混迷からの脱出
<人間社会の混乱とその先の道>
昨今の私たちの暮らしは生活費の負担増や犯罪の増加、大気の汚染や食料品の質など多くの問題を抱えています。表面的に見れば国の政治や経済動向は、大衆の利益や国の将来についての政策というより特定集団の利益が優先されて、国どうしの対立が深まり経済が停滞しているようです。この状況に加え多様な価値観を持つ人がまわりに増えていて、今後の動向も不確かで混乱が深まっていくようです。そこで、私たちは不安を忘れようと人間関係に注意して財産や地位を守り、なるべく現状を維持しようとして身構えることになります。しかし将来の保証はないので、不安が消えるわけではありません。真面目に生きるのは苦悩でしかないのでしょうか。誰でも幸せに暮らしたいと思うし、そのために自分の財産を減らすことのない安定や家族の安心を望みます。しかし現実は先の見えない混乱のなかで、現状の不安を強制され続ける心理状況になっています。
社会は信用と秩序によって維持されるはずですが、権威への信頼が失墜してきて社会が混乱すると、不正や悪の見方も曖昧になって、取り締まりが不平等になり混乱がより深まります。個人が真面目に自分の行動に責任をもって正しい道を進みたくとも、そうはできない状況になっているのでしょうか。マスコミやメディアの情報では、いつまでたっても対立や争いがなくなる気配はなく、一部の特権を持つグループが優位にあって、大衆は奴隷のように働いて放置されているようです。現状の混乱はさらに深まっていくようです。このようなことを考えていると、世の中はどうしようもなく混迷に向かっていて、将来の人間社会の行く末は、滅びの道への選択しか残されていないのでしょうか。しかし、私はそうではないとする確信を持っています。
多様な個性が集まった人間の集団では必ず対立が起こりますが、そこで嫌悪の感情によって排除したい気持ち起きてくると、争いが具体化します。しかし、嫌悪や反発する気持ちがあっても、相手が同じ人間で個性が違うだけという心遣いがあれば、そこからバランスの取れた行動をしようとする心が起こります。世の中には対立する状態が常にあって、引く力と押す力、正と負、引力と反発力などが対立してアンバランスを作り出しています。アンバランスな状態からバランスに向かうエネルギーによって、正しい方向を模索して進む道を選択するし、反発があるからこそ違う方向の可能性を考えることになります。そこに新しい未来を創造する方向を発見することもあるはずです。そして、生命が数十億年もかけて歩んだ歴史には、相手を排除するのではなく、「共生」という互いの協調を基本として、上昇に向かう過程があることを説明します。
<生命の歩んだ道>
それでは生命が歩んだ道を少し考えて見ましょう。生命が長い期間をかけて歩んだ道をよくよく考えてみると、その切れずに続いた流れには確かに希望が感じられます。生きている物は、多様な機能が複雑に連携したバランスの上に、全体が1つに統御されて成り立っています。そこに何らかの強い刺激が加わると、そのバランスはすぐに壊れてしまいます。しかし生きる状態を維持しようとするエネルギーをもっていて、少しのことには反発して生き残り、そして複製を作って世代交代して繁殖します。多数の世代の繰り返すなかで、新しい機能を追加して環境に適合させ、自己の生存を有利にします。そしてある程度方向が固まってくると、生物は集団を作って集団全体としての行動を示すようになります。人間にも同じような作用が働いていて、生を維持する気持ち、上昇に向かう気持ち、集団へ結びつく気持ちがあります。
古生物学での化石の研究によって、生物は地球の地質的な時間の経過で系統発生における変化があって、その流れにある奥行きや一貫性がだんだん明確になってきています。これを一言で言えば、生命は段階的に後戻りしないで複雑になってきた大きな流れがあります。現代では生物の形態について、地質学や遺伝子学の成果、あるいは炭素同位体の時間経過の裏づけによって、必然的に化石の前と後の状態を考えることができるので、生命の歩みを観察する際に「その前がどうであったか」というように、形態や機能の変化を観察することができます。生物の形態に変化が見えた前後の関係を分析すると、時間に沿って複雑な方に上昇した変化があったということです。この理由は現在の科学ではまだ謎になっている部分です。生命の歩みというのは、1つの個体に中心化された意識が起こり、それが複雑になっていく動きを持っていて、徐々に高度に組織化されてきています。他の生物よりも複雑な人間という段階になっても、その生命の流れは止まることなく続いています。
