薬屋のおやじのボヤキ

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年中減塩、ただし夏は熱中症予防に塩分補給って正しい?

2017年07月31日 | 食養

年中減塩、ただし夏は熱中症予防に塩分補給って正しい?
(最新追記 2020.1.27)

 塩分摂取について、あるサイトによれば、次のように書かれています。
 「塩分は控えめに」「塩分の摂りすぎは、高血圧、心臓病や脳卒中の原因」という注意は、常識になってきましたよね。
 世界保健機関(WHO)は、世界中の人の食塩摂取目標を1日5グラムとしています。そして、厚生労働省の「食事摂取基準」では、18歳以上の男性は1日当たり8グラム未満、18歳以上の女性は1日当たり7グラム未満という目標量が定められています。
 ちなみに、厚労省「平成25年度
国民健康・栄養調査」では日本の成人1日あたりの食塩平均摂取量は、男性で11.3グラム、女性で9.6グラムでした。

 つくづく思うのですが、日本人は、なんて真面目で正直な民族なんでしょうね。
 “WHOという権威ある機関が5グラムと言っているんだから、少なくとも厚労省が目標とする8グラムなり7グラムに抑えなくっちゃ。11グラム強とか10グラム弱では、いかにも多すぎるわ。料理を工夫しましょう。”と、なってしまい、外食ではラーメンのスープ(鶏がら・豚骨のコラーゲンいっぱい!)を飲まなかったり、家庭では味噌汁を作らず、梅干や塩漬けの漬物を食卓に置かず、薄味で何ともまずいおかずで我慢していらっしゃる、そんな主婦が多いのではないでしょうか。ご主人もご主人で、“こんな塩っ辛い物は血圧が上がるぞ!薄味にしてくれ。”と文句を言われることでしょう。
 このように、皆さん、減塩しなきゃと考えておられます。お医者さんもそう言いますから、なおさら減塩、減塩となってしまっています。

 さて、諸外国では、どの程度の塩分を摂っていて、どう対処しているのでしょうか。
 “塩分摂取量のデータがまるでない”というのが実情です。各国政府とも日本の厚労省のような調査を全くしていないのです。
 “どうして、そんな重要なことを調査しないの?”と、不思議に思う日本人。
 一方、世界中の人々は皆、“塩分摂取ぐらいで、どうのこうの言うことないわ。おいしい塩味を楽しみましょうよ。”というスタンスに立っていて、ほとんど気にしていないようです。加えて、“政府の言うことは何事も信用できない”という捉え方がまずあって、“事の良し悪しは自分で判断する”という風潮がとても強いです。
 政府に言われて塩分摂取で大騒ぎしているのは日本人だけ、といったところです。

 とはいうものの、小生も数字を意識し、数字に振り回されやすい、根っからの日本人ですから、欧米の塩分摂取量が気になります。探してみたところ、統計学的にあまり有意なものではありませんが、1993年 橋本壽夫「海外の塩分摂取量と保健政策」の各国比較がありました。これによると、欧州各国は(男)10~11グラム台(女)7~9グラム台、米国は男女平均で8グラム前後となっています。それに対して、日本は男女平均で12.4グラムです。今から30年前のデータでして、妥当なところかなと思わせられますが、当時の別の調査によれば、これも橋本壽夫によるものですが、欧州各国は男女平均で9~12グラム台、米国は同14.5グラムとなっていて、“日本は欧州より気持ち高めか。ところで米国の数値はどうなってんの?”となってしまいます。これらの数値はやはり統計学的に有意性があまりなく、日本以外は実際とは合致していない可能性が大きいです。

 こうなると、自分で味比べするなり、他の人の評判を聞いたりするしかありません。このほうがきっと正確でしょう。もっとも、外食産業においてはという条件付きですが。
 小生の海外旅行経験は大したことありませんが、欧米は4回で、延べ約30日。塩味のほどは日本と比べて大差ない感がしましたが、ストックホルム(スウェーデン)では塩漬魚の塩っ辛さには往生しました。また、ウィーンではソーセージはとてもうまかったですが、うまいことで有名な岐阜県郡上市の明宝ハム(防腐剤不使用につき多少塩分が強い)並みの塩辛さだなと感じたところです。
 女房は小生より海外に多く出かけており、そのなかで先月行ったドイツの食事には塩っ辛さで閉口したと言います。ツアーの同行者、皆、そう感じておられたとのことです。なお、米国やカナダは、日本と変わらない印象だったとのこと。
 ドイツの評判は最近、他からも聞こえてきているのですが、極端に塩っ辛いものがけっこう多いようです。その原因は何かというと、彼らはジャガイモが主食ですから、おかずに塩をたっぷり使わないことには食事がおいしくならないからでしょう。これは日本人の主食が白米で、塩分の利いた味噌汁がよく合うのと同じです。昔の日本人の塩分摂取量が多かったのは、白米の多食と毎食味噌汁を飲んでいたことと大いに関係がありそうです。
 ドイツ人の塩分摂取量が多い、もう一つの理由は主なアルコール飲料はビールであることも関係していましょう。ビールをがぶがぶ飲むには塩っ辛いつまみが必須ですからね。これは、現代の日本人の嗜好”“真夏はビールに限る”にも当てはまりましょう。
 こうしたことからして、先進国のなかでは、塩分摂取の横綱はドイツ、大関は日本といったことになるのではないでしょうか。

 もう一つ、塩分摂取の多い少ないは気候との関係もありそうです。寒い地域ほど塩分摂取が多くなる傾向にあると考えていいのではないでしょうか。小生の経験で例示したストックホルムがそうですし、女房が経験したドイツもアルプス以北であって寒い地域です。
 一方、フランス南部やイタリアとなると地中海性気候で暖かく、小生の印象では、何を食べても塩っ辛さはなく、パッとしないおかずには塩を振りたくもなりました。

 これは日本でも言え、一昔前までは東北地方が有名で、実に塩っ辛い漬物を冬に食べていたようです。時々、その解説として「東北地方では冬は雪で野菜が採れないから長期保存が利く塩漬けにしていた。」というのを見かけるのですが、憶測でもっていいかげんなことを言うのは止めてほしいものです。雪を跳ね除ければ天然冷蔵庫から新鮮そのものの野菜が取り出せますし、寒けりゃ薄味の漬物も腐りませんからね。
 そして、関東に比べ関西は薄味なのも、寒さの程度の違いによるものでしょう。なお、京料理がより薄味になるのは、高級料理ですから良い素材を使い、素材そのものの味を楽しむために各種調味料を控えめに使っているからではないかと思われます。

 では、なぜ寒い地方では塩分摂取が多くなるのでしょうか。
 これは、漢方の栄養学から説明がつきます。食品には体を温めるものと冷やすものがあり、その程度は食品によって大きな違いが出てきます。体を温める食品の両横綱は肉と塩です。ですから、寒い地方では自然とこれらを求めるのです。極寒の地、北極圏ではエスキモーがほぼ完全な肉食ですし、欧州大陸北部(ドイツを含む)では冬には塩漬肉を食べるのです。そして、ほとんど肉食しない日本では、冬に塩っ辛い漬物を食べるのです。こうすることによって体が温まり、たいした暖房なくしても寒さに耐えられるのです。
 漢方には五味というものがあって、季節毎に特に必要とする味として「冬には塩味」となっているのも、これによるものです。逆に、夏は「塩味を控えよ」となっています。
(参照)2016.3.4 漢方「五行論」に学ぶ味付け法

 現代人の感覚として、季節ごとの塩分摂取は漢方で言うところと逆になります。
 冬は汗をかかないから、塩分損失は少なく、減塩しないことには、それこそ血圧が上がってしまい、まずいんじゃないか? 
夏は汗をかくと塩分が流れ出てしまうから、積極的に塩分を取る必要があるし、特に熱中症予防となると単なる水ではだめで電解質が入ったものでなきゃダメだ。全身痙攣や足がつるのもミネラル損失によるものだから。
 ということになって、冬は減塩、夏は積極的摂取が勧められることになります。

