空気が入るから、おならが出る。手術後になかなか腸が動かず、おならが出なかったりすると、命にかかわる。
 昭和5年…浜口雄幸首相が…右翼青年の凶弾に倒れた。弾丸は腸壁を6か所つらぬき、首相は…大手術を受けた。
 腸壁の穴がふさがり、腸の機能が回復すれば、その証拠に、おならが出るはずだ。
「……それだのに、ガスがまだ出ない」と、国民は心配した。
 待ちに待ったおならが出たとき、新聞の号外は大きく報道した。
「待望のガス出る。今朝二時一五分」
「放屁一発天下にとどろく」
 暗い気持ちでいた国民が、どんなに喜んだかわからない。
 腹部の手術後の一発が待たれるのは、医学が進んだ今日でも変わらない。おならは腸の機能回復のあかしである。…

 宇宙旅行の大問題
 …宇宙食は、量は少ないが高カロリーなのでおならの生産率が高く、水素やメタンガスの発生量も多い。
 NASA(米航空宇宙局)で実験したところでは、ふつうの食事の場合、1日に発生したおならの量は275ccで、このうちメタンガスが約60ccだったが、高カロリーの宇宙食を食べると、おなら560ccを生産し、その中に水素ガス205cc、メタンガス90ccが含まれていた。
 密閉された宇宙船の船内には、電気系統の装置が複雑に配置されているから、水素やメタンなどの可燃性ガスが船内に充満すると、スパークによって爆発する危険性が考えられる。宇宙旅行では、飛行士のおならが問題になった。世界で最も大規模におなら研究した組織はNASAだ。その結果、宇宙食はおなら発生の少ないものに改良された。

 おならは爆発する
 NASAの研究で、おならには約400種類のガスが混じっていることがわかった。窒素、炭酸ガス、水素、メタン、酸素が主成分だが、このうちメタンガスと水素は天然ガスとして燃料に用いられるくらいだから、よく燃える。…
 1978年、デンマークの病院で手術中、患者の腸内に溜まったガスが電気メスの熱で引火、爆発するという事故が起こった。…結腸をメチャメチャにするほどひどものだった。…患者は敗血症を併発して死んだ。
 こうした爆発事故は、それまでの20年間に、外国で9件、日本でも2件起こっている。日本の一例は、…横行結腸に電気メスをあてたとたん、「バーン」と爆発、あたりに血や便が飛び散り、腸が裂けた。命に別状はなかったが、患者は余分に腸を切られる羽目になった。
 もっとも現在は、こうした事故の心配はない。手術前に、すっかり腸内を掃除したり、反対に下から炭酸ガスを注入したりしてから、メスを使うからだ。

 危険なガス人間は3人に1人
 メタンも水素も無臭だから、においの強いおならより、においのないほうが爆発の危険性が高い。といっても、体内ガスの成分は個人差が大きい。実際は、メタン生産能力のない人のほうが多数なのだ。
 …成人の3分の2は、メタンを生産する腸内細菌をもち合わせていない。いいかえると、3人に1人がメタン発生の危険人物である。
 
 我慢したおならはどこへ行く
 おならを我慢していると、しばらくは腹がはって苦しいが、やがて体内に吸収されてしまう。だから、後でしようと思っても、一度止めたら、もう出ない。
 我慢したおならは、小腸まで逆流して吸収され、血液中に入って体内をめぐる。
 吐く息の中に水素が含まれているが、これは消化管のガスが血液に吸収され、肺から呼気に入って排泄されたもの。人は口からも“おなら”を出しているのである。
 明治5年、日本に鉄道が開通した当初、客車にトイレの設備がなかった。そのくせ窓から放尿すれば罰金10円、放屁1発罰金5円という定めがあった。5円で米が150キロも買えた時代だから、みんな、おならを懸命に我慢した。…
(引用ここまで)

 いや~あ、面白い。この本の発行は1984年だから、36年も前のもので、単位のmlがccと表記されたり、二酸化炭素が炭酸ガスであったり、ウエルシュ菌がウエルシ菌となっている。でも、その内容はちっとも古くなく、今でもチャンと通用します。

 この記事を下書きしていたところ、今日では「放屁1発罰金5円」という罰金は取られないものの、屁をこいて音や臭いが周りにまき散らされては迷惑千万ですから、音も臭いも消すパンツができないか、なんと、これをけっこういい線まで進めた高校生の研究グループがいました。そのネットニュースは次のとおり。
 2019.7.15配信 「オナラの音と臭いを消すパンツ」高校生が開発、商品化めざす 
 (本稿で追記:このニュースは保存期間が過ぎていしまい、見られませんが、高校生新聞にはまだ残っています。→ 「オナラの音と臭いを消すパンツ」高校生が開発、商品化めざす

