自分の記憶はどこに保管されているのか
私たちは人によって程度の差はあるけれども、様々なしかもかなり多くの記憶を保持しています。まずは会話や読書に最低限必要な数万語ともいわれる単語を記憶していて、それを組み合わせて思考できます。そして4・5歳の頃から自分の印象に残った出来事を年齢にそって思い出すことができます。あの当時はどうだったとか考え出すと次から次へ記憶が紐解かれる感じがします。それだけではありません。印象に残った本の内容とか感動した風景、あるいは美味しかった料理など結構はっきりと思い出せます。また、気に入った音楽の調べが折に触れて頭のなかに流れてきます。私たち一人ひとりは、自分が主役として役割を果たしてきた様々な物事を時間の経過とともに思い出すことができます。そう考えると記憶した内容は相当な量までになっていて、それを頭の中に保持していることになります。そしてその記憶は時の経過や関連する事などの因果関係とともに、その時々の感情にも結びついています。それらは大量な情報になっていて、とても脳には入りきるとは思えないほどです。本当にこれらすべての記憶は脳の中に保存されているのでしょうか?現時点では脳の各部位と身体機能や言語機能との関連についての研究はありますが、それらの情報がどのように脳の中に記憶されているのかはまだ解明されていません。私たちは脳のなかに膨大な記憶をどのように貯めているのでしょうか?
現時点の考え方では、記憶は脳内の細胞に何らかの形でコード化されて保存され、必要に応じて取り出されていると想定されています。脳は神経細胞や周辺のグリア細胞などを含めて数百億以上あるとされるので、脳細胞が記憶素子としての数に相当するという点では納得はしても、活性化する細胞内で記憶を整理し長期固定化できるということに疑問が残ります。なぜなら脳は様々な生体の機能を果たしているからです。大脳は言語や思考を担っているし、情動やホルモンの制御、身体の動きや感覚器官との連携があり、細胞自体の新陳代謝もあります。もし脳が記憶装置として機能しているならば、その装置は記憶内容を安定した状態で維持する必要があります。しかし、生きている細胞の中では様々な物質が循環し活性化していて、神経細胞であっても神経伝達物質の移動や電位変化があります。細胞内の物質は常に入れ替わりがあり、その変化において生命の活性化を維持しているはずです。そうなると細胞内では、シリコンでできたコンピュータメモリのように1と0の変化を静的な状態でそのまま保存することはできないように思えます。そのうえ、記憶の内容を思い出すという機能はどのように実現されているのでしょうか。一般に記憶装置の検索はインデックスを付けて、どこに何が格納されているかをわかっているので取り出すことができます。しかし私たちの脳では連想により即座に思いつくように感じます。このようなことから、脳は記憶装置そのものではなく、別のどこかに記憶するところがあって、脳はそれと同調して読み出している器官として機能しているという考え方もあり得ます。
現代の生物学者のシェルドレイク(1942~)の考えでは、生命体には脳とは別に記憶領域があると仮定し、これをMorphic Field(形態領域)と名付けています(詳しくはRupert Sheldrakeを参照)。つまり、脳は記憶装置というよりは別の領域にある記憶とのチューニングシステムのようなものであって、過去の記憶は脳内に保存されていないかもしれないということです。このような考え方は、現在の科学的な物の見方とは明らかに異なっていますが、もう少し考察してみる価値があると考えます。ここで例の1つとして生物の発生を考えてみます。1つのどんぐりから樫の木が生じるとき、どんぐりのなかに小型の樫の木があるわけではありません。どんぐりという単純な種子から複雑な樫の木の構造や組織が生じています。そして動物の場合でも1つの受精卵の成長を考えるとき、その動物種に一定の経過があって胚発生となります。ここで単純な構造と思われる受精卵において、その種に決められた道筋があって複雑な組織が生じるのはなぜでしょうか。1つの受精卵そのものに将来の構造や機能の可能性をすべて含んでいなければならないと考えるのは無理が生じます。一方、DNAという遺伝情報はタンパク質の構造をコード化していますが、タンパク質は生体の構造の土台となる物質であり、全体構造の設計図ではありません。生物はその個体すべての細胞で同じDNAを持っていて、その組み合わせは個々の部位や機能に影響があっても、個体全体の形状を表現していません。そこでシェルドレイクは1つの個体は目に見えない形態形成の領域に取り囲まれていると説明しています。
