暇つぶしです

私が思いついた事を書くだけのブログです。

人から気に入られる事を

2012-07-22 14:21:10 | Weblog

 人から気に入られる事を目的化すると、不幸を感じる人生を生きる結果になるような気がするのだよね。

 どんな意見でも、すべての人の称賛を得る事は、難しい。不可能であろうと思う。

 『有名人になりたい』と望んでいたとして。有名人になると、批判する誰かからは逃れる事が出来ない訳で。それならば、何も提案せず、何も行動せず、ただ、他者からの願い事を聞くだけの存在になりたいと、望む人もいるのだろう、と思う。

 

 心の中に怒りを抱えて生きている人達がいます。自分には、世界を変える何の力も持っていないのである、と信じている人達がいます。

 

 自分を表現する事。それは、幸福を感じる人生を生きる為の、重要なステップ(段階)なのだけれども。それを、否定して生きている人達がいます。

 飲み会を、日頃言えない憂さ晴らしの場にしてはいけないと思うし。憂さ晴らしをインターネットでしか言えない自分という状態にしてはいけないと思う。

 

 『他者を、行動の規範にすると、訳が分からなくなる』と言っている存在がいます。

 “本来の自分”を充分に表現する事。それが、生きる目的ではないかと思う。

 “他者”から、気に入られる事ばかりを、目的化すると、結局、何も出来なくなって、不幸を感じる人生を生きる事になると思う。

 すべての人からの称賛を得る事は本質的に不可能だからして。

 

 “自然な自分自身”を表現する事。それが、人生の存在する目的であると言っている存在がいます。

 

 何が正解で何が間違いかなんて、その時点では分からない。でも、結局の所は、その時点において、正しいと思う事をやり続けるしか他に方法はないのではないかと思う。

 

 あらゆる技術について。後世でどう評価されるかは分からない。

 原住民の文化を破壊し、原住民を殺したのは、間違った行為であったかも知れない。

 でも、その時点において、正しいと思う行為をしたのでしょう? ならば、その時点においては、正しいと思う行為をした、というしかないと思う。例え、後世において、間違いであった行為として、判断される行為であったとしても。

 

 不満を抱くだけの人間であることは、ある意味楽な事である。何もしないということだから。でも、行為を起こす側の人間になれば。おそらく批判者は山ほどいるであろう。最初は、批判されるかも知れないし。最初は称賛されていても、後で、批判されるかも知れない。どういう批判が出てくるかは分からない。でも、何かを行動する側に立たない限りは、一生、不満と愚痴を持ったまま、人生を生きる事になると思う。そういう気がするのだけれども。

 

 “人の為になる行為”をする事は良い事であると思う。でも、自分自身が、“人の為になる行為”をしたとしても、相手や、世間の人達が、称賛してくれるとは限らない。

 ネットでは、ユニセフに対する批判がある。有名になれば、批判はつきものである。どんなに善行とその人自身が信じる行為であったとしても、他の人達が善行であると信じてくれるかどうかについては、分からないということだと思う。

 ナイチンゲールも、家族は、看護師になる事を反対したのである。

 批判を押し切ってでも、それが、自分がやりたい事であるか。そこが、あなたが、世界を変えられる側に立てるかどうかの問題だと思う。

 

 何度も書くが。すべての人からの称賛を得る事は不可能である、と。行動する側に立つのであれば、他者からの批判については、逃れる事が出来ない。そこが、『他者を行動の規範にすると訳が分からなくなる』という言葉の意味する所だと思う。

 

 何も行動を起こさない側の人達の事を、善の側の人間であると言う事は出来ないと思う。後世で批判されても良いから、行動する側に立て、と。結局の所はそう言う事だと思う。

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パワーを持つ事に

2012-07-22 14:18:56 | Weblog

 パワー(力)を持つ事に否定的な人達がいるのだよね。

 そして、自分が、力を持つ存在である事が信じられない人達がいるのだよね。

 いつも、愚痴ばっかり言っている人達は、自分には世界を変えるだけの力がないと信じている。

 本当は、すべての人に世界を変えるだけの力があるのに。それを、信じられない人達がいる。

 

 シンプルに実行して見れば良い。アイデアだけの愚痴はいらない。とりあえず提案してみれば、良い。反対意見もあるであろうが。何らかの形で、その案は実行されるであろう、と言う事で。

 

 『新しい歴史教科書を作る会』の運動で。『新しい歴史教科書』を採択させる事には、完全に失敗した。しかし、この人達と反対の意見を持つ、左翼系の歴史教科書の採択数を大幅に減らす事に成功した。

 行動をして、すべて自分の思い通りになると言う事は、ないかも知れないけれども。何らかの形で、あなたの行動は周囲に影響を与える。どんな形であれ。

 

 橋本さんは、とりあえず提案をしている。実行段階では、妥協もあったとしても。とりあえず、提案はしている。

 何でもかんでも、自分の思い通りにする事、させる事は、善ではないと思うが。とりあえず、提案をしてみる。そうすることによって、世界は、変わると言う事で。

 

 自分のパワーを信じないで。面白そうな提案を黙っていて、自分の中で、愚痴を貯めているだけの人達がいる。そういう人達には言いたい。「とりあえず、提案をして、やってみる側に立てば」と。そこからでないと、世界は変わらないと言う事で。

 

 『言われた仕事を選ばないで引き受ける事』を、仕事で、出世する秘訣だと言っている人がいます。『使えない人間というのはいないが、仕事を選ぶ人がいる。そういうは結局、出世出来ない』と。

 そして、その人は、『居酒屋でしか、提案が出来ない人間になるな』と言っている。『居酒屋で言う提案は素晴らしいのに。それを、会社で生かせない人間がいる。そういう人間はダメ人間である』と書いている。

 

 提案したら、拒否される場合もあるであろう。

 『上司とお酒を飲んで、ストレス解消になるのは、上司だけである。今の30代は、昼休みに、カフェに行きたいと望んでいる』とか言っている人がいたらしいが。

 実際に、実行しようとして、提案したら、恐らく、30代の人達にも、拒否されるであろう。でも、それでも、提案してみない事には始まらない。愚痴愚痴言うのは、一番の無駄だと思う。

