Noosphere<精神圏>

進化の途上にある人間、これからどう発展するのか。

生命に働く隠れたものを探す試み

2020-10-05 00:34:53 | 未来への意識

未来への意識:生命に働く隠れたものを探す試み

どうして人間の脳は知性によって行動を支える精神にまで発達できたのでしょうか。生命という活性化する閉じた塊に知性の灯がともるのは必然のことなのでしょうか。生命全体が多様な発展をする流れにおいて、その1つの道筋が主体として行動する動機を持つようになり、そのための感覚器官や組織構造を伴って発達して知性を得ています。発達した形態が多様になればなるほど機能が増えて複雑になり、その複雑さに混乱や無駄が生じます。それを克服した個体はさらに複雑な段階になります。その複雑な機能や組織における試行錯誤を経て、人間の脳で神経細胞間の連携が深まる経過において知性が生じています。そこに何が影響して、生きる活性化の塊に知性への道を生じたのでしょうか。身体機能として見れば、神経細胞が数多く連携して集約する脳に知性の発現があります。しかし、脳細胞が単に集約するだけでなく、そこに内面的な力が働き、明確な自己の意識を自覚して段階を超えています。人間に主体の認識という意識の変化が起こり、自己を明確に自覚して内省が起こっています。そして、この知性は多様な複雑化への方向に沿って生じています。内面的な領域を活性化する力が特徴的に働いています。この流れからすると、人間の脳細胞が多く集まることで、そこに集約したまとまりが生じて、機能と組織を複雑にして複雑化に対処し、細胞全体として内省する能力を高めたという方向が考えられます。この脳細胞の集団とそのまとまりを制御する心や精神との関係を探れば、隠れている未来の重要な機能が見つかるかもしれません。

大脳を発達させた人間は単に行動を学習するだけでなく、その行動の目的と成果について内省する能力があります。心ある人間は、ただ漫然と日常を消化しているのではなく、記憶を手繰りながら効率や改善を考え知的に暮らしています。そして知性は単に周りと効率的に適応するだけでなく、未来を考えて内省し良心によって行動を判断しています。これらの機能は主に大脳とよばれる新皮質の機能といわれます。しかし脳には新皮質だけでなく、様々な組織が絡み合っていて、体の内部や外部の状況から必要なものを取捨選択して知覚として大脳の認識を支え、全体として身体の機能を制御して私たちが支障なく生活できるように構成されています。そのために、自己にとって有用かあるいは無用かの判断をどこかでしていて、受け取った情報を自律的に選択、あるいは切り捨てています。気が付かないうちに、必要な機能や対象だけを認識して、そうでないものは排除しています。そこに、生命の流れにおいて、未来への発展を見据えて、複雑な組織へと変化させている、隠れて働いている力があります。

 

個人における知性の発現

生命の基本を考えると、その塊は原子という基本物質で構成されています。原子や分子などの物質は、互いに引く力によって集まって塊をなす性質があります。生命の基本物質であるタンパク質を考えてみると、単純なアミノ酸から時間をかけて、とてつもなく複雑な高分子を構成するようになります。タンパク質に含まれる細かな物質の違いによって様々な機能が生じて、生命という自律的に活動する複雑な組織となっています。そして、タンパク質を中心に複雑な組織を構成した塊が、人間という形態になって知性を生じました。ここに至る経過は現在の私たちの認識を超えていて、宇宙の物質が持っている本来の流れということでしょう。その生命の流れにおいて、1個の生物は内部の複雑な自律的反応を維持しながら、その上で組織を複雑な方向へ柔軟に対応してきました。その継続と発展を支える機能に遺伝という機能があります。遺伝による個体を形成する基礎の上に様々な変化をもたしているものがあって、情報を追加して複雑な方向に進めています。そこに怠惰や停滞への圧力がなければ、変化を吸収して前進への動機が起こります。その試行錯誤の努力に成果があれば段階の上昇につながります。

人間は脳細胞を複雑にして明確な自己としての主体を確立した経過があります。そして個々の人間としても多様な変化への可能性を秘めています。知的機能の働きは、脳を支える身体機能と生命を維持する自律反応を含めて、原初から備えられた柔軟性において生じています。初めは生きることだけに集中した活性化の活動が、大脳で思考が生じて多様な欲求による行動へと発展しています。時間とともに退行に向かうのではなく、それが定められたかのように、種全体を進歩や改善に向わせる力が働いています。そうなると、これからも未来に向けて複雑さを克服して先に開く道を進んでいくでしょう。その先に知的生命が集団としての活動において発展するという1つの形態があることに気づきます。集団や組織として協調することにおいて、自分の役割に徹するという衝動からの行動があります。

 

集団における知性の発現

1個の人間は同じ遺伝子を持つ数十兆もの細胞によって支えられていて、その細胞が有機的に集まり組織化されて全体の秩序を維持するように構成されています。その土台には生命個体を支える基本的な機能があって、感覚器官、筋肉、循環や免疫機能、そして神経系などが有効に組み合わさった複雑な組織です。複雑な生命個体の活性化を持続するには、それを潤滑にする化学反応を常に順序正しく継続しエネルギーを循環させることが必要です。そういった複雑な活性化の反応すべてをバランス良く統率するということは、多くの細胞が生きるということに集約して機能する集団の力によってなされます。生命の組織は基本をなす物質が集合してまとまりのある組織をなし、その組織が集まってさらに上位の組織になるという層構造を形成しています。同様に、個々の人間は家族や仲間あるいは社会組織のなかにあり、集団において行動しています。人間の集団の場合でも、継続的な方向に沿って活性化を維持するには、有機的に集約することが必要なはずです。しかし人間の集合の場合、細胞と違って物理化学的にやりとりがあるのではなく、心と心のつながり、つまり精神の集合として集約することになります。

