暇つぶしです

私が思いついた事を書くだけのブログです。

人からお金持ちと

2012-06-29 21:55:11 | Weblog

 人から、『お金持ち』と言われる、思われる道と、『お金には困っていない』道とは違うのではないかと思う。

 

 人から、『お金持ち』と思われる人生とは、でっかい自社ビルを都市部の一等地に建てるような道である。従業員をたくさん雇ってという道である。

 でも、『お金に困らない』人生とは、良く分からないビルの2階をほんの少し借りて、商売をして、従業員は、パートに近い人を、ほんの少ししか雇わない道である。

 

 人から、『お金持ち』と言われる道を選択すれば。社会的には尊敬される。結局、尊敬とは、消費力の事らしい、と。

 人から、『お金持ち』と思われていなくても、『お金に困っていない』人生を生きている人達は大勢いる。地道なので、誰にも目にはつかないが。多分、『お金には困っていないだろうな』という推測が出来ると言う事で。

 

 人から、『社会的名誉のある地位、仕事に就いている人だね』と思われる仕事についている事が、お金持ちの道を約束してくれる訳ではないと思う。はっきり、言えば、この道はハイリスク・ハイリターンの道だと思う。当たれば、でかいが、失敗した時のリスクも高い。

 ほとんどの人には、目につかないが、『お金には困っていない』人生を歩む人達がいる。この人達の人生は、低(ロウ)リスク、ミドルリターンだと思う。

 

 人生というのは、有名になる為に、存在している訳ではないと思う。ハイリスク・ハイリターンの人生を選択したら、有名にはなれるかも知れない。でも、本当の人生の豊かさは、低リスク・ミドルリターンの人生にあるような気がしてならないのだけれども。

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幸福

2012-06-29 21:52:10 | Weblog

 『幸福』

 

 インターネットで、面白い記事を見つけた。

 その記事によれば、『宝くじに当たった人、十数人ほどと、障害者になってしまった、十数人ほどについて、自分を幸せと感じるかについて、調査してみた。その結果、3か月経つと、幸福度は、どちらも同じになった、と言う』と。

 その話は、他でも読んだ事がある。『幸福度というのは、宝くじにあたっても、障害者になっても、数か月ほどすると、その人が、元々感じていた、幸福度になる』という話である。

 その記事は、続く。『ある有名俳優は、突然難病になり、障害者になった。しかし、その人は、「私は、ラッキーマンだ。以前よりも、深い幸福を感じられるようになったので」と言う』と。

 『突然、宝くじが当たる等の、幸福が降ってきた場合、以前幸福だと感じられていたことが、幸福と感じられなくなる。突然、障害者になる等の、不幸が降ってきた場合、小さな幸福に対して、幸福と感じられるようになる。人間の幸福感には、そういう慣れが発生するのである』と書いている。

 

 だからと言って。今まで、不幸を感じていた人達が、不幸に遭遇したからと言って、幸福を感じられるようになる訳ではないと思う。幸福な人は、不幸に遭遇しても、数ヵ月後後には、幸福を感じられるようになり、不幸を感じている人は、幸福に遭遇しても、数ヵ月後には、不幸を感じるようになる、という話だと思う。

 

 だから。障害を持つと言う事は、ネガティブ(否定的)な事ではないのだろうと思う。

 障害者になった後、幸福である自分を発見した人は、気付く。客観的幸福を追い求めている人達の考える所の、幸福が、いかに浅はかなものであるかということについて。

 

 『バブル脳が』と言って、文句を言っている人達がいる。バブル世代の人達(バブル期に就職した人達の事)は、自分達の事を、“アンラッキー(不運)な人間”と考えているようである、という話がある。不況時に就職活動をした人間には、信じられない意見であるが。どうもそれは真実であるようである。彼らは言う。『私の後に後輩が入って来ないから、いつまで経っても、下っ端の仕事をさせられるから』と。不況時に就職活動をした世代の人達は思う。『不況だったら、入れないような、大きな会社に就職出来ていて、何の不満があるのだろうか』と。

 

 一度、不幸を経験しないと。それが、幸福である事に気付かないものなのだろうなと思う。もっとも、幸福度は、その人が初め、幸福感を感じる人間であったかどうかに左右されるから。それ以前から、不幸を感じていた人は、不幸な目にあっても、不幸しか感じないと思うが。

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もっとシンプルな選択を

2012-06-29 21:50:32 | Weblog

 『もっとシンプルな選択を』

 

 大阪の橋本市長は、色々な市の補助金を打ち切る事を計画しているらしいと。文化・芸術団体に対する補助金とか、大阪人権センターに対する補助金とかを打ち切る計画をしているらしい、と。

 それに対して、マスコミは反対意見を言っている。『補助金打ち切りはダメである』と。

 

 なぜ、そういうのかと言えば。多分、それで食べていっている人達がいるから。それを打ち切られたら、困る人達がいるから。マスコミは反対するのだと思う。

 でも、さあ。本当にそれが、国民にとって、「必要か?」と聞かれたら、必要じゃないのだよね。必要性は、補助金を打ち切られる側にあって、国民の側、消費者の側には、ない、と。多分、そこが問題だと思う。