 

 何でも、被害者意識で生きる側になるな、と思う。とりあえず、提案してみる側になれ、と。

 やりたい事は、何でも、やってみるのが人生である。『どうせ、やってみても一緒だから』と言って、愚痴りながら、人生を生きるのは、一番の無駄だと思う。

 

 人間は、力を持つ、霊的存在なのである。

 ある人が、出来るだけの力を、すべての人が持っている。

 

 『政治家はダメな人生で、修道者は偉大な人生だ』という意見は馬鹿げた意見だと思う。世界に対して、ほとんど何も影響を与えない人の方が偉大な存在であると言う事はありえないと思う。

 

 皆、権力者を嫌う。金持ちを嫌う。なぜなら、彼らは、力を持つ存在だから。

 でも、本当は誰もが、権力者になりえるし、金持ちになりえる。

 権力者と、金持ちを嫌っている人達は、自分の中にある、権力者と金持ちになる要素、すなわち、自分の中にある、パワー(力)を否定しているのと、同じ事であると思う。

 

 まあ、『スポーツ選手は偉大で、それに比べて、政治家は』とか言う人達は多い。でも、政治家の方が偉大な存在である。スポーツ選手なんて、誰が勝とうが負けようが、世界に対しては何の影響も及ぼさない訳で。

 

 研究者が金持ちになったら、困るのだろうかと思う。研究者は金持ちになっても良いと思う。でも、医学的研究者が金持ちになったら、困る、というのが、今の日本人と日本政府の思考だからして。でも、それは、間違った思考だと思う。本当に世界に対して、影響を与える人が、貧しい事が正しいと言う事はあり得ないと思う。

 今の医者は、本質的に無価値な事、美容整形とかの医者は大金持ちになって、本質的に価値がある事、薬の研究をしている研究者の人達が、貧乏になる傾向があるように思う。これではいけないと思うのだけれども。

 

 本当は、保険治療の方が、医学的価値は保証されていて。保険対象外の治療の方が、医学的価値は保証されていないのに。逆だと信じている人達がいる。そして、無駄なお金を使ってしまう、ということで。

 

 自分の中の力を信じなさい。それが、霊的な人間であり、霊的な人生を生きると言う事だと思う。

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自動思考

2012-07-22 14:17:26 | Weblog

 自動思考

 

 こんな文章ばっかり書いているけれども。別に意図的に、“考えている”訳ではないと思う。思考の8割は自動思考である。ある本には、思考のうち8割は自動思考であると書かれていた。意識して、考えている、思考というのは、2割に過ぎないと言う。そして、多分、その自動思考が幸福な思考であるのならば、人生の8割は幸福であろう。そして、自動思考が不幸な思考であるのならば、人生の8割は不幸であろう。何の思考が浮かんでくるかについては、8割以上は制御出来ない。まあ、私の書いている文章の8割は自動思考だと思う。

 

 『数学とかの勉強が出来なくなるから』という理由で、空想小説を禁じている親がいるらしいのだよね。でも、今言われている、“科学”なんていうのは、本来の宇宙に備わっている科学からすればほんの一側面に過ぎないと思う。

 小説家になるのだって。IT技術者になるのだって。最初の自分が想像した通りの結論になるのであれば、そんな小説はつまらないと思う。色々研究した結果、研究する前には想像もつかなかった結果・結論が出るから、科学研究というのは止められない。自分が意識した範囲の結果であるならば、別に、『それは当り前の事だね』で終わるから、推理作家にもなれないし、ノーベル賞も取れないと思う。最初に(読者が?)意図していなかった結果になるから、素晴らしい小説になるし、素晴らしい科学的発明・発見になるのだと思う。

 

 考える事は面白いけれども。最初に想像もしていなかった結論が出てくる。それが、思考の面白い所だと思う。

 

 “意図しない結果”にこそ、面白い未来が待っているということで。

 

 人生をすべて、コントロール、すなわち、最初の意図通り、子どもの頃望んだ通りにするのは、不可能であると思う。

 色んな変動要素がある。どんな人も、どんな存在も、完全な未来予知は出来ていない。偉大なる予言者は存在していない。

 橋本さんが、次期首相候補になるなんて、橋本さんが弁護士をやっていた頃には、誰も予想していなかったであろうと思う。個人の未来予測すら不可能なのに。世界の未来予測なんて、出来るはずがない。

 論理的理論の積み重ねの上に、想像すらしていなかった、予想もしていなかった結論が出る。それが科学というものである。

 

 予言する人だって、本当は、未来の事なんて見えていないと思う。今のエネルギーを読んでいるだけだと思う。

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人生/生命

2012-07-22 14:15:56 | Weblog

 『人間にとって関心のある事は、間違いようがない。人生/生命だ。神にとっても同じなのに、神は人生/生命よりも大きなものに関心を寄せていると想像し、その為に、人生/生命を粗末にして許されると考えている』と言われれば、反論しようがないのだよね。

 

 多分、“自分が感じる事”より、“神の教え”、“社会が言っている事”を重視する事に、問題の原因があるように思う。本当は、“神の教え”、“社会が言っている事”より、“自分の感じる事”を重視しなければならないのに。

 

 まあ、私は、普通の人間ではないかも知れない。“社会が言っている事”よりも、“自分が感じる事”を、正しい事である、と言って来た人間なので。多分、普通の人間というのは、“社会が言っている事”に対して、疑問を抱かない人間の事なのであろうと思う。

 中学校の時に、「日本の歴史教科書は間違っている」と考えて、『信じない人は地獄に落とす』という、キリスト教の教義を受け入れられない人間とか、「今の科学は千年後の人達から見れば、子どものおもちゃのようなものであろう」とか、「人間だけを他の生き物と違った特別な存在であるという考えは間違っている」と思って、考えている人間というのは、多分、普通の人間ではないのであろう。

 

