正しさがしんどい
聖帝・王城さんのツイッターで、『重度知的障碍児の人が、定員割れの高校を受けて、入学を拒否された』という話が載せてあったが。
親は、『不当だ』とか言っているのだけれども。
だけど、実際問題として、重度知的障碍者の人は、介護なしに、高校なんていけない訳で。
実際、入試自体も、高校の前まで、送り届けるのは良いとしても、そこから自力で、学校の入試会場までたどり着いて、回答用紙に、自分の名前を書く事を、自分一人では出来ていないはずで、と。
で、そういう、『定員割れの高校』とかいうのは、『1年生として、入学した学生が、2年生になる時には、2割以上いなくなっている』という学校のはずで。
で、そういう高校に入学して、その重度知的障碍児の面倒を誰が見るの、という話になると思う。
『普通科の高校の先生は介護者ではない』という話になると思う。
『学校に入学した以上は、全員卒業させてあげるべきだ』という思想があって。
それと、『学力によって、入学出来るか出来ないかと言うのはおかしい』という考えがあって。
私が20代ぐらいの時にもあったけれどもね。
『大学は誰でも入れるようにして、卒業を難しくしろ』とか言う人とか。(欧米ではそうなっているとか、なんとか)。
後、『学歴フィルター、卒業見込み大学の差によって、会社の入社試験を受らけれるかについて会社が選ぶのはおかしい』という意見とか。
アメリカでも、『大学の入学の時に、学力試験をするのはおかしい』とかいう意見が出ているらしい。
でも、そしたら、どういうのによって、入学出来るか出来ないかについて、判断するのが、正しいというのだろうか、と思う。
別に、『学力』というのは、一つの基準に過ぎないのだろうけれども。
それに、代わる判断があるのだろうか、と思う。
そういう人は、『全部、面接で決めれば良い』と思っているのだろうか、と思う。
(続き)
『就職氷河期が』とか言っているが。
あれ、新卒採用がダメだったという話であって。
バブルの頃に新卒採用だった人でも、そこから会社辞めたり、解雇されたりした人はやっぱり、『私は不幸だ』と思っている訳で。まあ、私からしたら、『新卒で良い所に就職出来た事に感謝しろよ』と思うけれども。その人達は、初め良い思いをしたものだから、『それに比べて、私は不幸だ』と思ってしまう訳で。なんだかな、と。
昨日、yahooの記事で、『知的障碍児は、養護学校を卒業した後の、進路の99%は、就職か、障碍者施設しかない』という記事があったが。
だけど、「高等養護から、就職出来るのは幸せな事だよ」と思った。
だって、そのチャンスもう他にはないし。
実際、高等養護から、就職決まって、その仕事を辞めても、次、高等養護の先生に就職の相談をしても、就職のあっせんはしてくれなくて、困っている人がいるという話もあるらしい。
『高卒の人の、高校卒業後、3年以内に離職する人は、5割』という話があるが。
多分、高等養護の人の離職率もそれぐらいだと思う。
だから、就職のあっせんをしてくれるチャンスは、とても貴重な訳で。
『昔は、「大学行けないから、就職だ」と言っていたのに。今は、「就職出来ないから、大学だ」という時代になった』というのを読んだ事があるが。
実際、高校の先生としても、授業もろくに出ない、授業に出ても、話をしてばかりで、授業を聞かない生徒に、就職のあっせんをするのは、面倒。
だから、そういう人は、進学を勧めれば、就職のあっせんをしないで済む、みたいな。
『声優の学校に行かせるのが、重大なチャンスなのだという人がいる』と。
引きこもりの人とか。
高校とかは、就職のあっせんをしてくれるし。
専門学校でも、就職のあっせんをしてくれる所はあるらしい。
だけど、どうも、高卒とか、そういう専門学校の学校卒業後の離職率が高いみたいで。
多分、『納得がいっていない』。
何をすれば、満足なのだろう、と思う。
実際の所、良く分からないが。
もちろん、そういう人達は、自力で、就職先見つけても、離職率が高いかも知れないけれども。
ブータンから、日本に、日本語学校に来て、『授業にほとんど出ないで、アルバイトする生活に疲れた』という人が言うには。
