Noosphere<精神圏>

進化の途上にある人間、これからどう発展するのか。

生命の底流にある渦のようなもの

2023-01-14 21:07:36 | 生きるエネルギー

生命の底流にある渦のようなもの

生物とは生きているという動きを続ける閉じた塊です。生物は自分の身体のなかにまわりの物質を巻き込んでエネルギーに変換して活動しています。その生命活動の中心には、生きることを続けようとする秘めたる力があって生物の活動を支えているはずです。生物の体内では酵素などのタンパク質が連鎖的な化学反応をしながら渦をなすかのように様々な活動しています。とすると、この生命の活動は、生きるというエネルギーを中心に活性化している渦巻きに喩えてもよいと思われます。言い換えると、生命の動きには生きることを中心にして渦を巻くようなエネルギーがあり、まわりの物質を取り込みながら中心に向かって巻き込んでいるとも言えるでしょう。生命の動きと渦を巻くという形態は深い関係がありそうです。生命の動きは種によって独自の行動をする不思議な存在です。この生命の正体はいったい何なのでしょうか。

渦巻という現象は海の渦潮や空の竜巻あるいは台風などあちこちに見られます。自然界では植物の蔓や巻貝の形などは渦巻です。私たちの地球を含む太陽系を1つの渦とみれば、それは天の川銀河の大きな渦のなかで部分的な渦の運動をしていることになります。宇宙では個々の渦巻がまとまって大きな渦巻を構成していて、幾多の小さな渦が現れては消えることを繰り返します。地球という規模では惑星の全体が自転してできる大きな渦巻のなかに多種多様な渦があり、そこに個々の生物の渦巻があることになります。そして、渦巻となるには取り込む物質が必要です。生命活動を維持するには、まわりの物質を取り込み不要な物質を吐きだすという動きがあります。それは生命の活動を続けるために、生物がまわりの物質を巻き込んでいるということです。様々な物質を取り込みながら吐き出して渦を作るように活動しています。そこには中心に向かう力と巻き込む物質が必要であって、そこで生命の渦巻が地球の環境と深く関係しています。

 

生きるエネルギーの渦

私たちが渦巻を見るとき、それは空気や水の動きが渦として見えています。そこでは物質どうしにかかる力が渦を作り、その動きは中心の状態とまわりの状況との関係において決められます。生命の塊にとっては、1つの個体の中心にあるものは生きるエネルギーであり、これが渦の中心となります。いったん、巻き始めた生命の渦はその回転を止めることなく続けることになり、その停止は生物の死を意味します。生命における活性化の循環は、閉じた個体の内部の仕組みだけでなく外部との相互関係を必要とします。生命の塊が独自の個体となっているのは 渦の中心において1つのまとまりになって、まわりの物質と関係しているからです。その中心にあるエネルギーは物質的な化学連鎖のようなものではなく、生きる状態を続けようとする精神的なものとしてみることができます。言い換えると、この中心としての力は生きようとする意識のようなものと考えられます。生命の個体に中心があって1つにまとまっているからこそ、その個体は卵・幼体・成体へと成長し世代をつなぐエネルギーを持続できています。個々の生物はまわりの物質を巻き込んで段々に成長し、そして弱まっていき最後は巻き込まれて消えていきます。また、生命として中心にある機能は、時間をかけて食料となる物質や生き残る環境を求めて複雑化を成し遂げてきました。生命の発展は、まわりの環境状況を認識してそれに反応して複雑になっています。生命の進化には不可避の方向性があり、その大きな流れは消えることはありません。生命に方向なくして多くのタンパク質が存在しえないし、方向なくして大脳が発達した人類が現れることはないでしょう。しかも大脳の構造は多くの神経細胞が左右に分かれて巻き込むような構造をしています。

 