(本稿で追記)
「放屁1発罰金5円」が定められたのは明治5年、この言葉も面白いですが、昭和5年の「放屁一発天下に轟く」の新聞見出しは最高傑作ですよね。思わず吹き出してしまった小生です。どの新聞社か調べたのですが分かりませんでしたが、文才がある記者さんがいたものです。新聞はこうでなくちゃいけない。今どきの新聞は国民を脅す見出ししか考えない。国民が楽しくなる新聞づくりをしてほしいものです。 

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血圧は年齢とともに上がる、高血圧は病気ではない

2020年07月05日 | 高血圧

血圧は年齢とともに上がる、高血圧は病気ではない

 佐伯誠一著「からだの雑学事典」(1984年)は絶版となり、今や古本でしか買えませんが、蔵書を断捨離していて、けっこう興味深い箇所がありましたので、このブログでも紹介することにします。 で紹介したものです。)
 36年も前に出版された本からの引用ですが、その当時、血圧についてどのように理解されていたのか、現在における理解との違いがけっこうあって、面白いです。
(以下「からだの雑学事典」から該当箇所を引用)

 血圧は年齢とともに上がる
 心臓が伸縮して血液を押し出すときの圧力が血圧だ。心臓が縮むと血圧は最高に達し、これを最高血圧、またの名を「収縮期血圧」と呼ぶ。めいっぱい広がって次に縮む直前、血圧はいちばん低くなる。これが最低血圧、別名「拡張期血圧」。
 血圧は心臓から遠い場所ほど低くなる。心臓から出たところの最高血圧が140の人なら、上腕の動脈で120、足の先で90、最後の毛細血管では20に落ちている。
 ふつう、血圧というときは上腕の動脈で測った圧力のことだ。そして、血圧120ミリというと、重い水銀を12センチも押し上げる圧力のことで、もしかりに水なら170センチもふき上げるすごい力だ。
 血圧は朝より昼が高いし、寒いと上がる。夏と冬では20ぐらい違う。トイレを我慢したり緊張すると高くなるし、性的なことを想像しただけでも上昇する。それに40歳を過ぎると健康な人でも血圧が上がっていく。これを本態性高血圧と呼ぶ。
 本態性というのは、血圧が高くなるということ以外には、何の異常もないということで、一種の生理現象だ。血圧は、人によって、上がりやすいタチの人と、上がりにくいタチの人がいるのだが、時間が遅れるだけで、誰でも、いつかは上がる。40や50で上がらなくても、70歳、80歳になると、やはり上がる。
 高血圧は病気ではない
 血圧が高いということは、病気ではない。それどころか血圧が高いと血の巡りがいいのだから、喜ばなくてはいけない。(中略)
 人間の血管は、ふだんの10倍の圧力を加えてみても破れないほど弾力がある管だ。だが、どこかもろくなった箇所があると、そこがはじけて裂ける。脳卒中(※)は脳の中の動脈がもろくなり、血液がどっとあふれ出たものだ。動脈硬化こそ卒中の原因で、単なる高血圧だけでは血管は破れない。高血圧と動脈硬化はまったく別の病気である。
(以下、引用略)

 いかがでしょうか。「血圧は年を食えば上がって当然。血圧が高けりゃ血の巡りが良くなって喜ぶべし。血圧は1400(あり得ないが)になっても血管は破れやせん。なんも気にせんとてええ。」ということになる(これが正しい)のだが、佐伯氏はそう断言せず、医者の回し者のような解説をもしておられるので、間違い直しをしつつ、それを併せて以下に紹介しよう。
 まず、引用文中の(※)について、ちょっと注釈を入れておく。著者佐伯氏は医学の専門家ではないからか、「脳卒中は…血液が…あふれ出たものだ」と、正しくは「脳出血」のことを、かように書いておられるが、これは明らかな間違い。「脳卒中は、血管が詰まる脳梗塞と血管が裂ける脳出血・くも膜下出血を含めた脳の血管系疾患の全体」をいうのであって、血管の破れ、詰まり、その両方をいうのである。
 それと最後の一文「高血圧と動脈硬化はまったく別の病気である。」は、いただけない。見出しで「高血圧は病気ではない」と言っておきながら、高血圧が病気にされてしまっている。(もっとも、これは「(以下、引用略)」とした部分の記述との関連でそうなったきらいはあるが。)
 さらに付言すれば、動脈硬化も病気ではなく、「血管が硬く脆くなり、内壁にコレステロールなどが沈着して血液の通りが悪くなる」状態のことをいうのであるから、いまだ未病の段階にあり、あえていうとならば「動脈硬化症」だ。
 なお、現在では、高血圧も「高血圧症」と言われることが多くなったが、動脈硬化ほどには血管系疾患との因果関係はなく、佐伯氏が言われるように「血圧が高いと血の巡りがいいのだから、喜ばなくてはいけない。」のであって、「本態性高血圧」と呼ぶにとどめおくべきものである。