 

 自民党の、『公共事業の10年で200兆円計画』には、反対したいと思う。もちろん、生活保護の永遠受給資格制度の保持についても、反対なのだけれども。

 

 マスコミの人達は経済の事を言うのだよね。『公共事業を中止したら、それで、食べていっている人達が困る』と。でも、もう、“経済波及効果”がどうとかいうのは、いらない、と。シンプルに、必要なもの、必要な事だけをするので、何がいけないのか。消費者という名の国民にとって、必要のないものは、みんないらないのではないか、と。

 

 マスコミは、すぐに、“生産者の立場”に立つ。そして、『今の若い人達は車に乗らなくなった』『海外旅行に行かなくなった』だから。『問題である』という。でも、それは、誰の立場なのか。要するにそれは、『それによって、仕事を失う人達がいる』という、生産者側の立場ではないか、と。物事の善悪を判断するのに、“雇用の維持”という視点はもういらないと思う。シンプルに、“消費者という名の国民”にとって、必要だと思われているものだけを残していけば良い。それ以外のものは、いらないと思う。なぜ、それでいけないのか。

 

 『あれも必要だ』『これも必要だ』と言って。『何も手放したくない』という。

 でも、本当に“必要なもの”は何なのか。それだけを残していけば良いのではないか、と思う。

 

 もちろん、“シンプルな選択”をすれば、GDPは縮小するであろう。橋本さんが、公務員数の削減を実行して、公務員の給料の削減をして、補助金の打ち切りをすれば、GDPは縮小するであろう。生活保護費の削減を実行し、公共事業の縮小を継続すれば、GDPは縮小するであろう。でも、本当にそれの、「何が問題なのか」と。

 

 日本が、ゼロインフレなのが問題だと、マスコミは言う。世界は、インフレなのに。だから、日本も、インフレになるように持っていくべきだと、マスコミは言う。

 でも、インフレというのは、根源的には、生産希望者より、消費希望者が多いから、インフレになっている。なんで、そんなに頑張って、無理をして、『消費させようと』しなければならないのか、と。

 

 ドイツや北欧の国々を、『日本と違う環境先進国である』という人達がいる。でも、日本は、GDPあたりのエネルギー消費量は、世界一低い。理由は、人口密度が高い事による、鉄道社会だからだそうである。まあ、はっきり言うと。『日本人は車に乗らないが故に、GDP当たりのエネルギー使用量が世界一低いのである』という話である。なんで、それなのに、車を買わせたがるのでしょうね。マスコミの人達は。

 

 アメリカ人は言う。『世界がアメリカ人のように暮らせば、地球が3個あっても足りない』と。

 神は言う。『正しさとは、すべての人が自分の真似をして、世界が幸せになる行いの事である』と。

 その意味で言えば。アメリカ人、はっきり言えば、先進国の今の生活は、正しさにかなった生活ではないと思う。

 “世界の人が真似されたら困る”生活を送っている人達の事を、『正しさを実現した生活である』とは言えないと思う。

 

 今の“消費しない若者”は、新しい時代の価値観を実現していると思う。

 堺屋太一さんの言うように。『新しい時代の価値観は、古い価値観の人達には理解されない』かも知れないけれども。“評価されない事”に、新しい時代の価値観は眠っている、ということで。

 

 (休息)

 

 ここまで書いて、色々考えてみたけれども。『風と炎と』の中で、堺屋太一さんは書いている。『もっと、面白い事を見つけたのだ』と。すべての経済指標を良くしようとしている近代科学主義の人達が思いつかない“面白い事”というのは、インターネットの事だと思う。最近読んだある本には、『世界で、発信された情報は、10年前の、10倍になっている』と書かれていた。堺屋太一さんは、『しかし、現代日本に世界に誇れるライフスタイルがない』と書いていたが。今は、『日本には、漫画・アニメとゲームと、日本食とカラオケがある』事が分かっている。ある情報によれば、『ブログで使われている言語のうち、もっとも多い言語は、日本語』なのだそうである。『英語とほぼ同じである。日本語なんて、世界で、ほとんど日本人1億2千万人ほどしか使う人がいない言語であるのに』と。堺屋太一さんが、言う、“もっと面白い事”とは、インターネットをすること、ブログを書く事、2ちゃんねるをする事だと思う。要するに、“すべての人”に“情報を発信する権利が与えられた”というのが、新しい時代の“面白い事”であるということで。もちろん、ネットは、情報発信をするだけの道具ではなく、情報収集するための道具でもある。現代貧乏人は忙しい。ネットという暇つぶしに対して。今や、ニート、働かない若者、でさえ、ネットという暇つぶし手段がある時代だから。自称“中程度の引きこもり”の人が言う。『人生というのは、有限なのだ。やらなければならない、ゲームはいっぱいあるのに。だから、私は忙しいのだ』と。1年のうち、半分以上ぐらい、無職であるにも、関わらず、“忙しい”という。それが、今の若者の“やりたい事”なのである、ということで。

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もっと大きな問題に?