 高度文明社会になって世の中が大きく変わり、そこらじゅうに冷暖房が行き届いたものですから、このようなことになってしまうのですが、ヒトの体の生理機構は原始時代の季節対応にまだまだ順応した状態にあり、暖房への順応はどれだけかできているものの冷房への順応は全くできていません。
 よって、冬にあっては暖房生活にあまりにも慣れきっていますと、皮膚の収縮能力が衰えた状態になっていますから、屋外の冷気に当たりすぎると体熱放散で体内温度が下がりすぎ、体調を壊すことにもなります。そんなときは、やはり塩分の積極的摂取が求められましょう。ただし、おいしいと思える程度の濃さとし、塩っ辛さを我慢して食べるのは考えものですが。
 一昔前の人は、冬に寒さが厳しくなると、きつめの醤油で味付けした牛肉のすき焼きを食べ、塩と肉で体を温めたのですし、山間地では猪肉の味噌鍋を食べたのです。これで体がグーンと温まります。現代人も、体が冷え切った晩には、こうした塩分多めの肉鍋としたいものです。なお、冬野菜は体を温め、夏野菜は体を冷やしますから、冬には冬野菜となります。参考までに、最も体を温めてくれる肉はマトン(※)です。羊は寒い地域が生息地だけあって、その肉を食せばヒトの体をグーンと温めてくれるのです。
(※)漢方では「夏に羊」となっていますが、これは「大汗をかいて体内の毒素を抜く」という薬効を期待しての位置付けとなっています。参照記事:2017.7.25 真夏は肉を食って大汗をかく(三宅薬品発行の生涯現役新聞N0.270)

 一方、夏はといいますと、昔の人は絶えず汗をかいていましたから、汗のかき方が上手で、汗からのミナラル損失はほとんどないし、体に熱がこもることもなく、熱中症になる危険性も少なかったです。そして、体を強く温めてしまう塩分は控えめにしていたのです。
 加えて、暑いさなかに行う百姓仕事は、冷たい物ではなく生温い(場合によっては日に当たって熱い)お茶で水分補給するようにしていました。こんなものを飲んでいたら熱中症になってしまうのではないかと心配にもなるのですが、これは、上手に汗がかけることと胃腸のトラブルが避けられることによるものです。生活の知恵です。小生も、夏に畑に行くときは、
水道水をペットボトルに入れたものを持っていき、けっこう熱い水をチビチビ飲みながら百姓仕事をしているのですが、胃がとても気持ちいいです。
 現代人はどうすればいいかとなると、上手に汗をかける人はまれですから、ミネラル損失(特にマグネシウム)で痙攣や足がつることになり、ミネラル補給が必須で、マグネシウムを意識して摂りたいものです。夏に塩分といえば、一般に言われるのは電解質のナトリウムとカリウムということになりますが、それより重要なのがマグネシウムであると心得てください。マグネシウムをしっかり取ろうとすると過食になりますし、夏はあっさりしたものを体が欲しますから、慢性的に摂取不足のマグネシウムがますます欠乏してしまいます。ここは、総合ミネラル剤を毎日お飲みになっていただきたいです。そうすれば、汗をかいてもミネラル欠乏になる危険性は大きく減ずるでしょうし、塩分摂取過多で体に熱がこもる心配もありません。
 参考までに申しておきますが、血圧を上昇(ただし、日本人の半数以下)させたり、体を温める塩分とは「塩化ナトリウム(いわゆる食塩)」であって、その他のミネラル(マグネシウム他)にはその作用はなく、逆の作用さえ持ち備えています。
 やはり夏は、塩分を控えめにしないことには何かと不都合なことが生じましょう。
 なお、熱中症は脱水症が起因して起こることが多いですから、昔のお百姓さんのように温かいお茶でチビチビ水分補給するに限ります。猛烈に暑いアラブ諸国の人たちは熱いお茶をチビチビ飲んで熱中症にならないようにしているとのこと。間違っても氷を浮かべた冷たい物をがぶ飲みしてはなりませぬぞ。

 ということで、表題にしました「年中減塩、ただし夏は熱中症予防に塩分補給」は間違っている、ということになります。
 (注:食塩摂取量と高血圧の相関については、1988年インターソルト・スタディーの結果でほぼ完全に否定されています。よって、心臓病や脳卒中については高血圧との相関があれども、食塩摂取量との相関はないことになります。それも、昔の血管が切れる疾患についてであって、現代の血管が詰まる疾患については高血圧との相関は弱く、逆相関もあると言われたりしています。なお、多量に塩分摂取すると、人によっては「食塩感受性」高血圧になることが知られています。これらに関しては、文末の過去記事を参照ください。)
 ヒトの体の生理機構は、まだまだ原始時代の状態を色濃く残していますから、自分の味覚に素直に従ったほうが無難です。
 こと塩味については、欧米人のように”おいしけりゃ、いいじゃん”といきましょうや。

 ただし、近年、気になるのは外食産業の味付けです。安値競争が激烈になっていますから、悪い素材をいかにして誤魔化すかとなると、濃い目の塩味にすれば難なくクリアでき、その傾向が強まっています。
 これに慣れてしまうと、きつい塩味がへっちゃらになり、腎臓に負荷が掛かりすぎますし、やたらと水分摂取するようになり、温かいものならまだしも夏はギンギン
に冷えたものを飲む傾向にありますから、胃腸のみならず全身を蝕むことになってしまいます。
 自分は塩味に鈍感か否かは、同じものを一緒に食べた周りの人、ただし食生活が異なる人に、塩味の感想を聞いてみるしかないでしょうね。

(参考)このブログの塩分摂取に関する記事です。
 2020.1.27 それでもまだ減塩を続けますか
 2014.1.20 減塩ではなく、1か月に1日「塩断ち」して「塩持ちの良い体質」に改善
 2012.8.17 減塩は大間違い!塩味を楽しんでイキイキ元気!
 2012.8.15
減塩しすぎるとどうなる?やる気が失せて元気がなくなります。 
 2012.8.14 塩を摂りすぎると高血圧になる?心配ご無用!でも、食塩感受性が高い人は注意すべきでしょう
 2012.8.13 塩を取りすぎると胃がんになる?そんなことは有り得ません。

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真夏は肉を食って大汗をかく(三宅薬品・生涯現役新聞N0.270)

2017年07月25日 | 当店毎月発刊の三宅薬品:生涯現役新聞

当店(三宅薬品)発行の生涯現役新聞N0.270:2017年7月25日発行
表題:真夏は肉を食って大汗をかく

副題:冷え症を改善し、毒を抜き、健康な体作りをしてくれます

(記事からの抜粋)
 漢方五行論では次のように言われています。春は犬肉がいい。夏は羊肉がいい。土用は牛肉がいい。秋は鶏肉がいい。冬は豚肉がいい。
 肉類のなかで最も体を温めるのが羊肉で、これを夏に食すという、その根拠はいかに。中国では「真夏に羊肉を食べれば、大汗をかいて、体の毒素を抜くのに効果大」と言われます。…これは特に冷え症の女性におすすめです。…
 ところで、羊肉なんて滅多にスーパーで売っていません。…牛や豚で十分です。我家では「豚細切れ入り蒸しシャブ」が定番となっていて、夫婦で大汗をかいて食べています。


(表面)↓ 画面をクリック。読みにくければもう1回クリック。裏面も同様です。 

 

(裏面)瓦版のボヤキ
    熱中症、脱水症なんのその…?

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ヒトも野菜も本来の栄養を取っていない、この事実に驚愕!

2017年07月24日 | 正しい栄養学

ヒトも野菜も本来の栄養を取っていない、この事実に驚愕!