『ブータンの大学を卒業したが、ブータンの大学のレベルは低いので、もっと、勉強したくなって、海外の大学に行こうと思ったけれども。アメリカの大学の学費は高いので、日本の大学に行こうと思って、日本の日本語学校に行こうとした』という話だけれども。
実際、発展途上国の大学のレベルは低いのかも知れないけれども。
ベトナムに旅行に行った時に、(パッケージツアー)現地のガイドさんが、『ベトナムの大学のレベルは低くて、先進国の基準では、大卒と言えない人がいる』と言っていたが。
だけど、『国連で、働いている、インド人の給料は、インドの首相の給料と一緒ぐらいだから、優秀な人で』と書いていた日本人がいたが。
『日本人で、国連で働ける人には、日本でもっと給料がもらえる仕事に就けるから、日本人で、国連で働きたいという人が少なくなる』とも。
ブータンに賢い人がいたら。ブータンの大学で教えるより、もっと高い給料の仕事に就けるから、ブータンの大学では教えない、と。
「コンビニのアルバイトだって、立派な教育だよ」と思う。
働く事によって、身につく能力があるのだから。
結局、日々毎日同じような仕事をしている訳だが。
同じ事を繰り返ししていたら、その事を覚える、と。
医者でも、毎日同じような手術をしていたら、その手術は上手くなる。
結局、回数の問題がある。
同じような事をしていたら、その事は上手くなる。
何でも出来る人はいないから。
何の話をしようと思っていたのだっけ。
作業所でも、何らかの教育をしようと思ったら出来る。
だけど、「教える人がいない」。
教える人に、時給1000円ぐらいしか出せないから。
知的障碍者の人が、まともに働ける仕事は限られている。
絵を描くとか。それだって、上手くいかない人の方が多い訳で。
「英語と数学が出来たら、金持ちになれる」。
でも、「それを学力というのだよ」と言えば、その通りの訳で。
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聖帝・王城さんのツイッターで、『重度知的障碍児の人が、定員割れの高校を受けて、入学を拒否された』という話が載せてあったが。
親は、『不当だ』とか言っているのだけれども。
だけど、実際問題として、重度知的障碍者の人は、介護なしに、高校なんていけない訳で。
実際、入試自体も、高校の前まで、送り届けるのは良いとしても、そこから自力で、学校の入試会場までたどり着いて、回答用紙に、自分の名前を書く事を、自分一人では出来ていないはずで、と。
で、そういう、『定員割れの高校』とかいうのは、『1年生として、入学した学生が、2年生になる時には、2割以上いなくなっている』という学校のはずで。
で、そういう高校に入学して、その重度知的障碍児の面倒を誰が見るの、という話になると思う。
『普通科の高校の先生は介護者ではない』という話になると思う。
『学校に入学した以上は、全員卒業させてあげるべきだ』という思想があって。
それと、『学力によって、入学出来るか出来ないかと言うのはおかしい』という考えがあって。
私が20代ぐらいの時にもあったけれどもね。
『大学は誰でも入れるようにして、卒業を難しくしろ』とか言う人とか。(欧米ではそうなっているとか、なんとか)。
後、『学歴フィルター、卒業見込み大学の差によって、会社の入社試験を受らけれるかについて会社が選ぶのはおかしい』という意見とか。
アメリカでも、『大学の入学の時に、学力試験をするのはおかしい』とかいう意見が出ているらしい。
でも、そしたら、どういうのによって、入学出来るか出来ないかについて、判断するのが、正しいというのだろうか、と思う。
別に、『学力』というのは、一つの基準に過ぎないのだろうけれども。
それに、代わる判断があるのだろうか、と思う。
そういう人は、『全部、面接で決めれば良い』と思っているのだろうか、と思う。
(続き)
『就職氷河期が』とか言っているが。
あれ、新卒採用がダメだったという話であって。
