不食が受け入れられる時代の到来か
不食とは食べないこと、それでも人は生きていけるようです。
似て非なるものに、摂食障害の拒食症がありますが、これは若い女の子に多く、神経性やせ症とも呼ばれ、ボディ・イメージへの強迫観念(「自分は太っている」と考えること)から食べ物の摂取に拒否反応を示すというものです。
また、断食とも違います。断食は、その前後は従前どおりの食生活で、一定期間(何日か)食を断つというものです。もっとも、毎日が朝食抜きという、1日の食事回数を3回から2回、さらには1回に減らし、これを継続するという食生活をなさっている方も多く、これをミニ断食(あるいはプチ断食)ということもあります。
通常「不食とは食べないこと、一切何も口にしない」という意味になってしまうのですが、断食も同様に一定期間一切の食を断つという意味に受け止められるものの、さにあらず。文字どおり水以外は一切何も口にしない断食を本断食といい、昔はこれが多かったものの、近年は、すまし汁あるいは寒天などカロリーがほとんどゼロに等しいものを絶えず補給しながら行うもの、さらには超少食(これも段々あり)を取り続ける方法が、断食の主流になっているようです。朝食抜き、あるいは1日1食のミニ断食も同様で、抜いた食事時にほんの少々何かを口にすることも多いようです。例えば、朝に梅干しとか。
よって、断食と同様に、不食(読んで字のごとくの行為)も、ときおり、あるいは毎日、カロリーが少ないものを摂取する場合であっても、不食の範疇に含むという扱いがなされています。
要は食欲という執着から離れることができて「食べても食べなくてもよい」という境地に至ることができれば、それは「不食」なのでしょう。以下に紹介する御3方の不食者、皆、同じようなことをおっしゃっておられます。
日本で最初に不食の概念が登場したのは、2004年に山田鷹夫著『不食』が発刊されてからのようです。彼が不食の実験に入ったのが2001年7月、50歳のとき新潟の山奥の自宅でのこと。離婚し、定職も辞め、生活が完全に破綻し、自分の人生もこれで終わりかと感じたとき、ふと思いついたのが不食の実験。ご本人の弁では、いちかばちかのどんでん返しを狙ったもの、とのことです。
で、その結果はというと、思わぬ結論へと導かれたそうです。そのあたりのことを不食者御3方の共著『食べない人たち ビヨンド 不食実践家3人の「その後」』(マキノ出版2015年)から抜粋して紹介しましょう。
その前にお断りしておきますが、山田鷹夫さんの不食実験は何も食べないというものではなく、微食です。それはどんなものかというと、同著に「しかし、それは人から見ると悪食といわれてもやむを得ないものでした。すべての食材を生で食べたり、腐ったものを食べたり、粉にして食べたり、あらゆるものをあらゆる形態で味わいました。どんな食べ物も食べる量が少なくなればなるほど、おいしくなります。」とあります。
(では、これより以下引用開始)
(不食とは…)「なんだ、こんなに単純なことだったのか」
命がけの実験になるかもしれないと思っていたのですが、実際に試すと、不食とは、コツさえわかれば誰にでもできる実に楽しいものだったからです。
実験を続けていくうちに、それは喜びとなり、最後には笑いとなっていきました。もちろん自嘲の笑いではありません。底抜けに明るい、突き抜けたような笑いです。…
不食のコツとは、ひとことでいえば、食べないことに慣れていくことです。これは、がまんではありません。時間さえかければ、その人なりに空腹に慣れていくことができるのです。
しかも、空腹に慣れていくと、食べないことが快感に変わっていきます。…
…読者がいちばん興味を抱いたのは、また、疑問を抱いたのは、間違いなく、この「空腹に慣れるという感覚」でしょう。あるいは「空腹が快感に変わるという感覚」でしょう。これを今回、「慣れの法則」と名づけて、その仕組みを説明したいと思います。
頭で考えると、「食べる人」が「食べない人」に変わるのは不可能です。しかし、「慣れの法則」が働くと、「食べる人」が「食べない人」に変わっていきます。非常識が常識へと変化するのです。この不可能を可能へと変える「慣れの法則」の秘密を、私は沖縄の無人島での無為の日々の中で悟ったのでした。
(ひとまず引用ここまで)