 ところで、「(中略)」の部分には、次のように書かれている。
 ただ、高血圧が何らかの原因になって、さまざまな症状が起こる。それが問題なのだ。
 そして、「(以下、引用略)」には、現在言われていることと全く同じ“脅し文句”が書かれている。それを以下に全文引用することとする。
 血圧が高くなると、心臓は自らの筋肉を肥大させてそれに耐えようとする。そのため心臓そのものが拡大して機能が低下し、心不全を起こす。さらに心臓に栄養を送っている細い動脈の硬化が進んで、心臓が栄養不足や酸素不足になり、狭心症や心筋梗塞を起こす恐れがある。
 高血圧は病気ではなくても、脳卒中、心臓病、動脈硬化などを起こす要因になっている。脳出血や心筋梗塞、狭心症を除くには、そのもとの高血圧を何とかしなくてはならない。それで、高血圧を病気扱いにするのだ。世界保健機構では、最高血圧が160ミリ以上、または最低血圧が95ミリ以上を、高血圧と定義している。
(以上で全文引用完了)

 血圧に関して佐伯氏の捉え方に2通りある。その時代以前の捉え方「高血圧は本態性であり、血の巡りがいいのだから喜ばなくてはいけない。」というものと、たぶんこの頃から騒がれだしたであろう「高血圧が何らかの原因になって、さまざまな症状が起こる。それが問題」というもの。
 前者だけに止めておけばいいものを、後者に言及するから一言文句を言いたくなる。

 まず、心不全に関する記述だが、心臓の筋肉はそんなに華奢(きゃしゃ)なものではない。年を食えば高血圧であろうとなかろうと、心臓肥大は避けられないものの、けっこう元気に動いてくれるものである。ただし、いつまでもその元気さは保証されるものではなく、心筋梗塞や大動脈解離または大動脈瘤破裂といった突発性疾患がなければ、やがて心臓は機能不全となり、ご臨終ということになるのだが、死因が老衰と診断されるのはまれで、多くは心不全と診断されるだけのこと。
 高血圧が起因して血管系疾患を誘発すると盛んに言われているが、降圧剤でもって血圧を下げた結果、逆に血管系疾患を誘発するという報告もあり、高血圧と血管系疾患との間にはたいした因果関係はないというのが本当のところだ。血管系疾患は飽食と運動不足が原因と言った方が当たっているのである。

 その後、どんどん高血圧が口やかましく叫ばれるようになり、現在ではWHO(世界保健機構)の高血圧基準は最高血圧が140mmHg以上、最低血圧が90mmHg以上になっており、日本の医学界も概ねこれに準拠している。
 で、現在、日本の高血圧の基準値はどうなっているかというと、非常に複雑化させており、巧妙に仕組まれている、といってよいであろう。基本は140と90であるものの、130どころか120までが登場している。一方で、年齢区分は極めて荒っぽく、加齢とともに上がっていく血圧につき、高齢になればなるほど高血圧症にされてしまう。こうして、「皆、血圧の薬を飲め」とばかり、悲しいかなますます薬漬けから脱却できなくなっている日本の医療制度である。
 そして、けっこう若くして(40代、50代で)血管が詰まる疾患を発症するのが近年の傾向であり、これが増え続けている。これは、ますます高度文明社会になって、飽食と運動不足、これにストレスが加味されてのことであり、この3大要因の除去なくして血管系疾患からの脱却はあり得ない。しかし、これはどだい無理な話。今さら狩猟採集民には絶対に戻れないのであるから、これを甘んじて受け入れるしかないのである。

