Noosphere<精神圏>

進化の途上にある人間、これからどう発展するのか。

タイムマシン

2018-08-19 10:38:44 | 時間について

タイムマシン

将来いわゆるタイムマシンができて、過去や未来を訪ねることができるのでしょうか。現在では、物理の実験で重力場の差によって時間のずれを検出しても、その物体は現在にあって未来に行っていません。また宇宙を彷徨って地球に戻り、それが地球の未来であっても、その人にとってはあくまで現在に他ならないので、元の現在に戻れなければタイムマシンではありません。ここでは哲学や物理学での議論はさておいて、科学の枠を越えて生命にある意識という観点で考えてみます。私たちは過去から未来に流れる1つだけの時間を知覚していますが、これはあくまで生命としての感覚であって、時間の次元は1つだけではない可能性を考えます。別の次元の時間があれば、任意の時間にシフトすることが可能かもしれません。それには、すべての物質の基本に、意識の前段階としての状態があって、それが宇宙に時間の同期をもたらす性質をもっているとしてみます。そこから時間の流れが1方向とは限らないかもしれないと思い始めます。

考えるための前提条件は次のことです。まず1つめに、何らかの変化があるとき、それを意識する実体はなくても、時間の経過があることです。そして2つ目に、生物は生きるために常に物質の交換などの変化を自ら起こしていることです。そして生物は生存の効率を高める方向に進化します。これは、生物が1つの個体として生きていることが、そこに生きようとする意識によって中心化されていて、この意識が生を維持しながら上昇しようとする傾向を持つという考え方をします。

 

<変化と時間の経過>

私たちは生活における時間がアナログ的に連続して経過していると感じています。しかし、ここでは生物が内部変化を必要とするために時間という感覚が生じたとします。まさに変化を起こして前の状態から今の状態へと変わったとき、最小の単位時間の経過を生じて、その経過において変化が意味をなしています。ある状態から変化して別の状態になったときに、その状態を区別する時間の経過があったということです。ならば時間が経過しているということは、常に何かの変化が生じているということになります。生命をもつ物質は常に内部で循環を生じて変化しているので時間が経過しているといえます。すなわち、生命が存在する宇宙において、生命の感覚器官は物質の変化を捉える性質を持っていて、その変化に従って個々に時間が経過していることになります。

私たち人間の場合は脳を発達させ言語を生み出し、互いに意志を伝達して集団行動をします。そこで生活の利便のために個々の時間の感覚は集団や社会で1つに同期されています。私たちは天体が一定の動きをしていることを発見して、そこに不変の時間の経過があって、それだけが1つの流れであると勘違いしているかもしれません。

けれども生物の内部における時間の経過は、人間が知覚するままのものではなく、生命の維持のために物質を変化させて循環させる基本構造の上に成り立っています。生命の維持に必要な変化の組み合わせがあって、1つの個体で生命を保持する目的のもとに有効な変化の流れを構成しています。ここでの変化を支える時間の経過は、関連する多くの物質の化学反応を確実にしていて、それは生命の活性化と物質の基本にある性質が関係していることを表します。そこにある物質の集合は様々な変化の状態を、時間の経過で同期しながら、生命の維持という目的を遂行しています。つまり、生体内の状態の変化は全体が1つの生体反応として同期されていてこそ意味があるものです。単位時間ごとにきっちりと望ましい変化が組み合わさるようにできあがっています。逆に言えば、そこに正確な変化が必要とされるので、そのために時間の経過が調整されます。時間の経過が先にあって時間が自ら進行しているのではなく、変化する物質は単位時間の経過ごとに状態が変わって、それが時間の移動になっています。変化として動いたのは時間ではなく、私たちを含めた物質そのものです。

観察する側の人間の便宜的な手段として、変化の動きを客観化するために一定の時間経過を仮定しています。そしてこの世界のすべてが一定の時間に同期していて、それだけしかないと思い込んでいます。それは、私たちが時間の経過を知覚するときに、生命体が生きるための変化を生じる必要性において、1つの時間の流れだけを認めざるを得ない状況に置かれていることです。実際には、様々な時間の感覚を私たちは感じることができます。しかし、私たちの感覚では、この世界の時間はその単位時間ごとに同期した1つの時間の流れの経過と感じます。この1つの時間に同期しているという感覚はどこからくるのでしょうか。

 

<生命にある因果>

生命の維持に必要な変化において単位時間が移動するとき、生命を保持するための因果関係によって、その流れは過去から未来へと意識が動く方向になります。しかし、宇宙に3次元空間を超える状態があるとすれば、因果律とは無関係な状況もあるはずだし、時間の前後が入れ替わる状況がないと言いきれません。