個としての人間は幼児期に独り立ちすることができず、家族や保護者を必要とします。個人として誕生しても。まわりの人と関係があって成長が成り立ちます。そして、本人は気づかずに集団のなかで思考が形成されていきます。仲間を含めた集団の目的や方向に合わせるかどうかは本人の個性次第ですが、人間の主体としての個性をもった個人であっても、その方向性は集団の動きに影響されます。集団でのコミュニケーションは言葉によって介在されます。しかし、言葉だけではなく、表情や身体の動きなどで伝わるものもあります。他人の熱意や共感あるいは反感など言葉だけではないものを感じます。他人が自分を責めてくる場合でも、攻められたと感じて反発するときもあれば、自己を素直に反省して高めようとするときもあります。集団のなかでは、単に自己を自覚するだけでなく、主観と客観の立場の双方から自分の位置を考えます。仲間と共同するための生活から善悪の判断など道徳や倫理を学び、集団のなかで良心が育まれます。集団とそれを支える個人において欲求が様々に多様化します。そして、個々の内省や判断の選択などの行動が集約された集団へと巻き込まれます。個々の主観的なことであっても、それが集団にとって未来の方向にあるものならば、大部分の人の同意によって集約されて集団の特徴を形成します。それが明確な形をなして全体に影響を及ぼし、精神として集約することによって集団は未来に影響する発展へとつながります。ここで、集団のなかでの心のつながりが集約する方向に、新たな知性が生じます。ここにも生命に秘められた力が隠されています。

 

まとめ

未来の人間の知性はどのように予測されるでしょうか。個の人間においては脳を構成する細胞が集約して心や精神を生じています。その流れの基本にある隠れた力は、客観的な事象を対象とする科学の分析にはまだ頼ることができません。少なくとも時空を超えた真実といったような領域を把握できるまで、個人の意識の上昇が必要かもしれません。私たちを含めた生命の背後にある秘めたる力は、未来に向けて複雑への方向に進めています。私たちに気が付かないところで未来へのかじ取りがなされます。私たちは目先のことしか見えていません。実際には、私たちが意識しない生命の自律的な組織に支えられています。生命の活性化を維持する多くの細胞の集合は、同一の遺伝子を持ち個体としての行動に同調します。細胞は個々に閉じていても全体を構成する主体に対して利他的な動きにおいてまとまっています。人間の場合、利他は集団のなかで起こります。家族などでの親子の関係、集団の仲間への思いやり、他人の行動への共感などから利他的な行動をします。利他的な行動の発展として、個々の結びつきが活性化され人間集団の性質を複雑にする可能性があります。そこで働く力によって個々の精神が上昇する方向に集約していきます。

人間の集団を全体として巻き込んでいるもの、それはそれぞれの精神が集約しているものです。それは集団の脳細胞のようなものです。個々の精神の集まりが集団の精神となって、その集約した精神は個々に影響を及ぼします。個々の細胞の遺伝子による共鳴作用のように、人間の集団も全体の行動が規定されます。人間の集団は、民族、政治経済、仕事や会社組織、趣味や宗教など、集団の目的によって様々な特徴があります。この場合、目的に一致する方向に行動することで集団をなしています。しかし未来への方向を考えると、知性を持つ人間は、その精神の集約によって集団に新たな特徴を形成するという段階が必要でしょう。集団で規定された目的を遂行することだけでなく、そこに集約している精神が未来に向けた新たな特性を形成するかどうかを考えることになります。

ここで言っている集約は、経済的利益や個々の強制を目的にするものではなく、生命の根源にある隠れた力と調和して個々の精神が全体と共鳴することです。集団の上層の利益だけの追求や、上から下への一方的な共感の押し付けがあれば、それは集約ではなく隷属であって、利己が利他を強制しています。目的への行動が生命の流れに沿っていなければ、精神の集約は継続しないでしょう。そこに利他としてまとまることへの共感が求められます。個々の精神が客観と主観という観点だけではなく、利己と利他という見方で集団全体にある共感の方向を見ることが必要です。

単に言葉による共感だけではありません。言葉は記号なり音なりのつながりであって、人間どうしの理解に必要な道具であり、同じ意味を見出せることで仲間との同意・反発、共感などが伝わります。しかし問題があります。個々の人間によって言葉によって受け取るものに対する理解の仕方が違います。言葉で共感したとしてもお互いの理解が同じとは限りません、言葉による精神の操作ということもあり得ます。個人が集団とのかかわりにおいて相互関係が生じるとき、その動きの全体を俯瞰できるかどうか、つまり客観と主観にある利己と利他を冷静に分析して自分の位置を明確にする意識があれば、それは言語を超えた自覚に結びつくはずです。

そこに人間の知性における将来への道を感じます。将来の人間は精神が集団の形へと集約していく方向が定められていて、その集団となって進む方向が未来の形を示していると考えます。そうならば、その集団に生命を塊にする集約の力と同じ力が働くことになります。この力の方向が示すものは、言葉や理論などへの固執から離れたものであり、生きるものに備わった直感によって感じ取るものであるという考えが浮かびます。因果関係の全体に対して、時空間を超えて俯瞰している意志の力のようなものがあって、それに対して自分の位置を明確にする自己の意識の自覚があれば、それは言語を超えた連携への自覚に結びつくはずです。私たちは言語を超えた信頼ということに共感できます。そこに人間が向かう知性を切り開き複雑にする道がつながるのではないでしょうか。

Written by Ichiro, 10/05/2020

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