福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

時間について2017(2) 無駄のない人生はつまらない

2017年04月19日 17時42分09秒 | コラム、エッセイ
 どういう過ごし方をしたかということはさておき、72年を振り返ってみれば、誰しもがいうように、飛ぶように過ぎたと感じる。

 小学校の夏休み、—日が永遠に続くように思えた。 小学校の夏休みの宿題は、休みに入ってすぐにやってしまって「やり遂げた、あとは自由!!」という達成感と開放感がやって来る。それで得られた時間は何かを見つけ出してはコツコツと楽しんだ。もちろん苦しみもあった。でも時間的には自由だった。そんな感覚は大学まで続いた。

 社会に出てから一変した。現役時代は実に多忙であった。目の前にやらなけれぱならないことがたくさんあると、順番を付けて処理しなくてはならない。瞬発力はなく、毎日コツコツやるのが好きな私は一つや二つやり遂げても、次が残っているから全然開放感もない。常に追われていた。

 今の労務は現役の時の1/3程度だろうか。きつくはないが、時間の流れは早い。直ぐに週末になってしまう。

 最近は自分の発想を「明日できることを今日はしない!!!」に切り替えた。
 今日でなければできないことなら、仮にそれが重要なことでないにしても、たとえ休息だったとしても、それをしないのは勿体無い。
 明日の日は生きていれば必ずやって来るが、今日という日はもう二度と来ない。何げないことが絶え間なく続く日々の暮らし、今日は予定の半分もできなかった、などと思わずに、また明日があるさ、と楽天的に考えたい。これは私にとって退歩でなく大きな進歩である。

 無駄のない人生のつまらなさを、最近自覚している。
 
 旅行など、最適な方法で最短の距離を辿れば、例えば秋田から大阪までなら、新幹線を利用するのもいい。空路ならもっと早い。余計な時間も使いたくない。前はそうだった。

 私は、一度だけ、あまりの多忙さから逃避するためにわざわざ効率の悪い移動をしたことがある。

 20年以上も前に佐賀市で日本小児血液学会総会が開かれ出席した。
 東京までは空路にしたが、東京以降はあえて寝台特急にした。二日半程度であったが病院を離れる開放感を味わいたかったからである。
 列車は東京駅を16:00ころ発ち、翌朝10:00頃着いた。寝台車なら大丈夫だろうと踏んだが、寝台にセットされる前から腰痛が生じ、腰痛持ちの私には辛い旅であった。ただ、この間の開放感は最高であった。
 復路はその日の最終便で佐賀空港を発ち羽田に戻り、あけぼので帰秋し、現実の日常に戻った。逃避行した分、一層忙しくなった。効率だけを考えるなら現在は佐賀・秋田間は日帰りも不可能ではないほど便利になった。

 無駄なことをする、苦労自体を楽しむ、それによって思いがけない出来事に遭遇することもある。
 私は、けっこう無駄が好きなのだ、ということに気づいた。働いているときには効率を求めても、休みとなれば無駄なことばかりしている。

 無駄を積極的に取り入れる。私の残りの人生が一層楽しくなるだろう。何か新しい発見があるかもしれない。
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