 うーん。

 でも、『あなた方は皆特別な存在である』という意味は。本来的、本質的、生まれながらにして、社会の意見とは、異なる意見をすべての人が持っていると言う事だと思う。人には言わないだけである。皆、社会の意見と異なる部分の個人的意見は持っているが、隠しているだけで。すべての人が、『私は他とは違う特別な存在である』という認識は持っていると思う。“私”と、全く同じ思考を持つ存在は、一人としていない。そんな事は、大抵の人達が、言葉にしないだけで思っていると思う。

 

 “みんな同じ”はあり得ない。それは、ただの社会が要請する事に過ぎないから。

 

 “みんな同じ”という言葉を教えたのは、小学校の先生でした。小学校の先生は大変だ。1クラス35人に近い人間を、“みんな大人しく”先生の言う事を聞くような状態にさせなければならないのだから。先生にとっては、“みんな同じ”く、大人しい人間の状態にさせる事は望ましい状態である。

 アメリカでは、教育(エデュケーション)は“引き出す”という意味らしい。アメリカは、才能という言葉が大好きである。元々生まれながらにあった才能を引き出す状態にもっていくのが、アメリカの教育の目的らしい、と。

 だから、アメリカでは一般大衆は日本人より馬鹿だけど。一部のエリートはアメリカの方が優秀であるということで。

 “みんなに合わせる事”を目的化すると、その人自身の個性を引き出す事は難しいと思う。

 アメリカは元々、生まれながらに持っていた、個性を引き出す事に成功している。でも、才能のない、一般大衆については、どうでも良い事みたいな感じである。

 

 本当に、“その人自身が持っている本来の個性”を引き出そうと思えば、少人数教育にせざるを得ない。もっと言うと、一人の生徒にたくさんの教師。それが、一番望ましい。

 もちろん、そんなことは不可能だから。アメリカでは、多数派である一般庶民への教育が行きとどかなくなると言う事で。

 

 インターネットは面白いね。ゲイ(同性愛)の人が、同じ同性愛者の友達を作る事が出来る。どんなマイナーな情報でも、ネットでは情報が出てくる。マス・メディアには、こんな事は不可能である。だから。アメリカ人のインターネット開発者達は、インターネットは民主主義のメディア、反権力のメディアだと言っていた。

 

 『別に“社会”の言っている事と意見が一致しなくて良いよ』というのが、今起きている状態なのだと思う。“社会の言う事”に“あなた”の言っている事を一致させる必要はない、と。それが、今、起きている現象なのである、ということで。

 

 『IT社会の到来で、共産主義は崩壊するであろう』と、予言した人がいました。

 アメリカ人キリスト教徒が願っている事は、『インターネットの浸透で、イスラム教と軍事独裁政権が崩壊する事』なのである。

 

 『インターネットは、自分自身とつながりたいという欲望から生まれてきました』と言っている存在がいます。

 インターネットでは、様々な自己と繋がる事が出来る。自分が検索する情報。それは、すべて、自分自身の一つの側面だと思う。

 

 イスラム教の国では、同性愛者は、死刑になるらしい、と。

 だから、イスラム教の国では、インターネットを脅威であると思うでしょうね。なぜなら、インターネットでは、同性愛者が同性愛者と繋がる事が出来るので。

 『男性と女性的な部分その両方を自分自身として、認める事を、すべての人が出来るようになれば、男性と女性との争いは無くなります』と言っている存在がいます。

 結局、インターネットで検索して出てくる情報はすべて、自分の一つの側面なのです。全く、自分に存在しない側面については、多分、認識の範囲には入らないであろうから、ということで。

 

 すべての人には、色々な側面がある。悪魔の側面があれば、神の側面がある。自分の中に悪魔の側面があって、神の側面もあること。その両方、自分自身のものとして、認めてあげること。それにこそ、神になる道があるのではないかと。

 

 イスラム教は切り捨ての思想だと思う。自分達の悪魔の部分については。『これはダメだ。死刑に値する』という。でも、それらは、自分の一つの側面なのである。その事に気付くべきだと思う。結局、人生/生命を尊重していない。自分を尊重していないからである。

 

 キリストの教えとして。『あなた方の中から、罪を犯した事のない人が、まずこの人の事を打ちなさい』という言葉がある。聖書は言う。『キリストがそう言うと。皆その場から離れていき、誰もその人の事を打つものはいなかった』と。

 

 自分達の一側面について。これは悪だと、これは善だという。そして、悪は、自分達とは、別の存在のものである、という。

 インターネットで、繋がる事は、すべて、自分の一側面である。境界なんて引けない。夕焼けを見て、青い空の部分と、赤い空の部分の境界線を引けるだろうかと思う。

 

 終末論に関する本を読んだ事がある。悪の部分を除いていって、除いていったら、ごく少数のものしか残らない。本当に厳密にイスラム教で死刑にすべき人を皆死刑にしていったら、残る人は、ほんのわずかであろう。でも、にも関わらず、自分達は、善の側にいると、想像する。それが、過ちの原因なのに。

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拡大する霊性

2012-07-22 14:14:26 | Weblog

 拡大する宗教が科学だと思うのだけれども。

 イスラム教は、静止している。イランの宗教者達は、『ネクタイの販売を禁止』しているけれども。本当にイスラムの教えの中に、『ネクタイの販売を禁止する』条項があるのだろかと思う。イランの宗教者達の言うように、ただ単に理由は、『欧米文明のものだから禁止』すなわち、『新しい文化の流入を禁止』しているだけではないだろうか、と。

 

 IT企業で働く事は大変らしい。アメリカのIT企業では、OJTは行わないらしい。OJTとは、新入社員が、先に会社に入った人に仕事を教えてもらう研修の事である。アメリカのIT企業では、新入社員が、先に会社に入った人に、新しい技術について、教えるらしい、と。

 IT企業が大変だというのは、常に、新しい技術について、勉強していかなければならないからである。それでないと、ずっと一線で仕事をし続ける事は不可能であるらしいということで。

 まあ、現実はそうは上手くはいかずに。日本のIT企業の平均在職年数は数年とからしいけれども。つまり、大学で学んだ知識が終わってしまったら、もう退社というのが、普通である、と言う事で。(詳しくは知らないけれども。)

 