生物は個体自身が徐々に形態を複雑にしたことに加えて、細胞内にあるミトコンドリアや葉緑体などは、細胞内に別の生命である細菌が共生して取り込まれたといわれています。そしてこれらの生物たちの協調による連携によって地球が構成されています。地球上に人が溢れた現代でも、動物や植物たちは私たちの仲間の一員であり、その多くの生物は人間とそれほど違わない細胞組織からできています。生命誕生の詳細は解明されていないけれども、現代の私たちは生命の流れが人類にまで続いているとして、その変化の段階を考えることができます。言い換えると、生物が複雑になった変化の結果において、そこに気づくことができる意識というものを私たちが獲得したということになります。
生命の組織が発展して複雑な大脳を形成するようになり、私たちは言語や思考の機能を獲得して、自己の意識に目覚めた段階になっています。この自己の意識を自覚したと同時に、人間の意識は未来への方向性をも獲得しています。ここまで続いた流れが現時点で止まっているという兆候はないので、今後も続いていくはずです。現代の人間は、将来の目的を実現しようとする動機をもって、それを効率的にする行動を考えます。そして、仲間を増やして協調して効率を上げようとします。言い換えると、現代の人間の意識は、今後も仲間たちと精神を協調して活性化に向かい上昇を継続させています。
<生命進化と人間の位置>
生命の種としての動きにおいて、その種の維持がある程度成熟の段階になると、複雑な方へ上昇する変化が起きたり、集団を形成したりする経過があります。これを人間に当てはめて考えましょう。自己の生を維持しようとする気持ちが強い段階では、自分の身を守って保守的になり、他を排しても自分の係累を残そうとする気持ちになります。それがある期間を経て上昇へのきっかけに気づくと、多様な選択のなかから試行錯誤によって意識が上昇する方向を探るようになります。他の生物と異なり、人間において上昇しようとする気持ちは道具を発明するようになり、生活を改善して技術の進歩を促進しています。一方、人間は農耕生活によって集団で協調する行動が必要不可欠となり、それが小さな村から国という単位までに発展しています。その集団の拡張は今や地球規模に連携していることに気がつきます。国家、民族、会社、社会活動などのまとまりにおいて、それぞれ連携の度合いが異なっていても、それぞれが閉じて独立しているのではなく、いろいろな動きによって関連しています。何かが起こった背後には複雑な絡み合いがあって、単純な原因だけとは割り切れなくなっています。私たちは現在集団が複雑に絡み合う中で方策を探る、新たな段階での試練にあります。これは生命の確かな流れからの示唆であって、その流れは未来に向けて進んでいくものです。
世の中に人間の数が増えて、その社会集団が大きくなると、全体をながめて多くの数を占めている、大衆としての動きに方向性が現われます。部分的な行動に多様性はあっても、そのなかから上昇する方向に収束するかのように、それと知らぬ間に選択している行動が生じています。それは、混乱した状態が深まってくると、皆がこのままではまずいのではないかと心配になることです。大衆の視点からみて、少なくとも現在の方向選択は間違っていると気づくことになります。気づくことはすなわち意識することであり、これらの意識の集合が大きくなれば、世の中を上昇する方向に軌道を修正することが可能になります。集団行動においては、各個人の権利を留保するだけでなく、そこで生じる義務と責任が伴っていることを忘れることはできません。
生命の歩んだ道において、現時点で人間は最先端にいることになっています。そして、ここ1世紀くらいの科学技術は確かに急速に進歩しています。しかし人々の意識についてはどうでしょうか。はるか昔に農耕生活をしていたときに、血縁関係にある人間の集団が、隣の集団といざこざを起こして優位を争う状況とあまり変わっていないのではないでしょうか。確かに交通機関やインターネットが発達して、国や民族を越えて交流が盛んにはなりましたが、それぞれの国の政治や経済は大衆の意識に連動して、まだ停滞しているように思います。私たちはまだ金銭欲や名誉欲が優位にある状況なのでしょうか。しかし、医療技術の改善や環境の整備によって、人口は増え続けているので、この人口増加は確率として意識の高い人間を多く生み出すことになり、将来に希望がないわけでもありません。その上、人間の増えることが時間の経過とともに、多様な複雑さが精神の緊張を高めて、その閾値を超える状態を目指す動きがあると期待できます。私たちの先にあるのは、精神が安定から停滞に向かうのではなくて、反対に集約的な内省が起こって緊張から集約の活性化を高める方に向かいます。
そうであれば、生命の動きの基本にある、集約的に協調して助け合って試練を乗り越えるという方向は納得できます。混乱の土壌でも上に向かって出る芽があって、意識の上昇が明日への動機と情熱になって、成果という実を結ぶことになります。世の中が段々暗く不安になっていくのではなく、より複雑になっていくのに対応して意識の上昇が必要になるということです。つまり、人間にとって意識の上昇とは、多くの精神が集約して協調できることであり、未来の複雑さへの対応を実現することではないでしょうか。
