Noosphere<精神圏>

進化の途上にある人間、これからどう発展するのか。

未来の方向と欲望との関係

2020-05-31 07:30:46 | 未来への意識

未来への意識

未来の方向と欲望との関係

世の中に様々な情報が溢れて、組織と人間関係の複雑な社会になり、人々の個性も多様化しています。まわりに次々と便利な道具が現れ人々の話や考えがつながやすくなり情報が拡散しています。このように生活が便利になり暮らしやすくなった基本にあるのは、私たちの欲求を基にした努力の結果です。欲望という言葉は自己本位という感じを伴って聞こえますが、生命にとっては足らないものへの欲求という基本行動です。しかし、欲求が多様化して関連する情報が絡み合って氾濫する状態では、何が本当なのか嘘なのか、どれが正しいのか混乱します。多くの人々が様々な活動をするなかで、利便性や効率を追求するだけでなく環境を維持することに関心を持つ人が増えています。一方では、物事を自分に都合良く勝手に解釈して、自己の欲望を他人に強制するような行動もあります。環境破壊や地球温暖化といっても個人の対処できることは限られ、私たちはほとんど影響を受ける側にいます。いままでの地球上の生命の流れがそうであったように、人間の欲望が渦巻く中で様々なことが起こっても、人間は紆余曲折を経てゆっくりと未来へと発展するのでしょう。しかし、私たちは目先の豊富さに惑わされていないでしょうか。未来を見据えた発展ではなく、実際は行き止まりの道であって、気づいて戻っても困難な回り道だったということを繰り返していないでしょうか。

生命が誕生して以来、現時点で最も複雑な生物である人間は、言葉を操って思考するという知性を獲得しています。しかし、地球という環境が大切な土台であるとわかっているはずなのに、自分たちの都合で勝手に弄って、汚染をまき散らしているのが現状です。人間の思考によって新たな欲望が生み出され、それを支える更なる欲求が多様化して、そこから生み出される豊富さに目が奪われ執着しています。生きることに集中する自律活動が、大脳で思考することによって多彩な欲求行動へと発展しました。人間関係が複雑になり、他人への対応が単純に反応する行動で片付けられなくなり、様々な行動パターンに複雑化しています。それでも、私たちの知的機能の働きは、大脳だけでなく生命維持や感情を支える下部層としての大脳辺縁系などのバランスした構造があって、すべてが生命の流れを先に進めています。そこには不思議な柔軟性が秘められています。

1個の人間は、生命の神秘において発達した数十兆もの細胞によって支えられていて、有機的に集まったる多くの細胞の全体が秩序を維持するように組織されています。その土台には生命個体を支える基本的な機能があり、身体動作、感覚、循環、免疫、そして神経系など、あまりにも複雑な組織となっています。生命の活性化を持続するには、複雑な化学反応を常に順序正しく継続しエネルギーを循環させることが必要です。生物という組織は、複雑に組み合わさった活性化の反応すべてをバランス良く統率して維持しています。しかも生物内部での複雑な反応の仕組みを維持しながら、その上で組織の進化を複雑な方向へ柔軟に対応しています。生命の流れは人間となり、知性によって行動を支える精神にまで発展し、さらに未来に向けて先の道に進んでいます。未来への発展を見据えて、複雑な組織へと変化させている流れには、隠れて働いている力があるようです。

知性を持つ人間は、生まれたときに引き継ぐ先天的な基本の性質があり、通常のヒトになるように構成されています。その上で遺伝子情報の違いや受精卵細胞の分裂において脳への分化での微小な変化などから、人の一生を決める個性が形作られます。まったく同じ個性の人間は世の中には存在しません。生まれた直後において人間は多様な個性に変化する可能性を秘めています。しかし個性は違っても、幼児期に言葉を覚え、まわりの事象を言葉によって置き替えて記憶しながら学習します。ある程度の年齢の子どもになると様々な情報を言葉によって抽象化して、とにかく言葉で置き換えて了解するという能力を身に着けます。言葉で理解して行動することを学習します。そのとき、外界の事象の理解は大脳によってパターン化され、その因果の組み合わせを固定のものにします。私たちが考えて納得するということは、脳の中で型にはめていることになります。そうしなければ、私たちは多くの情報の中で収拾がつかなくなってしまいます。

人類は未来へのかじ取りを必要としていますが、私たちは未来へ発展する力となるものの作用や特徴が見えていません。まわりが複雑になればなるほど、パターン化によって反応や行動が固定化され、細かいところが見えなくなります。私たちの意識は、現在の環境に適応するために直近の対象や目的に集中するように行動します。それは実際の事象に反応して行動するというより、今までの経験によってパターン化された組み合わせから効率的に行動します。まわりの複雑な事象に対して、自分を主体として支え維持することが優先されています。自分のまわりで起こるはずであると経験で知ってことを当てはめて、その思い込んだ因果から自分が当然のように行動することに慣れてしまっています。様々な制限や見えないことがあっても、自分が生活するために納得する行動が主流になっています。因果の流れを細かく考えて日々行動することには耐えられないので、私たちは知性や精神の発達が足踏み状態にあるかもしれません。しかし、敢えて流れの全体を見ようと努力することで、隠れている未来の重要な機能が見えてくる可能性があります。