 薬屋半分、百姓半分、つまり半商半農生活の小生です。かっこ付けて言えば、“ファーマー・ファーマシー”(順番は逆ですが)の二足のわらじをエンジョイしています。別立てブログ「ファーマー・ファーマシーの日記」では百姓仕事がメインとなっていますが、気軽に日々の仕事なり自分が患った疾患を綴っていますし、このブログでも「24節気の健康と食養」では毎回うちの自家栽培野菜などの状況を紹介したりしています。
 ファーマー・ファーマシー生活というものは、人の健康を考え、美味しい野菜作りを考え、それでもって食っていけるということになりますから、こんな有り難い仕事はありません。
 こうした恵まれた生活をさせていただけることに日々“感謝、感謝、感謝”です。

 さて、人の健康を様々な面から考えてたどり着いた、理想的な食生活とは、実にとんでもない食事内容になってしまいました。“まさか、こんな食事が…?”と、なかなか腑に落ちなかったです。それはどんなものかと言いますと、2014.1.13投稿の次の記事で書きました完全生菜食で「葉菜類・根菜類だけで、豆・芋・穀類さえ食べない」というものです。
 
生菜食の是非について考える。完全生菜食で信じられない健康体に!
 これは、小生としては、人類進化の歴史を研究するなかから、論理的な面からは納得のいくものでして、それはゴリラの食とほぼ同じものです。
 牛は前胃で細菌の働きにより草を発酵(前胃発酵)してもらっているのですが、ゴリラは馬と同様に大腸で細菌の働きにより草を発酵(後腸発酵)してもらい、たんぱく質を合成するための各種アミノ酸やエネルギー源とするための短鎖脂肪酸を得ています。
 ゴリラはオスが200kg、メスも100kg超の巨体で、腸が大きく、盲腸が発達していますから、盲腸の中で草を発酵させることができるのですが、これは、ゴリラが、ヒトそしてチンパンジーとの共通の祖先から分かれた後に獲得していった形質と思われます。
 一方のヒトそしてチンパンジーの共通の祖先は、主として果物食を通したようで、体型は大きくならず、現生のチンパンジーと同程度の体型であったと思われます。その後、ヒトとチンパンジーは分かれ、ヒトはチンパンジーより若干大きくなった
のですが、これは大腸の発達によるものです。なお、現生のチンパンジーは雨季と乾季がはっきりした地域に住んでいることが多く、乾季には硬い豆を代替食とすることが多いです。
 では、ヒトはチンパンジーと分かれた後、どんな環境でどんな生活をしていたかとなると、まだこれは謎ですが、ヒトが直立二足歩行する裸のサルとなったことからして、エレイン・モーガン女史の「人類水生進化説」が正しいと思われ、その食性については女史と見解を異にしますが、小生はヒトの祖先は「水生環境で草を食べていた」と考えています。
 その詳細については、別立てブログ『永築當果の「男と女の不思議」』のなかで、「人類水生進化説」及び「人類の誕生と犬歯の退化」で語っていますので、お時間がありましたらお読みになってください。
 なお、ヒトはその後、半陸生生活を余儀なくされ、陸において見出した芋を代替食とするようになり、デンプン消化酵素をより多く出せるようになったと考えられます。そして、1万年前からは人口増加により新たな代替食糧を必要とし、穀類を食べるようになったと考えられます。また、それより前から植物が貧相な地域にあっては動物性食品を代替食として取り入れていったのも間違いないことでしょう。
 こうして現生人類は、だんだん後腸発酵に頼ることがなくなって、必要な三大栄養素(炭水化物、脂肪、たんぱく質)をダイレクトに摂取するように変化していったと思われます。
 しかし、代替食はあくまで代替であって本来のものではないですから、体に無理が掛かり、それに慣れ切るには100万年単位の年月が必要となりましょう。
 そうしたことから、難病患者の体質改善には、体に無理の掛からないヒト本来の食性に適合した完全生菜食が最適なものとなっていると考えられるのです。
 三大栄養素(炭水化物、脂肪、たんぱく質)の摂取で、どんな無理が掛かるかと言いますと、膨大な量の消化酵素を必要とし、また、消化し切るのにかなりのエネルギー量を必要とするからです。
 ヒトのエネルギー消費は、通常、基礎代謝:約60~70%、生活活動代謝:約20~30%、食事誘発性熱産生:約10%とされています。
 このなかで、食事誘発性熱産生とは、三大栄養素が消化されたときに発生する分解熱のことで、食後に体が温まるのはこのせいですが、これをヒトのエネルギー消費とすることには違和感を感じます。もっとも、ヒトは体温維持のために体内熱を作り出さねばなりませんから、食事誘発性熱産生でもってこれを充てるということになりましょうが、これは後から申しますが、完全生菜食にすると後腸発酵による熱産生が伴いますから、恒常的に体温維持に大きく貢献し、摂取カロリーを大きく減ずることが可能になり
ます。
 それはそれとして、注目すべきは基礎代謝(生命活動をする上において必要最小限のエネルギー)であり、その割合は次のようだと言われています。<
骨格筋:22%、脂肪組織:4%、肝臓:21%、脳:20%、心臓:9%、腎臓:8%、その他:16%>
 このなかで、三大栄養素の消化・分解・再合成に必要とする代謝(エネルギー消費)は、肝臓とその他(胃、膵臓、小腸その他臓器)における過半を占めるでしょうから、少なく見積もっても30%にはなりましょう。
 つまり、ヒトの現代の食事(ほとんどが代替食で占める)では、消化酵素産生をはじめとする食物代謝のためにかなりの労力を強いられている、ということになるのです。

 一方、ヒトの本来の食性である完全生菜食(葉菜類・根菜類だけ)にあっては、食物代謝に要するエネルギー消費は、噛むことと胃の蠕動だけでほとんど済んでしまいます。
 完全生菜食には三大栄養素はほぼ皆無の状態で、食物繊維の塊と言っていいでしょう。よって、消化酵素の出番はないのです。
 完全生菜食に慣れきった体になれば、腸内細菌がそれに適したものに変わり、生まれ変わった腸内細菌叢(腸内フローラ)が発酵を始めてくれるのです。そして、各種アミノ酸や生活活動代謝に必要なエネルギー源となる短鎖脂肪酸(ブドウ糖と同質)を彼らが作り出してくれるのです。出来上がった栄養素は、皆さんよく聞いたことがお有りの黒酢とどれだけも違わないものです。これら栄養素は、大腸壁から体内への水分吸収と一緒に流れ込んでくれ、これらはダイレクトに体細胞内で利用できますから、実に合理的です。
 こうしたことから、完全生菜食の場合はカロリー計算が全く無意味なものとなるのですし、消化器官はまれに口から入ってくる少量のでんぷん質や植物性たんぱく質のほんのわずかな消化活動をするだけで、開店休業状態となってしまいます。
 もっとも、葉菜類・根菜類を口で咀嚼するだけでは食物繊維がどれだけも細密にはならず、腸内細菌も発酵させるのに苦労するでしょうが、現代においては、ミキサーで泥状態に細密化できますから、腸内発酵もスムーズに進むというものです。

 こうした食生活は、難病を患った方の治療や完治後の健康維持のための食であって、一般人にはとても真似できません。現代の飽食時代にあっては、美食の誘惑に食欲煩悩が勝てるわけないですからね。加えて、強固な意志でもって完全生菜食に慣れきった体に体質変換を果たしたとしても、その後に宴席などの付き合いで美食を取ると、消化器官はビックリして消化不良を起こしますし、腸内細菌叢に大打撃を与えて以後の発酵が著しく滞る危険性も生ずるようです。

 このようにヒト本来の食性と現代人の食生活にはあまりにも大きな隔たりがあり、面食らうことが多いのですが、難病が完全生菜食による後腸発酵でもって治癒する例が非常に多いことを鑑みるに、現生人類が今日の食を取り始めたのは、ごくごく最近ではなかろうかと思われます。
 なお、ヒトは霊長類の一員で、霊長類には後腸発酵に止まらず前胃発酵の能力まで獲得した種も多く存在します。また、現代人が通常食を取る場合においても、野菜中心で肉や魚が少量であれば、けっこう後腸発酵してくれもするようです。少なくともミネラル吸収においては、後腸発酵が少しでもあれば吸収効率はアップし、戦前の1日400mgのカルシウム摂取であっても全然カルシウム不足が生じなかったのは、これによるところが大きいのではないかと思われます。

