マキペディア(発行人・牧野紀之)

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自然法とはどういうものか

2017年08月04日 | サ行

六 実定法(成法) と自然法(理想法)

 ① 法律を論ずる場合の重要な観点の1つに実定法(成文法)と自然法(理想法)との区別があります。実定法とは現に法律として働いている法律の事です。これに対して、自然法というのは理論的に考えて、法律として認めなければならないとされる法律ないし道徳律のようなものです。ですから、これを認めない人にとっては自然法は存在しないことになりますが、実際には多くの人に認められています。

 17,8世紀の自然法思想は、人間の本性に基づく普遍的な法律が時間と空間とを超越して自然に存在するものと考えました。そして、その原理と考えた事に基づいて、フランスで典型的な形で現れたように、古い体制(アンシャン・レジーム)を破壊しました。その結果として19世紀の法律文化が成立したのですが、20世紀の法律思想は、新たに、19世紀の法律思想も万古不変ではないはずだと考え、「内容的には変化する自然法」(シュタムラー)という事を問題とするようになりました。この考え方に依るならば、自然法は19世紀の個人法から20世紀の社会法に進化したものと言ってよいでしょう。
 (注)社会の中での企業や団体の役割が大きくなるにつれて、人間関係の中で個人間の関係よりも個人と団体、あるいは団体相互の関係が大きな役割を果たすようになりました。従って、民法でも商法でも前者を規定するのを個人法(市民法)といい、後者を規定するのを社会法(団体法)と言います。

 ② 実定法は法律として現に成立している「存在」であるのに対して、自然法は法律として成立すべき「当為」でしかないのですから、その性質において、全く相異なるものと言えます。即ち、自然法は実定法を批判する理論でしかなく、実定法は自然法による批判の如何に拘らず、とにもかくにも実際に法律として機能しているものなのです。

 しかし、法の働いている実際をよく見てみるならば、実定法の意味内容はその条文だけで決まるものばかりではなく、条文の解釈によって初めてそれの意味が判然とする場合も多い。しかるに、その解釈に当たっては、自然法上の理論に依らざるを得ない事も少なくない。従って法の実践に際して実定法の意味内容を論ずる場合には、自然法が重要な影響を及ぼすものとなるのです。判例を見ますと、屡々、「条理」に依りとか、「自然の法則」に従って事を論ぜざるをえないとする場合などは、自然法を採用して判断していると言って好いのです。又特に概括的条項(一般的条項)を運用する場合には、自然法に則って考え行動しなければなりません。例えば「公序良俗の原則」に依って判断するような時がそれです。

七 概括的条項(一般的条項)

 ① 即ち法律では屡々「公の秩序、善良な風俗」ということを規定することがあります。その最も著しい例は、民法第90条です。曰く、「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は無効とす。」と。

 しかし、どのような基準で「公序良俗」を論ずべきかに付いては、形式的概念的な基準はありません。このような規定を概括的条項(一般的条項)と言うのです。概括的条項は事柄の価値判断に属するものですから、その性質上超法規的のもの(法律を越えたもの)です。そのため実際においては、裁判所が自由な裁量によって判定することとなるのです。民法第400条が過失の基準を規定して「善良なる管理者の注意」としているのも同じです。曰く、「債権の目的が特定物の引き渡しなるときは債務者その引き渡しを為すまで、善良なる管理者の注意を以てその物を保存する事を要す。」と。

 その他、法律は屡々、「相当の期間」「正当なる理由」その他これに類する用語を使って規定を定めることがあります。これも又概括的条項に属するものです。「信義の原則」ということもあります。我が民法には特に明文として規定されていない場合でも、大審院の判例には屡々、此の原則(「信義の原則」)の援用される場合が見られます。