2012-06-29 21:49:00 | Weblog

 『もっと大きな問題に?』

 

 片山さつき議員が、親が生活保護を受けている芸能人の名前を挙げた事について。『片山議員は、こんな小さな問題ではなく、もっと大きな問題に取り組むべきである』とかいう批判をしていた人達がいたが。“もっと大きな問題”って何だろうなと思う。大体、“もっと大きな問題”があったとしても。“小さな問題”を無視して良い事にはならないと思う。殺人がダメだからと言って。窃盗を見逃しても良い理由にはならないと思う。大体、“小さな問題”を解決出来ない人に、“もっと大きな問題”が解決出来るのであろうかと思う。“もっと大きな問題”とか言う人達が、“もっと大きな問題”を解決出来る事はないだろうと思う。“もっと大きな問題”を解決出来る人は、常に、“小さな問題”も解決出来る人の事だと思う。“小さな問題”も解決出来ない人に、“もっと大きな問題”が解決出来るはずがない。結局、“もっと大きな問題がある”と言っている人達は、結局、何も出来ない人達の事だと思う。

 

 ある人は、『私は、ニューヨークの貧困地域の治安を良くする為に、まずは、ニューヨークの貧困地域の落書きを消します。それによってニューヨークの貧困地域の治安を良くします』と選挙演説して、ニューヨーク市長になりました。多くの人達は、『そんな方法で、ニューヨークの貧困地域の治安が良くなるはずがない』と言いました。でも、その市長の政策のおかげで、ニューヨークの街は、生まれ変わりました、という話です。

 

 徳川家康が、豊臣家を滅ぼす方法として。まず、最初にやった事は、ケチをつけて、大阪城の外堀を埋めさせると言う行為です。そして、その後で、家康は、大阪城を攻めたのです、という話がある。

 

 “重要な問題”があるからと言って。最初に、“重要な問題”に取り組むのは、得策ではない。“まずは、現段階で出来る所から”始めるのが、正しいやり方だと思う。

 

 なんか、“巨悪がある”という幻想を持っている人達がいるのだよね。

 でも、“巨悪なんてない”のだよ。

 私から言わせれば、『巨悪がある』と言っている人達は、自分達の中の悪をごまかす為に言っているのではないかと思う。

 重大事故が問題だからと言って、ヒヤリ・ハットを無視するのは良くない。重大事故の10倍、ヒヤリ・ハットがあると言われているが。重大事故を責めても仕方ないのである。まずは、ヒヤリ・ハットから、出来るだけ減らすように努力していかないと。

 

 悪が、自分達の外部にあるという考えを持つ人達がいる。

 アメリカは、麻薬取締りをしようとして。中南米で、色々な行為をしたが。結局、中南米諸国民の恨みを買うだけに終わってしまったと言って良いと思う。アメリカにおける麻薬流通を減らしたいのであれば。まず、アメリカ国内で、麻薬を吸う人の数を減らすような努力をしなければならない。アメリカ国内における問題を無視して、外国で、問題の解決を図ろうとする。それでは、絶対に上手くいく訳がないのである。

 

 “悪”が存在する、という幻想がある。その理論に基づいて、アメリカは、“テロリスト撲滅”と称して、アフガニスタンで戦争をしているのであるが。全然上手くいっていないと言って良いと思う。

 

 “悪”なんて、存在しない。ただ単に、“間違い”を起こす可能性のある、“小さな人間”がいるだけなのである。そして、その“小さな人間”は、自分達と同じ、自分の一つの側面に過ぎないと思う。生命は、皆同じもので。人間も元々、皆同じものなのである。それなのに。相手の事を、“悪”だと断言、断罪し、自分達は、善の側にいると考える。それが、最大の過ちなのに。

 

 片山さつき議員の事を批判する人達の意図がどこにあるかは分からないが。結局、それは、単なるごまかしの言論に過ぎないと思う。「じゃあ、あなたに何が出来るの」と。「そんな事を言うあなた方は、一体何者なのか」と。そこが問題だ。どんなに小さな事であったとしても。ただの傍観者でいる事は簡単であるが。実行者になる事は難しい。人に対して、『あなたは、不十分だ』と責めるのは、易しい。でも、どんな人間も、ただの個人である。だから。どんな小さな事でも、批判者ではなく、実行する側になろうとすべきだと思う。

 

 私は、“悪い”とされている事について、わざわざ批判者側になる必要はないと思っている。この件は、“正しい事”とされている、過ちだから、批判する。

 基本的に、私は、“多数派に寄りたがる人達”の事は嫌いである。皆、ただの一個人なのである。多数派によって、自分の意見をごまかす。それは、間違った行為であると私は思う。

 

 それぞれの個人の意見が、ばらばらだと困る人達がいるのだろうかと思う。「それは、戦争をする側の論理でしょう」と思う。“兵士”は、トップの言う事に従わなければならない。でないと、戦争は出来ないから。

 “マスコミ”の意見に反する意見は“間違い”らしい。彼らは一体、何をしたいと思っているのだろうかと思う。それは、ただ単に、“指導者の言う事に従うだけの良い兵士”を養成する為の、倫理でしかないのに、と。