 さて、高齢者が血圧の薬を飲めば、血圧が下がって血の巡りが悪くなるのであり、体全体の元気さが失せてしまい、かえって様々な疾患を拾うことになるのである。うち一番の問題が、年寄りはただでさえ脳血流が悪くなるのであるからして、血圧の薬なんぞ飲めば“ボケ街道まっしぐら”への道を突き進むしかなくなるのだ。今日の日本は、高度文明社会の便益をたっぷり享受できて実に有難いことではあるが、それがために、皆、長寿となり、そのあまりの長寿が災いして痴呆症が多発する。痛しかゆしである。
 ここで、小生はあえて痴呆症と言い、認知症と言わなかったのは、「痴呆という症状を呈するから痴呆症なのであって、逆に認知できるのであれば非常に健康な頭をしており、認知症とは痴呆が治ってしまう状態」をいうからである。ボケを認知という言葉を使って表現したいのならば、認知不全症とでも言うべきだ。

 高齢者と呼ばれる年齢になったら、その先はそう長くはないもの(人生100年時代というから随分先になるかもしれぬが)と、こころえ、年を食えば食うほど、いくら健康に留意したとしても最期は血管系疾患で逝く可能性がどんどん高まるのであるからして、高血圧を甘んじて受け入れたいものである。そのいい例が、「ピンピンコロリ」運動を展開してみえる長野県で、お年寄りたちの最新の合言葉は、これが一番苦しまずに死ねるからであろうが「脳血管障害で95歳で死のう!」となっているようだ。
 長野県のこの例は、例外であって、世間一般、どううわけか日本人の年寄りどもは、“俺は死にとうない”とばかり、医者から単なる延命措置にしかならない薬をガバチョともらい、ヨタヨタになっても悪足掻きしまくる輩があまりに多い感がする。どうやらこれは日本人の無宗教性(ここでいう宗教とは、超越者である特定の神を唯一絶対の存在とする一神教)が災いしているのではなかろうか。そんなふうに小生は思う。

 本稿は、途中まではこのブログの“一楽”に沿った明るい内容の記事であったが、引用の後半からは別立てブログ「薬屋の…」にふさわしい暗いボヤキ記事になってしまった。
 読者の皆さん、お許しあれ。
 そして、もう一つ。このブログで2016.3.30に「高血圧の話はもう終わりにしませんか」と題して記事を書きましたが、その後も高血圧の記事を何本か書き、今回もまた高血圧に関して書いてしまいました。重ねて、読者の皆さん、お許しあれ。

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フンザは世界一の長寿郷ではなかろうか

2020年07月03日 | よもやま話

フンザは世界一の長寿郷ではなかろうか

 コーカサス、フンザ、ビルカバンバが世界三大長寿郷と呼ばれ、新彊ウイグル 、巴馬(中国:ベトナム国境)を含めて世界五大長寿郷と呼ばれたりしています。そのなかで、フンザは「桃源郷」とも謳われたりしているのですが、なかなか実情が伝わってきません。長寿以外にも何かと特色があるようで、少々情報を得ましたので、紹介しましょう。

 フンザはパキスタン奥地のカラコルム山脈に囲まれた山間盆地で、1974年まで王政が敷かれており、パキスタン国の自治州といった存在でしたが、平和裏に王政が解体されて現在に至っています。人口は約3万人ほど(4、5万人とも)と少なく、ワーヒー・タ ジク族、ブルーショウ族、シナーキ一族など(それぞれ言語が違う)が地域や村ごとに住み分けています。近年は、辺境であるがゆえに、外国人観光客や登山目的の旅行者が多くなっているようです。
 宗教はイスラム教イスマイール派のニザール派のさらにホジャ派(もともと西インド地方の商人層に信者が多い)が大多数で、この宗派は戒律にあまり厳しくなくて、ラマダンをする人も少なく、女性は顔を隠さずに外に出て働いています。そうしたこともあって、女性の教育、社会参加がごく普通に行われいるのが特徴的です。
 
甲南女子大学文学部 辻本雅史氏は1993年8月フンザ教育事情調査報告で次のように言っています。
 (当地の)アマン校長は(初等教育の就学率として)93~94パーセントの数字をあげた が、われわれの調査の印象からして、決してそれは誇張とは思われない。パキスタンの全国平均の初等教育(5年間の小学校)就学率が38パーセント(1989年現在:男子49%、 女子27%)であるのに、フンザでは
女子の普通教育も常識化している。
 イスマイリ一派はそのアガ・ハーン財団を通して学校教育、医療厚生事業、農業(産業)近代化を積極的に推進している。その活動を経済的にささえる基金は、主に先進国やパキスタン都市部在住のイスマイリ一派信者による寄付によっており、イスマイリー派では貧富の区別なく、毎年収入の10パーセントを財団に寄付しているという。近代化路線を推進するこのイスマイリー派の宗教的共同体は、ある種の「見えざる国家」という側面をもっているといえるのではあるまいか。
(要約引用ここまで)

