《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

人恋うは かなしきものと 平城山に もとおりきつつ たえがたかりき

2010年10月27日 20時28分27秒 | Weblog
1歳違いの同僚が先週の土日と特別休暇を絡めて、奈良を旅して来たそうな。

薬師寺、唐招提寺、西大寺などの話を聞いていて、

もう20年以上訪れていない奈良の風景が心に映った。

考えてみれば、20代後半に山辺の道を踏破した旅が最後になっている。

30代から40代半ばまでは、比較的京都に傾倒していて、ずっと奈良は訪れていなかった。

でも同僚の的確な風景描写に、20年以上も前に見た奈良の風景がよみがえった。

その風景が美しく思えた。やっと奈良の良さが分かる年齢になったんだな、と思った。この風景を私の心中に描いてくれた同僚も、1歳違いだから。

京都の国風文化……と単純化したら申し訳ないが、あえて「和風を創造した都市」と考えると、
奈良は大陸文化の美を残そう残そうしてきた都市なのかもしれない。

この歳になるまで、
鷹揚にして迫らない、ちょっとのっぺりとした感じがする奈良の風土より、
箱庭的であったり、わび・さびであったり、一転、狩野派であったりという京風の方が、分かり易かったのかもしれない。

でも、無茶にも《盆地の中》に大陸の雄大さを移そう、写そうとした平城人の心もいじらしいではないか。純粋に外国へのあこがれる時期も、民族の歴史の中にはあっていい。平城京の時代、織豊時代、ガーコン時代。の3期か。日宋貿易の時代も入れようか。文明開化期は和魂洋才とか言ってたから、入れない。とか言って。(最近の私は平岡正明の影響でちょっと佐幕派)
平安京より平城京の方がよっぽど国際都市だったことを思い出した。

今度奈良に行けるのはいつだろうか。心の中の奈良に行き続ける方が幸せなのだろうか。

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