 

 まあ、世界は変わりつつある。

 政府的要請として、『日本人は皆同じ思考を持たなければならない』という要請があると思う。

 “正義”について。皆同じ、正義を信じなければならないという政治的要請があると思う。

 “宗教”もそれを要求する。“信者”は、皆同じ正義感、価値観を信じなければならないと信者に対して、要請する。

 

 『患者に言えない医者の一人ごと』は、面白かったと思う。「まあ、一つの見方だね」と思う。『これが、絶対的正義だ、正解だ』とかいう内容の本でない所が素晴らしいと思う。

 本当は、すべての意見は、ただのその人の視点で見た、正しさに過ぎないのに。それを、世界的、宇宙的、真理かのように言う人達が多すぎる。それは、単なる、“あなた”という立場から見た、正解に過ぎないのに、と。

 

 まあ、アメリカ人に言わせれば、インターネットは思想革命らしい。“すべての情報”が、対等な立場に置かれる。だから。インターネットは、世界を変える技術だと言う。

 まあ、アメリカ人に言わせれば、『インターネットを、ただの、経済効果のみの観点から見ると、その本質を見損なう』と言う事なのだろうけれども。

 

 “マスメディア”の言う事を、今回の件で、信じなくなった人達が多いであろう。それは、“大衆”を、“同じ”意見に染まらせようという要請の時代の終わりを意味するであろう。まあ、そんな事はアメリカ人思想家の人達は、分かっていたのかも知れないが。

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それは将来を幸せにする計画か

2012-06-29 21:47:11 | Weblog

 『それは、将来を幸せにする計画かどうか』

 

 どうも、未来、将来の事を考える事が出来ない人達がいるみたいなのだよね。

 前書いた、『30代で、日雇いで、警備員をしていて。「20代の頃の自分に戻れれば貯金をするのに」と言いながら、今、趣味は「1円パチンコ」とか言う人』もそうだけれども。

 

 一般的、世間一般では、『子どもがいない夫婦は不幸である』と考えられている。

 でも、本当は、今の生活だけを見るのであれば、「子どもがいない方が、幸福」である。なぜかと言うと、子どもがいない分、使えるお金が増えるので。

 でも、不幸だと思われているのは、将来的な事を考えての話だと思う。将来、自分達が年を取った時に、面倒を見てくれる子どもがいない事は、不幸であると考えられているためである。

 つまり、大抵の人は、今ある幸福だけで、幸福かどうかを考えているのではなくて。将来的な事も考えて、幸福かどうか考えていると言う事で。

 

それを、『子どもがいるから、不幸だ』と言っている人達がいるのだよね。

多分、その人達は、将来の幸福、不幸について、考える事が出来ない人達なのだと思う。

 

『金持ち父さん、貧乏父さん』に、負債について。『保有していて、お金が出て行くものが負債である』。『資産とは、お金が増えて行くものである』と言って。世間で資産と言われているものの大抵が、本当は、負債である事を、言っている。

ええっと。ある人が、“正しいお金の使い道”について。『将来幸福になる、使い方が、正しいお金の使い方で』。『将来不幸になるお金の使い方が、間違ったお金の使い方である』と書いていた。で、『借金をして、パチンコに行くのは、将来的に、不幸になるから、間違ったお金の使い道である』。『お金を使う事によって、将来、幸せになるのが、正しいお金の使い方なのである』と書いている。

 

多分、生きて行くに従って、段々不幸になっていく人というのは。“将来的な幸福”について、考える事が出来なかった人達なのだと思う。

 

ある人に対して、「一生、作業所に行く人生計画なのか」と聞き損ねたと思っているが。

 

家族に対して、親切に出来ない人は、不幸な人達だと思う。

 将来的な事を考えたら。一番、大事にする必要があるのは、家族だから。

 

 “下心”は、誰にでもある。子どもの言う事に拒絶しない親は、将来的に、自分が高齢者になった時に、その子どもに面倒を見てもらいたいという下心があると思う。要するに、将来的な事を見こしての話なのである。でも、将来の事を考えて、今、何を選択するかと言う事を考える思考を持つ事は、悪い事ではないと思う。むしろ、人としての、正しい思考だと思う。下心さえ無視して、子どもに、怒鳴り散らす親は、まともな人とは言えないと思う。

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宗教というものを

2012-06-29 21:45:05 | Weblog

 宗教というものを、どういうものかという定義があると思う。

 

 シルバーチ教の連中が、『バーシャルの言っている事は、レベルが低い』と書いていましたが。どうかな。私から見れば。「シルバーチ教の人達の言っている事は、既存宗教と同じである」と思ったのだけれども。

 『神との対話』の神は言う。『新たな事が分かったら、素直に素早く(自分の考えを)変更しなさい』と。

 

 『イスラム教だけが、宗教で、後は、宗教ではない』と言っている人(イスラム教徒)がいます。つまり、宗教とはこういうイメージだと言う事である。“神の命令”があって、その通りするのが、宗教というものであるというイメージである。