 ヒトは、摂取した栄養素でもって生命維持活動をしようとせずとも、必要な栄養素はヒトと共生する腸内細菌が作り出してくれ、完全生菜食にして腸内細菌に全面的に頼れば、それでもって必要な栄養が全部得られ、たっぷり体内熱産生してくれますし、日々の活動が十分にできるということをご理解いただきたいと思います。

 さて、ここからはガラリと話を変えます。
 表題のとおり、我々が食べている野菜も本来の栄養を取っていないというものです。
 植物の三大栄養素は「窒素、リン酸、カリ」と言います。窒素(N)、リン(P)、カリウム(K)です。この三大栄養素をバランスよく肥料として野菜に与えてやると、野菜は良く育ち、美味しい野菜が採れるとされています。手っ取り早い施肥は化成肥料で「8・8・8」とか「12・8・8」と表示されていますが、これはN・P・Kの比率です。これ以外に、苦土石灰(マグネシウムとカルシウム)が補助的に使われます。
 化学肥料だけでは美味しい野菜ができないからと、最近はこだわりの有機肥料を使うケースも多くなってきていて、うちの畑も苦土石灰は使いますが化成肥料なしで、専ら有機肥料を多用しています。でも、有機肥料も主成分は三大栄養素のN・P・Kで、野菜は有機肥料に含まれるN・P・Kをダイレクトに吸収し、育っているのです。

 ところが、化成肥料も有機肥料も何も投入しなくても植物はスクスクと育つのです。
 耕作放棄された田畑では雑草がびっしりと繁茂し、皆、いきいき元気です。自然林では樹木がスクスク育ち、大木に生長します。
 だったら、野菜や果樹とて同じでしょう、というものです。
 世界で初めて無農薬・無施肥でリンゴ栽培に成功された青森のリンゴ農家の方(木村秋則さん)が有名ですが、適正な自然栽培条件を整えてやれば、無農薬・無施肥で、より美味しいリンゴが採れるのです。
 これは何も珍しいことではなく、うちにも有りますが農家の庭先には柿の木が必ず1本はあり、無農薬・無施肥の放任栽培であっても、いやそうすることによって、毎年美味しい柿を生らせてくれるのです。
 果樹であれば周りの土を耕すこともないですし、雑草が生えたって果樹が負けることはないですから、こうした自然栽培がけっこう可能となります。
 そうした果樹に、もっと多く実を付けないか、もっと甘味が出ないかと、下手に肥料を与えたりすると、逆に果樹が弱ってしまい、実を付けなかったり、枯れたりします。
 小生はミカンとブルーベリーで痛い経験をしました。有機肥料の過剰投入によって、ミカンは枯れそうになって実を付けず、ブルーベリーはここ2年全く実を付けてくれません。
 よって、今年から再び無農薬・無施肥の放任栽培に戻すこととした次第です。
 もっとも、甘夏は有機肥料の積極投入によって酸っぱさが減じて甘味を増しましたから、一筋縄ではいかないのが果樹栽培だと、ますます分からなくもなります。
 さて、問題は野菜です。
 野菜となると、ヒトが農業を始めて以来、無施肥では収穫量がだんだん落ちてしまい、有機肥料を多用するのが当然のこととなり、近代になって使いやすく鋭利に利き、安価な化学肥料にとって代わったのです。それに伴って野菜がますます虚弱となり、農薬が必須となりました。でも、近年になって、化学肥料の使いすぎは土壌を著しく劣化させることから、有機肥料への揺り戻しが一部で始まったのは皆さんご存知のとおりです。
 しかし、野菜作りにおいて果樹のように無農薬・無施肥の放任栽培への取り組みは、ごく一部で実施されているも、おいそれとは成功するものではなく、試行錯誤しながらやっと成功する人が少しずつ出始めたといったところのようです。
 そういう小生も、試行錯誤している一人なのですが、なかなかうまく行かず、今年から新たな手法での再挑戦を試みることにしているといった状態です。

 自然栽培の方法は幾人もの方が提唱されていますが、無農薬・無施肥・放任を基本とするも、放任のありように若干の違いがあり、手法も様々なものとなります。
 そのなかで、論理性があり、成功例が多いのが「炭素循環農法」のようです。
(これは2001年にブラジル在住の林幸美氏がホームページ「百姓モドキの有機農法講座」で公開され、頻繁に補追、訂正が行われています。これには先駆者がおられ、同じくブラジル在住の「Sr.アヒル殺し」(日本人?日系人?)で、その方の実践や理論を引き継いでおられるようです。)
 そのポイントとなる事項について、小生の私見をまじえて、別立てブログ「ファーマー・ファーマシーの日記」で、「たんじゅん農」=炭素循環農法を理解するにあたって思ったこと(土づくりその2)と題して記事にしましたが、その要点は次のとおりです。

 炭素循環農法に入る前に、「土」の性状について広く知られている今までの知見で大いに参考になる事例をあげておこう。まず誰でも知っている森林限界という言葉。
 富士山や北アルプスの山岳地帯では概ね2500mで植物は生えなくなる。気温が低くなるから木が生えないというのではない。糸状菌(カビや茸)、これは通常の土壌微生物の中で最も多いものであるが、糸状菌は高山では繁殖できず、糸状菌が全くいないから木は生育できないのであり、樹木は糸状菌との共生なくして生きていけないのである。
 糸状菌の種類は非常に多く、菌から伸びた糸が複雑に植物の根と絡み合って糸状菌が作り出した様々な物質が植物の根に供給され、植物は生育できるのである。
 ところが、人は、植物を育てるために土壌に手を加える。苦土石灰や化成肥料などの化学肥料に止まらず有機肥料(本来は土壌中で枯れた植物を糸状菌が分解すべきもの)を投与して、それを植物に直接吸収させるのだから、糸状菌の出番はなくなる。糸状菌が働こうとしても、これらの肥料が糸状菌の成育を妨げ殺すことになるから、慣行農法が行われている土壌の糸状菌叢は本来の姿とは全く異なった貧弱なものに変わってしまっているのである。
 よって、植物を病害虫被害なしで元気よく育てようとする場合、土壌を本来あるべき姿の糸状菌叢にもっていくために何かの臨時措置を施し、それが成功したら、一切の肥料なし(ただし枯草などが必要)で素晴らしい野菜が採れるようになるというものである。
 このように、土づくりは、土壌の糸状菌叢を正常化させるのが第一に重要な方策として考えねばならぬ事項となる。
 しかし、土壌は糸状菌叢だけで出来上がっているものではないから、ややこしくなる。
 土壌中で有機物や無機物の分解合成を行う生物は、大きく分けて3つのドメインに分類され、菌類(糸状菌など)・細菌・古細菌(好熱菌、好塩菌、メタン菌など)である。
 これら3つのドメイン間でも共生関係が生まれ、糸状菌叢の正常化だけでは本来あるべき姿の土壌とはならず、細菌叢、古細菌叢が整い、かつ3つのドメイン間の個々の微生物種のバランスも整わねばならないのである。
 こうなると、理想的な土づくりをするのが至難の技となってしまうが、何もかも人の手でバランスを取らせたり、正常な叢づくりに手を出したりしなくても、一定の条件を与えてやれば、その後は彼らが思いのままに働いてくれ、うまくバランスを取り、正常な叢に近づけてくれようというものである。(要約引用ここまで)
 ここから先は、いまだ勉強中で、ブログ記事にできていませんが、大雑把なつかみとして次のことが言えます。
 土壌中の微生物群が求めているのは高炭素資材であり、「C/N比の高いもの」を投入することによって微生物群を正常化できる。慣行農法で窒素肥料(有機肥料であっても窒素分は多い)を投入してあると、ほとんど全部の微生物群は窒素分を嫌うから、貧相な微生物群となっており、また、そのバランスも悪い。過剰な窒素分が抜けるまでは微生物群が正常化せず、自然栽培に適した土壌とはならない。

