福田の雑記帖

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企業不正2017(6) 謝罪とはなにか、謝罪でなにがもたらされるのか

2017年11月12日 17時17分35秒 | 時事問題 社会問題
 神鋼、日産、スバル等の企業不正が明らかになって、企業関係に限らず、毎日のように謝罪会見の映像がテレビで流れている。
 その主なのは、
■不良品の出荷や違法行為が発覚して、企業のトップか頭を下げている。
■芸能人が不倫をしていたということで、謝罪。
■政治家がその行動や発言について追及されて謝罪する。

 そもそも謝罪とはなんだろうか、誰に向かってなんのために行われているのだろうか。
 謝罪とは、それまでに築かれていたお互いの信頼関係を、故意または過失によって壊してしまった場合に、加害者が被害者との関係を修復するための手段である。

 修復のためには被害者に対して謝罪し、ゆるしを得なければならない。謝罪である以上、加害者が被害者よりも低い立場に身を置いて、被害者側の評価に身を委ねることも必要となる。

 こう考えると、謝罪の相手は誰なのか?なぜテレビで流がす?テレビで見て溜飲を下げているのは誰なのか?ということが疑問になってくる。

 信頼感は政治家にとっての生命線であり、タレントや有名人にとっては人気こそが存在の核心である。
 政治家や芸能人がテレビで視聴者に向かって謝罪したとしても、視聴者は別に金銭的な被害を受けたわけではない。
 言葉だけの謝罪を受けただけで、私たちは信頼を壊してしまった人を許し、信頼関係を取り戻すせるのだろうか。私はそうではないと思う。関係者以外の一般大衆にとっては利害関係なんてそもそもあるはずがないからである。
 だから、謝罪会見は実体のないショーである。だから、頭をさげた瞬間カメラのシャッターが一斉に切られる。マスコミはそれをしつこく流す。本当は、謝罪で何を、どう謝罪したのかが大切なのに、それは殆ど取り上げない。マスコミの大衆路線を垣間見る瞬間でもある。

 謝罪には金銭的な代償を支払うものもあれば、そうでないものもある。
 金銭的・非金銭的であろうとコストを支払って謝罪して初めて、人々は本人が本気で謝罪していると分かって、初めて、人々はその人を許す事になる。

 金銭的・非金銭的な負担を伴わない謝罪は、相手に信頼されないと考えられている。「謝罪するなら、誠意を見せろ・・」と被害者から逆襲を受ける事もある。
 言葉だけの謝罪そのものには関係者間の感情的利害が一致するような特殊な場合を除いては、効果かないはずなのに、実際には効果的な場合があるのはどうしてだろうか。

 それは、謝罪の相手が不特定多数になってしまっているから、テレビの前で謝罪することで社会的義務を果たしたことになる、という一面があるからである。「謝罪の言葉すら無かった・・」と言う評価は新たなバッシングを生む危険が大きい。だから、企業関係者、政治家、芸能人などは謝罪に勤しむ事になる。
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