面白い話、楽しい話のご紹介(“一日一楽”日記より)
別立てブログで毎日“一日一楽”日記を書き綴っているのですが、ほとんどの記事は自己満足的に楽しかった出来事です。これでは、読者の方に何の役にも立ちません。
それに気づき、小生が知り得た面白い話、楽しい話も積極的にこのブログで発信したほうが良かろうと思い、本など読んで、これは面白いという話を見つけたら“一日一楽”日記で紹介することにしています。
前回、齋藤茂太(歌人齋藤茂吉の長男:故人:精神科医・文筆家)著『「あなたと会うと元気になる」といわれる人の共通点』から取り上げたものをまとめて紹介しましたが、今回はオムニバス3本立て。
2014.7.4 今日はいい言葉にめぐりあった
団塊の世代の特徴と言われるのが、“正義感が強い、完ぺき主義”、そんな話を聞いたことがある。皆が皆そうではないだろうが、小生にはズバリ当てはまる。
正義感が強いと、“それは間違っている、こうせねばならない。"となって、それを人に押し付けがちとなる。つまり、自分本位で“人を正す”行動を取ろうとする。
しかし、そのようなことで、はたして人を動かせ得るものか?
「人を正すより 自分がいいと思うことを コツコツとやっていく その方が はるかに人に影響を与えるのじゃよ」
これは、ネット注文して今日届いた「心が軽くなる なんでも仙人の 日めくりカレンダー」に書いてあった言葉である。
よくよく考えてみるに、人に意見を押し付ければ押し付けるほどに相手は退いていくもの。いくら正しいことであっても、そうなってしまう。ここは、正しいと思ったことは自分で実践するだけでよい、そのように心得るべし、ということでしょうね。肝に銘じておこう。
関連してもう一つ肝に銘じておかねばならない言葉があった。
「人にかけてあげた言葉は そっくりそのまま自分へのメッセージ」
相手が喜ぶ、嫌がるにかかわらず、人にかけた言葉というものは、自分に戻ってくるみたいですね。“こんなことぐらい出来んのか!”と人を罵倒するということは、“そういうお前も出来んことが数多くあるんじゃ、馬鹿もん!”であって、自分を自分で罵倒していることになりましょうね。
2014.5.29 魂が飢える
近畿日本ツーリストの系列と思われるクラブツーリズム㈱発行の「旅の友」。女房がそこの会員バスを利用したことがあるから毎月送られてくる。
その6月号の特集記事「上様のヘルスケア」と題して、徳川家康の養生法が4ページにわたって紹介されていた。どれもだいたい承知していたことであったが、初耳な事柄が一つあった。それをここに抜き書きする。
天下人の食習慣
「人間は腹ふくれると魂が飢えるものだ。気をつけよ」。そう語っている家康の食生活は、…腹八分が基本。…(引用 ここで終わり)
家康のこの言葉の出所はどこかとネット検索で探っていったら、どうやら次のようである。これは1983年のNHK大河ドラマ「徳川家康」で、家康の臨終のときに言った言葉。原作者:山岡荘八の小説には「人間は腹がふくれると、次には魂が餓えるものじゃ。その魂を養う糧は学問…怠らずにな、急がせよ…」と書かれている。
さて、ここで言う「魂が飢える」とは、どういう意味か。
家康の食生活からしてみると、「魂」は「心、精神、気持ち」という意味で、「飢える」は「強く求める」ということになろうか。
食欲煩悩が満たされすぎると、金欲、権利欲、名誉欲など為政者としてあるまじき煩悩が暴走を始める。粗食で腹八分に止め、日々学問を積み、正しい心を養うことだ。
このように小生は解したのですが、いかがなものでしょうか。
この言葉は史実にはないようで、山岡荘八氏の手による創作と思われるのですが、けだし名言である。
家康の臨終の頃は天下泰平となった世の中。でも、少なくともこの頃までは、上様から下々の者まで、「朝食抜きの1日2食、麦飯」であったのは間違いのないことで、家康は「1汁3菜の腹八分」でしたが、お偉いさんたちはおかずとして「ご馳走を満腹に」食べていたのかもしれません。そして、その後のお家騒動。
現代の飽食時代。日本人皆、「魂が飢えに飢えている」と思わせられますね。1日1食生活の小生とて晩飯は「腹が膨れすぎるほどに膨れる」状態にありますから、何ともならんですわ。
しかし、「人間は腹ふくれると魂が飢えるものだ。気をつけよ。」という、この言葉を肝に銘じておきたいものです。
今日はいい言葉に出くわしました。
2015.2.10 どんな犬とも直ぐに仲良しになれる方法
こんなうまい話はないと思われるのですが、小生の経験からしても当たっていそうです。なお、これは空き巣狙いのこそどろがけっこう知っているようでして、いくら吠える番犬であっても、コロッとおとなしくなってしまうようですから、お気を付けあれ。
<新谷弘美著「病気にならない生き方」より抜粋>
私は子供のころから、どんな犬とでもすぐに仲よくなるという特技をもっています。それほどむずかしいことではありません。自分の唾(つば)を手のひらに出して、犬になめさせてやればいいのです。これでどんな犬とでもあっという間に友だちになれます。
私は小さいころから犬を飼っていたこともあり、犬が人の口をなめたがることを知っていました。なぜ口をなめるのだろうと考えていたとき、「唾がすきなんだ」ということに気づいたのです。そこで先の方法を試してみたら、どんな犬も大喜びで尻尾を振るようになったというわけです。でも、私がこの方法で近所の犬と片っ端から友だちになっていたのは、まだ小学生のころです。当時はなぜ「唾」を喜ぶのかわかりませんでした。
その謎が解けたのは、私が医者になり「エンザイム」(=酵素)に注目するようになってからのことです。
「そうか!犬は唾に含まれるエンザイムを欲しがっていたんだ」
そして、この視点でさまざまなものを見直すと、動物たちがみなエンザイムを求めていることが見えてきたのです。
ライオンなどの肉食動物は、獲物を捕まえたとき、必ず「内臓」から食べはじめますが、それは内臓がエンザイムの宝庫だからです。エスキモーのように植物のほとんど育たない極寒の地で暮らす人々も、アザラシを捕らえると真っ先に内臓を食べます。ウサギは自分の一度目のやわらかい糞を食べますが、これも未消化のエサとともにエンザイムを再吸収していたのです。
最近、ペットの病気が急増していますが、その原因も想像できます。ペットフードです。ペットフードにはペットが生きるうえで必要な栄養がバランスよく含まれているといいますが、それはあくまでもエンザイムを無視した現在の栄養学にもとづいてのことです。
…エンザイムが含まれていなければ、生物は命を養うことはできません。しかし、その大切なエンザイムは熱に弱く…ペットフードを作る過程でなくなってしまっているということです。こうしたペットフードの問題は、人間の食事にもそのまま当てはまります。…
(引用ここまで)
いかがでしたでしょうか。面白い話、ためになる話ですよね。
ところで、小生が犬を手なずける方法は、テレビでときどき登場する動物王国のムツゴロウさんが「犬とキスをして互いの舌で舐め合う」という方法です。どこの犬とでもとは参りませんが、親戚の家に行ったときに“お座敷犬様”がいればそうすることにしています。
これで、あの“畜生”はコロッといきます。あまり犬が好きでない小生です。子供の頃に同級生のT君の家で飼い犬に噛みつかれたイヤ~な記憶がありますゆえ。あん畜生!
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