 いかがでしょうか。
 施肥栽培による野菜はダイレクトに栄養を吸収させるものであって、これはヒトの三大栄養素と同質のものとなります。
 一方、自然栽培は土壌中の微生物群が求めている高炭素資材を微生物群のために投与してやるというもので、これはヒトの場合、腸内細菌が必要とする食物繊維の摂取ということになり、高炭素資材と食物繊維が同質のものとなります。
 そして、自然栽培に適した微生物群が土壌中に十分存在するようになったら、彼らが野菜に必要な各種栄養素を野菜に供給してくれるというもので、これはヒトの場合、後腸発酵に適する腸内細菌叢(腸内フローラ)が出来上がれば、発酵を始めてくれ、ヒトに必要な各種栄養素をヒトに供給してくれるというもので、ともに共生する微生物群が多大な貢献をしてくれることになるのです。

 これには驚かされます。ヒトも野菜も自ら栄養を取らなくても、共生する微生物群がちゃんと栄養を宿主に供給してくれるのですからね。
 そして、ヒトが三大栄養素(炭水化物、脂肪、たんぱく質)を取ることの無意味さと、野菜に三大栄養素「窒素、リン酸、カリ」を与える無意味さが、これまた同質のものであること。特に、ヒトが取るたんぱく質は窒素化合物であり、これの過剰摂取は単にエネルギー源として燃やされるだけであり、それによって生じた窒素酸化物は体中の細胞に炎症を起こさせてヒトの体を蝕むのです。一方、植物に窒素肥料を与えると、どうしても過剰となり、硝酸態窒素が植物に残留して植物の免疫力が落ち、農薬をかけないと病害虫を駆除できなくなるのです。こうしてヒトも野菜も窒素化合物は毒になるというのも一緒です。

 現代人の食生活と今日の野菜栽培は共通点があまりにも多く、表題を「ヒトも野菜も本来の栄養を取っていない、この事実に驚愕!」としましたが、本来のヒトの食性と野菜の自然栽培も、全く同様に共通点があまりにも多いです。
 そして、これ以外にも共通点があります。ヒトが現代の食生活をすることによって「早熟し、見た目の格好良さ=背が高くなる」が得られます。野菜に肥料を与えると「早く大きくなり、見た目の格好良さ=色が濃い」となり商品価値が高くなります。しかし、ヒトは虚弱になりますし、野菜は不味くなりますし早く腐ります。
 なお、自然栽培の野菜は若干生育が遅くなり、色は薄く、妙にアクっぽい(場合によっては、これが美味いと感ずる)ということは全くなく、自然の味がして、なかには最初は物足りないと感ずる人もいらっしゃるようですが、食べ続ければ誰もが“こんな美味しいものはない”と、はまってしまうようです。
 草むらで草を食む牛は、色の濃い草を避け、色の薄い草しか食べないと言います。なぜならば、色の濃い草は糞尿がかかった草で肥料を吸って育ったからです。牛は、そうした草は、不味いと思うのか毒があると思うのか、そのいずれか、あるいは両方でもって、“自然に育った草”を求めるのです。

 小生は、今さら完全生菜食に切り替えようとは全然考えませんが、野菜づくりにおいては何とかして自然栽培を成功させ、草むらの牛になりたいと願っています。
 というようなわけで、小生のこれからの人生は、半商半農から半農半商とウエイトの掛け方を農業重視に少し移して、文字どおりのファーマー・ファーマシー生活をエンジョイしたいと考えています。

 今回も随分と長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただきました読者の皆様に深く感謝申し上げます。

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平均余命は伸びる?それとも縮む?

2017年07月20日 | よもやま話

平均余命は伸びる?それとも縮む?

 日本人は随分と長生きするようになった、平均寿命は世界トップクラス。で、世界一だったかどうだか? これは調べれば直ぐに分かることですが、その気になれません。
 なぜならば、平均寿命なんて個人個人には何の関わりもないことであり、それを知ったって何の役にも立たないからです。これが役に立つのは、時の為政者がその統治する民の人口動態を先読みするときに必要とするだけのことです。
 我々個人個人が必要とするのは、人生設計する上において、あと何年生きられるかという「平均余命」です。ただし、最近は、年老いていったん大病すると寝たきりにさせられ、死にたくても死なせてもらえないという、生き地獄の期間も含めての「平均余命」ゆえに、これもあまりあてにできない数字ではありますが。
 「健康寿命」という言葉があるように「平均健康余命」の数値を厚労省がしっかり調査し、周知徹底させてほしいものですが、その定義がまだ確定していませんし、ちゃんとした調査もなされていませんので、いまだこれがはっきりせず、残念なことです
。これについては、自分なりに計算してみたものがありますから、一応の参考になるかと思い、下に貼り付けておきます。
 2012年6月1日発表「健康寿命」のマスコミの取り上げ方は間違っている

 さて、表題にした「平均余命は伸びる?それとも縮む?」についてですが、本題に入る前に、現在の高齢者の年齢別平均余命については、その死亡原因とともに、「高齢者の仲間入りをしたら死に方を考えましょうよ」の記事で紹介しました。
 その記事の冒頭で表にしましたが、かいつまんで言うと次のようになります。
 男の場合:70歳の平均余命は15年で平均85歳で死ぬ。85歳まで生きれば平均余命は6年で平均91歳で死ぬ。90歳まで生きれば、あと4年、平均94歳まで。
 女の場合:70歳の平均余命は20年で平均90歳で死ぬ。90歳まで生きれば平均余命は6年で平均96歳で死ぬ。95歳まで生きれば、あと4年、平均99歳まで。
 大ざっぱに言えば、男は85歳前後から、女は男より5歳長生きし、90歳前後からバタバタと死んでいくということになります。ここらあたりを頭に置いとかれるといいでしょう。

 これより本題に入ることとします。
 “昔の平均寿命は40歳、今は倍の80歳。日本人は随分と長生きするようになった”
 幾度もこうした話を耳にします。加えて“昔は80歳の年寄りなんてめったに見かけなかった”とも言われます。これ皆、大間違いです。
 “昔の人は長生きだった。80歳の元気な年寄りはたくさんいた。”
 と言ったほうが正しいようです。
 それを、以下、説明することにしましょう。随分前になりますが、36年前(1981年)に人口動態調査の結果をデータ解析された西丸震哉氏(1923年生、2012年没)の解説をその著から紹介することにします。
(西丸震哉氏は、その後1990年に「41歳寿命説」を著しておられ、2000年には「体内崩壊 加速する『41歳寿命説』」も書いておられます。氏の警鐘を一言で言えば、「1959年以降、日本は“薄いガス室”になったのであり、この環境の悪化は幼い子供たちを直撃し、彼らの寿命を大きく縮めている」というものですが、本稿においては、このことについては触れないことにします。)

(1981年:西丸震哉著「食生態学入門」より)
 平均寿命…、ここ30年(1951-1981年)のあいだに日本では男子は49歳から73歳まで延び、世界の最長寿国になったと信じられている。そして人は、自分の残り年数をこの平均寿命から消費年数を引いたものと見做すことにしている。
 これはたんへんな誤りであることに気がつかない…。
 平均寿命が延びた理由は、生後1年までのゼロ歳児の死亡率が15%から1%以下に低下し、20歳前後の結核死亡率がゼロになって、平均値の足をひっぱっていた大きな要因が抜けたことによる。…(ほかには)寄生虫病や伝染病などの天敵排除が画期的によくなったためである。
 これの見方を変えると、むかしだったら健康で成人になり得ずに死ぬ程度の人が、自分がそれに属する弱さであることも知らずに、今生きているという現実がある。
 この弱さは他のマイナス因子に対しても同じように弱さとして現われる可能性をもつ。現在だからゼロ歳では殺されずにすんだが、30歳までは生きられない人というのも含まれるし、生きてはいるが健康ではないという人もいる。
 70年前(1911年)の30歳になり得た人は、当時の悪条件下でとにかく30年間殺されずにすんだ、かなり強健な人であり、当時(1911年)の30歳の人が(1941年に)60歳になれた率は、30年前(1951年)の30歳の人が現在(1981年)60歳になった率よりも高い。ゼロ歳から測ると、過去の時代ではまるで低くなってしまうだけのことであって、最大寿命の平均値、つまり何歳まで生き得たかとなると、その延びはまったくない。