 フンザの人々がどのような生活をしており、健康状態はいかようなものか、これについては少々古いですが、ブライアン・グッドウイン著「DNAだけで生命は解けない~場の生命論~」(1998年発刊)の中で「第7章 質の科学 フンザにおける健康」と題して次のように紹介されています。
 パキスタンの最北に位置するフンザ渓谷は海抜7500フィート(約2300m)にあり、そのヒマラヤの山頂は20000フィートを超えてそびえている。この谷に住む人々は、生物、社会、文化そして生態系のすべての面において「健康さ」の際立った例として広く知らされている。ここは比較的最近まで近づきがたく孤立していた。そこでフンザは、ライフスタイルと「環境」との関係がよく溶け合っており、ヒトの可能性を全開にして見事に「自然」と「社会」の間のバランスをとっている。イギリスの軍医R.マッカリソンは1903年当時のイギリス領インド北部であったこの地に配属された。彼の受け持ち区域はフンザ王国を含んでおり、次のように記録している。「私自身の経験から見て、体格の完全さや一般的な病から解放されている点において卓越している人種の例といえる。…これらの人々の間では寿命は極端に長く、中央部でわたしが数年間(1903~1910年)に彼らに与えた治療は主に、不慮の外傷の手当て、老人の白内障の治療、まぶたのいぼを取り除く手術、あるいは疾病の治療とはまったく関係のない食事の配達といった仕事であった。」
 幼児の死亡率は非常に低く、また、3歳までの子供の世話が次の妊娠によって妨げになることがないように、家族は年齢差の広い2~3人の子供を持つ。もし母親が上の子供に食事を与えている最中なら、妊娠中の胎児が栄養不良に陥ると信じられているのである。訪れた医師のP.D.ホワイトは1964年に次のように報告している。90歳から110歳までの男子を診察していても、心臓病、高血圧、あるいは高コレステロールの兆候は誰にもない。彼らは両眼1.0の視力を持ち、欠歯はない。3万人の地域で、血管、筋肉、臓器、呼吸あるいは骨の系統に関する疾病はまったくなかった。死ぬときには死因を見つけることはできない。彼らはこの極度に高いレベルの健康をどのようにして保つっているのだろうか。
 フンザは主に菜食主義で祭の日にいくらかのヤギの肉を食べるだけである。農業は広範な谷の段丘で行われ、灌漑はよく発達して山川から定期的に給水され、さまざまな穀物、野菜そして果物をつくっている。アンズが主な産物で、世界的に有名になっている。果物は夏に乾燥させ、穀類や根菜といっしょに貯蔵して、長く厳しい冬に備えている。すべての有機ゴミは注意深くあつめて土壌に返し、ヤギ、ロバ、ウシ、ポニー、さらにはヒトの下肥も土壌に返し、土を肥やす。ヤギやウシは多くはないが、それは食料としてはあまり消費しないからである。
(農薬、化学肥料に関する1段落を省略)
 フンザ王国は伝統的にイスラム教国であるが、ここでは彼ら独自の習慣を守っている。女性は、イスラムの規範からまったく解放されており、ベールはかぶっておらず、野外ではズボンをはいて働いているし、財産も相続する。アルコールはイスラムの国では禁じられているのに、フンザでは丘の中腹で栽培されたブドウから非常に効能の高いワインが醸造され、祝日には大いに飲まれている。男たちは建築技術や国家スポーツのポロに優れている。フンザではそのポロはルールのないゲームで、有名なポニーポロで巧みな乗馬を見せる。歯を失う原因は大抵このカオス的な激しいプレーにある。骨を折ってもほぼ3週間で完全に治ってしまう。彼らのスタミナは伝説的で、それはG.T.レンチの著作“健康の輪”からの次の引用に具体的に表れている。
 挿絵旅行家で学者でもあるA.スタイン卿は6月25日の朝帰ってきた使者を見て仰天した。その使者は、フンザの責任者がタシグルカンの公的なムンシ(インド人の通訳の意)へスタインの訪問の準備をさせるために遣わした者であったが、18日に出立していたから、帰還まで丸まる7日間要したことになる。彼は徒歩で280マイル(約450km)を旅したこととなり、道幅は大体2~4フィート(約60~120センチメートル)の道を通って、ときには絶壁に突き刺された棒だけを支えにして、モンブランの最高峰にあるミンタカ峠を2度越したことになる。帰ってきた使者はまったく元気で、自分で成し遂げたことも異常とは考えていなかった。
(引用ここまで)