 そもそも此の原則は、既にローマ法において認められたものでして、フランス民法、ドイツ民法、及びスイス民法においても明かに規定されているものです。最も包括的な規定を設けたのはスイス民法でして、その第2条に曰く、「各自は信義誠実の原則に従いて権利を行使し義務を履行すべし。権利の明白なる濫用は法律に依りて保護せらるることなし。」と。即ち社会生活の取引における全体の関係に通ずるものとして此の原則を掲げたのです。明文ではこの原則を定めていない我が国の法律の運用で、我が大審院は、此の原則は当然の事由として、予定されているものとしているのです。

 ② なお、我が大審院の判例においては、屡々、「社会の通念」という語又はこれに類する用語が見られます。これ又概括的条項に属するものと言えます。ナチスドイツの法律には、「健全なる国民感情」という語を使った規定を設けている場合がとても多いです。

 ③ 最近の立法では、諸外国の例を見ても、事を概括的条項に譲る場合が益々多くなっています。けだし、法律は権利義務の関係を明白にするのが目的ですから、規定の内容は細部までいちいち規定しないで、形式的概念的となるのは当然です。他方、法律も又、実生活の変遷に対応しなければなりません。成文法は、その性質上、実生活に完全に合ったものではありえません。そこで法律は、その時々の条文の規定を実生活に適合させ、その欠陥を適当に補う方法を明らかにしようとして概括的条項を用いるようになるのです。

 ④ 更に又、法律の運用はただ形式的に平等であればよいというものではなく、その上に実質的に公平でもなければなりません。そこから「具体的公平の原則」ということが出てきます。これは「裁判上の個別主義」とも言われるものです。裁判所が一定の範囲で自由な裁量によってその判断を下すことです。

 民法では、例えば「過失相殺の原則」がその一例です。第418条にはこうあります、「債務不履行に関し債権者に過失ありたるときは裁判所は損害賠償の責任及びその金額定めるに付き、之を斟酌す。」と。不法行為に関する第722条第2項も又「被害者に過失ありたるときは裁判所は賠償額を定むるに付き之を斟酌することを得。」との規定があります。

 概括的条項はこのような場合には重要な働きをします。かくして、具体的公平の原則は、民法では特に損害賠償事件の時にそれが適用されますし、刑法では、量刑に関して裁判所の裁量権が大きい点にそれの適用が好く出ています。量刑に関する裁量権の大なる一例としては、殺人罪に関する刑法第199条を挙げることが出来ます。曰く「人を殺したる者は死刑又は無期若くは3年以下の懲役に処す。」と。このように広い範囲が定められているので、裁判所は、具体的な事件に対してその中から適当な量刑を選択し、刑期を量定するのです。刑事事件について裁判所にこのように広い自由裁量を認めているのは、我が国の刑法が20世紀の初頭において、諸外国の立法に対し範を示したものです。諸外国の最近の立法例は漸次これに倣ってきています。

 ⑤ 法律の適用を離れて、調停制度について見ますと、調停は、専ら具体的公平の原則に依るべきものとされています。そのために、裁判所が調停に代わるべき裁判即ち強制調停を為すことになった場合については、例えば金銭・債務臨時調停法第7条は次のように規定しています。曰く、「調停委員会に於て調停成らざる場合に於て、裁判所相当と認むる時は、職権を以て、調停委員会の意見を聴き、当事者双方の利益を公平に考慮し、その資力、業務の性質、既に債務者の支払いたる利息手数料内入金等の額、その他一切の事情を酎酌して、調停に代え、利息、期限その他債務関係の変更を命ずる裁判を為すことを得。」と。

 この規定は戦時民事特別法に依り、広く調停一般(人事調停の場合を除く)に準用されています。

(牧野英一『法学通論』。これは昭和18年~19年に牧野英一が海軍経理学校で行った講義用のパンフレットです。その時の生徒が平成16年の春に再度刊行したものです。文章は牧野紀之が現代文に変えました。真意を取り違ていないことを祈ります)

  原文は→自然法

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1 コメント

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Unknown (しんり)
2017-08-09 19:24:51
浜松市議の給料は高いように思います。

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