 いかがでしょうか。大正12年生まれの西丸震哉氏が58歳のときに書かれた、36年も前の書物につき、文章が難解で、どぎつさもあり、読み取りにくい箇所がありますが、氏が言わんとするところは次のようなことになるでしょう。
 「昔は若くして死ぬ人がかなり多かったが、30歳まで生き延びた人の余命は、少なくとも60歳までをみた場合、戦前戦中に高齢者となった人の方が戦後の人より長かった。そして、長寿者はおおよそ何歳まで生きられるかというと、これは今も昔も変わりない。」
 ということなのですが、後段は“最大寿命”の意味するところが不明ではあるも、平均余命が延びに延びていることからして、これにはクエスチョンが付きます。

 ところで、平均余命とは何かと言いますと、「ある年齢の人がその後何年生きられるかという期待値であり、生命表で、ある年齢に達するまで何人生存し、その年齢のうちに何人が死亡するかが計算されており、これを元にし、現在の死亡状況が将来にわたってそのまま続くと仮定した場合の生存年数」となっています。
 よって、西丸震哉氏がおっしゃるように、今の高年齢層はかなり強健な人たちで占められており、後に続く人たちはどうしても虚弱さが拭えず、実際の平均生存期間は期待値ほどまでにはたどり着けないというマイナス因子を持っており、これは年齢が若いほどその傾向が強くなりますから、平均余命は真の姿を捉えてはいません。
 そして、生活習慣や生活環境の変化に大きく左右させられる面もあり、流動的です。
 一方で、医学が進歩し、重篤な病になっても助かる確率が増えて長寿になるということもあります。このプラス因子で平均余命は延びているのではないでしょうか。

 さて、戦後、平均余命は着実に延びてきています。例えば65歳の男性であれば、1950年:11.5年、1960年:11.62年、1970年:12.50年、1980年:14.56年、1990年:16.22年、2000年:17.54年、2010年:18.86年、2015年:19.46年となっています。なお、女性の場合は1950年で男より2.4年長く、その後だんだん開きが大きくなり、2015年には4.8年長くなっています。

 戦後の高度成長により、平和でとても豊かになった日本です。まずは食が豊かになり、ついで生活が非常に便利になり、また住環境も大幅に改善されたものですから、お年寄りの寿命が延びるのは必然でしょうが、日本的特徴も幾つかあります。 
 その第一は、高度成長末期をピークにして圧倒的に死因第1位であった脳血管疾患死が大きく減少に転じたことがあげられましょう。それまでは、肉をあまり食べない食生活につき、血管壁のもろさが原因してのピンピンコロリと逝く脳出血死が際立っていたのに対し、食生活が豊かになって血管壁に脂が巻くこと(コレステロール沈着)により、脳出血死が減る一方となったからです。
 なお、その後は飽食が進みすぎて血管が詰まる脳梗塞が脳出血にとって代わり、脳血管疾患はかなりの増加傾向(ただし死因としては漸減)にあります。
 
 第二は、救命救急医療の目覚しい発達で、昔なら脳血管疾患、心疾患でピンピンコロリと死ねたものを、直ぐに救急車が来て救命救急病院で手当てしますから、寿命が延びます。この救命によって後遺症が出なければ残りの人生を楽しめるのですが、最悪、寝たきりにさせられてしまいますから、そうなったら救命救急は良かったのか悪かったのか、ということにもなり、考えさせられます。
 第三は、寝たきり老人の増加です。高度成長後しばらくしてから肺炎死が一直線で増加傾向にあるのですが、その大半は寝たきりによる誤嚥(ごえん)が元での肺炎の発症によるものです。やれ点滴だ、胃瘻(胃ろう)だ、人工心肺だ、といった無駄な延命治療で命を引き延ばされているからです。こうした延命治療は日本に特有なもので欧米にはなく、欧米では、逆に、これは老人虐待であるとして避けられています。

 こうしたこともあって、統計上、平均余命は着実に延びてきているのでしょうが、いつまでも元気なお年寄りとなると、だいぶ差っ引いて考えねばならんでしょうね。

 それと、もう1点、前の話に戻りますが、「昔は年寄りは少なかった。それだけ昔は早死にしたんじゃないの。」と勘違いしてしまう原因として、明治以降、子だくさんで人口が急増していた時代にあっては、子供や若者の数が圧倒的に多くなってしまい、相対的に年寄りの割合が小さくなってしまっていたことがあげられます。
 これは、完成したばかりの住宅団地のようなもので、若者夫婦とその子供たちの核家族が大半を占め、3世代入居者なり年寄り夫婦入居者はわずかばかりとなり、そうした団地では、年寄りをあまり見かけないのと同じことです。
 加えて、現在の日本は急速な高齢化社会になり、年寄りの数があまりにも目立つようになったことも、錯覚の要因となっていましょう。

 ここで、反論がありましょう。歴史上の人物で80歳を超えた人がどれだけいたか、今日では一昔前に著名だった方の訃報は80歳超がざらだ。加えて、100歳以上の長寿者が千人を超えたのは1981年の1,072人であったのに対し、現在(2016年)では65,692人にもなっているではないかと。
 たしかにそのとおりで、小生もこれを否定しません。ですが、考えてもみてください。歴史上の長寿者は大半の人が死の直前まで活躍していました。楽隠居を決め込んで命を長らえた人はどれだけいたでしょうか。一方、今日の著名人の訃報は“まだあの方生きておられたの?ずいぶん長く入院していらっしゃったんですね”ということが多くて、80歳になっても現役を通していた方の突然の訃報となると数は少ないです。
 100歳以上の長寿者も同じで、長~く楽隠居させてもらい、終わりがけは要介護となり、ボケも進み、最後は寝たきりで生き長らえさせられているといったところでしょう。

 今も昔も80歳ともなると、体がなかなかいうことを利かなくなりましょうし、脳の働きも落ちてきます。90歳ともなると、半分気力で生きているという状態になるのではないでしょうか。そうであっても、昔の人は懸命に働き続け、とうとう“もう動けん”となって気力が一気に萎えてしまい、ろうそくの火が消えるように逝ったのではないでしょうか。
 ご近所でも死ぬ20日前まで毎日畑に出かけ、80歳をどれだけか過ぎたところで、“もう動けん”と言って、皆に隠していた肝臓がんで亡くなられた男の方がいらっしゃいます。そして、小生のおふくろは93歳まで毎日畑でどれだけかは百姓仕事をし、ある日仕事をし過ぎたことが元で1か月ほど寝たり起きたりの生活となり、滋養強壮漢方薬でもって回復させたものの、その後の4年弱の期間は楽隠居を決め込んで百姓仕事はほとんどせず、何とか自立生活はできましたが、最後は10日間寝込み、享年98で逝きました。おふくろの場合はオバケのような強靭な体でありましたから普通の人より数年は長く働き続けられたのですが、これは例外でしょうし、昔であればもう少し早く(93歳で仕事をし過ぎた時点で
)逝ったことでしょう。