山田鷹夫さんは、2001年の不食実験の後、2014年に無人島で130日間の不食生活(このときは各種小魚を食べたり食べなかったりの微食)をするなかで「慣れの法則」の秘密を悟ったと言っておられますが、その詳細は本書を読んでいただくこととし、小生が“なるほど、これだ!”と感じたのは、次の件(くだり)です。
(再び引用)
空腹感には、偽物と本物の2つの種類がある…。偽物の空腹感は頭で解釈する空腹感で、飢餓感が伴います。これに対して本物の空腹感は体で解釈する空腹感で、快感を伴います。
この空腹快感をたびたび経験すると、しだいにおなかをいっぱいに満たすことが不快に感じられ、できるだけ食べない時間を延ばしたくなってきます。そうなったとき、あなたのDNAの空腹快感のスイッチがONになっているのです。もうあなたはあなたのスピードで、そしてあなたのやり方で不食の道を歩きだすようになるでしょう。
(山田鷹夫さんの引用 これにて終了)
次に、御3方の共著で登場する森美智代(鍼灸師)さんを紹介しましょう。
森美智代さんの主治医・甲田光雄医師(故人)は、超少食療法で数多くの難病患者を完治させたり、超長期断食で病気治療に優れた効果を出しておられましたが、人体には想像を絶する適応力が秘められている、と言っておられるものの、彼女のような例(1日青汁1杯だけ)=超少食を幾年も続けていっても体重が増えていくのには、驚きを通り越してあきれておられました。
甲田光雄医師曰く。かような食事は仙人食であり、うちの患者で今までに2人いる。森美智代さんは仙人2号で、別に仙人1号がいる。よくこれだけの食事で生きていけるとは不思議なものだ。
なお、森美智代さんは、1983年、21歳のときに脊髄小脳変性症という難病に罹っていると診断され、甲田光雄医師のもとで長期断食を幾度も繰り返し、それによって病状が改善するも、普通食に戻すと再び病気が悪化してしまうので、それではと、ずっと1日青汁1杯だけの食生活にしたところ、1988年には難病が治癒したというものです。
それ以来、変わらずその食生活を続けてこられたのですが(さらには1996年から青汁の材料を4割減らして150gにし、2000年から週1回1日断食)、かような食生活でも体重は増え、ふくよかな体をしておられます。
その後、森美智代著『食べること、やめました』(2008年)が発刊されて、大きな反響を呼んだところです。この本には副題として「1日青汁1杯だけで元気に13年」がついているのですが、現在(2023年)でもそれを続けておられます。ちなみにこの青汁のカロリーは50キロカロリーほどしかありません。
以上、森美智代さんの例について、他書からポイントだけを要約して紹介しましたが、御3方の共著のなかで、森美智代さんが述べておられることを紹介しましょう。
(以下、引用)
私は毎日青汁を飲んでいるように思われますが、実をいうと、ときどき飲むのを忘れてしまうことがあります。…そのとき思うのは、私はもう青汁すら飲まなくても、おそらく平気なのだと思います。変な話ですが、私が青汁を飲んでいるのは、みなさんの常識でもかろうじて納得していただくためであるかもしれません。…
要は意識の問題なのです。いつまでも意識が医学的な常識にしばられていれば、まわりをうろちょろするだけで、不食の世界へ足を踏み入れることはできないでしょう。その意味で、常識と非常識の間にある少食は実行しやすく、少食こそ不食への王道なのです。…不食を目的にすべきではありません。少食を目標にして、結果的に不食へと近づいていくのが理想です。そもそも不食は、意識を常識から解き放つことが目的で、食べないことが目標ではないからです。
私の場合も、不食を目的にしたことは一度もありません。摂取エネルギーをへらしていったのは、そうすると体調がよくなるからです。摂取エネルギーをへらせばへらすほど体調がよくなっていったために、結果的に不食となりました。
(引用ここまで)
最後に3人目の不食者を紹介しましょう。弁護士の秋山佳胤さんです。この方の経歴がスゴイ。東京工業大学を卒業し、きっと成績が良かったのでしょう、大学院へ推薦で入れ、席を置いたものの大学院へは一度も行かずに退学。学部在学中に望んでいた弁護士になろうと司法試験を目指して浪人生活。1年後にはそれに合格し、弁護士になられたという逸材で変人。
文系の法学部で4年勉強しても容易には合格しない司法試験ですから、理系の者がこれを目指すのは至難の業であり、案の定早々に挫折し、絶望し、どん底を味わい、不規則不摂生な生活を続けるなかで精神も肉体も疲労の極みに達し、生死の境をさまよう状態に。