全体の形状については、部分が全体を表すという構造の仕組みが話題になっています。無生物の例で言うと、磁石は細かくしても1つ1つが磁石になり磁界を持ちます。全体が部分で表されるホログラムも電磁場の干渉を利用していて部分が全体を表すことができます。生体細胞が集って1つの生命の種をなしている場合も、磁界や電界と同じように自身やまわりを巻きこむ領域があると考えたらどうでしょうか。つまり、1つの閉じた生物には目に見えない形態形成の領域があるしてみましょう。それぞれの種には独自の形態形成にかかわる領域があり、それぞれの個体の形態領域にはその部分ごとに全体を表す領域があるとします。例えば私たち一人ひとりの中に、全身の形態領域があり、そして腕や脚の領域や腎臓や肝臓の領域があります。その内部にはそれぞれの組織の領域があり、次に細胞や細胞内の構造の領域があり、その土台には分子の領域があって、一連の領域が階層構造のようになっています。そして、それぞれの領域ごとに一種の記憶を内蔵していることになります。肝臓の領域は以前の肝臓の形状によって形成され、樫の木は以前の樫の木の形態や組織によって形成されることになります。その領域の構造は過去にその種に起こったことに基づいた累積的な記憶があって、それに影響されていることになります。これは、遺伝によって次世代に伝わっていく情報だけでなく、その生物種における領域の記憶あるいは集合的記憶であって、その影響によって個体の全体設計や習性が決められているということです。そして個々の生物において新しい習慣を獲得したとき、それが仲間と形態共鳴して、その種の全体に広がっていくという考え方です。
現代の生物学という分野で科学的教育・訓練を経た学者が、時間と空間を超えて記憶が保管されている領域があるという説を唱えたことは大変興味を引かれます。生物は自己の形態や形状を保持している領域と共鳴することによって、細胞内の物質が入れ替わったり変化したりしても、形状を安定して維持できているというわけです。そして、こういった形態の記憶があるとすれば、生体細胞の特徴の1つである自己を複製する能力も説明できます。例えば、樫の木の小さな枝からも大きな樫の木へと成長することがあるし、扁形動物を刻んでもその断片から新たに完全な扁形動物が成長する可能性があります。このような生物の形状は、同じ生物にとって過去の状態と自己共鳴していると考えられます。それ故に、細胞内の様々な化学物質は常に入れ替わって変化しているにもかかわらず、全体や器官などの形状は安定して維持していることが説明できます。また、種における新たな習性の獲得においても形態領域を通じての自己共鳴によって調整されることになります。神経経路などによる物理的なつながりだけでなく、生物の種はそれぞれに目に見えない領域が全身をおおっていて、その領域の影響を受けていることになります。
生命は人類まで至りましたが、人類が発現すると同時に、新たな人類という種の形態領域が定まり、その領域の上に種族や個人の記憶が積み重なります。これは人類だけでなく、生物にはそれぞれ集合的記憶の領域のようなものがあって、段階的に広がって、それは地球の全体にまで拡張します。生命体の種は形態領域において共鳴しつつ、同時に時間を移動していることになります。これを逆向きに考えると、すべての生物は地球の生命としての記憶を土台にしていることになります。それは、すべての生命の経過の痕跡が、時間と空間を超えた私たちの見えない領域に記憶されているということです。このような観点からまわりを見ると、を見る目が全く変わるような印象があります。私たちのまわりには目に見えない記憶の痕跡が折り込まれていて、その記憶の痕跡は階層構造をなしてそれぞれの部分に影響を及ぼしています。そこには個人の様々な記憶をはじめ、仲間の集団や組織の行動に関しての記憶もあり、それらの成長や発展とともに付随する記憶も拡張していきます。もちろん、私たち生物の未来もその影響を受けていることになります。過去の生物は種の形態や習性を保存してきましたが、自己を明確に自覚した人類からは、その精神も保存することになります。