それを検討する前に、私たちが認識できる3次元空間で、生命の活性化を続ける変化を保持しているとき、そこで物質の集合体として生きている状態にあるものと生きていないものはどのように区別するかをみておきます。ここでは、多くの物質が集合して1つの塊になったとき、その中心に生きる意識を生じて、その全体が同期して自立行動するものが生きているものであり、それを生命体と考えます。その生命体が宇宙で生じるためには、物質の集合において、生命の前段階から生命体へと進んだ経緯が必ずあるはずです。そこで、生命があってもなくても物質が同じ基底の構造(例えば原子構造)にあるならば、生命体に捉われた状態で物質は生きることに共振する性質を基礎としているはずです。もともと物質には生きる意識を指向する性質を持つことを前提としてみようと思います。つまり、私たち生物を構成する多くの物質の集合には生きる意識へと同期する仕組みが隠されていることになります。それは物質が生きるという特殊な状態へと向かう仕組みのことです。生命体は宇宙に普通にある基本物質(原子)が、多数集まり複雑に組み合わさって生じています。そして宇宙のすべての物質には意識に共振する性質を持っていて、生命のない物質は生命を生じる前の段階に区分されると考えます。そうすると、物質の集合した条件によっては、意識の共振が大きくなって生への方向が明確になり、そこに生きる意識が生じる可能性があったことになります。この生命への前段階の状態の性質を、ここでは前意識という言葉で呼んでおきます。つまり原子といわれる基本物質の基底には、互いに作用して時間の同期を調整する前意識という状態にあって、物質が多く集合してくると生きた状態へ共振が強調されて、生きる意識につながっていくことになります。

生きる意識が明確になってから、生物は徐々に進化していて、意識には上昇して次第に明確になっていく性質があるとします。生物は1つの細胞から感覚器官の構造や脳の機能を改善して知的生命に至ります。現状の科学では、生物が生きているという状態の特殊さに気づいて、それが基本的な物質の性質から生じている可能性はあっても、いまだに解明できていません。現在の科学の分析方法は物質が固定した状態で客観的に分類するため、物質の基本的な認識の仕方に偏りがあるかもしれません。仮に、意識のような精神エネルギーが宇宙に蔓延していて、それが物質や生命の元になっているとすると、物質が物理的に固定した状態だけを調べても解明できないことになります。私たちは現在までに多くの人が認めた知識や経験の積み重ねを基礎にしていますが、それが様々な仮説において成り立つとしても本当に真実なのかはわからない部分もあります。科学の実験や観察により物質の特性として得られた結果によって、物質が変化する道理を考え、対象を明確に説明できる仮説をたて、その範囲で物事を考えています。しかし、これは人間という生物が持つ感覚器官から得られた情報によって、脳で認識パターンとして組み立てられた範囲内で思考されたものです。これは脳の認識における発達の程度に依存していることになります。私たちの脳は記憶された経験パターンの組み合わせの範囲でしか考えることができません。言い換えると、私たち人類はまだ進化の中途の段階にあるので、現状の枠組みを超えることについて、それを正確に観察できない可能性があります。

 

<生命と時間の次元>

宇宙には1つの時間の流れだけでなく、多様な時間次元の可能性があるかもしれません。宇宙に始まりがあったとして、その時点の詳細を調べるとき、そこに現在と同じ時間の枠組みがあると仮定して、現在と同じ一定の時間を基準に考えるのは十分ではないと思えます。物質に動きがない状態であれば時間は必要ないし、何らの変化が起こる道理が生じたとき、その変化のために時間の経過が必要になって、それを指し示す位置つまり因果関係が決まるはずです。その経過の程度は変化の性質に依存すると考えられます。もし宇宙の創造主があって生命の因果を操作したのであれば時間を超越していたはずなので、私たちの時間の次元を超えています。あるいは全く虚無の状況があれば時間は流れていないでしょう。何らかの特殊な変化が起こる状況では、そこから生命の感じる時間とは異なる経過が生じる可能性もあることになります。そうなれば、1つの時間だけでなく別な時間の流れがあるはずです。いまだ宇宙の全体構造が明確でない段階で、1つの時間の流れだけが基本にあって、それが一定に経過するというのは、宇宙全体にある法則とは思えません。過去から未来への時間の経過は、因果の変化を必須とする生命の行動に備わっていて、その時間を選択して同期する能力を生命は持っていることは確かです。

宇宙にある物質にある属性から考えて見ると、生命が存在することから、物質には生きる意識の前段階としての状態、つまり前意識があると仮定できます。その前意識が生命へと向かって共振を始めると、多くの物質が集まって時間を同期する必要が起こります。そのとき、物質に備わった前意識は生命へとつながるべき相手を識別して選択する性質を備えていると考えます。そこに必要なのは、生きる意識へと上昇しようとする精神的なエネルギーであって、それは宇宙全体に蔓延するものと考えます。生命に特化した時間の経過は、前意識が単位時間に同期する性質によって1つの時間次元を構成します。宇宙にすべからく精神エネルギーが満ちていて、それが意識の構造を作り出しているならば、それを解明することで単位時間による時間の流れを操作する可能性がでてきます。そこで生命体を構成する物質にある前意識の共振を利用して、別の時間次元にアクセスできれば、私たちの時間の任意の地点との往復が可能になるはずです。そのためには、宇宙に蔓延する精神のエネルギーあるいは意識の本体について理解する必要があるということになるでしょう。