 いかがでしょうか。これを読むと、“メチャ長寿で、皆、元気そのもの、病気知らず”という世界一の長寿郷といった感がします。ただし、世界長寿郷のどこもそうですが、老人の年齢はけっこうサバを読んでいるようでして、辻本雅史氏のフンザ教育事情調査報告でも子供の歳さえはっきりしていない場合があるとのことですから、P.D.ホワイト氏の言う「90歳から110歳までの男子」というのも年齢に関しては眉唾物ということになりましょう。
 ところで、引用の最後の段落のフンザの人の健脚ぶりですが、峠越えの標高差がいかほどなのか分かりませんので、どの程度凄いのか不明ですが、過去記事『「歩く」とは、本来は「小走り」することなのです』で紹介した2つの民族とどっこいどっこいではないでしょうか。いずれも、現代人にとっては圧倒される健脚ぶりです。
 それを要約して以下に再掲します。
(1)
本多勝一著「極限の民族」の中の第2部「ニューギニア高地人」
 ほとんど芋しか食べないニューギニアの高地民族なのですが、すさまじいほどの“芋力(いもぢから)”でもって、30キロもの重い荷物を背負っていても駆け足で山を登っていくのですから、これには驚かされます。その彼らの日常の食事は、芋に時々野菜を少々加えて蒸した貧相なもので、完全な火食であって生菜食しないのです。なお、彼らは豚を飼っていますが、これは冠婚葬祭のときに丸焼き(蒸し)にして食べるだけです。果物が少ない土地柄ですから、生食は全くしないと言ってもいいです。

(2)国分拓著「ヤノマミ」(アマゾン奥地に住むヤノマミ族)
 目的地までは直線で30キロ弱。森の道は蛇行しているので、実際の距離は4、50キロというところだ。聞くと、男と女は別々に行くという。森を歩く速さが違うからだった。僕たちは長老の一人に頼み込み、女たちと一緒に行きたいと伝えた。男たちのスピードについていく自信がないからだ。僕たちの申し出は了承された。
 夜明けとともに僕たちは出発したが、女のペースは、それでも凄まじい速さだった。途中、女たちが「男なら先頭を歩け」と言った。冷やかしているようだった。2、3時間も歩き続けると、僕らの足取りは重くなっていった。先頭を歩けないばかりか、女たちからも離されるようになった。女たちは30キロ近い荷物を担いでいるのに、僕たちの荷物はせいぜい7、8キロ。それでも離されるのだ。あとから出発した男たちが追いつき、颯爽と抜かしていった。男たちは4、50キロの道を5、6時間で歩いてきたのだ。
(要約引用ここまで)

 ついでながら、昔の日本人もびっくりするほど健脚だったと考えられます。これも過去記事『健康な食生活の原点は“朝食抜きの玄米菜食”=元禄時代以前の食生活』で紹介していますが、羽柴秀吉の「美濃返し」が有名です。
 
約4百年前の戦国時代。戦の場面がテレビドラマでよく映し出されます。これは絵巻物などに基づき忠実に再現されていると思われるのですが、馬にまたがった武将の周りを足軽が並走していきます。実戦ではけっこうな距離を走ることになると思われるのですが、彼らは、いざ敵軍と会い交えても息が上がることは決してなかったことでしょう。史実としては1583年の賤ヶ岳の戦いにおける羽柴秀吉の「美濃返し」が有名ですが、このとき、秀吉軍は大垣から木之本までの丘陵地帯を含む52キロメートルを5時間で移動しています。足軽たちは、鎧を纏い、刀や槍を持って、丘陵を上ったり下ったりしながら平均時速10キロで5時間も小走りしたのですから、その体力には驚愕させられます。
(部分引用ここまで)