 その意味において、『キリスト教は宗教として、あいまいである』と言っている人達がいます。(日本人の中にも)。でも、“神の命令”があいまいな故に、キリスト教徒は、今の世界経済を作る事が出来たと思っているのだけれども。正確には、“科学”を発展させることが出来たのは、キリスト教が、“神の命令”があいまいな宗教だからである、と私は思っている。

 

 シルバーチ教の連中が、既存宗教と同じであると私が思ってしまうのは。“シルバーチ”の言う事だけを、正しい事であるとして、他からの真実を、正しい事であると考えないからである。“正しい事”なんて、いうのは、一か所からでは手に入らないのに。

 

 意識を、“神の命令を守る事”に目を向けている限り、世界の平和は来ない。もちろん、“イスラム教徒”自身が、すべて犯罪者という事ではない事実は知っている。でも、“神の命令を守る事”に意識を集中させている宗教を信じている人達の事を、“正しい人達である”と言う事は出来ないと思う。

 

 イスラム教徒に対して、こんな議論をふきかけても無駄だから、イスラム教徒に対しては、こんな事言わないが。

 

 アメリカ人は偉い。『聖書は、同性愛を禁じている』と主張しているキリスト教徒がいるにも関わらず、同性愛を合法化しようとしているのだから。“変化する事”、もっと言えば、“現状観察”こそが、キリスト教徒が“科学を発展させることが出来た”キーポイント(鍵の点)であろう。

 

 「聖書よりも、“お互いを愛しあいなさい”の教えの方が尊い」と。同性愛者だからと言って、殺すのは間違っている。聖書よりも、自分自身信じている事、「人間はお互い大切な存在である」という感情が、同性愛者の結婚を認める方向へつながっている。イスラム教は、神の命令を守る事に意識を集中させているから、それが出来ない。

 結局。大事なのは、“神の命令”より、“今自分が何を感じているのか”なのである。『感情は魂の言語だ』という。“神の命令”を守ろうとする人達は、その“感情”を無視し、結局、それは“魂を無視しているのと同じである”と言う事になる。“魂”を無視する自称“宗教”が上手くいかないのは、当たり前の事ではないか。

 

 一番大事なのは、自己で、その次が、家族で、その次が、自分の周りにいる人達だと思う。1番目が実現出来ない人が、2番目が実現出来るであろうか。2番目が実現出来ていない人の、3番目が実現出来るであろうかと思う。他者を大事にしたければ、まず、自分の事を大事にしないと。

 

 なんで、自分の“感じている事”よりも、“神の命令”の方が、“大事である”と考えるのか。そこが、最大の問題であると思う。

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客観的観察なんて

2012-06-19 17:14:26 | Weblog

 客観的観察なんて、存在しないのだね。

 

 『北欧の人達が、幸福度が高いのは、~(省略)』とか言っている人がいるが。本当は、それが真実かどうかは分からないのだよね。

 外国人が、日本のホームレスに取材をしても、日本のホームレスの人達の本当に感じている不幸について、ほとんど実体的感覚として、理解出来ないのと同じ事で。

 

 目に見えるすべての事は、自分の認識が反映しているだけの事なのである。

 ある作家が書いていました。『カンボジアに行って。「ここの人達は幸福だね」と言うと。現地ガイドの人は言った。「それはあなたが幸福だからです。彼らは全然幸せではありません。川の増水にも常に怯えて生活しています」』と。

 アジアの発展途上国の人達の事を見て。『彼らには、日本人にない笑顔がある』という意見に反対している人がいます。でも、多分、日本から訪れたテレビ局等のスタッフにはそう見えるのでしょう。その意見に反対している人は言います。『彼らは、親に農作業で、学校にも行けず、こき使われるのが嫌で、都市部へ逃げてきた、ホームレスの子どもです。彼らが、塾に追われている日本の子ども達より、幸福だと言ったら、彼らの親はどう思うであろうか』と。

 

 認識なんて、当てにならない。

 

 ここまで書いてきて。私はなぜこんなことを書いてしまうのだろうかと考えた。

 

『日本人は不幸だ』と主張する自称知識人の人達が大勢いる。でも、それは、『ただ、あなたが不幸を感じているからです』だけのせいではないのか。

 その人達が、『日本人は不幸だ』という客観的とされるデータについて色々言う。でも、そんな事は本当の理由にはならない。「どんな不幸な目にあっても、自分は幸福な人間である事を選ぶ」。それが本当の人としての道ではないかと思う。

 条件付きの愛が、本当の愛ではないように。条件付きの幸福も本当の幸福ではない。

 「何があっても、幸福な人間であることを選ぶ」のか。それとも、「あれが達成、実現出来ていないから、私は不幸なのである」という道を選ぶのか。そのどちらを選ぶかの、選択ではないのか。

 

 バブル期に作られた、槇原さんの『どんなときも』の歌詞は、『昔は良かったねと。いつも口にしながら、生きていくのは、本当に嫌な事だから』である。

 自分の不幸を嘆きながら、人生を生きる事を選択するのか。それとも、自分の幸福に感謝しながら、生きるのか。その二つの道があると思う。

 愚痴ばっかり言いながら、生きる人とは一緒に生きたくありません。ただ、それだけの話だと思う。

 