 新しい知識を常に入れていくのは、難しい。普通の人間にとっては、大変な事である。だから、権力を握った人達の側は、“古い”教えを大切にしろ、と叫ぶ。そしたら、自分達は、何も、学ばなくても済むから。

 

 新しい霊性(スピリチュアルリティ)とは、「あなたには、常に学ばなければならない事がありますよ」と言う事ではないかと思う。

 『もう、私が学ぶべき事はすべて学び終えたのだ』と言う事はない、と。それが、新たな霊性というものではないか、と。

 

 イスラム教徒は、経済発展することに、成功出来ていない。それは、新しいものを取り入れようという意欲がないからである。新しいものを、『西洋文化のものである』と言って、拒否する。それでは、新しい未来は来ないだろうと思う。「いつまでも、遊牧民していろよ」と思う。彼らの言っている事というのは、結局そういう事なのだと思う。

 

 『アメリカ・インディアンの教え』とか言って、滅びそうな民族の思想を正しい思想であるかのように言う人達がいるが。滅びそうな民族の思想を素晴らしい思想であると言っても、しょうがないと思う。むしろ、先進国である、アメリカやヨーロッパや、日本に、素晴らしい思想があるのではないか、と見ていった方が良いのではないかと思う。清貧はあまり良い事ではないと思う。選択してそれをしているのであれば、良いが、選択せざるを得なくて、それをしているのは不幸だと思う。100万円のお金があって、ブランド物を買わないのは、幸せかも知れないが。欲しいのに、1000円のお金しかなくて、買えないでいるのは、不幸だと思う。見かけは同じように見えたとしても、感じている事は全然違う訳だから。そこを無視してはいけないと思う。

 

 理論通りにはいかない。平和主義者を自称していたとしても、平和主義者ゆえに、政府が軍隊を持つ事には、賛成しなければならない。それが、自国の平和を守る為だからして。

 

 “現実”というものは色々な事を教えてくれる。その“現実”が教える事に、目をつぶってはいけないと思う。“他者”の意見を全く無視するのは良くない。他者の意見の中には、神からの言葉が混じっているからして。だからと言って、他者からの意見のすべてが、素晴らしい意見ではないことは事実だけれども。

 

 “変化する世界”を“変化する自己、自分”が観察する。それが、“世界”というものだと思う。

 “ナチュナル・セルフ”(自然な自分自身)と言っても。「自分とは何者であるか」という定義も、自分が行動する事によって変わる。韓国に行けば、韓国は好きではない自分に出会うかも知れないし。散歩をすれば、散歩をするのが好きな自己に出会うかも知れないし。

 

 “拡大する自己”になる事。それが、人生/生命の目的だと思う。

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科学は欧米人の発明

2012-07-22 14:11:33 | Weblog

 科学は欧米人の発明だと思う。

 

 日本人は、技術には、興味があるけれども。科学には関心がない。

 欧米人が、科学を発展させられた理由として。『この宇宙をつらぬく、論理は何か』とい事に対する思考があるのだけれども。なぜ、欧米人だけが、科学を発明出来たのかについて、私は、まだ、分からない。

 

 日本人は思想はどうでも良いと思っている。日本にイスラム教徒が暮らしていると知っても、別に反感は抱かないけれども。ブルカをかぶっている人がいたら、多分、警察に通報されると思う。公園で、生きた子羊を殺していていたら、警察がやってくるらしい、と。

 ヤミ米を食べる事を禁止する法律があって。ヤミ米を食べずに、餓死した人は、ニュースになったらしい。結局、言っている事と、やっている事が、違う。

 アメリカ人なら、大抵が、言っている通りの事をやるのに。日本人は、言論と、実際の行動が違う。“軍隊を禁止する”憲法を持っていながら、軍隊を持つ。でも、だからと言って、『憲法を改正せよ』という意見は多数派の意見ではない。言論は言論としてあって、それがそのまま現実にならないどころか、むしろ現実の方が逆になったりする。それが、世界の人達から、日本の“核を持たない”という意向について、信じられていない理由だけれども。

 

 アメリカは理論が行き過ぎる。

 ティーパーティー(紅茶会)の人達は、“小さな政府を”と言って、皆保険に反対する。「何でも、理論通りにすれば良いというものではない」と思うのだけれども。アメリカ人はおうおうにして、行き過ぎる。

 でも、“世界をつらぬく理論がある”という思想がある。で、アメリカ人ばかりが、ノーベル賞を取る結果になっているのだけれども。

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競争しなければ

2012-07-22 14:09:11 | Weblog

 競争しなければ、欲しいものを手に入れられないという信念がある。今の就職状況の激化はこの信念を強化している。

 

 橋下さんの公務員改革は、公務員の給料を民間並みにすること、すなわち、GDPの減少計画であると思う。

 

 二つの流れがあって。普通の人は都会で、過労死寸前で働きながら、生活はやっとという生活をしている。その逆にテレビで映るのは、田舎暮らしで、自給自足で低収入、低支出という生活である。

 

 私達の社会は、高収入、高支出を理想の社会として来た。GDPの拡大を目指す社会とはそういうものである。

 

 マスコミの人達は、『日本の一人当たりのGDPはシンガポールに抜かされた』とダメな日本であると言う。

 その一方で、ブータンの人達は幸せだと言う。

 一体、どちらの社会を我々は目指すべき社会とすべきなのであろうかと思う。

 

 我々の社会はGDPの拡大、すなわち、高収入、高支出を善だとして来たのだけれども。低収入、低支出社会を我々は目指すべきではないかと思う。

 

 就職戦線の激化状態について、人々は当然の事のように見ている。でも、私は、「“努力しないで”幸せに生きていける方法が知りたい」。「“頑張る”のは、もう嫌なのだ」と言いたい。

 

 競争しないで、幸せに生きていける方法はないのだろうかと思う。我々はその方法を模索すべきではないかと思う。

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間違っていても良いから

2012-07-22 14:07:44 | Weblog

 『間違っていても良いから表現しなさい』ということかな。

 

 あるブログの記事である。(『幸福の科学 ブログ』で検索出来ます。)