人類では形態領域が発展して精神圏になる
それでは私たち人類のことをもう少し考えてみましょう。テイヤール・ド・シャルダンは以下のように言いました。「動物は知ることができると言われます。しかし動物の中で、ヒトだけが知るということを知っています。この能力は人において新しい特徴である、選択の自由、未来の予見、計画する能力などの多くの能力の基礎になるものとして誕生しました。」そして、ヒトの意識の中心は内省の領域に生じる自立性を獲得しながら、生物の進化に独自の流れを起こしました。人間において自己の意識が明確に芽生えたということは、その方向に影響を与えたものがあるはずです。それは宇宙に生命を生み出し継続させているものであり、地球の生物全体の記憶の痕跡でもあると私は考えます。ここで、ヒトの脳の神経細胞が何らかの記憶フィールドへ連携しているとするならば、まず一番強く共鳴するのは自分自身の形態領域であるはずです。そして、その領域は人類の発展とともにまわりの仲間に広がります。そして、連携する輪が共鳴して徐々に領域を広げていき、最終的には地球レベルにまで広がるだろうと予測できるものです。
個々の人間に目に見えない形態領域があるとすれば、それは物質における重力の影響のように、その人だけでなくまわりに影響を及ぼします。ある人が思考して得た新たな概念などの成果は、目に見えない領域を通して人間どうしの共鳴につながります。ある人が試行錯誤して考えた行動が新たな習慣となると、それが領域に記憶され他の人との間に共鳴を生じます。人間にはやる気とか精神の奮起というようなことがあって、目に見えないエネルギーによって行動が生じます。同じように、目に見えない領域における共鳴によって他人に精神のエネルギーの影響が広がります。これは精神圏という領域と重なるように思えます。つまり思考する人が多く集まり、そこに精神の集約が起こると、さらに有機的な組織を超える精神の共鳴によって、より複雑に向かう集団としての特徴を帯びることになります。
テイヤール・ド・シャルダンによると、個人の意識が内省的巻きこみによって人類という種の集約的な巻きこみとなり、それが地球をおおって私たちを精神圏へと導くとしています。彼は、生命において意識が中心化すること、人間という種に織り込まれた精神、惑星による包み込み、この3つの連携で精神圏が誕生したとしています。これは個人と人類と地球を巻きこむ形態領域を前提とする、同じ概念であると私は考えています。
生命が進化し発展してきた経過において、生物はその個々の細胞を土台として組織を複雑にしてきました。生命の細胞は集合して1つのまとまりをなし、活性化しながら複雑な組織を維持して時間的にも継続を可能にしています。そこで、生体では細胞内の物質は常に入れ替わっているし、細胞自体も定期的に入れ替わります。しかしその場合においても、その細胞独自の機能を維持できているのは、その仕組みを記憶する機構をどこかに備えているからです。今や人類にまで至った生命の機能は、大脳という複雑な器官を発達させ、その活性化を維持しながら様々な機能と莫大な記憶を保持しています。この複雑さを保持する仕組みはどこに隠されているのでしょうか。私たちの目に見えていることや知識としていることはわずかな部分であって、実際は広大な目に見えない領域があるのかもしれません。もしかしたら、磁界や電界あるいは重力などのエネルギーも含めて、複雑に入り組んだ目に見えない領域が私たちを取り囲んでいて、私たちに影響を与えながら共に発展しているのかもしれません。
Written by Ichiro, 07/31/2023,