 結局、客観的事実は関係なく。不満だらけの人は口実を挙げて、不満を並べるだけの事である。不満には意味がないし。客観的事実は、ただの、自己認識の口実に過ぎないのである。

 

 本当はもっと怒っても良いのかも知れない。「なんで、そんなに、恵まれた状況なのに、あなたは、不幸を感じているの?」と。

 誰だって、多少の問題は抱えている。当たり前の事である。男性には男性なりの悩みがあり、女性には女性なりの悩みがある。完全に何の問題も抱えていない人なんて、存在しない。金持ちには金持ちなりの悩みがあり、貧乏人には貧乏人なりの悩みがあるのである。それに、自分には自分の人生を生きる事しか出来ない。今ある条件の最大限の努力をすること、努力出来ないなら出来ないなりの、その時点で、最善と思われる選択を、誠実に選択していく事しか、一人の人間としては、出来ない。麻薬を吸った所で、問題は解決しない事は、大抵の人が知っている。今までの人生と自己が全部チャラ(取り消し)になるような、選択なんて、実現出来ないなんて事は、普通の人は知っている。ただ、その時点で、最善と思われる選択をし続けるしか、ないのである。そんな事は、“当たり前”の事だから。

 

 嫌だと思って、外国に逃げても、外国なりの人生、問題がある。そんな事は“当たり前”の事だから。

 逃げても良いのだ。でも、“認識する自己”からは逃れる事が出来ない訳で。

 

 『私が変われば、世界が変わる』。正確には、「私が変われば、私が“認識する”世界が変わる」だけれども。不幸を、“世界”のせいにしていても、意味がない。不幸は、“認識するあなた”に問題がある訳で。

 

 バーシャルは言う。『社会とあなたと何の関係があるのですか』と。

 世界が、あなたに不幸を与えようとしていても。あなたは幸福である事を選ぶ。それが、本当の人としての道ではないかと思う。

 

 『バーシャルの言っている事は、レベルが低い』と言っている人達がいることは知っています。でも、“幸福になる事”、自分を“幸福な人間にさせる事”は、決して、レベルの低い事ではないと思う。自分を“幸福な人間であること”にさせる事は、とても重要な人生の仕事だと思う。

 

 『NOと言える日本』という本が昔売れていました。でも、人に対して、『NO』を言えない人達が大勢います。なぜか。その人達の思考の中で、『相手から、嫌われたら、困る』という思考があるからである。

 ある種の矛盾と感じる人もいるのかも知れないが。人間関係で、幸福を感じられるような人間にする方法は、「私を嫌いになる人もいる」という認識を持つことにあると思う。「すべての人から好かれる事は出来ない」と。それでないと、“すべての人から好かれよう”として、右往左往する事になるから、と言う事で。大体、人間というのは、元々、「すべての人、存在から、好かれるようには出来ていない」ということで。

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そりゃ、新聞読まない訳だよ

2012-06-19 17:12:27 | Weblog

 今日(2012年6月18日)読売新聞を読む機会を得た。

 書いてある内容めちゃくちゃですね。

 『原子力発電所を40年で廃炉にするという、政府方針は間違っている』と。『なぜなら、40年で廃炉にしたら、その代わりとなる、太陽光発電投資に、莫大な金がいるから』だって。

 別に、40年で廃炉にするのは、当然である。大体、世の中に、40年もの長期間使い続けるようなものはめったにない。家だって、40年経てば、それそろ、建て替えどきであろう。少なくとも、日本の場合は。原子炉は、家のように、技術革新がないような代物ではない。「40年経てば、新しい、原子炉を作れば良いだけではないか」と思う。誰だって、それぐらい思いつくよね。でも、その事実を書かないのが、日本における最大の売上部数を誇る新聞社であるらしい、と。

 そりゃ、みんな、新聞読まないよ。ネットの方が、まともな情報得られるもの。

 

 他の記事も酷い内容であった。

 『社会保障費の支出グラフと、社会保障の収入グラフを載せて』言う。『社会保障費の支出の増加に比べて、社会保障の収入は増えていない。だから。消費税率は15%にしなければならない』だって。

 「だったら、国民年金の半分は、税金だから。厚生・共済年金の月の受給額が10万円以上とかの人は、国民年金分を半分とかにしろよ」と思う。普通、そう思うよね。特に、若い世代の人達は。それを、消費税の増税で解決しようとするのは、一体、どういう意図があるのだろうか、と不思議に思う。そりゃ、若い人達、新聞を読まないよと思う。ネットの方が、まともな情報が入るもの、と。

 

 ちなみに。ノキアの格付けが、投資不適格になったという情報は、朝日新聞にも、毎日新聞にも、読売新聞にも載っていなかったね。まあ、別の日に載っていたら、良いのだけれども。

 

 新聞の方が、ネットより、まともなメディアではないと分かっている人達が大勢いる時代に。何故に、新聞を読めというのだろうか。意味不明の極みである。本当に。困った話だと思う。

 