『・高いレベルの教えを学んでいる人ほど、それを間違って伝えるのを恐れて、自分の言葉で語るのを躊躇してしまうかもしれません。しかし宇宙の真理は、あなた自身の言葉で語られるのを今か今かと待ちわびているものなのです。』

 

 自己表現する事はとても、大事な事であると思う。

 過去を間違いだと感じるのは、自分がその頃よりも、進歩し、知識が増えた証拠の可能性があると言う事で。

 「あなたに出来る限りの最大限の努力を」と思う。

 

 『「苦労した」という人は間違った人間。正しい人は「苦労掛けた」と言う』と。

 『間違った人は、過去の自分が素晴らしかったという。正しい人は、今の自分が人生の中で、一番、最高であると言う』と。

 千田琢哉さんの説明である。

 この説を信じるのであれば。「あの時は、こんな未熟な意見を言っていたのか」と嘆く必要はないと言う事である。「あの時は、こんな未熟な意見を言っていたのか」と感じるのは、その頃より、今のあなたが進歩している証拠で。

 『あの時の自分は偉大だったのに』と感じる人というのは、あの頃から、全然進歩していない、後退している証拠である、ということで。

 

 『過去の努力による知的な蓄積がどれだけあっても、それだけに頼っていたら、いつかは出がらしのお茶のような表現しか発信出来なくなってしまいます。頭のアップデートは毎日行うべき作業、1分1秒単位で新しいモノを吸収してもいいくらいです。』

 (引用元、さっきのブログ。ブログ名は、『幸福を呼ぶピア健さん癒しの異次元ブログ』)

 

 “変わる事”は、本来、簡単な事ではないような気がする。

 本当は、日本は、経済の縮小(ダウンサイジング)を行うべきなのに。それを、公式に、言論として、主張する経済評論家や政治評論家の人達は、私の知る限り、存在しないことを思うと。

 でも、自分にとって、“ワクワクする事”に従っていけば、簡単に変化出来ると言う事で。

 民主主義の利点は、“変化する事”が、今ある政治体制の中で、もっとも、容易な体制であり、それが、民主主義の最大で、最高の利点であると思う。

 イスラム教が(多分ユダヤ教も)過ちの理由は、“変化出来ない事”にあるのであって。それ以外に理由はないと思う。

 “理屈”は、“理屈”である。でも、人を納得させるには、“感情”における同意が必要である、ということで。

 橋下さんのブレイン(くっついている知識人)は、橋下さんの、改革の本質が全然分かっていないなと思う。橋下さんの改革の本質は、『公務員を民間のように』であり、『公務員の平均給料は民間の2倍』である事実からすれば、『公務員を民間の給料に合わせる政策の実行』は、『GDP縮小計画』に他ならないのに。『橋下さんの改革をすれば、経済は再び拡大します(経済成長します)』という幻想を、ふりまくのだからして。

 

 橋下さんにくっついている知識人でさえ、橋下さん改革の意味する所が、全然分かっていない事実からすると。

 でも、それでも、橋下さんについていけば、私達は、経済を縮小させ、1980年代頃の、『公務員の給料より、民間の給料が高かった』時代へ行く事が出来る、ということで。

 何でも、“絶対的真理”なんていうのはなくて。その場、その場における、最善と思われる行為があるだけである、ということで。

 

 前々から思っていたけれども。スピリチュアルリズムに興味、関心があるのに。なんで、(私は)書く事がこんなに厳しいのだろうかと思う。

 

 ちなみに。ナチス・ドイツのユダヤ人迫害を否定する人達がいるようだけれども。

 ユダヤ人迫害のアイデアは、ナチス・ドイツの独創的アイデアではない。ユダヤ人迫害は昔から、ヨーロッパで行われてきた事だから。

 ユダヤ人は昔から嫌われてきた。欧米人が、ナチス・ドイツによるユダヤ人撲滅行為に対して、否定的なのは、ナチスがユダヤ人をあまりにも殺しすぎて、ユダヤ人が、絶滅危惧種ぐらいになってしまったからのせいの気がする。どんなに凶暴な生き物でも、絶滅しそうになれば、『大事に保護しなければならない』というのが、人間である。それと一緒じゃないかなと思う。正直な人は、(今でも)『ユダヤ人は正しい存在ではない』と言っている。

 

 人間という生き物は、散々殺し合いをしないと、『戦争はダメだ』と分からない生き物なのかなと思う。

 

 第2次世界大戦後、日本は戦争を放棄し、それが、60年も続けることが出来たのは。第2次世界大戦で、散々悲惨な目にあっているからである。

 ドイツが、第2次世界大戦を仕掛ける羽目になったのは、第1次世界大戦敗北で、ドイツのGDPの20倍という天文学的賠償を課せられからである。今の、日本のGDPは500兆円だから、その20倍なら、1京円である。とても、払えない事は誰にでも分かる。ドイツのユダヤ人絶滅計画を否定するのであれば、第1次戦勝国のドイツに対して、多額の賠償金を課した国の人達ももっと、批判されるべきだと思う。みんな、『自分の価値観における、間違った行為はしないものだから』ということで。

 

 多分、はっきり言えば。「その当時のドイツ人は、その当時のドイツ人なりの最善の行為をした」と言う事が出来ると思う。ドイツ人がそういう行いを取らなかったら、他の欧米諸国の人達は、ドイツ人の感じている不幸に対して、無関心であったであろうということで。本来、ドイツをそういう状況に追い込んだ、他の欧米諸国の人達の行いの方こそ、責められるべきだと私は思う。なぜ、それを言わないで、『ドイツ人は間違っていました』というのだろうかと思う。他の欧米人の人達の行いの方が、ずっと過ちであったのに、と。

 

 私達は、『散々、間違いをした』が故に、正しいと思われる行いを取れるのではないか。まあ、正しいとか間違っているとかいうのは、その時代と、社会とが決めているだけの同意に過ぎないけれども。

 

 イスラム教の国で、まともな民主主義国家は存在しない事実について、我々は知っているのだけれども。“絶対的正義”“不変の正義と悪”が存在する信念、その信念が、“変化する”正義によって変わる、民主主義という体制を受け入れる事の出来ない要因になっているのではないかと思う。