 いずれにしても、昔のお年寄りは基本的に生涯現役で過ごし、家族や社会に役に立つ生き方に徹したのですし、“もう動けん”となったら悪足掻きせずに早々に逝ったと考えられます。ですから、昔のお年寄りは尊敬されもしたのではないでしょうか。
 楽隠居を決め込み、家族や社会に甘えて長~く介護していただくようでは、次世代に敬老の精神は決して生じませんし、年寄りが“死にとうない”と悪足掻きすれば、“早よ、死ね!”と言われるのがおちでしょうね。
 団塊世代の小生です。この先10年20年ひょっとしたら30年、少なくとも自分だけはそうならないよう、生涯現役を通したいと願っているのですが、果たして思惑どおりに事が進んでくれるかどうか、だんだん甘えが出てきそうで不安になります。
 そのなかで一番気がかりなのは、血管性疾患で救命救急のお世話になって後遺症が出たり寝たきりになることです。もし、血管性疾患になったら一切の手当てを受けずにピンピンコロリと逝きたい。そのためにリビングウィルをしたためているところです。
 次のブログ記事をご参照ください。
 
延命治療を受けないためのリビングウィル(死の間際にどんな治療を望むかをあらかじめ示した書)を書く
 そのリビングウィル、今までに3回書き直し(日付だけ)したのですが、その度に“もう、いつこの世からおさらばしても思い残すことはない”という気分にだんだんなってきて、“今日一日を坦々と生きる”という、若干の余裕を持った半農半商の充実した暮らしができるようになった気がします。
 これは一つの死生観ということになりましょうが、リビングウィルを書く前と後とでは、死に対する
心の持ちようが随分と変化しました。書いてよかったとつくづく感じています。
 高齢者となられた皆さんにお勧めします、リビングウィル。

 長々と書き綴ってまいりましたが、主題とずいぶん外れた内容となってしまい、申し訳ありませんでした。今回も最後までお付き合いいただきまして有り難うございます。

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1日3食でもって皆が「エネルギー変換失調症」になっています

2017年07月12日 | 朝食抜き・断食で健康

1日3食でもって皆が「エネルギー変換失調症」になっています

 日本では「1日3食しっかり食べなさい」と政府・医学界はじめあらゆる所で口やかましく言われ続けていますが、こんなプロパガンダがまかり通っているのは日本ぐらいなものです。1日2食(朝食を抜く)が何といっても体に良く、出来れば1日1食が望ましいのですが…。このことについては、何本かの過去記事で書きました。例えば次の記事です。
 朝食有害論の歴史的推移=皆が健康な時代は古今東西「朝食抜き」

 近年になって、こうした「1日2食(朝食を抜く)」が健康にいいことを、何人もの医師が本を書かれたりして、少しずつ知れ渡ってきているようなのですが、その広がりはどれだけのこともないようです。
 というのは、朝食抜きにチャレンジしたものの、午前中の空腹感に耐えかねて仕事がはかどらなかったり、仕事は何とかできても昼食のドカ食いで午後の仕事に支障が出たりといった状態になってしまい、“やっぱ朝食抜きは無理だわ”と1日3食に戻ってしまう方が多いような気がします。
 これは、“よし、今日から朝食を抜こう”と、いきなり朝食を抜いてしまうから失敗するのでして、体を順々に慣らしていくよう、日数をかけて漸減していかねば成功しないことでしょう。あるいは、意志の弱さがけっこう影響しているようでもあります。
 でも、なかには朝食を抜くことが無理な方もいらっしゃいます。といいますのは、人によっては、朝食抜きで長時間エネルギー供給が断たれると、極端な低血糖に陥り、立ちくらみがしたり、最悪、意識を失うという事態になりかねないケースもあるからです。

 ところで、空腹感というものは、胃が空っぽになったからといって生ずるものではなくて、血液中のブドウ糖が底を突いたことによって感ずるものなのです。
 しかしながら、ヒトの体は実にうまくできていて、これは動物皆そうですが、極端にやせ細って飢餓状態にならない限り、空腹感は生じないものなのです。
 “そんなバカな話はない”と思われるでしょうが、ここ10年以上、1日1食(夕食のみ)の生活をし、時々短期断食もしている小生ですが、夕食前や断食期間中に空腹感を覚えた経験は一度もないです。(若干の例外はありますが、それは最後に説明します。)
 これが普通です。ただし、成長期の子供は体づくりに、妊婦や授乳中の母親は赤ちゃんへの栄養補給に、その分よけいに体が欲しますから、食事量が通常よりも少なければ、きっと空腹感が出てくることでしょう。

 テレビで動物ものがよく放映されていますが、例えば、野生のライオンが狩りに何度も失敗し、苦しそうに喘(あえ)いでいる場面がよく登場します。ナレーションで“空腹に耐えかねています”と解説されるのが常ですが、それは走り疲れて息が弾んでいるだけのことです。彼らライオンは基本的に1週間に1食であって、胃腸が空っぽ状態のときに最も力が出るのですし、そういう状態になってから狩りをします。そして、そのときに空腹感というものは感じていないに違いありません。
 このことは、冬眠中に出産した白熊のメスにも言えましょう。彼女らは冬眠に入る前は丸々と太っています。冬眠中から赤ちゃんに授乳し、冬眠が明けてから獲物探しを始めるも、そう易々とは獲物が見つからず、最終的に体重は冬眠前の半分ほどに落ちるのですが、授乳に支障をきたすほどに痩せてきた場合は別として、特段に空腹感を覚えることはないでしょう。体重が減った分、身軽になれて狩もしやすくなり、“体が軽くなって助かったわ”としか感じていないと思われます。

 野生動物が滅多に空腹感を覚えないと考えられるのは、彼らは、欲しても長時間獲物が捕らえられないのが普通で、そんなときは、日頃の狩りで体にいったん蓄えられた脂肪を、獲物が捕らえられない期間のエネルギー源として順次取り崩しているからです。
 いったん捕った獲物から得られた栄養は、ダイレクトにエネルギー源にする一方、内臓脂肪・皮下脂肪として備蓄し、のちほどゆっくりエネルギー源として利用する、という繰り返し、つまり、エネルギー変換をスムーズに行って、日常活動におけるエネルギー失調が生じないようにしているのです。
 ヒトも動物ですから、本質的にはライオンや白熊と同じで、原始人は2、3日間、台風や吹雪で餌あさりができないときは、じっと天候の回復を待ち、体内に蓄えられている内臓脂肪・皮下脂肪を取り崩してエネルギー源にしていたことでしょう。原始時代にはこうしたことが頻繁に起きたと思われ、年がら年中、1日なり、2、3日断食を幾度も行うも、空腹感を味わうなんてことは全く経験したことないに違いありません。
 小生のここ10年来の1日1食、たまの短期断食からして、そう考えるしかありません。

 ところが、現代人となると、特に朝食をしっかり食べる習慣を持った日本人は、悲しいかな、そのようにはまいりません。
 エネルギー源となる三大栄養素(炭水化物、脂肪、たんぱく質)の余剰分は全ていったん脂肪に変換されて備蓄されます。
 一番わかりやすいのは炭水化物ですから、これを例にして説明しましょう。
 ご飯なりパンを食べると、その主成分のデンプンは小腸で消化されてブドウ糖となり、ダイレクトにエネルギー源になりますが、一部は肝臓や筋肉で貯蔵も取り崩しも容易なグリコーゲン(お金でいえば普通預金のようなもの)に作り替えられます。それでもまだまだ余剰分があれば、これは内臓脂肪や皮下脂肪(取り崩しが容易ではない定期預金のようなもの)として蓄えられます。

 食事をしてしばらくすれば、消化されたブドウ糖が血液中に入ってきて血糖値が比較的高い状態になり、ブドウ糖は細胞に取り込まれ、活動エネルギーとしてダイレクトに利用されます。時間の経過とともにだんだん
血液中のブドウ糖が減ってくると、ここで、肝臓や筋肉に保存されているグリコーゲンがブドウ糖にスムーズに変換されて、血液中に放出され、しばらくはこれでもって活動エネルギーに利用されます。ところが、グリコーゲンが底を突くと、現代人は急激に血糖値が下がります。ここで激しい空腹感に襲われます。「血糖値の大幅な低下=空腹感」なのですからね。
 本来であれば、この段階が訪れる前に体内脂肪をスムーズに分解して、一部はブドウ糖に、多くはケトン体にしてブドウ糖の代替エネルギーにするのです。こうして、本来はエネルギー変換がスムーズに行われるのです。よって、血糖値が大幅に低下することなく、空腹感も湧かないのです。小生の体はそのように反応していると考えられます。