 まあ、「新聞は、批判精神を養うための、メディアなのである」というなら、それで良いとしよう。要するに、「不満しか思いつかないけれども。あまりにも、馬鹿さ加減に嫌気がさすけれども。それでも、そう感じる事に意義があるのである」と言えば、そうなのかも知れない。腹が立つので、日経新聞は読まない事にしているが。

 

 ネットの方が、まともな情報源なのである。それが、今の状況である、ということで。

 馬鹿なのは、ネットの方ではなく、新聞社の方なのである。そこに気がつかないといけないのではないか、と。私は思うのだけれどもねえ。

 

 ノキアが投資不適格になった。でも、ネットで調べる限りでは、世界シェアは、1位から、2位に滑り落ちたぐらいらしい。まあ、難しい解説を書く人がいるが。それで、投資不適格になるなんて。よほど、利幅(利益率)が低かったということであろう。

 

 ガラパゴス携帯で良いのだよ。それで、利益が上がっているなら。『企業の役目は法人税を納める事である』と言っていた日本の企業家がいた。

 マスコミの連中がすぐに、“日本という名前を売る事”を、正しい事だと言う。

 でも、msnによれば、日本の韓流ブームの儲けはほとんど、日本に入っているらしい。千と千尋の神隠しのアメリカでの収入のほとんどが、ディズニーに入っているのと一緒なのであろう。

 まあ、前々から、韓流ブームは、日本のテレビ局の利益になるから、やっているのではないか、と疑っていたが。それが、事実であった訳で。

 

 先進国の役割は、次々と、新しい商品を生み出していく事にあると思う。“機能を絞った”商品なんて、発展途上国向けの商品の話だと思う。後は、先進国で言えば、高齢者向けとか。先進国の企業が“機能を絞った”商品をメイン(看板)商品に備える、それは、もう、企業としての歴史が終わったと見なければならないと思う。賞味期限切れの商品が、売上の大多数を占めています、というものだからして。

 

 新しい商品を次々と生み出していくのは、難しいね。多分、大抵の企業家がそう考えている。チャレンジ(挑戦)を放棄して、過去のブランド、過去売れた商品に頼って、やって行く事の方が、よほど簡単である。

 しかし、チャレンジをあきらめた瞬間に、新しい未来は、封じ込められてしまう。

 結局、他人というか、消費者は勝手な事を言う。でも、本当は、新しいものを生み続ける事は、生産者にとって、とても、大変な事である、ということで。

 

 今まで稼いだ富で、悠々自適の生活を送る。その方がよほど簡単な事である。で、それをやっているのが、今のアメリカと、ヨーロッパである、ということで。

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ノキア社が投資不適格に 追記2

2012-06-19 17:10:54 | Weblog

追記 2

 しかし、日本の家電メーカって、昔もそんなに革新的製品を生み出していた訳ではないような気がするが。その本の作者が例に挙げていたのは。“ウォークマン”とか、“使い切りカメラ”とか、“Gショック”とか、その辺りだけれども。別に技術的には、どうでも良いというか。アメリカが作った製品の改良版でしょう? “小さくて、軽くて”なんて、普通の日本人なら思いつく話だし。“Gショック”も、ただ単に、『高い所から、落としても、壊れません』だけだし。「想像すらしなかった、素晴らしい未来」をもたらしたような製品ではないと思うが。

 インターネットとかは、インターネットが浸透する、50年ほど前には、誰も予測していなかったものだから。革新的(しかし、元はアメリカの軍事技術であるが)なのだろうけれども。なんか、そこの所微妙なのだよね。「アメリカが元の技術を開発していたからの、発明でしょう」と。もっとも、そんな事を言えば。真のオリジナリティ(独自性)なんていうものは、めったにない事になるが。

 

 利益をあげれば、成功なのか。名前を売れば成功なのか。でも、本当は、最初の概念を作った人が偉い。それが、欧米人的思考だから。

 

 まあ。補足的に。

 

 まあ、さ。別に、欧米人の価値観が正しいと言う訳ではないのだろうけれども。

 結局、(日本の)マスコミが考えている意見と、私の意見が合わないだけで。

 

 欧米人は、たまごっちの発案者に全然お金が入っていない日本社会に、カラオケ発明者に、お金も名誉も入っていない日本社会に、青色発光ダイオードの発明者に全然お金が入っていない日本社会に。白い目を向けている事実は忘れてはいけないと思う。

 

 聖書にはこう書かれているそうである。『まず、最初に言葉ありき。言葉は神と共にあった』と。

 つまり、『まず、最初に概念ありき』ということである。そして、その概念通りに宇宙が作られた、と。それが、キリスト教徒・ユダヤ教徒の思考な訳で。

 数学者の世界では。『問題を作ったものが偉い。問題を解いた人は、そんなに偉くない』という考えがある。

 ある数学的難問を提示した人が偉くて。その難問を解いた人はそれほど偉くないという意味である。

 