彼はそこで“地獄を見た”とのこと。「夢か、それとも幻か…。いや絶対違います。そこは超リアルな闇の世界でした。」と述懐しておられます。
この“地獄の体験”以降、秋山佳胤さんは、すっかり人が変わったと言っていいのではないでしょうか。すんなりと司法試験も合格し、その10年後の2006年に、彼は、不食の代表的な女性であるオーストラリアのジャムスヒーン(本名エレン・グレーブ)さん(彼女は「自分は1杯の紅茶だけで何か月もいられる」とのこと)が日本で開催された不食のワークショップに参加し、このとき初めて“不食をしてみよう”と思われたとのことです。
「私はそれから2年も経たないうちに意外と簡単に食べ物も水もほとんどとらない不食の状態に達していたのです。不食とはまったく縁のなかった私が、なぜこんなにもスムーズにその道に入って行けたのでしょうか。おそらく、そこには前段階として、地獄での体験と、そこで悟った極意があったからだと思います。」と、秋山佳胤さんは語っておられます。
食べるのはほんのわずか、というのは、ここに紹介した御3方に共通している(といっても秋山佳胤さんの食は極端に少なさそう)のですが、山田鷹夫さんも森美智代さんも水分補給だけは毎日なさっています。でも、秋山佳胤さんは水も飲まない日が多いのにはびっくりさせられます。
しかし、これは事実として受け止めねばなりません。秋山佳胤さんは御3方の共著の序文で次のように述べておられます。
(以下引用)
私個人について述べるなら、2008年以来、食べ物はおろか水もほとんどとらない生活を続けています。…特許案件を専門とする弁護士として、充実した日々を過ごしています。…頭の中は常にクリアで、…疲れを感じることもほとんどありません。登山やマラソンも普通の人と同じように楽しんでいます。…
不食になると、食事に時間をとられることがないので、1日が72時間くらいあるような気さえします。…睡眠時間も極端に減って、現在は1日に2時間も眠ればじゅうぶんです。…
…世の中の常識からすれば、信じがたいことでしょう。私自身、いまだにその不思議さに驚くことがあるのですから、無理からぬことです。
2013年の11月、パレスチナ・イスラエルの平和の旅に参加したとき、私は現地で開催されたマラソン大会に急きょ参加することになりました。…その日は暑く、しかも砂漠地帯なので空気はカラカラに乾燥していました。それにもかかわらず、一滴の水も飲まない私が全身に汗をかき、しかも、のどは一切渇きませんでした。それどころか、口の中は適度に水分で潤っていたのです。
(引用ここまで)
これにはあっけにとられます。でも、これは事実。現代医学も現代栄養学も通用しない、そうした現実世界がちゃんとある、と認識するしかないです。腸内細菌や皮膚常在菌との共生論を持ち出してきたところで説明できるものでもないです。ましてや水を全然飲まないとなると1週間なり10日で人間は命を落とすのは必至とされていますから、秋山佳胤さんの体はどうなってんの?(毎日たった1杯の紅茶しか飲まれないジャムスヒーンさんの体もどうなってんの?)です。現代物理学でも説明がつかない。これは、体の奥深くどこからともなく水が湧いて出てくるから? そんなこと有り得ないのですが、これまた事実。
高度に科学技術が発展した現在ではありますが、最新の自然科学とて自然界の現象のごくごく一部のことしか解明できていません。それどころか、解明できて“これが正しい”とされるものであっても、“それは間違っていた”と将来訂正されることが往々にありましょう。自然科学の歴史がそれを如実に物語っていますから。
読者の皆さん、「不食で生きていける」という事実、これを素直に受け止めようではありませんか。
最後に、私見を述べさせていただきます。小生は「不食で生きていける」というのが、すんなりと腑に落ちてしまいました。
というのは、もう10数年、いやそれ以上になりましょうか、小生は1日1食(夕食のみ)の食生活を続けており、それがために小生の体は空腹感というものを全く感じない体になってしまっています。2日断食や3日断食(断食日の前2日は減食、その後3日も減食)を何度かやってみた(断食中に丸1日あるいは2日、百姓仕事をすること多し)のですが、普段よりスタミナが若干落ちる傾向にあるように思われるも、空腹感は一切生じなかったです。子供の頃、腹が減って腹が減って夕飯が待ちきれず箸で茶碗を叩いて叱られた、あの頃の空腹感、それを体が思い起こしてくれないものかと期待して、複数日断食を試みるも、あにはからんや一切の空腹感が生ぜず、がっかりしたものです。