思考の渦巻と精神の複雑化

自然界の渦は中心に巻き込む力によってその動きを維持していますが、生物の渦は中心の力によって生きる活性化を維持しています。生命を維持する活動への「欲求」そのものが中心にあって身体内外の物質を循環させています。その活性化への欲求は物質の相互関係を利用して物質を巻込んで成長しています。生物の成長に伴い上昇するのは中心にあるものであって、気づいていく意識のような精神的エネルギーです。つまり、生命の渦の中心にあって巻き込む力の基になっているもの、それは物質のエネルギーではなく精神のエネルギーです。そのエネルギーは神経系の発達を促し、神経組織を人間の大脳までに発展させています。その結果、私たちはより高い次元を考察できるまでになっています。これからも私たちの精神は巻貝の螺旋が広がるように徐々に成長していくのでしょうか、あるいは螺旋階段を上がるにつれて狭まるように段々高く鋭くなるのでしょうか。私たちが考えを巡らすとき、それは精神エネルギーによる回転運動のように、頭のなかで言葉が浮かび消えていきます。言葉の連想やイメージなどを思いめぐらし内省することで、思考の渦巻が頭の中で回転を始めます。人類における精神の深まりは徐々に複雑化する流れと関係あるはずです。大脳が発達し人間となった現代において、個々の精神の渦巻の中心が徐々に複雑になるのは避けられません。それは生命の不可避の流れのなかにあるからです。

 

まとめ

生命はその1つ1つが生きる意識を中心に渦を巻いているように思えます。地球という惑星の引く力でまとまって、おおよその生命が互いに影響を受けています。この地球にあるすべてのものは、生きている物やそうでない物も含めて多様な渦巻のように複雑に絡み合っています。そこでは様々な生命の渦が階層構造をなして地球の環境を作っているようです。地球の未来は多様な渦が互いに潰しあって虚無に帰ってしまうのか、という思いが浮かびます。しかし、生命の歩みを考えるとそんなことにはならないでしょう。生命は何十億年もの歳月で培ってきたやり方に沿って地道に活性化してきました。しかも、生命を持つ個体は徐々に複雑になるという不可避の流れにあります。この方向があったからこそ、生命に必要な多くのタンパク質が作り出されたし、この流れがあるから神経系が複雑な構造になり大脳までに発達したということでしょう。私たちの脳は神経細胞が絡み合って3次元構造になっていて過去の体験や知識などを蓄えて考察することができます。1つの生命を活性化して中心へと物質を巻き込むエネルギーは、人間という生物を実現させ、その個々の渦巻のなかに精神のエネルギーを紡ぎだしています。

人類においては人間という渦が共鳴と反発を繰り返しながらまとまって様々な集団という渦が生じています。そういった渦どうしが共鳴して大きく発展するのか、互いに反発して消滅してしまうのか、私たちは頭のなかに思考の渦を巡らして、じっくり考察してみるべきでしょう。ここで私たちの頭脳の中で巻き込んでいるのは物質ではなく実体のない思念であり言葉による連想です。頭の中で考えの渦巻が共鳴したり反発したり互いに連携し合っています。ここに物質から精神への方向があります。長い間執拗に続いた物質との絡み合いを超えて、生命のエネルギーは精神を育み人間にまで至っています。この関連から推察するに、究極が最初にあって無から有が生じ、究極に向かって繰り返す流れがあると感じます。それは精神を育くむ大きな渦であり、宇宙の意識のようにも感じます。現在までに実現した精神への方向を、人類はこれからどう発展させていくのでしょうか。生命の流れのなかで、私たち個々の現実が渦を巻きながら未来に向かうという方向でつながっていると感じます。そこに私たちの運命を垣間見ることができます。生命の流れは個々の運命を巻き込みながら上昇して高い次元へと進んでいます。

Written by Ichiro, 1/15/2023, 

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生物に働くエネルギー

2018-09-24 04:08:29 | 生きるエネルギー

生物に働くエネルギー

多くの物質が集まって1つの塊になっているとき、その塊は生きているか生きていないかに分けることができます。それが固体としての状態であるとき、その塊は質量や位置などの与えられたエネルギーを持ちます。しかし、それが生きている状態にあるとき、その閉じた塊には生命を継続する活性化のエネルギーが生じています。その状態では単に質量などの与えられたエネルギーを超えて、生きているという活性化を維持する力が働いています。内部のエネルギーを作り出すために外部から物質を取り入れて化学反応を起こし、活性化するエネルギーを自ら発生させています。そこに不要な異物があれば、それを排除します。そこに生きている状態を継続させる力が働いていて、それは生きようとする意志であり、それが組織全体を1つにまとめて、適切な化学反応を正確に繰り返す動きの基礎になっています。そして生きているという活性化はそれだけではありません。そこには、より良く生きようと努力する意識が潜在的にあって、増殖とか世代を重ねていくうちに個体を改善する変化を起こします。生きる状態を継続するだけでなく、より良く生きる状態への変化があります。生物はより知性を高める方向への歩みを不可逆的に続け人間に至っています。これはどういうことなのでしょうか、この動きは何を意味しているのでしょうか。現在、知性を持つ人間は、自己を自覚して言語を編み出し、集団の中で互いに刺激し合い、より良い方向を模索する努力を続けています。そこには生命の流れの基礎にあるものと同じ力が作用しています。生命を持つ物に生じた多様な変化の積み重ねの中に、人類の将来につながる芽が生まれているはずです。