 別に、数学がどうのこうのではなく。ただ単に、日本のマスコミの意見と私の意見が合わないだけだと思うが。

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ノキア社が投資不適格に 追記

2012-06-19 17:09:20 | Weblog

追記

 なんか、外国が儲けていると、褒めるくせに。日本が儲けていると褒めない傾向があるよなと思う。ノアキ社の件だって。ちゃんと考えれば、分かるはずなのに。『先進国が、シンプル携帯作って、持続的に儲けられるはずがない』くらいの事は。

 シンプルにして、儲けられるのは、後発企業国の利益である。日本の使い切りカメラが、大儲け出来たのは、最初のカメラに関する技術的土台が、アメリカで作られたものだからして。

 シンプルにして儲けてしまったら。後、それ以上する事がない。技術としては、それですべて完成品になってしまうのだからして。後は、金を張り付けて(実際、ノアキ社はそれもやっていたが)携帯に変な、デコレーションをして儲けるしか、ないのである。技術としては、それ以上の事はやりようがないということで。

 

 『日本の時計メーカの売上は多いが、利益は、スイスの時計メーカの方が多い』と言っている人がいる。でも、技術は、日本の時計の方が上だから。

 ヨーロッパ企業って、アンティーク(古美術品)なのだよね。アメリカや日本、その他のアジアの国が、研究して、既に終わってしまった技術を使って、『これは、一個、一個、作るのに、とても時間が掛った製品ですよ』と言って売っているのが、ヨーロッパの企業。競争から降りて。『時間を掛けて作りましたよ』と言って売っているのが、ヨーロッパの企業。確かに利益は高いかも知れないが。それでは、未来は作れない。ただの古美術品を売っているだけのようなものだからして。

 

 今得ている、利益だけで、物事を見ていると。本質を見損なうと思う。新しい技術を生み出しているのは、どこかと言う事で判断しないと。

 

 言っては何だけど。新しい技術を生み出しているアメリカや日本という先進国は、不正というか、資本主義的過ちが多い。『汚らしい金が』とか言いたくなる事例が多い、という事だけれども。

 でも、きれいごと、きれいなお金だけ、では、経済は発展していかない。

 日本やアメリカでは、不正に関する批判が山ほどある。人が多いせいもあるのだろうけれども。色々、人々がうるさい。その点ヨーロッパはスマートである。でも。正論、正しい意見だけでは、世の中は変化していかないということで。変化が激しいのは、やはり、色々、議論がある国だと思う。議論なしで、美しく見えるだけの国は、やはり後追い国家なのである、ということで。

 

 共産主義の過ちが明白になった。でも、1950年代頃は、軍事独裁政権で、それに関する批判が山ほど国外に漏れる韓国よりも、批判が外に漏れない北朝鮮を正しい国であるという人達が大勢いたのである。でも、本当は、批判が外部に漏れない国の方が、あやしい国である、ということで。

 

 日本とアメリカは、国民負担率が低い。つまり、政府によるお金の支配が少なく、資本主義がお金を支配する割合が高い国であると言えると思う。そして、結局、新しい技術を作ってきたのは、この二つの国であったということで。

 一見美しく見える国は、新しい技術革新を生み出す事は出来ない。ちなみに。韓国も、国民負担率が低い。だから。韓国に関する過ちの意見は山ほど、外部に漏れていても、韓国の企業は、技術革新を生み出す事が出来るのだと思う。

 

 一つの正論のみでは未来は開けない。たくさんの人達が、それぞれに、勝手な正論を主張する事によって、未来は開けると言う事で。どんな新技術も、批判とは無縁にいられないし。

 『新しい技術が安全かどうか完全なテストをするまでは、市場に出すべきではない』と主張している人達がいるが。それでは、新しい未来が来るのが、だいぶ、遅れてしまう。大体、“完全なテスト”なるものは、存在しない訳で。それが、最大の問題なのだけれども。「フロンガスが、オゾン層破壊につながると誰が、予測出来たか」と。我々に出来る事は、過ちを見つけたら、直ちに、過ちを正す事しか出来ない。その認識に立つべきだと思う。

 

 “資本主義的猥雑さ(過ち)”を取りはらって、新しい技術革新を起こす事は出来ない、ということだと思う。

 

 “完璧なシンメトリー(左右対称)”では未来は来ない、と。資本主義的猥雑さにこそ、未来はある、と。

 資本主義に犠牲者はつきものだ。「どんなに頑張っても、ホームレスをゼロにすることは出来ない」と。それこそに、資本主義的正しさがあるのだからして。

 ちなみに。日本人の幸福度が世界的に見て、低いと言われているが。富の配分が、“皆同じ”ではないからだと思う。つまり、本質的に、富の配分が不平等だからである。でも、“皆同じでない”事、こそが、正義なのでしょうね。

 「神の正しさは不完全さのうちに現れる」とも言う。不平不満の中にこそ、未来への種がある、と。不平不満を感じない人間には、新しい未来を築けないと。

 

 「不平不満を歓迎しなさい。それことにこそ未来へつながる道があるのだから」と。

 皆不平不満がなくなれば。歴史はそこで終了する。皆幸せな世界が出来たら、人類の歴史は、それで終わりなのだ。不平不満があるからこそ、新しい技術が出来てくる。そういう話だと思う。

 

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