<まとめ>
現代の科学者は、時間と空間に体系付けられた生命の進化があることを、おおむね認めています。そして、私たちはますます複雑になっていく社会で対応を迫られながら、世の中の込み入った状況のなかで生きるしかないと感じています。少なくとも数世代前の人々は、そうは感じていなかったと思います。そこに社会組織や科学技術の発展による成果が取り入れられて、全体が徐々に複雑になって混乱として見えています。そこで生物の細胞などの研究成果から、生命体が争いを回避してきた方法の1つに「共生」という関係があり、その進化の長い期間で他を排除して自分だけが生き残るのではなく、その特徴を認めて相互の許容のもとに密接な関係を築いているのが注目されます。それが互いの特性を尊重して協調する行動であったことは、私たちにとって希望となります。実際に意識の上昇という側面では、現時点の私たちの世代では、まだ表立った成果は出ていませんが、少なくとも大衆レベルで、思いやりや助け合いという意識は進んでいると感じます。
この混乱のなかで人間の精神が集束していくと、それぞれ個人は隣の人とより密接になります。言い換えると、世界の全体がそれぞれ別途に頂点に向かっているとするならば、究極に近づくにつれて、隣がよく見えてきて、より近く密接になっていきます。この流れに従うには、互いを認める心遣いがなければできないことです。そして、閉じた惑星という制限された領域にあっては、人間どうし互いが意識し合って助け合わなければ、その方向に収まっていくとは思えません。そうなると現状の混乱は、細かい粒子のブラウン運動のように、ぶつかり合って熱を発生して、消耗するだけなのでしょうか。いや、そうではないと思います。多くの粒子が集まるなかで、やや大きな塊ができ、その方向に集中する動きが生じても、それが本流でなければ、いずれは崩壊してもとの粒子に戻ります。そして、すべての粒子が正しい方向に集まって塊となり、それが大きくまとまって組織化されていくために、試行錯誤が行われているのではないでしょうか。私たちは現実の混乱のなかで、正しい方向を見極めるのは確かに困難に思えます。しかし、この宇宙に知的生命が生じたことを考えると、私たちの意識の奥(前意識)には、究極から引かれる何らの力が作用していて、その方向に私たちを近づけようと、互いに密になることを強制しているように思えます。
意識の進む先は究極の焦点へと集束していくとすると、その頂点には、神もしくは創造主あるいは究極に到達した人間性があって、永遠につながる時間(水平時間)の中に全体を包み込んでいると私は考えます。そこから、すべての時間とすべての空間への影響が必ずあるはずです。この頂点に集束する構造という世界では、時間と空間のすべての発生や変化に相互の連携があって、そこに宇宙の創造主の意図ともいうべき、現状では神秘としか言いようのない作用が働いているはずです。精神そのものが、私たちの心の奥で上昇への情熱と調和して、先に進める行動を生じさせています。
私たちは全体が見えていない連携するシステムにあって、その中の個々には自由な動きがあるように見えても、生命の流れは事前に決定されていた段階を踏んで、人間という相当に複雑な組織にまで発展しています。この流れからすれば、混乱が増していく先にあるのは、悲惨な地獄絵図ではなく、必ず上昇への方向が現れるはずです。そこで私が考えるのは、宇宙のすべての時間(水平時間)は過去から未来にらせん状につながって常に連携して存在していて、未来があるからこそ現在の活性化の動きがあるということです。私たちが未来に幸福と充実を感じるためには、未来の方向に逆らわずに、多くの人々が互いに認め合って心遣いに情熱が持てる方向を具体化していく必要があるように思います。
人間が自己を自覚する意識を獲得して、将来を見る目が育くまれて、集約して大きな集団にまでなっています。そこに必要となるのは、多くの人々が集団のなかで個性を伸ばせるように、他人を認める心遣いをしながら協調する精神を発展させる方法を開発していくことになります。私たちには、そこに一貫性と明瞭さを付け加えていく責任があります。「人間の現象」とは、単なる偶然の蓄積だけで生じたものではなく、そこに何らかの宇宙の法則があるはずです。私たちが生命の先端に位置するものであれば、生命の流れに適うべき使命があるということです。現状の混乱のなかで贅沢を好むのも質素に暮らすのも好きずきですが、私たち1人1人が生命の方向とどう関わっているのか。この宇宙でどの方向に意味があるのか考えてみてはどうでしょうか。