 現代人は1日3食どころか小腹が空いたからといって、おやつに夜食までとったり、のどが渇いたからといって砂糖入りの清涼飲料水を飲んだり、コーヒーに砂糖を入れたりしますから、ダイレクトに利用できるエネルギーが絶えず補給されていて、脂肪分解の出番がなかなかやってこないのです。
 もうお分かりでしょうね。「体内脂肪を分解してケトン体などにしてブドウ糖の代替エネルギーにする」という「エネルギー変換」機能、現代人は、この機能の出番がありませんから、使わない機能は、さび付くしかなく、いざという時に働きにくくなっていまっているのです。この状態を「エネルギー変換失調症」と呼んでいいでしょう。
 ですから、朝食をいきなり抜くと、異常な空腹感に襲われたり、低血糖になり過ぎて立ちくらみを生じたり意識を失うことさえあるのです。
 そのさび付きぐあいは、空腹感をどんな程度に、何度経験しているかによって違ってくると思われるのですが、小生とて、1日3食から1日1食へもっていく途中の段階で、最初は無性に空腹感に襲われました。幸い、その状態のときに仕事でぼいまくられていましたから、食事を口にする暇がなくて食べずじまいに終わり、やがて「エネルギー変換」機能がスムーズに働きだしてきたのでしょう、だんだん空腹感が薄れてきて自然に1日2食にそして1日1食になってしまったというのが実情です。

 ところで、「エネルギー変換」機能のさび付きを「エネルギー変換失調症」と呼んだのですが、これは小生が勝手に名付けたもので、この名称は存在しません。
 通常、エネルギー変換というとミトコンドリアにおけるエネルギー産生回路の一場面を指す言葉になりましょうが、その点、お許しください。
 いずれにしましても、この「エネルギー変換失調症」から1日も早く脱却したいものです。体内脂肪を頻繁にエネルギー変換させる、その利点は、空腹感を感じなくなることの他に数多くあります。大きな効能は次の2つです。
 一つは、ブドウ糖の代替エネルギーとなるケトン体は脳細胞にとってブドウ糖よりも優れたエネルギー源になるというものです。断食すると頭が冴えわたるのがいい例です。
 と言いますのは、脳の働きを円滑にするためにはブドウ糖を絶えず供給する体制を整えておかねばならないと言われていますが、これは間違いです。脳細胞はブドウ糖よりもケトン体を欲しているのです。ちなみに、母乳には、これがかなり含まれていて、赤ちゃんの記憶力強化に大いに役立っていると考えられています。
 もう一つは、体内に溜まった有害物質の排出です。体内脂肪が分解されてケトン体などに変換されるときに解毒が一気に進み、体がスッキリするのです。
 参照記事:
冬ヤセ、夏ヤセで毒だし!おすすめします1日断食の繰り返し

 こうしたことからも、「1日2食(朝食を抜く)」ことが「ミニ断食」(「プチ断食」)となり、「エネルギー変換失調症」から脱却できる、良き方法となります。
 「1日2食(朝食を抜く)」生活に慣れると、胃が元気を取り戻すばかりでなく、いろいろと体調が良くなるのは、多くの経験者の語るところです。
 皆さんに、ぜひともお勧めしたい「1日2食(朝食を抜く)」です。ただし、冒頭で申しましたように、いきなり朝食を抜いてしまうと失敗するケースが多いですから、次の参照記事の末尾の「追記」に従っていただいたほうがいいです。
 参照記事:
朝食抜き、1日2食で健康!昔は皆がこれで驚くほど元気…

 最後に説明することにしました例外の件。
 「朝食抜きのミニ断食」なり「1日断食」などに慣れきっていて、普段は空腹感を覚えなくても、まれに空腹感が襲ってくることがあります。
 これは、朝食抜きや断食指導50年超の大ベテラン甲田光雄先生(故人)がおっしゃっておられるのですが、「普段粗食で済ませているところを、付き合いで宴会料理を食べた翌日は空腹感を感じるようになる。原因は胃が荒れたことによるもので、これは“偽腹(にせばら)”であって、脳がそのように錯覚させられるのである。」とのことです。
 小生の場合は、毎晩、晩酌しながら肉や魚を少々食べているのですが、ときに美食し過ぎたときなど、たぶん胃が荒れたのでしょう、そうしたときに翌日の夕方に何となく空腹感らしきものをを覚えることがあります。この1、2年、それが少々気になりだしました。これは、きっと加齢(今68歳)により胃弱が進んだからでしょう。

(補記)
 先日、3日間断食を行い、漸減食・漸増食を含めると8日間の食事制限となりました。
 体重は48kgから45kgへと約3kg減となったのですが、宿便の排泄が主であって、体脂肪の減少はせいぜい1kg程度のことと思われます。(体脂肪率の測定をやっておれば、もう少しはっきりしたことでしょうが、測定忘れしてしまいました。)
 断食終了2週間後の測定値は次のとおりです。
  身長:157cm 体重:47kg BMI:19 体脂肪率:10%
 身長、体重、年齢、身体活動レベルから、基礎代謝量:1038kcal、1日消費カロリー: 1816kcalと出ました。(計算方法がいろいろあるようで、これは1例)
 1kgやせるには7000kcalを消費する必要があると言われますから、今回の断食による食事制限で、大ざっぱに言って概ねこの程度のカロリー不足が生じて、1kgの体脂肪が燃焼したのではなかろうかとも推察されます。
 ところで、小生の体脂肪量は体脂肪率から約5kgですから、断食によって脂肪は約2割減った計算になり、かなりの減りようであると言えましょう。そして、脂肪に取り込まれていた有害物質の約2割が体外排出されたことになりますから、これは健康改善にけっこう大きく影響したものと考えられます。
 このことは、1日3食の方が朝食抜きをはじめられて1か月後の状態とほぼ同様でしょう。というのは、朝食抜きを1か月続ければ1kg程度の体脂肪の減量が可能だからです。なお、体脂肪率が10%ではなくて20%の方であれば、減量は2kgになるかもしれません。その場合も有害物質の排出量は同じく約2割となります。
 では、体重が安定した以降の有害物質の排出はどの程度進むでしょうか。つまり、毎日のミニ断食の効果についてです。
 朝食を抜いて空腹感を感じる(これは最初だけで、慣れれば空腹感は消える。ただし、胃が荒れている方はなかなか空腹感が抜けない。)のは午前9時から正午までの3時間ぐらいでしょう。この間、脂肪の分解が進むと考えていいでしょうね。1か月続けると90時間となり、これは小生が行なった3日間断食(断食前の漸減食、断食後の漸増食、合わせて8日間の食事制限)とほぼ同じですから、1か月間で体脂肪の約2割は「エネルギー変換」される計算になります。よって、有害物質の排出は同じく約2割となります。
 これが繰り返されて、どんどん有害物質が排出されてクリーンな体になっていく、ということになりますが、けだし、毎日の食事で新たな有害物質が取り込まれ、それが脂肪に沈着しますから、完全にクリーンになることはありません。
 でも、1日3食の方に比べれば、体内脂肪の新陳代謝がうーんと進みますから、かなりクリーンな体になり、イキイキ元気な健康体に変身していく可能性がとても大きいと思われます。小生(68歳)、それを実感しています。 

 1日3食召し上がっておられる皆さんにおすすめの「1日2食(朝食抜き)」です。梅雨末期のあまりの蒸し暑さで食欲が落ちた今こそ朝食抜きにチャレンジするいい機会です。

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