地球上に最初に生命が誕生したときから、生命はその形態を連綿と改善を続け、神経系に大脳を発達させ知性を獲得して、さらに次の段階へと進む過程にいます。この大きな流れにおいて、多くの細胞の多様な集まりは、どうしてその全体のシステムを維持できているのでしょうか。個体としての栄養摂取や老廃物の排出あるいは成長と生殖の行動など、多くの物質の集まりが生物の個体としての一貫性をもって制御できているのは何故でしょうか。単細胞から霊長類までの生命の流れを大まかに見ると、そこに生物の仕組みを改善した変化があって、この生命システムはその基本にある方向を見失うことなく、究極へと向かっているように思えます。その究極には何があるのでしょうか。

現代の科学の知識では、すべての物質は原子という基本粒子からできていて、それは生物も無生物も同じということになっています。そうなると、無生物である物質の塊は生物にまで至らない物質であり、つまるところ基本粒子は生命も含めたすべての物質の基本素材ということになります。生命物質の場合、その要素は細胞の集まりであり、その内部構造は固体の単なる混ざり合いではなく、1つ1つの使命があって互いに関連して協働する動きであり、生物全体の中心を支える層構造のように組織されています。あたかも、そこに生物としての1つの中心があって生きるという意識にまとまっている状態としてみることができます。逆に言えば、生きる意識が、生物個体を構成する物質全体をまとめて1つの閉じたシステムになっていて、その生体システムとして活性化しています。何億何兆もの多くの細胞が集まって1つの生物になっているとき、各細胞に意識はないように見えるけれども、実際は全体が1つに共鳴して個体の意識として制御するものがどこかにあることになります。そうなると、その下部構造である細胞を構成する物質にも、1つの細胞の中で活性化するための意識の土台となる性質が必要になります。そう考えると、原子という基本物質にも意識の元と連携する性質が必要になるはずです。

1つの閉じた塊としての生物は、その外部と連携する自動機関のようなシステムとして例えることができます。生命の個体は「生きている状態を継続する」ために個々に自動的に行動しています。そこで、個体は生きることに必要な行動に最適化するシステムとして収束しています。つまり、多くの物質を内包する細胞が「生きている状態の継続」に中心化された構造をもっています。そこに全体の行動を1つに中心化しているものがあるということになります。つまり、細胞の1つ1つを中心に向かって引きつけている動きが仮定されます。

同じように、たんぱく質などの物質を内包する細胞は、その構成物質が1つの細胞として中心化されているからこそ機能する構造になっています。結局のところ、細胞が多く集まった生物は、そこに全体の行動が1つに中心化された結果、生きている状態を保持できていることになります。そこには細胞の1つ1つを中心に向かって引きつけている何らかの力あるいはエネルギーがあるように思われます。物理や化学の話では必然的に物質間に引く力が働き、集まるという動きが暗示的に常にあるようです。私たちは世の中に螺旋形に渦をまく現象をいくつか観察していて、夜空の星座とか、大気の低気圧や海や川に起こる渦のように、そこでは中心へ向かう力が働きます。同じように生命についても、1つの生物というシステムにおいて、その個々の意識が中心に向かって巻き込んでいると言えないでしょうか。

生物の進化をみると、個体の機能や神経系の発達があって、それは上昇する段階として識別できるものです。その段階の変化は、言い換えると、その生物のシステムの複雑さの程度が上昇していることであり、それは内面で中心化していると生きる意識の上昇と平行しています。生物が中心化している意識の程度は、生物がより複雑になると中心化の制御も複雑になるので、その意識が複雑性を表すパラメータとなります。これは私たちより先にあるべき超人類も含めて、生命個体の段階における上昇系列の絶対的な測定方法になりうると考えられるものです。生命という自立的に動く塊は、意識を上昇に向かわせるエネルギーを持っていて、それは微かではあっても複雑になる方向への力が常に働いています。

Written by Ichiro, 23th Sep. 2018.

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