 “変化”を受け入れる事。それが、私達が幸せに暮らしていくための秘訣であると思う。

 “悪”に対して、多額の賠償金を課しても、悪を増幅させるだけである、と。

 “過ちを犯す可能性のある自分”を受け入れる事によって、より正しい人間になる為の、道が開けるのではないかと思う。“神の見解”を“受け入れる、信じる”だけでは、進歩出来ないと。素早く進歩したければ、変化する自分というものを受け入れなさい、と。

 そんな気がするのだけれども。

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地獄は認識の中にある

2012-07-19 17:13:03 | Weblog

 『地獄は認識の中にある』

 

 『ガイドからの手助けを得るための方法は、感謝の念を持って生きる事です』と書いてある文章を見つけたが。ガイド、霊界からの援助は関係ないと思う。

 私が書いたのは、『感謝の念を持って生きている人と、不満ばっかり言って生きている人と、どちらの人間を採用したいと思うでしょうか』という言葉です。本当は、『感謝の念を持って生きる人生を選ぶのか、不満ばっかり言って生きる人生を生きるのか、あなたはどちらの選択をしますか』と書きたかったのだけれども。

 

 別に、“地獄”なんていうのはないと思う。でも、“地獄”を感じて生きている人達がいます。この世を、地獄のような世界であると認識して生きている人がいます。

 世界とは、ただの認識の問題に過ぎないと思う。

 

 二人の人間が散歩しています。一方は、頭の中で、物理学の事を考えながら歩いていて。もう一人の方は、今日の晩御飯何にするかについて考えながら歩いています。この二人にとって、世界というのは、同じものだろうかと思う。

 よく思うけれども。毎日、朝日新聞を読んでいる人と、スポーツ新聞を読んでいる人とでは、『これが私にとって、世界なのだ』と考えている、世界認識が違うと思う。同じように、見掛け上は、この日本に住んでいるように見えたとしても。同じ世界の下には生きていない。そう思うのだけれども。

 

 地獄なんて、存在しない。でも、この世界を地獄のように感じて生きている人達はいるように思う。

 『愚痴ばっかり言うな』と私は言いたい。そして、周りの人は、愚痴ばっかり言う人達から離れていくでしょうね。神による罰はある。でも、神が罰を与えている訳ではなく。人間が罰を与えている。別に、神が意図的に罰を与えている訳ではないが。悪い思考には、それなりの報いは受けるということで。

 

 階層度(抽象度)を上げる事について書きたいと思う。

 リストラにあったら、誰でも悲しいと思う。でも、それがリストラしないと、会社が倒産するような状態であったとしたらどうだろうかと思う。

 いじめにあったら辛い。でも、いつまでも引きずるのは、人生を無駄にしていると思う。

 許しは他者の為にするのではなく、自分の為にするものである。

 『会社はリストラせざるを得ない状態だったのだ』という理解があれば、許しが起きる。そして、『私はリストラにあった、みじめな自分なのだ』という事に対する許しも起きる。

 すべてを許してからではないと、前には進めないのが、人間というものかも知れない。

 結局、問題は、感情だ。憎しみを持って人生を生きるのか、許しを持って人生を生きるのか。憎しみを持って生きる人達と仲良くしたいという人がいるであろうか。そういう憎しみを持って生きる人に近づいてくるのは、詐欺師しかいないであろう。そして、憎しみを持って生きる人達は不幸になるであろうと思う。

 

 『知識が何の役に立つの?』と考えている人もいるだろうと思う。でも、『リストラせざるを得ない状況だったのだ』と分かれば、自分と会社と自分をリストラした人達の事を許せるようになる。知識がなければ、その判断がつかずに、ずっと怒りを感じた、みじめさを感じたまま生きる事になる。それでは、人生を幸福に生きる事は難しいだろうと思う。

 

 地獄は、“あなたが感じる事”の中にある。物質的、客観的事項にはない、と。

 

 だから、相手に対して、『地獄に堕ちろ』とか考える必要はないのだと思う。相手が本当の悪人であれば、もう既に地獄に落ちた思考を持っているからである。『なんで、自分はこんなに苦しんでいるのに、相手は、良い世界にいるのだ』と感じていたとしたら。それは、あなたの思考が地獄的な思考にいるだけなのである。

 神は、常に悪い思考の持ち主に対して、罰を与えている。でも、それは、物質的に、客観的に見える状況によってではないかも知れない。見る目があれば、見える。悪い思考の持ち主には、ちゃんと、それに応じた罰がある事を。

 

 ちなみに。“NO”と言えない人がいる。犯罪者を告発出来ない人達がいる。それは、善行ではなく、悪行である。あなたが犯罪を告発出来ないと、犯罪者は、また次の犯罪行為をやってしまうであろう。だから、犯罪者に対して、NOを言えないのは、悪行の一つである。

 人生には、学ばなければならない事がたくさんある。“NO”を言えない人達は、“NO”と言う事を、学ぶ為に生まれてきたのだと、自覚する必要があると思う。『犯罪者がぬくぬくとしている。私はこんなに不幸なのに』と感じている人がいるとすれば。それは、犯罪を告発しなかった、あなたの責任である。すべての不幸な思考には、自分自身に責任がある。他者にはない。その事を考えなければ。“やる事をすべてやった”と信じられるのであれば、次のステップ(段階)に進めるであろう。憎しみに捕らわれているのであれば。それは、あなたが、するべき事をしていないからである。問題は、自分の過ちにあるのに、それを、他者のせいにしてはいけないと思う。

 

 強姦被害を誰にも言わない人が、被害者の8割ほどにも上るらしいと。これは、絶対に、善行でも、優しさでもないと思う。それは、その人達が、弱いからである。

 “セカンドレイプ”という人達がいるが。犯罪行為を告発しないのは、その人達の過ちだと言わなければならないと思う。被害者には、犯罪者を告発する義務があると思う。被害を言わないのは、その人の正しさの証拠ではなく、その人の過ちの証明であると思う。

 

