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自由意志

2016-12-07 19:47:27 | Weblog
 『未来は決まっている』と主張する人(自称霊能者)がいるらしい、と。
 でも、人間には、自由意志があるから。
 そういう主張をする人達は、人間の自由意志が信じられないというよりも、『自分の自由意志』が信じていないのだと思う。自分の自由意志を信じていれば、自然に、人間の自由意志も信じるようになるであろうので、と。

 前回のコズミックフロントで、ハッブルの事をやっていた。
 努力と根性である。
 宇宙研究者って、もっと、スマート(頭脳を生かしてという意味)に仕事をしているのかと思っていた。
 でも、ハッブルは、努力と根性である。
 『天候が悪く、普通の研究者なら、あきらめるような天候でした』。
 ずーっと、望遠鏡を見ていたから、銀河の中にある、変光星に気づいたということで。
 ずっとみていない、(正当派の?)研究者には、気づかない事に、気づいたということで。

 『道あるところに道は通ず』とか、『複雑系』とか『バタフライ効果』とか。
 本当に、フィリピンあたりで、羽ばたいた、一匹の蝶の羽ばたきが、アメリカのハリケーンとなって、現れるのかは、分からないが。
 ほんのごくわずかな初期値の違いが、結果に大きな影響を与える、数式があることは、信じます。
 
 『投資』の問題について、考えていて。『投資』というのが、未来予測であることが、分かった。そりゃ、『ノーベル経済学賞を取った人を雇った事をうたい文句にした、投資会社が、投資に失敗し、破綻』するよ。
 だって、完全な未来予測なんて、不可能だもの。
 人間の自由意志があるから。
 努力と根性が、誰もが、『そんなの無理』と言うことを、覆す事が出来る。
 ハッブルの例で言えば。『銀河に変光星を発見する事によって、私達が望遠鏡で見る事が出来る、銀河が、この私達の銀河の外にあることが分かった』。
 でも、それを、事前に、予測可能かと言えば。予測不可能である、と。
 努力と根性を惜しまない人がいれば、予測を覆す事は、可能である、ということで。

 『未来は決まっている』という人達は、自分の意志というものを信じていない。
 で、上手く行かなかったら、『これは、運命で決まっていたことなのだ』と言う、思う、と。
 でも、努力と根性がある人は、意地でも、それを実現しようとする。
 そして、そういう人達が、世界を変えてきた、ということで。

 何でも、”意志”がなければ、始まらない。
 「好奇心って、生まれながらに、誰にでも備わっているものかと思っていたが」。
 どうも、そうではないらしい、と。

 意志が重要なのだ。意志こそが、世界の全てを変える、ということで。
 そして、完全な未来予知など不可能なのだ。
 なぜなら、人間には、努力と根性を惜しまない人達が、大勢いるからである、と。いうことで。

 あなただって、『努力と根性を惜しまなければ』世界を変える事が出来る。
 それだけの話だと思うのだけれども。

 結局の所、”意志”が重要なのだ。
 ”意志”こそが、世界の全てを変える、と。
 だから、完全な未来余地は、不可能。
 なぜなら、人間には、努力と根性を惜しまない人達が、大勢いるから、ということで。

 『自由意志を信じない』と言うことは。
 多分、他人の意志に、されるがままの“私”になっていると言うことを、信じているからだと思う。

 『愚痴を聞いて欲しい』という人達が、結局、駄目なのは。それには、『愚痴を聞いてくれる、他人』がいないと、成立しないからである、と。
 『愚痴を聞いてくれる』他人を望まず、自分の意志を信じたら、あなたの周りの世界も変わるであろうのに、と。
 それが出来ない人達が大勢いるのだよね、と。
 で、その人達は、『未来は決まっている』とかいう、自称霊能者の人達の言うことを信じるということで。まあ、自称霊能者の人達も、それを信じているから、そういうのだろうけれども。つまりそれは、『私には、自由意志などない』と宣言しているのと同じ事だけども。

(ここまで書いて)
 
 現実問題として。「反対されたぐらいで、止める、あきらめる事なんて、(あなたにとって)大して、やりたい事ではなかったのでしょう」と思う。
 反対されてでも、やりたい事が、やりたい事が、本当にやりたい事なのだ。
 「反対されたぐらいで、あきらめるなんて、それは別に、あなたにとって、本当にやりたいことではなかったということでしょう」と思う。

 声優学校に行く馬鹿がいる。馬鹿と言っても良いと思うのだけれども。マスコミの人達は、言わないが。
 でも、その人達は、多分、勉強が苦手で、その中で、一番、まだ、自分に出来そうな事が、声優になる事なのだと思う。

 『デザインの仕事をしたいのだ』と言っているのに、私から見て、全然、デザインの才能がないように見える人がいる。ちょっと思うのは、「私の方が、デザインの才能がありそうな、気がする」ということだが。
 他人から見て、『全然、デザインの才能があるように見えなくても』本人にとっては、自分にもっとも、得意に見える、思えるのは、『デザインの話』なのである、と。
 自分にとって、もっとも得意に見える話でも、他人にとっては、全然能力がないように見えるのは、悲しいねと思う。

 『未来は決まっている』という話は分からない、信じられない、信じないが。
 『自分の自由意志なんて、ないのだ』と信じている人達が、存在する事は分かる。
 その人達は、おそらく、自分の自由意志はあっても。その人達の、能力というものが、他人から見て、『全然あるように見えない』のだと思う。

 外側の人達によって、自分の人生や選択が決まっていると思って、信じている人達なのだと思う。
 で、彼らは、単に、『他人から見て、能力があるように見えない』人達なのだと思う。

 「悲しい話だな」と思う。
 「自分の自由意志が信じられないなんて」と。

追記
 ここまで、書き終わって。私には、『なぜ、(他)人が、そういう事を言うのかについて理解する』能力があることが、分かった。
 私にとっては、子供の頃から、その能力はあって。
 だから、小学校の時に、『将来弁護士になりたい。なぜなら、私なら、悪い人とされる人でも、正当化の意見を言うことが出来るから』と。
 (当然の事ながら、弁護士にはなっていないが)。
 『盗人にも五分の利』を、「盗人にも、五分の正しさがあるものである」と思っていた。かなり大きくなってから、『盗人も、5分の正しさを主張するものである』という意味であることを知ったが、と。

 私が、「神を『全てを含む集合である』と定義するなら、悪魔も含まないと神にはならない」という主張をするのも、その辺が、原因かと思う。
 ヒットラーを非難する気にはなれない。
 「そういう状況に追い込んだ、第一次世界大戦のヨーロッパの戦勝国が悪いのだろう」と普通に、思っていた。
 でも、そういう考えは、”普通の考え”ではないらしい、と。

 うーん。
 悪を悪と非難しても、しょうがないと思うのだよな。
 彼らには、そういう行為をする、理由があるのだからして、と。

 現実問題として、自分の利益でしか、物を言うことが出来ない人達は大勢いる。

 『130万超えたから、会社に、「労働時間を、1時間増やして、厚生年金に加入するようにしてください」というお願いを断られた』とかいって、文句を言う文章を読んだ。
 でも、「厚生年金は、会社も、あなたが払っている分と同じだけ、支払わないといけないのだから。会社が、『厚生年金に、安易に加入させたくない』と思うのは、当然の事でしょう」と思うのに。それを、理解出来ない、しない人達が、大勢いる、ということで。
 相手の立場に立って、考えないといけないのではないかと。
 自分の利益だけを、主張するのではなくて、と。
 私は、そう思うのだけれども。それを理解出来ない人達が、大勢いるみたいで、というお話なのでした。

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