 

<時間の超越>

私たちにとって時間は外部の指標であり、一定の方向の流れに強制されている経過と思っています。自分の時間が世界の時間に合わせて動いているとなっても、私たちは別段違和感はなく、無意識的に世界のすべてが同じに動いていると感じています。これは生命のもつ感覚によるものと考えます。毎日の時間が経過する感覚は、基本的には個人の内部で知覚されることです。生命が誕生してから進化があった事実から、そこに生命の活性化を継続しながら、意識が上昇する方向があって、これは生命の基本にある性質ということになります。この生命にある変化が時間を必要とし、知性を持つ方向に進み、集団をなして社会としての状況を作って生きた流れがあって、それに合わせて感覚器官や神経組織を構成してきた結果です。生命体はそれを構成する多くの物質にある前意識の同期によって結ばれていて、その変化は単位時間の経過に置かれ、私たちの感覚器官や記憶にも影響しています。それが生命体として1つの時間の次元として見える流れを形成しています。

生命体が知性を持ったことで、私たちにとっての時間の経過は、個々の能力向上とか生活の改善への変化を志向するものとなり、自己の意識を自覚して上昇へ向かうものとなりました。それは変化を起こそうとする意志や動機として、精神のエネルギーによる作用であって、それは一人一人で異なっているものです。そこで時間の経過について微妙な違いが生じても、社会的な強制によって合わされています。つまり、人間は肉体の生命反応を維持するだけでなく、上昇していく意志を自覚していて、そこには精神によるエネルギーの作用があります。この意識の自覚についての変化が時間の経過にも影響するはずです。

意識の上昇が知性をもたらしたことにより、3次元の空間と時間の経過という限界を超える可能性がでてきます。人間までの生命物質の存在と変化に限れば3次元空間と時間の経過が必須ではあるけれども、宇宙全体から見れば、3次元の空間と時間の経過は特に必然性はないはずです。もしかすると多様な空間のなかに時間の次元が重なり合う状況があって、生命は過去から未来の方向に移動する時間の世界だけを知覚しているかもしれません。現在の私たちの知覚では捉えられないけれども、ここで時間の次元を拡張して考えてみます。生命が物質の状態変化による反応を組み合わせて生命を維持するには時間の経過が必須としても、生命の活性化によって意識が上昇していく変化は、単位時間の状況として宇宙にある意識のエネルギーに記録として残る可能性があると考えます。これは、空間に重力場としての歪みが記録されるようなイメージです。単位時間ごとの状況は意識が上昇へ向かう変化であって、それは意識に働く精神のエネルギーと連携しているので、そのエネルギーの状態変化は意識の上昇を記述していると考えます。つまり、生命体によるそれぞれの現在において、単位時間ごとに意識の上昇にある変化が記録され、それは参照可能という考え方ができるはずです。

生命が進化してきた経過を考えると、初期の単細胞生物の時代でもタンパク質や遺伝子の構造がほぼ出来上がっていて、当初から知的生命に至る道を知っていたかのような周到な準備がされています。言い換えると、物質の集合において、前生命の時代にあった前意識の共振は、別の時間と連携して未来の状態を知り得た可能性が考えられます。つまり物質に前意識としての特性があるならば、そこでは時間を超越することが可能かもしれないということです。この超越ということは、過去と未来のすべての変化の状況は単位時間のなかに精神エネルギーとして記録されていて、常にその記録には新しい変化が足されていることになります。

生きる意識が中心化して生命体としてまとまってしまうと、生物としての行動が優先され、前意識にあった時間の超越はできなくなります。ここで時間は世界と同期されます。生命を維持しようとする精神エネルギーは生きる意識へと収束して、基本的に生命を維持する方向への行動だけになります。その精神エネルギーは生物を進化させて意識を上昇していく方向を持ち、時間の流れを成長や進化における変化に固定します。しかし、私たちの肉体を構成する基本物質の1つ1つが前意識の性質を持っているのであれば、その精神エネルギーのレベルにまで落とし込めれば、前意識を通じて別な時間の次元へアクセスが可能になるはずです。そして物質の基本的な特性である前意識の状態があって時間を超越する鍵になっているとすれば、過去から未来への1方向の流れにおいて、任意の時間へと肉体ごと移動する可能性が見えてきます。

 

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