 『完璧な存在なら、この地球上に生まれてくる必要はない』と言っている人がいます。すべての人の“学ばなければならない”事があるのだと思う。“自分自身にとっての完璧な幸福”が実現出来たら、すべての学びを終えたら、この地球に生まれてくる必要はないと思う。だから。すべての人は、どこか欠けている。偉大な数学者は、料理が出来ないかも知れない。でも、それで良いのだと思う。自分が、幸せを感じる思考を持っていれば。

 地球が分離するという意見を言う存在がいるが。幸せを感じて生きている人達と、不幸を感じて生きている人達とに、分かれるのかも知れないと思っている。障害があっても、難病に掛っていても、周囲に対する感謝の念を感じながら生きて行く事は可能だと思う。でも、もちろん、不満たらたらで生きている人達も大勢いるけれども。知的障害があるからと言って、皆善人でない事は知っている。でも、勇気ある魂であるのかも知れない。“自分を変えよう”という意思を持った勇気ある魂であると言う事は言えるかも知れないと思う。ぼーっと健常者として、生まれる事によっては見えてこない世界が、障害を持って生まれてくるというチャレンジ(挑戦)には付きまとってくる訳だからして。

 

 「パズルのピース(かけら)を全部集めたら、成功だ」という意見があるように思う。全部のピース、王様、奴隷、男性、女性、子ども、高齢者、世界のあらゆる立場、そのすべての立場を経験したら、人生を存分に生きた事になる、という話である。一つの人生では、そのすべてを経験することは、無理だけど。たくさんの人生を生きれば、それが可能かも知れない。それが、生命の目的だと言っている存在がいます。

 

 『階層度(抽象度)を上げた思考が出来るようになれ』と言っているけれども。本当は、「すべての人の立場を理解出来る存在になれ」すなわち「神のような存在になれ」という意味かも知れないけれども。“神”とは、“すべてを含む集合体”なのだそうだからして。

 “科学理論”とは、“すべての現象を説明するより大きな理論”を思いついたら、科学理論としては成功らしい。つまり、“よりすべてに近い事を説明する理論”を思いついたら、科学理論としては、成功だ、ということであろう、と。

 別に、“リストラする側”と“リストラされる側”を含む正義はないけれども。“どちらの立場も理解出来るようになる事”それが、よりレベルの高い人間、存在になっていくという意味ではないかと私は思う。

 

 “幸福感”とは、ただの認識に過ぎない。でも、相手の立場について、考える事が出来ない人間が、幸福感を感じる人間になる事は難しいと思う。

 「恨み辛みはもういらない」と思うけれども。でも、相手の事を、憎んでいる人達がいる。でも、それは、相手が悪いのではなく、そういう思考を持ってしまった、自分の問題である。“相手の立場について、考える事が出来ない”という、その人自身の過ちに関する問題であると思う。

 

 後、不幸を感じる理由として。“自分の社会的立場が全然分かっていない人達”がいるのだよね。

 『時給700円は安い』と言ったって。他の会社でそれ以上高い賃金で雇われる見込みがなければ、その時給は今雇ってくれている会社に対して、感謝してもらうべき賃金である。それを、他の会社でそれ以上高い賃金で雇われる見込みのない人にも関わらず、『賃金が低い』と言って、文句を言っている人達がいるのだよね。本当に馬鹿な行為、思想だと思う。結局、「自分の置かれている立場が分かっていない」ということだと思う。

 知識がなくても、馬鹿だとは思わないけれども。『私はこの夫と一緒に暮らすしか、ないのである』と考えているのであれば、夫の悪口を言うのは過ちである。『私はこの日本で暮らすしか、ないのである』と考えているのであれば。日本の悪口はいらない。私はそう思うのだけれども。

 

 とにかく、“もらえれば良いのだ”と考えている人がいるように思う。『宝くじが当たらないかな。そうすれば、私の人生は変わるのに』と待っている人達の事である。

 でも、仕事というのは、他者に対して利益を与えた分だけもらえるのが、正当な賃金だと思う。だから、振り込め詐欺でお金が入ったとしても、それは犯罪行為であるし。生活保護でお金が入ったとしても、それは、別にあなたが素晴らしい人間であるという証拠にはならない。

 関係ないが。他人からお金をせしめて、おごってもらって、“普通の事”と思っている人達がいる。もらう事に対する感謝の念がないと、他人からは嫌われる。でも、それが、分からない人達がいるようである、と言う事で。

 『どんな方法でも良いから、お金を得たら良いのだ』という考えは間違っていると思う。そして、そういう思考が、結局、最終的には、『自分は不幸な人間である』と感じる原因を作っているように思う。一時的に、“働かないで”金をせしめることに成功したとしても、そういう人達が、幸福を感じる人生を生きる事は難しいであろうと思う。

 

 結局、“認識”の問題なのだ。『宝くじが当たったら』という、外部から見える事項は、感じる幸福の、ほんの一側面に過ぎない、と。

 

 『加害者も被害者も存在しない』と言っている存在がいます。

 『ブラジル人とブラジルで合弁会社を作ろうとして、ブラジル人に多大な金額を騙し取られた』と言って、不幸を感じる思考になっている人がいます。

 「ブラジルで、ブラジル人と合弁会社を作ろうとして、ブラジル人にお金をだまし取られる可能性を考えなかったのは、あなたの過ちである」と思う。ブラジル人からすれば、絶対に『金持ち日本人だから、多少の金は騙し取っても良いだろう』くらいの事は考えているはずだからして。

 結局、“相手の立場”についての思考が全然及んでいないのだよね。相手がどういう思考を持っているかについて、全然想像することが出来ていない。だから、“騙された”段階で、『騙された』と叫ぶ。ブラジル人とブラジルで合弁会社を作るなんていう行為は、ブラジル人に騙される覚悟でしなければならない行為なのに、と。

 

 自分の立場と相手の立場、世間における自分の立場を理解する、想像する事の出来ない人間には、不幸を感じる出来事が起きる。「そんな事は、織り込みずみで行動しろよ」と思うのだけれども。彼らには、相手の立場を想像する、想像力に欠けているのだろうと思う。だから、普通の人にとって、「そんな事は織り込み済みで」という行為に出会っても、“不幸を感じてしまう”ということで。

 