こうした体験から、俺だって長期断食はなんなくできるだろうし、ここに紹介した御3方と同様に不食の生活にすんなりと入って行けるのではなかろうかと。
でも、いまさら、不食の生活なんてまっぴらごめん、です。なんせ今年、後期高齢者になる小生、余命幾ばくも無い、残りわずかな人生ですから、毎日の楽しみといったらグルメを味わうことしかない。男の三大楽しみはすでに卒業(というより、どれも不得手で早々に退散)して、残すは食うことのみ。「うまいものを食うことが我が人生なり」となってしまっているからです。
一方、若い読者の皆さんは、まだまだやることが山ほどありましょう。1日24時間では足りない。倍あってほしい、といったところでしょうね。不食生活によって秋山佳胤さんは「1日が72時間くらいあるような気さえします」と言っておられますが、1日1食生活に馴染んでしまった小生の経験では、1日が30時間ぐらいに伸びました。朝昼2食をとらないと、食事の時間と食休めの時間がゼロになり、仕事が食事で中断することがなくて作業がスムーズにはかどりますし、体にスタミナもつきますから小休止を時々入れるだけで連続作業もこなせます。加えて、頭はクリアになり、仕事の処理スピードがグンと上がります。さらには睡眠時間が短くて済むようになり、かつ、朝の目覚めスッキリです。いいことずくめです。
どうです、不食への道を歩んでみませんか。
最後に、日本における不食の先駆者、山田鷹夫さんの不食道へのお誘いを紹介し、本ページを閉じることにします。
(以下、御3方の共著より引用)
…不食者の定義には幅があります。…
不食の人には、食べ物も水もまったくとらない人もいれば、水だけは飲む人、少し食べる人、青汁だけの人、果物だけの人、不食と微食をくり返す人など、いろいろなタイプがあります。さらに、現在は不食できていなくても、それをめざしている少食の人たちも、その定義の中に含まれます。不食の意識を理解できる人であれば、定期的に断食を行っている人たちも不食者のグループに入ります。不食で大切なのは、形ではなく、その意識なのです。
おそらく、本書を読んでいるかなり多くの人たちが、この不食の定義に含まれるでしょう。そして、あなたの不食がこれからどこへ向かうかは、あなたが決めるのではありません。あなたにできるのは、計らい(左脳の判断※)を捨てて、すべてをゆだねることです。私たちの背後で私たちを動かしている大いなる意識にすべてをまかせて、不食の道をあわてず、楽しんで進んでいきましょう。不食の道はあなた独自のものです。
(引用ここまで)
<備考>
※印「左脳の判断」について少々補足解説(別ページでの山田鷹夫さんの弁)
空腹感が起こってくると、人はその空腹感を満たそうとします。…しかし、その前に知らなければならないのは、その解釈が体でなされているのか、頭でなされているかです。私にいわせれば、体で解釈する空腹感は本物の空腹感で、頭が解釈する空腹感は偽物です。
その証拠に、おなかがすいていないときでも、「おいしいもの」を見せられると、人は空腹感を覚えます。その場合の空腹感は頭がつくりだす偽物の空腹感です。…
ぜひ知っていただきたいのは、ほとんどの人は偽物の空腹感にだまされて、本物の空腹感を覚えにくくなっていることです。頭(左脳)で考えることばかりしているため、体で感じる力が封じ込められているのです。本物の空腹感を知らないといってもよいでしょう。
その結果、偽物の空腹感にすぐにだまされて、本当は体がいやがっているのに、どんどん食事をさせられてしまいます。…
(引用ここまで)
本稿は久しぶりにかなりの長文となりましたが、読者の皆様には最後までお付き合いいただき、感謝申し上げます。
(参考文献:小生の蔵書より)
・不食者御3方(秋山佳胤、森美智代、山田鷹夫)共著『食べない人たち ビヨンド 不食実践家3人の「その後」』(マキノ出版2015年)
・森美智代著『「食べること、やめました」1日青汁1杯だけで元気に13年』(マキノ出版 2008年)
・甲田光雄著『断食療法 50年で見えてきたもの』(春秋社2003年)
・甲田光雄著『奇跡が起こる「超少食」』(マキノ出版2007年)
・渡辺正著『朝食をやめて健康になる』(知恵の森文庫2003年)