Noosphere<精神圏>

進化の途上にある人間、これからどう発展するのか。

サヴァン能力と言語による意思伝達について

2024-03-25 00:42:18 | 大脳で目覚めた新たな欲求

サヴァン能力と言語による意思伝達について

サヴァンとは自閉症の一部に現れる特異能力を指します。例えば、特別な教育を受けていないにもかかわらず、驚異的な計算能力や記憶能力あるいは芸術的な能力が開花することです。通常の人の一般的能力を差し置いて特定の能力に集中し、天才ともいうべきレベルに達しています。ここで自閉症とは対人関係や社会的なやりとりに障害があること、そしてこだわり行動があることに特徴があると言われます。人類に与えられた言語によるコミュニケーション能力を開発するという欲求を捨て去って、自己の興味への欲求に忠実に従い、特殊な領域を独自に開発したと言えます。この能力の開発が単に人類にとって「はずれ」の部分として捨て置かれるのか、そうではなく、人類の発展に寄与する切っ掛けとして注目すべきなのかを考えてみたいと思います。

 

<言葉の獲得とコミュニケーションとの関係>

人間が現在のコミュニケーション能力を開発したのは言語の獲得と関係があるのは明らかです。生物の進化を経て人類となった数十万年の昔、直観や習慣に頼って行動していた段階から、同胞との意志の疎通を考える行動への変化がありました。集団での生活では互いの意志を効率的に伝え合いたいという欲求や仲間とのコミュニケーションを円滑にしたいという欲求は当然起こるでしょう。意志を伝達する手段への欲求は、言葉を発生できる喉の器官の構造を改善し、大脳の前頭葉の発達を促して、単なる音声からその意味を抽象化して言葉として伝える能力を開発しています。言い換えると、舌の動きや喉の発音の高低などで口から出る音の流れを、意味のある言葉として用いて相手に伝えています。そして言葉によって、人類は集団で互いに共通の理解と行動を実現することができています。そして、仲間どうしの話し言葉がある程度規則化してくると、言葉を視覚的な図形としての文字に当てはめ記録できる言語を作り上げました。世界中に様々な民族があって言語は異なっていても基本にある言語の組み立て方は同じ仕組みになっていると想定されます。人類は言葉を使って思考する仕組みと他人に意味を伝達する仕組みの両方を作り上げてきています。

 

<言語の獲得と大脳の機能>

そして、人間は大脳が発達して体系的な言語を持つようになり、それによって思考し意思を伝達することができます。私たちは言葉で思考することで自己を他と分けて考え、その主体が自分であることを自覚しています。この自己の意識を自覚することは言葉の獲得と密接な関係があります。そもそも言葉を理解するには音声の流れや図形の形を識別して、その組み合わせから意味を理解することが必要です。そこには、動物から人間に至るまでの生物の進化において、獲得した形質を自律化して無意識に追い込み、効率を高めるために新たな能力の獲得へ向かう方向性が土台にあります。その方向性によって、言葉を獲得する試行錯誤の長い期間には、以心伝心による直観的な理解から、同胞との意思伝達する言語形成への移り変わりがあったことが推定されます。そして、言葉によって対象を抽象化して表せることから、語彙を増やして言葉で伝達できる範囲を広げていきます。これにより自分と対象との関係を理解しようとする意識が明確になっていきます。そして自分が主体であるとして外部を認識することによって自己を自覚する意識が起こり、自分の内側で言葉を用いた思考へと発展します。ここに、大脳の内側に蓄積されてきた言葉と対象の関連性の記憶が、無意識における自己の主観として形成されていきます。

 

<言語理解の限界と自閉症との関連>

私たちは自分の内側で対象を抽象化したものを言葉として編み出し、伝達の手段にしています。しかしコミュニケーションの発達した現代でも、他人の言葉を正確に理解したり自分の意志を明確に伝達できるわけではありません。言葉の意味は一定でも、誤った記憶によって意味が歪められたり、似た言葉による意味の取違いなどもあります。また、その時の感情によって一部の言葉の意味が強調されたり無視されたりすることもあります。なぜなら、言葉のやり取りというのは、音声の流れや文字の集まりを、脳内で記憶と参照しながら一瞬で翻訳して理解しているからです。言葉そのものは単なる音や文字であり、それが指し示す対象を意味するように抽象化されたものです。その言葉のやり取りを支える翻訳作業は無意識の領域で行われ、私たちは時間をかけることなく一瞬で言葉の意味を理解できています。この一瞬の理解というのは、自閉症にあるサヴァンの高度な暗算能力やカレンダー記憶のように、一瞬で膨大な記憶ができたり一瞬で全体を俯瞰できることへとつながる能力でもあります。そして、人間は直観からの理解が並行して言葉による理解を補っています。ここでの直観とは、無意識に蓄えられた大量の記憶からの類推であり、それが条件反射的に脳内での理解となっています。また、こういった無意識の領域にある脳内翻訳の内容や程度において、脳内での理解ということが人間どうしで少なくない相違があるだろうことは否めません。