 詐欺師にあって、『詐欺だ』と不幸を感じてしまうのは、不幸を感じる方に問題があると思う。日経平均株価が下がって誰に文句を言おうというのであろうか。そんな事は、織り込み済みで行動して欲しいと、知識ある人達は思う。ただ、それだけの話だと思う。

 

 “被害者意識”のまま永遠にとどまるのは、愚かな事である。仕返ししたいであればすれば良いではないか。あなたの出来る範囲で。その仕返しが上手くいかないというのであれば。それはあなたの主張が社会的に見て妥当なものではないからである。自分の過ちに気付かずに、相手の人間を恨んでも仕方ないと思う。それはあなたの過ちであろうと思う。

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不幸になるのは簡単なのだ

2012-07-19 17:11:24 | Weblog

 不幸になるのは、簡単なのだ。ただ、お互いに人殺しをすれば良い。何の善行もいらない。お互いに殺し合いをするだけで、簡単に不幸になれるということで。

 私は基本的に、紛争地域に対する、援助は止めるべきだと思っているが。戦争している地域に、援助しても、どう考えても、何の解決にもならない訳で。まず、戦争を止めさせるべきである。それからでないと話が進まない。

 

 今の地球で、人間が不幸になってしまう理由の恐らくすべては、人間の過ちのせいである。北朝鮮の人達が、飢え死にしそうなのは、北朝鮮の政治が間違っているせいである。政治の間違いを指摘しないで、いくら、北朝鮮に援助を注ぎ込んでも何の解決にはならないと思う。

 

 貧困に苦しんでいる人達に対して、援助をしようという主張をしている人達は、本当の問題に対して、スルー(通り抜け)をする。本当の問題は、戦争をしている事、間違った政治をしている事にあるのに、そこの問題は、無視して、『食糧援助をしよう』という。本当は、戦争を止めさせなければならないし、間違った政治を正すようにしなければならないのに。そこの問題は無視する。それは、彼らに対する善行にはならないと思う。

 

 貧しい人達に対して、お金を与える事が、問題の解決になるのであろうか。

 『貧しい国の人達に対して、援助をしよう』という言葉に誘われて、何度か援助してみたけれども。どうも、それが正しい事だとは思えない。もちろん、やってみないと、認識出来ない事があるから。援助した行為が間違いだと思わないけれども。援助というやり方が正しいとは思えない。今でも、本当は、援助を必要としない状態にさせる事が、正しい事であると思っている。だから、中国の経済発展は正しい。援助を必要とする、アフリカの状態は間違っている、と。そう思っているのだけれども。

 

 援助を必要とする国は、不幸だし、間違った国だと思う。

 

 神は言う。『他人に対して、幸福であれと願う事は立派な事であるが。神の立場になれば、それぞれが自分の運命を選ぶべきだし、選んでいると言う事が分かる』と。私には意味がよく分からないが。アフガニスタンの過ちを正そうとして、アフガニスタンに軍隊を置いたアメリカとアメリカ人が不幸を感じる結果になった事は知っている。

 他者の過ちを正そうとして、何度も、説明したのに、全く理解しない人がいる。

 結局、他者に対して、“幸福を感じる思考を持つように”という説得は、上手くいかない場合がある、ということだと思う。

 もちろん、アフガニスタンの人達が不幸な理由は、イスラム教を信じている事にある。でも、その思考を変えさせる事は容易な問題ではないと言う事であろう。そして、北朝鮮の政府を崩壊させて、他の国の人達が支配する政権を作る。それも、簡単な行為ではないのであろう。

 問題はそれによってしか解決しないけれども。

 それでも、アフリカの人達は変わらず、自国民を殺し続けるであろうと思う。思考は容易には変わらない為である。

 『あなたに出来る事はあなたが幸せでいる事だけです』という。多分、それ以上の事は出来ないのであろう。『あなたが高い波動を持っていれば、他の人も高い波動を手に入れやすくなります。しかし、相手が変わるとは限りません。あなたは相手に愛を与える事しか出来ません。変化するかどうかは相手が決める事です』と。

 

 出来る事は、幸せな自分でいる事。それだけなのだ。

 難しい問題である事は間違いない。アメリカはアフガニスタンから撤退すべきである。アフガニスタンの人達が、いくら不幸になろうと、もう、ほうっておくべきだと思う。アフガニスタンの人達が間違った人達だからと言って、アメリカ人まで不幸になる事はないのである。アフガニスタンに対する援助は一切止めるべきだと思う。どうせ、彼らは感謝しないどころか、恐らく不満だらけであろうから。

 

 他者の幸福に対して、責任を持とうという考えは間違っていると思う。自分に出来る事は、自分にとって、正しい行いをし続けるだけ事しか出来ないと思う。他者が幸福を感じられる存在にするかどうかについて、他人は責任を持っていないと思う。

 

 貧しい事は、聖者の証であるという発想がある。どう考えてもそうは思えない。

 新聞で、修道者の人生と、政治家の人生を比較して、『修道者の人生は素晴らしい。それに比べて政治家の人生は』という投書を読んだが。どう考えても、政治家の人生を選ぶ方が能力を必要とする。修道者の人生を生きるのに、何の能力もいらない。

 偉大なる科学者になるのには、偉大な知識が必要であるが。障害者になるのに、何の能力も必要ない。

 貧困に陥るのは簡単であるが。金持ちになるには、能力がいる。

 能力が必要な方がおとしめられて、能力が不必要な方が、正しい人のように言われるのは、間違いだと思う。

 援助を受ける側になるのに、何の能力も必要ないが、援助を与える側になるのには、何らかの能力が必要になる。

 貧しい人達を、豊かな人間よりも、正しい側に置くのは、過ちだと思う。金持ちの方が貧しい人間よりも、正しい存在であると思う。

 

 意図的に不幸を選ぶのは間違った行いであると思う。もちろん、意図しなくても、最大限の努力を尽くしていても、不幸は起こりうるけれども。でも、意図的に不幸を選ぶ行為が正しい訳ではない。人は幸福になる為に最善を尽くすべきだと思う。最善の努力をしたとしても、幸福が約束されないのが事実であったとしても。

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