私たちが考えるとき、今生きているという自覚は現時点にあるものだけれども、この時点そのものが過去から未来へと流れていて、現時点は絶えず動いている状況です。いつも現時点が動いている状況で、全体の流れを俯瞰できる自己を確立するなら、たとえ時間と空間の枠内に組み込まれていても、時間と空間を超越する未来への変化を知ることができるかもしれません。例えば、散歩している道の脇に川が流れていても、自分の想いに関係なければ見えていません。しかし、ふと立ちどまって脇にある川が目に入り、その流れの細かい変化が時間の経過に関係していると気づくことがあります。そこでは、自分が経験してきた様々な想いや理屈などの固執から離れる感覚があり、生きるものに備わった直感によってまわりを見ているという思いが浮かびます。まわりの日常にある複雑な因果関係についても、全体を俯瞰すれば自分の現時点は流れの一部という意識が起こります。変化を明確にする意識があれば、理屈や言葉を超えた自覚に結びつくはずです。

言い換えれば、人が生きて死ぬまでの限定された時間を超えて、生命の流れに人間を含めた全体を俯瞰するものを見るということです。因果を超えた所に働く力は、おそらく私たちが目先の欲求を叶えるという行動を少なくすることと関係があるように感じます。欲求は足らないものを欲するということだけでなく、囚われていることに執着するとか、やりたいことを止められて反発するなどの行動も含まれます。そこにある感情や動機は言葉で考える脳の層よりも下の層にあるようです。脳での思考が上位層で発達しても、その下層には秘められた能力が作用して、しかもそれが隠されていて私たちはそれを知ることがありません。私たちが新しい事象に出会うと、脳が感覚器官から情報から新たなパターン化による因果関係を構築します。その際、どうしてそうなるのかという理解はひとまず置かれて、まず了解し積み上げて記憶に置かれます。そして、敢えて納得するために適合する記憶が組み合わされ、感情の落ち着きとともに既存の認識となって定着します。頭の中で事実の理解が固定化して、感覚器官からの情報を補正する仕組みが作り上げられます。しかし、それは受け取った事実そのままの反映ではありません。記憶に固定化した認識やパターン化したイメージであり、そういうものだと割り切って思い込んでいます。しかし、主体として考え行動する人間にとって、脳に形作られるものが客観的だと思い込みます。私たちの脳の認識は、そのときの感情や記憶の連鎖によって、事実を誤認してしまう可能性があります。本人にとっては真実と確信があっても、そうでないこともありえるということです。さらに、現実に見えるものは、網膜に映る情報の範囲に制限され、さらに脳による認識の固定化によって、いわゆる錯覚という現象にあるような補正がなされ、現実であると思い込んでいる場合もあります。言い換えれば、私たちは良くも悪くも日々固定観念を培ってきていることになります。刺激と反応の形態を固定化して、その因果にとりあえず納得することを繰り返しています。しかし、この状況から脱出させる何らかの作用が働いているはずです。

個性として芽生えた意識が、そこに生じた特徴を自立的に集中して強く発展させるなら、平均から外れた天才としての特異的な個性を形作ることになります。特定の分野において、発想を集中して深める能力を持つ人々がいます。人間の発達において、平均の能力に対して特異的な人間がいるということは、大脳において思考が完成する前に、遺伝的素質に対して非凡さへ向かうように強調する力が働いたということです。そして神経細胞や感覚器官などの機能をその方向に合わせて研ぎ澄ますように押しています。逆に平均的な人々は、この力の作用が目立つように働かなかったというだけのことです。特異な能力を持つ個性が主観的に捉えたことが、未来の方向に沿うものであったとしても、その時点の科学的な理論では相手にされません。同時期にいる多くの人の同意を得て、初めて客観的に納得できるものになります。おそらく当初は特異的な個人の性質や行動として無視されるでしょう。その根拠となる経験や理論がないため、知らない人たちは納得できないからです。その人は自分の想いを信じる宗教を持つようなものだし、理解されないから異端となり白い目で見られます。しかし、未来に息づいていくのであれば、少しずつまわりの固定化した執着をほぐして、客観性を帯びてくるはずです。未来への方向性を大多数の人が理解するまで時間が必要です。

世の中の複雑さの程度が増してくるほど、頭の中で固定化されたパターンによる判断では収まらず、異端として無視され見捨てられることも多くなります。生命の流れの基礎には、常に隠れた作用が働いています。自律的に活性化する生命の塊は、そこに多様性を生み出し発展させ、知性を持つ人間に至りました。そこでは固定化したものから形骸化したものを取り崩し、土台を確固たるものにして新たに納得するものを積み上げています。人間は自己が主体であるという意識があり、自己を明確に自覚できる状態を維持しています。その意識は時間や空間と自分の位置を認識しています。今後人間の意識において、現時点での時空を超えたイメージが基礎となり、心や精神を考える人が増えるでしょう。人間の未来には言葉を介在するだけでは伝えられないことが増え、その深いところにある情緒や感情が絡み合い、さらに複雑になるでしょう。懐疑的な科学者が否定することであっても、多くの人が納得できることであれば、徐々に日常に浸透するでしょう。そこから少しずつ未来を正しくとらえる個性が多数になっていきます。意識の深いところに隠れている作用がそれを進めています。

Written by Ichiro, 05/30/2020,

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