人がサヴァン能力を示す場合に、大部分の精神的な動機は自分の内側にある興味に集中していて、その程度は一般常識を超えています。友達と遊ぶことができないあるいは友達との遊びに集中できずに自分の内に閉じこもる子供の場合、外側に向かうはずの興味への動機は自己の内側にある強い興味へと置き換えられ、それを無意識の中で発展させています。自閉症の子供が興味を引く対象に目覚めると、そこに向かう強い動機が起こり熱意をもって集中します。そこに集中し追い込んでいく欲求は、外側に遊びを求める一般の子供と違っています。集団内で仲良くなろうとする流れに反して、自己の内側の興味に深く向いていく傾向があります。おそらく言語の抽象化に必要な脳での領域において、意思伝達や互いのコミュニケーションには大量の領域が必要であると予想されます。そこで、言語による意思のコミュニケーションに向くはずの領域で、サヴァンの場合には無意識のなかの別の能力を開発していると考えられます。また逆に、言語を駆使して互いに交流できるようになると、サヴァン能力の発現が抑えられていくことになると考えます。そして、このことはサヴァン能力だけでなく様々な能力開発の可能性もあることが示唆されているのではないでしょうか。

 

<一般の場合での言語の脳内翻訳の仕組み>

一方、正常な一般の幼児期の大脳の発達では、言語の仕組みの確立とコミュニケーション能力の獲得は、試行錯誤の繰り返しです。幼児期における言葉の学習の経過において、相手の表情や音声を認識し、言葉を聞いて発声を模倣し、自分の欲求を少しずつ音声によって伝え、聞いた音声の意味を理解できるように学習しています。その経過において、耳に入る音声の流れを対象を表す言語として切り取り、それを抽象化して結びつけ、その関係を記憶領域に貯め込んでいきます。さらに対象の属性である形や色や匂いなども記憶で結びつけ、それに好き嫌いなどの感情も込められます。一方、他人との言葉のやり取りでは、相手のことや話す内容などに集中しつつ、記憶から関連するものを取り出し、言葉に込める意味を考え単語をつなぎ合わせる必要があります。脳内では様々な抽象化を迫られて、その関連操作が無意識へと落とし込まれているはずです。そこには大量の記憶とともに言語として意味を理解できる大脳の仕組みの複雑さがあります。私たちは日常生活において、言語を操ることで現状の大脳の能力のかなりの部分を使っているかもしれません。自閉症サヴァンの例にあるような天才型の能力は、その仕組みの大部分を置き換えている可能性があります。つまり、言語による意思伝達には高度な抽象化能力が必要であり、それがサバン能力として置き換えられているということになります。サヴァン能力も個性の発現の1つであり、特定の習熟した動きを無意識の領域に追い込んで効率を上げていく精神の能力と関係していると考えられます。

 

<脳内の領域を置き換えられる仕組み>

一般的な幼児期の発達では、まわりの音声に気づいてそれを言葉として記憶しながら、自分の外側にある対象の興味への欲求が大きく成長します。つまり、一般には主観的なものへの興味よりも客観的な観察集中して学習を重ねますしかし、そこで自分に閉じこもるという傾向をもつ個性では、他の動きよりも自己の内側にある興味が強調されて、そこに意識を集中する能力が生じています。自分の内側で気づいた興味の対象を深く追及することが優先されます。外側から見た客観としての観察ではなく、自分を主体とした主観においての内省が対象の理解を深めています。客観的な観点に視点を置くのではなく、外部に交わらない妥協しない自己を持つことが優れた能力の開花につながっています。家族や仲間との意思伝達の利便よりも、自己の興味をどこまでも深く追及しようとする動機が無意識の領域を開発しています。サヴァンでの脳は、自己の主観にある強い興味で言語伝達の領域を塗り替えて、無意識の領域での能力を開発したと言えるでしょう。そして、私はこの脳内で置き換えができる仕組みに未来の人類の発展を見ることができるのではないかという気がします。

一般に動物には生きるための欲求から対象を識別する能力が発達し、成功した行動を習慣として記憶しつつ行動範囲を広げて発展しています。そして人類となって人間どうしが集約する方向への欲求が起こって、集団で行動を効率化する能力を発展させています。それ故、現代ではどうしてもコミュニケーション能力に目が向くことになります。しかし言語の理解に脳内翻訳が介在する限り、言語で意思伝達できる範囲には限界があります。言語を介在することによる問題点は、実際に個人の内部で考えていることや意図していることを完璧な正確さで伝えられない部分があることです。言語の抽象化ということが無意識で行われる仕組みである以上、残念ながら言語で表わすことができない抽象化はそれを他人に伝える手段がないことになります。しかしそれでも、自分に閉じこもった性格をもつ個性では、強い興味と集中力で自己の能力を特定の方面へと発展させています。天才型の脳にとっての能力の開発とは、自己の内に向かって無意識の領域を充実する方向になります。

すなわち、脳の根底に潜む部分において、優れた頭脳を開発する方法がある得るということです。数学とか音楽や美術の世界で常識を超えた創造性が発揮され、それは一般の人をも感動させるものであり、人の心の豊かさの広がりとも関係しています。そのうえ、言語の理解を超えた心の広がりによって、互いのつながりを深める道も開けることにもなるでしょう。これは、現状の大脳・辺縁系・知覚をまとめているものを超えることにもつながります。自閉症のケースは欲求や興味が内側に向いた例ではあっても、それは一般と対極にある個性として否定するものではないと考えます。私たちは集団生活の利便を追い求めるうちに、忘れ去っているものがあるかもしれません。一般常識を超えているような内在する能力の萌芽があることにもう少し注目すべきでしょう。現在の科学ではまだ解明されない脳内の事象があることが示唆されています。言い換えれば、現代科学の客観性を追及する方向性とは離れたところに、自己の内側での興味を深く追求していくことで得られるものがあるということです。

Written by Ichiro, 3/24/2024, 


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