Noosphere<精神圏>

進化の途上にある人間、これからどう発展するのか。

生命の仕組みと人類の精神

2024-02-11 03:32:40 | 複雑化に向かう人類

生命の仕組みと人類の精神

人間という小さな存在から見ると、宇宙はその果てがどこにあるとも知れぬ広大な空間です。しかし、私たちの想像もつかないくらい宇宙が広くても、私たち生命の存在があることから、その空間には何らかの仕組みがあると思えます。宇宙空間は恒常的に低い温度にある荒涼とした無の世界であり、ときおり激しく爆発する高い温度の恒星が存在します。その恒星に隠れるようにいくつかの惑星群が存在します。温度・気圧や物質の成分などの特異な環境条件の範囲にある惑星では、そこに自ら成長して複雑になっていく何らかの仕組みが発動します。生命が発生する環境条件はかなり厳しく狭いとは言われていても、少なくとも宇宙には生命が活性化する環境が用意されています。宇宙にある多くの天体が生成と崩壊の間の決まった動きを永遠に続けているように見えても、そこでは生命に必要な元素をいつも生み出し続けています。そして、私たちの惑星である地球では、大気や水、炭素の化合物、アミノ酸やタンパク質などが創成されたのは事実です。惑星に生み出された生命は何十億年もかけて意識をもつ存在へと進化していきます。そして生命において少しずつ複雑になるように変化している「進化」という現象は地球における既成の事実です。

環境が整っている惑星に生命が宿ると、その生命にはまわりから必要なものだけを取り入れるために、識別し認識できる仕組みを持ちます。それが発展して必要なものを求める意識が起こります。その意識は生命の活性化を効率よく続けるため、周囲の環境との関係を意識をしながら、時間をかけて内部をより複雑に変化させていきます。通常であれば、惑星という閉じた状況において複雑な組織となった物質の集まりは、いったんは発現しても徐々に元の無秩序の塊に変化していくはずです。しかし、生命を宿した物質の集まりは、生きているという活性化を継続しつつ何十億年もかけて世代交代して少しずつ複雑になっています。その結果、現時点の地球のように、人類という自己を自覚して内省する生命体が現れます。確かにそれは不思議なことですが、宇宙の最初から生命の仕組みがあったならば不思議というより不可知な現象とでも言うべきでしょう。さらに生命はその閉じた物質の集まりにおいて、世代を越えて習慣や本能を記憶していく仕組みを持っています。世代交代してもその種の生きる習慣行動が記憶されていて、しかも長い経過の間に突然に種の形態や機能を変化させています。それも以前の種から複雑な方に変化させています。それだけでなく、生命の種には群生をなすものや社会構造をなすものがいます。個々の生命が閉じた物質の集まりに宿っていても、同種が群をなす行動や社会組織における行動をするときに、そこに共有する意識がある可能性は捨てられません。同種の生命が意識を共有するには何らかの空間を超えた関わりがあると考えられます。

このような生命の仕組みが宇宙に用意されていたとして、それをどんな存在が用意したのか、何故用意したのかと考えても、それは私たちには理解できない不可知な事象です。しかし、生命という存在が確かにあり、それは私たちから見ても高度に知的な仕組みなので、生命の仕組みが意図的に創られたとして考えるのは、間違いとして切り捨てられないと思います。有り体に言えば生命とは、水という不思議な性質を持つ液体を主体として、複雑な立体構造を持つ多くのタンパク質が有効に組み合わさって膜で閉じた細胞を構成し、しかもその細胞が機能を分化し組織化されて集まったものです。このような細胞の集まりが1つにまとまって生物としての行動を為している現象が、偶然の組み合わせにおいて発現するはずがありません。しかも、世代交代を繰り返す長い経過において、少しずつ複雑になって人類にまで到達しています。そこには何らかの意図があったと考えざるを得ません。科学の発達により様々に精巧なロボットができていますが、個々の視覚・聴覚や運動機能などの能力が人間より優っていても、自己を自覚する意識によって内省する機械はできないでしょう。人類である私たちは自分を自分として自覚できて、未来を予測し行動の動機を自由に選ぶことができます。

不可知な生命というものが偶然に任せてできるはずがなければ、何らかの存在が意図的に生命を作り上げたのでしょうか。まずは、宇宙が創造されると同時に創造する側の意図があってそう仕組んだと考えるのが順当に思えます。宇宙の恒星や惑星の成り立ちや物質の組成も含めて考えると、宇宙の全体をすべて包括できていなければなりません。宇宙全体という規模で用意するというのは、宇宙全体を包括できしかも時間や空間をも超越しているはずです。いわゆる人間の形をした神様として私たちの身近にあるものではないでしょう。言ってみれば、私たちよりもはるかに高度な意識と知識をもった究極の存在のように思われます。この存在は3次元の宇宙に物質を生成する仕組みとそこから生命を発現させ進化する仕組みを創成しています。ここで、この宇宙に生命の仕組みを用意できる空間と時間を超越した高次元の存在を考えてみます。この存在が時間と空間を超越しているならば、何故に時間をかけて物質の塊に生命の意識を生じさせるような面倒なことを企てたのでしょうか。そして、すべての時間と空間を見渡せるならば、なぜ生命の進化が必要なのでしょうか。生命の進化に自由度を与え、故意に確率的エラーを含めて多様な結果を見るためでしょうか。そのところを少し考察したいと思います。