バブルの頃に新卒採用だった人でも、そこから会社辞めたり、解雇されたりした人はやっぱり、『私は不幸だ』と思っている訳で。まあ、私からしたら、『新卒で良い所に就職出来た事に感謝しろよ』と思うけれども。その人達は、初め良い思いをしたものだから、『それに比べて、私は不幸だ』と思ってしまう訳で。なんだかな、と。
昨日、yahooの記事で、『知的障碍児は、養護学校を卒業した後の、進路の99%は、就職か、障碍者施設しかない』という記事があったが。
だけど、「高等養護から、就職出来るのは幸せな事だよ」と思った。
だって、そのチャンスもう他にはないし。
実際、高等養護から、就職決まって、その仕事を辞めても、次、高等養護の先生に就職の相談をしても、就職のあっせんはしてくれなくて、困っている人がいるという話もあるらしい。
『高卒の人の、高校卒業後、3年以内に離職する人は、5割』という話があるが。
多分、高等養護の人の離職率もそれぐらいだと思う。
だから、就職のあっせんをしてくれるチャンスは、とても貴重な訳で。
『昔は、「大学行けないから、就職だ」と言っていたのに。今は、「就職出来ないから、大学だ」という時代になった』というのを読んだ事があるが。
実際、高校の先生としても、授業もろくに出ない、授業に出ても、話をしてばかりで、授業を聞かない生徒に、就職のあっせんをするのは、面倒。
だから、そういう人は、進学を勧めれば、就職のあっせんをしないで済む、みたいな。
『声優の学校に行かせるのが、重大なチャンスなのだという人がいる』と。
引きこもりの人とか。
高校とかは、就職のあっせんをしてくれるし。
専門学校でも、就職のあっせんをしてくれる所はあるらしい。
だけど、どうも、高卒とか、そういう専門学校の学校卒業後の離職率が高いみたいで。
多分、『納得がいっていない』。
何をすれば、満足なのだろう、と思う。
実際の所、良く分からないが。
もちろん、そういう人達は、自力で、就職先見つけても、離職率が高いかも知れないけれども。
ブータンから、日本に、日本語学校に来て、『授業にほとんど出ないで、アルバイトする生活に疲れた』という人が言うには。
『ブータンの大学を卒業したが、ブータンの大学のレベルは低いので、もっと、勉強したくなって、海外の大学に行こうと思ったけれども。アメリカの大学の学費は高いので、日本の大学に行こうと思って、日本の日本語学校に行こうとした』という話だけれども。
実際、発展途上国の大学のレベルは低いのかも知れないけれども。
ベトナムに旅行に行った時に、(パッケージツアー)現地のガイドさんが、『ベトナムの大学のレベルは低くて、先進国の基準では、大卒と言えない人がいる』と言っていたが。
だけど、『国連で、働いている、インド人の給料は、インドの首相の給料と一緒ぐらいだから、優秀な人で』と書いていた日本人がいたが。
『日本人で、国連で働ける人には、日本でもっと給料がもらえる仕事に就けるから、日本人で、国連で働きたいという人が少なくなる』とも。
ブータンに賢い人がいたら。ブータンの大学で教えるより、もっと高い給料の仕事に就けるから、ブータンの大学では教えない、と。
「コンビニのアルバイトだって、立派な教育だよ」と思う。
働く事によって、身につく能力があるのだから。
結局、日々毎日同じような仕事をしている訳だが。
同じ事を繰り返ししていたら、その事を覚える、と。
医者でも、毎日同じような手術をしていたら、その手術は上手くなる。
結局、回数の問題がある。
同じような事をしていたら、その事は上手くなる。
何でも出来る人はいないから。
何の話をしようと思っていたのだっけ。
作業所でも、何らかの教育をしようと思ったら出来る。
だけど、「教える人がいない」。
教える人に、時給1000円ぐらいしか出せないから。
知的障碍者の人が、まともに働ける仕事は限られている。
絵を描くとか。それだって、上手くいかない人の方が多い訳で。
「英語と数学が出来たら、金持ちになれる」。
でも、「それを学力というのだよ」と言えば、その通りの訳で。
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