 このように、昔の人は健脚で、また、健康そのものであったことでしょう。そして、昔ながらの生活様式を残している民族・部族にあっては、現在に至っても健脚で健康そのものと言えるのではないでしょうか。
 フンザの食生活の詳細は不明ですが、かなりの粗食のようで、ニューギニア高地人ほどではないでしょうが、ヤノマミや戦国時代の日本人とどっこいどっこいに思えます。
 美食をせず、そうした粗食で毎日を過ごし、かつ、毎日動き回るという、動物としての本来のヒトの生活をしていれば健康長寿間違いなし、となりましょう。
 ただし、長寿は必ずしも保証されません。昔から現代にいたるまで、地域によっては感染症で多くの人が命を落としています。これは低地で人口密集している場合に顕著です。一方、高地で人口密度が低ければ感染症に罹患する恐れは格段に減少します。世界長寿郷のどこもかもがこれに該当します。日本の長寿郷も大半がそうした地域です。
 今の日本人は不健康で長寿なのですが、長寿の原因は感染症がほとんど撲滅されたからと言えましょう。一昔前は子どもは疫痢(えきり)やチフスといった感染症で死ぬことがけっこうありましたし、成人してからは結核で命を落とす人が数多くいました。これ以外にも疱瘡(天然痘)・麻疹(はしか)・水疱瘡(水痘)といったものがありますし、梅毒もそうです。そして時には海外から入ってきたコレラの流行など、数え上げればきりがないです。
 現代の日本に残っている感染症で、らしいものは久しくインフルエンザしかなかったのですが、今般、新型コロナで大騒ぎ。昔の人が感染症でどれくらい死に、現代のインフルエンザでどれくらい死んでいるか、それも子供や働き盛りの年代がどれほどなのか、こうしたことを鑑みるに、コロナ騒動は的外れもいいとこです。
 話が随分と横道にそれてしまいましたが、フンザの人々が、いかに健康なのか、その一端がお分かりいただければ幸いです。

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面白い話、楽しい話のご紹介(“一日一楽”日記より)

2020年07月01日 | 心に安らぎを

面白い話、楽しい話のご紹介(“一日一楽”日記より)

 別立てブログで毎日“一日一楽”日記を書き綴っているのですが、ほとんどの記事は自己満足的に楽しかった出来事です。これでは、読者の方に何の役にも立ちません。
 それに気づき、小生が知り得た面白い話、楽しい話も積極的にこのブログで発信したほうが良かろうと思い、本など読んで、これは面白いという話を見つけたら“一日一楽”日記で紹介することにしています。
 前回、齋藤茂太(歌人齋藤茂吉の長男:故人:精神科医・文筆家)著『「あなたと会うと元気になる」といわれる人の共通点』から取り上げたものをまとめて紹介しましたが、今回はオムニバス3本立て。

2014.7.4 今日はいい言葉にめぐりあった
 団塊の世代の特徴と言われるのが、“正義感が強い、完ぺき主義”、そんな話を聞いたことがある。皆が皆そうではないだろうが、小生にはズバリ当てはまる。
 正義感が強いと、“それは間違っている、こうせねばならない。"となって、それを人に押し付けがちとなる。つまり、自分本位で“人を正す”行動を取ろうとする。
 しかし、そのようなことで、はたして人を動かせ得るものか?
 「人を正すより 自分がいいと思うことを コツコツとやっていく  その方が はるかに人に影響を与えるのじゃよ」
 これは、ネット注文して今日届いた「心が軽くなる なんでも仙人の 日めくりカレンダー」に書いてあった言葉である。
 よくよく考えてみるに、人に意見を押し付ければ押し付けるほどに相手は退いていくもの。いくら正しいことであっても、そうなってしまう。ここは、正しいと思ったことは自分で実践するだけでよい、そのように心得るべし、ということでしょうね。肝に銘じておこう。
 関連してもう一つ肝に銘じておかねばならない言葉があった。
 「人にかけてあげた言葉は そっくりそのまま自分へのメッセージ」
 相手が喜ぶ、嫌がるにかかわらず、人にかけた言葉というものは、自分に戻ってくるみたいですね。“こんなことぐらい出来んのか!”と人を罵倒するということは、“そういうお前も出来んことが数多くあるんじゃ、馬鹿もん!”であって、自分を自分で罵倒していることになりましょうね。

2014.5.29 魂が飢える
 近畿日本ツーリストの系列と思われるクラブツーリズム㈱発行の「旅の友」。女房がそこの会員バスを利用したことがあるから毎月送られてくる。
 その6月号の特集記事「上様のヘルスケア」と題して、徳川家康の養生法が4ページにわたって紹介されていた。どれもだいたい承知していたことであったが、初耳な事柄が一つあった。それをここに抜き書きする。

 天下人の食習慣
 「人間は腹ふくれると魂が飢えるものだ。気をつけよ」。そう語っている家康の食生活は、…腹八分が基本。…(引用 ここで終わり)

 家康のこの言葉の出所はどこかとネット検索で探っていったら、どうやら次のようである。これは1983年のNHK大河ドラマ「徳川家康」で、家康の臨終のときに言った言葉。原作者:山岡荘八の小説には「人間は腹がふくれると、次には魂が餓えるものじゃ。その魂を養う糧は学問…怠らずにな、急がせよ…」と書かれている。