ここで1つの前提として、究極の存在が次元を超えているとするならば、私たちが3次元の世界として認識できる空間には干渉しない、あるいは物質的なものとは干渉できないということも考えられます。つまり宇宙創成の瞬間においてすべての仕組みを用意して、その後は直接この世界に干渉することなく見守っていることになります。そこで、生命の活性化にある物質の塊は、その活性化を維持しつつ世代交代して進化するものとして創成されています。そして生命体はまわりを認識しようとする意識を持つようになり、自己を自覚できるまでになって人類に至っています。すなわち、ここには意識の進化があり、実際に人間において大脳が発達して自己を自覚できるようになっています。このことから、高次元にあって3次元の世界に生命を創成できる究極の存在は、意識の進化に注目していた可能性もあり得ます。なぜなら意識は3次元の物質を伴わないで維持できる可能性があるからです。そうなると、高次元における存在は3次元において進化した意識をして高次元との間で循環させている可能性も考えられます。

この「妄想」ともいえる考えをもう少し発展させてみようと思います。高次元にあって高度の意識と知識をもつと思われる存在は、3次元世界での生命の創成と崩壊を繰り返し見守ることによって、意識の進化の仕組みを構築してきた可能性があります。意識を進化させた精神の集合体として、意識と記憶を持つ生命体の残滓が次元を超えて集合していて、それが究極の存在としての意識体となっている可能性があります。1つ1つの生を終えた精神あるいは魂が集まって、高次元に時空間を超越した意識集合体をなしていると仮定しているわけです。生命体の発展形としてわざわざ人間を発現させたならば、そこに多様で高度な意識が求められているはずです。それが集約して発展するならば、その純粋な意識は次元を超えるということです。

ここで話を元に戻すと、この宇宙で生命の流れがあり人類が現れたのは必然とすると、私たちの前には高度な意識に向かう路線が引かれていることになります。しかし、その上をどう走るのかは決められていないので、その先は崩落しかない断崖絶壁に至るのか究極という希望の頂きに至るのかは私たち次第となるでしょう。1つの惑星にある人類はそのまま発展し続けるという保証があるわけではありません。究極の存在があってそこへ向かう生命の流れがあるというだけで、私たちは安心できるわけではありません。この先人類は道を踏み外して惑星の表面から絶滅し、再び1から生命の進化を繰り返す可能性もあることになります。惑星における生命の発展は高度な意識に向かっていると仮定すると、少なくとも現時点の人類の意識を超える領域があり、そこに精神が集約してこそ人類の意識が高度になっていくと考えます。

その観点からすると現在の人類において本当にこれで良いのかと懸念することがいくつかあります。この世界の現状で誤った方向にずれて、間違いに嵌っていると思えるのは以下の3つのことです。1つ目にはこの世界は多くの異なった人種・民族があり、その言語が多様になっています。その結果、互いの意志の疎通において言語理解に不完全さがあるのは否めません。そして2つ目に経済の優位性が重視されていて、個々においてお金による誘因力が強く影響しており、物質的財産の多い少ないに関心が集中しています。3つ目は話し合いによる忍耐力が軽視される風潮があり、知的な解決より短絡的な権力や暴力に訴える傾向があります。

けれども人類に先がないと決まったわけではありません。地球における生命の未来を考えると、生命が複雑化の流れにあることから未来への形が確かにあるだろうと予測できます。すなわち私たちの先には究極への道が引かれていて、それを考え行動していくことは可能なはずです。地球という1つの閉じたまとまりがあって、そこに生命の流れが起きたからには究極へ向かって進む路線があると感じます。生命の流れという観点から見てみると、地球の人類の集合はそれを1つにまとめようとする、大きな意識の集合へ向かう圧力のようなものを感じるからです。高次元の意識の集合があるとすると、3次元の世界に物理的な力ではなく意識への力において、不平衡や歪みを正す循環のなかで未来の可能性への取捨選択を迫っているようです。私たちは結局は行くべき方向に導かれているのかもしれません。

生命の基本にある生きる活性化を継続する欲求に加えて、人類では精神による動機によって欲求を求めることができます。目的への動機が行動を効率的にすることや便利になることである場合、時間的なゆとりを生み精神の豊かさに貢献するという意味ではよいことです。しかし、もしそれがお金やブランドへの愛着などの金銭欲や物欲だけを目的にした動機であるなら、生命の既定路線から外れてしまって先行きは不透明になってしまいます。昨今の一例として、私たちは物質的な豊かさを求めるだけでは、心のストレスを生じる方向になる可能性に気づかされています。確かに、現代においては社会の発展によって人間関係などが複雑になり精神ストレスを生じる部分があります。生活の利便や物質の豊富さが心の豊かさに貢献するのかという疑問を起こします。しかし、その思いは空間を通じて人々に浸透して、方向を定める精神をまとめていく役目を果たします。現代のように個性の多様性に向かわざるを得ない状況において、人類に秘められた可能性が拡散するのではなく、多様性を生かす未来の収束に期待することになります。

人類の精神は身体的な欲望への課題解決から精神的な欲望の創成へと変遷してきています。将来には、他人に対して優位となる快感は、精神の集約という観点からは無意味になっていくでしょう。新しい精神とは意識の高いところから流れてくるものに気づくことであり、意識の高い方に向かう動機があることです。それは自己を否定することではなく、神に頼る宗教でもなく、自己が精神においてより高い状態を目指すことになります。道徳的な高潔さと心の豊かさに向かう人々のもとに精神が集約していくことが期待できます。精神としての観点からは、宇宙において個々の生命は生死を超えて循環している。つまり、惑星に意識を持つ生命体が現れそして崩壊し、その意識の残滓が新たな生命体の礎をなしていくという、永遠に続くと思われる生命の循環があると感じます。そして生命が複雑化する流れから言えるのは、より高い意識を持った未来への人類の形が必ずあるということです。この1点において私たちは未来に安心できることになります。

Written by Ichiro, 2024/02/10, 

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