 さて、ここで言う「魂が飢える」とは、どういう意味か。
 家康の食生活からしてみると、「魂」は「心、精神、気持ち」という意味で、「飢える」は「強く求める」ということになろうか。
 食欲煩悩が満たされすぎると、金欲、権利欲、名誉欲など為政者としてあるまじき煩悩が暴走を始める。粗食で腹八分に止め、日々学問を積み、正しい心を養うことだ。
 このように小生は解したのですが、いかがなものでしょうか。

 この言葉は史実にはないようで、山岡荘八氏の手による創作と思われるのですが、けだし名言である。
 家康の臨終の頃は天下泰平となった世の中。でも、少なくともこの頃までは、上様から下々の者まで、「朝食抜きの1日2食、麦飯」であったのは間違いのないことで、家康は「1汁3菜の腹八分」でしたが、お偉いさんたちはおかずとして「ご馳走を満腹に」食べていたのかもしれません。そして、その後のお家騒動。
 現代の飽食時代。日本人皆、「魂が飢えに飢えている」と思わせられますね。1日1食生活の小生とて晩飯は「腹が膨れすぎるほどに膨れる」状態にありますから、何ともならんですわ。
 しかし、「人間は腹ふくれると魂が飢えるものだ。気をつけよ。」という、この言葉を肝に銘じておきたいものです。
 今日はいい言葉に出くわしました。

2015.2.10 どんな犬とも直ぐに仲良しになれる方法
 こんなうまい話はないと思われるのですが、小生の経験からしても当たっていそうです。なお、これは空き巣狙いのこそどろがけっこう知っているようでして、いくら吠える番犬であっても、コロッとおとなしくなってしまうようですから、お気を付けあれ。
<新谷弘美著「病気にならない生き方」より抜粋>
 私は子供のころから、どんな犬とでもすぐに仲よくなるという特技をもっています。それほどむずかしいことではありません。自分の唾(つば)を手のひらに出して、犬になめさせてやればいいのです。これでどんな犬とでもあっという間に友だちになれます。
 私は小さいころから犬を飼っていたこともあり、犬が人の口をなめたがることを知っていました。なぜ口をなめるのだろうと考えていたとき、「唾がすきなんだ」ということに気づいたのです。そこで先の方法を試してみたら、どんな犬も大喜びで尻尾を振るようになったというわけです。でも、私がこの方法で近所の犬と片っ端から友だちになっていたのは、まだ小学生のころです。当時はなぜ「唾」を喜ぶのかわかりませんでした。
 その謎が解けたのは、私が医者になり「エンザイム」(=酵素)に注目するようになってからのことです。
 「そうか!犬は唾に含まれるエンザイムを欲しがっていたんだ」
 そして、この視点でさまざまなものを見直すと、動物たちがみなエンザイムを求めていることが見えてきたのです。
 ライオンなどの肉食動物は、獲物を捕まえたとき、必ず「内臓」から食べはじめますが、それは内臓がエンザイムの宝庫だからです。エスキモーのように植物のほとんど育たない極寒の地で暮らす人々も、アザラシを捕らえると真っ先に内臓を食べます。ウサギは自分の一度目のやわらかい糞を食べますが、これも未消化のエサとともにエンザイムを再吸収していたのです。
 最近、ペットの病気が急増していますが、その原因も想像できます。ペットフードです。ペットフードにはペットが生きるうえで必要な栄養がバランスよく含まれているといいますが、それはあくまでもエンザイムを無視した現在の栄養学にもとづいてのことです。
…エンザイムが含まれていなければ、生物は命を養うことはできません。しかし、その大切なエンザイムは熱に弱く…ペットフードを作る過程でなくなってしまっているということです。こうしたペットフードの問題は、人間の食事にもそのまま当てはまります。…
(引用ここまで)
 いかがでしたでしょうか。面白い話、ためになる話ですよね。
 ところで、小生が犬を手なずける方法は、テレビでときどき登場する動物王国のムツゴロウさんが「犬とキスをして互いの舌で舐め合う」という方法です。どこの犬とでもとは参りませんが、親戚の家に行ったときに“お座敷犬様”がいればそうすることにしています。
 これで、あの“畜生”はコロッといきます。あまり犬が好きでない小生です。子供の頃に同級生のT君の家で飼い犬に噛みつかれたイヤ~な記憶がありますゆえ。あん畜生!

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